今、風薫る季節です。5月のGW後のこの時季はおそらく全国的に見ても新緑が萌え風が薫るベストな季節なのでしょう。

そんなベストな季節に、不肖この私は先月のジャングル旅で引いた風邪が未だ抜けきれずに、酷く咳き込んだりして・・・、お陰で電車やバスの中だけでなく、家の中でもマスクして周りに気遣いながらひっそりと暮らしています・・・・・・・・・なんてことはウソですが、周りの迷惑顧みずゲホゲホ、ゴホゴホとやっては嫌がられています。

それと前回ブログでちょっと書いた異臭騒ぎのことですが、先日わざわざ酒田までお越しいただいた秋田のY子さんのご要望にお応えし、恥を忍んでことの顛末を綴ります。



いやぁ、ホトホトあの臭いには参りました。実は、マレーシアを発つ前から、my better halfに私の周囲でなにか異臭がすると指摘されていました。私は生来、臭い鈍感人間なのでほとんどなにも感じていなかったのですが、犬も驚くほど嗅覚が鋭いmy better halfには、ゴムが焼け焦げたような嫌な臭いだとかいろいろと言われてました。

でも、どうも私自身の身体から発しているオヤジな臭いではなさそうで、その元は結局分からずじまい。ところが、埼玉の長女宅に着いてまもなく、今度は長女が異臭がすると言い始めたのです。

二人の孫など他の家族も加わり、異臭探索大作戦を大騒ぎしながらやったところ、どうも私が常々背中に担いでいるバックパックが臭いの元らしい。なので家族全員の立会いの下にバックパックのジッパーをオープンしましたよ。。

すると、私には確かになにかの臭いがするね、程度なのですが、私を除く全員が、うっ、こ、これだ、と言って大げさに仰け反るではありませんか。

当然のように、この私と私のバックパックは玄関から外に追いやられましたよ。私は外でバックパックの中身を全部出して、ひとつひとつ臭いを嗅いでみて、異臭の原因が何かを調べたのですが不思議なことにそれが良く分からない。

確かに何かの臭いがするのだが、これが何の臭いかは分からない。鼻にツンとくる薬品臭のようであもり、なにかが焦げた臭いのようでもある。ひょっとしたら私の(中国製)バックパックを間仕切りしてる材質の、熱かなにかによる溶解が原因かもしれないと考え、バックパックを完全裏返し、洗剤で洗って天日に干してみた。

一方、バックパックの内容品については、IT小物入れ、メガネケース、薬入れビニールバッグ、ノート、ペンケースなどなど、いずれもそれ単体ではさほどの臭いはしない。ただ念のため、これらも天日干しにしておいた。

さて、その2日後である。バックパックの臭いはほぼ取れた、、、、と思った。なので、まだ訝しむ家族をよそに、天日干しにしておいた内容品をバックパックに戻し玄関の物置台に置いておいた。しばらくして孫たちが学校から帰り、玄関先でなにか騒いでる。え、まだ異臭がするって?? そんな馬鹿な、、、

またまた家族全員の立会いの下にバックパックを検査した。ジッパーを開けると、またもや全員仰け反った。今度はさすがにこの私も仰け反った。く、くさい、確かにくさい、これは耐えられん。

でもなんで? どうして? と、、今度は内容品を疑った。どうも薬入れの小型ビニールバックが怪しい。ビニールバッグのジッパーを開けてみた。するとまるで毒ガスのような、オドーでスティンキーな臭いがたちまちのうちに部屋中に拡散した。こ、これは、、、、正露丸(せいろがん)の臭いだ。ついに臭いの正体が判明した。

実は先月、ボルネオ島のジャングル旅に出る前、もしもの腹痛に備え、正露丸をチャック付の小さなポリ袋に小分けし、他の薬とともに塩ビのバッグに入れて持ち歩いていたが、それが間違いの大元だったようだ。コーティングしていない昔からあるあの正露丸の黒い小さな丸薬は、腹痛などに対する効果も抜群だが、発する臭いがたまらなく臭いのだ。普段は小瓶の中に密封されているので、臭いが外には漏れないのだが、ポリ袋や塩ビの袋など、臭いの分子は楽々通過してしまうに違いない。

