ティムポハンゲートの奥にある鉄柵をくぐり抜けると、そこは下り坂から始まる森の小道でした。

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前後に登山者の人影はありませんがそれもその筈です。

9月1日に入山が一部解禁されてから今日でまだ9日目と日が浅くその情報がまだ行き渡っていないだろうこと、登山が再開されたと言ってもまだ途中のレストハウスまでであること、登山許可数が1日約200人から100人に半減されていること、などが影響しているのでしょうか、今日の出発前のキナバルパークHQ前の様子ではせいぜい2~30名程度の入山者数なのだろうと思います。

この大きな山懐に僅かそれだけの入山者です。しかも今日は、陽射しも柔らかく、風はほとんどないものの暑くもなく寒くもない。この分では思う存分静かな山行が楽しめそうです。

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私が先行し、赤い傘をザックに刺して軽快ないでたちのヤングガイド、シャー君が私のペースに合わせてゆっくりと後方からついて来ます。するとまもなく左手に小さな滝が現れました。

カーソンフォールと言う名の小さな滝です。シャー君によると、このティムポハントレイルでは後にも先にも滝を間近に見られるのはここだけだそうです。

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おっ、さっそく可憐なピンクの花を発見。シャー君に花の名を尋ねると、"ピンクの山花"だそうです。(笑)後で調べたところ、Kinabalu Balsamと言うボルネオ島の固有種で、2000m程度の高山帯、湿った水捌けの良い熱帯雨林の日陰で育つ山花とのことでした。

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さて、いよいよ本格的な登りが始まります。でも、この登山道、極めてよく整備されています。もっと木の根や岩の塊がごつごつしていて、さぞ歩きにくいトレイルだろうと思っていたのですが、とても歩き易くて気持ちの良い登山道です。

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スタートから1km地点にあるポンドク・カンディスです。ポンドクとはマレー語でシェルター、つまり避難小屋の意。いや、でもこの避難小屋と言うか休憩施設は実に素晴らしい。仔細に見てみると、トイレは完全な水洗トイレです。外に自然水の貯水式ウォータータンクがありましたが、こんな山道にこんなに綺麗な水洗の手洗い施設とは、流石に世界文化遺産のキナバル山ですね。感心しました。(シャー君に聞くと、登山道のすべてのシェルターに同様の水洗トイレがあるのだそうです)

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さて休憩後に、また緩やかに続く階段状の登山道をいつものペースでゆっくりと登って行きましたが、お、先行のグループに追いついてしまったようです。きっとあれは出発前にキナバルパークHQで見かけた若者たちだ、待てよ、このペースで追いついたと言うことは、彼らがスローなのかこっちが速すぎるのか、などと考えながら、それからはつかず離れず一定の距離を保ちながら登りました。

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ここ↓はポンドク・ウバ、スタートから1.5km地点です。昨夜、キナバルパークのスタッフに聞いたところ、この1.5km地点に地震被害箇所があるとのこと。

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どうやら、この辺り↓が地震被害箇所のようです。

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新しい赤土が剥きだしになっていて、地震で崩れた登山道を復旧した痕がまだ生々しく残っています。

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地震被害箇所に立ち止まっていた先行の若者グループに合流しました。ちょっと話しかけてみると、みんなにこにこ笑顔で元気溌剌、いやぁ若いって素晴らしいですね。

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その後しばらく抜きつ抜かれつしながらゆっくりと登るうち・・・・・・・・う、突然、なんか脚がちょっと変、太腿に嫌な感じの予兆です。え、これ太腿の痙攣か、まだ半分も登っていないのに、そしてそれほどの急登でもないと言うのに、痙攣だなんてなんてことだ。

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そう言えば久々に思い出しました。毎年山シーズンの始め、特に山スキーのシーズン初めに必ずと言っていいほど毎回経験する太腿の痙攣のことです。脚力が弱いのだと言われればそれに尽きるのかも知れませんが、若い頃から大の運動好きで、走ることも歩くことも得意だし、瞬発力にも持久力にも自信がある筈だったのに、いつも太腿が痙攣するたびに思ってました、オレってなんでこんなに太腿が弱いんだろうって。

ある一定の登板を続けているとやがて必ず襲ってくる激痛のこと、すっかり忘れかけていた嫌な思いと不安が過ぎりました。そう言えば、スクワットとか今回は全然してなかったよ。キナバル山に登るから身体を鍛えなきゃと思って足繁く通っていたジムでも、スクワットだけはしてなかったよね。

あぁ、オレってなんてドジなんだろう。キナバル山を舐めていたわけでもなんでもないのに、いや、途中から頂上じゃなくてラバン・ラタまでって決まってから、ちょっと気が緩んでいたのかも知れません。

しかし、この分だと間違いなくまもなく痙攣に襲われる。体力カウンターはまだまだ十分余裕なのに、太腿が攣って歩けなくなるなんて、前後して登っているあの若者たちの前でも恥ずかしい。。

なんてこと考え始めた途端に気持ちにも余裕がなくなりました。静かな山行を楽しむどころか、可愛い山の花を愛でる余裕も、森の新鮮な空気を味わう余裕も失せてしまいました。

そして、ついにです。最初は片方ずつ交互に、そしてやがては両腿同時です。言葉では言い表せないほどの太腿の激痛です。以前も随分悩んだことがあったのですが、これは単なる筋肉疲労なのか、カリウムなどのミネラル・ビタミン不足なのか、はたまた水分摂取不足なのか・・・・・・・

分かっていることは、一度太腿の痙攣に襲われたら最後、ちょっとやそっとでは治らないこと。マッサージや休息で一時的には快復するが、登りを再開するとまた何度も何度も繰り返し襲ってくるのです。

いつかも冬山でスキーを履いて登るうち、突然この痙攣に襲われ、深い雪の中でしばらく動けなかったことがありました。太腿以外の脹脛などの筋肉はすこぶる快調なのになぜいつも太腿だけが痙攣するのだろうと不思議に思ってました。

でもそれは決まってシーズン初日だけなのです。一度痙攣が起きると翌日からはもう二度と襲われずシーズン最後まで安心です。と言うことは普段まったく使っていなかった筋肉を突然酷使することが原因ではないか。でも条件は誰でも同じはずなのにこれも不思議ですよね。

これは仕事(自重を引力に逆らって上方に引き上げること)に比してパワー(大腿の筋肉量)が少ないのだろう、でも翌日から二度と起きないことはこれだけでは説明がつかない、不思議だ・・・・・・・・・などと昔から屁理屈ばかりこねていました。(昔からひねくれていましたからね)(笑)

分かりきっていたことなのに、今回は予防策としての肝心なスクワットはほとんどやらず、思えばほとんど関係のない筋肉だけを鍛えていたような気がします。私の一番の弱点と良く分かっている太腿の準備をまったくお座なりにしていたし、最近は食欲だけが旺盛なため自重(体重)を減らすことにも成功しませんでした。

