今月初めに親しい先輩の入院見舞いの記事をアップしましたが、
先週の木曜日、突然、まさかの訃報を受けました。

あれから、まだ3週間ほどしかたっていないのに、
驚き、呆然とし、そしてとても悲しくなりました。

3日後、先輩のご自宅近くの東大和市での告別式に
参列してきましたが、先輩のそのお顔はとても無念そうでした。

浄土真宗大谷派の導師の、
朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれり、
とのお言葉に、涙が彷彿として止まりませんでしたが、
人間なぞ、なんてはかない存在なのだろう、
誰しも、ゆうべにはこうなるのだと、
この世の無常さをあらためて思いました。

そして、慌しい東京からのとんぼ返りの帰途、
なぜか無性に山が恋しくなり、
そうだ、追悼登山に行こうと決心したのです。

自宅に戻り、早速予報をチェックして、
追悼登山であれば、いつもの鳥海山ではなく、
眼下に厳かな大鳥池を臨む、朝日連峰の北端高峰、
以東岳にしようと決めました。
実はこの以東岳、数年前に、大朝日からの縦走を完遂できず
大変悔しい思いを残していた山です。

人間なんてかよわいものだ、誰がいつなんどき
この世から消え去ったとしてもなにも不思議ではない、
寧ろ消えてなくなることがあたり前なのだ。

旅立った先輩を山で一人静かに想いたい、
併せて数年前の悔しい思いを晴らしたい。

以下は、そんな1泊2日の追悼登山の書きなぐりです。


朝5時に自宅を出て、泡滝ダム傍の登山口まで約2時間弱、
と計算していたが、まだ残雪が道路を塞いでいたため、
最奥地点まで乗り入れできず、このため7時半の登山開始となった。



大鳥川沿いの登山道は、まだいたるところで雪渓が残り、
中には土砂崩れが道を塞いでいたりして、少々難儀するところも
あったが、前後に人の気配はまったくなく、ただ雪解けの轟々たる
水音のみで、黙々と歩き続けた。



土砂崩れです。まだ新しいものですね。



でも、この土砂崩れは、翌日の下山時にはもう修復工事がなされてました。
たまたま、その日が登山道整備の計画日だったのかも知れませんが、
いつもながら関係者のご努力にはまことに頭がさがります。



登山道を塞ぐ雪渓の渡りです。
踏み抜かないように慎重に渡ります。



1時間ほどで冷水沢の吊り橋に来ました。
沢を渡る風もまだ冷たく心地よい歩きです。



そしてまもなく、大鳥コースの第2の吊り橋、七ツ滝沢です。



沢の流れを見ているだけで、心が洗われます。
まだ周りに人の気配はまったくありません。



七ツ滝沢から本格的な登りが始まります。
突然、道を塞ぐ大きな倒木が現れました。



でもここも、翌日の下山時にはこのとおりです。
本当にお疲れ様です。



以下、登山道の側で見た花たちです。
先ずこれは、キバナノコマノツメ、ところどころに群生していました。



自宅の庭にもあるチゴユリかと思いましたが、
この花の形やグラデーションの色合いはチゴユリではなく、
ホウチャクソウです。



これはサンカヨウ。このコースのいたるところ、特に日陰や湿地に群生してました。



そして、登山開始から約3時間、午前10時、中間目標点の大鳥池到着です。
ここまでまだ人に会っていません。もちろん、目の前のタキタロウ小屋にも
人の気配はありません。結構汗もかいたので、ここで着替えと腹ごしらえです。

ところで、今日はまさに追悼登山に相応しい日のようです。
7月に入ると本格的な夏山登山が始まるでしょう、そうしたら登山道や山小屋は
人で溢れ、こんな静かな山旅はとても無理だと思います。
そうか、例の登山道整備もそのためかと、今、気がつきました。



池の畔に立つタキタロウ小屋です。
冷たく豊富な水場は疲れた身体をリフレッシュしてくれます。



ここから先は始めての道です。
なので迷いましたが、結局体力を考え、さらに時間はたっぷりあるので
オツボ峰コースを取りました。



ここからしばらく辛い急登が続きますが、傍らで見つけたイワウチワの白花です。
知りませんでしたが、白は珍しいのだそうです。



4、50分ほどで尾根に出ました。
ここから対面の稜線上にゴール地点の以東岳とその右側に
ちいさく以東小屋も見えました。



おっ、ついに現れました、かの有名なヒメサユリです。
これ以降、コースのいたるところに咲いていました。



これはツマトリソウです。
可憐でとても可愛い花です。



これから稜線歩きが始まります。
気温が上昇してきましたが、渡る風は冷たくて最高の稜線歩きです。



チングルマとこれから歩く遥かなる稜線です。



なんと、もう綿毛に変身中のチングルマです。



チングルマの群生ですが、一面黄色に見えるのは白の花びらよりも
真ん中の大きな黄色の雌しべや雄しべが目立つからだと思います。



彼方に見えるのは月山1984mです。



ハクサンチドリです。夏に鮮やかな花です。



これは、鳥海山にもあるアオノツガザクラ。



最終目標地点近く、ミヤマキンポウゲと下方には大鳥池です。
われながらベストショットだと思うのですが、、、



和製エーデルワイスのミヤマウスユキソウ、
あちこちで群生していました。大好きな高山植物のひとつです。



そして、ついに以東岳山頂1771mに到達しました。
登山口の標高は約500m弱かなと思うので、標高差1300m程度の登山でしたが、
いやいや結構な時間がかかりました。距離も結構あったのだとおもいます。
周りに人もいなかったお陰で、しばしば気ままなロング休憩も入れてのことですが、
もう午後4時です。なんと9時間ですよ。



