有難いことに、こんなブログでもご愛読下さる方が少なからずおられて、時々叱咤激励を受けます。今回のこのボルネオ高原歩き旅にも何人かの方から叱咤激励のコメントを頂戴しました。と言うか、ほとんどはもっと早く続きを読ませろと言う催促のコメントなのですが、すみません、これが私の限界なんです。

特に今回は、ブログを書くことよりももっと切迫した"かくこと"があり、思うように進みませんでした。実はここで暴露しちゃいますが、今回の旅で私は生まれて初めて、死ぬほど痒いダニ被害に遭ったのです。しかもこのことに気が付いたのは、旅の途中ではなくて手足に小さくて赤い、並びが特徴的な発疹が出て一斉に痒くなり始めた、旅終了後の四日目の朝のことです。

私にとって、こんなことは生まれて初めてです。アレルギー体質でもなく、山の強烈なウルシに触ってもちっともかぶれない鉄面皮のような皮膚なのに、いったいこれはどうしたことだろうと不思議でした。でも、ネットで調べていくうち、これはダニに噛まれた症状に違いないと確信したのです。

ダニ?いつ、どこで?と考えれば、思い当たる節が今回はいくつもあります。あまり清潔とは言えない宿のベッドで、しかも着替えもろくにせずに汚れたまま濡れたままで、湿った毛布にくるまって寝ていたのだから、さもありなんです。しかし、なんで今頃?と不思議でしたけど、これもネット情報で、ダニ被害には発症まで数日の潜伏期間があると知りました。

さらに悩んだことは、発疹が毎日増えること。昨晩なかった箇所に朝見ると新たな発疹が産まれているのです。これってどういうこと?これも潜伏期間ってことか、それとも、オレがダニを連れて帰ったってことなのか?しかし、ジャングルのヒルに噛まれず安宿のダニに噛まれたなんて洒落にもなりませんよね。

私は、家では現在二つの部屋のそれぞれのベッドを気ままに使用しています。一つは書斎のシングルベッド、これは仮眠用です。そしてもう一つは私の寝室のベッドです。慌てて、この二つのベッドを拡大鏡を使って仔細に点検しましたが、もちろん私にはなんの異常も見えません。

しかし目には見えなくても、シーツも、マットレスカバーも、なにもかも全部剥がして洗うしかない。そう判断した私は、嫌がるmy better halfに平にお願いをして、ダニが潜む可能性のあるペッディングのすべてを洗濯機で洗い、乾燥機の熱風で見えないダニをようやく駆除した、、、つもりでした。ところが、その翌朝にも新たな発疹が増えていて、えっ?これはどういうことだ、と真剣に悩みました。

一度セッティングしたペッディングをまたしても引っ剥がして、my better halfに文句言われつつも再洗い、さらに今度はマットレスまで疑ってかかり、掃除機を念入りにかけたり叩いたり、いや、それはそれは大変でした。

そんなことで、ブログを書くことよりも、ダニに噛まれた手足の発疹を、一日中必死に掻いていたので、とてもブログどころではなかったのです。お陰で私の手足は見る間にダイオキシンの毒素にやられた妖怪爺のような手足になってしまい、これにもずいぶん悩みました。

日本のキンカンや通常の痒み止めクリームではまったく治まらないこの異常な痒みのため、近傍のいくつもの薬局を廻り、即効性があって強力なステロイド系の痒み止めと、いくつものダニ駆除のスプレイなどを買い求めてはせっせと塗りたくったり、ペッディングにスプレイしたりしてました。

旅から帰って既に一か月が経ち、今ではさすがに痒みこそ治まりましたが、手足の発疹の痕は未だに残っていて、5月10日から予定している日本一時帰国の際に、この醜い手足では可愛い孫たちに嫌われてしまうのではないかと気に病んでいます。



さて本題です。DAY5の夜、土砂降りの雨の中、宿のご主人とおかみさんに連れられて行った先の、古くて大きな高床式の家の内部は↓こんな風でした。裸電球の灯る広間の板壁には、イタチなどの動物の毛皮が飾られていたりして、かなり野性的と言うか、なにかとても昔懐かしい雰囲気です。そう言えば、私が子供のころの昔の日本の田舎にもありましたよね、こんな家。

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そして、その広間では、なにやら大きなテーブルの周りで大勢の村人たちが、がやがやと賑やかに食べ物を準備したり取り分けたりしているようです。

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私たちも、宿のおかみさんや他の村人たちにどうぞどうぞと促されましたが、考えてみれば先ほど夕飯を食べたばかりでお腹はちっとも減っていません。

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しかし私は結局こんなに盛ってしまう羽目になりました。だって、パーティだって言うからほんのちょっとは、例の濁酒(どぶろく)期待してたのに、そんなのなんにもないんだもんな。。こりゃ食う以外ないですよ。。

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ピーターもシーシーも、ほらこんなん、しゃっちょこばってさ、、あれ、宿のご主人もさっき夕飯しっかり食べてたのに、またもやしっかり食べてますね。

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しかし、これって、一体何のパーティなんでしょうか。それに人口100人の山奥の村にしちゃぁ、やけに婦女子が多くないか? ほら、ほら、さっそくシーシーちゃんのお出ましでっせ。。(笑)

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かく言う私は宿屋のおかみさんとのツーショットですワ。それにしてもこのおかみさん、ジャングル奥地の部落にしては、大玉のネックレスなどして、ちとオサレ過ぎてませんかな。。

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そのおかみさんに聞きました、これなんのイベントなんですか?って。そしたら、小声で、この家の長老が他界したので、そのお葬式に続く弔い行事なんですよって。。

弔い行事は1週間も続き、前半はしんみりと、そして後半は賑やかにやるのだそう。特に今日は行事の最終日で、明日は都会(ミリ)に住む若い人たちが帰る日なので、そのお別れ会とそれと誰かの誕生日のお祝い会も兼ねているらしいですよ、って教えてくれた。

なるほどね、妙に田舎っぽくない婦女子が多いな、と思ってたんですけど、あの人たちはみなさん、町から来られた方たちですか。。えっ、でも赤ちゃんや小さな子供さんもいるけど、まさか、あのジャングルを何時間もかけて歩いて来られたんじゃないですよね。え?みなさん、往復ともジャングルリバーボートですか?な、なるほどねぇ、それなら納得ですワ。。

さて、広間の奥側は、ほら↓こんな風になってまして、よく見るとその両側には、ベニヤ板で間仕切りされた小部屋がいくつかあって、時々子供が出入りしてるし、中には家財道具があるような。。

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ふーん、、この家って大家族なんだ、、って呟いたら、隣にいた宿屋のおかみさんが、この村では全員が親戚だから、村全体が大家族のようなもんですよ、と、またまた教えてくれた。なあるほど、みんな親戚なんだ、、、なるほどねぇ。。

お、ガイドのジョンソンが私を手招きして、ついて来てと言ってる。ジョンソンについて中2階のような場所に下りると、そこはこれも昔にタイムスリップしたかのようなワイルドなキッチンだった。ほら、これ見て見て、とジョンソンが面白そうに指さすバケツを覗いて見ると、なんとそこには大小様々、色とりどりのカエルがうじゃうじゃと生きたまま入ってる。

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そのカエルを一人の若者↑が一匹一匹、見事な手さばきで、素早く皮を剥ぎ内臓を取り出して料理の下拵えしてる。それは私の魚裁きなどより余程見事な腕前なのだが、見てるとなにか生きたカエルが可哀そう過ぎるし、次第に気持ち悪くなってきた。ジョンソンがほらカメラカメラと急かすから、一応カメラに収めはしたが、後でチェックしたらあまりにも残酷すぎて消去した。

その話を後でピーターにしたら、なんだ、イケサンらしくないな。イケサンは生きた魚を裁いて活け造りにするって言ってたじゃないか、知ってるか?世界で一番残酷なのは日本人なんだぜ。。

お、おい、そりゃあないだろう。。魚とカエルは違うよ。だってカエルは四つ足だぞ。可哀そうじゃないかって反論したけど、でもこれ、あまり説得力ないかも。

そう言うわけで、写真や動画はないのだが、オイラの脳内メモリーにはくっきりと残ってる。ああ、可哀そう、残酷すぎるよ、あのカエル君たち。。でもあれ、ここの人たちどうやって食うんだろう。。まさか生じゃないよね。あ、そっか、ここの人たちって昔の首狩り族の末裔だもんな、だったらカエルの生ぐらいなんともないか。。オレも後学のため食ってみれば良かったかなぁ・・・なんて今頃強がり言ってるヤワな私です。

お?これ↓ワラビじゃないの?とジョンソンに尋ねたら、ミディン、ミディンと言う。Midin?お、そうかと咄嗟にスマホの辞書引いたら確かにワラビだわこれ。。へぇ、ワラビってどこにもあるんだ、とまたひとつ利口になりましたね。

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かくしてジャングル奥地の小さな村の、長老の弔い行事最後の夜は、弔いどころかワイワイガヤガヤ食べ飲み笑い、いつまでも終わりそうにもないのです。なので、そろそろお先に失礼しようと声掛け合って外に出たが、外は相変わらずの激しい雨。おいおい、これじゃあ明日の朝まで止まないかもとの我々の不安をよそに、DAY5の長い夜は次第に更けゆくのでありました。



DAY6

一夜明けてDAY6、今朝方まで激しく降り続いていた雨はどうやら止んだようなのだが・・

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まだ、周囲の山には雨雲がかかり、安心できる状況ではなさそうだ。

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予定では、今日は早めに朝食を済ませてもうとっくに出発していなければならないのだが、この状況で皆の腰は限りなく重い。

ガイドのジョンソン曰く、この分だと夕べからの雨で増水したジャングルリバーはきっと越えられないだろう。川の傍まで行っても良いが、恐らく引き返すことになる。さて、どうしたものか。。。

と、ここで我らのピーター隊長、オレ、水泳パンツ持ってきたけど、みんなは持ってるか?と意外な発言。

え、水泳パンツって?ジャングルリバーを泳いで渡るっつうの?んじゃ、ザックとか荷物はどうすんの?

うーん、荷物は筏でも作って渡すかって?

えーっ、そんなことできるのか?

などと、ひねくれオヤジどもが次元を超えた驚きの相談をし始めたのだが、さすがにこれはジョンソンに制止された。

そんな泳いで渡るよう川じゃない。普段は膝までぐらいの浅瀬もあって、歩いて渡れるのだが、雨で増水したら恐ろしい濁流となり、川幅も深さも測れないし、それに流れが速くてとても危険だ。無茶したら命に係わるぞって。。

分かった。なら、もうちょっと様子をみることにしよう。。

え、そんな無理だよ。夕方までに山を越え川を何本もクロスして20kmも先のジャングル避難小屋に辿り着かなきゃいけないんだぜ。今、もう10時過ぎだぜ、絶対無理、絶対無理。。

良し分かった、ここはガイドの判断に任せようぜ。ねぇ、ジョンソン、はっきり言ってどうなの?とりあえず川傍まで行って様子見る価値ありか?

ガイドのジョンソン、ちょっと沈黙した後・・・・この分だと行っても無駄だな。止むを得ん。、ここからバリオに引き返そう。。

お、おぉぉぉぉ、なんたるちあ、さんたるちあ。。今日が本番のチャレンジだと言うに、ここから引き返す、だと???

そんなことを話しているうちにまた雨が降ってきた。やっぱり中止は正解なのだろう。皆そう感じたのだが表情は暗い。そりゃそうだ。今日からがホンモノのジャングル踏破だったんだぜ。昨日まではいわばその前哨戦だ。本番を諦めて引き返すなんて、悔しくて、腹立たしくて、残念で堪らない。でも大自然なんてこんなものだろう。悠久の大自然に比べれば人間の存在なんて無に等しいのだよ。

負け惜しみじゃない。これは負け惜しみじゃないぞ、と皆が自分に言い聞かせた。

結局、明日朝までここで天候の回復を待ち、同じ道を引き返すことにした。分かった。今日一日ここで過ごそう。そう結論付けたら急に身体がだるくなってきた。喉がひりひりするし咳も酷い。これは風邪の症状かな、と思った。なので皆に断って、自室のベッドでしばらく休むことにした。

どのくらい眠っただろうか。夢を見た。恐ろしいジャングルリバーを渡る夢だ。昔、月山の雪山で下山ルートを見失い、氷のように冷たい沢に腰までつかって死ぬ思いをしたが、その記憶とダブったようだ。気が付くとベッドの上で汗をかいていた。熱が出たのかも知れん。そして依然として咳が止まらず、苦しくて辛い。

これは、中止になって良かったかも、と思った。もし無理していればロング・レプンのジャングル避難小屋に辿り着くどころか、今頃どうなっていたかわからない。きっと皆に迷惑かけたかも知れないな、とも思った。

その後も結局一日中、湿った毛布にくるまって、着の身着のまままどろんでいた。何度かピーターたちが心配して様子を見に来てくれた。さらに宿のご主人が心配して、これ、、飲むといいと言って薬を持ってきてくれた。有難い、こんな人里離れた奥地の村では薬は特に貴重品だろうにと思ったが有難く頂戴した。

外の雨は次第に止んで、どうやら天候は快復に向かっているようだ。だが気が重い。悔しいとも思う。皆の気持ちもそうだろう。雨が止み、二人は気晴らしに散策に出かけたようだが、オレはもう少し休んでいようと自分に言い聞かせた。こんな風邪ぐらい、あと少し休めばきっと良くなる。良くなるはずだ。

このひねくれ団塊が、情けなくもベッドに臥している間、二人は村を散策していたらしい。その時に撮ったと言う↓写真をシェアした。

↓宿のエントランスで気取るシーシー、心なしか元気がないような。

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↓田圃の中の若者、いい写真だ、しかしピーターの写真はいつも思うが絵になる。才能があるのかもしれないな。

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↓田圃でカエル?釣る少年、これは、今、ブログのトップに据えている写真だがこれもピーターが撮ったものだ。

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↓宿の近くのフィッシィングポンドのようだがこれも実にいい。

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かくしてDAY6も日が暮れた。ピーターとシルフィウスが夕飯だからと言って起こしに来てくれた。宿のおかみさんの素朴な手料理を肴に、残り少ないハンキーバニスター(ウィスキー)を三人で分け合い乾杯した。いい仲間たちだ、つくづくそう思った。





DAY7-DAY8

翌朝、すっかり晴れ上がった青空を見ながら、身体の節々を点検した。まだちょっと喉が痛くて咳もでるが、どうやら熱も下がり、だるさもなくなった。これなら行動に支障はない。昨日までの雨でバカラランまでのジャングル踏破は中止にしたが、残念だがこれで良かったのだ、そう皆で確認しあって宿を出た。

思えば村人は皆親切だった。宿のご主人もおかみさんも、そして雨の夜に出会った多くの村人たちも皆親しくしてくれた。こんなジャングルの奥地の小さな村で、人の親切と温かさに出会ったことは一生忘れない。そう心に誓いながら来た道と同じ道を歩いて戻った・・・・


以下は帰路の絵(写真)物語です。重複を避けるため、極力文言は省きます。

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ガイドのジョンソンが、いいものを見せてやると言って切り出してきたWater Tree。なんと驚き、鉈でスパッと切った太い枝木の先からサラサラと水が流れ出てくるではないか。

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ほら、飲んでみろと言われて皆で回し飲みしたのだが、これはいい。冷たくて旨い。それに、まさかこの枝木の中が空洞になっているわけではあるまいに、始めサラサラ、後にチョロチョロと流れ出てくる水は無味無臭で相当量もある。これは不思議だ。

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ゴール間近のパ・ウカット村に到着した。我々のジャングル踏破はここで終わりだ。考えてみれば何事もなくて良かった。もちろんチャレンジを全う出来なかったことは心底悔しい。悔しいけれども、決して若くない我々トリオが、何事もなく無事に帰って来れたことを良しとしようじゃないかと皆で慰めあった。

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迎えのピックアップトラックの荷台に乗ってバリオの飛行場に着いた。ピーターが素早くバカラランからのMAS便をキャンセルし、新たにバリオからミリへのフライトを確保してくれた。こんな時のピーターは実に頼もしい。頼りになる素晴らしい友人だ。

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いよいよバリオともお別れだ。

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改めて機上からバリオの村を感慨深く眺めた。

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我々が三日間お世話になったNGIMAT AYU'S HOME STAYも、いい汗かいたプレーヤーマウンテンも確認できた。つい数日前のことなのだが、とても懐かしい気分だ。

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まもなくミリに着いた。ツインオッター機はここから右旋回してランディングの態勢に入る。

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↓とてもフレンドリィなパイロットたちだった。

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↓ミリ空港管制塔をバックに、バリオから乗って帰ったツインオッター機。

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そして最後はミリ空港の管制塔。

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その後、DAY7の宿は、DAY1に泊まったマイホームステイ(My Homestay)に直行して同じ部屋を確保。予定にはなかった最後のミリの夜を三人でまたワイワイと過ごし、翌DAY8最終日は、予約してあったエアアジア機でKLIA2に戻ってきて我々の今回の旅は終了となった。




以上で団塊シニアのクラビット高原歩き旅シリーズを終わります。最終章で我々トリオのハチャメチャやぐちゃぐちゃ振りを読みたいと仰った皆さんの期待に応えられなくてまことに申し訳ないです。しかし、その代わりと言っちゃなんですが、私が旅を終えてからもダニにやられた手足をハチャメチャ&ぐちゃぐちゃに掻いて悩んでいたことに免じて今回は平に許してつかぁさい。

では、また。。

追記(2017.5.7)
先日、友人のAnieの招きで妹さんの結婚式に参加した際、共に参加したピーターに、あの後、家に帰ってから痒くて痒くて大変な思いをしたと言う話をしたら、えっ、自分(ピーター)もシルフィウスもなんともなかったけど、なんでイケサンだけ?、、だって。

でも、その傍からピーターの奥様(日本の方)が、"そうなのよ、この人、ダニに噛まれない体質してるのよ"って言うものだから、その時初めて知りましたよ、ダニに噛まれない体質の人もいるのだと言うことを。

欧米人と日本人の違いかって?いやいやそうではないでしょう、多分、体温の違いとか、皮膚の固さや柔らかさとか血液型とかいろいろあるんでしょうな。だって、二人が同じベッドに並んで寝ていて、奥様だけが噛まれ、隣にいたピーターがなんともなかったことがある、というのですから、摩訶不思議と言うか、きっとピーターもシーシーもダニには好まれない体質と言うことなのでしようね。

でも私はダニに好かれる体質なのだということを、今回の旅で初めて知りましたので、今後は予防対策をしっかりたてて、そういうところに進出しようと思います。



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いよいよ今日(DAY5)から真正ジャングル踏破行にチャレンジです。

そう言えば、今回の旅の初日に、KLセントラルから乗ったKLIAエクスプレスの車内で、ピーターとシーシーの古い知り合いだと言う老齢のドクターと偶然鉢合わせしたのですが、話を聞いたら、なんと以前、バリオからバカラランまでのジャングルを単独踏破したことがあるとのこと。偶然にしては出来過ぎのような気もしましたが、一同有難く拝聴しましたよ。

そしたら、その老ドクターの話の中に、bitten by a lot of horrible leeches、つまりぞっとするヒルがうじゃうじゃいて噛まれて大変だったというのがあった。皆、へぇそうなんですか、、と平気を装って聞いてはいたが、内心はそうではなかった筈。このオレだってあのヒルは好きじゃない、どころか大嫌いだ。血を吸われてもさほどの被害はないのだが、見た目がグロで気持ち悪い。

バリオに着いてから、その老ドクターの話をスコットにしたら、なんとスコットは彼を憶えていて、ガイドも雇わず単独で踏破したその話は本当だと言う。へぇー嘘ではなかったんだ、とあらためてジャングルトレイルの吸血ヒルのことを思い出した。

今日の天気は今のところ良さそうだが、このところ毎日雨が降ってるからトレイルはかなりぬかるんでいるだろう。湿地や沼地や雨に濡れた樹々の下や藪道もあるだろうし、ヒルに襲われないようにゲーター(シューズカバー)をしっかり装着し、さらにオーストラリアのジョン爺から譲り受けた↓アンチリーチスプレイなるものを要所要所にスプレイし準備万端整えた。

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↑へぇー、こんなものがあるんですね。これ凄いですね、刺されたら死ぬほど痒いあのサンドフライ(sandflies)やダニ(ticks)、そして山ヒル(leeches)やアブ(march flies)にもばっちり効くのだそう。でもコレDeet(昆虫忌避剤)の割合が40%もあるんだって。若干、人体への副作用が気にはなるが今はそんなこと言ってられないもんな。

そうこう言ってるうちに、スコットに手配をお願いしたガイドのジョンソンが現れた。スコットの幼馴染だと言う彼は、小柄だがいかにもジャングル慣れしてそう、いやジャングル人(びと)そのもののようで実に頼もしい。早速、皆の服装や持ち物をざっと見渡すと、開口一番、ピーターとシーシーの半ズボン姿にそれじゃヒルに噛まれるし藪を歩けない、とロングパンツへの履き替えを指示。まぁこれは当然と言えば当然のご指摘でしょうな、と大きく、うんうんと頷いた私です。

次に、スリーピングバッグは持ってるかとの質問に、皆、首を横に振ると、うーん、二晩目はジャングルの粗末な避難小屋で泊まるからね、地べたに寝るのと同じようなもんだから、スリーピングバックがないとちょっと厳しいかなぁと仰る。

なんだ、そんなことちっとも知らなかったし、いや、でもオレ、レインウェアやウインドブレーカ重ね着すれば多分大丈夫かな、と答えたら、お二人さんも、そうだよ、だ、大丈夫だよ、寒くなんてないよ、と相変わらずのお気楽ぶり。ガイドのジョンソン氏、一瞬顔を曇らせたが、それでも、まっいいか、と出発することとなった。

DAY5は、このバリオの村から4kmほど離れたパ・ウカット(Pa'Ukat)村を経て、さらにジャングルの向こう9kmほど先にあるパ・ルンガン(Pa'Lungan)村まで歩き、今晩はそこの宿にホームステイすると言う,、全三日間のジャングル踏破行の中では一番楽そうな予定なのだ。

その上、先ずは行けるところまで車で行こうと、呼び寄せたピックアップトラックの荷台に、おっ、こりゃラッキー、とニコニコ顔で乗り込むひねくれシニアトリオです。

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パ・ウカット村の手前で、車道は通行止めとなり、ここからが歩きとなる。ガイド氏によれば今日はここから4時間の行程だそうだ。

