多感な少年時代を共に過ごした古い仲間たちが、遥々訪ねて来てくれました。
既に50年も前のこと、酒田での高校時代の部活仲間たちです。

"多感な時代、勉学との両立に悩み苦しみ、練習は辛く厳しかった。
しかし、皆が支えあって、あの辛さや厳しさを耐え抜いた。
だからこそ、仲間同士の信頼や団結は半世紀後の今でも変わりない。"

これは2012.6.14付けのブログ記事「供養と語らい」の一節ですが、まさにこのことを肌で感じたひとときでした。

しかし不思議なものですね。あれから半世紀以上も経つと言うのに、そしてその間、碌に音信も交わしていないと言うのに、会った途端に当時の信頼関係や団結心が蘇るのです。まさに時空を超えた、なんとも不思議な感覚です。

よくぞ来てくれました。真冬の日本(※)から真夏のマレーシアへ、気温差最大40度、最長5,800kmもの長旅はさぞ辛かったことでしょう。(※今回の仲間たちは4名が山形庄内から、各1名が新潟、千葉、神奈川からの計7名でした)

迎えうつ私としても真剣でした。みな、古希を迎えんとするシニアです。どうすれば楽しく安全な旅行ができるかに腐心しました。

しかし結果オーライでした。何事もなく無事に、そしてみな初のマレーシア旅行を楽しんでくれて、私としては本望でした。

旅のあらまし、これはいつもとさほど変わりありませんが、今回は節約のため日本語ガイドなしです。その代わり私がドライバーとの打ち合わせ、現地での諸調整、レストランの予約、会計などなど、もちろんできる限りの観光案内も努めたつもりです。

もちろん結果オーライです。みなも喜んでくれました(と私は思っています)。しかし正直言ってかなり疲れました。無事に終えて安堵し、家に帰ってそのままバタンキューでした。まどろみながらほぼ一昼夜に渡り寝込んでしまいました。

目が覚めて、あらためて今回の戦利品(失礼、つい本音が出ました)に嬉しい悲鳴を上げました。前回も同じようなことをブログに披露しましたので二番煎じではあるのですが(そして、おいおいまたかよ、と言うようなうんざり声が聞こえてきそうですが)、私としては掛け値なしに嬉しい悲鳴ですので、あえてご披露させていただきます。

今後訪ね来るであろう仲間たちにプレッシャーをかけるつもりは毛頭ありませんが、見てください、この嬉しい土産物の数々。

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これ別に自慢しているわけではありませんし、見せびらかしているわけでもありません。

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もちろん酒あり、焼酎あり、梅酒あり、米あり、もち米あり、丸餅あり、納豆あり、ラーメンあり、漬物あり、そして当地では高価で買えない乾き物あり、です。

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早速、ホテルの部屋で懐かしいワラビの醤油漬け、大根と茄子の味噌漬けを酒のつまみでいただきましたが、たまらなく懐かしい味です。

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こんなことを書いていると、なんと卑しく浅ましい男かと思われそうですね。でも、本当に美味しくて、たまらなく嬉しいのです。遠く離れてみて、改めて感じる故郷の良さ、日本の良さなんです。

前回もそうだったんですけど、今回も同じ。ちょっとは期待していたものの、まさかこんなにどっさり皆が担いでくるとは思わなんだ。空港のカスタムを冷や冷やしながら通ってきたみなさん、本当に感謝、感激、雨あられです。

家に帰ってつや姫を炊いてみました。炊き上がりのふっくらご飯、早速鮭おにぎりでいただきました。美味しかったことは言うまでもありませんが、日本産品の質の高さを感じるこんなことにも気付かされました。

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どんなことかと言うと、些細なことなのですが、2合(300g)との容量(重量)表示に寸分の狂いもありませんでした。と言うのは、私は毎朝ご飯を炊くとき、タニタのデジタルキッチンメーターでグラム数をきっちり計るのですが、当地の米の大半は表示重量よりもかなり少なく入ってる、米だけじゃなくて何でも大概はそうなので、看板に嘘偽りありの国だなぁといつも不満に思っているのです。

レストランのメニューだってそうでしょう。メニューの写真と実物が違いすぎる。こんなこと日本ではあり得ないでしょう。

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ところが、このパッケージは表示どおりの300g、念のため、袋から出して中味だけ計ってみても同じでした。 (いやこんなことを書くと、細かい奴だなぁと思われるかもしれませんね。確かにある意味細かくてしつこいのですが、全体としては大雑把でいい加減な性格なんです。ちなみにAB型です) こんな些細なところにも日本産品の質の高さを感じて、悪い気はしませんでしたね。

家に帰ってきて、次にしたことがこれ。みぞれ酒なるものを呑んでみました。これは京都の酒蔵の酒のようですが、みぞれ酒のネーミングに惹かれました。年中汗の滴る熱い国で呑むみぞれ酒、これまたいいんじゃネ、なんて言いながら、グラスの中の凍った酒が徐々に氷解していく様を楽しみました。

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そして、コレが呑み時の、純米吟醸みぞれ酒です。くーぅ、冷たい、美味い。。

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あはは、マレーシア在住の呑み助諸君、ほら、あなたのことですよ。。今度一緒に呑んで見ませんか。。もちろん数に限りがありますのでお申し込みはお早めにどうぞ。。あっはっはー。。



さて次なる話題は、マレーシアのなんちゃって日本料理のことです。ご存知のとおり、このKLには山ほどあるなんちゃって日本料理店、日本料理のようで日本料理でない、ラーメンのようでラーメンでない、お寿司のようでお寿司でない、蕎麦のようで蕎麦でない、鉄板焼きのようで鉄板焼きでない・・・・・、数え上げればキリがありませんが、こんななんちゃって日本料理店、もちろん日本人の料理人がいるわけではありません。

それどころか、本物の日本料理を口にしたことのない、ローカルの素人さんが見よう見まねで造る、これぞまさしくホンモノの創作日本料理、今回もあるところで発見しました。

↓これなに?って誰もが思いますね。天婦羅の提灯看板がさかさまになってる。なんか意味があるんだろうか?としばし考えてしまいました。

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ここ、何処だと思いますか?驚くなかれ、政界要人なども頻繁に利用することで有名なあのファイブスターホテル、ホテル・ロイヤル・チュランですよ。

普段はとっても行けない高級レストランだと思って、今まで近づいていなかったのですが、今回は遥々日本からやってきた私の大事な古い仲間たちのため、ちょっと奮発してみたのです。

ホテル内のワリサン・カフェと言う、トリップアドバイザーでもダントツに高評価を得ているブッフェレストランです。

そこの日本食コーナーでのことです。先ずは見て下さい、にぎり寿司コーナーで発見した奇妙なもの、これどう見てもイチゴですよね。

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おー、やっぱりイチゴだ。。イチゴ握りなんて、なんと発想豊かなシェフだこと。。でもこんなのが美味い訳ないっしょ?

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次なる奇妙奇天烈な提灯看板、仲間の一人、オヤジギャグ好きのK・Y君が発見しました。面、メン、めん・・・・・・・・・・・・・

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おーっ、麺コーナーだ。なんと判じ物のようなこの提灯、これ、ワザとか?

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さっきの逆さま提灯と言い、あまりにもフザケタ提灯看板なので、ちょっと真意を聞いてみようと思いましたが、その前に大好きな茶蕎麦、いや手始めにピンクソーメンを食してみようと、延びて乾ききったようなピンクソーメンを皿に盛り、目の前の怪しげなツユをお椀に入れて・・・・・・

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ウェッ、チョマズだ。。ツユが薄い味噌汁のようで、それになぜかチョー酸っぱい。。これはソーメンのツユじゃない。。

カウンター内の女性に、ソーメンのツユはどれなの?と聞いたら、それで間違いない、と言う。えっ?これ酸っぱいぞ、と言うと、いや酸っぱくないよ、酸っぱいのはピンクソーメンだよ、と言う。

え、え、え?ソーメンが酸っぱい?なんで?とさらに突っ込むと、"だって、麺をピンクにするためにこの梅干と一緒に茹でたから"と真顔で言う。え、え、えーっ、ソーメンを梅干と一緒に茹でたの?色つけるために?

コレ、その辺の汚いショップロットのなんちゃってジャパニーズレストランのお話ではありませんぞ。ファイブスターホテルの高級レストランで本当にあった噴飯もののお話です。

何ということだ、これじゃ日本食が穢れる、創作日本料理というには度が過ぎる。

と言うことで、このひねくれ団塊爺、カウンター内の女性にシェフを呼んで来させ、提灯のことも併せてみっちりと口説いて来ましたが、果たして改善するかどうかは分かりません。神妙な面持ちで聞いてくれはしましたが、二人ともレイジーで有名なマレー系です。結果を見るには日を改めてもう一度行く必要がありますが、とてもとても高いお金を出してまで行く気には毛頭なりません。



今日は、古い仲間たちのことを綴るつもりでいたのですが、旅のあらましを順を追って書き始めてはみたものの、変わり映えのしない二番煎じばかりなので途中で止めました。

看板(タイトル)に偽りありとしかられるかも知れませんが、今日のところはこれでご勘弁を願いたいと思います。

それではまた。。


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今回はいよいよ爺軍団シリーズ最終回です。

3月16日(日)、ツアー3日目(最終日)は以前このブログでもリポートした新行政都市「プトラジャヤ」を巡りました。

ところがその日は朝からどんよりした曇り空、と言うよりヘイズなのか濃霧なのかも判然としない悪視程です。

そのうち雨がぱらついてきて、いやぁ、なんと言うことでしょう。ここ2ヶ月も雨が降らず、首都圏全域で給水制限が始まった程だと言うのに、よりによってこんな日に突然雨ですよ。

そして、バスがKLを離れプトラジャヤに近づくに連れ、雨脚は次第に強くなり視界も益々落ちてきました。これじゃぁ、あの綺麗なプトラジャヤの街並みも雨に煙るし、特にレイククルーズなんてまったく期待できないよ。。シワガレ爺軍団のこれまでの悪運もようやくこれで尽きたのかとマジに思いました。

まぁ、しょーがない、なるよーになる、なるよーにしかならない、などと意味不明のつぶやきをしているうちにプトラジャヤに着きました。

最初は、Seri Perdana Malaysia(The official residence of the Prime Minister of Malaysia)、つまり、マレーシア首相公邸です。

ここが首相公邸の入り口ゲートなのですが、「着いたぞ、爺どもさぁ降りろ」とガイドに言われても(ウソですよ)、なんせ雨は降ってるし視界は悪いしで、嫌々渋々、とっても動きの鈍いシワガレ軍団です。