そうか、鼻にツンとくる薬品臭はあのクレオソートの臭いだったんだ。焼け焦げ臭の正体みたり正露丸だ。。

しかし驚いた。ほんの20粒ほどの小さな粒粒が、こんなに強烈な異臭を放ち、薬入れの中の他の薬や、ザックの中の他の小物類、さらにはバックパックそのものにまで、あんなに頑固に異臭を染み込ませるなんて、こりゃ驚いた。ちなみに正露丸臭のキーワードでネット検索してみると、出るわ出るわ。。。

いやぁ、これは知らなんだ。セイロガンって大変なシロモノだったんだ。恥かしながら初めて知った。しかし、バックパックに正露丸を入れて持ち歩き始めて一ヶ月半。初めは臭いもたいしたことはなかったんだろう、と思う。なぜならジャングル旅で四六時中一緒だったピーターもシーシーもなんにも言わなかったし、私のマレー語仲間たちからもなにも言われなかった。

だけどそう言われれば、今回のマレーシアからの飛行機の中で、隣の座席の乗客が心なしか少し距離を置いていたような、、、、そんな気もしないでもない。。気づかないうちに周りに異臭を振りまいていただなんて。。いや、これはマジ反省、反省。。



ところで早いもので、明後日、マレーシアに戻ります。心配していたノートPCの修理も無事に終わり、工場から無事に戻ってホッと安堵したのですが、予期のとおりすべてがまっさらの工場出荷状態です。もちろんこのままでは使えないので、今は婿殿の古いノートPCを借りてこれを書いています。

そうそう、腕時計の修理も終わりました、と言うより、町の時計屋さんに持って行ったら偏屈・頑固そうな親父の手にかかりチョチョイのチョイで直ったようです。でも明らかに、油を差して時刻合わせしただけと言うのに、4000円も取りやがって、あと1000円ボッタクッたら、大喧嘩してやったのに、微妙なところの値付けは時計屋の親父の勝ちと言わざるを得ませんね。

一時滞在間、今回も足早に東京と酒田を往復しました。しかし、この時季の日本は本当に清清しい。新緑が萌え、風薫るふるさとニッポンを至る所で満喫しました。

以下、今回の一時滞在間、多くの古い仲間たちと共に過ごした東京と酒田、一部移動途中に撮り貯めたマイ・ライブラリーから、ほんの少しだけピックアップしてみました。

2017一時帰国a001
東京クラス会@浜離宮恩賜庭園(東京都中央区) 16 May 2017

2017一時帰国a002
東京クラス会@浜離宮恩賜庭園(東京都中央区) 16 May 2017

2017一時帰国a003
東京クラス会@浜離宮恩賜庭園(東京都中央区) 16 May 2017

2017一時帰国a004
東京クラス会@隅田川水上バス(日の出桟橋→浅草吾妻橋) 16 May 2017

2017一時帰国a005
東京クラス会@朝日ビール本社と通称ゴールデンう○こビル(吾妻橋から) 16 May 2017

2017一時帰国a006
東京クラス会@浅草仲見世伝法院通り 16 May 2017

↓これは今現在、ブログのトップ画像に据えている、田植えを終えたばかりの水面に映る秀麗な鳥海山です。

2017一時帰国b001
PANORAMA CHOKAI←クリックして拡大パノラマ画像

今回酒田でお会いした秋田のY子さんは秋田側から眺める鳥海山がベストだって仰ったけど、私は、やはり他の庄内人同様、この形、左端の笙ヶ岳から二峰を経て山頂に続くこの形が一番好きですね。