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↓シーシーとガイド氏の出発前の記念のツーショット。

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ガイドのジョンソン(以降、敬称略)が先頭、そしてシーシー、ピーター、そしてしんがりをこのひねくれ団塊が続く。

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まもなく、パ・ウカット村を通り過ぎ、道は徐々にそれらしくなってきた。

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天気は上々なるも、連日の雨のせいだろうと思うが、トレイルは期待どおりにあちこちぬかるんでいて、靴はあっと言う間にアッパーまで全部泥だらけ。

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それに、深閑としたジャングルの、静かなトレッキングと思いきや、辺りのセミ(Cicada)や鳥が実に喧しい。日本では、セミの鳴き声は夏の風物詩だが、ここでは年中だから騒々しいだけなのだ。

ところで私の両耳にはもう20年も前からセミが数匹常駐していて(注:耳鳴りのこと)時々思い出しては悩んでいる。日本の夏の初めには、時々耳の中のセミが鳴いているのか、それとも本物のセミが鳴き出したのかわからない時もあったのだが、ここのジャングルゼミは日本のそれの何十倍もの大音量でけたたましく鳴くので、お陰で私の耳鳴りなどちっとも聞こえない。(笑)

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このトレイルはかつて、ジャングルで切り出した丸太や荷物を引いてバッファローが通った道、つまりバッファロートレイルなのだそう。

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だが今では、バ・カラランとバリオを結ぶ車道を軍が建設工事中で、完成すればこの道はほとんど使われなくなるのだそうだ。お、どうやら湿地帯にさしかかった模様。

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前を歩くピーターのシューズは普通の運動靴なので、既に靴の中まで濡れているに違いない。

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その点、オレのは完全防水だから、これぐらいなら問題ないが、この先どんな沼地やジャングルリバーをクロスするやも知れず、ちと心配だ。

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湿地を抜けると今度は草丈の高い藪道だ。だが、もう昼近いし藪は完全に乾き切っていて、雨露のついた草葉で濡れることもなく、歩行に特に支障はない。

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前を歩くピーターと10mも離れると姿も見えず、トレイルも見失いそうになる。

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しばらく歩いたところで、小さなジャングルリバーに架かる屋根付きの橋に差し掛かり、しばしの休憩を取ることにした。ここまでのトレイルは小さなアップダウンはあるものの、体力カウンターはまだまだ十分で余裕しゃくしゃくのひねくれ団塊です。もちろん二人も元気です。

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休憩の後、一行はまたトレックを開始したが、どうやら小さな登りにさしかかったようだ。

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小さな登りもまもなく過ぎて今度は鬱蒼としたフォレストが続く。

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歩き始めて約3時間、お昼もとっくに過ぎた頃にガイドのジョンソンが足を止めた。昼飯にしようと言う。

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ジョンソンがザックから取り出したランチパックがコレ。ジャングルの木の葉で包んだナシゴレン風。もちろんこのまま手で食らうのだが、これが意外に美味。適度に塩気が効いてまことに美味い。

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バリオを発つ前に、例のY2K(バリオ村唯一のミニマーケット)に立ち寄り、ジョンソンがイワシ缶とマギーミー(即席麺)を買い求めたが、聞けばそれが二日目の夕メシと三日目の朝メシなのだと言う。どうやらジャングルの避難小屋でたき火を焚いて自炊するらしいが、期待した以上のワイルドな旅になりそうでワクワクする反面、正直言って少々不安な気持ちもある。

その後すぐに、我々は軍の工兵部隊が何年も前から建設工事中だと言う広い赤土の道路に出た。この道路はバカラランとバリオを結ぶ全長約75kmの道路と言うが、工事開始後すでに10年以上も経つというにいまだに開通しておらず車の通行が出来ないのだそうだ。

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早速ピーターは半ズボンに履き替えて歩き始めたが、この道路、もちろんこのように歩きでは通れるが、今日我々が通ってきたジャングルトレイルの方がショートカットでずっと近いのだそうだ。

しかしこの辺りに住む人々の現在の主な交通路は、このジャングルトレイルではなくジャングルリバーだと言う。なるほどあんな藪道や湿地を通る細いトレイルが主たる交通路ではあるまいと思っていたが、それで納得した。

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歩き始めて4時間半となる午後2時頃、今日の目的地のパ・ルンガン村に到着した。

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この吊り橋の向こう側がパ・ルンガン村だ。

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こんな人里遠く離れた部落?だと言うに、案外小綺麗な村だなと、正直思った。

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どうやら電気もきているらしく電柱や電線もある。ジャングルの真っ只中の部落と言うから、もっと粗末で原始的な村を想像してたのに、意外に近代的で驚いた。

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↓これはネットからお借りした村の全景写真だが、サッカーグランドのような広場を取り巻くように30戸ほどの家々が立ち並んでいる。参考までに居住民は100人ほどと言う。

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パ・ルンガン村拡大写真←クリック

↓そして今夜の宿のバツ・リトン・ロッジ(Batu Ritung Lodge)だ。

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バツ・リトン・ロッジの名は、近くに建つBatu Ritungと言う部族の戦士を祀る石碑に由来していると言うが、村で5つある宿泊施設のひとつだそうだ。それにしても居住人口がたったの100人の村に宿泊施設が5つもあると聞いて驚いた。

↓早速宿の主人に案内・説明していただいたBatu Ritungと言う名の石碑。

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↑さらに驚いたのは宿のご主人の滑らかで淀みのない英語の説明だ。今にも倒れそうに傾いた巨石のモニュメントとご主人を交互に見比べながらなんとも不思議な思いに抱かれた。

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宿は木造の古い2階建屋だが、どうやらユニークにも沼地の中に建っているらしく、入り口から渡り廊下のようなアプローチを伝って中に入る。

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↓ここがバツ・リトン・ロッジの玄関だ。

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中に入ると居間に通じる上りぐちだ。ここで一同泥だらけの靴を脱ぎ、ようやく一息ついた。

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居間は広い板の間になっていて、いかにも人気のロッジらしく、これまでに訪れた客のものだろうか壁に無数の写真が貼ってある。

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広間の奥にはダイニングテーブル、そして奥の隅には嬉しいことに温・冷水器が設置され、コーヒーや紅茶のセルフサービスコーナーのようになっている。あんなぬかるみのジャングルトレイルを何時間もかけて歩いて、ようやくついた辺鄙な小さな村に、意外にもこんな快適な宿があるなんて信じられない。

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ガイドのジョンソンに話を聞くと、この宿は彼の親戚筋なのだそうだが、村で一番の評判宿だそう。もちろん米は自家栽培のバリオ米、その他の食材も、すべてジャングルマーケットと自家栽培とフィッシィングポンドからの自給自足だそうだ。

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そんな話をしていたら、なんと目の前に透明の液体が入ったショットグラスがやってきた。こ、これはもしかして、あ、あの憧れのサラワクのライスワインではなかろうか???

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私の期待は見事に当たり、自家栽培のバリオライスを発酵させた自家製の濁酒(どぶろく)だと言う。そっと匂いを嗅いでから、舐めるように舌の上を転がしてみたら、お、おぉぉぉぉ、なんと美味、なんと香しい、これぞ夢にまで見たサラワクのライスワインだぜ。。

実は、何を隠そうこのひねくれ団塊は、山形の田舎で寒の濁酒造りを5年もかけて研究した末に、濁酒名人を自称しては悦に入っていたほどの男だ。濁酒は、ひと口飲めば、いや、ひとしずく舌を転がせばすぐに判るが、こいつはまことに美味い。    
などと、下心ありありで宿のかみさんにゴマ擂ってみたが、サンプル持ち帰りの提案も、お代わりもう一杯のお願いもあえなく却下され、意地汚くもピーターとシーシーの飲み残しを一滴残らず啜るひねくれ団塊なのでした。

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ふと気が付くと、外はいつの間にか雨、それも本降りのようだ。これじゃあ、夕飯まで寝て過ごすしかないな、とそれぞれ二階の自室に籠っていたのだが、この際迂闊にも汗で濡れたシャツを着たままつい眠り込んでしまったらしい。妙な寒気を感じて目が覚めたが、喉の辺りがひりひりと痛い。ひょっとしたら風邪をひいたかも知れないな、と一瞬思った。

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まもなく日も暮れて辺りは闇となったが、外は益々本格的な雨、果たしてこの雨はいつ止むのだろう。もし今夜中に雨が止まず、朝になっても降り続いていたらどうなるのだろう、と思うと不安になる。

ガイドのジョンソンの話では、明日は、朝食後にスタートして約7-8時間のジャングルトレックだそうだ。途中少々きつい登り下りの山越えの後、何本かのジャングルリバーをクロスして、午後遅くにロング・レプン(Long Repun)のジャングル避難小屋に入る予定だと言う。

おそらく明日は今回の旅で最も過酷な、これぞまさにチャレンジと言う旅になるのだろう。それはもちろん私の望むところであるのだが、それにしても雨に濡れるのは嫌だ。濡れたら間違いなく体温が奪われる。いつかの山行でそれで酷い目に遭ったことがある。

だから雨対策はしっかりしてきたつもりではあるが、いかんせん増水した川を渡るのに濡れずに済む方法はあるまい。果たしてその後の避難小屋で暖を採ることができるのだろうか、などと考えると、一刻も早く雨の止むことを願わずにはいられない。

宿の主人の、夕飯の支度ができましたよ、と言う声に促されて階下に下りたが、既にガイドのジョンソンがテーブルについていて、やはりこの雨を気にしているようだ。朝まで止まなかったらどうなる?と尋ねてみたが返事に窮したようで、とにかく明日朝の様子をみよう、とそれだけだった。

しかしこんな雨でもピーターとシーシーの二人は陽気で救われる。いつものようにビールで乾杯した後、リビングの衛星テレビに映し出されていたバドミントンの試合を観ながら(※)たわいもない四方山話に花が咲いたのだが、それも終わると、さてこの後、この雨降る長い夜をどうやって過ごそうかと皆思った。 (※当たり前と言えばそうなんですけど、こんなジャングルの奥地でも衛星テレビはちゃんと綺麗に映るんですね)

すると、突然、宿のおかみさんが、さぁ、これからパーティに出かけましょう、と言う。

え?パ、パーティって? 聞けば、今夜、今から村のとある家で村人全部が集まるパーティがあるのだと言う。さらに詳しく聞こうとしたが、行けば分かります、と言うので皆で行くことにした。もちろん外は相変わらずの雨、どころか、土砂降り状態の雨。

皆、しっかりと雨支度をして宿を出たが、外は真っ暗闇でしかも土砂降り。宿のご主人とおかみさんがトーチライトを付けて先導したが、村の真ん中の広場を突っ切って村外れの一軒家に向かううち、たったそれだけで皆全身びしょ濡れ、靴もぐしょぐしょ。あーぁ、これじゃあ明日が思いやられるよ、と、これは私の独り言でありました。

で、そのパーティの様子などについては、ちょっと長くなりましたので、次回のブログに綴ることとします。ごめんなさい。

それではまた。。




ボルネオ高原歩き旅シリーズ、本編第2回目の今日は、DAY3とDAY4を書きますが、この二日間はいずれもDAY5から始まる本格的ジャングル踏破行のための予備訓練と言うか、ウォームアップなんです。なにしろ、普段はあまり運動などして鍛えていないルーズなオヤジたちですからね。。。

なに、それ違うよ、イケさんって? え?シーシーは毎日プールで泳いでる? え?ピーターも歩いたりジョギングしてるの? なんだナマケモノはオレだけなのか。。

でも、かく言うオレだってたまに卓球やったりプールしたりして時々は汗かいてるんだけどね。それにこっちはとんでもなく暑いから寝てても汗かくし、それって寝ながらジョギングしてるようなもんでしょ。。え、全然違うって?そっか、それはまぁいいとして、何10キロもアップダウンのある本物のジャングルを歩くとなるとそれなりに体力要るわけですよ。

とても長年生きてきたひねくれの悪知恵だけでジャングル踏破できるとは思わない。なので、この二日間、真面目にウォームアップしようと考えたんです。



DAY3

で、今日は朝からバリオのプレーヤーマウンテン(Prayer Mountain)に登ろうってことになった。プレーヤーマウンテンとは文字どおり"祈りの山"で、世界のどこにもある、主としてキリスト教の祈り、瞑想、断食のための施設を備えた山のことだ。

バリオのプレーヤーマウンテンは村の北西部に位置する300-400mの高さの低山だが、十字架の立つ頂上からの眺望は一見の価値ありなのだそう。

↓宿(Ngimat Ayu's Homestay)のバルコニーからズームインして見たバリオのプレーヤーマウンテン。こうして見るとなんの造作もない山だ。こりゃ登山じゃないな、ハイク(hike)だぜ、と皆思った。(頂上の左半分が白い雲に隠れている写真中央の山がプレーヤーマウンテン)

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だから、、見てよ、二人のこの軽さ。え、何がって?だってこれ、ハイキングよりも軽くないか。二人とも半ズボンにスニーカー、それに手ぶらだぜ。雨対策の雨具もないし飲み水さえも持ってないんだよ。

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だから、オレが、え、なに?飲み水もなにも持ってないのって言うと、イケサンは、なんでそんなに用心深いのかって聞いて来る。おいおい、お二人さん、山を舐めちゃあいかんぜよ。山の天気はすぐ変わる、例え今晴れてても、いつ雨が来るか分らんから雨対策は絶対だし、飲み水も必要。それにオラはファーストエイドキットも持ってるんだぜ。

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そんなオイラを小馬鹿にしたようにアッ八ッハーと笑い飛ばし、先を急ぐオヤジたち。。まったく人の言うことなぞちっとも聞かないひねくれモンはこれだから困る。後で痛い目にあっても知らんからな。。(正面に見える山の頂上が今日のゴール)

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そう言えばこの前のスマトラの時は、バックパックの重さが倍ぐらい違ってて、二人にさんざん小馬鹿にされたっけ。確かにあの時はちょっと持ち過ぎだったかもな。だから今回は機内持ち込限度の7kgに無理やり抑えたんだよ。なので余分なものはなんもない。それどころか、着るものも穿くものも最小限度。ほとんど着の身着のまま状態で夜昼過ごそうと覚悟してきたからね。もっともこれが後ほど想定外の痛い目に合う羽目になろうとはまだこの時は思わなんだ。

でもピーターのバックパックなんて、今回も5kとちょっとだぜ。7泊8日の旅にしちゃあ、軽すぎないかって言ったらへっへっへと笑い飛ばされた。そこが旅のベテランと初心者の違いなんだとさ。

でも山だぜ、ここは。それもボルネオ島の奥地の秘境に近い山、と言っても結構人の手が入っているし、良く整備されてて意外なんだけどね。しかし、次第にそれらしくなって来て、しんがりを歩くオイラは内心意地悪くほくそ笑んでたよ。

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ここらで雨でも降って来ないかな、と意地悪くほくそ笑むオイラ。なに、突然土砂降りが来たってオレは怖くない、なんせゴアテックスのレインウェアにこれもゴアテックスのゲイター(防水シューズカバー)持ってるしね。それに比べて彼らときたら、普通のスニーカーに半ズボン。オレ、ホントに知らんからね。

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なかなか降りそうで降ってこないのがチト癪に障るが、それでも山道の勾配は徐々にきつくなり、先ずプールで毎日鍛えている筈のシーシーが遅れだした。

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そしてついに先頭に立つオイラ。少しずつ遅れる二人を上から見下ろして、ホレ、どうした、もっと早く登れないのかと急かすこっちは小気味が良いのだ。

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↓ほらね。結構急な勾配だよ。このプレーヤーマウンテン、300-400mの低山だからってはっきり言って舐めてたね。登山道の最初だけなだらかだけどだんだんきつくなってきて、この辺りはほとんど↓こんな感じ。まぁ、DAY5から始まる本格ジャングル踏破行のウォームアップにはちょうどいいかもな。

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ほら、どうした、どうした、と意地悪く二人を急かす、ひねくれ度合いでは決して人後に落ちないオイラ。

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それでも、オラが内心期待してた突然の土砂降りもなく、いつしか十字架の立つ頂上に着いたのでありますよ。

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頂上からの眺めは、、、、わおっ、こりゃ見事だ。でもこうして眺めていると、ここがとてもボルネオ奥地だとは思えん。なにか遠い昔のどこか無性に懐かしい情景が蘇る。

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拡大パノラマ画像←ここをクリック(是非PCなどの大画面で見て下さい)

それでも↓うへぇー、疲れた、、とは決して言わない可愛くないひねくれオヤジたちなんです。

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しばらく頂上にて休憩を取った後、ゆっくりと同じ道を下ってきたのだが、幸か不幸か結局最後まで雨は降りそうで降らなかった。

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だけどこれ、単に運が良いだけだからね、もし途中雨が降ったら二人はどうなっていたのかね、とはオイラの独り言だけど、彼らにはさっぱり通じてない。一度徹底的に痛い目に遭わないと多分永久に分らないんだろうな。。。

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そしてその夜、今夜はワイルド・ボー(猪)のBBQだと言うので、宿の離れのBBQ小屋に集まり、宿主のスコットを中心にビールを飲みながらいろんな話題で盛り上がった。

それにしてもスコットの英語はきれいだ。いやスコットに限らず、このバリオの人たちの英語は、こちらが恥ずかしくなるほど達者で恐れ入る。なぜと思ってスコットに話を聞いてみると、その訳はバリオの歴史が影響しているそうな。

なんせかつては首狩りでその名を馳せたクラビット族なのに、今では約6000人の人口のすべてが熱心なキリスト教徒で、それぞれの小集落には必ずある教会での祈りを欠かさない。それもこれも、19世紀半ば(1840年代)に遡るサラワク王国に由来するそうで実に興味深い。王国は、当時のブルネイ王が英国人探検家のジェームズ・ブルックに割譲した独立国で、以来なんとこのバリオの地では物事のすべてが英国式になったのだと言う。

しかし1941年の旧日本軍のサラワク占領で王国は消滅し、終戦後は英国の直轄植民地となったが、その後1963年にはマレーシア連邦の一員となり英国から独立して現在に至るのだと言う。

だから、現代のバリオの家々では寧ろ英語を話し、元来のクラビット語が次第に廃れて来ているそうな。もちろん小学校や中学校では完璧な英語教育に余念がないが、近年はクラビット語の教育にも力を注いでいるとのこと。

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いや、それにしても恐れ入った。このボルネオ奥地のバリオの地では、どこにもいるオバサンやオジサンが、いや子供たちも皆、ほぼ完璧な英語を話す。これには驚いた。

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でも、私もマレーシアに暮らし始めてまもなく4年半、日本で暮らしているよりは、圧倒的に英語で話す機会が多い。もちろん私自身が積極的にそんな機会を作為しているせいもあると思うが、嬉しいことに最近では、和文英訳の手順を経ないで、英語で考え英語で話すと言う術がようやく身についてきた気がしている。

それでも、こんなインターナショナルな人的関係の真っ只中にいると、自分の英語力のみすぼらしさが気になってしょうがない。得意げに話しまくるジョンはオーストラリア人で英語ネイティブだから当たり前だろうけど、ピーターもシーシーも英語ネイティブではないハズ。ましてスコットは、こんな人里離れた秘境とも思えるバリオで生まれ育った人間だ。

そんな彼らが、自由自在に英語を操り、話題は次から次に目まぐるしく変わる。

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ここで我々(日本人)の英語教育に関する問題提起をしようとは決して思わないが、日本人の英語力の乏しさは世界でも稀なのではないかと感じることがしばしばある。東南アジアでも中東でも世界のどんな国でも、みんながみんなそうだとは言わないが我々日本人よりはよほどマシな英語を喋る。

時々、日本の大学や専門学校などからマレーシアに英語留学にきていると言う若者たちと話すことがある。彼らは数か月から1年程度、KLの語学学校の宿舎で暮らし、英語漬けの毎日なのだと言う。しかし思う。それにしては、典型的なワンセンテンスイングリッシュだ。当地に暮らすほとんどの日本人がそうであるように、和文英訳の手順であらかじめ準備したワンセンテンスかツーセンテンスしか口に出て来ない。後が続かないのだ。これじゃぁ会話にならない。

良く持って30秒。1分も続かない。すぐ黙り込んでしまう。こんなんじゃあ会話にならないし丁々発止の議論などできるハズもない。これだから、英語圏、いや英語圏でなくてもマレーシアなどの東南アジアでもだが、彼らをして日本人はシャイだとか、黙ってばかりいるから何を考えてるか分らないとか、ニヤニヤばかりして気味が悪い、などと言われてしまうのだ。

本当はそうではない。もっともっと喋りたいのだ。いろいろ話して世界のみんなと同じ仲間に入りたいのだ。でも残念ながら英語が話せない。これって実は大方の日本人の致命傷だと思ってしまう。日本では、英語なぞ話せなくても構わない、日本人なんだから、日本語だけで十分と言い切る人たちも大勢おられる。でも私は、それだから日本人が世界から誤解されてしまうのではないか、と思っている。

昔も今も日本では、英語を話すというだけで、能力を過大評価されたり自覚したりする傾向がある。ところが日本以外の国(中国や韓国のことは知らないが)では、英語は話せて当たり前、話せない場合は、使えない奴、できない奴とネガティブ評価されてしまうことが多い。マザーランゲージが何であれ、英語で意思表示し、さらに丁々発止に議論できる英語力は、今やごく普通のことなのだ。

慰安婦の問題も、南京大虐殺の問題も、世界中の人たちが誤解している気がしてならないが、これなぞは日本人の英語力の貧しさ、つまり英語発信力の無さの証左ではないかと感じてしまう。政府や公的機関だけでなく、草の根的に我々日本人の誰もが、世界のいたるところで声を大にして英語で情報発信して来ていれば状況は変わっていたのではないかと思っている。

だから私は、どこでも堂々と、あらゆる問題をいろんな国の人たちと、共通語の英語で真剣に話すようにしているが、もちろん完璧にはほど遠い。語彙や表現力の不足が言いたいことのニュアンスを曲げてしまうこともあり、まだまだ努力が足らないことを切実に感じている。

↓ワイルド・ボーのスペアリブ

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↓BBQ小屋から場所をダイニングに移してのディナー。

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↑ダイニングテーブルをざっと見る限り、今夜は、Grubsの姿煮込みの大皿はない。ないと分るとひねくれオヤジたち、内心ホッとしただろうに、なんだ今夜はアレないのか、なんて強がり言って、まったく煮ても焼いても喰えないひねくれモンだこと。(これ私も含んでのことです)

で、この緑色のスープは何ですかとスコットの母君に尋ねたら、その辺りの沼地に自生してるWater Spinachだと言う。参考までに、コメは水耕、バリオ特産のスティッキーライス、フルーツはパイナップル、パパイヤ、バナナなどを農園栽培。チキンや卵は家々でカンポンチキンの放し飼い。猪肉や山菜はジャングルマーケット、魚は数あるフィッシュポンドで必要十分。電気は最近整備されたというソーラー発電。水道は近くのダムから引いてくる・・・とまぁ、言ってみればこの世の楽園ですな、ここは。。

ただ、我々都会人(?)にとって唯一の不満は、ネットがまったく繋がらないことと、携帯電話もところどころしか通じないこと、、だがしかし、このことがメールやSNSなどのおせっかいからも逃れられて、ある種の都会人には却って魅力なのだとか。。

かくして今宵も、インターナショナルひねくれトリオはオーストラリアの孤高の旅人ジョン爺を加え、大いに喰らい、飲み、そして続きの話しに夢中になって、夜の宴はいつまでも続くのでありました。



DAY4

そして翌日(DAY4)ウォームアップの2日目、リーダーのピーターの計画に従い、バリオでは有数の観光名所(?)だと言うSalt Springまでトレッキングに行くこととなった。

Salt Springとは、即ち塩井(しおい)のことだが、バリオのそれは"クラビット高原の宝(Treasure of the Kelabit Highland)"とも呼ばれているそうな。その昔、海底が地殻変動のため隆起するなどして陸上に閉じ込められた海水(塩分やミネラルを多く含む地下水)
を、井戸を掘って汲み上げ、それを釜で煮つめて採取するのだが、近年特にこのバリオ塩の持つ医学的効果などが広く内外に認められ、バリオ土産としても喜ばれているらしい。

このソルトスプリング、バリオの北7-8kmのジャングルに位置し、我々の足慣らしのトレッキングコースとしては手頃なようだ。それにしてもお二人さん、今日も昨日と同じこんな恰好でっせ。

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天気はまずまずのようだが、なんせここはボルネオ奥地の標高1000mの高地、平地の天気とは異なると言うことを知るべきだ。昨日も夕方から突然雨が降り出したし、あの雨ではジャングルも相当ぬかるんでいるに違いない。私はいつもの防水山靴だが二人のシューズがちと気になる。でも、シーシーは昨日のプレーヤーマウンテンでスニーカーの靴底が剥がれて使えなくなり、結局、宿のスコットに譲ってもらった少しはましなトレッキングシューズだ。

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でも、運が良いことに往きは、歩き始めてまもなく、通りがかった村人のピックアップトラックに乗せてもらってジャングル道を走り、ほとんど歩くことなく目的地に着いてしまったのだが、皆、これじゃぁ足慣らしにならんでしょ、とは思わなんだ。

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なに?ここがソルトスプリング? 誰もいないし、これが観光名所かよ???