加えて、以前の山行には常に携帯していたスプレー式の消炎鎮痛剤も今回は持って来ていません。あぁ、なんて馬鹿なんだろう。これって、年取って脳が軟化したせいかも知れない。いや、昔から抜かりがないようで実は抜かりだらけの私なんです。他人には厳しいくせに自分には甘すぎるほど甘い。こんな私と言ういい加減な人間の当然の帰結なのかも知れません。

なんてこと、うだうだと心の中で御託を並べてみても、一度襲われたら最後、情けない悲惨なクライマーに成り下がるしかないのです。

でも、本当に堪えきれない痛みです。止まっては痛みが収まるのを待ってまた登り、また止まっては登りの繰り返しです。当然ながら登りのスピードはカメのような鈍さです。

それでもなんとか、次のシェルターに辿りつきました。先に到着してランチをぱくついていたこの若者たち、必死に堪えている他人(私)の太腿の痛みのことなど、説明しても分かる筈がなく、みんな相変わらず屈託なく陽気です。聞けばポートディクソンにあるポリテクニックと言う公立カレッジの学生さんたちだそうです。

でもそのうち、一時脚の痛みも収まって、彼らと共にいろいろな話に夢中になりました。このキナバル山のこと、地震のこと、彼らの学校のこと、日本のこと、そしてこの国マレーシアの現下の問題のこと、ついでにと思い、ここでもBersih4のデモの話題を振ってみましたが、彼らのうちの一人が、私の意見を聞きたいと言う。

ちょっと考えた上で、透明な政府や議会が欲しい、汚職は犯罪だ、疑惑を追及されながら未だになにも説明しようとしない首相は辞任しろ、との黄色シャツデモの要求は単純明快だ、私にも分かる。真偽は分からないが、現政府にはなんらかの問題があるように見える、と返答すると、彼らは一様に満足したようでした。

彼らはみんなマレー系の学生ながら、話を聞いてみると、先日のチャイニーズ系主体の黄色シャツのデモには特に反感は感じていない様子です。問題は現政府部内にあるのだ、改善しなければいけない、との若い人たちの思いは何処も同じだと感じました。

やはりこれが実態なのだろうと思います。政府与党の要人や、マレー系右翼団体のトップが公言しているような、黄色シャツのデモはマレー系を貶めるデモだとの見方はマレー系国民全体の意見ではない。キナバル登山の途中のランチタイムで意気投合したマレー系の若者たちと、脚の痛みもつい忘れて、登山とは無縁の政治談議などをしてしまいましたが、お陰で随分気が紛れました。

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昼休憩を終えてまた登り再開です。でも、これから益々きつくなるであろうこの先のことを思うと、やはり不安です。"ほら見て見て、あそこにマンキーいるよ"、とのシャー君の声でカメラを取り出してシャッターを切りましたが、本当はいつまた痙攣に襲われるかと不安でそれどころではなかったのです。

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そして案の定また両太腿に刺すような痛みです。なんどもなんども繰り返し襲ってくる酷く耐え難い痛みです。以前の山行だったら、そしていつもの単独行だったら、この時点で登りを断念したかも知れません。しかし、今日は念願のキナバル山です。単独行でもありません。死んでも断念するわけにはいかないのです。(なんてオーバーな、と思われるかも知れませんが、本人としては情けないことにそれほど必死だったのです)

なのに、私のガイドのシャー君は、これ↓このとおり。スマホで音楽聴きながら、鼻歌歌いながら、まるでお猿さんのように身軽にひょいひょいとあちこち移動してはしゃがんで、私が歩き出すのをじっと待ってくれてます。

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私はと言えば、脂汗がたらたらです。くっそー、エネルギーはまだまだ余裕なのに、ただ脚を上げられない。脚を持ち上げようとすると痙攣が襲い激痛が走るのです。

"ふんふん、痙攣ね、クレンプね、ククジャンガン(マレー語)ね、ボクの友達にもいるよ、ガイドの登山講習の時クレンプ起きてね、痛いんだってね"、と、まるで人ごとのよう、いや完全に人ごとなのですが、ほとんど興味がなさそうに、こっちが痛みに耐えかねて、うんうん唸っていても、"ゆっくり行こうよ"、"心配ないよ"って鼻歌交じりです。

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でも、痙攣に襲われてる本人でなければ、これがフツーですね。考えてみれば、痙攣って、別に怪我したわけでもないし、時間が経てばケロッと治るもの。下手に心配しすぎないほうがいいと言う彼の判断は正しいし、私は下手に心配してもらわない方がずっと楽。止まっては進み、また止まっては進む、私のへたれ牛のようなぶざまな登りを、ちょっと離れたところで鼻歌交じりで待ってくれてる彼は、実に素晴らしいプロのマウンテンガイドかも知れません。(これ皮肉ではなく本当の気持ちです)

しかし私は繰り返し襲ってくるこの刺すような痛みと辛さに、まるで地獄の業火に焼かれているようでした。当然ながら、ランチ休憩まで一緒だったあの若者たちの影はすっかり見えなくなりました。時々後方から追い抜いて行くポーターたちや地元消防レスキュー訓練隊の人たちにも励まされ、作り笑いをしては痛みを堪えてました。

まるで終わりのないような延々と続くごつごつした登り道をどれほどの時間をかけて登って来たのでしょうか、ともすれば意識も薄くなりがち(これは大袈裟ですが)だったのですが、いつのころからか、少しずつ、あの刺すような痛みが和らいでいったような気がします。いや、痛みに次第に慣れて来たのかも知れません。

これ何キロ地点?あの白い花、なんて言う花?ほんのちょっと、気持ちに余裕がでてきたのでしょうか、シャー君にこんな声掛けもできるようになりました。あの白い花、まるで鳥海山のナナカマドみたいだな、なんてことを突然思い出したりもしてました。

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そして、ここはスタートから5km地点のビローサ・シェルター、標高3001m。今回ゴールのラバンラタまであと距離1km、高低差280mを残すのみとなりました。

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がんばれ、もう少しだ。まだ脚の痙攣は収まってはいないが、痛みはずいぶん柔らかくなってきた。しかし、今日はずいぶん良く痛みに耐えたものだ。

・・・・・・そう言えば、あの時もよく耐えたことを思い出した。いつの頃だったか忘れたが、まだ山用の携帯GPSを持っていなかった時のこと。雪深い月山で、下り降りる沢を間違えた。行けども行けども深い沢から抜け出られなくて焦り慄き、終いには死の恐怖さえ感じたことがある。

降りしきる雪の中、手持ちの地図で自己位置を推定し、コンパスを頼りに思い切って何本かの深い沢を横断することを決めた。スキーを背中に担ぎ、急な斜面をラッセルしていたところ、突然太腿の痙攣に襲われた。痛みに耐えかねて思わず唸り、その場で動けなくなった。