頂上から眼下に大鳥池を見ながら、
しばし追悼の瞑想に耽ります。



瞑想を終え反対側に朝日連峰の主稜線を望みます。
数年前は、あの途中で下山したのです。



そして、以東小屋です。
頂上から少し下ったところに立つ、こじんまりとした小屋です。



もちろん、小屋には誰もいません。
管理人さんは夏山登山が始まる来月からなのでしょうか、
とにかく、今日は、超ラッキーなことに、たった一人で
この小屋を独占のようです。
悠々として、自炊の準備にかかります。



小屋から眺める日の入りです。
厳かな大鳥池と併せ幻想的な眺めです。
これで追悼登山の目的が果たせたような気がします。



翌朝、6時に下山開始、今度は直登コースを下ります。
思ったとおりのきつい勾配が続き、膝を痛めないように慎重に下ります。
途中、これは珍しいイワカガミの白花を見つけました。



きつい下りを2時間、その後大鳥池の縁辺を辿り、岩場や沢を
上り下りする少々ラフなコースをゆっくり歩きました。
穏やかな大鳥池の水面が心を和ませてくれました。



突然の先輩の訃報に、心が騒ぎ落ち着かない日々でしたが、
これでなんとなく気持ちの整理がついた気がします。

途中、豊富にある水場の冷たい水で、のどを潤しながら、
一人静かに山を下りてきました。
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今日、MM2H個人申請書類を日本郵便のEMS(Express Mail Service)で
送付しました。

書類を海外に送付する方法は、他にもヤマトの国際メール便やFedExなど
いろいろあるようですが、特に包装材を無料でもらえることや所要日数なども考慮して
このEMSに決めました。



料金は1Kg未満で1660円、宛名は専用の伝票に手書きしましたが、後で聞くと、
ネットから宛名入力もできるのだそうです。

このEMS、配達状況の確認(追跡)もできます。
なお、配達完了はメールで通知してくれるそうです。

いずれにしろ、私としてはこれで一段落です。

やれやれと言ったところですが、4月末から準備を初めて、
ようやく第一ステージをクリア、いや、まだ申請が承認されたわけではないので、
クリアではなく、第一ステージのゴールが見えたという段階でしょうか。

しかし思い起こせば、定められた申請書類を準備するのに、
結構手間取ったような気がします。
もちろん、毎日こればかりやっていた訳ではないので、こんなものなのかも
知れませんが、でもこれから個人申請を準備される方のために、
準備中感じたことなどを少し書いてみたいと思います。

先ず、MM2H OFFICIAL WEB SITEのFINANCIAL REQUIREMENTについてですが、
年齢50歳以上の定年者は、35万リンギの流動資産と月1万リンギの年金受給の
両者を満たさないといけないのか、それとも月1万リンギの年金受給証明だけで
良いのか明快さに欠ける、と言うか疑問が残る英文説明です。

ii. Applicants aged 50 and above may comply with the financial proof of RM350,000
in liquid assets and off shore income of RM10,000 per month. For certified copy(s)
of Current Account submitted as financial proof, applicants must provide the latest
3 months’statement with each month’s credit balance of RM 350,000.
For those who have retired, they are required to show proof of receiving pension from
government approved funds of RM 10,000 per month.

ところが、同WEB SITEのの日本語訳ページには、わざわざ訳註が付記されていて、
月1万リンギに満たない年金受給者でも35万リンギの流動資産があれば、
申請は受理される、との説明があります。
申請は受理される、と言うのは、私としては、当然、申請は承認される、と理解してしまいます。

この件に関して言えば、個人や代行業者さんのいろいろな方のHPやブログを見ても
はっきりと記されているものはほとんどなく、非常に悩みました。

しかし、私の場合、年金受給額が為替レートの関係もあり、やや微妙なので、
先ずこの点をはっきりさせようと、例のForumや担当者への質問などを行い、
月1万リンギに満たない年金受給者でも35万リンギ以上の流動資産があり、
かつ、仮承認後に15万リンギ以上のFDが可能であれば条件はクリアするのだと判りました。

ちなみに最新の申請Form(V1.10)には、このFDオプションをとるかどうかの
チェック項目が追加されています。

どなたかのブログにもあるように、個人申請は決して難しいものではないと思いますが、
かと言って、やる気さえあれば誰にでも簡単にできるというものでもないと感じました。