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↑これは雨が小止みになった一瞬をついて撮った写真なのでかなり薄暗くボケた感じなのですが、天気が良ければ実は↓こうなる筈だったんです。

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そして、天気が良ければ、首相公邸の全景が実は↓こう見えたはずなんです。

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おぉーっ、流石だぜ・・・・と、軍団にため息ついてもらいたかったのですが、今日はそれは無理。
でもこうして見ると、迎賓館みたいな役割もある首相公邸ですから、流石に流麗なシロモノですよねぇ。。

実は私、ちょっと前まで勘違いしてました。例のピンクモスクの横にある↓この建物が首相官邸かと思ってました。

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こっちは、Pejabat Perdana Menteri Malaysia(Prime Minister's office of Malaysia)、つまり首相府なんですね。

なお、どっちの建物にも若草色のタマネギ型のドームが乗っかってますが、あのドームの中には何があるんですか?なんて、くだらないことをガイドさんに質問したりしてね。ガイドさん曰く、さぁ、なんにもないんじゃないですかって・・・(つまらないこと聞かないでよって顔してました)

またまたついでに、このタマネギドームの役割はなんなのだろうって不思議に思ったりしてね。単に、イスラム建築だからだよ、なんて面倒くさそうに言わないで下さいよ。あのかたち、絶対理由があるよね。宗教的なものなのか、はたまた科学的なものなのか。軍団の誰かが、あれは空気を循環させて建物内を涼しくさせるんだよ、なんて適当なことを言ってましたけど、意外と正解だったりしてね。。

この後、例のピンクモスク=プトラモスクを見学したのですが、この頃にはようやく雨も上がってきて湖も結構遠くまで見えるようになってきました。

ピンクモスク見学の件は特記することもないので省きますが、普段はまるで不真面目に崩れ落ちた顔なのに、こう言う時だけはみな一見真面目そうで神妙な面持ちになるんですね。(笑)

で、ピンクモスクの後は、いよいよレーククルーズとなる訳ですが、とうとう悪運尽きたかなと覚悟していたのに流石はゾンビ軍団、ようやく雨も上がって、またぞろ這い上がってきましたよ。

でも、↓これは以前訪れた時の、天気が良い時の写真です。とてもこんなにすっきりとは行かなかったのでこの写真をアップしたのですが、この写真左側に見えているプトラ橋の下に、レーククルーズ乗船場があります。

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ここがクルーズ船乗り場です。

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実は↓これもこの前の天気の良い時に撮った写真なのですが、ピンクモスクのほうから見るとこんな感じだった筈です。

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で、船の中はと言いますと、これがガラガラ。ま、朝から天気も良くなかったのでさもありなんなのですが、ほら見て下さい、この船の中、我々爺軍団のほかには、若い女性の二人連れだけです。なので席も自由自在、全員窓際シートに陣取ってさぁ出航です。ところで、この船の椅子って、どこかのホテルの宴会場の椅子みたいですよね、床に固定されてなくて、自由にアレンジできるようです。(そう言えばこの中でバンケットやってた写真を見たことがあります)

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ぷっ、↓この写真、ちょっと変じゃないですか?館長さん、変に真面目に気取っていませんか?そう言えば思い出しましたけど、これって、あの若い女性の二人連れに撮って貰った写真ですよね。偶然にもあの二人連れ、旅行中の日本の大学生と言うことでしたが、この館長さん、その子たちと写真撮ったり撮られたり、結構盛り上がってましたけど、まぁまぁ、こんなに気取っちゃって、一体どうしちゃったんでしょうね。ニヤ(・∀・)ニヤ

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雨もすっかり上がってなかなかいい感じになってきました。湖の真ん中から見るプトラジャヤの街並みももちろんVery Goodです。

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↑これは、どういう訳か工事が途中でストップしているモノレールサスペンションブリッジです。昨日(2014年4月12日)のローカルテレビニュースで最終的にはKLからこのプトラジャヤまで延伸するMRT計画の政府承認が得られたと言ってましたが、このモノレールはどうなるんでしょうね。

雲も次第にとれてきて、少し風も出てきました。船の乗客全員(と言っても我々軍団と例の女の子二人だけですが)がデッキに出て、雨上がりの気持ちの良い風を受けながら、そしてワイワイ楽しい会話をしながらレーククルーズを楽しむことができました。やっぱりシワガレ爺軍団はなぜか運が強い。もっともあの子たちは「このやけに馴れ馴れしいクソ爺たち一体なんなのよ、最悪!!」って心の中でそう思ってたに違いありませんけど。。

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クルーズボートから降りたら次はランチタイムです。

今日のランチは、プトラ広場の直ぐ下にあるSelera Putraのフードコートにあるシーフードレストランです。
↓実は、私はこのナシカンダルレストランでランチするんだとずっと前から決めてました。

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ナシカンダル(Nasi Kandar)とは元々は南インドの料理だそうで、ナシレマ(ココナツミルクで炊いた白飯)やナシゴレン(チャーハン)と、シーフードのディープフライや野菜を大皿に盛ってもらい、それに各種香辛料入りのカレーをかけて食べるアレですけど、、、、

↓この超ビッグな伊勢えびみたいなやつ、憶えていますか?

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↓この写真で分かったでしょう?以前のこのブログに載せた、そう、ここではちょっと有名なナシカンダルの陽気なおにいさんです。

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この前ここに来た時、朝からこんなにビッグなエビにかぶりついてるチャイニーズのオッサンやオバチャンたちを見て、ビックリしながら涎垂らしてたもんですが、プライスリストを見てまたまたビックリ。

た、高い、一匹なんと40リンギ弱。。。。ふぅーと溜め息ついてこの前はすごすご退散したのです。

よぉーし、今度ここに来たらリベンジだ、絶対そう思ってました。そして絶好のチャンス到来、こんな時ぐらい少々贅沢してもイイだろうと、そう考えてました。

なんせ今回ツアーの企画はこの私。なんでも自由に采配できる。へへん、どんなもんだぜ、軍団にも最初に説明しました。今回ツアーはグルメツアーだ、でっかいエビとか期待してもらってもいいぜ、なんてことみんなに吹いてました。

さあ、そして遂にその時がきたのです。先ず私がひととおり見本を見せて軍団メンバーに注文の仕方を説明します、心配無用、言葉まったく要らない、黙って指させば皿にのっけてくれるからって。。。

そして、次から次に、順番にオーダー開始する軍団の面々です・・・・・・・・・・

し、しかし、そのことが間違いだったということに後で気がつきました。

会計係の私はレジのところで鷹揚に構えてたのですが、レジうちのオニイサンが次から次に打ち出すプライスを見てビックリ、えっ?なんでこんなに高いの?こ、これって予算オーバーじゃん。。

でも、一旦皿に盛ったものを返せとは言えません。止むを得ずやりくりしましたが、テーブルに戻って軍団の大皿を見て直ぐ合点が行きました。

↓これはまだ盛りの少ない皿のほうです。でも見て下さい、エビではなくカニですよね(カニはエビより高い)。そして良く見ると分かるのですが右の方にはイカ、中央の下には実はエビも隠れているんです。

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そう言えばエビ一匹だけにしてね、なんてオレ一言も言ってないもんな。「指さしたらアレもコレもって盛ってくれるから、そんなに要らないって言いたかったんだけど、言葉要らない、指だけって言われたから、それじゃなくてコレだよコレって指さしたつもりが、結局大エビふたつととカニとイカがひとつずつと、それになんか知らないけどいろいろのっけてくれたんだよなー、こんなに食える訳ないよなー」なんて恐ろしい会話をしてるメンバーもいたりして、それを聞いた私は・・・・ただただ沈黙あるのみでした。。

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イヤイヤ、恐れ入りました。ちなみにこの食事代〆て1000リンギ弱、いや、KLCCあたりの綺麗なレストランでなら話は分かるのですが、ここってどちらか言うとファーストフード店ですよ。ナシカンダルって言えば安くご飯食べられるところって有名だっうのにね。。。(-_-;)

しかしこの国って、はっきり言ってアルコールとシーフードは安くないですよね。大エビとかカニとかイカって目玉が飛び出るくらい高いのに、軍団の面々はその変ちっとも分かってない、って言うより私が説明しなかったのが悪かった。ハイハイそのとおりです、ちょっと反省です。

そうこうしているうちに、なんだか知らないけど我々のテーブルの周りに人だかりができてきました。な、なんだこれ?って面々が目を白黒させていると、周りの人たち、訳の分からない中国語を大声で喋りながら、その中のおばちゃんたちが我々の写真を撮り始めたではありませんか。。

ど、どうして???オレたちなんか変なことしてるのか?と言いつつも、カメラに向ってVサインやポーズを決めたりしているわが面々(どうしてこうなんでしょうね、ちょっとは恥ずかしいとか思わないのですかね)。でもあっちのおばちゃんたちもアハハハと笑いながら我々の写真をパチパチ撮ってる。こっちも訳が分からないけどアハハハと笑い返してる。。

いや、冷や汗がでてきましたけど、これ・・・思うに、こんな値の張るものを豪快に(普通はエビ一匹をファミリーでシェアするのがせいぜいらしい)食ってるわがシワガレ爺軍団が目立ったんでしょうね。まるで世界珍百景でも発見したかのように思われたのではないかと思います。

そう言えば周りを見るとみんなファミリーやカップルでエビ一匹をシェアしてる・・・はは、こんな食い方してるの、オレたちだけ・・・。

でも、たまにはこんなこともあっていいじゃないですか。。これって立派な旅の思い出ですよね。


さあ、次はどこ、これはどこ???