そして、次第に迫りくる山の日暮れを感じて遭難の2文字が頭に浮かんだ。こうしてはいられない。恐怖に耐え、激痛に耐えながら歯を食いしばってラッセルした。・・・・・・・

今回もあの時のように歯を食いしばった。まだゴールには届いていないがあとは時間の問題だ、そう考えたらようやくホッとした。

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少し気持ちに余裕が出てきたら、周りの景色もよく見えるようになってきました。すでにここは3000mの高度帯、そろそろ森林限界点も近いのだと思います。それにしてもここからはキナバル山の崩落斜面が良く見えています。まるで地獄谷の白い噴煙のように見えるのは雲です。

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良く見ると崩落斜面の底部に大きな岩石が無数に転がっています。あんな大岩が音を立てて転がり落ちてきたかと思うと、あのヴィア・フィラータで落下してくる岩石に打たれたり、圧死したりした多くの犠牲者の恐怖は如何ほどだったのか、想像するに難くありません。

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おぉ、目の前に突然ゴールが現れました。ラバン・ラタのレストハウス、標高3272m地点です。ついにやりました。へたれ牛ののろい歩みでようやく目標に到達しました。

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標高差約1400m、距離6kmは正直言って、さほど苛酷な登山ではないはずです。登山道の勾配もそれほどの急登ではなかったし、確かに登りが延々と続いたものの、それもまたフツーのことです。

悔やまれることは、太腿の痙攣です。負け惜しみを言うようですが、これさえなければあの若者たちと仲良くゴールできただろうにと思うととても悔しい気がします。でも、これでいいのです。痛みを必死に堪え、登ることを諦めなかった。脂汗を滴らせながらついにここまで登って来た。動けなくてレスキュー担架の世話になるなど、他人に迷惑かけることもなくて幸いだったし、自力で無事にここまで登って来た。

そう思うと人知れず大いに安堵した私です。そしてこれは私自身の勲章だ、下山後にしっかりビールで乾杯してあげよう、と思いました。

ラバンラタの正面入り口です。

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ラバンラタのレセプションです。

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そして割り当てられたドミトリーは2階でした。しかしこの後、なんどか階段で上り下りすることになったのですが、その姿はまるで健常者のようではありません。手摺に掴まりながらゆっくりと上り下りする私の姿をみて、あの若者たちがげらげら笑うこと。

悔しいが嬉しい。ほら、見てごらん、私の言ったこと(ランチの時、私が彼らの祖父母よりも年上だと言ったら、みんなウソだろうと驚いていたこと)は本当だったろう。年寄りよりはみんなこうなんだよ。だから大切にしてあげなきゃね、と笑いながら言うとまたげらげら腹を抱えて笑います。

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部屋は4人部屋でした。狭いながらも二段ベッドが二つあり、綺麗な毛布も枕も準備されていて、快適そのものです。雑魚寝が普通の日本の山小屋とは雲泥の差です。

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そして今日の宿泊客は、例の若者たちと私と、山頂ルートの安全性確認をしていると言う専門家グループ(驚きましたが、この専門家グループの中にははるばる日本からやって来たと言う方もおられました)だけ。まるで貸しきり状態のラバンラタレストハウスでした。階下にあるレストランもこれこのとおりガラガラです。

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これ↓は地震発生前のラバンラタレストランの写真です。インターネット上から拝借したものですが、その混みようと比較するとその差は歴然です。

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レストランはブッフェ形式で、その日の夕食と翌日の朝食が準備されていましたが、料理の数も内容も上々で、まるで山上のホテルのようです。レセプションには売店も併設されていて、なんとそこには私の好きなタイガービールもありました。まさか、ムスリムカントリーの山小屋に缶ビールがあるとは驚きました。

でも、今日は身体が激しく軋んでいます。アルコールは控えよう、こんな殊勝なことは滅多にないのですが、今日のあの痛みとの戦いのことを思うと食事が済んだら早く横になりたいの一心です。

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食事を終えると何もせずにベッドに横たわりました。痙攣に痙攣を繰り返した両太腿は、無残にも赤く腫れていてまともに触れないほどです。

こんな状態では脚力の快復に一晩はかかる。もし、頂上まで登山許可されていたとして、翌早朝2時起きで、残る高度差600mの岩山の登板は、とても無理だったかも知れない。そう考えると結果としてこれで良かったのだ、そしてこれがオレと言う男の今の実力なのだ、悔しいことだがそれが現実なのだ・・・・・・・

そんなことを思いながらいつのまにか眠っていました。激しい雨音で目が覚めるとまだ真夜中の1時。ベッドから立ち上がり窓から外を覗いてみると、漆黒の闇に滝のように空から降ってくる雨です。

明日は雨か・・・・、下りの岩場で滑らないようにしないといけないな・・・・・・、そんなことを考えながらまたベッド潜り込むうち次第に意識が遠のいていく、キナバル山の懐深く抱かれて眠るラバンラタの夜でした。

(その3に続く)



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それは旅支度を解き、ロッジで寛ごうかとしている時のことでしたが、地震には随分慣れているはずのこの私も、地の底から突き上げるような突然の大きな衝撃にはギクリとしました。

なんだ今の?まさか余震?本震から既に3ヶ月以上も経っているというのに、まだ余震が収まっていないのだろうか?

幸いなことに地震による衝撃はそれっきりでしたが、後ほど確認したところ、震源はラナウ北西14kmで深度浅。と言うことは宿泊したロッジからは至近の距離で直下型、なるほど3.8と言うマグニチュードにしては、体感した衝撃は相当なものでした。



凡そ3ヶ月前の6月5日朝、キナバル山付近で発生したマグニチュード5.9の地震は、シンガポールの小学生を含む18名の尊い人命を奪ったほか、キナバル山の登山道などの登山関係施設にも大きな被害をもたらしました。(2015.6.6付ブログにて詳述しています)

その後キナバル山は、その復旧工事と安全確認のため、サバ州政府によって入山禁止措置がとられていましたが、このたびようやくラバンラタ・レストハウスまでのルートの復旧と安全確認が終了し、9月1日に一部解禁となったのです。

実は先のブログにも書きましたが、私は地震発生の以前から今回のこのキナバル山登山を計画していて、ちょうど必要な手続きと一切の費用支払いを済ませたところでしたので、この地震でいきなり出鼻をくじかれた思いでした。

爾来、サバ州当局が実施する復旧工事や安全確認の進捗状況確認が私の毎日の日課となった訳ですが、登山ツアーの引き受け旅行会社との幾度ものメールや電話のやり取りの中で、一時は大幅な計画変更も止む無しかと真剣に悩んだものでした。

しかし良かった、9月1日一部解禁が正式に発表された。頂上までのルートはまだ禁止解除されていないものの、ラバン・ラタまでなら行ける。私の登山予定日は9月9日及び10日だったのでぎりぎりセーフでした。