MM2Hでヒットするあまたの情報の中には、必ずしも正確ではないものがあったり、
タイトルのみで中身がほとんどなかったり、調べても判らないものも多くありましたが、
結局、丹念に尋ね廻ることですべて解決したような気がします。

英文履歴書の作成や戸籍謄本・年金証書などの英文翻訳にしても、
私はqualified translatorではありませんが、さほど難しいものとは思いませんでした。

でも、準備作業を通じて、一番強く感じたことは、彼の国の人達のおおらかさです。

WEB SITEのテキスト、それも申請者から見れば非常に重要な文言が、予告なく、かつ
断りなく、ある日突然updateしていたり、在日マレーシア政府観光局の関連WEB SITE1との
整合性がとれていなかったり、そちらの担当者とMM2H centerの担当者の言うことが
違っていたり、ある意味、いやはや、おおらかなお国ですなぁと感心してしまいました。

今後、仮承認が出るまで、あるいは担当の方となんかやりとりするかも知れないし、
承認後は、現地国での諸手続きの関係でさらにお付き合いをお願いすることに
なるのでしょうが、私も腹を括って陽気におおらかにお付き合いしたいと思います。(笑)

今日は、個人申請書類の提出完了の報告でしたが、
準備を通じて感じたことがまだまだあるような気もしますので、
今後も少しずつ綴ってみたいと思います。
MM2HのWEB SITEに、

Authorization letter from applicant to Malaysia My Second Home Centre to
verify the financial documents with the relevant financial institutions;

とあり、
提出する預金残高証明や口座取引明細書などの確認のため、
MM2Hに対し、自身の取引銀行の口座情報の開示承諾書を
提出しないといけない。

と言うわけで、その開示承諾書なのだが、
このformは、在日マレーシア政府観光局のロングステイのページから
DLできる。

ところが、今日(2012.6.22)現在、まだあて先住所が旧いままなのだ。

Director 
Malaysia My Second Home Centre
23rd Floor, Menara Dato’ Onn,
Putra World Trade Centre,
45, Jalan Tun Ismail,
50695 Kuala Lumpur, Malaysia. 

いやはや、やっぱりこの先、脱日本人的思考回路に完全シフトしないと
ストレスなのかなぁ、、などと考えたのであった。

まぁ、でもOCRで読み込み自分で修正して作成してみました。
ご参考までに。


あっそうそう、それと、OFFICIAL WEB SITEでDLするApplication Formと
Self declaration on health conditions の Form がいつのまにか更新されてました。
Application Formはv1.09からv1.10 にバージョンアップしています。(2012.6.22現在)
中身はたいした変更はないのですが、それでも新しいものをDLして書き直すことに
しました。これもご参考までに。
MM2HのWEB SITEに、
Four (4) coloured passport size photographs とある。

なので、すでにパスポートサイズの写真4枚は準備したのだが、
この写真は申請書に貼付していいんだよね? 

とすると、1枚はApplication formに貼付、1枚はビザ申請用IM.12のformに
貼付するのだと思うが、残り2枚はそのまま(貼付せずに)提出するのか、
または2枚のIM.12formのコピーに貼付した上で提出するのか、などと
まことにささいなことを悩んだりした。

IM.12formは1枚が原本で、2枚がコピーで良いとされているので、
ひょっとしてIM.12のformは写真貼付の原本コピー、つまり写真もコピーで
良いのでは、と考えてしまったのだ。

こんなささいなことを悩まなくても良いのかも知れないが、
とりあえず質問してみようと、MM2Hの現地担当者にメールで質問した。

そうそう、先日も質問してすぐ回答もらい、なかなかきちっとしてるじゃん、
と思ったのだが、今回もメール送付したら30分ほどで返信あり、
悪乗りではないが、さらに追加のくだらない質問などしてみても、即返答が
帰って来た。これってすごいよね。でも、ならなんでWEB SITEのメルアドが
通じないんだろうね。不思議だよね。

結局、判ったことは、写真4枚をそれぞれのフォームに全部貼付して
提出するのだそうだ。なんだ、最初考えたとおりで良かったんだ。。。
以前も書いたが、私のMM2H申請書類は今月末の完成・提出が
目標であるので、いよいよラストスパート、最後の踏ん張りなのだ。

そこで、今日は、申請書類の認証について書いてみたい。
一昨日と昨日、事前に電話相談した上、認証が必要な書類を持参して、
最寄の公証役場に出向き、認証してもらって来た。

これはそのうちの1通分で、日本文と英文の認証証書だ。
英文を見ると、ん?と思う文法上の誤りもあるように思えるが、
まぁ、ささいなことなので、特に指摘して訂正いただくこともしなかった。
もちろん自署証書と戸籍謄本などの翻訳文やパスポートなどのコピーについては
1枚1枚割り印が押されている。
なのでより上級の公印証明(アポスティーユ)が必要かとちょっと気になったが、
WEB SITEにはNOTARY PUBLICの認証で可とされているので、これで良しと判断した。





私の場合、認証が必要な申請書類とは、
・パスポートの個人事項記載ページの翻訳文
・戸籍謄本の翻訳文
・年金収入書類の翻訳文  以上3点。(事前相談の結果そうなった)