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ほほぅ、ここが井戸か?なるほど3-4mの深さに茶色に濁った水面が見える。あれ、意外に浅いんだな。

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↓これはネットからの借用画像だが、汲み上げた塩水をこのように窯で長時間煮つめて塩を採取するのだという。

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そして、↓これが最終的な出来上がり。竹筒にいれて固めた塩を竹筒から取り出し、なんか知らんジャングルの木の葉で包んだ特産のバリオ塩。試しに買って帰ろうと思ったが、帰りの機内持ち込み荷物の重量制限が気になり結局諦めた。

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その後、↓こんなぬかるみが延々と続くジャングル道を1時間ほど歩き、パ・ウムル(Pa'Umur)村に到着したころ、急に雲行きが怪しくなって来て、少し降り出してきた。

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おやおや、雨が降ってきたよ、こりゃ本格的な降りになりそうだな、、と、内心ほくそ笑みながら話したら、二人とも困った顔して早く歩こうなんて言ってる。おいおい、ここから宿までまだ4-5kmもあるんだぜ。お二人さんよ、まぁせいぜい濡れればいいよ、痛い目に遭わないと一生分からないだろうからね、いい機会だよ、これが年貢の納め時っつうんだよ、と声に出しては言わなんだがそう思ってた。

だって、明日からの本格ジャングル踏破行だって、雨具確かめたら、二人ともスマトラと同じ、ダイソーのペラペラポンチョだって言うんだよ。これ考えられる?えーっ、そんな無理だよぉ、って言ったら、アッハッハー、そんなんだからイケサンのバックパックが重くなるんだよって、逆に諭された。

し、し、しかしだよ、この後すぐに、あの人里離れたジャングル道で、滅多に遭わないであろう村人のピックアップトラックと遭遇し、恥ずかしげもなく親指を立ててヒッチハイクを試みた二人のオヤジ。

いやぁ、ラッキーと言うか、強運と言うか、まったくもって言葉が見つからないけど、気の良い村人に拾ってもらって、結局ほとんど濡れることもなく、宿にご帰還したひねくれトリオ。

これってついていたと言うべきか、はたまたついていなかったと言うべきかは分らんが、またしても痛い目にも会わず、年貢もちっとも収めず、計画では往復4-5時間のジャングルトレッキングのハズだったんだけど、終わってみれば、ナニ、半分も歩いてない、チョーヤワな足慣らしのDAY2でありました。

DAY5~DAY8に続く。


本当はこの旅ブログのタイトルを「サラワク奥地ジャングル踏破の旅」としたかったんだけど、残念ながら雨で全うできなかったし、ちょっと遠慮したんです。だから「クラビット高原歩き旅」でいいんです。

ま、でも無理してたら今頃どうにかなってたかも知れないし、これで良いのだ、、、と悔しいけれども納得している我々団塊ひねくれシニアです。



DAY1

さて、初日はKLIAからサラワクのミリへ。プロローグにも書きましたが、今回はマリンドエアのB737-800でした。これって意外といいですね。私はこれまでボルネオには三度渡っているのですが、すべてエアアジアだったんです。フライト時間がたいしたことないからって我慢してたけど、レッグスペースは狭いし、預け荷物は有料だし、あんまりいいことないですよね。マリンドのチケット取れればこっちの方がずっといいなぁなんて思ってしまいました。(でも残念、帰りはエアアジアでした)

だけど、ミリって意外に大きくてきれいな町ですね。以前マレー語のクラスメートの某女史が、油田開発の仕事に携わるご主人とずっとミリに住んでたって言ってたな。辺鄙なところだろうと想像してたけど、こんなに大きな町だったんだね。

ボルネオって、根拠ないですけどなにか面白そう。。サバにはキナバル山があるし、ここサラワクには手つかずのジャングルや少数民族の里がある。こういうのって、やけに興味そそるんですよね。

でも今回の我々の初日はミリに一泊するだけ。他になんのミッションもなし。宿は、いや、宿もエアチケットも今回の旅のガイドの手配もなにもかも、リーダーのピーターに負んぶに抱っこ、まったくお気楽な参加者その1ですよ。ピーター、ホントに世話かけたよね、ありがとう。

で、ミリの宿はここマイホームステイ(My Homestay)。市中心部にあって、特にチョイ悪オヤジの夜遊びには超便利。考えてくれてるよ、まったく。それでいて宿代はチョ安ときてるからね。言うことなしだよ。

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宿の入り口は↓ココ。ガラスのドアにトリップアドバイザーとかブッキングコムとかのシールがベタベタ貼ってあって、漢字で「民宿」と書いてある。でもコレって日本語の民宿じゃぁないよね、多分コレ、中国語で意味は安宿(Inn)って言う意味だと思う。

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部屋は狭いながらも四人部屋、スマトラのパダンと同じ、バンクベッド(二段ベッド)が二台の四人部屋。ちなみにこれで一部屋99リンギ、三人の朝食込みって安すぎだよね。

暗黙のルールで身体のサイズがあとの二人より小型のオレがベッドの上段なんだけど、でもこれって好きじゃない。なぜって、夜のトイレが近いから梯子を昇ったり降りたりが大変だし、寝返りを頻繁に打ってベッドギシギシ言わせると下段のピーターにとっても気の毒なのだ。だからかも知れないけど、ピーターは朝いちばん遅くまで寝てる。あんなに良く眠れるもんだと感心するけど、これってホントはオレのせいかも?

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ま、そんなことはどうでもいいけど、メシ喰いに行こうぜと外に出る面々。。

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通りに出てすぐには、カフェもバーもマッサージ屋さんも軒を連ねていて、なんと便利なところだこと。。

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ほら、すぐに見つかった。ミン・カフェ(Ming Cafe)と言う、いわゆるどこの観光地にもあるインターナショナルなカフェバー。

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↓とりあえず、明日からの三人の奮闘を期して、Cheers !

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ほどなく店はほぼ満席になりましたね。でもいつも思いますけど、なぜこういうインターナショナルなカフェバーの客って、ウエスタナーだけなんです? どこの店に行っても日本人とかにはほとんど出会ったことがないんですけど。。

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7時までだと言うハッピィアワーのうちにそれぞれビールを飲めるだけ飲んで、クリスビィポークとかピザとかいろいろたらふく食って、またビールを飲んでそして最後はコレ、イエガーマイスター、そうドイツのハーブリキュール(養命酒)なんだそう。オレは今まで飲んだことがなかったんだけど、シーシーが飲め飲めって盛んに勧めるものだから、ワンショット、そしてツーショットと行ってみましたよ。(いや3杯か4杯飲んだかも)

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え、これ日本の養命酒とほぼ同じ味だね。でもコレ、ストレートで飲むより何かで割って飲んだ方が好きかも、って言ったら、なんとイエガーのそんな飲み方、世界中で流行っているんだってさ。それからシーシーにひとしきりドイツのこと自慢され、聞かされて、ハイハイ、ちゃんと聞いてましたよ。。だけど既にほろほろだったからほとんど憶えてないけどね。(*´ω`)┛

まだ明るいうちに入った筈なのにいつのまにか9時も過ぎてしまって、さぁ、次はどうしようか?って、、なに決まってんじゃん。マッサージだっべよ。。

おっ、そうだね、行こ行こって即決。宿までの帰り道にあるタイマッサージ屋さんに立ち寄って、オイラはトラディショナルなドライマッサージ、彼らはいつものぬるぬるオイルマッサージ、その後、またカフェでコーヒー飲んで、明日からの旅のこととか、いろいろ話して、そんでもって宿に帰って大人しく寝ましたです、ハイ。。



DAY2

翌DAY2はミリからバリオまでの移動日。ミリの空港で体重計に乗れと言われ、突き出たお腹をもっと膨らませてフザケ顔するシーシー。(笑) これ、小型飛行機だから荷物だけでなく乗客の体重も計るんですよ。

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バリオまでの飛行機はコレ↓、MASwing(マレーシア航空の子会社)のツインオッター機。カナダのボンバルディア社の高翼の双発ターボプロップ小型機で乗客は19人乗り。特に高翼機なので下方視界は抜群だ。

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STOL(短距離離着陸)性に優れ、エンジン全開で離陸滑走を始めたと思う間もなく離陸。このツインオッター便、ミリとバリオの間は毎日2便運航されているが、バリオ空港はVFR(有視界飛行)専用なので悪天の場合は欠航となるそうな。

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それにしても高高度を飛ぶジェット便と異なり、2000~2500m程度の低高度を飛ぶので下界の見晴らしは素晴らしい。

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↓これは今ブログのトップに据えてる写真だが、うねうねと幾重にも曲がったジャングルリバーがなんとも芸術的だ。

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機内はフリーシーティング(自由席)。19人乗りなので、満席かなと思ったら意外にもこんなにガラガラ。我々以外は皆さんローカルの方のようで乗り慣れていらっしゃる。

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操縦席との境のドアもなくオープンなので、パイロットの操縦操作も丸見えで実に興味深い。

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いよいよ本格的なボルネオ奥地のジャングルかな。。

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下界は雨のようだが、こうやって上空から眺めると山肌を覆う雨も幻想的で美しい。

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おっ、山の稜線がこんなに近くに見えるなんて、ぎりぎりの山越え飛行がスリル満点でチョー面白い。

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飛行方向左側に見えるのは、垂直に切り立った岩山登りで有名なバツ・ラウイ(Batu Lawi)のツインピークスだ。

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ミリを離陸後、約1時間、もうバリオに着いたようだが、こんなジャングルの奥地に結構開けた村があるもんだ。

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STOL(短距離離着陸)機のツインオッターならではのあっという間のランディング。

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預け荷物もほらこんな簡単に受け取れるんだね。

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ツインオッター機の前でシーシーと少年のようにはしゃぎながら記念撮影。

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こっちはもっと幼いぞ。ピーターって、いつかもそうだったけど、なんにでも乗りたがる。パイロットが降りた操縦席にちゃっかりと座ってこのご機嫌ポーズ。

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これがバリオ空港ターミナルの表玄関っつうか、ど田舎飛行場の待合所って感じだけど、これでも立派なもんだよね。。あれこんなところにも一応コントロールタワー? いやこれはそうではなくて、パイロットとの無線交信のための単なるレディオなんだろうけどね。

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↓ほどなく、今夜からお世話になる宿(アユ・ホームステイ)のオーナーのスコットが迎えにきてくれた。

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↑あれ、いやに愛想のよいおっさんがひとりくっついてるな。この人、誰だ?と思っていたら、車の中で彼が自分で自己紹介してくれた。オーストラリアから来ているジョンさんだそうだ。同年代かな、この人? いや、でも良く喋る人だこと。。人恋しかったのかなこの人。何日か前にバリオに一人できて同じ宿に泊まってるんだってさ。

でもこのバリオって、道路は細いながらも一応簡易舗装されてるし、立派なもんだよ。行き道、スコットが小学校が二つと中学校が一つあるって説明してくれたけど、それだけ子供も大勢いるってことなんだね。

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さぁ、着いた。ここが今夜(DAY2)から3日間(DAY5の朝まで)お世話になる、NGIMAT AYU'S HOME STAYだ。スコットの母君だと言う老婦人がニコニコ顔で出迎えてくれた。

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宿は、もう何年も前にバリオに観光客を呼び込もうと村全体が動き始めた時、以前からあったロングハウスを改築したものだそうだ。↓これは改築直後の建物全景。

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そして↓これが年月を経た現在の姿。

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かつては伝統的なロングハウス(Rumah Panjang)だったそうだが、全面改築後の今は、中に入ってみると、なかなかきれい。以前から伝統のロングハウスにホームステイするのが夢だった私としてはちと不満なのだが、こりゃ仕方がない。眼を瞑って往時を偲ぶことにしようと思ったわけです。

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ほら、見て下さい。往時のロングハウスが十分偲べるじゃありませんか。

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部屋の割り振りは、一人一部屋ずつと贅沢三昧。部屋にはシングルベッドが二つ、バスは共用。え、シーシーの部屋だけバスルーム付きってなんで?(多分一番のシニアだと思われた?)

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長い中廊下の外側には外廊下と広いバルコニー。いやぁ、いいですなぁ。

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辺りはなんにもないけれど、三食付きだし、心配ない。今日は曇りでどんよりしてる、いやまもなく雨が降りそうな気配だけど、目の前は田圃、遠くには山。気温はちょっと肌寒い感じなんで多分20数度だろう。こりゃ久々に夜もぐっすり眠れるかもな。。

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ランチをどうぞって。スコットが呼びに来た。おーおーこりゃ凄い。立派なダイニングテーブルだワイ。テーブルではオーストラリアの人懐っこいお喋りジョンが待っててくれていた。

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ランチのメニューは、バリオライスに山菜の煮物が二種、それにワイルドボー(Wild Boar=猪)の甘辛煮、そして野菜たっぷりのスープのランチ。。コレ全部凄く旨い。これホント。

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ジョンのお喋りに負けじとシーシーもピーターも喋りまくり。そんな中、オイラは時々応戦しながらひたすら喰いまくり、スープ飲みまくり、そしてデザートの自家製パイナップルとパパイヤ喰いまくりなのじゃ。

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そのうち、どこから現れたのか、ニュージーランドから来たという爺さんが一人参戦して、え、この人は誰?なんだかよく知らないけど、本人の弁によればここが気に入ってどこかに棲みついているらしい。しかし、なんでこんなウエスタナーばっかなの?

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ランチの後で、なんにもすることないから村を散策でもしようやと、雨上がりを待って外に出てきた団塊オヤジ三人組。"しかしホントになんにもないところだなやぁー"。(これシーシーのドイツ語田舎弁)

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"おほ、ここが村の中心部だっぺ。左側、ホレ、あそこが村のマーケットプレース、それに、ホレ、あそこがeBARIO(なんか村のテレコムセンターみたいなところ)だべ?"(これピーターのスイス田舎弁←独語、仏語、伊語&ロマンシュ語のMixture←これまったくの嘘)

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"お、なんだY2Kって?2000年に開店したのがの?ここが村で唯一のミニマーケットだべ。"(これはオイラの真正山形弁だす)

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"あれ、この人、宿のオーナーのスコットさんじゃん。今頃なんでこんなところでビール飲んでんの?"とシーシー。"いやぁ、見られてしまったっすね?いや実はここが村で唯一のカフェバーなんすよ。毎日今頃ここに集まってビール飲んで、いや、楽しいっすよ。ささっ、皆さんもご一緒にどうぞ、どうぞ"とはスコットさんの弁。

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よく見ると、あれ、なんだジョンもいる。その他、なんだが地元の人だか観光客だかわからない方もいるけど、誘われたら絶対断らないのが我々の主義なんで、まだ日も高いのに喜んで参戦したひねくれトリオです。

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またまた、しょもない四方山話に花咲かせ、喋りまくり、缶ビール飲みまくるうちいつしかとっぷりと日も暮れ、気が付いたら夕飯の時刻。スコットに促され、宿に帰ることにしたのだが、フト隣を覗くとそこはプールバー。そしてなんと奥にはカラオケ設備もありましたよ。。驚きましたね。こんなところにカフェバーや、プールバーやカラオケがある。なるほどここが気に入って棲みつくウエスタナーの爺さんもいるわけだよ。

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Y2Kを後にして、暗い夜道を歩いて帰るのはしんどいなぁと話していたら、スコットが、"さぁ乗って乗って、って。。""え、大丈夫なの?"などと余計なことを言うものがいるハズもなく、彼のピックアップトラックの座席と荷台にはこれでもかとぎっしりと人が乗り込み、それぞれの家路に着くのでありました。

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宿に帰るとまもなく、夕飯の時間です。あんまり腹も空いてないなぁなんて思いながらも喜び勇んでダイニングルームに参集した我々です。

一同テーブルに着くと、宿の主人のスコットがお祈り始め、一同、一応真剣な面持ちでそれに従うフリしてました。。お祈りも終わり、さぁ、いただきましょうとなったのだが、その前に・・・とスコットの説明アリ。。

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↑これ、スコットが、我々を歓迎するために、今日午後、特別にジャングルから採ってきたと言う新鮮食材だそうな。え、どれどれ、と一同、覗いてみたら、な、な、なんとギョギョギョのギョだよ。

一番右の皿がそれだけど、正直言ってこの種の料理は万人に好まれるものではないだろうと思うので、少々ボカシを入れました。でも興味のある方には通常画像を用意していますので、どうぞクリックしてご覧になって下さい。でもこの類に弱い方は絶対スルーして下さいね。
(GRUBS←ここクリックすると通常画像が開きます)

ま、テレビの世界秘境番組でも良くみるシーンだけど、まさかこんなところで試されるとは思ってもいなかった我々一同、少々ギョっとはしたものの、そこはそれ、皆いっぱしのひねくれオヤジたちなんで、いやーん、食べられないですぅー、なんて口が裂けても言えないのだ。

ピーターが、一番年上のイケサンからお先にどうぞって言うから、いやいやピーターがリーダーだし、メインゲストなんだから、ピーターから先に食べなきゃだめだよと言い返したら、顔引きつらせて頬ぴくびくさせながらもぐもぐしてたっけ。(笑)

旨いかって聞いたら、"う、う、う・ま・い"だと。なぁに言ってるだか、こんなもん旨いわけねえっべよ。(ここは会津弁でどうぞ) ピーター曰く、ささっ、イケサンもシーシーも食べて食べてって、要らぬことにせかすことせかすこと。。

わぁったよ、喰えばいいんだろ、喰えば・・・・と半ばやけっぱちでスプーンでほんの少々取り分けるオレ。すると、ピーター、大匙で、もっともっと喰わなきゃって、余計なことに、オレのライスの上にたっぷりと乗せてくれちゃってさ、、、お陰でなんつーか、中華丼ならぬ幼虫丼みたいになっちゃってね。。

それを見ていた隣のシーシー、やっぱりオレも食わなきゃいかんのかって顔で、ちょこっとだけ取り分けてる。おいおいそりゃないだろ、もっと喰え喰えって大匙で山盛りてんこ盛りに幼虫丼作ってあげたオレ、とっても優しいひねくれ団塊なのでした。

宿のスコットには悪いけど、これはっきり言って美味しくない。もしから揚げ粉まぶして、カリカリに油ででも揚げていたらクリスピーでそれなりに旨かったかもしれないが、なんせ、ほろ苦いジャングルシュート(何かの若木)と一緒にさっと煮込んだだけのものだから、素材そのままの食感と食味で、こりゃなんつーか、なにが苦いのかなんなのか、もう結構でぇーすって感じ。そんでもって、虫たちの皮が意外に硬くていつまでも口の中に残るもんだからはっきり言って気持ち悪いのなんのって。。

オレ、こんなところに住めないって思ったけど、そんなこと口にしたら後の二人に舐められるから、フン、こんなもんへっちゃらだぜぇって顔してた。まっ、あの二人も似たようなもんだと思うけどね。

その証拠に、その後、さっきY2Kで買った↓ハンキィバニスター(ウィスキー)で口を漱ぐようにして飲んでたからね、二人とも。(笑)

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いやまったく、ここでこんな経験するとは思わなかったけど、ま、考えてみれば貴重な経験だったかも。。こんなの独りじゃ絶対ありえないもんな。。かくしてDAY2の夜もゆっくりと更けゆくのでありました。

ではまた。。(DAY3&DAY4に続く)






みなさん、こんばんは。

予て予告のとおり、今回から小分けしてボルネオ島の高原歩き旅を綴ります。我々国境なき団塊シニア三人組の顔触れは、リーダーのピーター(スイス出身)、いかにもちょい悪オヤジ風のシルフィウス(ドイツ出身、ニックネームはシーシー)、それにひねくれ団塊の私の三人組で前回と同じです。