2017一時帰国b003
酒田市新井田川から見る鳥海山 18 May 2017

2017一時帰国b004
懐かしい仲間たちとの集い(酒田市中町響や) 17 May 2017

2017一時帰国b004-1
ふるさと美味いものづくし(酒田市中町響や) 17 May 2017

2017一時帰国b005
初孫酒造にしては珍しい辛口赤魔斬り(酒田市中町響や) 17 May 2017

2017一時帰国b006
タンカー@酒田本港(海鮮どんや「とびしま」から) 18 May 2017

2017一時帰国b007
イカ釣り船@酒田本港(海鮮どんや「とびしま」から) 18 May 2017

2017一時帰国b008
豪快舟盛り刺身膳(海鮮どんや「とびしま」) 18 May 2017

2017一時帰国b009
これも豪快ウニいくら丼(海鮮どんや「とびしま」) 18 May 2017

2017一時帰国b011
我が愛する大和尚の眞秀寺(山形県庄内町) 18 May 2017

2017一時帰国b012
鳥海山と庄内平野を一望できる眞秀寺(山形県庄内町) 18 May 2017

2017一時帰国b013
懐かしい月山春スキー場遠景(月山道路) 19 May 2017

2017一時帰国b014
新緑の月山湖(山形自動車道月山湖PA) 19 May 2017



今回は、滞在間ほとんど晴天に恵まれて、文字通りの風薫るふるさとニッポン満喫の旅でした。孫に囲まれ、大勢の古い友人たちの優しく温かな気遣いに心ゆくまで癒されました。

本当はもっともっと書きたいことがあるのですが、情けないことに風邪がまだ尾を引いていて本調子ではありません。加えて、借り物のPCでは思うように筆も走らず、今日のところはこれで仕舞いとします。

では、また。。次回はマレーシアからです。


スポンサーサイト
今(5月12日)、日本一時滞在中です。

ですが、孫たちとゆっくりのんびりするどころか、次から次に襲いくるハプニングに慌てふためいています。

まず、今このブログを書いているノートPCですが、突然クラッシュ寸前に追い込まれてしまい、補償期限(明日)ギリギリのタイミングでメーカー修理に出すことになりました。

今朝引き取りに来てもらうのですが、個人データなどのバックアップ作業に思いのほか手間取ってしまい、夕べはほとんど寝ていません。

VE060126.jpg
Masjid Ubudia @ Kuala Kangsar (DBP Bahasa Melayu Kelas 2017.5.6)

浦安のリペアセンターでの修理は10日間程度だそうですが、もちろん私はその間PCが使えないと言う想定外の状況です。

P_20170506_094727_BF.jpg
Dalam Keretapi ETS ke Kuala Kangsar (DBP Bahasa Melayu Kelas 2017.5.6)

と言うことは、当然ですがブログ更新もままならないわけです。まさかブログをスマホで書く根性もありませんしね。

VE060164.jpg
Galeri Sultan Azlan Shah @ Kuala Kangsar (DBP Bahasa Melayu Kelas 2017.5.6)

そのうえ泣きっ面にハチです。まずその1は、愛用の電波腕時計が突然故障してしまい、これも今日修理に出すつもりです。そしてその2は、またまたの風邪っ引きです。つくづく弱くなったものです。

そしてその3は異臭騒ぎです。この件は話すと長くなるので仔細は省きますか、家族から指摘されていた異臭の原因が私自身の持ち物だと分かり唖然としました。

VE060152.jpg
Istana Kenangan @ Kuala Kangsar (DBP Bahasa Melayu Kelas 2017.5.6)

その始末のために、今もまだあたふたしています。まだあります。愛用のipod touchをどうも家に忘れてきたようで、いろいろと支障が出ています。アンドロイドスマホは手元にあるのですが、重要なアプリはまだあっち(ipod touch)に置いているのです。

VE060149.jpg
Istana Iskandariah @ Kuala Kangsar (DBP Bahasa Melayu Kelas 2017.5.6)

そんな訳で、例年になく慌てふためいています。

次のブログは、先日(5月6日)、DBPのマレー語クラスでクアラ・カンサーに行ったのですが、その際の写真とエピソードにしようと思ってました。しかし、こんな状況なので大幅に変更せざるを得ません。

上記の写真はそのほんの一部ですが、クアラ・カンサーは想像以上に綺麗な町でした。残りの写真とエピソードはいずれまたブログに綴ってみなさんに紹介したいと思っています。