このうち、年金収入書類はちょっとやっかいだった。
そもそも年金収入を立証するには、過去3ヶ月分のスリップ(銀行口座取引明細)
で良いとされているのだが、私の場合は、なにせこの3月末の定年なので、
それまでは大半が支給停止となっていて、基準に見合う年金収入額の3か月分の
スリップを準備できないのだ。(今月末申請予定なので)

このような場合はどうするか、在京マレーシア政府観光局及び現地担当者に
メールで質問したら、年金額を証明する公的な書類を出してくれれば良い、とのこと。

そこであらためて、以前に自宅宛届いた年金証書を見てみると、
記載金額が少ない、と言うか、今現在の年金額にはなっていないのだ。

この件を年金事務所で相談したら、
新しい証書が毎年6月始めに発行されるので、それまで待っていればいい、と言われ、
待っていたら、6月に入りまもなく新しい証書が届いた。
なるほど届いたことは届いたが、えっ、なにこれ? やっぱり金額が違う。

すぐ年金事務所に行き確認したところ、追って改定通知がくるので心配ないですよ、
だって。
たしかに2・3日遅れで年金改定通知書が届いた。
しかし、翻訳や認証のことを考えると改定通知では面倒くさいし、
大体、年金改定通知書なんて、向こうの国の人に理解されるかマジ不安だし。。 

そこで、またまた年金事務所に出向き、新しい金額を記載した証書の再発行を
強くお願いしたところ、このたびようやく満足な年金証書が手元に届いた、
と言う訳。

なお、私の場合は共済年金と厚生年金があり、それにmy betterhalfの
厚生年金もあるので、証書が3通もあり、これをすべて翻訳しないといけない。

通常、外国文認証と言うのは、翻訳文の私署証書の認証を言うらしいが、
翻訳文の原本である年金証書は提出して手元になくなると私が困るので、
原本の代わりにコピーを付ける。
なので、そのコピーが原本と相違ないという認証も必要だと判った。

となると、何通の認証が必要になるのか、パスポートと戸籍謄本の外国文認証が
各1通、それに年金証書の外国文認証と原本証明で計4通も必要なのか?
ここは公証人と相談し、年金証書の翻訳文の私署証書に原本証明も付記すれば
良いのではとなり、結局3通とした。

それでも11,500円/通×3=34,500円也は、結構高くて少々へこんだが
これは止むを得ないですよね。

認証は、公証役場以外にもリストアップされていたので、あるいは別のところで
認証受ければもっと安く済んだのかも知れない
、とも思った。
 ↑
この件、例の海外のMM2Hフォーラムにいろいろ書き込みがある。
なにか、マレーシア領事館とかで認証受けると安上がりだとか・・・
ご参考までに。。

それと、年金収入の立証はなかなか面倒なので、できれば定年前の
現役時代にMM2H申請できれば良いんだよね。
給与振込み口座の口座取引明細書を、銀行から英文で発行してもらうだけ。
これ一発で済めばチョー簡単だと思う。
まっ、私の場合、これも後のまつりってことなんだけどね。
いよいよ夏山シーズンの到来だ。
鳥海山も7月1日に夏山開きとなる。

でも、この前、山スキーで登ってから、雪があっと言う間に少なくなり、
なぜか無性に寂しい気がしていたが、ここまで消えてしまうと、
逆に開き直ると言うか、ならば夏山を精一杯楽しもうという気になってきた。

となると、山開きまではとても待てない。
今年はあと何回山に入れるかなどと考えていると、この時期の天気の良い日を
見逃すわけにはいかない。鳥海山の花開きはもう始まっているのだ。