今回は、前回スマトラバイク旅から約4か月、リーダー兼旅企画担当のピーターが満を持した旅なので、そんじょそこらの平凡な観光旅行とはまるで違う旅の筈。なので私も、相当覚悟や準備をして参加した訳です。

それにしても、事前にピーターがメールで送ってくれた旅程表を一読した私は、正直言って一抹の不安を感じました。体力・気力が十分な若者時代ならいざ知らず、我々とっくの昔に若者を卒業したジジイに近いオヤジたちにこんなチャレンジが果たしてできるのだろうかって。。。

しかし、売られたケンカは買わなきゃいかん。ビビッて尻込みしたら日本男子(男爺)の恥だ。あの二人もかなりのひねくれ者だが、ことひねくれ度合いにかけちゃ、オレの方が一枚上手のハズ。前回に増して波乱万丈の旅の気配はするものの、こんなことが三度の飯より好きな私としては、辞退するなら死んだがましと二つ返事で受けた訳です。

で、その結果ですが、正直言うと、今、風邪でダウンしています。咳も鼻水も止まらないし、喉がぜぇぜぇ言ってるし、頭も痛いし、身体も熱っぽくて怠いし。。実はこの風邪、旅の途中で引いたようなんですよ。

昨日出席したマレー語クラスのとある女性から、え、熱帯のジャングルで変な病気もらって来たんじゃないの?なんていやな顔されましたけど、ま、それはないと思うんですけどね。ちょっと油断してたら風邪ひいたんですね。最初は大したことはないと思ってたんだけど、私も弱くなりましたね。だんだん酷くなってきて、もちろん医者もいないし薬屋もない奥地の村で、村人が何より大事にしている貴重な薬を分けてもらって飲んだりしてね、そしたら少し良くなって、なんとか無事に歩いて帰って来れたんだけど、KLの我が家に辿り着いた途端にぶり返してしまったなんて、情けなくってまったく涙が出るよ。

なんて、、実はこれ、今日は本編ブログ書かない(書けない)ことの言い訳なんです。すみません、そんなわけで、今回は、以下旅の概要だけ紹介してお茶濁しのプロローグとさせて下さい。



DAY1
 先ず、旅の初日はKLIAからマリンドエア(Malindo Air)でサラワク州のミリに飛びます。約2時間の旅です。

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サラワク州のミリへはエアアジアもMASも飛んでいるのですが、チケットが取れればマリンドのB-737-800が快適です。レッグスペースは比較的ゆったりしているし、↓のように機内エンターテインメントも充実しています。

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初日はミリ泊まりです。ミリは大きな町ですから、居酒屋もバーも不自由なしでしょう。おそらくビールをしこたま飲み、最後はマッサージとお定まりのコースでしょう。

DAY2 - DAY4
 二日目はミリからバリオにMASwingの小型飛行機で飛びます。陸路もあるらしいのですが、450km以上もの悪路を14- 5時間もかけて走るオプションは端から除外です。

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サラワクの奥地にクラビット高原と言う、標高1000mほどの高原地帯があり、多くの少数民族の村落が散在しています。その中心地であるバリオは飛行場を含むインフラが比較的よく整備されていて近年欧米からの観光客も増えているそうです。

DAY2-DAY4はこのバリオにホームステイして、DAY5から始まる本格的ジャングル踏破の旅の足慣らしです。

DAY5 - DAY7
 五日目からはいよいよ今回旅のクライマックス、真正ジャングル踏破の旅です。村のガイドを雇い、バリオからパ・ルンガン村を経由し、ジャングルの避難小屋などに寝泊まりしながらいくつもの低山やジャングルリバーを超え、インドネシアとの国境線を2度もクロスして、バ・カラランという国境近くの村まで約60-70kmを歩く旅です。

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DAY8
 バカラランの飛行場からMASwingの小型機でミリに飛び、ミリでエアアジア機に乗り換えてKLIA2に戻ります。

以上が今回旅のプロローグ、というか計画の概要です。こう書いている最中にも鼻水がズルズル垂れてきて、咳も止まらない。なんかまた熱が出てきたような気もするし、誰かが言うようになんか変な菌でも貰って来たんじゃなかろうか、、などとちょっこし心配になってきたひねくれ団塊です。

で、今回の旅の結果ですが、、、、、、、、、、え、結果を先に書くなって、ですか?それもそうですよね。でも、今回は先に結果を書いておかないとなんか後ろめたい気がするんです。実は、真正ジャングル踏破の旅を開始したDAY5の夜から雨が本格的に降り出して、翌DAY6も一日中、雨が止まず、熱帯雨林を幾重にも流れるジャングルリバーが増水して越えられないと判断したガイドの決心で、バ・カラランまでのジャングル踏破の旅を中止し、実は泣く泣くパ・ルンガンの村から引き返して来たのです。

もちろんこれは私の風邪っぴきとは関係ないですよ。だってまだその時(中止の決心をした時)は、私の風邪は大したことはなく、誰にも何も言っていなかったのだから。。でも、あのまま雨の中を強行していたらと思うと、今考えたらぞっとしますけどね。

でも、途中で引き返してきたとは言え、我々国境なき団塊シニアのハチャメチャ旅の話は尽きないものがありますしね、まぁ、次回以降の本編ブログを是非お楽しみに。。

ではまた。。

皆さん、新年明けましておめでとうございます。

年が明けたと思ったら、あっと言う間に今日はもう1月4日。早いもので今年でもう5回目のマレーシアのお正月です、と既に何度口にしたことか。そんな時、あとどれぐらいマレーシアにいるのかと問われたりもするのですが、正直なところまだはっきりとは決めていません。言えることは、人生の最終章は日本でなければならないと言うことと、健康次第の4文字です。

昨年は、東京に住む私の弟に胃の早期癌がみつかり、私もいよいよかと少々真剣に考えていました。ところが幸いなことに、この度の胃の内視鏡検査もOKでしたし、血液検査の結果も概ね想定内でした。私は、昔から医者の言うことに逆らって生きてきたし、身体に良いことなどほとんどしていないのに、なんてことはない、まだしばらくは大丈夫なようです。

と言うことで、今年もこれまで同様いろいろなチャレンジに励みたいと思っていますので、どうぞ本ブログの変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。



さて、今日はいよいよ団塊シニアのスマトラ島横断バイク旅の最終章です。しかしこのバイク旅シリーズは誰かの口車に乗せられて、沢木耕太郎ばりの紀行文を真似たつもりが、結局は三文文士の三文紀行文に終わりそうです。

でもそれでもいいのです。最近気が付いたことなのですが、見たまま、聞いたまま、感じたままを、思うがままに書くことの楽しさと、旅を憶(おも)いながら文字を起こすことの楽しさは、まさにメンデルスゾーンの名言「旅を思い出すことは、人生を2度楽しむこと」そのものなのですね。

だから書いている私も楽しいし、読んで下さる方たちが、少しでもその楽しさを共有していただけるならそれで十分なのです。

11月23日、旅の第7日目。今日は、高原の町ブキティンギに別れを告げ、いよいよ今回の旅の最終目的地であるパダンに向かいます。

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移動は、やはりミニバス、と言うかミニバンの乗り合いタクシーでした。私は今回の旅の中・長距離移動は、大型バスをイメージしていたのだが、実際はそうではなかった。テレビなどで良く見かける、見知らぬ国の見知らぬ土地での旅ドラマ。バスの車内の人間ドラマみたいなものも仄かに期待していたのたが、残念、今回旅は、全部こんな↓乗り合いの小さなバンタクシーだった。

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バンは一路南に下り、シンガラン山とメラビ山の間を抜けて、徐々に標高を下げて行く。途中パダンパンジャンの町を通り抜け、深い山間のくねくね道をさらに南下するうち、ウトウトしながらフト気が付いた。え、こんなところに鉄道橋がある?

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私は、様々な旅の乗り物に興味があるのだが、鉄道はその中でも特別だ。鉄道、特に昔懐かしい古い鉄道が好きで、いつか見知らぬ国でそんな古い鉄道の旅をしてみたいと、昔から夢見ている。

こんなところに鉄道がある。そう考えただけでワクワクしてきた。するとまもなく谷あいの道路傍に、大勢の人だかりと大きな滝が車窓に見えた。ピーターからここはこの辺りの有名な観光地、アナイ渓谷(Anai Valley)だと聞かされたが、私の興味は滝よりもこの鉄道だ。

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まだ現役の鉄道だろうか、それとも廃線なのだろうか。。そんなことを話していたら、物知りシーシーが教えてくれた。この鉄道は昔オランダ統治時代にオランダが建設したものだが、今は一部を除き使われていない、のだそう。

↓これは後程ネットで探した、まさにアナイ渓谷を走る現役当時のロコモティブの写真だが、さらに調べるうち、現在この鉄道の復興計画が進行中だと知って嬉しくなった。いい、実にいい。

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まもなくパダンに着いた。パダン (インドネシア語: Kota Padang) は、インドネシア西スマトラ州の州都で、人口約100万を擁する西スマトラ最大の都市だ。我々の今回の旅はここが終着地。今夜はここに一泊して明日は、町の北方に近年新設されたパダン空港(ミナンカパウ国際空港)からクアラルンプール国際空港(klia2)まで空路帰投するのみだ。

そしてここ↓が我々の今夜の宿、バックパッカー専用宿のYani Homestayだ。

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ところでこのHomestayと言うワードだが、ブキティンギの宿もHomestayと言う名前だった。どうもこのワードは私のイメージするホームステイとは異なるようだが、インドネシアのホームステイはいわゆる日本や世界のどこにもある:ゲストハウス(※)と同義らしい。(※ゲストハウスとはアメニティサービスなどを省いた素泊まりの宿で、いわゆるバックパッカーと言われる旅行者たちが利用する安価な宿のこと)

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宿の前には、いかにもバックパッカー然とした若者たちがたむろっていたが、彼らのほとんどは実に明るく気さくな若者たちだ。初対面の誰にでも声を掛けてくる。

かく言う我々トリオ隊の面々も負けてはいない。ピーターもシーシーも、もちろん私もだが、どこの誰に対しても気後れしない性格だし、中でもシーシーの特技はひと際冴えている。あっと言う間に親しくなって、いろんな話に花が咲く。

うーん、これだな、これだよな。これが私が若い時から恋い焦がれていたインターナショナルなバックパッカーの旅の世界なんだな、ひそかにそう思った。

Yani Homestayの中に入ると、外見よりはかなり立派な施設のようだ。

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1階部分は宿のオーナーファミリィと従業員の部屋、そして2階にゲストルームがある。↓ここは共用のリビングルームだ。

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そしてその半分が共用のキッチンとバスルームになっている。

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ただし、割り当てられた4人用のゲストルームは相当に窮屈だった。細長く狭い部屋に上下2段の木製バンクベッドが縦列に2台ある。

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バンクベッドの下段に大型の二人、上段に中型の私と荷物と言う割り振りとしたが、大型の二人は脚を延ばすと流石に狭そうだったし、上段の私は垂直の梯子の上り下りがきつかったのと、上で寝返り打つと木製のベッドがギシギシ軋んで気遣いもした。

確かに一晩寝るだけなのだからこれで十分なのだが・・・・・・そう考えると、ブキティンギのあの貧民用3ベッドルームでさえ贅沢に思えたぐらいだった。(笑)

しかしこのYani Ho,estay、宿の前にはレンタルバイク屋もあってなかなか便利。我々団塊シニア隊、早速レンタルバイクを駆って、とりあえず遅いランチと町見物に出かけることにした。

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↓これは、宿の直ぐ前の通り。この写真は山側を向いた写真だが、反対方向はすぐ海だ。

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パダンはインド洋に面した海岸の町だ。また町の南側にはテルク・バユール港 (Teluk Bayur) と言うスマトラ島西海岸最大の港もある。宿のスタッフに、パダンでは何が美味いのかと聞いたら、即座に、魚だ、焼き魚を食べてみろ、と言う答えが返ってきた。

なので早速、焼き魚が美味いと言う食堂に行ってみた。

その店には氷と魚がぎっしり詰まった大型のバケットがいくつかあって、好きな魚をチョイスしろと言う。魚のことなら任せてくれ、などと二人に大ボラ吹いてたし、シーシーがほらイケサンの出番だぜって言うものだから、こ、この魚が旨いんだよ、なんて適当なこといってチョイスしたのがコレ↓

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ホントは、見たこともない知らない魚だったのだが、店員に名前を聞いても案の定知らなかったし、美味いかと聞いたら不味いなんて言うわけないし、ま、大丈夫だろ、と思ってた。

そしたら焼きあがって出てきたのがコレ↓

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おいおい、ここまでしたら、素材の味もへったくれもないではないか、などとは決して文句言うなかれ。甘辛の濃厚な焼きダレが素材の味を見事に消し去ってくれてはいるが、これはこれで美味と思えば見事に美味なのだ。でも、これじゃあ、どんな魚をチョイスしようが同じだろう、とは私の独り言。大型の二人には、どうだ美味いだろう、やっぱりオレのチョイスが良かったな、なんて自慢したら、うんそうだ、やっぱりイケサンのチョイスが良かったな、だと・・・・、へっ、ちょろいもんだぜ。。

次にやってきたここは、インド洋に沈む夕陽が綺麗で有名なパダンビーチ↓だが、あいにく今日は天気が悪い。

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雲がどんどん下がって来て、今にも雨が降りそうになってきた。

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だが、この先は数百の屋台が並ぶので知られているビーチ。うろうろと探し回ったら、こんなマグロ屋台に遭遇して驚いた。

このシリーズのプロローグにも載せたので重複のポストは避けたいが、いや旨そうなマグロだった。私はこれをインドマグロの幼魚かなと思ったが、お師匠さんの庄助さんから、クロマグロの幼魚じゃないかとご指摘いただいた。さらに、連れのお二人に嫌われても買って帰って食すべきだったともご教示いただいた。

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今思えばそうだ。やっぱりあの時、とりあえずその場で頭と腹を処理してもらい、持って帰れば良かったのだ。宿のキッチンのナイフでもなんとか捌けたと思うし、前のコンビニから必要な調味料を調達して、宿のバックパッカー集めてマグロの刺身とカルパッチョパーティをやれば良かったのだ。

庄助さん、次は絶対やりまっせ。でもそんな機会が二度あるかは分かりませんがね。。

そして明けて今日は最終日、Day8、11月24日です。

少々小雨が降ってるものの、マーケットに行こうと宿の前でポーズをとる三人・・・え、四人組?一人増えてるし、バイクは2台だ。

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これはどういうことかと言うと、今朝、宿のリビングルームでオーストラリアの単独女性バックパッカーといろいろ話すうち、すっかり意気投合したSil-Silが街のマーケットへのバイクツアーをサジェストし、彼女が喜んでアクセプトしたためだ。

バイクが2台なのは、昨夜のうちに1台返却したためだが、これはまぁちょっとした経済的な問題からだ。

だから、ピーターの後ろに私、そしてシーシーの後ろに彼女(お名前忘れてしまいました)と言う二人乗りバイクツアーとなったわけなのだ。

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マーケットで仲良くポーズをとるオヤジ二人とオーストラリアの美人娘。しかしこの娘もかなりの長身なので、私としては間に入るのが癪だった。だからカメラマンに徹したホンモノのひねくれ団塊なのだ。

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小雨が降ってはいたけれど、無事に探し物のなんちゃら名物アボガドもゲットでき、喜ぶ彼女とちょい悪オヤジたちのニヤケ顔。

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しかし、げに恐ろしきはうら若き女性を掌で転がす我がSil-Silちょい悪オヤジ、では決してありませんぞ。げに恐ろしきは、うら若き女性の無防備で安易な言動ですよ。もしこの娘が我が娘だったら、あるいは我が愛しの孫娘だったらと思うとぞっとしましたね。

まぁ、しかし我々がかなりのシニアだったからきっと安心して気を許したのでしょう。もちろん、我が団塊シニアのトリオ隊の面々にはそんな邪険な考えのあろう筈もなく、楽しく無事にきちんと宿まで連れて帰ったことは当然のことですけどね。

最後に、この最終日のバイク乗りを、私がピーターの後席から撮った動画をポストしておきます。



以上で、全7回に分けてリポートしました、団塊シニアのスマトラ島横断バイク旅シリーズを終わりますが、最後までお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。

冒頭申し上げたように旅を憶いながら文字を起こすことは、旅を、そして人生を2度楽しむことだと知りました。今年も拙いブログではありますが、徒然なるまま、気の向くままに感じたことや言いたいことを綴ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ではまた。。




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さて今日は、スマトラバイク旅Day4とDay5、ブキティンギの東方約55kmにあるハラウ渓谷(Harau Valley)への泊りのバイク旅です。

↓これはDay4(11月20日)の朝、ハラウに向けた出発前、宿のヤングボーイにポーズをとる団塊シニアバイク軍団、と言うよりスクーター軍団、、かな。(笑)

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Day3の昨日は、バイクの距離計によると120kmぐらい走ったようだ。燃料タンクはほとんど空だ。しかし昨日はバイク旅初日にしては、しかも私としては何十年かぶりのバイク乗りで、マジ、スリリングな一日だった。でもお陰でもう慣れたし自信もついた、もう二度とちょい悪Sil-Silに、イケサンは遅いなんて文句言わせないぜ、と張り切る私です。

走り始めてしばらくすると、前を行くSil-Silがごくごく普通の田舎の雑貨屋の前で停まった。

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見るとBENSINと小さな看板に書いてある。そうか、ここがガソリン屋なのか、なるほどインドネシアではガソリンはBENSINか、と感心する私。。ちなみにマレーシアではPETROって言うけど、マレーシアでも田舎に行けばこんな風にペットボトルでガソリン売ってる店があるんだろうか?

良くここがガソリン屋だって分かったね、とSil-Silに話したら、いやなに東南アジアのこのあたりの国はどこでもみんなこうだから、、といかにも慣れた様子。ところで、このバイクの燃料タンクって何リットル入るんだろう。昨日、最初に入れたときはたしか2リットルぐらいしか入らなかったから、まあせいぜい2リットルとか3リットルとか、そんなもんか。すると、それで120km走れたということは、燃費50、60kmってとこか、ま、そんなもんかなと、これはオイラの独り言。

今日は車の往来の少ない田舎道を、Sil-Silが先頭、オイラが真ん中、黄門さまがしんがりでひた走る。あたりの景色は↓こんな風で、ああ、いいなぁ、ホント癒される。

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しかしピーターとシーシーの二人はよく道を知ってる、て言うか、前もってかなり調べてるのだろう。でも時々こうやってマップを確認したりして道を確かめる。こんな時に威力を発揮するのが、Mapsme(スマホアプリ)だ。オフラインでも事前にエリアの地図をダウンロードしておけば、あとはスマホのGPSが現在位置表示も目的地表示も、さらに案内もしてくれる。Sil-Silが自分のSamsung Galaxcyを自慢げにひけらかし、韓国の技術は凄いな、ほら電子コンパスも高度計もついてるんだぜと言う。

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でもそんな時はいつも、オイラが腕に巻いてるカシオのプロトレックの方が、そんなもんより正確だとSil-Silに言い返す。衛星情報から求めたElv(標高)なんてあてにならないし、それに電子コンパスの磁気センサーは日本からの輸入部品だろ、別に韓国技術が凄いわけじゃないよ、なんて、余計な反論したりして、、ね。

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途中の簡素なカフェで、ちょっと一休み。

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すると店にいた若い男女が、一緒に写真撮らせて欲しいとやって来た。聞けば、店の女主人の娘と息子で、カフェを手伝っているのだそうだ。

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今日も若い子たちにモテモテでご機嫌のチョイ悪Sil-Sil。

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コーヒー休憩の後は、また↓こんな田舎の一本道をひた走る。それにしても今日のバイク乗りは、昨日の初日に比べたら随分楽だ。車の往来も少ないし、思い通りにビュンビュン飛ばせる。時々Sil-Silが後ろを振り返り、お、ついて来てるな、って顔してる。へっ、どんなもんだい、オレだって慣れればこんなもんだぜ。

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そしてブキティンギ出発から約2時間後、予定通りに目的地のハラウ渓谷に着いた黄門さまご一行。ふぅーん、ここは、なにやら小さな土産物屋がぎっしり並びいかにも田舎の観光地って感じだな。

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お、右を見るとこんな↓切り立った崖から滝が落ちてる。

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滝の下はこんな↓感じ。え、こんなところで水浴びしてる人もいる.

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これ↓はネットからの拾い物画像だが、道路の向こう側から滝を左に見た図。

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相談の結果、まだ時間はたっぷりあるし、こんなところにいるより、もっと奥まで探検しようということになり、3台連ねて奥へ奥へと進むスクーター軍団。やがて切り立った渓谷を抜けると、そこはごく普通の山間地。舗装路はいつしか途絶え細い田舎道となる。おぉ、こんなところに村がある。

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なにか昔懐かしい気がする山あいの村。

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時々バイクの往来もあったりして、微笑ましいような逞しいような村の生活の匂いだ。

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道はますます細くなり、しかもだんだんぬかるんできて・・・

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人家もまばらになり・・・小川に掛かる板橋を渡りかけて、お、いいね、ついそんな呟きが口をついて出るほどの懐かしい眺め。

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どんどん奥へすすむとやがて人家も途絶え、そして完全な山道に・・・・

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↓ついに行き止まりだ。あれ、おかしいなぁ、この辺に滝があるはずなんだけどなぁと、マップと睨めっこする黄門さまだが、そのうち、右の林の奥からなにやら人声が・・・・、ん?人声だけでなくなにか動物の鳴き声のような・・・・

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なんと、道路右側の深い森の奥にはこんなキャンピング広場があったのだ。

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そこには大勢の人たちがいて、どうやらキャンプの帰り支度をしてるような・・・・
うちの一人に聞いてみたら、周辺地区から集まった青年リーダーたちのキャンピングとかサバイバル技術講習会があったのだとか。

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あの動物の鳴き声はなにかと尋ねると、チンパンジーだと言う。え、この辺りにはチンパンジーがいるのかと驚いたが、これじゃあ、夜は気味が悪くておちおち寝てられないんじゃないかと聞いたら、いや慣れれば平気だと言う。。ところで、この辺りに滝があるって聞いたんだけど、と尋ねてみたら、うん、あるよ、この山道を15分ぐらい登ったところにある。でも、途中、猿(チンパンジー?)に出会うかも知れないから気を付けてって、言われたけど、どう気を付ければいいんだ?