まぁ、頂上でご来光を拝みたいと思ったことは、今回は実現できないが、久しく忘れかけている山懐に抱かれる想いは思う存分味わえるだろうし、それで十分だ、そんなことを考えながら、小雨に煙る1年3ヶ月ぶりのボルネオ島KK(コタキナバル)空港に降り立ちました。



翌9月8日、KK市内の宿泊先ホテルに、予定どおりにピックアップに来てくれた旅行会社のバンにてキナバルパークに向けて出発。昨夜来の雨も上がり快適なドライブでした。この路は去年、マレー語クラスの仲間たちと共に来た路。途中立ち寄ったナバル村のフルーツショップの甘いパイナップルも、ナバル村の展望台でキナバル山と初めて対峙し、感動の余り万歳を叫んだことも、まるで昨日のことのようです。

その後バスは濃い霧(雲)の中に入ったり出たりを繰り返しながら徐々に標高を上げて、ようやくキナバルパークHQに到着しました。

この↓写真は、先日からブログのトップ画像に掲げている写真ですが、その日宿泊したロッジの前から撮った中のお気に入りの一枚です。

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これ↓はキナバルパークHQのレセプションデスクのある建物です。レセプションの女性担当者からとりあえず今夜の宿泊ロッジのこと、食事のこと、そして明日のことについて丁寧なブリーフィングを受け、ロッジのキーを受領しました。

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これ↓はキナバルパークHQの全体図ですが、思ったより広大なエリアです。そして、なんと私の今夜の宿泊ロッジは、パーク最奥のヒルロッジ(図の中の青の太線で囲んだところ)。もともとの予定は、大部屋のロックホステルだったのですが、まだ宿泊客が少ないらしく、思いっきりアップグレードしましたとの、思いがけない受付女性の説明でした。

でも、パークはこの図の右から左に向かって高度が上がる(坂道になっている)ので、HQ棟や食事棟のあるパーク入り口付近(この図の一番右側です)とロッジを歩いて往復するのはちょっとしんどそう、などと考えていたら、なんだちゃんと車で送迎してくれるんですって。(翌日の登山の予行演習にちょうど良いかなとも考えていたのですがね)(笑)

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はい、これ↓がヒルロッジの宿泊棟の前の様子ですが、見て下さい、正面に憧れのキナバル山です。なんと言うことでしょう、あの地震の後、一時は無理かと諦めかけたキナバル山の山懐に、予定どおりに、ついにやってきたのです。

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おおそうだ、先ずはチェックインです。

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↓私を待ち構えてくれていた係りの女性です。ユニット内設備の使用説明やら、食事時間のこと、食事棟までの送迎の車のことなどをニコニコ笑顔で丁寧に説明してくれました。

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しかしこのヒルロッジ、人気(ひとけ)がありません。それもそのはず今夜の宿泊客は私のほかには2組だけと聞いて、ちょっと寂しいかなとも感じましたが、ロッジはシングルベッドが二つでヒーター付き、テレビもシャワーもついていてまるでホテルのようです。そんなロッジにも驚きましたが、ここはなにより目の前のキナバル山の眺望が抜群に素晴らしい。とても気に入りました。

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いつの間にか上空には青空が広がっていますが、じっと見ていると刻々と変化する山の様子が実に面白い。どこからともなく雲が沸き、まったくその姿が見えなくなったと思うと今度は徐々に雲が流れ、次第にその全容を現します。いつまで眺めていても決して飽きることはありません。

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係りの女性の説明によると、正面に見える白く剥げた部分↓、あれが今回の地震の山崩れの痕なのだそうです。今は岩肌が露出しているが地震の前は周囲と同じ濃い緑の植生だったのだとか。山のいたるところが崩落し、こちらの面だけでなく、四周にこのような痕が残っているのだそうです。

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しかし地震発生当日、そのマグニチュードは5.9と車のラジオで聞いた私は、一瞬、たいしたことはないなと判断したものでしたが、そうではなかったのですね。これほどまでの山の崩落を引き起こしたキナバル山地震、登山客やマウンテンガイドなどの関係者、それに大勢の地元民の方たち、さぞかし驚きそして恐れ慄いたことでしょう。

これ↓はカメラを右に振ってみたところですが、写真の右端から二番目の小さな三角突起が、地震の揺れで片方の耳が崩れ落ちてしまったドンキーイアーズ・ピーク(ロバの耳)だそうです。

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さて今回の登山は、この↓図の下の赤の太線で囲った登山口(ティムポハンゲート)から上の赤線で囲ったラバンラタレストハウスまでの標高差1400m程度の登りです。残念ながら、そこから先へ、つまり山頂への登山はまだ許可されていません。(しかしそのことが今回は幸いだったということを後ほど思い知らされましたがこれは後述します)

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翌朝の天気が気になった私は、その夜、目が覚める度に外に出て空を仰ぎました。満点の星空ならぬ薄ぼんやりとした星空が見えていましたが、夜が明ける頃には、雲ひとつない青空となり私の心は弾みました。しかしそれもひととき、またどこからともなく雲が沸き、あぁこれが山の天気なのだと、忘れかけていた数々の懐かしい思い出が過ぎりました。

登山の支度を整え、食事棟などがあるパーク一番下の地区に降りてきました。

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坂道をやや下ったところに食事棟のバルサムレストランです。

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斜面にテラスが突き出していてなかなか瀟洒です。

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バルサムレストランの内部です。

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ブッフェ形式のレストランです。マレー料理が主のようですが、朝食にしては品数も豊富でなかなかです。中にはマレー系の若い人たちが大勢いてとても賑やかでした。(この時はまだこの若者たちとこの後ずっと一緒になるとは露知らず、会話もしませんでした)

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食事を終えて外に出てみると、湧いてきた雲の合間にキナバル山が見えています。

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本部棟の前では、先ほどの若者たちでしょうか、パッキングなどの登山の準備に余念がありません。私はと言えば、旅行会社の女性スタッフの紹介で今回のマウンテンガイドとご対面です。見れば息子よりも遥かに若い、というよりは孫に近いようなマレー系の青年でした。

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でも始終ニコニコ顔で愛想が良さそうなマウンテンガイドの彼は身軽でとても軽快ないでたちです。こんな爺いと付き合うことになって申し訳ないね、などと冗談飛ばしながら登山口のティムポハンゲートにやってきました。

ここ↓が、標高1866m地点、ポンドック・ティムポハンです。キナバル山の登山道はここティムポハンゲートから登るルートと、もうひとつメシラウゲートから登り、途中で合流するメシラウルートがあるのですが、あちらは被害復旧工事未了でまだ閉鎖中。今回の一部再開は、比較的地震による被害が少なかったこのティムポハンルートだけなのです。

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思えば昨年もここまでやってきたのです。あの時も、ここでキナバル山登山ルートなどの説明を受け、サミットトレイルと描かれたトレイルマップを眺めるうち、よーし、いつかはこのオレもと、またしてもメラメラと私の中の無茶なチャレンジ精神が頭をもたげてきたのでした。