よし、行こうと決心しすぐさま鉾立登山口へ。
昨日は、日本海から鳥海山を眺めた。
今日はその鳥海山に登る。なんと幸せ、贅沢なことこの上ない。

登り初めてまもなく、奈曽渓谷の緑が目に飛び込んでくる。
この時期、残雪の白と樹の緑のコントラストが美しい。



登山道傍のナナカマドの花。
秋には真っ赤な実をつけ、紅葉の主役となる。



これは、里にもどこにもあるタニウツギの花。
あまりに多く目にするので、誰も見向きもしないが、
こうして改めて見てみると、とても上品で美しい花だ。



これはタニウツギの白花。
ピンクに比べ数が少なく珍しい。



そして、わが自宅の庭にも咲いているマイヅルソウ。



ノウゴウイチゴの珍しい7枚花。
野いちごの代表格で実は酸っぱくてうまい。



これはウラジロヨウラク。ツツジ科の樹の花で淡紅色の壷型だ。



花の名前が判らず、あとで調べてみたら
ツバメオモトと言うらしい。



自宅の庭にもあるシラネアオイ。自宅のものは既に花が落ちたが、
ここのシラネアオイは今が盛り。



黄色の可憐な山野草、オオバキスミレと言うのだそうだ。



これはツツジ科のアカモノ、別名イワハゼと言い、夏に赤い実をつける。
食べれるそうだ。



これはゴゼンタチバナ、登山道のあちこちで目に付く花だ。



ショウジョウバカマ、たしか家の庭にも咲いていた、と思う。



これがかの有名なイワカガミ。葉っぱをみると良く分かる。
ピンク色の可愛い高山植物だ。登山道の主役のひとつ。



おっと、夏道を覆うように雪渓が現れた。
雪はザクザクと柔らかく、軽アイゼンも必要ないように思えるが、
せっかく持ってきたのだからと登山靴に装着して登る。



登り初めから約2時間、御浜小屋到着。
前回山スキーで来たときより随分雪が少なくなったが、まだまだ鳥海湖は雪の中だった。



そして、ここから始まるお花畑。
先ず目に飛び込んでくるのは、真っ白なハクサンイチゲの群落。
鳥海山の高山植物の先陣をきって、一斉に咲き始めた様子だ。



こちらはハクサンイチゲの花の赤ちゃん。
懸命な姿が可愛くいじらしい。



ハクサンイチゲの隣には黄色のミヤマキンバイ。
ちいさく可憐な花だが、一面の黄色が目にも鮮やかだ。



ハクサンイチゲと良く似た白い花だが、
イチゲより小さく、花びらが丸い形のチングルマ。
これも鳥海山のお花畑の代表選手なのだが、
この時期はまだ少ない。
夏から秋にかけては綿毛に変身する面白い花。



扇子森への途中にミネザクラも咲いていた。



扇子森から鍋森と笙ヶ岳三峰方向を望む。



扇子森頂部の御田原から千畳ヶ原方向を望む。
あまりの気持ち良さに、本日の登山はここまでと決め、
お花畑の中で日向ぼっこと山ご飯にする。
時々ガスが太陽を隠し、お陰で急に体感温度が下がったりもするが、
そんな時は湯を沸かし熱いコーヒーを飲む。

こんな贅沢、山好きでなけりゃ味わえないよ、惜しいよねぇ。



鳥海湖を臨む長坂道から見る新山と外輪山。
なかなか上部の雲が晴れずにしばらく待ってシャッターを切った。



そして、長坂道分岐からまだたっぷりの雪渓をほいほいと下って、
鉾立への夏道に合流し下山したが、なんと言っても今日の収穫は
一面のハクサンイチゲ、まだ咲き始めから間もない頃と思うが
グッドタイミングだった。

来週ぐらいから梅雨に入るかも知れない。
さて、次なるお花畑はいつになるのかな、
でも、やっぱり自由って最高だよね。
前回の記事で部活仲間の話をしたが、
その仲間の一人にクルーザーを共同所有し、
若い頃から海に遊んでいる羨ましい限りの知己朋友がいる。

眞秀寺での飲み会で、このクルーザーの話題が出て、
早速、乗せてもらうことになった。

県のヨット連盟の役員でもある彼のヨットとの付き合いは
若い頃、酒田沖の日本海に浮かぶ飛島に、教師として赴任した頃から
始まったのだと言う。

爾来、持ち前の好奇心とやんちゃなほどの行動力で、
数々のアドベンチャーをこなしてきた。

そう言えば高校時代もいろいろ面白い話があったが、
ここでの披露は控えよう。

その彼に誘われて、半日、日本海から鳥海山を眺めてきた。

酒田港の船溜まりに停泊するクルーザー、意外に大型で驚いた。
全長40数フィートもあり、キッチンやリビングはもちろん、
ベッドルームやバスルームまで付帯している豪華クルーザーだ。



船溜まりから酒田港内に出る。
大浜埠頭には結構大きな貨物船が接岸中で、その船上には忙しく
立ち働く人たちがいた。





そして、酒田港の赤白灯台を通過して外海に出た。
波はなく穏やかな海であった。
風に乗るセーリングも体感した。
風に向かっても走るというヨットの原理がいまいち理解できずにいたが、
今日の彼の説明と実体験でよく解った。
なるほど飛行機が空に浮く揚力の原理なんだ。



北に船を向けると、鳥海山がきれいに見えた。
こうやって日本海から眺めると、海抜ゼロメートルから
起ちあがる鳥海山の全貌がよく見える。



いやぁ、すごく気持ちいい。
肌にあたる海風も心地よく、まさに絶好のクルージング日和。



これで、魚でも釣って、得意の包丁捌きで刺身を造り、
冷えたビールでもグイッとやったら、もぉっ、たまらんですワィ。



マレーシアに行ったら、こんなことできるかな、
きっとできるよね。自分で持つなんて金がかかって叶わんから、
レンタカーのようなもんないのかなー、などと思ったりしながら
酒田港に無事帰ってきました。

大浜埠頭の貨物船の間からも鳥海山が見えてました。
こうして見ると、酒田港も捨てたもんじゃないですね。



いや、K・G君、今日は素晴らしかった。
本当にありがとう。
2012.06.14 供養と語らい
昨日、高校時代の部活仲間が、とある禅寺に集合した。
酒田市のとなり、山形県庄内町の曹洞宗眞秀寺である。