それでは今日はこれで。。



有難いことに、こんなブログでもご愛読下さる方が少なからずおられて、時々叱咤激励を受けます。今回のこのボルネオ高原歩き旅にも何人かの方から叱咤激励のコメントを頂戴しました。と言うか、ほとんどはもっと早く続きを読ませろと言う催促のコメントなのですが、すみません、これが私の限界なんです。

特に今回は、ブログを書くことよりももっと切迫した"かくこと"があり、思うように進みませんでした。実はここで暴露しちゃいますが、今回の旅で私は生まれて初めて、死ぬほど痒いダニ被害に遭ったのです。しかもこのことに気が付いたのは、旅の途中ではなくて手足に小さくて赤い、並びが特徴的な発疹が出て一斉に痒くなり始めた、旅終了後の四日目の朝のことです。

私にとって、こんなことは生まれて初めてです。アレルギー体質でもなく、山の強烈なウルシに触ってもちっともかぶれない鉄面皮のような皮膚なのに、いったいこれはどうしたことだろうと不思議でした。でも、ネットで調べていくうち、これはダニに噛まれた症状に違いないと確信したのです。

ダニ?いつ、どこで?と考えれば、思い当たる節が今回はいくつもあります。あまり清潔とは言えない宿のベッドで、しかも着替えもろくにせずに汚れたまま濡れたままで、湿った毛布にくるまって寝ていたのだから、さもありなんです。しかし、なんで今頃?と不思議でしたけど、これもネット情報で、ダニ被害には発症まで数日の潜伏期間があると知りました。

さらに悩んだことは、発疹が毎日増えること。昨晩なかった箇所に朝見ると新たな発疹が産まれているのです。これってどういうこと?これも潜伏期間ってことか、それとも、オレがダニを連れて帰ったってことなのか?しかし、ジャングルのヒルに噛まれず安宿のダニに噛まれたなんて洒落にもなりませんよね。

私は、家では現在二つの部屋のそれぞれのベッドを気ままに使用しています。一つは書斎のシングルベッド、これは仮眠用です。そしてもう一つは私の寝室のベッドです。慌てて、この二つのベッドを拡大鏡を使って仔細に点検しましたが、もちろん私にはなんの異常も見えません。

しかし目には見えなくても、シーツも、マットレスカバーも、なにもかも全部剥がして洗うしかない。そう判断した私は、嫌がるmy better halfに平にお願いをして、ダニが潜む可能性のあるペッディングのすべてを洗濯機で洗い、乾燥機の熱風で見えないダニをようやく駆除した、、、つもりでした。ところが、その翌朝にも新たな発疹が増えていて、えっ?これはどういうことだ、と真剣に悩みました。

一度セッティングしたペッディングをまたしても引っ剥がして、my better halfに文句言われつつも再洗い、さらに今度はマットレスまで疑ってかかり、掃除機を念入りにかけたり叩いたり、いや、それはそれは大変でした。

そんなことで、ブログを書くことよりも、ダニに噛まれた手足の発疹を、一日中必死に掻いていたので、とてもブログどころではなかったのです。お陰で私の手足は見る間にダイオキシンの毒素にやられた妖怪爺のような手足になってしまい、これにもずいぶん悩みました。

日本のキンカンや通常の痒み止めクリームではまったく治まらないこの異常な痒みのため、近傍のいくつもの薬局を廻り、即効性があって強力なステロイド系の痒み止めと、いくつものダニ駆除のスプレイなどを買い求めてはせっせと塗りたくったり、ペッディングにスプレイしたりしてました。

旅から帰って既に一か月が経ち、今ではさすがに痒みこそ治まりましたが、手足の発疹の痕は未だに残っていて、5月10日から予定している日本一時帰国の際に、この醜い手足では可愛い孫たちに嫌われてしまうのではないかと気に病んでいます。