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あれから1年3ヶ月が過ぎ、私は今またこのティムポハンゲートに立っています。でも今日はこのゲートを通過してキナバル山に登るのだと思うと、それだけで、そう思うだけで感無量です。

しかし山は何年ぶりだろう、慣れ親しんだ鳥海山や月山など、以前は、山に絆され、山懐に抱かれ、深閑とした森の空気を肺一杯に吸い、時には冬山を彷徨い歩き、この大自然の下僕となりその偉大さにひれ伏しながら、母なる山の愛を感じていました。

人生に迷った時、悩んだ時は山を見る、そして山懐に抱かれてじっと想う。すると陳腐で荒んだ人生にも一条の光明が射してくる、そんな風に感じたこともありました。

今、私は、日本から5000km以上もの遥か彼方の南の島、ボルネオ島にいます。そしてまさに今、マレーシア最高峰のキナバル山の山懐に抱かれようとしているのです。

(その2に続く)


みなさん、おはようございます。

9月13日(日)にボルネオ島から帰って来て直ぐに、ブログのトップ画像を"キナバル山"に替えたところまでは順調だったのですが、それからが不覚でした。

どうしたことかまた喉風邪を引いてしまい、頭痛に咳、それに夕べは熱まで出る始末。情けないことに気力も体力も失せて、ただひたすら寝てました。

でも今日は、9月16日、マレーシアデーです。赤シャツラリーの日です。いつまでもこうしてはいられません。幸いなことに喉の痛みが少し和らいできたようなので、今日はマスクをして街に出てこようと思います。(喉のことを思ってのことです。もちろん一向に良くならないヘイズ対策を兼ねてです)

山(キナバル山)の話は後回しです。とにかく無事に帰って来たことだけを皆さんにお伝えして、山ほどある"山"の話は次回以降に取っておきたいと思います。

ところで昨日も、在マレーシア日本大使館から注意喚起のサーキュラーが出てましたね。本日正午から深夜までのデモだそうです。ブキッ・ビンタンやペタリン・ストリートなどに集合し、ムルボク広場に向けて行進する予定とのことです。

しかし思いますね、先の集会は、Bersih4と書かれた黄色シャツを着ているだけで検挙されかねない違法な集会。しかし今日の集会はどうでしょう。DBKL(KL市役所)がムルボク広場の使用を許可したそうですし、お揃いの赤シャツを着用することにも当局はなんの警告も発していないもようです。

Bersih4が、自由かつ公平な選挙、クリーンな政府、議会制民主主義の強化を訴えた平和集会だったのに、今日の赤シャツラリーは、Kebangkitan Maruah Melayu(マレー人の偉大さを示せ)をスローガンとした武闘派中心の集会で、どこから見ても、非マレー系中心のBersih4に対抗する不穏な集会のように思えます。

The Malaysian Insiderの8月13日付け記事(Published: 13 September 2015 5:58 PM)には、

Shocking that former Umno leader mastermind of ‘red shirt’ rally,

ショッキングなことに赤シャツラリーの首謀者は前Umno(与党第一党)リーダーだ

とする、野党民主行動党(DAP)党首のKit Siang氏へのインタビュー記事が掲載されています。

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記事全文はこれ↓です。

It is shocking that a former top Umno leader is the main organiser of the controversial red-shirt rally on September 16, said Lim Kit Siang, who claimed that the Malay party is sponsoring the gathering.

The DAP parliamentary leader questioned how former Malacca Chief Minister Senator Tan Sri Mohd Ali Mohd Rustam could be the mastermind of the rally, whose critics say has sparked fears it could create communal tensions.

“It is simply shocking and outrageous that a former top vote-getter as Umno Vice President, one-time aspirant for Prime Minister ... could be so insensitive as to be the mastermind behind the Sept. 16 rally, repudiating the very import and meaning of Malaysia Day.”

Lim said the rally in Kuala Lumpur would seriously undermine the unity, integrity and cause of Malaysia at such a fragile period in the country’s history.

“In fact, rally by Umno or to be more exact the forces (of Prime Minister Datuk Seri Najib Razak) may be the first step to cause the disintegration of Malaysia,” Lim said in a statement today.

Najib, who is Umno president, said the party did not endorse the rally, but it won’t stop party members from attending. Some of the rally’s organisers are also Umno grassroots leaders at the division level.

The “red shirt” rally or “Himpunan Rakyat Bersatu” is said to be held to counter last month's Bersih 4 rally, which had called for Najib's resignation over alleged financial scandals.

The gathering is also being held to express anger over footage of Bersih 4 participants stomping on pictures of Najib and PAS president Datuk Seri Abdul Hadi Awang.

Lim said, unlike the racial overtones of the red shirt rally, Bersih 4 only had political demands such as free and fair elections, a transparent government and strengthening parliamentary democracy.

“One was a peaceful rally to celebrate diversity and to dream of a better Malaysia for all Malaysians, regardless of race, religion, region, age, gender or politics,” Lim said.

“The other was a provocative rally to threaten racial confrontation and divide Malaysians, when it was actually a gross abuse of the name of Malays as it was not intended to protect the “maruah” (honour) of Malays, but only to protect Umno or to be more exact, Najib himself!”

The rally’s organisers claim it is not a racist get-together, but critics have pointed out that they use slogans such as “Kebangkitan maruah melayu” (rise of Malay honour), which have communal sentiments.

The rally is also supposed to march through Bukit Bintang and Petaling Street, two well known and busy Chinese business enclaves popular with tourists.

Lim said if the organisers truly wanted the rally to not be racist, they could have used the slogan “Kebangkitan maruah Malaysia”, (rise of Malaysia’s honour).

上記記事の全文和訳は割愛しますが、要するに、赤シャツラリーの目的は、マレー系の力を非マレー系に誇示することで、与党第一党のUmnoを擁護し、ひいてはナジブ首相本人を擁護することなのだろうが、それではマレーシアの民族対立を煽るだけで国の分断と言う危険を招くものだとの意見です。

私はこの意見は至極真っ当だろうと思います。

しかし、政府も政府です。ご存知のとおり、マレーシアデーは、1963年9月16日、ボルネオ島のサバ・サラワク両州を含め、マレーシアとして国家を制定したその記念日です。

まさに多民族融合の記念の日なのに、その分断を煽るかのようなデモに見てみぬ振りをする。いや見てみぬ振りをするどころか、裏でなにやら画策している気配すら感じる、さらに当日、首相始め多くの要人が半島を離れサバ・サラワク州に出かけ、まるで対岸の高みから火事を見物するかのような有様では、とても真っ当な民主主義国家とは言えないでしょう。



ここで突然ですが、こんなマレーシアの今を我が祖国日本の今とちょっと比べてみたいと思います。

折しも、昨日9月15日(火)、参院平和安全法制特別委員会の中央公聴会において、公述人として意見を述べていた若い大学生をユーチューブで見ました。聞くところによると、この大学生は、先日の国会議事堂前の大集会を共催したSEALDsと言うグループの代表だそうで、この中央公聴会には民主党が招待したのだそうです。