そうそう、ランチの後にピンクモスクの真下あたりにあるドリアンショップに行ったんですよね。

えっ?↓この写真に見憶えあるって?ブ、ブー、それ違いますよ。多分それはこのYちゃんがマラッカで食ったジャックフルーツの写真(このブログの最後に出してます)ですよ。

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だけど↓このドリアンってどうよ?果物の王様って言われているけど、私は未だにあの臭いには慣れません。

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こちらに来て、このドリアン、きっと5回ぐらい口にしたと思います。ドリアン好きな日本人の方たちからは、3回食べればきっと好きになると言われたのですが、私の場合はどうしてもあの臭いがダメでした。好きな人は臭いではなくて匂いだって言いますけど、私にはやっぱり臭いです。

ドロリとした食感と強烈な甘みも、私にとってこれは美味しいと感じるものでもないし、なにより口の中や吐く息にあの臭いがいつまでも残るのはイヤ、そう思っているのです。なんて、こんなことを書くと周りにたくさんいるドリアン愛好家の人たちに怒られそうですが、趣味や嗜好は十人十色、まぁ許してつかぁさい。

それでですね、この国にはドリアン食品がいろいろあるんですよ。
例えば↓この真ん中のドリアンアイスバー。ある時、眼鏡をかけてなくて何が書いてあるか読めなかったせいで、このアイスを買ってしまい、ガブリ(私の場合はペロリではない)と口にして、ん、これはナニっ?と吐き出してしまいました。

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それから、この国ではどこでも売ってるドリアンチョコ、↓これだっておんなじ、やっぱり食べた後に残るニオイがダメ。ちなみに、その右は唐辛子チョコ、その右がカレーチョコです。私はどれも決して買いませんけど。

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まだありますよ、↓ドリアンコーヒー。珈琲ってカオリを楽しむものじゃないですか、なのにドリアンだなんて信じられないのですが、あんまりドリアンの悪口ばかり書いてるとドリアン愛好者から闇討ちされるかも知れないのでこの辺で止めときます。

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さて、プトラジャヤの次なる見どころはあの長大な通称プトラ通り(Persiaran Perdana)になる訳ですが、ここはバスで通過しながらガイドさんの説明を聞きました。写真は以前のブログでも掲載していますので省略させて貰います。

そして大通りの南の端にある↓ここプトラジャヤ国際会議場に行きました。
ここはちょっと小高い丘になっていて、その丘の上からは大通りの反対方向を見渡すことができます。

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これが、反対方向、つまり北側を見通した写真ですが、直線道路のはるか彼方に首相府が見えているのがお分かりですか?

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この直線道路の長さが約4km、と言うと大体大きな国際空港の滑走路の長さとほぼ同じです。そうなんですね、日本の成田空港や関西空港の主滑走路も4km滑走路ですし、今話題のKLIAなどは現在4kmが2本、今回更に4kmがもう1本建設されましたから計3本になりましたが、空港ってこんなに広く長いんだってことを改めて実感したりして、それにしても人間の脳内物差しっていつまでも過去の記憶や経験に引きづられているんですね。

そして↓これが本ツアー最後のシワガレ爺軍団の集合写真です。お天気は高曇りですが、風も止まり暑くてたまらないので、ほとんど皆年相応にバテテます。

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そして周りの見学もそそくさと終えて、皆バスに戻ってきましたが、ガイドさん曰く「えーっと、これでプトラジャヤの見学コースは終わりですが、時間も余ってますのでどこか行ってみたいところはないですか?」。

これに即反応したのが普段から趣味で農作業に明け暮れているHさん。「どっ、どこか、畑とか田んぼとかつれてってもらえませんか?ワシ、そう言うのがシュミじゃけん」、するとガイドさん「じゃ果樹園はどうですか?」って。

「おーっ、果樹園かい?うん、そこ絶対行きたい」と返すHさん。かくしてシワガレ爺軍団ご一行様のプトラジャヤ最後のツアーは、↓ここTaman Warisan Heritage(農業遺産公園←直訳)となった訳です。

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そこは意外に近くてまもなく到着しました。ところがバスを降りてみるとムッとする熱気。雲もすっかり取れて青空をバックに太陽が容赦なく照りつけています。

そして見たところ、この果樹園、結構な山の斜面に作られているようで、ええーっ、この広大な山の斜面を登り下りするのかい?この熱さで熱中症になっちゃうよ、とみんなウンザリ。一人Hさんだけが張り切ってました。

そしてまもなく通風病みの館長さん「オ、オレ、足痛いから」といち抜けました。

でも、残りのシワガレ面々、これが最後だからエネルギーを全部使い切るかと覚悟して、ゲートをくぐったのです。

しかし、平坦な路をちょっと歩いてさぁ坂道にとりかかろうかとすると、なんと↓こんなものがあったのです。

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なんだ、歩かなくてもいいんだ、しかしその時既に遅し、いち抜け館長さんの姿は見えませんでした。

かくして館長さんを除く軍団面々は、ちっとも坂道を歩くことなく楽々とアップダウンの多い広大な果樹園(農業公園?)
を十分楽しみながら廻れたというわけです。館長さん、そう言うことだったのです。悪しからず・・・・

そして、特に農作業が趣味のHさんを大喜びさせたのが↓コレです。

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そう、これはジャックッフルーツの木です。

でもこれには一同ビックリです。最大20kgにもなるというこのジャックフルーツってこんな風に木からぶら下がっているんですね。ちょっと微笑ましくなってしまいました。

ジャックフルーツってタテ半分に割るとこんな感じです。

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なお、ヨコに割るとこんな風です。

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↓この写真憶えていますよね?そう、このブログのマラッカツアー編でアップした「ジャックフルーツを食らう」の写真です。

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↑彼、Yちゃんですが、なんにでも興味津々、今回もひとりでドリアンとかこのジャックフルーツ買って来ては、旨い旨いと食べてました。

と言うことで、プトラジャヤツアーはこれを持って無事に終了し予定どおりにKLに帰ってきました。

その後、面々のバッゲージをホテルに預け、お土産などを物色し併せて最後の晩餐をしようと向ったのがKLパビリオンだったのです。

そして、その途上、偶然にも国緊隊の若者たちと遭遇した件(くだり)はシリーズのその3に綴りました。

さて、最後の晩餐はここパビリオン6Fにあるディン・タイ・フォン(Din Tai Fung)です。

このレストランは東京や横浜などにも多く出店している台湾料理店ですが、特にここの「小籠包(ショウロンポウ)」が美味しくて有名なお店です。

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これです、これがこの店の看板メニューの小籠包です。

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付けあわせで付いて来る細切りジンジャーの小皿にお醤油とブラックビネガー、それにお好みでチリオイルを混ぜたディップソースをちょっと浸して食べるのですが、特に中の肉汁がたまらなく美味。

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レンゲにこの小籠包を乗せて、ちょっと箸でつっついて皮を破り肉汁を啜る、これってたまらないですよね。

なんてこと言ったりして、グルメツアーの最後は私の大好きな小籠包で〆てもらいました。

ただ、軍団のほとんどの面々が宇都宮在住と言うことをすっかり失念してましたので、あるいは「宇都宮餃子のほうが旨い」なんて思った人がいるかも知れませんが、まぁ万人に好かれる小籠包と言うことでご容赦願いたいと思います。

なお、この最後の晩餐では、喉越しの良い冷えたタイガービールを飲み干すたびに、今回ツアーの思い出話に花が咲き、次第に昔の青年時代にタイムスリップしてゆく不思議な感覚を覚えました。皆の顔が活き活きとした青年の顔に戻り、皆尭舌に議論している、昔はそんな時代もあったなーなんて思ってしまいました。

この後、私は、軍団をホテルまで迎えに来たトラベル会社手配のバスに乗って、予定通りにKLIAに出発するのを一人静かに見送りましたが、寂しい想いをじっと堪えてました。

またいつか会いたいね、会って昔話やこのマレーシアツアーの思い出話をしながら楽しく飲みたい。そして顔がシワガレてもいい、みんな出来る限り世の中に迷惑掛けない程度に長生きして頑張ろうよ、そう心に念じながら愛車に日本酒やおつまみ類の戦利品(これは思惑どおりどっさり残ってウホホでした)を満載してブキビンタンを後にしました。

以上で、シワガレ爺軍団のマレーシアツアー編を終ります。

長々と綴ってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方、そして途中何度も励ましいただいた方たち、本当にありがとうございました。

さて、前回の爺軍団シリーズその3では、国緊隊の若者たちとの出会いのお話を番外編として綴りましたので、シワガレ爺軍団のツアーリポートとしては、これが実質的な第3弾になります。

ツアー2日目、3月15日(土)はKL市内及び近郊を巡りました。

爺軍団ご一行様はこの日の朝も全員得意の早起きですこぶる快調、中には朝メシに近くのローカルインディアンレストランを探訪したツワモノもいたりして、ギャースカギャースカ、田舎の修学旅行生よろしく朝から大変賑やかです。

そして、今日のツアーは夕べの約束どおり、シワガレ爺グループに願ってもない紅一点が混じります。この女性(D女史)にいろいろお話を伺ううち、なかなか聡明かつ勇気のある方とお見受けしましたが、こんなむさ苦しい爺グループの中にひとり混じっていただき本当にありがとうございます。

でも、予想外のこの展開に爺軍団全員、昨日に増してハイテンションになっています。あまり張り切り過ぎて誰か途中で倒れたりしないか少々心配です。

さぁそれでは元気に出発しましょう。今日はラッキーなことにあの嫌なヘイズもとれて見事な青空が見えています。

先ずやってきたのは、KL郊外にあるインド洞窟寺院(バトゥケイブ=BATU CAVE)です。

実を言うと、ここは私も初めてのところです。私の住まいからそう遠くないところにある人気の観光地なのですが、そのうち行ってみようと思いつつも、今日まで足を運んでいませんでした。

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バトゥケイブに着いて先ず目につくのが、洞窟入り口への階段わきで参拝客を見下ろす巨大な金色のムルガン神です。

そしてムルガン神の横には岩山の洞窟寺院に登る272段の階段があります。下から見上げるとこんな感じです。

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まだ時間が早いので陽も高くなく、直射日光を受けずに登り下りできそうなので、痛風病みも含めて軍団全員ゆっくりと登ります。階段の途中には親子ザルがうるさいほどいましたが、我々爺軍団は猿など見向きもせず、そして、猿に見向きもされずただひたすら登り、難なく巨大洞窟に到着です。おおーっ、なかなかいい感じじゃん。私もお世辞ではなくそう思いました。

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洞窟(鍾乳洞)内はライトアップされ、お祈りの音楽も流れてい幻想的な感じ、空気もひんやりしていて汗ばむ肌に心地よいです。

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ARCHANAIとはタミール語で参拝の意、この通路は毎年1~2月に行われるタイプーサンと言うヒンズー教徒のお祭りのときなどには身動きできないほどの人混みの中、この参拝路を伝って本殿へと進むのだそうです。

洞窟寺院の本殿です。この日もかなりの信者が集い、ヒンズー教の僧侶が独特の音色の伴奏に併せて祈祷中でした。

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軍団の祖国日本においては、このようなヒンズー教のお祈りなど見る機会がないものだから、ほれ、このとおり見事に口をあんぐり開けて(と言っても後ろからは見えませんが)見入っていました。

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さて、次に訪れたのは、定番のロイヤルスランゴールのピューター(錫鋳物製品)工場です。

これは、ホントかどうか世界一のビールジョッキだそうですが、こう言う場面では常に前に出る、昔は気鋭の剣士、今は通風病みの(剣道場の)館長さんです。(笑)