さて本題です。DAY5の夜、土砂降りの雨の中、宿のご主人とおかみさんに連れられて行った先の、古くて大きな高床式の家の内部は↓こんな風でした。裸電球の灯る広間の板壁には、イタチなどの動物の毛皮が飾られていたりして、かなり野性的と言うか、なにかとても昔懐かしい雰囲気です。そう言えば、私が子供のころの昔の日本の田舎にもありましたよね、こんな家。

6-1.jpg

そして、その広間では、なにやら大きなテーブルの周りで大勢の村人たちが、がやがやと賑やかに食べ物を準備したり取り分けたりしているようです。

6-4.jpg

私たちも、宿のおかみさんや他の村人たちにどうぞどうぞと促されましたが、考えてみれば先ほど夕飯を食べたばかりでお腹はちっとも減っていません。

6-1-1.jpg

しかし私は結局こんなに盛ってしまう羽目になりました。だって、パーティだって言うからほんのちょっとは、例の濁酒(どぶろく)期待してたのに、そんなのなんにもないんだもんな。。こりゃ食う以外ないですよ。。

6-1-2.jpg

ピーターもシーシーも、ほらこんなん、しゃっちょこばってさ、、あれ、宿のご主人もさっき夕飯しっかり食べてたのに、またもやしっかり食べてますね。

6-1-3.jpg

しかし、これって、一体何のパーティなんでしょうか。それに人口100人の山奥の村にしちゃぁ、やけに婦女子が多くないか? ほら、ほら、さっそくシーシーちゃんのお出ましでっせ。。(笑)

6-6.jpg

かく言う私は宿屋のおかみさんとのツーショットですワ。それにしてもこのおかみさん、ジャングル奥地の部落にしては、大玉のネックレスなどして、ちとオサレ過ぎてませんかな。。

6-9.jpg

そのおかみさんに聞きました、これなんのイベントなんですか?って。そしたら、小声で、この家の長老が他界したので、そのお葬式に続く弔い行事なんですよって。。

弔い行事は1週間も続き、前半はしんみりと、そして後半は賑やかにやるのだそう。特に今日は行事の最終日で、明日は都会(ミリ)に住む若い人たちが帰る日なので、そのお別れ会とそれと誰かの誕生日のお祝い会も兼ねているらしいですよ、って教えてくれた。

なるほどね、妙に田舎っぽくない婦女子が多いな、と思ってたんですけど、あの人たちはみなさん、町から来られた方たちですか。。えっ、でも赤ちゃんや小さな子供さんもいるけど、まさか、あのジャングルを何時間もかけて歩いて来られたんじゃないですよね。え?みなさん、往復ともジャングルリバーボートですか?な、なるほどねぇ、それなら納得ですワ。。

さて、広間の奥側は、ほら↓こんな風になってまして、よく見るとその両側には、ベニヤ板で間仕切りされた小部屋がいくつかあって、時々子供が出入りしてるし、中には家財道具があるような。。

day5party.jpg

ふーん、、この家って大家族なんだ、、って呟いたら、隣にいた宿屋のおかみさんが、この村では全員が親戚だから、村全体が大家族のようなもんですよ、と、またまた教えてくれた。なあるほど、みんな親戚なんだ、、、なるほどねぇ。。

お、ガイドのジョンソンが私を手招きして、ついて来てと言ってる。ジョンソンについて中2階のような場所に下りると、そこはこれも昔にタイムスリップしたかのようなワイルドなキッチンだった。ほら、これ見て見て、とジョンソンが面白そうに指さすバケツを覗いて見ると、なんとそこには大小様々、色とりどりのカエルがうじゃうじゃと生きたまま入ってる。

6-10.jpg

そのカエルを一人の若者↑が一匹一匹、見事な手さばきで、素早く皮を剥ぎ内臓を取り出して料理の下拵えしてる。それは私の魚裁きなどより余程見事な腕前なのだが、見てるとなにか生きたカエルが可哀そう過ぎるし、次第に気持ち悪くなってきた。ジョンソンがほらカメラカメラと急かすから、一応カメラに収めはしたが、後でチェックしたらあまりにも残酷すぎて消去した。