ピーターとSil-Silにどうする?って相談したら、い、いや、オレたちはここで待ってるから、イケサン独りで行って来て、だと・・・、な、なんと弱っちいオヤジどもだ。図体はでかいくせに、からきし意気地がないんだな。しょうがないので、こんな細くて暗い山道を独り登るひねくれ団塊。でも、内心は途中チンパンジー軍団に遭遇したらどうしようとびくびくものだったんだけどね。

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でも期待に反して、途中何物にも遭遇せず、無事に滝に到着。なんとそしたら、そこにはこんなに大勢の人たちが・・・

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水浴びしたり、洗濯したりしてる。早速声掛けしいろいろ質問しまくるひねくれ団塊

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聞けば、サバイバル講習会のリーダーたちだとか。どこから来たかと問われたので、日本だと答えたら、それはないだろ、インドネシアだろと言われ、い、いやホントに日本だってばと返したら、じゃ日本語話してみろだと。。なので、おはよう、こんにちは、こんばんは、ありがとう、って続けざまに言ったら、おぉ確かに日本語だなって。。。(笑)

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なるほどね、これがハラウ渓谷7番目の滝か。。ん、7番目ってどうやって数えるのかって?そんなの分かるわけないよ、言われたとおりに復唱しただけだよ。下で待ってた意気地のないデカオヤジどもに、どんな滝だった?って聞かれたから、いやぁ、あんな凄い滝は見たことないよ、だってチンパンジーが水浴びしたり洗濯してたぜって、教えてやったら、二人ともそれホントかって、怪訝な顔してた。(爆)

さて、次は今夜の宿へと向かうスクーター軍団。最後尾を走るピーター隊長の颯爽としたお姿はこれ↓。。

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こっち↓はちょい悪シーシーちゃん。え、なんで止まるんだ?なんだ写真撮ってるのか。。

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ほら、ピーターみたいに↓風切って颯爽と走ってみなさいよ、カッコいい写真撮ってあげるからさー。。

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でもなかなか渋いちょい悪シーシー↓、うーん、こりゃ若い時には相当もてたと言うのは本当かも知れんな。。

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今日の宿は、Abdi Homestayというハラウの宿の中ではひと際人気のバンガロウ。50mもの断崖から垂直に落ちる滝のすぐそばで、反対側は一面の田んぼなんだそう。おお、見えてきた、おー、あれが50mの滝か。。

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どうやら着いたようだけど、ここがピーター隊長イチオシの宿らしい。

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バイクを停めて、さてどこが我々のバンガロウかなぁ?すると、突然ニコニコ現れたのがこの宿のオーナー氏↓。

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オーナーの挨拶に、すぐ冗談で返すシーシーちゃん。ホント感心するけど、誰とでもすぐに打ち解けあえる真似のできないいい性格してる。おお、ここ↓が我々のバンガロウだってさ、と即、宿チェックに入る面々なのだが・・・・

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まずは1階、え?これダブルベッドじゃん。はぁ、またかよ。で、もう一個のベッドルームはどこ?おっ、ここロフトがあるんだ。

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でもロフトもダブルマットだよ。蚊帳もついてるけど。

ねぇ、どうする?今夜のベッドアロケーション?2階のロフトは誰?と、またまた相談、相談。この梯子きつそうだよ、んじゃ、いいよ、この梯子きつそうだからオレが2階に上がるよって、さも犠牲的精神発揮してみたいなこと言ったけど、内心、オレは嫌だよ、あんなダブルベッドに男と寝るなんて、絶対嫌だって思ってたんだよね。へへん、先に言ったもの勝ちってことだよ。。

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で、その他の設備はどうかな?ここがバスルームか。おぉ洋式トイレにバスタブ?じゃないんだな、これが。。貯水槽だよ、トイレも水浴びもここに貯めてある水を使うんだよ。だからもちろんコールドシャワーってことだけどね。

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で、ダイニングはどこ?ダイニングは別棟だってさ。お、あれ↓だ。

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早速ダイニング棟に出かけてみたら、なんと先客がいましたよ。聞けばオーストラリアとニュージーランドから来たという↓ヤングカップル。なにやらいろいろ話を聞くと、旅先で最近知り合ったカップルらしい。え?それで同じバンガロウ?同じベッド?なんてことは聞けないから、団塊オヤジ3人組、彼らが居なくなってからいらぬこと想像しまくって抱腹することしばし。(#^.^#)

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そういえばオレたち昼めし食ってなかったよね。軽く食べてコーヒー飲んでから、辺りを散歩しようということで、外歩きに出かけた団塊シニアの面々。お、かわいいちっちゃな滝発見。

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どれどれ、と半ズボン捲り上げて水に入る↓ちょい悪シーシー。

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宿からちょっと離れると、50mの断崖絶壁が良く見える。今夜は滝の水音と、田んぼのカエルの鳴き声聞きながら眠るのか、カップルならばロマンチックだろうが、団塊オヤジのトリオには浪漫のかけらもあるわけないし・・・

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お、田んぼの用水路で釣り↓してる。ナマズでも釣れるのか知らん、、

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田んぼの畦道歩いてたら、いきなり空が暗くなり土砂降りの雨に見舞われた。おかげで全身ずぶ濡れ。おまけに黄門さまのサンダルの鼻緒が切れて、泣きっ面にハチ。↓田んぼの畦道、裸足で歩くピーター黄門さま。

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しょうがない、サンダル買いに行こうぜと、小雨の中、店のある通りまで歩くトリオ隊。

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雑貨屋2軒あたるも、1軒は売ってない、もう1軒はあるにはあったが小さ過ぎて黄門さまの巨大な足には無理だった。やむを得ず遠くの店まで歩くオヤジ三人連れ、うち一人は裸足。すると、途中、うまそうなもの売ってる店発見。ちょっと小腹も空いたので、なにか食べていこうと立ち寄り決定。早速テキトーなインドネシア語と身振り手振りで冗談飛ばしすちょい悪シーシーとオイラ。お店の人にも通りすがりのおばさんにも受けて、受けて、、いやここでもみんな抱腹。。ヽ(´∀`)ノ

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おかげでオイラも笑いまくり、食いまくり。。

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そのうち、何処からか少年たちが寄ってきて、写真をせがまれる黄門さまとシーシー。やっぱり何処でも人気があるぜ白人は。しかし不思議と年は関係ないようだ。こっちは同一人種とみなされてるからかちっとも寄ってこない。いいんだか、悪いんだか、ちと複雑な気持ちだぜ。。

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傘もないのに小雨は止まず、濡れて冷たくて気持ち悪いし、その上一人は裸足と来てる。とても文明人とは言い難いのだが、通りを歩くと皆が声掛けしてくれるから不思議だ。しかしようやくピーターが履けるサンダルみつかって、良かった、ホッとした。

その夜は、レストラン棟でのビンタンビール付き豪華ディナー、と言っても客にメニューの選択権はなし、出されたものを食べるだけ。それでもビンタンビールがすすめば今夜もますます絶好調。さらに例のヤングカップルのスペシャル話題をつまみに盛り上がる変なオヤジたちなのだ。

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すると突然の停電で瞬時に辺りは真っ暗となったが、従業員がすぐさまローソク灯してくれた。実に手際が良い、手慣れてる、ということはこんなことがしょっちゅうあるってことだな。でもたまにはこれもいいもんだ、幻想的で実にいい。ところで今、彼ら(ヤングカップル)は何してるのかな?なんてまたまた下品な話題に抱腹する下品なオヤジ三人組なのでありました。

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それからまもなく停電は復旧し、今夜もたらふく飲んで食べた我々は、バンガロウに戻りそれぞれのベッドに横になるうち滝の水音やうるさいカエルの大合唱など、さほど気にもならずに朝まで熟睡したのだったが、これは実に健康的な旅なのだ。

明けて翌朝、Day 5(11月21日)は、ご覧のとおりの日本晴れ、いやスマトラ晴れか。実に見事な景観に口をあんぐり開けて固唾を飲むオヤジたち。

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朝めし食いにダイニング棟に行ったら、昨夜のカップルはもう出発したとのことで姿は見えず残念無念。代わりに、昨夜遅くに到着したという、なんとマレーシア、それもKLからの夫婦連れに遭遇し、もちろん共通話題は山ほどあって大いに盛り上がったことは言うまでもなし。

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↓断崖と滝をバックに写真に収まる団塊シニアトリオとマレーシアのシニアカップル。

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この後、宿を出た我々は、昨日まだ見ぬ滝を見ることに。↓これは3番目の滝。え、番号はどう数えるのかって?さっきも言ったけどそんなこと分かるわけないっしょ。ただ復唱してるだけだよ。

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ほら、今度はこんな感じの滝でっせ。

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近くに居た若者たちも寄ってきて、一緒にハイポーズ。

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↓シーシーちゃん、男の子たちにもモテモテでまたまたハイポーズ。

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バイクを置いて、きれいに整備された果樹園のような林を奥へと歩いて行くと・・・

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おお、ここ↓にもこんな滝が・・・・

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近くに寄ると↓こんな感じ・・・

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滝はもういいやと、ハラウの断崖をちょっと離れた距離から眺めたところ。あの特徴的な縦の縞々はなんだろうね、ピーター隊長!すると物知りSil-Silが傍から、イケサン、あれは花崗岩だからだよ。花崗岩ってのはマグマが出てくる過程で固まってできる岩石だからあんな層状に縞ができるものがあるんだよ。おぉ、なるほどねぇとうなづくひねくれだったが、分かったような分からないような、いや、ホントはちっとも分ってないけどね・・・それにしてもSil-Silは物知りだ、感心するよ。

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さてDay 5の今日は早めにブキティンギに戻り市内見物でもしようじゃないか、と昼前にハラウを後にした。幸い、今日は天気もいいし、爽やかで気持ちのいいバイク乗りなのだ。

途中、↓ピーター隊長先導でこんなところに立ち寄った。DEWAN PERWAKILAN RAKYAT DAELAH KABUPATEN LIMA PULUH KOTAと書いてある。つまり、この辺り50の市区の代表議会というところだろう。しかしこのミナンカバウの建築様式は遠くからもひと際目立つランドマークだ。

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おや、同じ敷地内にもう一か所同じようなミナンカバウ様式の建物↓がある。こっちは、KANTOR BUPATI LIMA PULUH KOTAと読める。なるほど周辺50の市区の本部なのだそうだ。つまりこれが地区の統合市役所で、さっきが地区統合議会ってところだろう。たぶん当たらずと 雖(いえど)も 遠からずだろう。

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うーん、あの山↓はなんだ、メラビ山か、いや地図で確認するとどうやらもっと近くのサゴ山という山のようだ。標高2271mとあったからメラビ山やシンガラン山よりちょっと低山か。しかし、どうなんだろうこんな近くに独立峰が3つもあるなんて、これって珍しいのか珍しくないのか分らんが、少なくても私にとっては心強い気がしないでもない。だって見慣れた鳥海山が3つもあるようなもんだから。。。

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時計を見るともうお昼もとっくに過ぎた午後1時。腹も減ったしランチにしようかと立ち寄った、峠の茶店ふう。ほほう、ここから眺望↓はVery Good!

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茶店のオネーさんに何か食べ物をと頼んだら、出てきたのが卵入りインスタントのカリーヌードルだったけど、ところ変われば舌も変わる。出されたものがなんでも旨いのだ。ちょっとお疲れ気味だからとバッファロー印のスタミナドリンクを飲むシーシー。黄門さまは寸時を惜しんでマップチェックを怠らず、さすが旅のリーダーだけあると、感心感心。。

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真正面に見えてきたのは、今度はメラビ山。どうもこの辺り、同じような山が3つもあって旅行者には識別が難しい。なので、え?まだあの山があそこに見える、今度はこっちに見えると、どうも体内ジャイロコンパスがこんがらがってしまうのだ。

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それでもリーダーのピーター隊長とシーシー副隊長のおかげで、予定通り、早々とブキティンギへ帰り着いた団塊シニアトリオ隊。

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宿への帰り道、例のカフェ、なんていうカフェだっけ、そうだDe Kock Cafeだ、その前を通ったら、なんとララとあのドイツのおばさんに出会った。二人とも今日も陽気だテンション高い。分かった分かった、今夜もここで飲もうぜ食べようぜ。。

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宿に着き、我々の3ベッドルームがほかの客に占領されていないかとちょっと心配だったが、そんなこともなくひと安心。しからばブキティンギの市内見物にでも行こうかと早速腰を上げるまだまだ若い団塊トリオなのだ。

宿から歩いてBENTENG FORT DE KOCKにやってきた。ここは昔、オランダ軍の要塞陣地だったところだそうだ。なに?入場料とる?いくら?え、10,000Rpだと?高い!止めたと黄門さま。えっ、なんで?たった1万ルピア(100円未満)だよ、と私。だめだめイケサン、外人だけぼったくって、同国人にはただ同然、との浅ましい気持ちが許せないのだ、とピーター隊長、変なところに意固地なのだ。でもその気持ち分かるよ、いつもマレーシアの観光施設などで腹立たしい思いしてるからね。。

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次にやってきたのが、ブキティンギの観光名物No.1、Jam Gadang、つまり大時計だ。

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これ↓が、その大時計か、なるほどね、、と感心したフリするひねくれ三人組。

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大時計の前でこんなことやるかのポーズ。まったくいい年こいてなんてこった。

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それにしても期待のメラビ山は今日も雲帽子。そうそう簡単にはてっぺんを拝ませてくれないのだ。

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ということで、今日の最後も、ここDe Kock Kafe・・・じゃなかった、あそこは食べるもの、ろくにないからその前に美味いもの食おうとまたまたララ隊員にご足労をお願いし、そしてあの陽気おばさんもご一緒で、この辺では一番美味いというスマトラ名物パダン料理を食べに行った↓のだが・・・

いやおいしいですよ、考えようによってはね。でも、、口では美味しいっていったけど、なんだこんなもん、、なんて悪態ついていたのはオイラだけだったかも知れん。

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もちろんこの後は口直しのDe Kock Kafe。ララも陽気おばさんもごちゃまぜで、さんざん飲んで、飲みまくって、喋りまくって次第に意識朦朧となる幸せな団塊シニアトリオ隊なのでありました。(Day 6に続く。。)

(筆者あとがき)コンパクトにまとめるはずが、今回もだらだらの長文になってしまい文才のなさを痛感しています。次は掲載する写真を厳選して短くまとめようと心に誓っていますのでご容赦!



団塊シニアのスマトラ島横断バイク旅、今日はDay3(3日目)です。


↓これは西スマトラ州にある高原の町、ブキティンギの安宿(Bukittinggi Holiday Home)での朝食です。なるほどBreakfast includedとはこう言うことだったのですね。今回の旅でこの安宿には都合3泊もしたのですが、毎朝これ(インドネシア版ナシゴレン)でした。


毎朝、この朝食を届けてくれる宿従業員のヤングボーイに聞いたら、どこかその辺の屋台で買ってくるのだそうです。でも、これしかないと思えばなんでも美味しく食べられる。特にこの朝めしは玉子とレタスとエビクラッカーとほんのり塩味が聞いたナシゴレンが絶妙で、土産に持ち帰ろうか・・・・とは思わなかったけど、まあ十分でしたね。


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さて、この朝、この宿のスィートルームとも言うべき3ベッドルームに滞在していたファミリーが朝早く出立したので、宿のオーナーから向こうに移っても良いと言われて、早速荷物をもって移動してきた我々ですが、おお、なるほどここは良い。見て下さいよ、このリビングルームの広いこと。これじゃあ、夕べ泊まったところとは雲泥の差だぜ。

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ピーターがブッキングコムで見た写真のとおりだとはしゃいでる。なるほど↓こんなルームが3つもあってベッドアロケーションで悩む必要もない。こりゃ快適そうだ。
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おお、キッチンもこんなに広い。え?きれいじゃないって?なんのなんの、これで十分、これで文句言ったらこんな宿には泊まれない。
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わお、ホットシャワーも付いてる。夕べのシャワーはコールドだったからなぁ。さすがに冷たくて思わずブルったよ。


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トイレも洋式だしね。でもこの水洗は水道が繋がってないから、隣の水槽(浴槽ではない)から柄杓で汲んで流すんだけどね。
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どうだ、良いだろう、これがオレがブッキングした3ベッドルームだよ、とドヤ顔のピーターとそうだそうだと頷く他の二人。
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昨晩バイク屋に頼んでおいたレンタルバイクが宿に届き、早速バイク旅に出陣するひねくれトリオ隊。
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昨晩現地採用したララ女性隊員およびその彼氏風と約束どおり、De Kock Cafeにて合流し・・・・
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今日のバイク旅の打ち合わせをするトリオ隊。打ち合わせの結果ララ隊員の案内で当初の予定にはなかったPacu Jawi(Mud Cow Racing)なるものを見に行くことになった。。聞けば、ここから50kmほど南にあるバツサンカ(Batusangkar)と言うところでメラビ山(Gn. Marapi)の向こう側の麓らしい。
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それにしても女性隊員ララちゃん、やけに親切だ。こんなムサイおやじたちに1日付き合ってくれると言う。ピーターとシーシーに、ララちゃんに謝礼でも払わなくちゃいけないのじゃないか、などと相談したひねくれだったが、なぁに昼メシでも奢ればそれでいいさ、とあまり意に介さない様子の二人。。 


と言うわけで、臨時雇いのララ隊員を先頭に快調にバイクを飛ばすトリオ隊。かく言う私はバイクなぞ、何十年ぶりだろう?しかも生まれてこの方、原付バイクしか乗ったことがないこのひねくれが、今、110ccだか120ccだかの小っちゃいけれど結構スピードの出るバイクでいっちょ前に飛ばしてる。(最初こそちょっとビビっていましたが、根がこんなことが人一倍好きなだけに、すぐに慣れました)
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町を出るといかにも長閑な田園地帯の田舎道。今日はバイク旅の初日。だが天気は次第に下り坂のようで、進行方向右側に見える筈のシンガラン山も雲に隠れてよく見えず。ところでこのシンガラン山、活火山で標高は2877mと言うから鳥海山よりもちと高い。ちなみにブキティンギの南側にはこの山と、これより少し高いもうひとつの火山メラビ山と言う山が二つ並んで座しているがどちらも鳥海山と同じ独立峰だ。山麓の田園風景は我が故郷庄内と似てなにか懐かしい。
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晴れていれば↓こんな風に見えたハズのシンガラン山。(ネットからの借り物画像です)  
 Singgalang (@udafanz)a 
途中でカメラストップ。後ろに見える建物は、とんがり屋根が特徴の、この地方独特のミナンカバウ(Minankabau)様式のなんとかいう昔のお偉いさんの家だそう。(註: Minankabauとはここ西スマトラの高原地帯に住む民族集団のことを言い、女系家族で有名)
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私の前でポーズをとるララ隊員↑、だけどこの後、実は彼女から寝耳に水のこんな↓申し出が・・・・

「みなさん、心優しいトリオ隊のオジサマたち、ここで突然ですが、、、、、今日のワタシのガイド料は一人○○〇〇〇〇〇Rpです。ワタシにも生活がありますしぃ、遊んでられないってことなんでーす。だから、お・ね・が・い・しまーす。」  

え、なに?ララちゃんがガイド料払ってくれって?そっか、そうだよなぁ、女の子にタダでいろいろ案内してもらえると思ったオレたちが甘かったんだよ・・・・・(# ゚Д゚)  

黄門様ご一行、角突き合わせてまたもや相談、相談。。いや、どうも薄々感じていたんだが、彼女はプロのガイドだぜ。あそこ(De Kock Cafe)でいつも客待ちしてんじゃないの?とこの私。。うーん、でも、なかなかいい子だし、ここはララちゃんのいう通りにしようじゃないか、オレたち太っ腹ってとこ見せようぜ、とシーシーちゃん。えっ、太っ腹はSisiちゃんだけじゃないの?とはオイラの独り言だったけど、最後は隊長ピーターのOK、GO!の大英断で決まりなのだ。( ´艸`) 

しかしこのララ隊員、そうと決まったらますます愛想も良くなって、なんでもよく知っていて弁舌爽やか、さすがプロのガイドだわい。

↓ここはこの界隈では超人気だと言うビカ・タラゴ屋さん。ビカ・タラゴとはパンケーキのようなローカル菓子でバナナ味とシナモン味の2種類だそうな。
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店内には大きな土窯があり、目の前で焼いてくれるのだ。
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ますますララ隊員と意気投合し、快調に冗談飛ばすSisiちゃん。
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これはシナモン味のビカ・タラゴ。うん、なかなか美味ですわい。
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店の前に停めたレンタルバイクたち。私のマシンは一番右の可愛いホンダ製。ところでインドネシアでは、バイクのことはみなホンダと言うらしい。初めて聞いたがなるほどなと思う。
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 ↓Rumah Tenun Pusako Pandai Sikekと言うなんとも美しい建物の前でカメラストップ。
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なかなか絵になる佇まいだこと。
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Rumah Tenunとは織物の展示館のようで正面外壁にはきれいな織物が装飾されている。
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ところがこの後、懸念していた雨がとうとう降り出し、慌てて雨合羽を羽織る面々。
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雨が次第に強くなって、途中どこかの軒先でしばし雨宿り。
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ようやく雨も止み青空が見えてきた。これ↓は途中のSurau nagari lubuk baukと言うモスクの前で、Sisiちゃんとのワンショット。
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おっと、もう午後1時半だけど、本日メインのPacu Jawi(Mud Cow Racing)が午後3時半までなんだそう。先頭のララちゃん飛ばすこと、飛ばすこと。山麓に点在するたくさんの村落のうねうねした狭い道を、右に左に縦横無尽に突き抜けてひた走る。私なぞ着いていくのが精いっぱいで周りの景色など眺める余裕もなしだった。

そして・・やっと着いたメラビ山麓のPacu Jawi アリーナ、、と言うか、単に田舎の泥田だそうだけど。。雑木林を歩いて下りると・・・・・・・
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なにやら賑やかな音楽や人々のどよめきなどが聞こえてきて・・・・
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おお、見えてきた、見えてきた。あれが泥田のアリーナだ。
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時は午後2時半過ぎで、すでにレースは渦中の模様。