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マレーシアはかつて世界最大の錫の生産地だったそうで、今でもかつての露天掘りの大きな穴と言うか大きく凹んだ跡地が、KL近郊を含めいたるところにあり、そのほとんどは人口池などに様変わりしていますが、往時を偲ぶことができます。

そう言えば、去年の夏、孫たちと訪れたサンウゥイラグーンの巨大プールなどのレジャー施設もこの錫の露天掘り跡地に造られたと聞きました。

このロイヤルスランゴールの工場ではピューターの製造工程などを見学、途中専属ガイドさんにおだてられて、ピューターの模様刻印打ち?にトライする軍団のメンバーです。

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ガイドさんに「ジョーズ、ジョーズ!」などと褒められていましたが、あれははっきり言ってお上手(お世辞)です。(´v`)ニィ

さてさて、このピューター工場には製品の展示即売コーナーなどもあって、軍団の面々は、これカミさんに、などと面映そうに言いながらもしっかりと高価な製品を買い込んでいました。でも、ここはどこかのお土産屋さんと違って、売り子がうるさくないからいいですね。

工場見学を終えて外に出てくると、朝の涼しさはどこへやら、苦しいくらいの熱さが戻っていました。でも、バスの中はしっかり冷房が効いていてとても快適。次なるBeryl'sチョコレートキングダムに向います。

さぁ着きました、ここがBeryl's Chocolate Kingdomです。ここはいつも観光客などのお客さんで溢れています。

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実は、私はいつもマレーシアの(日本への)お土産は何がいいだろうと、人に聞かれたり自分でも悩んだりしていますが、はっきり言ってろくなものがありません。(本当は知らないだけなのかも知れませんが)せいぜい、ボーティとか、ドライマンゴーとか、チョコレートぐらいなもんです。

で、そのうちのチョコレートですが、実はこれがお勧め、私のお気に入りがあるんですよ。て言うか発見したんですよ。それがこれです。エスプレッソコーヒーチョコです。

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コーヒー豆にブラックチョコをコーティングしたもので、ほろ苦さの中に強烈なコーヒーの香りが口いっぱいに広がる逸品です。男のチョコって感じで特にお気に入りです。(私は実は甘辛両刀使いなのです、チョコアイスとかも大好きなのです)

今回の軍団の面々のお土産に良かれと思い、わざわざ立ち寄ってもらったこのキングダムですが、D女史を含むグループの面々、勧められるがままに大量買いしてましたね。

さて次はその近くのバティック工場に行きます。

バティック(Batik)とは、ろうけつ染め布地のことですが、軍団面々、もちろんそんなものに興味があろうはずがありません。ここはツアー企画時にどうしようか迷ったのですが、ツアー会社の勧めで渋々取り入れたところです。

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おっ、でもこれMH370の無事を祈るバティックですよ。これもちゃんとろうけつ染めで描いてありました。

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ガイドさんの説明なぞ聞いてもしょうがないから、一応写真でもとカメラを構える軍団メンバーです。

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さて、次はどこ?まだちょっとお昼ご飯まで時間があるからKLタワーを先にやっつけることにしました。ガイドさんと私が相談して決めました。

この写真は、この日の朝、軍団のメンバーのホテルの部屋から撮影したものです。これから、あの展望台に昇ります。

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はい、もうやって来ました、ここが展望台です。D女史を含む総勢10名の記念撮影です。実はヘイズで何も見えないかも知れないと心配していたのですが、ヘイズもすっかりとれていて四周が綺麗に見えました。こうやって見ると、以前中学のクラス会の面々と東京タワーに昇ったことを思い出しますね。あの時は雨で何も見えなかったことを思えば、今回はとてもラッキーでした。

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そして、展望台からの下りのエレベータでのことです。上の階から降りてきたエレベータのドアが開いて、さぁ乗り込もうとしたとき、既に中に乗っていたどこぞの客がなにやら仰ったそうです。後に居た私には聞こえなかったのですが、前列の軍団メンバー、乗り込んだあと、なにやら挙動不審です。

なにモソモソしてんだよって、聞いたら、「なんかオレ金落としたようなんだ、さっき、コインダウンって言われたし」「・・・・・・」、おいそれ「Going down」じゃないか?「下に行くよ」って言われたんじゃないのかよ。

「ええっー?コインダウンじゃなかったのか?」「あっはっはーっ」と一同またまた大爆笑の巻でした。

KLタワーの後は、さぁみなさん、お腹も空いたでしょうと、お待ちかねのランチタイムです。

ここは広東料理の老舗、マルコポーロレストランです。とても雰囲気の良いゴージャスレストランです。

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今日のランチは、飲茶です。もちろん軍団全員、おっと、D女史だけは中国茶でしたが、その他全員生ビールを欠かしません。

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うん、やっぱり質・量ともに今回ツアーの食事は文句ないな、とこれは私の独り言でした。

ランチの後は、イスタナ・ネガラ・バル、新王宮です。もちろん王宮内には入れませんのでメインゲート前の広場から中をのぞくだけ。騎馬に乗った衛兵さんをバックにみなさんで記念撮影です。

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こう言うものには興味がある軍団メンバーですが、何をじっと見ているのでしょう。でも衛兵さんは流石です。どこをどうじろじろ見られても不動のままです。誰かがくすぐってみたらどうかって言ってましたけど、なんてことを言うんでしょう、不謹慎な。。

あはっ、そう言えば以前ここに来た時、チャイニーズの騒々しいツアーグループがいて、その中の一人のかなり不細工なネーちゃんがなんと衛兵さん(写真の衛兵さんよりずっとイケメンの衛兵さんでした)と腕組みして写真に納まろうとしたのですよ。あの時は流石に衛兵さんも迷惑そうに口をへの字に曲げて怒ったようにしてましたが、それにしてもあちらの女性、図々しさだけは天下一品、他人の迷惑なんて屁とも思わないのですね。

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そう言えば今回は、富山の高校生軍団とこんなところで遭遇しましたね。いつかもKLCCの伊勢丹で関西の女子高生グループと出会いましたが、今時の高校生の修学旅行ってこんなところまで来るんだ?って関心していたら、誰かに、何言ってんの、もっとすごいところはヨーロッパまで行くんだよって教えてもらいました。

いやいや昔とは様変わりですね、はっきり言って今時の親が気の毒です。

イスタナネガラを後にした我々軍団ご一行様ですが、近くのモントキアラの我が家でちょっとだけコーヒーブレイクしてもらいました。どんなところに住んでるのか連れてけって言うメンバーもいるものですから、いろいろ気遣いしたのですよ。

次に、はて、ここはどこでしたっけ。。。そうそう、国家記念碑(National Monument)です。ここも定番の観光名所です。でもモニュメントを良く見ると、兵士の顔がマレー人っぽくなくどう見ても白人系の顔です。ガイドさんに尋ねると、アメリカの会社に造ってもらったらこうなったのだそうですが、そんなことありですか?

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いよいよ本日のツアーもこれで最後になりました。ここはセントラルマーケット、あらゆる種類のお土産屋さんがぎっしり詰まったお土産のデパートみたいなところです。

爺軍団、そのセントラルマーケット内で早速こんなところを発見しました。

フィッシュセラピーと言うのだそうです。

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ウヘッ、アハッ、キャハハッ、プォオホホッ、実にやかましい声です。隣のオニイサン、オネーサンにも笑い声の大きさだけは絶対勝ってます。

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でも、こんなシワガレ爺さんたちの強烈水虫入りの角質を大量に食ったこのフィッシュたち、果たして無事に生きのびられるでしょうか。ψ(*`ー´)ψ ゥヶヶ


いやーっ、今日も朝からいろいろ巡りました。でも、外に出れば熱いし、バスの中や屋内に入れば寒いし、ほとんど体温調節機能も老朽化してる面々なので、なにかしら顔色も冴えなくなってきた気がします。面々の健康係もかねている私としては、さあこれで終わりですよと言うガイドさんの声で実はホットしたのでありますよ。


この後は、バスで今夜のディナー兼宴会場へ。

実は今夜が3晩目、最後の夜なので美味いものたらふく食わせて、たらふく飲ませてあげようと、案内したのは私の行きつけのローストダックレストランです。

そこはこんなに美味しそうなローストダックや、クリスピーポーク、それに柔らかくてジューシーでそんなに甘くないチャーシューや・・・

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その他にもこんな白魚のフライなどなど、美味しいもの盛りだくさん、かつリーズナブルと言う私いち押しのレストランなのです。

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それに、このお店にはアルコールメニューがまったくないのでそこがまた実にイイのです。なんちゃって、この意味分かりますか??

えっ?そうそう、そうなんです、アルコール持込み自由なのです。ここのボス(とても人柄が良さげなオーナーシェフって感じ)が気前良くなんでも持ち込んでいいと言ってくれるんです。

と言うことで既に何度も持ち込みしたんですけど、ボスもスタッフもちっとも嫌な顔せず、氷とかグラスとかボトルオープナーとかいろいろ世話してくれるんです。

そんなところがとても気に入っていて、今回も即ここに決めたのです。そして、クーラーボックスにぎっしり詰め込んでみんなでバスでやってきたというわけです、ハイ。。

ところが、ところが、今日一日のツアーの疲れや、バスの中でもビールなどやっつけてたせいもあってか、軍団、今夜はあんまりすすみません。

とは言いながらも、持ち込んだ日本酒やビールでみんな真っ赤になって喋り捲り、ご一緒していただいたD女史ともいろいろお話したりして、とても楽しい一夜を過ごしました。

そしてその後は、バスでホテルに帰ったのですがホテルに近づくに連れ渋滞がひどくなり、ついにバスは全く動かなくなってしまいました。止むを得ず手前で降りてみんなで歩いたのですが、そしたらなんと、ホレ、こんな賑やかなお祭りパレードに出会いました。

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どうやらチャイニーズ系のお祭りだとは思いますが、山車の看板文字が読めないのでなにやら良く分かりません。

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でも街中熱気に溢れていて、これは思いがけず良いものを観せてもらったワイと言う気分でホテルに辿り着きました。

ホテルロビーで、今日一日ご一緒していただいたD女史とお別れしましたが、おかげさまでシワガレ爺軍団、朝から晩までハイテンションで楽しく過ごすことができました。大変ありがとうございました、一同を代表して厚くお礼申し上げます。

さてさて、いよいよ明日はツアー最終日、このまま何事もなく無事に済んでくれれば良いと願いつつ、ベッドに倒れていたら、おいおい、さっきまで死んでた筈のゾンビ軍団が墓穴から這い出したごとく押し寄せてきました。