その話を後でピーターにしたら、なんだ、イケサンらしくないな。イケサンは生きた魚を裁いて活け造りにするって言ってたじゃないか、知ってるか?世界で一番残酷なのは日本人なんだぜ。。

お、おい、そりゃあないだろう。。魚とカエルは違うよ。だってカエルは四つ足だぞ。可哀そうじゃないかって反論したけど、でもこれ、あまり説得力ないかも。

そう言うわけで、写真や動画はないのだが、オイラの脳内メモリーにはくっきりと残ってる。ああ、可哀そう、残酷すぎるよ、あのカエル君たち。。でもあれ、ここの人たちどうやって食うんだろう。。まさか生じゃないよね。あ、そっか、ここの人たちって昔の首狩り族の末裔だもんな、だったらカエルの生ぐらいなんともないか。。オレも後学のため食ってみれば良かったかなぁ・・・なんて今頃強がり言ってるヤワな私です。

お?これ↓ワラビじゃないの?とジョンソンに尋ねたら、ミディン、ミディンと言う。Midin?お、そうかと咄嗟にスマホの辞書引いたら確かにワラビだわこれ。。へぇ、ワラビってどこにもあるんだ、とまたひとつ利口になりましたね。

6-11.jpg

かくしてジャングル奥地の小さな村の、長老の弔い行事最後の夜は、弔いどころかワイワイガヤガヤ食べ飲み笑い、いつまでも終わりそうにもないのです。なので、そろそろお先に失礼しようと声掛け合って外に出たが、外は相変わらずの激しい雨。おいおい、これじゃあ明日の朝まで止まないかもとの我々の不安をよそに、DAY5の長い夜は次第に更けゆくのでありました。



DAY6

一夜明けてDAY6、今朝方まで激しく降り続いていた雨はどうやら止んだようなのだが・・

5-34-1.jpg

まだ、周囲の山には雨雲がかかり、安心できる状況ではなさそうだ。

5-34-3.jpg

予定では、今日は早めに朝食を済ませてもうとっくに出発していなければならないのだが、この状況で皆の腰は限りなく重い。

ガイドのジョンソン曰く、この分だと夕べからの雨で増水したジャングルリバーはきっと越えられないだろう。川の傍まで行っても良いが、恐らく引き返すことになる。さて、どうしたものか。。。

と、ここで我らのピーター隊長、オレ、水泳パンツ持ってきたけど、みんなは持ってるか?と意外な発言。

え、水泳パンツって?ジャングルリバーを泳いで渡るっつうの?んじゃ、ザックとか荷物はどうすんの?

うーん、荷物は筏でも作って渡すかって?

えーっ、そんなことできるのか?

などと、ひねくれオヤジどもが次元を超えた驚きの相談をし始めたのだが、さすがにこれはジョンソンに制止された。

そんな泳いで渡るよう川じゃない。普段は膝までぐらいの浅瀬もあって、歩いて渡れるのだが、雨で増水したら恐ろしい濁流となり、川幅も深さも測れないし、それに流れが速くてとても危険だ。無茶したら命に係わるぞって。。

分かった。なら、もうちょっと様子をみることにしよう。。

え、そんな無理だよ。夕方までに山を越え川を何本もクロスして20kmも先のジャングル避難小屋に辿り着かなきゃいけないんだぜ。今、もう10時過ぎだぜ、絶対無理、絶対無理。。

良し分かった、ここはガイドの判断に任せようぜ。ねぇ、ジョンソン、はっきり言ってどうなの?とりあえず川傍まで行って様子見る価値ありか?

ガイドのジョンソン、ちょっと沈黙した後・・・・この分だと行っても無駄だな。止むを得ん。、ここからバリオに引き返そう。。

お、おぉぉぉぉ、なんたるちあ、さんたるちあ。。今日が本番のチャレンジだと言うに、ここから引き返す、だと???