 
Pacu Jawiとは、収穫後の泥だらけの田圃で行われる家畜の牛のレースのこと。Pacuはミナンカバウ語でスピードレース、Jawiは牛を意味している。ただ、このレース、競馬などとは異なり、牛を競わせ順位をつけるものではない。2匹の牛が竹製の鋤に乗った騎手に御されて田圃を疾走するが、最後まで真っすぐ突き進むことができる牛のペアが最良とされ、売買の際の評価が上がる。観衆は金を賭けたりはせず単に楽しむだけとのこと。このレースはこの地方で数百年前から続けられている伝統的行事で、踊りや伝統楽器の演奏もあり、最近では内外の観光客に人気がある。
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Pacu Jawiの様子を動画↓に撮っていますので、とりあえず御覧あれ。
 

  
アリーナには食べ物屋台や飲み物屋台も出ていて、こりゃまるで田舎のお祭りですな。
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シーシーとピーターの行くところ、すぐに女子供が寄ってくる。背が高くて目立つのと、白人が珍しいのだろう。至る所で子供やヤングガールたちに囲まれる。もちろん気を良くした二人はご機嫌ニッコニコ、いや平和な光景ですなぁ。
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しかし、このひねくれ団塊のことは、同国人と思われたらしく、誰一人も気に留めてくれない。既に何度もインドネシア人だろうと言われた。いや違う、日本人だと言うと、じゃあ日本語は話せるかなどと言われる始末。以前から現地に溶け込むを望んできた私だが、こうまで言われるとなにか寂しいものがあるような。。
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さて、ひととおりPacu Jawiを見た一行は、今度はパガルユンパレスと言う名の、この地方(ミナンカバウ)の王宮博物館に立ち寄った。
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雨はすっかり上がりすがすがしい青空が見えている。それにしてもミナンカバウの建築様式は特徴的だ。
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どこぞのケバイおばはんたちに誘われて、ハニカミながら写真に納まる我が黄門様。
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王宮の中は、専属のガイドさんに懇切丁寧に案内していただいた。
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来館者名簿に記帳してくれと言われて、名前と国籍を記したら、係の女性に、えっ、日本の方ですかと驚かれ、写真撮影をせがまれた。いやぁ、こう言うのって悪い気はせんもんですなぁ。。


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おや、ララ隊員がどこぞのおばさんと親しそうに話してる。

会話はドイツ語のようだからピーターもシーシーも黙っちゃいない。途端にオイラを除くこの四人、矢継ぎ早やのドイツ語トークで盛り上がり、お陰でオイラは置いてけぼりだ。聞けば当地にドイツから一人で遊びに来たというお方だそうな。ララちゃんとはやはり例のバーで知り合いツアーの約束してるらしい。


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このドイツおばさんのステイもブキティンギだそうで、そりゃぁ都合がよい、帰ったら一緒にメシ食ったり飲んだりしようじゃないか、と、ちょい悪オヤジたちがちょっかい出したら、なんと、はいヨロコンデとの返事。。。いやどこにもいるもんですなぁ、ノリノリおばさんが。。


ブキティンギへの帰り道、お茶して行きましょう、と案内されたのがここ。


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なにかの葉っぱを煮詰めた汁で健康に良いお茶とのことだ。漢方系の葉っぱだろうと思うが仄かに甘い香りでしたなぁ。


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無料なので何杯でもご自由にどうぞ、とはララ隊員の弁。それに加えて我が黄門様は、土産物売り場から貰ってきた試食用のローカル菓子をちゃっかりと茶菓子にするところなぞ流石と言わざるを得ませんなあ。

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雲の切れ間から仰ぎ見るメラビ山の夕景はなにか幻想的で神々しいのだ。


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それは良かったのだが、宿のあるブキティンギまではメラビ山を反時計回りに回りこんでまだ40kmもある。雨もまた降りだして、暗くてよく見えない濡れた夜の山間道路を無茶飛ばして走るバイク旅は半端じゃなく恐ろしい。

雨脚も強くなり前方視界がますます悪くなる中、右に左に急カーブする上に、上り下りの坂道が連続するものだから、前を走るちょい悪シーシーを見失うこともしばしばで、追いつこうとスロットル全開で必死に喰らい付くひねくれ団塊。。いや、今日が初日のバイク旅と言うに、こんな必死のバイク乗りで果たしていいのだろうか、こんな地の果てスマトラで、まだ死にたくないよ、慌てるな、慌てるなと、何度も何度もわが身に言い聞かせながら、ホウホウの体で帰り着いたこのひねくれ団塊なのだが、その後の夕メシ時にちょい悪シーシーが、イケサンもっと早く走れないの、だと?

なにぃ、、オレは今日、何十年かぶりにバイク乗ったんだぞ、まだ慣れてないんだよ、もっとこっちを気遣えよ、ったくぅと罵るひねくれ団塊。まぁまぁまぁと仲裁に入る黄門様、、明日はもっとゆっくり走ろうやとなだめてくれて、お陰でなんとか気を取り直したが、最後は小荒れのDay3だったかも。。

でも、明日は泊りのバイク旅、天気が良いといいけど・・・・と今日もビンタンビールをたらふく飲んで騒いで、帰って寝たトリオ隊なのでした。

(Day4&5に続く)




(Day1からの続き)

これ↓は、2日目の朝、ホテルの部屋から見たペカンバルの町です。よく見たら結構大きな町で、後で調べてみるとそれもその筈、リアウ州の州都でなんと100万都市なんだそう。(すみません、今回の旅もリーダーのピーターにオンブにダッコ。ろくに事前勉強もしないで参加しています)

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朝から快調に冗談飛ばすちょい悪オヤジのシーシーです。

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それで、朝めしはコレ、だけ?なんか、前宣伝とはちょっと違うんじゃないか?確かピーターの話だと、Good breakfastの筈だったんだけどね。でも、昨日のフェリーボートのランチよりはマシだし、考えようによっては減量にいいGood breakfastだもんな。。

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ちょい悪シーシーやこのひねくれ団塊のくだらんジョーダンに仕方なく付き合い、作り笑いするホテル食堂受付に居たスマトラ美人の娘御(推定)たち。。お、ピーターのいうことはホントだったよ。ほら、後ろにHAVE A GOOD BREAKFASTって書いてある。

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さて旅も2日目(Day2)となり、今日は西スマトラの高原の町ブキティンギに移動するだけ。ピーターの説明によると、長距離バスが発着するバスターミナルが町外れにあるらしい。ここからタクシーで移動するとのこと。

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天気は昨日とは打って変わってどんよりした曇り空。今にも雨が降り出しそうだけど、今日はバスから下りて歩くようなところもないし、バスの中でゆったりと寝て行けばいいやと、今日も気楽で呑気なオヤジ連。。。

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町並みは何の変哲もなく、カメラを構える意欲もなかったのだが、運転手の、さぁ着いたよ、ここがバスターミナルだ、という声に一同????

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なにやら特徴的な門を潜ると、そこはいやにガランとして人気のない、まるでゴーストタウンのような古いターミナルだ。何処にバスが?どこに待合客が??一同ぽかんとしていると、突然どこから現れたのか、胡散臭い男たちの一団が近づいてきて、何処に行く?ブキティンギ?オレの車に乗れ!こっち来い!と、どの男も同じことを声高に叫びながらこっちの腕を掴み四方に引っ張ろうとする。

な、なんだ、こいつらは。ま、待てよ。オレたちはブキティンギに向かう乗り合いの大型バスを探してるんだ、バスはどこだ?ピーターが叫ぶも、皆、英語を解せず、意味がさっぱり通じない。彼らのインドネシア語は兄弟言語のマレー語をある程度は話せる私やシーシーにも難解でほとんど会話にならないのだ。

そのうち、これもどこからか現れた英語が解ると言う老人が通訳し始めたのだが、そんなバスは1日待ってもここには来ない。じゃ何処ならバスが来るのだ?それはここだ、と堂々巡り、訳の分らぬ押し問答。

待合客などどこにも居ないガランとした古ぼけた建物の一隅でそんな押し問答を続けていたら、今度はなにやら警備員のような制服姿の男が現れ、ブキティンギまで行くバス会社を紹介すると言う。そしてオレがそのバス会社の人間だというこれも胡散臭い男が前に出て、うちのバスに乗れ。60万Rpだと言う。

ちょっと待て、バスってどんなバスだ?乗り合いか?怪しげな英語を操るその男曰く、心配するなちゃんとしたバスだ。7人乗りだ。なに?7人乗りだと?そうだ、7人乗りのバスに客3人だ。

うーん、我々のイメージするバスとは違うようだが、客は我々3人しかいないようだし、、、と、またまたこそこそ相談する我々トリオ。それに60万なら昨日と比べても高くない、よしこれで行こうと隊長ピーターの決断は早い。

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さて、そういうことでその男に金を払い、20分ぐらいでバスが来るからここで待てと言われて待つこと1時間余。。おい、いったいどうしたんだ。車はいつ来るのだとの我々の詰問に、男は何度も何度もあと10分で来るとか、あと5分だとか、そこまで来ているがバスがガス欠した。あと3分待てとか、おいおい大丈夫なのかこの男。。

さらに待つこと数十分、一行の怒りも頂点に達した頃をまるで計ったかのように小さなバン現る。おお、ようやく来たか、ま、来たならコレで良しとしようと一同このバスならぬ小型のバンに乗り込み、一路ブキティンギへGO!だった筈が、しばらく町中を走った後、あれ?ここ、さっきと同じところじゃないの?

おいおい、これはどういうことだ運転手くん、と尋ねるも、言葉が分らんのか、聞こえない振りしてるのか、そのうち、とある道端に急停車。ドアを勢い良く開けて、エンジン回したままドライバー立ち去るの図。あっけに取られていたら、今度は別のドライバー物も言わずに乗り込んできて急発進。

これはいったいどういうことなんだ?運転手に何度も尋ねるも一切ダンマリのまま。一同やや不安を感じ、さらに強い口調で説明しろと怒鳴ると。またもや、どこかの道端に急停車。そして別の男が乗り込むの繰り返し。この間、計5人も運転手が変わり、最後に客のような男一人、無理やり後席に乗り込んで来てやや唖然としたのだが、聞けばやはりブキティンギに向かう客だと言う。そうか、これでいよいよブキティンギに向かうのか。

車内の我々三人、ことの顛末を整理し目下の状況を判断してみたが、どうやら町中をグルグル廻りながら、今まで乗り合いの客探しをしていたようだ。ようやく客が一人見つかって、いよいよ出発のようだから、OK、我々もこれで良いことにしようじゃないか。どうせ今日は時間がたっぷりあるし、急がない旅だからとはリーダー・ピーターの弁。

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ペカンバルからブキティンギまでは約230km、道路もよく整備されているようだから、昨日とほぼ同じ5、6時間の車旅だろう。ただこの車、最初は我々3人で貸し切りだった筈が、どう言うわけか、さらに一人増えて4人となった。さらに途中、この車はエアコンが壊れているからと窓を開けさせたりしたが、実はエアコンは壊れてはいなかった、ガソリンがほとんど空だったので補給するまで燃料を節約していたのだ。挙句の果てにこれからガソリン補給するから金払ってくれないかと言われたりで、もちろん運賃は支払い済みだとしてビタ一文たりとも払いはしなかったが、なんともケチ臭い怪しいバス会社でしたなぁ。

ところで、バスって言うと観光バスや長距離バス、それに路線バスをイメージしがちだが、この他にもミニバスというのがあって、大体10から30人程度の大型のバンや小型のバスのことを言う筈だ。どうもこの辺の認識に差があるらしいのだが、この地方の男たちが言うバスとは普通乗用車サイズの小さなバンも指すらしい。最大6人乗り(どう見ても7人乗りではない)の小型のバンに大男2人を含む4人の客と荷物を載せるとそれだけで窮屈なのだ。

ピーターによると、↓このあたりで赤道を越える筈だと言う。でもそんな標示はどこにも見えず、ドライバーに聞いても、同乗の客に聞いても知らないという。

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よし、あそこ↓で聞いてみよう。なおピーターが事前にマップで調べた結果、確かにこの辺りを赤道が通っているそうな。

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この近くにKatulistiwa(赤道)が通ってるでしょ?と尋ねてみたら、いやここじゃないよ。もっとずっと北でしょ、メダンの近くじゃないの?、と明らかにいい加減なことを答える土産物屋の女たち。

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こっちの娘御と妙齢のご婦人も、同じような返事でさっぱり役には立たないが、それでもなかなかの美形ぞろいで飛び切り愛想が良いから許すとしよう。

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お、これ、ミカンだよ。へぇ、ミカン栽培してるんだこの辺りで?と言いながら数個買って口に含んでみたが、あまり甘くない、酸っぱくもない、なにか頼りのない味のミカンでしたなぁ。おいおい娘さん、そんな顔隠さなくても良いじゃん、ほかに誰も見ていないんだしさ。。

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道路は主要幹線道路だからだろうが、想像していたより立派。で、道路沿いの家並みは大体↓こんなもんで、なにかとても懐かしい気がするが、現代の日本でも探せばこんな家並みがまだあるかも知れんな、などと、これは私の独り言。

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でもこの辺りどこの家の前や脇にも骨傘を逆さにしたような大きな衛星テレビアンテナがあるね。

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峠越えの途中の茶店でちょっと休憩。お、ニワトリが地面の餌をついばんでるぜ。昔、生まれ育った田舎でよく見た光景だけどね。そういえばマレーシアでもよく見るよなぁ。。

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おほっ、素朴でいいね、茶店の土間だよ、これ。

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峠の茶店で記念のショット。大型の二人の間に挟まれるとどうも気後れするんだけどね。

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少し天気も良くなって、峠の茶店からの展望はこんな感じ。どう?なかなかのもんでしょう。

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え?この道路右に居並ぶ屋台群は一体何だろう??

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どうやら渓谷に架かる橋のようだな。

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橋の上から下を覗き込むと、おぉすごい。眩暈がするほど高い。

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だけど、この橋あまりに大きすぎて全体の構造がどうなっているのかがさっぱり分からない。

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グルグルと下に下りてから上を見上げるとこんな感じ。でも結局全体像が分からない、

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しょうがないので後でグーぐって調べた結果が↓コレ。借り物画像だがこれだと全体像がよく分かる。奥がペカンバル方向。われわれは奥から手前に向かって走って来たのだ。

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ネット情報によると、リアウ州と西スマトラ州を結ぶ道路上、パヤクンブの町から東25kmの渓谷に架かる橋とのこと。通称Kelok 9(9曲がり)と言い、今ではこの地方の重要な観光資源でもあるそうな。

さて、橋でしばしカメラストップをした後、一行を乗せた小型のバンは、一路ブキティンギへ今度は西へ西へと走る。時計を見ると既に3時過ぎ、隣のドライバーに尋ねるともうあと少しだと言う。この頃になるとこの運転手くん、かなり打ち解けて来て、彼のインドネシア語とこのひねくれのマレー語が大分通じるようになる。

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すると、突然車は道路端のとあるドライブインでストップ。運転手くんと他の客一人、何も言わずに車を下りたが、どうやら食事をしに行ったようだ。そう言えば、昼飯食べてなかったよ、オレたちもね。でも、そんなに腹減ってもいないし、食事はブキティンギについてからにしようと言うことになり、まぁでも、土産物でも覗いてみるか。。

ハローと声を掛けると、ニコニコにっこりなんとも陽気なガールたち。カメラを構えたらほらこんなポーズ。

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すかさず、一緒に撮ってもいいかと尋ねると、近くに居たガールも呼び寄せこのポーズ。

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それを見た我がちょい悪オヤジたち、悪乗りしてここまでやるかのこのポーズ。(笑)

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それにしても摩訶不思議なのは赤道(緯度ゼロ度ライン)のこと。前の土産物屋の女たちの言うことが信じられずここでもいろいろ尋ねてみたが、皆、異口同音の答え(もっとずっとずっと北だ)とはどういうことか。これも後で調べてみて分かったことだが、インドネシアには正規の赤道モニュメントが二つあって、一つはカリマンタン島、そしてもう一つは確かにここ西スマトラにあるのだそう。

西スマトラ州のPangkalan Koto Baruの Koto Alamに、なんとその名をSakido mura(赤道村)と言う村があるそうな。そこには確かにインドネシアで二つ目の赤道モニュメントがあって、おまけにオランダ軍を追い出した当時の日本軍が、そのモニュメントを日本の国旗の色に塗り替えたと言うエピソードまである。

↓これがそのモニュメントなのだそうですが、日本国旗と言うより、ポケモンゴーそっくりで笑っちゃう。

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(ネットからの借り物画像です)

まさか当時(1941-2年頃)の日本軍が現代のポケモンゴーなど知る由がないのだから、これはまったくの偶然なのだろうけどね・・

しかし、これで分かった。やっぱりピーターは正しかった、この道路で間違いない。道路わきに設置してあるというそのモニュメントを見逃したのは残念だったが、赤道を我々は今さっき確かに通過してきたのだ。

でもこのことを地元の人たちが知らないと言うのは摩訶不思議というより謎だ。まさかこの女たちはEquaterやKhatlistiwaのワードの意味を知らないなんてことはないだろうが、ひょっとしてそんなことにはまったく興味がないのかも知れないな。。

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結局何も買わずにローカル菓子の試食と女の子からかっただけのトリオ隊は、食事から帰ってきた他の二人と合流し、再びブキティンギへと車は走る。車窓をぼんやり眺めているとこんな田んぼのグリーンが心地良くて、ついうとうととしてしまうのだ。

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車窓をぼんやりと眺めていると、次第に人家が増えてきて・・・・

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大分町らしくなってきた。

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おお、どうやらブキティンギの町に到着したようだ。

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その後、同乗の客一人をどこかで下した運転手くん、ピーターが書いた所番地や宿名を頼りに町をグルグル走り回り、聞き回り、ようやく辿りついたのが↓ここ。。で、でも、、ン?それらしい建物もないし、看板もなんにも出てないけど、どこが今日からの宿(Bukit tinggi Holiday Homeという名)なのか?

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さらに何人かの地元の人に尋ね、どうもこの先にそれらしい家があるらしい、と案内されたのがここ↓。え?だ、だって、ここ門が閉まってるし、鍵がかかってて入れないよ。ホントにここなのぉ?と一同、何度も所番地を確認し、周囲に何度も尋ねるもどうやらこの門扉の先の家で間違いなさそうだ。

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門扉の南京錠をがぢゃがちゃ弄っていたら、いつの間にか目の前にここの従業員だというヤングボーイが現れ、ロックを解いてくれた。

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門扉の先の家には、トドン被りのおばさんの他、何人かの人たちが居たが、全員ここの客だという。オーナーはどこに居るかと従業員のヤングボーイに尋ねるも、英語をまったく話せず、こっちのマレー語もほとんど通じない。客のおばさんに通訳して聞いてもらったが、オーナーは今、ここから少し離れた自宅に居るという。

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ヤングボーイにすぐオーナーを呼べと言いつけ、さてと思案にくれるひねくれトリオ隊。

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しばらくしてオーナーと称する男が薄ら笑いしながらバイクで現れた。ピーター、ちょっと怒り顔で、ブッキングコムでブッキングしたのだが、これはどういうことだ。。。我々の部屋はどこなのだと問うと、オーナー氏曰く、あんたたちがブッキングした部屋には、明日まで他の客が泊まっているから、こっちの方の部屋で我慢してくれ、などと言う始末。なんだと、ダブルブッキングだと、、冗談じゃないぜ、まったくぅ。。

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それで、なに?こっちの部屋だ?ここ、さっきお宅の若い衆が寝具持って出て来たところだろう?ここに住み込んでんじゃないの?一体全体どうなってるんだよ?と我々三人怒り心頭の顔と態度で迫ると、まぁまぁまぁ、とりあえず、こっちの部屋を見てくれ、だと・・・・

リビングルームはここ↓だ。。ほらちゃんとテレビもテーブルもあるだろう。

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そんで、ベッドルームはここ↓だ。ベッドが二つもあるぞ。

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もうひとつは、2階だ。ここ↓が2階のベッドルームだ。(ダブルサイズのマットレスが敷いてある)

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ここ↓がバスルームだ。

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ちゃんとキッチン↓も付いてる。どうだこれで文句ないだろう。

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うーんと、唸りながらひととおり見て周った我々はまたまた相談相談。。ブッキングコムに載ってた写真とは全然違う部屋だが、もし料金ぐんとを安くするなら今晩一晩はここで我慢しても良い、とオーナー氏に掛け合うひねくれピーター。もちろんOKで即決となったが、それにしてもいい加減なやつだ。

まぁ良い。明日からは向こうの本来の3ベッドルームが使える筈なので、今晩だけはこれで良しとしよう。じゃ、イケサンは今日はどの部屋がいい?とピーター。え、そ、そうだな、どこでも良いけど、んーー、といろんな思いを素早く巡らしながら、んじゃ、2階にするわ、、とこの私。

それにしてもとんでもない奴だ。しかしこんな旅にはこんなハプニングもあっていい。この先何が起きるかまだまだ分からんが、これぞわれわれ団塊シニアの冒険の旅だ。

さて、今夜の宿も落ち着いたし、さあまたビンタンビール飲みに行こうぜ、とまったくめげないわれわれ黄門様ご一行だ。え、黄門様ってあの黄門様?そうだよ、ピーターが黄門様で、ちょい悪シーシーが助さん、このひねくれが格さんだろうな。。

お、なかなか良さげな町だな、ここは。なにしろ涼しいのがいいじゃないか。それもその筈、ここは標高900mの高原の町だ。ハハ、馬車が走ってるよ。向こうに見えるは有名なリンパペー橋だな。。

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お、ビンタンビールの看板掲げたBedudal Cafeと言う名の良さげな店発見。

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え、これ何してるかって?二人とも店のwifiのパスワード聞いてるんだよ。なんだかんだ強がり言っても、ワイフが怖いオヤジたちなんだ。

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まだ夕方6時半と外は明るいが早速冷たいビンタンビールで乾杯だ。くぅー、うんめぇと、一気に飲み干すオヤジ連。

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そして、ここで一番美味なメシをくれと言って、出てきたのが↓コレ。。うん美味い。もっともオレたち今日は昼メシも食ってないもんな。

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あっという間に暗くなって、黄門様がスマホでなにやら撮ってる。何撮ってんのかと思ったら、なんと・・・

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なんだBEDUDALの看板の上下に張り付いてる可愛いヤモリたちだった。

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そのうち、たまたま店に居合わせたと言うバイクのレンタル業者さんも巻き込んで、明日から4日間のバイクレンタルの話しながら、飲む、飲む、そしてさらに飲む。。

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別にオレも眼が座ってきたわけじゃないが、どうもここはやけに涼しい、いや涼しいというよりちょっと寒い。なるほど、今気づいたんだけど、対面のバイク屋さんは長袖のフリース着てるぜ。

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このBedudal Cafeと言う店、後で分かったことなのだが、この界隈では有名なインターナショナルカフェらしい。なかなか雰囲気が良いし、食事もビールも美味しい。ここは一押しお勧めの店かも知れないな。

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外は真っ暗、こんな感じ。

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あはっ、いいね、コレ。。三輪のカートにいろいろ満載した物売りのおばさんが夜道を通る傍にはこれはミルク屋台かな?