あの大舞台であれだけ落ち着き払った態度と穏やかな口調はたいしたものだと思いましたが、全文を聞き終えてみて、なんと空々しい中味のない意見なのかと、正直言って落胆でした。

政府案に反対することが良くないとは決して思いませんが、単に反対するだけではだめです。日本を取り囲む現状や情勢の変化を正しく認識し、それを分析したうえで問題点を整理し、対策案を考察、そしてそれらを比較・評価して最良の結論を得るのです。

彼の意見には、少なくともあの場で公述した中には、これらの一連の思考過程がまったく見えていません。よしんば彼が自身の結論だけを述べたのだとすればそれでは説得力が皆無です。

よく、対案を示せ、と言う人がいますが、そのとおりです。同じ現状認識のもと、正しい分析を行い、比較・評価をして導き出された結論なら、議論の余地は大ありです。

いつだったか、テレビの識者討論会で、"中国が攻めてくるなんてそんなの妄想ですよ"と言い放ったジャーナリスト(元テレビキャスター)がいましたが、識者といわれる彼の非常識な現状認識には呆れました。状況判断のファーストステップである現状認識が間違っているのです。

この識者に限らず、今、政府が示している安全保障法案に反対している人たちはすべからく、現状認識を異にしているのだと思います。現状を見誤れば当然正しい結論が出て来るはずもありません。賛成論者も反対論者も、自分たちの現状認識が正しいのかどうかを最初に議論すべきだし、いつまで経っても説明責任を果たしていないと言われている政府・役人は、先ずこのことを国民に明確に諭すべきなのです。

私は、もちろん、政府案に賛成です。賛成どころか現状ではこれを置いて他に日本の歩むべき道はないと考えています。解釈改憲が許せないだとか、卑怯だとか騙しの手法だとか、いろいろ仰る方がいますが、ではどうすれば良いのかの対案とそれに至る思考過程をきっちり示していただきたいものです。

(この法案には)国民の過半数が反対しているだとか、全国で100万人もの大集会を無視するなだとか、政治家には任せておけないなどと、参院の中央公聴会で公述した大学生が述べていましたが、私は大いに違和感を覚えました。

国民の過半数が賛成とする世論調査(産経・FNN合同世論調査)結果と矛盾していること、全国で100万人、えっ?国会前の10万人だって明らかな水増しでしょう。それに、政治家に任せられないと言うのは議会制民主主義の完全否定ですよ。

それに、あの国会前の集会だって、ただ、戦争反対、人殺し反対、安倍辞めろなどなどのプラカードのみ。大体、一国の首相に向かって"安倍"と呼び捨てにするなどもってのほか。あの集会の参加者の構成がどんなふうだったかは知らないが、罵詈雑言のオンパレードで、これで真剣に祖国日本を良くしようと思っての行動なのだろうかと疑いたくもなります。

それになぜこの法案が、徴兵制に結びつくのかがまったく解らない。テレビのインタビューでこれも識者が述べていたことですけど、自衛隊員が戦場に行けば後方が手薄になるから徴兵制が必然となるですって、、

そんなことがある訳ないじゃないですか。今議論しているのは集団的自衛権の限定容認の話ですよ。本来の防衛任務が手薄になるほどの限定行使なぞまったく想定されていません。安倍首相も、そんなことはあり得ないと断言しているではないですか。

集団的自衛権など行使しなくても、個別的自衛権だけで我が国防衛は十分だとまで言い切った識者もいたようですが、これなど頭の中を見てみたいものですね。それこそ、そのためには中国に匹敵するほどの強大な軍事力が必要だし、それこそ徴兵制だって考えなくてはならない。と言うか、個別的自衛権を発動しなければならない事態であれば、自身の身を呈してでも自身や家族の命や財産を護らなくてはならないはずですよね。

いずれにしても、このような見解の相違は、すべて現状認識の相違から生起するものと思われますが、正しい現状認識に基づく問題の認識、そしてその分析に基づく対策案の案出、それにそれぞれの案の比較・評価と言うような正しい思考過程を踏まえれば、誰しも正しい状況判断が可能なはずです。

デモンストレーションとは、抗議や要求の主張を掲げて集会や行進を行い、団結の威力を示すことですが、これは、集会の自由や表現の自由などの、憲法で保障された人権としての自由権です。

しかし、その抗議や要求は、議論に応じうるものでなくてはなりません。むやみに相手を罵ったり、理由の説明もなく、ただただ反対、反対と言うだけではまったく意味をなしません。



さて、話を元に戻しましょう。

私が先週キナバル山の山行に出かける前の週、9月の始めの週(9月2日~4日)のことですが、第16回汚職撲滅国際会議(International Anti-Corruption Conference)なる会議が、奇しくもプトラジャヤの国際会議場(PICC)で開催されました。

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これは、政治家や官僚の汚職防止を監視している国際的非政府組織のT.I(トランスペアレンシーインターナショナル)が、毎年この時期に世界各地の主要都市で開催している国際会議なのですが、今年のホスト国、議長国はマレーシアでした。

そしてこの会議の当初計画では、初日にナジブ首相のオープニングスピーチが予定されていたのです。私はこのことを知り、少々驚きました。今まさに汚職疑惑の真っ只中にいて、四方八方から矢のような追求を受けているナジブ氏がどのようなスピーチをするのだろうかと興味津々でした。

ところが、期待は見事に裏切られました。そうです、またしてもドタキャンです。いつかの国民対話集会のときもそうでした。曰く、警察から、出席を見合わせるようにとの助言があったと言うのです。

しかし、本人が言うようにやましいことは一切ない、と言うなら堂々と釈明したらどうですか。身の危険を感じるからと言って逃げ回ってばかりいたら、この状況は決して好転しませんよね。

8月29日と30日のBersih4のデモは、そんな疑惑にきっちり答えて欲しいと言う国民の切実な訴えです。汚職や公金横領などの犯罪は決して許さない、透明な政府が欲しいのだとの黄シャツ軍団の願いは、外国人で門外漢の私にも非常に良く分かります。

このBersih4のデモは、日本の国会議事堂前のデモとはまったく違います。日本のように、口汚く罵ることもまったくありませんが、こっちは汚職や公金横領という悪質で不可解な犯罪がらみを前提とした首相の辞任要求です。そして7月以降、止まることを知らない自国通貨(リンギット)の急落、消費税導入も加わった生活費の高騰、政治不安定、経済低迷による外国資本の逃避などを不安に思う国民の声なのです。

日本の法案反対デモのように"戦争に行きたくない"、"戦争に行かせたくない"、"人殺しをしたくない"、"9条を壊すな"などと言う論拠が不明かつ短絡的で情緒的な要求や抗議ではありません。要求は至ってシンプルで明快なのです。まさにここが違っています。