そんなことを話しているうちにまた雨が降ってきた。やっぱり中止は正解なのだろう。皆そう感じたのだが表情は暗い。そりゃそうだ。今日からがホンモノのジャングル踏破だったんだぜ。昨日まではいわばその前哨戦だ。本番を諦めて引き返すなんて、悔しくて、腹立たしくて、残念で堪らない。でも大自然なんてこんなものだろう。悠久の大自然に比べれば人間の存在なんて無に等しいのだよ。

負け惜しみじゃない。これは負け惜しみじゃないぞ、と皆が自分に言い聞かせた。

結局、明日朝までここで天候の回復を待ち、同じ道を引き返すことにした。分かった。今日一日ここで過ごそう。そう結論付けたら急に身体がだるくなってきた。喉がひりひりするし咳も酷い。これは風邪の症状かな、と思った。なので皆に断って、自室のベッドでしばらく休むことにした。

どのくらい眠っただろうか。夢を見た。恐ろしいジャングルリバーを渡る夢だ。昔、月山の雪山で下山ルートを見失い、氷のように冷たい沢に腰までつかって死ぬ思いをしたが、その記憶とダブったようだ。気が付くとベッドの上で汗をかいていた。熱が出たのかも知れん。そして依然として咳が止まらず、苦しくて辛い。

これは、中止になって良かったかも、と思った。もし無理していればロング・レプンのジャングル避難小屋に辿り着くどころか、今頃どうなっていたかわからない。きっと皆に迷惑かけたかも知れないな、とも思った。

その後も結局一日中、湿った毛布にくるまって、着の身着のまままどろんでいた。何度かピーターたちが心配して様子を見に来てくれた。さらに宿のご主人が心配して、これ、、飲むといいと言って薬を持ってきてくれた。有難い、こんな人里離れた奥地の村では薬は特に貴重品だろうにと思ったが有難く頂戴した。

外の雨は次第に止んで、どうやら天候は快復に向かっているようだ。だが気が重い。悔しいとも思う。皆の気持ちもそうだろう。雨が止み、二人は気晴らしに散策に出かけたようだが、オレはもう少し休んでいようと自分に言い聞かせた。こんな風邪ぐらい、あと少し休めばきっと良くなる。良くなるはずだ。

このひねくれ団塊が、情けなくもベッドに臥している間、二人は村を散策していたらしい。その時に撮ったと言う↓写真をシェアした。

↓宿のエントランスで気取るシーシー、心なしか元気がないような。

5-34-4.jpg

↓田圃の中の若者、いい写真だ、しかしピーターの写真はいつも思うが絵になる。才能があるのかもしれないな。

5-34-5.jpg

↓田圃でカエル?釣る少年、これは、今、ブログのトップに据えている写真だがこれもピーターが撮ったものだ。

5-34-6.jpg

↓宿の近くのフィッシィングポンドのようだがこれも実にいい。

5-34-7.jpg

かくしてDAY6も日が暮れた。ピーターとシルフィウスが夕飯だからと言って起こしに来てくれた。宿のおかみさんの素朴な手料理を肴に、残り少ないハンキーバニスター(ウィスキー)を三人で分け合い乾杯した。いい仲間たちだ、つくづくそう思った。





DAY7-DAY8

翌朝、すっかり晴れ上がった青空を見ながら、身体の節々を点検した。まだちょっと喉が痛くて咳もでるが、どうやら熱も下がり、だるさもなくなった。これなら行動に支障はない。昨日までの雨でバカラランまでのジャングル踏破は中止にしたが、残念だがこれで良かったのだ、そう皆で確認しあって宿を出た。

思えば村人は皆親切だった。宿のご主人もおかみさんも、そして雨の夜に出会った多くの村人たちも皆親しくしてくれた。こんなジャングルの奥地の小さな村で、人の親切と温かさに出会ったことは一生忘れない。そう心に誓いながら来た道と同じ道を歩いて戻った・・・・


以下は帰路の絵(写真)物語です。重複を避けるため、極力文言は省きます。

7-3.jpg


7-2.jpg


7-1.jpg


7-4.jpg


7-5.jpg


7-6.jpg


7-7.jpg

ガイドのジョンソンが、いいものを見せてやると言って切り出してきたWater Tree。なんと驚き、鉈でスパッと切った太い枝木の先からサラサラと水が流れ出てくるではないか。