2年ほど前、テレビの全国版にも紹介されたそうだから、
有名寺なのかも知れないが、この寺のご住職は、なにを隠そう、
わが高校時代の部活仲間なのだ。



それにしても、曹洞宗眞秀寺、私としては2度目の訪問になるが、
門前から北に鳥海山を望むこの寺は、それはそれは大層立派な寺である。



山門から入ってすぐの右手には見事な慈母観音像が立ち、



さらに少し奥の左手には、布袋尊者様が、ワァッハァハァと笑って
座っていらっしゃる。



良く手入れの行き届いた庭木の中の小路にはお地蔵様が立ち並び、



そして、本堂前の大きな石燈篭が、この荘厳な寺にまさに相応しい。



かつてのわが部活仲間のご住職、昔から温厚で誰にも優しい人柄だった。
以前、しばらく高校教師をしていたが、途中で辞めて家業を継いだ。
いまでは、押しも押されもせぬ、立派な大和尚である。



この和尚に、いつかの飲み会の時、誰かが言った。
今度、和尚の寺で宴会やろう、供養にもなるし、と。
誰が言ったか覚えちゃいないが、
そのことをまじめな和尚はきっちり覚えていた。

そして、このたび自ら案内状を作り皆に送った。
と言うわけで、遠くは茅ヶ崎や松戸からも昔の仲間が相集い、
供養と語らいの夕べと相成った次第。

和尚の案内で、本堂や位牌堂、開山堂などをつぶさに見て廻り、
あらためてその絢爛豪華さには驚いたが、良く磨かれた様々な仏具や
隅々まで掃除がいき渡り埃ひとつない様にもいたく感動した。



そして、本堂での供養が始まった。
和尚の読経の下、皆神妙に当時を想った。

今は亡き恩師のS・A先生、私の当時の担任でもありました。
そして、無念にも若くして病に倒れたA・K君、
どうぞ安らかに、と皆が般若心経を唱え、焼香した。

多感な時代、勉学との両立に悩み苦しみ、練習は辛く厳しかった。
しかし、皆が支えあって、あの辛さや厳しさを耐え抜いた。
だからこそ、仲間同士の信頼や団結は半世紀後の今でも変わりない。



さて、供養の後は語らいの夕べである。
語らいの夕べと言えば聞こえは良いが、要するに飲み会だ。
K・G君が手土産にと全員に配った当時の写真(上)も酒の肴にして
皆、飲み食べ語らいながら眞秀寺の夜は更けて行った。

そうだ、このまま寺に泊めてもらって、明日の朝、座禅修行でもと
思いついたが、自分の布袋様のようなおなかを見て、諦めた。
2012.06.11 孫とお留守番
先月のフリマに関する記事の中で、親に似ずしっかり者の
娘夫婦のことを少し書いたが、今度は海外の銀行口座開設のため、
夫婦二人で渡航すると言う。

夫婦二人で家を空ける
   ↓
孫たちだけが家に残る
   ↓
誰かが面倒見る
   ↓
暇なのは誰か
   ↓
山形のじぃじとばぁば

と言う必然的な模式が出来上がる訳で、
まぁ別に反対する理由もないし、他の用事もあるしで、
ほいほいと二つ返事で引き受けた。

上のなおくんは、3歳の時に、妹が産まれる前、しばらく一人で
山形に来ていたし、その後も何度か親抜きで過ごしたことも
あるのでまったく心配なかったが、問題は下の女の子だよ。

今回はじめて親抜きとなると言うのだ。
しかも、この子は特に甘えん坊で、普段から母親べったりなのだ。
果たして、親抜きで無事に過ごせるのか、ちょっと不安。

なおくん、小2、7歳いやこの5日で8歳になった。

022 のコピー

ちっちゃい頃からじぃじ大好きの男の子、WiiとかDSとか言う
ゲームに無我夢中で、果たして毎日の宿題はどうなるか。

妹のあーちゃん、幼稚園、3歳、来月4歳の誕生日。
あかちゃんまんを自称する甘えんぼ、泣いたら手がつけられないらしい。



親が出かけること、
ちょっとだけ家に戻らないこと、
その間、じぃじとばぁばと一緒に過ごすんだよと、
ちゃんと言い聞かせたから大丈夫だよ、
と言って親はさっさと出かけて行った。

さて、ここから始まる笑いと涙のストーリー
ほんのちょっとだけ紹介しますね。

なおくん、早速ゲーム開始、えっ?宿題は?
と言うも聞こえないフリ。
どうも、じぃじは甘く見られているらしい。
あまり言うこと聞かなかったら、怒るからねって言うと、
すかさず、だったら学校休むからねだと。。

一方のあーちゃん、親が居なくなった途端、えっなになに?
と言うほど、今度はじぃじにべったりくっつきまくり。
顔やおなかや手足など、触りまくりの、舐めまくりの、、
それを見たなおくん曰く、うわっ、きっもちワルーって。。