今、この国では何かが起ころうとしています。私たち外国人であってもこの国に住む以上、この国の政治、経済、社会状況の変化による影響は避けるべくもありませんが、正しい現状認識のもと、変化による悪影響を局限すべく不断の努力が必要なのだと感じています。

それでは、これから今日の赤シャツラリーの集合地の一つであるブキッ・ビンタンに行ってきます。このラリーがどんなものであったかについては、帰って来てから追記にて綴りたいと思っています。

それではまた。。



追記(2015.9.16 19.45)

ブキッ・ビンタン地区でのデモ隊の集合状況と、そこからジャランインビとジャランラジャチュランを通ってパビリオンの裏手でジャランコンレイに至るところまでのデモ行進にお付き合いしながらじっくりと赤シャツ軍団を観察してきました。

私は車をブリックフィールズのYMCAに置いて、KLセントラルからモノレールでブキッビンタンに進出したのですが、そのモノレール駅の自動券売機の前に赤シャツ姿の人だかりです。何をしてるんだろうと後から覗いてみると、どうやら券売機の操作方法が分からず困っている様子です。

ちょっと黙って観察してましたが、いつまで経っても埒があかないので、どこまで行くの?と聞くとブキッビンタンと言う。私もそうだから教えてあげるよと言って、その場にいた8人分の切符購入を手伝ってあげました。

全員が大人しそうな若者たちだったので、モノレールの車内で、どこから来たの?と尋ねてみました。ネグリ・センビラン州からと言ってましたが全員モノレールは初めてとの。ついでに、今日はなんのイベント?と聞いたところ、良く分からないとの答えでした。

↓ブキビンタンのパークロイヤルホテル前です。

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一体どれぐらいの数なのでしょうか。大雑把にみてまあ2000人と言うところでしょうか。

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デモ行進を開始する前の態勢です。ジャウイ文字で書かれた横断幕を先頭にして、これもジャウイ文字の赤旗が続きます。

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後でニュースを読むと、このブキビンタンでの集合人数は5000とのことでしたが、うーんどうでしょうね。ちょっと水増しかなと思いますね。

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パークロイヤルの角を左折して、ジャランインビを行進していきます。しかし、このデモ行進は随分大人しいですね。先頭集団からはスローガンのチャンティングやブブゼラ(南アフリカの楽器)の甲高い音も少し聞こえてきていますが・・・・・

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後方グループではこれこの↓とおり、なんのチャンティングもなくただ黙々と歩いて行くだけ。いや、周囲と談笑しながら歩くだけ。これじゃ、まるで健康ウォーキング大会のようです。。。

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一緒になって歩きながら、近くにいた若者に、私は日本人でよく分からないのだけど、これはなんのためのデモ行進なの?と尋ねてみました。

彼曰く、「マレーシアを良くするためだよ。マレー人だってできるんだってことを見せてやるデモだよ」とのこと。併せて非マレー系主体のBersih4のことをどう思うか聞いたところ、「彼らもこの国を良くしたいためだろ、力を併せて一緒に頑張りたいよ」だって。。

私はこの若者の言葉を聞き、正直言って安堵しました。この赤シャツラリーの主催者の思惑はどうあれ、参加している若者たちの思いは単純明快。国を良くしたい、豊かになって生活をより良くしたい、だけなのです。

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この赤シャツラリーの主催者が描いたスローガンは、Himpunan Maruah Melayu(Dignity of Malay)、Hidup Melayu(Long lives Malay) です。これは、Bersih4ラリーに象徴されるように近年益々劣勢が意識されだした与党第一党Umnoの危機感の表れではないかと私は思っています。

長年のブミプトラ政策の恩恵を忘れるな、次の選挙で与野党が逆転したら、非マレー系の政党に政権をとられてしまったら、今までマレー系のみが享受してきた数々の優遇施策がなくなってしまうぞと、選挙民を煽っているように思えます。

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しかし、一部の極右暴力的グループが事前に散々言っていたようなそんな暴力的な光景はまったく見ませんでした。(後でニュース報道を確認したところ、ペタリンストリートの方はデモ隊と警官隊との小競り合いがあり、放水車による放水もあったとのことです)

しかし、黄シャツのデモと異なり、今日の赤シャツのデモはマレー系と言う特定のレースを際立たせ、その力を誇示し、黄シャツに対抗させるかのような主催者側の思惑は果たして成功したのかどうか、結果はまだまだ分からないのだろうと思います。

最後に動画も撮ってきましたのでどうぞ。



以上。





今日から、ブログのトップ画像を替えました。これは先月訪れたKLIA近くの三井アウトレットモールです。最近鳴り物入りで正式オープンしたこのモールの中味のことはさておき、私はモールの正面に翩翻(へんぽん)と翻る日の丸を目にして、なにがしか感ずるところがありました。

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左に日章旗、真中にマレーシア国旗、そして右にはセランゴール州旗が翻っています。マレーシア移住以来、我が日本とはちょっと違うなぁと感じることの一つに国旗や州旗のことがあります。とにかくこちらでは、国旗や州旗が至るところで目立ちます。ことある時だけでなく普段からありとあらゆるところに国旗や州旗が掲げられているのです。

我が日本ではそうではないですよね。日章旗が掲げられるのは国民の祝日などごく一部の限られた日のみ、それもほんの一部の建物や場所だけ。昔はもっともっと多かったような気がしますが、今では遠い昔のことです。ところがここマレーシアは普段から国旗や州旗がありとあらゆるところに翻っている。

日本はほぼ完成された国、マレーシアは今まさに発展しつつある国、だからなのでしょうか?

毎年8月31日はこの国の独立記念日です。街には国旗が溢れ、老いも若きも小さな子供たちも、みんな千切れんばかりに国旗を振り、声高らかに国歌を謳う。そんな光景を眼にして早や3年、日本に生まれ育ち、長年日本に暮してきた私としては、こんなところにも大いに感ずることがあるわけです。

我が日本には学校の入学式や卒業式でさえ国旗・国歌を拒否する人たちがいる。でもこの国にそんな人たちはいない、いや私の眼には少なくともそう写ります。先月30日の日曜日、たまたま私が日本語を教えている語学学校の授業がある日だったので、近くで行われた夥しい数のBersih4のデモを目の当たりにしてきましたが、私はそこでもたくさんのマレーシア国旗を目にしました。

一方、時を同じくして、我が日本でも安全保障関連法案反対デモが東京始め各地で行われたようですが、不思議なことにあれだけの数のデモ隊の中に日章旗はゼロです。逆に、賛成派のデモの方は日の丸が林立しているのです。これって変と思いませんか?反対派も賛成派も、国や国民のことを思ってデモに参加している筈なのに、これだと外国人がみたら、反対派は愛国心のない偏狭的、自己中心的な集団、そしてたくさんの日の丸を掲げる賛成派はこの国を良くしたいと願う愛国者の集団、そう見られてしまうのではないかと思うのは私だけでしょうか?