ウソでしょ、まだ飲む元気があるのかい?と言いながら私も同じく墓穴からゴソゴソと這い出して、今夜もシワガレゾンビたちの宴会は深夜まで続くのでした。

最終回につづく。


今日はDAY23、マレーシア航空370便(MH370)が南シナ海上空でその消息を絶ってから既に23日が経ちました。

昨日もテレビニュースでそのお顔が見えてましたけど、マレーシア国防相兼運輸相代行のスリ・ヒシャムディン氏(Datuk Seri Hishammuddin)ですが、かなりグローバルな時の顔になってきましたね。

私は、KLIA2シリーズのブログでもしばしば氏の言動を取り上げているため良く存じていましたが、今回は世界中のメディアの注目を浴びて、幸か不幸か思いがけず時の顔になり、かなりお疲れなのではないかと思います。

ここクアラルンプールでは、いたるところにMH370の乗員・乗客の無事を祈る「WALL OF HOPE AND PRAYERS(希望と祈りの壁(パネル)」が設置され、どこのパネルにも余白がないほどぎっしり書き込まれていますが、未だにその行方が分からず、真に残念ながら奇跡は起こりそうにありません。

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いずれにしろ、国際合同捜索隊が早く海洋浮遊物を回収して墜落地点を特定し、バッテリー切れまでもう1週間しか余裕のないブラックボックスの回収に全力を挙げてもらいたいと思います。

そして、願わくば我が日本の国際緊急援助隊による当該機の残骸発見などの活躍を期待したいものです。

そうそう、国際緊急援助隊と言えば、我々シワガレ爺軍団は、偶然にも今回のツアー間、クアラルンプール市内の雑踏の中で、このマレーシア航空機の捜索救難に派遣された我がニッポン国緊隊(コッキンタイ)の若者たちに遭遇したのです。

時は3月16日、遭遇場所はここです。

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そうです、ブキビンタンにあるパビリオンの正面エントランス前の信号交差点です。

我々軍団が、いつもながら周囲を憚らない大きな声(耳が遠いせい?)で話しながら信号を待っていると、突然、前にいた若者たちが一斉に後を振り返り「日本から来られたんですか?どこからですか?」って話しかけてきたのです。

「えっ?ど、どこからって、オレはこっちに住んでるんだけど・・・他のメンバーは栃木とか茨城とかからきてるんだけど・・・・」って私が答えたのですが、良く見るとみんな若くて、背が高くて、スマートで、そしてイケメン揃い。、なんかどこかの体育会系の大学生のように見えたので「大学のスポーツの大会かなんかできてるの?」って返したんですよ。

そしたらその中の一人がすかさず「コッキンタイなんです」って。。

「ん?コッキンタイ?おぉーっ、そっか、国緊隊か、すっ、すると、あ、あのマレーシア航空の?」ってどもりながら聞き返す私(ワタシ)。。。

爺「てことは、君たちみんな自衛隊?」

若者「はい、航空自衛隊です。今スバンの飛行場にいるんですけど」

爺「で、今なにしてんの?」

若者「今日は待機なので、先輩に言われて買い出しに来たんです」だと。。。。

ほぇーっ、今まさに超ホットな話題のMH370、その中心で活躍する捜索救難隊の若者たち、しかも我がニッポン自衛隊の若者たちから声掛けられたとはね、こいつはまさに驚きだ。

良く見ればみんな買い物袋ぶら下げて、中には缶ビールがぎっしり。くうーーっ、なんてことだ、俺たちシワガレ爺軍団は、毎日朝から晩まで呑んだくれて、全員身体から加齢臭とアルコール臭を発し、猫もよけて通るくらいだっつうのに、君たち良く声かけてくれたぜ。

そしてここで遭ったが100年目だ。シワガレ爺軍団全員このMH370には特に興味がある。なんせ永年航空関係でメシ食ってきた連中だから。それよりなにより日本人のはしくれとして彼らを激励したい。

「と、とにかく、どっかでコーヒーでも飲みながら話を聞かせてくれないか?」と取り囲み、誘ってみるシワガレ軍団の面々。。

だが、そんな爺軍団の思いがけない反撃に気圧されたのか、彼らは「い、いやタクシー待たせてあるから帰らないと」と不安顔するものだから、「んじゃ、とにかくパビリオンの中に入って立ち話でも・・・、さ、さっ、こっち、こっち」と、若者たちを強引に拉致してしまった爺たち。

聞けば、C130に乗って遥々ニッポンからやって来た航空自衛隊捜索救難隊のみなさんだそうで、パイロットや整備やメディックの方たちだと言うことでした。。それはそれはご苦労様です。

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今日は、捜索区域がマレー半島東側から西側に変更になることで、朝から「待機」を命じられ、そのために生じた束の間の休日なのだそうです。

そうかそうか、なるほどなるほど、フムフムフムと軍団全員が一人ひとりを質問攻めにし始めました。

しかし、この若者たち、変なジジイたちに捕まっちゃったよ、困ったなぁ・・みたいな顔をしてるものだから、「あのさぁ、オレたちみんなジジイだけど、全員自衛隊大好き応援団だから心配しなくていいよ」「そうだよ、そうだよ、ニッポン自衛隊頼りにしてるヨ」「ねぇ、ビール買ってあげよっか」「なんかおつまみとか差し入れしてあげよっか?」などなど、パビリオンエントランスの人ごみの中で、矢継ぎ早やに言葉攻めする爺軍団でした。

だが、彼らにしてみれば、大声で日本語話している陽気な年寄りたちがいたから、ちょっと声かけてみただけなのに、なんなんだよ、この軽くてとんでもないノリの爺たちは?と、思ったに違いないです、いや絶対そう思われたはず・・・。

うーん、でもいつまでもこの若者たちを拉致していると、彼らの大切な休養日を邪魔し、ひいては重要なミッションを阻害することになると考え、止むを得ず拉致解放を決心しましたが、その際、まるで旧知の仲間たちがするような固い握手と大袈裟な抱擁で別れました。(彼らはマジ引いてましたね・・)

私たちにとっては偶然に遭遇した凛々しい日本の若者たちとの嬉しい一場面だったのですが、彼らにしてみれば、異国の任務地でチョー変な爺軍団に拉致されてしまった訳の分からんいっときだったかも知れません。(´v`)ニィ

その後、MH370の捜索区域がインド洋南部に変更されたことにより、航空自衛隊のC-130Hの捜索救難隊は3月25日に帰国し、本邦待機となったそうですが、みなさま本当にお疲れ様でございました。

なお、まだまだMH370の消息が掴めておらず、国際合同捜索救難隊のミッションは我が海上自衛隊のP3Cを含む海洋哨戒の専用機チームにより、その活動拠点をオーストラリアのパース近くの豪軍基地に移して続けられています。

海上自衛隊P3Cの機上から目視で捜索活動を行う海自国際緊急援助隊の隊員です。

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今日は、祖国から遠く離れた異国の地で偶然出会ったわが国自衛隊の凛々しい若者たち、その彼らがなんと頼もしく見えたことか、やっぱり自衛隊は頼りになる、やっぱり日本は素晴らしいと祖国を改めて惚れ直した日でもありました。

(その4につづく)

今日は、「朋有り遠方より来たる」その2「カンポンジャパン爺(ジジィ)軍団マラッカを行く」の巻です。

夕べの狂宴から一夜明け、少々ふらつきながらも皆朝だけは早い年寄り軍団だから、まだ寝てるんじゃないかなどと心配する必要もなく、ショボイホテルの1階にある食堂には、朝食開始時間の7時半には全員見事に勢ぞろいしてました。

そうそう、ホテル宿泊階の3階から食堂のあるロビー階に下りるエレベータでのこと、誰かが「これ壊れてるぞ、カードキー入れても動かない」と叫んでました。私も、そんな馬鹿な、どれどれ貸してみろよ・・、えっ?な、なんで動かないんだ?とちょっとあせりましたね。

一人が、しょうがないから階段で下りるかなんてこと言ってるうちに、他の客が乗り込んで来てタッチパネルの「G」をプッシュ、エレベータは何事もなく動いたのです。

・・・・・軍団全員、黙して語らず、そして、はっと気がついた私、そうだよ、この国では「1F」でなく「G」なんだよ、1Fって日本で言う2階のことだし、それにこのカードキーでは宿泊階以外には行けないようになってるんだよ、と小声で説明したものの、私の脳味噌も夕べの酒のせいかかなりの遅延回路が効いているようで、まことに情けない体たらくでした。

ホテルの朝食は、クチコミにあったとおり、まさにショボイの一言でした。これがホテルの朝食ブッフェ?というぐらいのものでしたが、軍団はそんな粗食にも決して負けていません。人間三大欲のうちの最後の欲(食欲)しか残っていない軍団ですから、皆旺盛に平らげ、ふぅー、旨かった、、、だと。(笑)

ん? なっ、なんだ? 軍団の中の一人、えっ、あの女性(ひと)一体だれ?って言うほど親しく談笑しながら食事してる。

聞けば、成田からの飛行機で一緒だった女性で、偶然におんなじホテルだったんだと。。おいおい、飛行機でナンパしたのかよ、食欲しか残って無いって言ってたくせにどうなってんだ???