7-9.jpg

ほら、飲んでみろと言われて皆で回し飲みしたのだが、これはいい。冷たくて旨い。それに、まさかこの枝木の中が空洞になっているわけではあるまいに、始めサラサラ、後にチョロチョロと流れ出てくる水は無味無臭で相当量もある。これは不思議だ。

7-12.jpg


7-10.jpg


7-11.jpg


7-13.jpg


7-15.jpg


7-16.jpg


7-17.jpg


7-18.jpg


7-19.jpg

ゴール間近のパ・ウカット村に到着した。我々のジャングル踏破はここで終わりだ。考えてみれば何事もなくて良かった。もちろんチャレンジを全う出来なかったことは心底悔しい。悔しいけれども、決して若くない我々トリオが、何事もなく無事に帰って来れたことを良しとしようじゃないかと皆で慰めあった。

7-20.jpg

迎えのピックアップトラックの荷台に乗ってバリオの飛行場に着いた。ピーターが素早くバカラランからのMAS便をキャンセルし、新たにバリオからミリへのフライトを確保してくれた。こんな時のピーターは実に頼もしい。頼りになる素晴らしい友人だ。

7-23.jpg

いよいよバリオともお別れだ。

7-24.jpg

改めて機上からバリオの村を感慨深く眺めた。

7-25.jpg

我々が三日間お世話になったNGIMAT AYU'S HOME STAYも、いい汗かいたプレーヤーマウンテンも確認できた。つい数日前のことなのだが、とても懐かしい気分だ。

7-26.jpg


7-27.jpg

まもなくミリに着いた。ツインオッター機はここから右旋回してランディングの態勢に入る。

7-28.jpg

↓とてもフレンドリィなパイロットたちだった。

7-30.jpg

↓ミリ空港管制塔をバックに、バリオから乗って帰ったツインオッター機。

7-29-1.jpg

そして最後はミリ空港の管制塔。

7-32.jpg

その後、DAY7の宿は、DAY1に泊まったマイホームステイ(My Homestay)に直行して同じ部屋を確保。予定にはなかった最後のミリの夜を三人でまたワイワイと過ごし、翌DAY8最終日は、予約してあったエアアジア機でKLIA2に戻ってきて我々の今回の旅は終了となった。




以上で団塊シニアのクラビット高原歩き旅シリーズを終わります。最終章で我々トリオのハチャメチャやぐちゃぐちゃ振りを読みたいと仰った皆さんの期待に応えられなくてまことに申し訳ないです。しかし、その代わりと言っちゃなんですが、私が旅を終えてからもダニにやられた手足をハチャメチャ&ぐちゃぐちゃに掻いて悩んでいたことに免じて今回は平に許してつかぁさい。

では、また。。

追記(2017.5.7)
先日、友人のAnieの招きで妹さんの結婚式に参加した際、共に参加したピーターに、あの後、家に帰ってから痒くて痒くて大変な思いをしたと言う話をしたら、えっ、自分(ピーター)もシルフィウスもなんともなかったけど、なんでイケサンだけ?、、だって。

でも、その傍からピーターの奥様(日本の方)が、"そうなのよ、この人、ダニに噛まれない体質してるのよ"って言うものだから、その時初めて知りましたよ、ダニに噛まれない体質の人もいるのだと言うことを。

欧米人と日本人の違いかって?いやいやそうではないでしょう、多分、体温の違いとか、皮膚の固さや柔らかさとか血液型とかいろいろあるんでしょうな。だって、二人が同じベッドに並んで寝ていて、奥様だけが噛まれ、隣にいたピーターがなんともなかったことがある、というのですから、摩訶不思議と言うか、きっとピーターもシーシーもダニには好まれない体質と言うことなのでしようね。

でも私はダニに好かれる体質なのだということを、今回の旅で初めて知りましたので、今後は予防対策をしっかりたてて、そういうところに進出しようと思います。