あーちゃん、じぃじとけっこんするーって。
うんうん、例え3歳児でも悪い気はしないぞ。
そのうち、突然気配がなくなったと思ったら、
すやすや寝てる。ふふふ、まだまだあかちゃんまんだよねー。

そして深夜、闇を切り裂く突然の号泣。
いやはや、なかなかどうして、たいした泣き方だよ、
でもこれぐらいでめげるじぃじではないぞ、、
とは言うものの、まだ初日だよ、トホホ。。。

朝が来て、小学校と幼稚園に送り出し、夕方にはお出迎え。
先ずは、なおくん、小学生のお見送り。じぃじが玄関前で
ふれーふれーって、言ったげようかと言うと、本気になって
恥ずかしいから絶対やめてって、怒る。





かさ、忘れ物だよーって、追いかけると、逃げる。
追いついてかさを渡す。もおっ、おっきな声で呼ばないでよ、だとさ。。

さて、こちらはあーちゃん。
今日は体操着で幼稚園。
いそげいそげ、朝からかけっこしーだよ。



今日は可愛い制服あーちゃん。
ちょっとおすましして幼稚園バスを待ちます。



幼稚園バスがきました。
突然おりこうさんに変身するあーちゃん。
え?いつもの甘えんぼあーちゃんはどこ行ったかなー?



そして夕方、そして夜。
昨日とおんなじ泣き笑い。
気丈にも、ずっとこのままでいいよ、だと。。
そりゃそうだ、二人とも、甘えるだけ甘え、
わがままし放題だもの。



でも、そんなこんなであっと言う間に時は過ぎ、
そして、親が帰ってくると、件のあーちゃん、
途端に手のひら返したように、じぃじとけっこんしない、
やっぱ、おかーさんとするー、だとさ。

まっ、じぃじなんてそんなもんだよね。。
そんなもんなのさ、、、
6月6日、東京有楽町のマレーシア政府観光局を訪問した。



晴海通りの裏手に面した千代田ビルの5階にあって、
WEB SITEのアクセスマップで簡単に辿りつける。



また、このビルの8階にはシンガポール政府観光局もあり、
なるほどねー、こんなことまで隣組なんだね、と感心(?)した。



入り口ドアを開けると、そこはやっぱり南国マレーシア、
のような明るく亜熱帯っぽい雰囲気のオフィス。

受付カウンターに誰も居なかったので、机上のベルを押すと、
奥の部屋から出でたるチャーミングな女性、きっとマレーシアの方かと思うが、
日本語は流暢でまったく違和感がない。

当方の矢つぎばやで不躾な質問にも、懇切丁寧かつチャーミングに応対していただいた。

それによると、先ず、MM2HのWEB SITEに明記されているinfo@mm2h.gov.myに
ついて、当方から何度メール送信しても通じないことを、送信記録のプリントを
呈示して説明すると、即座に「それは向こうがメンテナンス中だからです」と仰る。

えっ、たしかに、メンテナンスの件はWEB SITEにもお知らせがあったので、
その期間を避けて送信した筈。それに、メンテナンスはもう終了しているのでは?
と思ったが、しかし、件のチャーミングな方は、それ以上のことはご存知ない
ご様子。

続けて仰るには、メール不通の件は、他からも何度か質問を受けているとのことで、
現地担当者にも何回か伝えましたとのこと。

だとすれば、なぜ未だに不通なのかは解せないが、まぁ良しとしよう。
これも異文化のなせる技かも知れないのだ。

あっそうそう、メールだけでなく、WEB SITEのContactUsもまったく機能せず。
これがわが国政府や自治体などのWEB SITEだったら、非難轟々なのだろうが、
そこは南国マレーシア、もしそうだとしても誰もぶりぶり言わないぞ。

今から、脱日本人的感覚に慣れてしまえば、ヘッチャラチャーなのだ。

いろいろ細かいことやくだらんことを質問するものだから、
では現地担当者のメルアド教えましょうか?だって。
えっ? ヤッター、実は最初からそれをお願いしたかったのだ。

最後に、パスポートのブランクページのコピーの件、
これもよくある質問らしく、はいはい、ブランクも全部コピーで
お願いしますね。国によっては、ページの順番などお構いなしに、
開いたところに出入国スタンプ押されてしまうからねー、だって。

ふむふむ、なるほど、良く判りました。(笑)
2012.06.08 無犯罪証明書
MM2Hの申請に必要な無犯罪証明書について、WEB SITEの記述は、
7. Letter of Good Conduct from your relevant government agency ;
i) The police authority of the applicant’s home country; or
ii) The Embassy of the applicant’s home country based ...... (以下略)
とあり、なにか、最寄の警察署で簡単に発行してもらえるもののようだが、
とにかく調べてみようと検索したら、犯罪経歴証明書でいろいろヒットした。

それによれば、申請者在住の各都道府県の警察本部が事務取扱いを
行なうのだそうだ。

なので、早速山形県警察本部のHPへ。
そこで「犯罪経歴証明書申請手続きのご案内」をGETし、概ね理解はしたのだが、
申請に必要なものの念押しのため、HP末項にある「お問い合わせはこちらから」
からメールにて質問した。