件の女性、そんなにお若くはないお年頃とお見受けしましたが、なんと勇気ある一人旅なのだそうで、そのうちワイワイみんなで話しているうち、「今日は予定があるから無理だけど、明日、良ければご一緒させていただけませんか?」なんてご提案をいただき、食欲しか残ってないはずの爺軍団の筈なのに、皆の顔色がデレンとして、一瞬だけでもシワが伸びたかの顔に見えたのは気のせいだったんでしょうか。

私は、ハイ、分かりました、それではツアー会社と相談して今夜お答えしますね、と元気にお返事しておきました。(´v`)ニィ

そう言えば、今回ツアーのため、ツアー会社に前もってかなり強くお願いしていた「女性ガイド」さんですが、爺パワーに恐れをなしたか直前に体調が悪くなったとドタキャンされ、止むを得ず全員男だけ、まったく女っ気なしのグループツアーだワイと諦めていた我々軍団ですので、これも渡りに舟かも知れませんね。

それにしても、こんなむさ苦しいシワガレ爺軍団の中に紅一点とは大した勇気ですよ。もっともホントに誰が見ても人畜無害の軍団ですから、そんなこと心配するほうが変かも知れませんけど。


さて、その後8時半にお迎えのバスが到着し、男性ガイドのヨンさんと握手した私は、すかさずヨンさんの袖の下に幾許もない心づけを無理やり押し込み、さっきの件(明日女性一人追加する件)をよろしくとお願いし、快諾を得て、さぁ、マラッカデイツアーのスタートです。

バスは注文どおりのゆったりサイズ、皆、ゆったり席を一人締めして、ヘイズに曇るKLから一路マラッカに向けバスは走ります。

ヘイズと言えば今日も外は真っ白。このところ毎日新聞発表されるAPI(空気汚染指数)を注意して見ているんですけど、KL地区を含めてあんまり芳しくない数字。まあ、でも余命幾許もない爺軍団だから、健康のため外出を控えましょう程度じゃ気にする必要もないか。。

ところがどういう訳か、バスがマラッカに近づくにつれ、ヘイズが次第に晴れてきて、なんと青空が見えてきたではありませんか。なんと言うラッキー、なんと言う勝負強さなんでしょうかね。

見て下さい、マラッカのオランダ広場に着いた頃には、いつもの青空、いつもの太陽がじりじりと照ってました。

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ガイドさんの説明を受けながら、セントポール教会の丘に登ります。直射日光はたまらなく暑いのですがたくさんある木陰に入るとそよ風もあって涼しく感じます。

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丘に登る途中、マラッカ海峡を望みます。

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丘の上から軍団全員の記念撮影です。

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丘の反対側に下りてきました。ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)です。

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そしてここからトライショーに乗りました。二人ずつ5台連なってリバークルーズ船乗り場まで行進です。

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さあ、ここからあのリバークルーズ船に乗ります。

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高そうなカメラですが、使いこなせているんですかね。猫に小判じゃないのか、などとからかわれていましたね。

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でもこうなるとまるで小学生ですよ。時々両岸の石の上やコンクリート護岸の上で日向ぼっこしている大トカゲを見つけては皆大はしゃぎです。

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こんな川の大トカゲじゃ食っても不味いだろーな、なんて誰かが言ってましたが、食うって発想が出るってことが軍団らしいですよね。

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マラッカの街を流れるマラッカ川のクルーズですが、川沿いに見える古い家並みやおしゃれな建物など、世界文化遺産に登録されている古都マラッカの情緒を感じることができる約45分間の船旅でした。

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さて、そうこうしているうちお腹か空いてきました。ここは、レストランプラナカン、マラッカ名物ニョニャ料理レストランです。

プラナカン(PERANAKAN)とは、15世紀後半から数世紀にわたって中国から当地に移住してきた中華系民族の末裔のことです。この地域では、マレー民族と中華系民族との独特の融合文化が生まれ、ニョニャ料理はその代表的な食文化です。

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このレストランはマラッカでは余りに有名なレストランで、大勢の観光客が訪れます。

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建物は幾度も改修されたと聞きましたが、内装などは絢爛豪華なだけでなく、往時を髣髴とさせる素晴らしいものです。

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ふぅー、ようやく昼飯にありついたわい。どれどれ先ずは冷たいビールで乾杯ですね。
で、肝心のニョニャ料理ですが、私がずっと以前にパックツアーで来たときの不味い料理とは打って変わって、普通に美味しい料理でした。でも正直言って、これは旨いというシロモノでもないですよね。

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お腹も落ち着いたので、近くのジョンカーストリートを散策することにしました。

ここは、日本のどこかに似てますね。あっそうそう、古都鎌倉の町並みに似ています。もっとも鎌倉のほうがずっとずっと綺麗でお洒落ですけどね。ここの町並みは、あの鎌倉の町にゴミをちらかして、もっともっと雑多にしたようなそんな感じの町並みです。でも私はこんなところも大好きです。

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これ何か分かりますか?
え?ドリアン?違います、ジャックフルーツです。大きいものは20kgにもなるというあのジャックフルーツです。
でもこうやって見ると、このおじさん、ローカルのオヤジとなんら見分けがつかないですよ。
ほら、その証拠に観光客からなんか話しかけられて、言葉が分からないから聞こえないフリしてたじゃないですか。。

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いっぺん食ってみようぜ・・・・、おっ、意外に美味いぞ、、夕べアロー街で食ったドリアンより美味いカモって言ってます。

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このバスが、軍団を運んでくれた観光バスです。

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中はもちろん寒いぐらいにエアコンガンガンで、席も、ほらこんなにゆったりです。少々高くついてもいいからゆったりバスを頼むとリクエストして大正解でした。狭い車内にぎゅうぎゅう詰めでは、特にこの軍団の場合、加齢臭同士が混ざり合ったり、気持ち悪く汗ばんだ肌がくっついたりして、お互い眩暈がするのは目に見えてましたからね。いや、私も気遣いしましたよ、、ふぅーっ・・・

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古都マラッカの旅の最後は、私のお気に入りの海峡モスク(ストレイツモスク)です。このモスク、普通の観光ルートには入ってないらしく、ガイドのヨンサンもためらっていましたが、半ば強引に中を見学させてもらいました。

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半ズボン姿の者はたとえ男性でもダメです。専用ローブを借りて中に入ります。
ぷっ、でもこれ、可笑しくないですか。なんか、子供の絵本にでてくる黒マントのおじさんを思い出しました。

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これは、モスクの海側バルコニーからマラッカ海峡を背にしての記念写真です。
残念ながら、視程が悪くマラッカの海がよく見えません。晴れて視程の良い日は、インドネシアのスマトラ島が見えるということです。

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以上でマラッカツアーは終わりです。この後、バスでKLに戻りましたが、途中、いろんなところで、山火事や野火を目にしました。ガイドのヨンさんの説明によれば、これらはみな自然発火によるものだそうです。しかし、いくらなんでもこんなに多くては火の消しようがないだろうとか、高速道路すぐ側の赤い火の手にも止まらずに走り去る車を見ては、すごいなー、日本だったら大騒ぎで大渋滞なのにーって、みな変なところに感心してました。




ここはMATIC(Malaysia Tourism Center)にあるサロマレストランです。

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そうです、今日の夕食はここサロマレストランで、Cultural Dance Show(マレー伝統舞踊)を観ながら、マレー料理のブッフェ豪華ディナーなのです。

でもなにこれ?もっともっと美味しい料理がたくさんあるのに、なぜかサテーを一斉に頬張る軍団の面々です。
そして、うぇ、これ甘ーっだと。そりゃそうだ、見た目は日本の焼き鳥そっくりだけど、甘ダレかけて焼いているから、昭和のシワガレ爺さんのお口にはけっして合わないと、私も思います。

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ダンスショーが始まるまで、しばし生ビールとマレーブッフェで歓談です。うん、でも、なかなかですよ。ブッフェ料理はお肉もシーフードも野菜も果物もたくさんあって目移りして困るほどです。でも中には激辛のカレー料理があったり、独特の香辛料がつかってあったり、見たこともないトロピカルフルーツがあったりして、軍団のみなさんはどこかの修学旅行生のようにはしゃいでました。

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さて、次にこれはなんでしょう?

このレストラン、給仕の人たちがテーブルを廻りながらしきりにお世話してくれるんですね。カンポン軍団の一人、ブッフェ料理を皿にいっぱい盛ってテーブルに座り、さぁ食べようと思ったがフォークがない。自分で取りに行けば良いものを、給仕の一人をつかまえて、「君、フォークを持って来てくれたまえ」といかにも鷹揚に言ったそうな。

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その結果がこれですよ。フォークを待って座っている軍団の一人の前に突然、一杯のコーラが運ばれてきたのです。
これを見た周りの者も私も不思議に思いました、ビール好きの彼なのに、なぜコーラ?おい、おまえ、どっか悪いのか?なんでコーラなんだよって、周りから一斉に攻め立てられた彼、いっ、いや、なんでコーラって、お、オレ頼んでないよ。。

皆・・・・あっそうか、オマエ、フォークって言ったろ、それコークと間違えられたんだぞ。。。
そ、そっか、そう言えばオレ、ワンフォークって言った。な、なにが「君、フォークを持って来てくれたまえ」だよ、全然通じてないじゃないか、ワッハッハと、軍団一同大爆笑の巻でした。。。

おぉーっ、これいい写真じゃないですか、実に良く撮れてる。隣のワリアー(戦士)と雰囲気ぴったりだ。それもそのはず、彼、剣道の達人で、今は街の剣道場の館長さんだそうです。いやいや、日本の古武士もまだまだ負けてはいませんぞ。

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一方、ステージのうえの華やかなダンスショーですが、これ、マレー舞踊だけかと思ったら、さすがに多民族国家のマレーシアですね。インド舞踊あり、中国舞踊あり、多種多様なカルチュラルダンスショーに軍団の面々も大満足でした。

ダンスショーの最後に客をステージに呼び込み簡単なステップダンスを教えてくれるのですが、我が軍団の面々も嬉々としてステージに上がり、他所の客は子供や若者ばかりでステップも軽やかだと言うのに、我が軍団のみ敬老会のヨタヨタダンスのようで、可笑しくもあり微笑ましくもありでこれはこれで良かったのではないでしょうか。。

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最後の最後にダンサーたちとの記念ショットです。軍団の面々、みな笑顔でいい顔してましたよ。いや、美味しくて楽しい思い出の一夜でしたね。

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今日も朝から歩き廻り、見て廻り、触りまくり、食いまくり、そしてバスの中でもレストランでも常に呑みまくりで、さぞ疲れたことでしょう。かく言う私も大変疲れました。でも、明日も明後日も続くのです。体力気力を温存しておかないとと思うのですが、ホテルに戻り、みな疲れてバタンキューかと思いきやもゾンビが墓穴から這い出てくるが如く、またぞろ集まって深夜の酒盛りと相成りました。

みなさん、明日もあるのですよ、早く寝ましょう、などと言ってもだれも聞く耳持たず、今夜も延々と酔いどれ爺の宴は続くのでした。

(その3に続く)


有朋自遠方来 不亦楽、これは論語の一節ですが、読みは、朋有り遠方より来たる 亦た楽しからずや、その意味は、友人が遠方から訪ねてきてくれるのは、こんなうれしいことはない、でしたよね。

実は先日の3月13日から3月16日まで、私にもそんな嬉しいことがありました。

先ずは、百聞は一見に如かずです、とにかくこれをご覧あれ。

これ何か分かりますか?いや、日本酒だってことは猫でも分かるんですけど、この勢ぞろいはどうしたわけかってことですよ。(ごめん、全部日本酒かと思ってたら、焼酎も混じってました)

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実はこの度、私の古い友人たちが遥々マレーシアに遊びに来ることになり、お土産は何が良いのかと問われたのがきっかけで、私は咄嗟にある策略を思いついたのです。