今の日本で日の丸を振ると、まるで右翼か進歩的でない保守派のレッテルが貼られてしまうようですが、国旗を振るのが右翼だなんて、こんな不思議な国は世界にも類を見ないでしょうね。

さて、本題に入ります。

8月30日(日)午後3時、語学学校があるパタマモールの前の通りは、私の予想に反してデモ隊などの影もなく静まり返っていましたので、授業開始までまだ時間があると判断した私は、デモの主会場のムルデカ広場周辺まで歩いて行ってみることにしました。

ここで、いつもの私であれば途中経過の写真(静止画)を何枚か連ねて、様子を説明するところなのですが、今日はちょっと時間の余裕がありません。(実は明日から1週間の予定で出かけるキナバル山とその周辺での山篭りの準備がまだ終わらなくて、ちょっと焦っているのです)

なので、そごうデパート前からメイン会場まで(Jalan Abdul Tuanku Rahman)の様子と、ムルデカ広場前(マスジットジャメ付近)でのデモの様子を撮った動画をご覧いただきたいと思います。



車の交通が完全に遮断され、まるで歩行者天国のようなジャラン・トァンク・アブドゥル・ラーマン通り(Jalan Abdul Tuanku Rahman)は、いつもの喧騒さはなく静かなものでした。

ムルデカ広場に近づくにつれ行き交う黄色のTシャツがどんどん多くなってきました。まだまだデモの最中のはずなのに、まるでデモ帰りのようなグループも大勢いて、これはどうしたことだろうと、その中の一人に聞いてみたところ、長時間(34時間)に及ぶデモに備え交代で一時戦列を離れ、食事をしたり休憩をしたりしていると言うことでした。

なるほどね、昨日からの夜通しデモだから、食事や休養などの兵站も大変なのだろうと納得です。

ところでこのデモ隊のことを、ナジブ首相が独立記念日のメッセージの中で、"the rally was unwise, shallow-minded and showed a lack of national spirit(愚かで、浅はかで、愛国心が欠如している)"と述べたそうですが、果たしてそうなのでしょうか。

早速、G25と言うマレー系著名知識人グループのヌーア・ファリダ(Noor Farida)女史がマレーシアン・インサイダーの取材に応えて、首相のこのメッセージを、"民衆の声を聞かないなんて、悲しく哀れ(pathetic)だ"と評していましたが、私も同感です。

Bersih4の人たちに恐る恐る近づき、ついには紛れ込み、そしてじっくりとこの眼で、この耳で四周を観察してみましたが、彼らの主張はまとめてみれば唯一つ、この国から汚職(corruption)を無くそう、と言うことです。現首相や首相擁護派の有力政治家が声高に批判しているような、政権を転覆させることなどと言うオドロオドロしいことを端からの目的にしているわけではないのです。

この国マレーシアのため、自分たちマレーシア人のため、汚職に塗れた(疑惑の絶えない)政権や政治家はもう要らない、と主張しているだけなのです。確かに参加者を良く観察してみると、トドン姿のムスリム女性はほとんど見かけないし、参加者の大部分は中華系マレーシア人のようです。

この点を捉えて、ナジブ首相や周囲の一部政治家は、これはレース(人種)の戦いだ、マレー系に対抗する中華系の挑戦だ、などと述べているようです。

しかし、彼ら(Bersih4)の主張は、レース(人種)間の対立を煽るものではなく、各レースが一緒になってこの国を良くしようと言うものなのです。実はこのことは、デモの最中、唯一見かけたトドン姿のデモ参加者(ムスリム女性)に、私が門外漢の日本人であることを説明した上で、直接質問し、答えを聞きだしたものです。まだ若い彼女の主張は、これはけっしてレースの戦いではない、政治家の汚職と言う犯罪をこの国から無くし、もっともっと平和で豊かな国にしたいから、レースを問わずみんなで共に戦う、というものでした。

このデモに参加したくても参加できないマレー人は多い、との彼女の言もまた非常に意味深なものでしたが、いずれにしても一部政治家の言う主張は決して正しくはない、私はそう感じました。

ところで、途中こんな光景を眼にしました。

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これは見ての通りゴミの分別と持ち帰りです。日本ならば当たり前のことかも知れませんが、ここはマレーシアです。驚きましたが、このBersih4のデモ、名前のとおりクリーンなデモなのですね。(Bersihとはマレー語でクリーンの意味です)

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ゴミの分別だけでなく、この群集、驚くほど大人しいと言うか、きちんと統制が取れています。中に入ってみてそう感じました。もっと激しく暴力的な群集を想像していた私は少々拍子抜けしましたが、各グループに恐らくリーダーのような人がいるのでしょうね。暴力的な行為はおろか、殺気だって口汚く罵りあうようなことも私が見た限りではなさそうでした。

主にブルシ(Bersih)、ブルシ、ブルシと連呼するだけ。他にもいくつかのチャンティングがあるようでしたが、良く聞き取れませんでした。反政府デモというよりまるでお祭りかコンサートみたい、と誰かが評していましたが言い得て妙だと思います。

デモ参加者は主催者発表で8万人だそうです。新聞などでは数万人(Tens of thousand)と言うことでした。

これ↓を見て下さい。私が紛れ込んだマスジット・ジャメ付近のデモ隊の空撮写真です。(オンラインメディアに掲載されたものです)

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そしてこれはデモ隊の全体数が推定できそうな夜間空撮写真2枚です。(いずれもオンラインメディアから借用しました)

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しかし夥しい数ですよね。果たしてどれぐらいの数なのでしょうか。デモはムルデカ広場が使用できないため、その周辺に広がっています。

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我が日本でも、時を同じくして国会議事堂前に主催者発表10万人(SEALDsの発表は35万人)、警察発表で3万人と言うデモがありましたが、写真で見る限りこのマレーシアのデモの方が参加者が多いような気がします。

そして、この日8月30日の深夜24時、予定どおりにBersih4は終了したわけですが、34時間と言う長時間に及ぶデモにしては、極めて平和的かつクリーンなデモであった、と翌日の新聞各紙は一斉に報じていました。

私はこの後、同じ道を歩いてパタマに戻りましたが、この黄シャツの人々、なんと私が良く行くメナラマラのMcDonald'sにも大勢いて食事をとっていました。私は、デモ会場からは結構遠い(歩いて2、30分)のに、なるほどこの辺りまでが彼らの戦いの「後方地域」なのかと、一人で納得したりしてました。

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と言うことで今日の記事はここで終わりにします。少々尻切れトンボの感が否めませんが、続きは、キナバル山から無事に帰った後(8月13日)、このデモと時を同じくした我が国のデモのこと、そして首相の不正資金疑惑のその後など、いろいろ私の興味の尽きないことを、巷のニュース記事を読み解きながら若干の私見を交えて綴ってみたいと思っています。

それではまた。。