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まだ9時、夜はまだまだ早い。なかなか情緒あるプキティンギの屋台通りを通り抜け、さて、今晩は絶対ウィスキー飲むぞ、とますます張り切るちょい悪シーシーとその他の二人。

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あても無いのにうろうろと夜歩きする大男たち。どうも目立つんだよな・・

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そしてついに発見、今夜2軒目のカフェバー、De Kock Cafe。これも後で知ったことなのだが、1軒目のBedudal CafeとこのDe Kock Cafeはこの町の2大インターナショナルカフェバーなのだそう。しかし彼らはこんな店を探しあてるのがホントに上手くてマジ感心するよ。

早速この店に屯っていた地元の若い衆としっかり意気投合するオヤジ連。

そして、これも感心したことだが、店に屯っていた地元の若い衆、皆、英語やドイツ語が極めて達者で会話も違和感なし。聞けば、この店で知り合った外国人客から習い覚えたのだとか・・・

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見て見て、ちょい悪シーシー、残念ながらこの店でも希望のウィスキーにはありつけなかったが、こんな地元のヤングレディになぜかモテモテで、頗るご機嫌ニッコニコ。飲むほどに酔うほどに話は弾み、結局この晩、いつの間にかこのララちゃんを我々トリオ隊の現地隊員に採用することとなり、翌日のバイク旅の先導をお願いし快諾を得たのであった。

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かくしてDay2の夜も更けて、ビンタンビールの飲みすぎで膨らみすぎた腹を揺すらせながら、疲れた足取りで宿へと向かう黄門様ご一行。。

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さて、明日のDay3はどんな日になるのやら・・・・・Day3に続く。

(筆者註: 筆を途中で止められなくて、このDay2は結局冗長な駄文になってしまった気がします。次回以降はコンパクトにまとめますので、飽きずにご愛読下さい)




今日は旅の第1日目(Day1)を綴ります。ブログを小分けして中身を小出しにするつもりは毛頭ないのですが、撮った写真が多すぎて、これもあれもとアップしているうちに1日分だけで既に30枚を超えました。普段から、オマエのブログは長過ぎて途中で飽きる、などと辛口のご批評をいただいてる身としては、これ以上長くすると飽きられるどころ怒りをかうかも知れないな、などと悩むのです。

それと先にお断りしておきますが、スマトラ島横断バイク旅と題したタイトルのせいで、多くの方から、バイクで横断したのかと驚かれましたが、いや、前回プロローグの"旅のあらまし"にも書きましたように、長距離地点間の移動はバイクではなく、乗り合いタクシーを利用しました。バイクは現地でレンタルし日帰りまたは1泊のバイク旅をしたのです。見た目も中身も見紛うことのない団塊シニアの私たちですから格好いい若者のようなことは出来ませんよ。

11月17日朝7時、KLセントラル駅にて、団塊シニア3国トリオ隊(注:3バカトリオ隊ではありませんぞ!)の編成完了。これは↓KTMコミューターのプラットフォームで電車を待つ隊長ピーター(右)と組長シーシー(左)です。なお、今回旅ブログではお二人の事前了解を得て、もちろん私もですが、顔も腹も全部晒しまっせ。。

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二人は、見てのとおりの大男。まぁ、彼の国じゃこれが普通なのかも知れませんが、こんな大オヤジたちに挟まれると、これでも同世代の日本男児の中では並みぐらいだろうと思っている我が身の貧弱なことに改めて気づかされ、神様はなんと罪作りなことかと考えることもありましたよ。(涙)

そんで、KTMコミューターは約1時間ちょいで終着駅のポートクラン駅に到着。ところでポートクランの駅名表示は"Pel Klang"ですけど、これマレー語のPelabuhan Kelang(ポート・クラン)の略語なんですよ・・・・んなこと、誰でも知ってますかね。

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ポートクランの駅の改札を出ると、港に面してターミナルビルが左右に離れて二つあります。駅からすぐのところの綺麗なビルと、右側500mぐらいのところに見える大きなビルです。今日我々が乗船するフェリーターミナルは右方向のビルだと教えてもらい、ちょっと歩きます。それにしても、二人の背中のバックパックはいかにも小さいね。彼らの身体がでかいせいもあるだろうけど、果たしてあれで8日間大丈夫なのかと思っていたら、隊長ピーターに、イケサンはなんでそんなにおっきい荷物なんだ?オレたちは2、3週間だってこの程度だぜって。。ハハ、この人こっちの気持ち読んでるな。。

い、いや、オレって若いころから、何でもかんでもいっぱい背負(しょ)いこむ癖があって、山登りの時にもそれで自分の足引っ張ってたんだ、どうも心配性なのかな、、、、ハハハ、なんて力なく笑ってごまかしたけど、いや、ホント、あれぐらい小さくしないとダメなんだよな。。

フェリーターミナルに近づいてみると、意外に大きくて立派なビルじゃん。

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ビルの中ではすでにかなりの数の客が、それぞれ大きな荷物を持って、フェリーの乗船手続きを待っている模様。知らなかったけど、ここからスマトラドゥマイを含みあちこちにフェリーが出てるのだそう。オレたちが今日乗るのは、このINDOMAL EXPRESS DUMAIと言うフェリーボート。

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ポートクランからマラッカ海峡の対岸にあるスマトラ島のドゥマイ港までのフェリーチケットは諸税込み、ランチ付きでRM130。日本円にしたら、現在レートで3400円ぐらいだけど、でもこれって決して安くないんではないかと・・・・・・

↓ここはフェリーターミナルのデパーチャーホール。待合室からイミグレーションカウンターを眺めているところ。このターミナルって最近できたのだろうな、なにもかもがピカピカでっせ。でも、待合の椅子に座ってたら蚊に2カ所も刺された。どこにでもいるなぁ、蚊のやつら、、やつらも生きるために必死だからなぁ、血を吸うのに。。

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まもなく、イミグレカウンターをなんなく通過して、長い桟橋を渡ってフェリーボート乗り場へと歩く、団塊シニア三国トリオ隊。いつの間にか天気は上々、この分では快適なフェリーの旅だろうと期待は大いに膨らむぜ。

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お、なかなか綺麗なフェリーじゃないか、想像してたより大きいな、とは隊長ピーターの弁。

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フェリーをバックに隊長ピーターとひねくれ団塊との記念のショット。

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フェリーの中に入ると、お、なかなか良さげ。客室もそんなに混んでなさそう、ていうか、ほとんどガラガラだし、オレたちついてるな、とは組長シーシーの弁。

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↓早速、船のブリッジ(操舵室)に入り込み記念撮影に興じる三国トリオ隊の面々。もちろん船のスタッフに断り入れてのことですけどね。

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↓こうしてみると、組長シーシーも隊長ピーターもなかなか様になってますなぁ。

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↓そんでもって、船賃の中に込みこみのランチがコレと小さなウォーターボトル。な、なんだ、こんな粗末なランチかとバカにしてはいけません。今回の旅、決して贅沢しようという旅じゃないのだから、こんなんで嘆いていたら、8日間も生きてられないぞ。でもこれ以外に食うモン何にもないし、みんな旨そうに食ってるし、食ってるうちにイカンビりスの塩味が微妙に効いてきてなんとも言えん美味だわな、コレ。

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ホラ、見てくださいよこれ↓、シーシーがこんなに旨いモン食ったことないって表情でパクついてるでしょ。え、表情が見えないって? まぁまぁまぁ、でもコレで足りるかのかな、シーシーさん?

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お、目がくりくり、髪チリチリの可愛い女の子発見。女の子と盛んに目で会話していたら、隣座席の母親に睨まれ、慌ててチョメル、チョメル(comel=pretty)と誉めてあげたら、こんどは母親がニッコリ。調子こいてこの美人母と話し込もうとしたら、前席にいた父親に睨まれ、これも慌てて、父親に自己紹介なぞしながら作り笑いしたが、このヤングファミリィ、マレーの父とインドネシアの母と3人姉妹の女の子連れでスマトラに里帰りとか。。

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次第にこのひねくれ団塊に打ち解けて近づいてくる5歳と3歳の3人姉妹。うち下の2人が双子だそうで、ホントに可愛い。私はこの手の可愛い子には実に弱い。こんな子たちを見ていると遠く離れた孫娘のアーちゃんを必ず想い出し、寂しくて胸が痛む。いつものパターンなのだ。

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ウトウトしていて何か気配を感じ、フト目を上げると↓この女の子。なんとも言えず愛くるしくて、またもやアーちゃんに会いたい、などと女々しいことをほざきたくなる情けのないジジなのでした。

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マラッカ海峡に出る前の内海は、まるで鏡のように波静か。実に快適な船の旅なのだ。ところで、フェリーは何時にポートクランを出港したんだっけ。確か、10時半ごろだったと思うけど、スタッフに聞いたらドゥマイ入港予定は2時半ごろと言うから4時間の船旅か。。

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いや待てよ、インドネシアはなぜかマイナス1時間の時差(マレーシアから見て)があるし、ドゥマイの時間は現地時間だろうから、、、と言うことは4時間ではなくて、5時間もかかるってことか?え、なんでそんなにかかるんだ?

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マラッカ海峡って、確か6、70kmぐらいの狭い幅だと思ってたけど、海峡を斜めに横断するのだから、その斜距離はどれぐらいになるのだろう。ドゥマイはマラッカの対岸ぐらいの位置だから、マラッカを直角三角形の直角の点とするとその斜辺の長さは、65×65+200×200の平方根は210kmぐらいか。そんで船の速度が結構速くて最高25ノットぐらいって言ってたから平均22ノットと仮定すると、22×1.852km/nm×5hrs= 約210kmほど。おおーっ、これはビックリびったしカンカンじゃん。

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などと銭にもならんくだらない暗算しながら、一人で合点したりして、相変わらず生産性の低いひねくれ団塊なのだ。

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天気ますます晴朗なりにて波静か。隊長ピーター↓も頗るご機嫌ニッコニコ。

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こうして見ると、マラッカ海峡も随分広いもんだ。高速フェリーの真っ白な航跡を眺めていると昔好きだった若大将シリーズを想いだすぜ。

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おほっ、そんなバカ言ってるうちに5時間の船の旅もなんなく終了し、ほぼ予定通りのドゥマイ上陸だ。

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振り返ると、意外に可愛いフェリー↓が、親分衆、帰りもまた乗ってくんなまし、って顔で舫られてる。しかし残念、帰りは飛行機なのじゃ、さらばじゃと無慈悲に先を急ぐ三国トリオなのでした。

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↓ドゥマイ港客船ターミナルです。もちろん中にひととおりの入国審査等のカウンターがあって、我々トリオは何ごともなくインドネシア入国を果たしたのじゃ、、と言うほどのことでもないか。。

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ターミナルの外に出ると、タクシーの客引きおっちゃん連中がいっぱいたむろっていて、どこに行くんだ、こっち来い、オレの車に乗れって、しつこくうるさく纏わりついてくる。しかし、我々ひねくりトリオ、そんなことには動じもせずに、ちょっと離れたところに居た大人しそう、かつやや真面目そうなおっちゃんドライバーに声掛けし、ペカンバルに行くバスに乗りたいんだが、そこまで連れてってくれないかと交渉したのだ。

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ところが約10分ほどで行き着いた先は、とある粗末でちんけな店。看板には旅行代理店と書いてあり、店先には数台の車が停まっている。車を下りと店の中から一見偉そうなオヤジが出てきて、ペカンバルに行きたいだと?なに?大型の乗り合いバス?そんなものはねぇよ。うちの車で連れてってやるけど、75万Rpだな。しかし、この、インドネシア通貨のルピア(Rp)って0(ゼロ)がやたら多すぎて慣れないとホントに面食らってしまう。

えっと、1000円が12万Rpだから75万Rpってことは、大体6300円ってことだ。おっと我々三国トリオの今の住み家はマレーシアだから、マレーシアリンギットで計算したほうがマッチベターだな。とすると、Rpからゼロ3つ取って3で割る、だ。だから250リンギってことだな。ふぅーん、てことは一人84リンギか。ここからペカンバルまで約200kmもあるのだから、これでしょうがないんじゃないの?

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われわれ三人咄嗟にこそこそ相談したが、隊長曰く、ローカルの乗り合いバスがあるという情報だったが、この値段は決して高くないし、車は新しそうなバンだから、いいんでない?と。よし、OKだ、ペカンバルに行ってくれと社長と交渉成立。

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ドゥマイ出発、現地時間午後3時(以降すべて現地インドネシア時間)。一路ペカンバルに向かう。天気まだまだ晴朗なり。快適なドライブに一行浮き浮きと子供のようにはしゃぐ。なお大オヤジたちのはしゃぐ姿に、最初は大いに違和感あるも次第に慣れて来て、可愛くもある大オヤジたちだ。途中コンビニのような店にて菓子とパン、それに飲み物調達し、まさに遠足気分のトリオ隊、南、南へと順調に歩を進む。

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あたりの風景はさほどマレーシアと代わり映えもせず、マレーシアもインドネシアも似たようなものだ、とはフロントシートに陣取った私の印象。え、でもこれは何?沼かと思ったがどうやら洪水の水がまだ引いていない地域のようだ。

だけどドライバーのドライビングテクニックは上手なのか下手なのか、くねくね道で前方視界が乏しいのもなんのその、飛ばすは飛ばすは、お陰で怖いわ怖いわ、フロントシートだけに余計に怖い。後ろの二人はそんなことお構いなく相変わらずのはしゃぎっぷり。特に組長シーシーは、冗談飛ばしの達人オヤジで、ひっきりなしにジョークを飛ばすは飛ばすは・・・・お陰で笑いこけるは怖いわで気が変になりそうだったのはこのオレだけか?

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あ、そうそう、このあたりは有名な油田地帯らしく、時々リグ(油田の掘削装置)も間近に見える、、あ、そういえば昔地理の教科書に載ってたことを思い出した。スマトラのパレンバン(ペカンバルのさらに南)油田とか聞いたことあるでしょ。今向かっているペカンバル近くのミナス油田(Minas field)って、東南アジア最大級の埋蔵量・生産量を誇り、第二次大戦中に日本軍の石油部隊が発見したんだって。もちろん現在も石油掘削はますます盛んだ。どうりでこの道路を行きかうタンクローリーの多いこと多いこと。。

辺りがとっぷりと闇に包まれた7時頃、一行はようやくペカンバルに到着。即、隊長ブッキング済みのホテルに無事にチェックインできた。ホテルは町の中心部に位置し超便利。2スターホテルながらも並みに綺麗で良かところ。でもでも今気が付いたんだけど、部屋にダブルベッド二つだけとはこれ如何に??

果たしてベッドのアロケーションはとしばし悩むも、隊長命令により、このひねくれが一つ、あの大オヤジたちが二人でもうひとつのダブルベッドをシェアすることとなり、ほっと安堵したのだが、同時に怪しげな猜疑心が頭をもたげ、おいおい今夜は悪夢のような光景を見るんじゃなかろうかと口には出せぬ不安に慄くひねくれ団塊なのでした。

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そんな私の心を見透かしたかのように、メシ食いに行こうと陽気な二人。と言うことで、近くの中華料理屋で早速ビンタンビールで乾杯。このビール、インドネシアビールの代表選手だが、いつも私が飲んでるカールスバーグに似てライトで美味。食うほどに飲むほどに、一行の意気は益々上がり、私のさっきの不安などもどこ吹く風。三人で店のねーちゃんからかったり、旅の話に夢中になったり、結局たらふく飲んで、たらふく食って、さぁ、ホテルに帰ろうかとするも、既にちょい悪オヤジの本性露わなシーシー組長、まだ帰りたくないとのたまう。ワシは女の子がいるバーでウィスキーが飲みたいのじゃ、だと。

え、そっか、んじゃあっちの気はないんだな、とこれはひねくれ団塊の独り言ダス。しかし、探せど探せど、そんな店は何処にもなし、て言うか、もう閉店してるぜ、シーシーちゃんよお。しょうがないからコーヒーでも飲んで帰ろうね、とシーシーを優しくなだめるピーター。それを見て、え?も、もしかして、とまたもや怪しげな不安が過ったひねくれでしたが、幸いなことに、その晩は、ビールを結構飲んだのと1日目の旅の疲れからか珍しく熟睡し、なにも目撃することなく平和な朝を迎えたのでありました。

(Day2に続く)


みなさん、こんにちは。我々団塊シニア三国トリオ(日本+スイス+ドイツ)は、先週木曜日(11月24日)、凡そ予定どおりスマトラ島横断のバイク旅を終了し、概ね無事にマレーシアに戻りましたが、それから既に3日も経つと言うのに未だに旅の疲れがほとんどとれずにいます。

いや疲れだけでなく、今日は、旅の途中で負傷し、まだ腫れと痛みが引かない右手小指と、赤道直下の強烈な直射日光に焼かれ、見た目も悲惨な左手の甲と腕を診てもらいに、近くのクリニックに行って来ましたが、やはり、気は若くとも中身は紛れもない老体。思うように身体の各部が動かないのだと言うことをまたもや思い知らされたバイク旅でもありました。

本日のブログは、スマトラ島横断バイク旅のプロローグと言うことで、簡単に登場人物と旅のあらましを紹介します。なお、ここでお断りですが、前回ブログ(クアラスランゴールの新鮮魚屋さんープロローグ)の続きはこのシリーズ終了後に綴る予定です。謹んでお詫び申し上げます。(笑)



登場人物紹介

団塊シニア三国トリオ隊
隊長ピーター 
 今回バイク旅の企画立案担当兼リーダー。一見温和その実ワイルドかつフレキシブル。スイス出身。
組長シーシー
 隊長ピーターの元同僚で今次旅行の最高顧問兼渉外担当。一見重役風ちょい悪オヤジ、ドイツ出身。
局長イケサン 
 今回バイク旅初参加の新参者、ひねくれ加減と思い切りの良さは人後に落ちない。ニッポン代表。
現地採用隊員ララ
 現地ブキティンギ採用の女性隊員。英語、ドイツ語堪能。途中から有料ガイドに変身。スマトラ出身。
その他大勢
 行き先々でボランティア出演してくれた皆さん。主にスマトラ出身。一部ドイツ、ニュージーランド他。

旅のあらまし紹介

旅の概観図

スマトラバイク旅外観図a

DAY1
 11月17日朝7時、KLセントラル駅にて団塊シニア三国トリオ隊編成完了、隊長引率の下、KTMでポートクランに移動。ポートクランのフェリーターミナルからフェリー乗船、スマトラに向け出発。5時間後、スマトラ島ドゥマイ港上陸。即借り上げタクシーにてペカンバルに移動。ペカンバル伯。

DAY2
 11月18日、長距離大型快適バスでブキティングへ移動の予定が、そんなものはどこにも存在せず、止むを得ず胡散臭くて狭い乗り合いタクシーにてブキティンギに移動。途中感動の赤道越えもして夕方5時ごろようやく到着したものの、予約の宿がダブルブッキングでひと悶着。止むを得ず隣の最貧宿にて我慢。その夜、とある飲み屋で女性隊員ララを現地採用。

DAY3
 11月19日、バイク4日間レンタル。女性隊員ララの先導で高原の町ブキティンギ近郊の快適バイク旅。途中で女性隊員ララが有料ツアーガイドに変身。世にも珍しいパチュジャウィ(農耕牛レース)観戦など。宿は最貧宿から一段上の安宿に格上げ。

DAY4
 11月20日、西スマトラ随一の名所ハラウ峡谷まで山間道路経由のバイク旅。ハラウ峡谷周囲の滝巡り。この日の泊まりは南国ロッジ風安宿で快適なるも日中は電気がなく、夜も途中で停電あり、お蔭でロウソク灯る幻想的なディナーとなる。

DAY5
 11月21日、ブキティングまで戻りの山間道路、ほぼ赤道直下周辺のバイク旅。直射日光は強烈だが高原地帯のバイク乗りは頗る快適。夕方ブキティンギ市内観光。泊まりは同じ朝食付き安宿。

DAUY6
 11月22日、西スマトラで最も美しいとされるマニンジャウ湖へ結構きつい雨の中のバイク旅。山上の茶屋から眺めた雨に霞むマニンジャウ湖は摩周湖に似て感動的なるも、湖の縁まで下りる44のつづら折りの狭い急坂は、路面を滝のように流れる雨で、何度も転倒しそうになり死の危険さえ感じた忘れ得ぬバイク旅。泊まりは同じブキティンギ

DAY7
 11月23日、高原の町ブキティンギを後にして、西スマトラの港町パダンに向かう。移動には長距離大型バスがあるはずと隊長はいうが、やっぱりそんなものはどこにもなし。止むを得ずまたしても乗り合いタクシー。高原から下界に下るとそこはやっぱり赤道近くの灼熱の町。現地でレンタルしたバイクで風を切ると、体感温度はさほどでもないものの、グローブをつけていない手の甲や腕が見る間に真っ赤っかとなり今に至る。泊まりは、若いころから憧れのバックパッカー専用宿。

DAY8
 11月24日、旅の最終日。午前中、宿で仮採用したオーストラリアからのヤング旅ガールを、ちょい悪オヤジの副隊長のバイクの後席に乗せてパダンの路上市場巡り。おおーっ、マグロ発見。でも、ざ、残念。食味を試す道具も時間もなし。午後、パダン空港からKLIA2に空路にて帰馬。空港にて団塊シニア三国トリオ隊解散。



以上、登場人物と旅のあらましの紹介でした。もちろん次回からは旅の詳細を何回かに分けて綴るつもりでいますが、気になっているマレーシア政界疑獄の件、期待に反して思わしくない方向に進んでいるやにも見えます。もし、この件でリポートする必要が出てきた場合は、こちらを優先させていただきますのでご了解ください。

また最近では1週間に一度のブログ更新すらままならないほどにスケジュールがタイトです。出来る限りの更新に努めますのでこれに懲りずに(飽きずに?)、今後とも本ブログをご愛顧下さいまいようお願いいたします。

本日ブログの最後に、旅の最終日、インド洋に面した港町パダンの路上市場で発見したインドマグロ(だと思います)などの写真をアップします。

パダンビーチ↓

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ビーチ沿いの路上ココナツ売り↓

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おっ、ビーチ沿いの魚屋さん↓

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うほっ、これ↓マグロじゃん。うーん、この横縞もようはメジマグロかな?