ご存知のように当地マレーシアは日本酒が大変高価で、小遣いの少ない私なんかいつも日本酒難民してるもんだから、今回、渡りに舟とばかりに日本酒獲得大作戦を練ったと言うわけです。

お土産は何が良いのかと問われ、紙パックの日本酒を忍ばせてくれば私も喜ぶ、みんなも心地良く酔えて楽しいツアーができると、一見素直、実は深い策略の元に答えたがための結果なのです。

私が素直に答え、そして古き友人たち全員が素直に反応したがための結果です。と言いつつも、多分こうなることを期待した上での確信犯的犯行だったのです。

案の定、全員がスーツケースに2、3本ずつ忍ばせ、何食わぬ顔でカスタムを通過してきた結果がこれですよ。

ホテルに同宿した私の部屋に、お土産全員集合の号令一下、次から次にほとんど2リットル入りの日本酒パックが続々と集まり始め、あっと言う間にその数なんと19本(この写真の他に8本もありました)、いやはや、これって「嬉しい悲鳴」以外に形容のしようがありません。(19本36リットル=20升=2斗)

もちろん、これ、私へのお土産だけでなく、今回ツアーの間にみんなで消費する分を含んでいるわけですが、それにしてもたった三日三晩でこんなに消費できるわけもなく、このほとんどが残るだろうと皮算用した私は思わずニンマリとするのでした。(´v`)ニィ

だって、ホテルの部屋の冷蔵庫にも、ほれっ、このとおりビールがぎっしりなのですよ。

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もちろん、ビールはこの他にも大量(5ケース)に買ってあって、翌朝から始まるデイツアー3連荘にもクールボックス積み込んで朝から晩まで酒浸りにしてやろうとの魂胆なので、誰がどう考えても、この日本酒全部呑めるわけがない。

昔は、みな元気があって朝まで呑んでも平気で仕事する連中だったが、今じゃ見るも無残なシワガレ爺がほとんどなので、なんのなんの恐れるに足らず。

かくして私の深謀遠慮な日本酒獲得作戦は好調なスタートを切ったのでありました。


次にこれ見て下さい。はい、お酒のおつまみです。ホテルの私のベッドに並べてみたんですけど並べきれないほど集まりました。

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実はここにあるのは一部だけで、もっともっといっぱいあったんですよ、この3倍ぐらいです、いやこれホントです、はい。。

知ってますでしょ?こっちでこういう日本の乾き物と言うかおつまみの類を買おうとすると、恐らく日本で買う1.5倍はしますよね。しかも種類が少なくろくなものがない。

かといって、ローカルのこの類は、いろいろ試してみたけれど、甘いやら不味いやらでとても酒のつまみにはならないものばかりだしね。

かくして、日本酒難民同様、おつまみ難民化して久しいわけですが、へへ、これ見てるだけで嬉しくて自然に笑いがこみ上げてきますね。

いや、本作戦は実に出だし好調、願わくば、今次ツアー間に、参加メンバーがあんまり日本酒やおつまみの類を消費しないように、そして、私の手元にどっさりと残ってくれて、まんまと作戦成功しますように。。

なんてね、一人ほくそ笑む私なのでした。ψ(*`ー´)ψ ゥヶヶ


あっそうそう、これ書かなきゃ絶対怒られる。

これ何か分かりますよね。そうです、香ばしい二度付け醤油煎餅ですよ。

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実は、私は大の煎餅好きで、今でも机の引き出しに醤油煎餅を隠し入れてぼりぼりとかじっているのですが、これはもう随分若い頃からのことなのです。

今回の参加メンバーに、この私の煎餅好きを憶えていてくれた先輩がいて、有名な煎餅屋さんにわざわざネット注文したものを遥々運んで来てくれたのです。

いやいやこれには嬉しくて涙が出そうになりました。

私にとっては日本酒に勝るとも劣らぬとっても嬉しい土産です。

この場を借りて改めて御礼を言いたいです。ありがとうございました。

さて、私の古き良き友人ご一行様は、3月13日、おりしも話題のマレーシア航空のB777-200にて成田から無事にKLIAに到着し、旅行会社手配のブキビンタンのホテルで、夕刻から待ち受けていた私と予定どおりに合流しました。

私は、この日を待ちわび(いえ、人ではなくバゲージを)、彼らが転がしてきたずっしりと重そうなスーツケースを横目で見てはニンマリしながら、久しぶりの再会に思わず涙しそうになりました。(ウソです

あ、それと、宿泊ホテルは日本の一流旅行会社手配のホテルとは思えないほどのショボイホテル(これホテルの名前ではありません)でしたが、どうせ女っ気まったくなしの爺同士(あってもどうにもならない爺同士)なので、そんなことはあんまり気にはならなかったのですが、場所がアロー通りの裏手と言う超便利なハナマル立地なのでまぁ良しとしましょう。

で、ホテルチェックイン後、早速アロー通りの屋台街に繰り出しました。

しかし、この屋台街はいつ出かけてみてもむせ返るようなアジアの熱気に満ちていて、私はいつもハッピーな気分に浸れるのですが、果たして私の古い友人たちの眼にはどのように見えたことでしょう。

ご覧下さい、この面々が私の古い友人たちです。

みんなそれなりに年輪を重ね、昔の面影はあるものの随分と様変わりするものだと変に感心したりしました。
かく言う私もそうなんですね。人のことあんまり言えたものでないです。

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これ、ぷっ、と噴出しそうですよね。だって、みんな緊張しているのか一列縦隊行進ですよ。いい年して小学生みたいでしょう。

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屋台のオネーチャンに、どっから来たの?トーキョー?って声かけられて、まごまごしてるおっさんたちだったので、すかさず私が、カンポンジャパン(Kampung Jepun=日本の田舎)って答えたら、大爆笑してましたね。

今回の友人たちは、私が青年時代(20代)を過ごした栃木県宇都宮市在住(一人は茨城県龍ヶ崎市)の面々なので、田舎などと言うと失礼なと怒られそうですが、皆のシワガレ顔を見比べては大笑いする屋台のオネーチャンたちなのでした。

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ホテルへの帰り道、こんな海老食ってみたいなぁなんて、囁く面々もいたりして、おいおいちょっと待てよ、今回ツアーはグルメツアーだよ、美味しいシーフードもたらふくあるでよって言った私のその一言が、後でとんでもないことになろうとは、まだこのときは思いもしませんでした。

この後ホテルに帰り、私の部屋(二次会部屋)にて話の尽きるまで、体力エネルギーの尽きるまで、そしてお酒の尽きるまで?、いやいやお酒はドンだけ飲んでも尽きないほどあるのでそこはそれ、皆レロレロになるまで呑んで話して次第に全員が意識朦朧になる第一夜でした。

(その2につづく)
昭和37年、今からちょうど50年前、
この国が高度経済成長期の真っ只中にあった頃、
田舎中学の修学旅行で、当時純朴な少年少女たちは、
夜汽車に乗って上京し、映画「三丁目の夕日」そのままに
人に溢れ活気に満ちた大都市東京を目を白黒させて見物した。

しかしその後、少子高齢化や過疎化の波を受け、
わが田舎中学もとうの昔に廃校となり、あれから半世紀
当時の純朴な少年少女たちも、寄る年波には決して抗えず、
今では皆一様に、顔も身体も自他共に認めるシニアとなった。

里にいる者、東京や他県に出た者、あるいは私のように
Uターンした者などさまざまいるが、皆、当時を懐かしみ
今回企画の50年後の修学旅行に参加した。

旅行先はもちろん当時と同じく東京へ、そしてメインは東京タワー。

当時は上野駅近くの修学旅行生専門の安宿が宿泊先であったはずだが、
今回はタワー近くのホテルに決めた。

東京スカイツリーができたというのに、今なぜ東京タワー?と、
疑問に思う向きもあろうが、そこはこだわり夕日の三丁目なのだ。

7月1日、田舎から大型観光バスを仕立て、田舎シニアが17名、
現地参加の東京周辺シニアが17名、総勢34名が集まった。

もちろんまだ現役で頑張っている者も中にはいるが、
参加者のほとんどは、毎日が日曜日の気楽なシニア連。

しかも、男も女もすでに盛りを過ぎ、これからは枯れるばかりで
怖いとか恥ずかしいとかの言葉が誰の辞書にもないのがコワイ。

普段は、息子や嫁に気遣いながら遠慮がちに暮らしている向きや
中には、完全に死んだフリしているに違いない連中も大勢いるが、
この時ばかりはと息を吹き返し、爆笑渦巻く修学旅行となる様を、
少々披露してみましょうか。。。。(笑)


先ずは、旅行メインの東京タワーへ。

50年前はこうして見上げて、うわぁーすごいすごいと、
全員びっくりし目を輝かせたものだけど、
今、同じように見上げると、皆、首が痛いし目はしょぼつくし、
それに、あいにくこの日は雨降りで、空はどんより鉛色。



小雨にけむる東京タワーは、なにか昭和のムードに満ちていて
展望台へのエレベーター前で、子や孫のような係員の指示に従い、
四列に並ぶ様に、後ろから当時の女子中学生を重ねてみると
皆横幅があり過ぎて、どうもイメージがぴったり定まらないが、
皆が発する昭和のオーラは強烈で、レトロスペクティブな世界にも
まったく違和感なし。(笑)



やはり想像どおり、展望台からはほとんどなんにも見えないのだ。
見えなくても良いのだ、この雰囲気、この香り、当時の想い出の巻き戻しなのだ。



そして頭の中に、50年前のわが身を浮かべつつ、苦いような、
甘いような想いの中を、夢うつつに下りてきたのだが、途中の鏡に、
現実のおのれの姿を見て、「飲むか、今夜は・・・」と皆思った。


さて、次なる場所は、大宴会場の屋形船。

バスで品川に移動し、がやがやと船に乗り込み宴席を確保するや否や
早速と言うか、船が動く間もなく宴会開始。



雨模様ではあるが空はまだ明るく、今からこんなハイペースで大丈夫かと
少々不安も頭をよぎるが、船は東京湾に出て、そのうちレインボーブリッジを
過ぎたあたりからは、そんな心配どこ吹く風の大賑わい。

船は、お台場の屋形船溜まりのようなところに陣取って、
雨も次第に上がってくると、周りの景色もなかなかのもの。



特に田舎組にとっては、屋形船やお台場なぞ皆初めてで、
これから先は絶対あり得ぬ冥途土産のはずなのに、景色などには目もくれず、
ただひたすら、飲み、食い、歌い、そして大声でしゃべり続けるシニア連。

これじゃいつもの宴会だよ、屋形船にした意味がない、とは幹事の気持ちだが、
そんなことなぞお構いなしに、わめき、笑い、泣き、夜は更け行くのであった。



いつのまにかレインボーブリッジや東京湾の夜景もきれいに見えてきて、
これがもっと若いときならば、ちょっとは違う展開があったかも知れないが、
今は皆、正真正銘の賞味期限切れ、そんなことなどあろうはずもなく、
それどころか互いの遠慮や気遣いもなく、ますますテンションは高くなり、
そして、ついに時間切れにて船は動き、大宴会は終了となった。


宿泊先のホテルにバスで戻り、今度はお待ちかねのカラオケタイム。

皆たしかにテンション高いが、最初のうちはまっ普通のカラオケですねん。
それにしても、わがシニア連はなぜこうもド演歌ばっかり好きなのか?