すると翌日午前、県警本部鑑識課から自宅に電話があり、ご担当の方から
ご親切にもいろいろと教えていただいた。

いや驚いた、と言うか、例の馬国のメール不通やContactUsの機能不全で
少々脱日本人的感覚に慣れ親しみつつあったものだから、
この素早さ、丁寧さは、やはり、どこかの国とは決定的になにかが違うと、
あらためて考えさせられた。

ん? でも、だからと言って、べつに嫌いにはならないですよ、
のんびりおおらかマレーシア、いいところもいっぱいあると思うし。。。
しかし、いわゆる文化の違いってやつだろうけど、彼の国の人たちから見れば、
こんな日本人的几帳面さなんて、はなはだウザったいのだろうな。。

申請時に持参するものの中に、6ヶ月以内の住民票があるが、
実はこの件を質問して良かった。と言うのは、住民票の代わりに
運転免許証でも良いと教えていただいたからだ。

過日、山形市の県庁ビルの隣にある県警察本部に行ってきた。
建物は意外に簡素で、税金無駄遣いしてないねーと褒めてあげたいくらい。



受付で用件を述べ、簡単な手続きを済ませて3階の鑑識課へ。
先日電話で応対していただいた方と思うが、すぐ判っていただいて、
ほとんど無駄なく申請手続きができた。



最後に、指紋スキャナーで両手指の指紋を採取されて無事終了。
出来上がりは携帯にご連絡いただくことにして警察本部を後にした。

そして、申請日から予告どおりきっちり5日後、
できてますから、いつでも取りに来てくださいとのこと。

いやはや、安全安心とはこういうことも指すのだろうな、
わが日本国警察、頼もしい限りです。

早速受け取りに行ってきました。
えっ、これ開封しちゃいけないの?
ああそうか、それもそうだよね、中身書き変えられたら意味ないもんな。
でも、無犯罪証明書って、どんなものなのか、ブログにアップしようと
思っていたけどできないね。
じゃせめて、封筒だけでも載せとくよ、なんかの参考のため。
参考にもならないか、、





と言うことで、今日は、⑦無犯罪証明書 Letter of Good Conductの
申請と受領についてのリポートでした。おわり。
この3月末のハッピーリタイアメントで
毎日が日曜日の世界に突入し、行動範囲も飛躍的に拡大したが、
やはりこれは一番と思うことは、"計画即実行"が
ようやく可能になったことではなかろうか。

思い立ったが吉日と言うことわざもあるが、
しかし、実は、今日は吉日と言う話ではない。

先日、私の知己朋友、いや知己朋友などと言ったら大変失礼である。
独身時代から親しくして頂いている、かつての職場の先輩から
突然の電話を受けた。

いつものごとく、一杯飲もう、上京して来い、との仰せかと思いきや、
「おまえ、向こうにはいつ発つのだ?」とのこと。
この冬が来る前にと考え準備していることを説明すると、
「ではもう会えないかも知れないな」と異なことを仰る。

訳を聞くと、ちょっと前から入院中とのこと。
癌が見つかって治療を開始した由、いや、まったく驚いた。
あれだけ頑丈で、病などとはまったく無縁の人と思っていた。

九州男児で古武士然とした氏とは、昔、激しく武道を競いあったり、
仕事で何度かハワイにもご一緒したり、多くの思い出がある。

そして連日酒を酌み交わし、仕事のことでも真剣に議論した。
部下や後輩の指導にあたっては、常に嫌われ役に徹していたが、
氏の現場力に裏打ちされた識見はまさに敬服に値した。

その先輩が病に伏していると言う。
今後のことは不明だと言うが、先輩の胸中察するに余りある。
そこで、即日は叶わなかったが、昨日、他の用事もあって上京できたため、
今日、病院に先輩を見舞ってきた。



国立がん研究センター中央病院は、東京築地の朝日新聞本社の隣にあり、
周囲や建物の面影はまったくないが、過去にも見舞いに訪れたことがある。
病院建物は素晴らしくきれいで、流石、わが国最高峰の医療施設に相応しい。

病院で久方振りにお会いした奥様からも、いろいろお話を伺った。
投薬のせいで体力が落ちているとのことだったが、
お見かけする限り、仰るほどやつれてはいないことにやや安堵した。

が、やはり、今まで大変無理して来られたことが、原因なのではないか、
それと私自身も耳が痛いが、医者嫌いにも一因があるかも知れない。
しかし、適切な治療を受ければ完治も不可能ではないと聞くし、
治療に専念し一日も早くご快癒されて、また、ともに酒を酌み、
時代の行く末を案じて議論を尽くしたい。

帰りがてら、「見舞いになぞ来なくて良いぞ」と電話口で強く言われたことを
ふと思い出したが、やっぱり来て良かった。

かつて毎日の通勤路線であった地下鉄日比谷線、その築地駅に至る道すがら、
先輩や仲間たちと、ともに懸命に過ごした六本木勤務時代が懐かしい、
そんな昔日を思い起こしながら、必ずや快癒すると念じつつ帰途に着いた。