これじゃあ、若者に煙たがられて当たり前。
聞けば現役時代は、会社の女子社員にド演歌おやじと噂され、
あからさまに嫌がられていたため出番がなかった由、
その鬱憤晴らしか知らんけど、まあ良くこんなに演歌が出るわ。



自他共に認める賞味期限切れの男と女、次から次に歌いまくって
ますますテンション高くなり、そして、いよいよ出ました仮面軍団。

わが団塊シニアのスーパーパワー、普段はごく普通の、そして控えめな
おじちゃんおばちゃん(じじばばの方がより適切な表現かも知れん)なのだが、
なぜか毎回こうなるわが団塊シニア。



男も女も皆賞味期限切れてるし、さらに仮面かぶれば最強で、
もう恥ずかしいことなどなーんもありゃせん。







仮面の者も周りの者ものりのりで、いやぁこれって最高っす。
いやしかしパワーありますなあ、一体こんなパワーはどこから来るのか、
団塊シニア、50年後の修学旅行も大荒れで、いや大うけで終わりそう。




皆さん、われわれ団塊シニアは決して枯れ尾花ではありません。
まだまだ元気で陽気な軍団です。

ちょっと賞味期限が切れていて、少々ひねくれ者が多いけど、
使いようによってはまだまだいける。

最近元気のないこの国を、
また50年前のように元気にしてみてあげようか?

そんな冗談言いながら、
50年後の修学旅行は大成功裏に幕を閉じたのでありました。


追記:
翌日7月2日、われわれ団塊田舎組はなんと
東京ディズニィシーなどと言うところに立ち寄って、
月曜日と言えどヤングカップルで混み合う中を
強烈な昭和のオーラを発しながら練り歩いたのだ。

そして、なんか知らんキャラクター入りの
縫いぐるみやらなにやらを大量に買い込んで、
もちろんこれらは恐らく孫土産と思うが、
まあ、膨らんでいたはずの皆の財布がぺしゃんこと
なったことはTDLにとってもそう悪い客では
なかったろうと思う。 以上この項おわり。
前回の記事で部活仲間の話をしたが、
その仲間の一人にクルーザーを共同所有し、
若い頃から海に遊んでいる羨ましい限りの知己朋友がいる。

眞秀寺での飲み会で、このクルーザーの話題が出て、
早速、乗せてもらうことになった。

県のヨット連盟の役員でもある彼のヨットとの付き合いは
若い頃、酒田沖の日本海に浮かぶ飛島に、教師として赴任した頃から
始まったのだと言う。

爾来、持ち前の好奇心とやんちゃなほどの行動力で、
数々のアドベンチャーをこなしてきた。

そう言えば高校時代もいろいろ面白い話があったが、
ここでの披露は控えよう。

その彼に誘われて、半日、日本海から鳥海山を眺めてきた。

酒田港の船溜まりに停泊するクルーザー、意外に大型で驚いた。
全長40数フィートもあり、キッチンやリビングはもちろん、
ベッドルームやバスルームまで付帯している豪華クルーザーだ。



船溜まりから酒田港内に出る。
大浜埠頭には結構大きな貨物船が接岸中で、その船上には忙しく
立ち働く人たちがいた。





そして、酒田港の赤白灯台を通過して外海に出た。
波はなく穏やかな海であった。
風に乗るセーリングも体感した。
風に向かっても走るというヨットの原理がいまいち理解できずにいたが、
今日の彼の説明と実体験でよく解った。
なるほど飛行機が空に浮く揚力の原理なんだ。



北に船を向けると、鳥海山がきれいに見えた。
こうやって日本海から眺めると、海抜ゼロメートルから
起ちあがる鳥海山の全貌がよく見える。



いやぁ、すごく気持ちいい。
肌にあたる海風も心地よく、まさに絶好のクルージング日和。



これで、魚でも釣って、得意の包丁捌きで刺身を造り、
冷えたビールでもグイッとやったら、もぉっ、たまらんですワィ。



マレーシアに行ったら、こんなことできるかな、
きっとできるよね。自分で持つなんて金がかかって叶わんから、
レンタカーのようなもんないのかなー、などと思ったりしながら
酒田港に無事帰ってきました。

大浜埠頭の貨物船の間からも鳥海山が見えてました。
こうして見ると、酒田港も捨てたもんじゃないですね。



いや、K・G君、今日は素晴らしかった。
本当にありがとう。
2012.06.14 供養と語らい
昨日、高校時代の部活仲間が、とある禅寺に集合した。
酒田市のとなり、山形県庄内町の曹洞宗眞秀寺である。

2年ほど前、テレビの全国版にも紹介されたそうだから、
有名寺なのかも知れないが、この寺のご住職は、なにを隠そう、
わが高校時代の部活仲間なのだ。



それにしても、曹洞宗眞秀寺、私としては2度目の訪問になるが、
門前から北に鳥海山を望むこの寺は、それはそれは大層立派な寺である。



山門から入ってすぐの右手には見事な慈母観音像が立ち、



さらに少し奥の左手には、布袋尊者様が、ワァッハァハァと笑って
座っていらっしゃる。



良く手入れの行き届いた庭木の中の小路にはお地蔵様が立ち並び、



そして、本堂前の大きな石燈篭が、この荘厳な寺にまさに相応しい。



かつてのわが部活仲間のご住職、昔から温厚で誰にも優しい人柄だった。
以前、しばらく高校教師をしていたが、途中で辞めて家業を継いだ。
いまでは、押しも押されもせぬ、立派な大和尚である。



この和尚に、いつかの飲み会の時、誰かが言った。
今度、和尚の寺で宴会やろう、供養にもなるし、と。
誰が言ったか覚えちゃいないが、
そのことをまじめな和尚はきっちり覚えていた。

そして、このたび自ら案内状を作り皆に送った。
と言うわけで、遠くは茅ヶ崎や松戸からも昔の仲間が相集い、
供養と語らいの夕べと相成った次第。

和尚の案内で、本堂や位牌堂、開山堂などをつぶさに見て廻り、
あらためてその絢爛豪華さには驚いたが、良く磨かれた様々な仏具や
隅々まで掃除がいき渡り埃ひとつない様にもいたく感動した。



そして、本堂での供養が始まった。
和尚の読経の下、皆神妙に当時を想った。

今は亡き恩師のS・A先生、私の当時の担任でもありました。
そして、無念にも若くして病に倒れたA・K君、
どうぞ安らかに、と皆が般若心経を唱え、焼香した。

多感な時代、勉学との両立に悩み苦しみ、練習は辛く厳しかった。
しかし、皆が支えあって、あの辛さや厳しさを耐え抜いた。
だからこそ、仲間同士の信頼や団結は半世紀後の今でも変わりない。



さて、供養の後は語らいの夕べである。
語らいの夕べと言えば聞こえは良いが、要するに飲み会だ。
K・G君が手土産にと全員に配った当時の写真(上)も酒の肴にして
皆、飲み食べ語らいながら眞秀寺の夜は更けて行った。

そうだ、このまま寺に泊めてもらって、明日の朝、座禅修行でもと
思いついたが、自分の布袋様のようなおなかを見て、諦めた。
この3月末のハッピーリタイアメントで
毎日が日曜日の世界に突入し、行動範囲も飛躍的に拡大したが、
やはりこれは一番と思うことは、"計画即実行"が
ようやく可能になったことではなかろうか。

思い立ったが吉日と言うことわざもあるが、
しかし、実は、今日は吉日と言う話ではない。

先日、私の知己朋友、いや知己朋友などと言ったら大変失礼である。
独身時代から親しくして頂いている、かつての職場の先輩から
突然の電話を受けた。

いつものごとく、一杯飲もう、上京して来い、との仰せかと思いきや、
「おまえ、向こうにはいつ発つのだ?」とのこと。
この冬が来る前にと考え準備していることを説明すると、
「ではもう会えないかも知れないな」と異なことを仰る。

訳を聞くと、ちょっと前から入院中とのこと。
癌が見つかって治療を開始した由、いや、まったく驚いた。
あれだけ頑丈で、病などとはまったく無縁の人と思っていた。

九州男児で古武士然とした氏とは、昔、激しく武道を競いあったり、
仕事で何度かハワイにもご一緒したり、多くの思い出がある。

そして連日酒を酌み交わし、仕事のことでも真剣に議論した。
部下や後輩の指導にあたっては、常に嫌われ役に徹していたが、
氏の現場力に裏打ちされた識見はまさに敬服に値した。

その先輩が病に伏していると言う。
今後のことは不明だと言うが、先輩の胸中察するに余りある。
そこで、即日は叶わなかったが、昨日、他の用事もあって上京できたため、
今日、病院に先輩を見舞ってきた。



国立がん研究センター中央病院は、東京築地の朝日新聞本社の隣にあり、
周囲や建物の面影はまったくないが、過去にも見舞いに訪れたことがある。
病院建物は素晴らしくきれいで、流石、わが国最高峰の医療施設に相応しい。

病院で久方振りにお会いした奥様からも、いろいろお話を伺った。
投薬のせいで体力が落ちているとのことだったが、
お見かけする限り、仰るほどやつれてはいないことにやや安堵した。

が、やはり、今まで大変無理して来られたことが、原因なのではないか、
それと私自身も耳が痛いが、医者嫌いにも一因があるかも知れない。
しかし、適切な治療を受ければ完治も不可能ではないと聞くし、
治療に専念し一日も早くご快癒されて、また、ともに酒を酌み、
時代の行く末を案じて議論を尽くしたい。

帰りがてら、「見舞いになぞ来なくて良いぞ」と電話口で強く言われたことを
ふと思い出したが、やっぱり来て良かった。

かつて毎日の通勤路線であった地下鉄日比谷線、その築地駅に至る道すがら、
先輩や仲間たちと、ともに懸命に過ごした六本木勤務時代が懐かしい、
そんな昔日を思い起こしながら、必ずや快癒すると念じつつ帰途に着いた。