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これ↓は町中の路上マーケット

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お、あったあった。でもやっぱり小ぶりなメジマグロ(?)

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よく近づいてみると、やっぱり横縞がはっきり見える。これ↓やっぱりインドマグロの子供ですよね、庄助さん?

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はは、なんていつもの魚好きオヤジがつい出てしまいました。

ではまた。。








"ノスタルジア(Nostalgia)"、今回のジャングルトレインの旅はまさにこの一言に尽きます。

ところで余談ですが、この"Nostalgia"と言うワード、マレー語ではギリシャ語のように"ノスタルギア"と発音するのですが、このように英語読みしない単語が他にもあって時々面喰います。もっとも語中の"g"は"ジ/ジィ"ではなく"ギ/ギィ"とギリシャ語読みするのが普通なので当然といえば当然なんですがね。

しかしこのノスタルジアorノスタルギアって、私の結構好きなワードです。レトロ(レトロスペクティブ)もそうですが、日本語で言えば懐古とか郷愁という単語でしょうか。もっともこんなワードだけで遠い昔日を偲ぶなんて、私も年を取ったって証拠だなと思いますけど、ジャングルトレインの狭い上部寝台で、眠れぬ夜を過ごしながらいろんなことを考えてました。

現代社会の価値観は、ともすれば速度や効率に縛られがちだけど、やっぱりそれだけじゃダメだな、、こんなスローで非効率なことも人間にとっては必要なことなんだよ。。スロー、のんびり、ゆっくり、懐古、郷愁、レトロ、そしてノスタルジァだよ、なんてね。。

始め、マレー半島イーストコーストライン=マレー半島東海岸線って言うから、南シナ海が見える東海岸を走るのかと思っていたら、半島内陸部のジャングルを突っ切って走るだけ。でも、、だからジャングルトレインなんだよな。何かの本で読んだことがある。ディープなジャングルを突っ切って走るマレー鉄道ジャングルライン。。この文言にたまらなく魅せられたんだよな。

そう言えばそうだよ、みんなイーストコーストラインって言うネーミングにコンヒューズさせられるんだよ。いっそのこと、マレー鉄道ジャングルラインと公式にネーミングすれば良い。ついでに後ろに展望車でもくっつけで走らせたらきっと繁盛するんじゃないか、、、なんて、、誰か思わないのかなぁ。。

ガタンゴトン、ガタンゴトンと上下左右そして前後に激しく揺られながら考えてました。外は真っ暗何の灯りも見えず、今頃きっと、ディープなジャングルを突っ切って走っているんだろうな、ひょっとしたら線路の向こうからジャングルに棲む動物たちがこっちを見ているやも知れん。でも、列車が故障して、こんなところで立ち往生したら果たしてどうなるんだろう。さっき見た列車のドアなんて、ロックが壊れて半分開いてたよな。あそこから動物がいっぱい入って来るかもな。。。なんて、あり得ない、かつ、しょうもないことを思ってました。

ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、、、線路は続くよどこまでもだ、、あぁいい、実にいい。。寝台は狭くて窮屈だけど、洗濯済らしい汚れの見えないシーツはちゃんと敷いてあるし、、枕だって上掛けだって一見きれいで臭いもしない。寝酒が飲めないのがたまに疵かもしれないけどこれで文句言ったらバチが当たるよな。。。ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・・・・・

まさに昭和の時代のレトロな寝台列車、マレーの真っ暗なジャングル地帯を、ガタンゴトン、ガタンゴトンとゆっくり走る。興奮と揺れで眠れない夜に悶々としながら、それでもいつしかまどろんだらしく、ふと気が付いたら夜が白々と明けてきた。おっ、と時計を見ると既に6時半を過ぎてる。でも上寝台の小さな窓は、磨いていないせいかガラスが曇って外がよく見えない。。慌てて梯子を下りて、隣のブッフェカーに行ってみた。

おお、↓この景色、これぞ、、ジャングル・・・・・・・・・・・かな?

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ん、いや、後ろの大きな岩山の前を走るのは、、、、あれはバスじゃないか?とするとなんだここはジャングルじゃないな。

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そうこうするうち、列車が停車した駅↓は、結構大きな駅。ちょっと外に出てみようか、えーっと、この駅はどこの駅?Gua Musangと書いてある。ははん、グアムサンってこのあたりで以前大きな洪水被害が出たところじゃないか?おぉ、結構乗り降りする人もいるねぇ。

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食堂車に居たオッサン(後に再登場するが私と同年のマレーのオッサン)に尋ねたところ、ここはグアムサンと言うクランタン州の南の端の町だという。そうか、もうクランタン州に入ったのか?あとコタバル(ワカバル)まで5、6時間ってところだから、旅の半分は来てるな。オッサン曰く、この辺はライムストーンヒル、つまり石灰岩の山が特徴なんだそう。そういえばあちこちに見えてましたね。

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かなり長いことグアムサン駅に停まっていたジャングルトレインがようやく動き出してから私は寝台車に戻りましたが、こんなに長く停まると分かっていたなら、もっとうろうろと駅構内を探検してみれば良かったと思いましたが後の祭りです。

寝台に戻ると、なにやら賑やかな声。私の周りの寝台の下段を独占していたマレーのファミリィです。もうすっかり夜も明け、朝ごはんも食べ終えたところのようです。JB(ジョホールバル)からの帰りで、自宅のあるDabong(ダボン)までの乗車だそうです。

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いかにもマレーのダトー(ジジ)とネネ(ババ)という感じの祖父母を含む7人家族です。二人のちっちゃな女の子たちが可愛くて、つい話し込んでしまいましたが、私を日本人だと知ったジジババ、大変驚いた様子です。特にネネと、そしてネネによく似た顔のヤングレディ、ちっちゃい女の子たちの美人ママの妹だと言ってましたが、この二人、私にいろいろ質問してきます。なんでマレー語を話せるのかだとか、どこに住んでいるのかだとか、今日はこれからどこに行くのかだとか、子供はいるのかだとか・・・・・・

でもそう言えばマレーシア移住以来、今まで日本人と宣言して、いやな顔など一度もされたことがありません。それどころか日本人と言うとどこでも喜ばれ、歓迎されるような気がします。昨日(11月6日)も、クアラスランゴールの魚の仲卸屋さんで一緒になったマレーの方に、日本人か韓国人かと問われたので日本人だと答えたら、とても喜んでくれて、最後には新鮮高級魚までちょこっとタダで貰ってきましたもんね。、

日本人と言うだけで信用される、大歓迎されるなんて、私たち日本人にはとてもありがたいことなのですが、それだけ責任もあると言うことですよね。先日もKLのモスクを訪れた際、とある偉そうな宗教指導者の方に、日本人は気づかぬうちにイスラム教の教えの9割を実践しているが、モスクに来るムスリムはどんなに頑張っても7割しかできない。だから日本人は、あなたを含め、ほぼ全員が直ぐムスリムになれるのだ、、、などと言う、なんて反応すれば良いのか返答に窮するようなことを言われました。また、あるところでは日本は確かに先進国だが、技術や経済だけの先進国だけではない、社会意識やマナーの先進国なのだとも言われました。

ここまで言われると、ちょっと面映ゆい気がしますね。日本人はただそれだけでイスラム教信者と同じだから、すぐムスリムになれるなんて話はもちろん論外ですが、東南アジア、特にここマレーシアでは日本人は誰でもこのように見られていると思って間違いなさそうです。

さて、↓この真ん中のニコニコ顔のお婆ちゃん、娘さんやお孫さんの年ごろからすると、恐らく私よりもお若いのかも知れません。年齢を尋ねることはさすがに遠慮しましたが、私の年齢や12歳と9歳の孫がいることは告げました。まるで信じられないというようにビックリ眼(マナコ)のくりくりお目目をされていたのがとても印象的でした。

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さて、すっかり明るくなり車内の隅々までよく見えてきたので再度列車探検に出かけてみました。↓これは、ジャングルトレインの最後尾3両のうちの1両ですが、スーペリアクラス(Superior Class)と言う座席車の内部です。ちなみに寝台車はスーペリアナイトクラス(Superior Night Class)と言います。この座席車は寝台車に比べ少し運賃も安いのだと聞きましたが、日本の在来特急の車内よりレッグスぺースも広々していてリクライニングも十分です。なんだ、こっちでも良さそうだと思いましたね。

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今頃はまだ朝食の時間帯だろうから食堂車はさぞ混んでるだろうなと思ったら、あれ?ガラガラじゃん。え、なんで?

そう言えばさっきのファミリィも座席と言うか、寝台周りで食事を済ませたようだったけど、すぐ隣に食堂車があるのになぜなんだろうと思いました。だってここの食堂車って、飲食物持ち込み禁止なんて張り紙、どこにもないのだから、窓の大きな食堂車で外を見ながらお弁当食べたら良いのにと思いましたね。

ところでこのジャングルトレインの上下寝台って、夜モードのバンクベッドから昼モードの座席に機械的に手動でコンバートできる筈と思い、あちこちのレバーを触ってみましたが、これは無理でしたね。どうも寝台の各部が錆びついているせいか知らん、シートコンバージョンは機能しませんでした。後で車掌さんにこのことを尋ねたところ、やっぱりずっと前はコンバートできていたけど古くなった今は動かないって言ってました。

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↓この方は、さっき私がファミリィと話し込んでいた時に傍を通りかかり、私に英語とマレー語で話しかけてきた方です。この方も私が日本人と知っていろいろ親切にしてくれます。どうも私が食堂車に戻って来るのを待ち構えておられたようです。

JB(ジョホールバル)の方だそうですが、夫婦でコタバルの兄弟宅を訪ねる途中だそうです。以前は世界を廻る船乗りをされていたそうで、片言の日本語をあやつるとても陽気な方でした。偶然に旅の行き先(コタバル)が一緒だったので、それならばとワカバルからコタバル市内までの行き方を聞いたところ、自分たちはバスで行くが良ければ一緒に行こうということになり、大変有難いお話でした。

この方とはこの後、ようやく起きて食堂車に現れたP氏を交え3人でずいぶん盛り上がりましたが、元船乗りと言うだけあって、いろいろ知識の豊富な方でした。このジャングル列車のことや沿線の洪水被害のこと、そして半島東海岸地域における政府の鉄道整備計画に始まり、なんと手厳しい現政権やナジブ首相批判まで彼の談義は止まるところを知らず、辺りを憚らない声の大きさにこちらがハラハラするほどでした。

しかし3人で話し込んでいて感心したことは、友人のP氏のマレーシアや東南アジア各地に関する地理や歴史の知識のなんと豊富なこと。私を除く二人の会話は限りなくディープな内容に発展し、いやとてもついて行けないほどでしたが、そんな事柄には大いに興味がある私にとって、何物にも代えがたいとても実りある時間でした。(後で知ったのですが、P氏の趣味は地図と時刻表なのだそうです。なるほどね)

でもオッサンに尋ねたところ、この方(見た目がおっさんなので心の中では"オッサン"と呼んでました)が、なんと生まれ年が私と同じ。学年はひとつ下だと言う。P氏はもうちょっと若いけど、見た目も中身ももちろんオッサン同一世代。考え方も感性も価値感すらも似たり寄ったりの我々インターナショナルなオッサングループ3人組は、ジャングルを走り続けるレトロな食堂車の中でひと際目立つ怪気炎を延々と上げ続けていたのでありました。

このオッサンとはもちろん住所や電話番号などのコンタクトディテイルを交換したのですが、なんとその後、当日のコタバルのホテルに1回、KLに帰った後の自宅に1回電話がありちょっと驚きました。いやぁ、なんと言うかずいぶん人懐っこい人だなぁと感心した次第です。

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さて、ここからはしばらく車窓をお楽しみ下さい。↓ほら、こんな写真、いいでしょう。これ、私が列車のドアから身を乗り出して撮った写真なんですが、速度がゆっくりだからできる代物ですよね。

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でも撮影に夢中になり、注意を怠ると、線路沿いの樹木や生い茂った草などが突然肌に触れるほど眼前に迫りヒヤリとします。おぉぉ、危ねぇぇぇ。。

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もちろん、危険を顧みず、閉まらない開きっぱなしのドアから身を乗り出してムービー↓も撮りました。3分程度に編集していますので是非ご覧ください。



どうでしたか、あれ、ちょっと意外、と思いませんでしたか。そうなんですよ、もっとディープなジャングルらしいジャングルを走るのかと思いきや、意外や意外、これじゃぁ単なる田舎だよ、とはP氏の弁ですが、マレーのオッサン氏の説明にもあったように、鉄道沿線は既に何処にも開発の手が入り、もはやディープなジャングルとは程遠い景観です。

うーん、これにはちょっと期待外れでしたけど、それでもかつてはジャングル開拓のための入植者部落だったかと思わせる素朴で小さな集落が沿線に点在し、彼らのためであろう田舎の小さな駅を通り過ぎるたびに、このジャングル鉄道の名は、そんな昔の未開のジャングルの思い出鉄道なのかも知れんな、さもありなんと、一人合点していたひねくれ団塊なのでした。

↓ここはグアムサンとダボンの間にあるブルタムバル(Bertam Baru)と言う小さな駅ですが、まるで映画のワンシーンのような、なんとも鄙びた郷愁をそそる駅ではありませんか。

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次は↓、いくつかあるトンネル(Terowong)に入る直前のシーンですか、これも私のお気に入りの一枚です。これを見ているとまだ高校生のころ、蒸気機関車に引かれた長距離夜行列車に乗って、山形から九州の宮崎までなんとあしかけ3日もかけてインターハイに出かけたころのことを懐かしく想い出します。

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まだまだ何もわからぬ餓鬼揃いの我がチームの面々は、汽車の窓から顔を出してはワァワァと騒いでいたのですが、突然汽車がトンネルに突入すると、一瞬のうちにみなの顔が煤で真っ黒けになり、お互いを見合ってはゲラゲラ笑い転げていたものでした。

日本の現代の鉄道では、こんな風に走行中の列車のドアから身体を半分乗り出すことなど決してできないし、それどころか安全のために窓さえ開かない列車が多いですよね。確かに安全のためにはその方が良いに決まっているのですが、こうして、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような列車に乗っていると、もちろん自己責任なのですが、やりたいことがなんでも出来て、ある意味感動ものですよ。

ほら↓、身を乗り出したまま鉄橋を渡るときのこの怖さ、、、、スリル満点じゃないですか。。おゃ、気が付いたら、よくやるもんだ、なんて顔しながらP氏が後ろで見てましたけどね。

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しかしこちらの川はどこもかしこも茶色に濁っていてちっとも美しくない。日本のどこにもある清らかな川などほとんどない。でも、リバーサイドホテルとか、リバーサイドレストランとか悪びれずにネーミングするものだから、さぞ美しいかと勘違いしてはるばる出かけてみていつもがっかりするのだよ。

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↑この色、茶色と言わずにココア色、濁ったと言わずにリッチな色と言うのです。そんなのありか?

おお、↓こうやって見るとレトロなジャングルトレインは実に長大。飛行機などと違い、これだけで旅に出ているという気分になる。実にいい。

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そうこうしているうちに、ダボン(Dabong)やクライ(Kerai)も過ぎて、いつのまにかタナメラ(Tanah Merah)駅に到着です。時計を見ると11時40分過ぎ、なんだ目的地のワカバル(Wakaf Bharu)まであと二駅じゃないですか。。

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やっぱりこの列車、観光列車と言うよりは、一義的には地元の人たちのための生活列車じゃないでしょうかね。見るからに観光客然とした人たちはほとんど見当たらず、すべての停まる駅で大勢の地元の人たちが乗り降りしてますもんね。

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↓昨夜は暗くて気づかなかったのですが、よく見ると、随分と薄汚れたペインティングですよね。"cuti-cuti MALAYSIA"とは、マレーシアの休日と言う意味のマレー語ですが、とても観光省が力を入れている観光列車には見えません。

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さてさて、昨夜23時半ごろにゲマス駅を出発した深夜急行ジャングルトレインは、約13時間をかけてマレー半島中央部を走り抜け、一夜明けて本日12時40分、コタバル最寄りのワカバルに無事に到着しました。列車はこの後残り3駅を走り終着駅のトゥンパン駅まで行きますが、我々の列車旅はここで終了です。

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13時間などと言う近年まれに見る長時間のスローな列車旅、果たして何をして過ごそうか、などと言う心配はまったくの杞憂でした。期待とは幾分異なる景色ではあったものの、車窓を過るたくさんの素朴な集落や、停車はしなかったけれど小さな小さな多くの田舎駅は、遠い昭和の想い出や郷愁をそそるに十分足るものでした。

↓ワカバル駅構内にある売店です。

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↓駅の外に出て、ワカバル駅の全体を眺めています。

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そしてこれ↓は、ここから6kmほど離れたコタバル市の中心部に向かう路線バスに乗るため、列車で一緒だったマレーのO氏(オッサン氏のこと)夫妻の案内でバス停に向かって共に歩く途中に撮影したものです。途中の踏切から遠くにワカバル駅を見ています。

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P氏と並んで歩きながら話していましたが、意外に遠いバス停までの道のりに、正直言って、O氏夫妻の道案内がなければ、どこにバス停があるのか分からず苦労しただろうと思うほどの茫洋としたワカバルの田舎町でした。

O氏、別れ際に何度も何度もKeep in touchを繰り返していたのが印象的でしたが、早速その日のホテルでとKLの自宅に戻ってからと2度もの電話を頂戴し、彼の言うKeep in touchとはこんなに性急なことだったのかと少々驚いたことは既にリポートした通りです。
  
人が好くて陽気なO氏、他人目も気にせず自身の意見を浪々と述べる様を見て、彼はきっとマレーのひねくれ団塊に違いないと確信しましたね。

さて、以上で今回2回に分けてお送りした深夜急行ジャングルトレインの旅のリポートは終わりです。

この後、我々はコタバル市内のホテルに1泊して翌日(10月26日)、慌ただしくKLに戻りましたが、↓帰る前、空いた時間を利用して何かやろうと言うことになり、急遽Strong English Teaのカラーに染まるクランタン川のボートクルーズと洒落てみました。(なぁにStrong English Teaのカラーとはつまり汚く茶色に濁った川のことですよ)

↓得意げにボートの舵を切りながら、簡単簡単とはしゃぐP氏。

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↓P氏からボートの舵を任されても余裕しゃくしゃくのひねくれ団塊。

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帰りはマリンドエアのATR機、フランス製のターボプロップ機です。フライト時間50分ほどでスパン空港着陸でした。往きの13時間は何だったんだろうとは決して思いませんでしたが、古き良き時代の昭和の旅と速くて快適な現代の旅を同時に味わい比較する良い機会でした。

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ではまた。。。



さて今回のブログは前回に続く「癒しの列車旅 in Malaysia」の第2弾、深夜特急ならぬ深夜急行ジャングルトレインの旅ですが、少し長くなりそうなので2回に分けてお送りすることとします。

今度の列車旅は、実は私自身ではなく友人のP氏の企画によるものですが、往年のバックパッカーを自認するスイス人の彼は今なおアドベンチャラスな旅が趣味なようで、奥さんや家族の心配をものともせずにここKLを根城にしてせっせと独り旅に出ているそうな。。。

そしてこの旅は我々(往年のバックパッカー氏にニッポン代表のひねくれ団塊が加わりました)がこの後に予定しているスマトラ島冒険の旅の前哨戦のようなものなんです。

前回のイポー行きの列車旅に出る直前に、P氏からこの話を聞かされた時に、慌ただしい旅になるなと思いつつも、私が二つ返事でOKした訳は唯一つ、深夜急行ジャングルトレインに乗る旅だからです。

"深夜特急"は、私がマレーシア移住を決意するきっかけとなった澤木耕太郎氏の紀行小説ですが、小説の中の列車旅は私の若いころからの憧れであり夢だったのです。

小説のようにマレー半島の西海岸を南下する列車旅とはちょっと異なるのですが、寧ろそれよりも今ではずっと魅力がありそうな、マレー半島の中央部を北上するジャングルトレインの旅、考えただけでもワクワクするではありませんか。

私はこのジャングルトレインのことはもちろん何かの本で読んで知っていました。今年の正月に初めてコタバルに旅行した際も次に来るときは絶対列車旅にしようと考え、このマレー鉄道東海岸線(KTMイーストコーストライン)のことをちょっと調べてみたところ、2014年12月、沿線地域の大洪水被害により橋が流されたとかで完全にクローズダウンとなり、以来復旧工事が続いているが、1年以上経過した今でもまだその運行再会の目途は立っていない、と言うものでした。

ところがこのたびのP氏の情報によると、今年の7月ごろからようやくその運行が再開したのだそうです。

え、それは知らなんだ。憧れのジャングル鉄道に乗れるだなんて、まさに私の長年の夢の一つの実現じゃないですか。しかも寝台急行だと言う。とすれば、今ではほぼ全線が電化して、ETSなどの新型の快適列車が走るようになったマレー鉄道西海岸線(KTMウエストコーストライン)では最早味わうことが出来なさそうなレトロな長旅ができるってことですよね。

ああ想像しただけでも胸が膨らみますが、しかもそんな旅のすべての準備をP氏がやってくれると言う。まったく、こんなことには労を厭わない往年のバックパッカー氏に大感謝です。

さて、旅は↓ここTBSから始まります。TBSとはTerminal Bersepadu Selatanの略でマレー語で南行き統合ターミナルの意味ですが、少々ややこしいのは、このTBSがKL中心部の南側に位置するKTMのBTS(Bandar Tasik Selatan)駅に隣接していると言うこと。したがって通称TBS-BTSと言われているのですが、ちょっとややこしいですよね。TBS-BTS? BTS-TBS? え、どっちだったっけ? なんてね。

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私はこのTBS-BTS、今回が初めての利用だったのですが、真新しいターミナルに入ってみて驚きでした。バスターミナルと言うよりはまるで空港の国際線ターミナルのよう。

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バスの発着情報を表示する電光掲示板だって、これ↓このとおり。KLからマラッカ、ジョホール・バル、シンガポールなど南方向に向かうすべてのバスがここから出発するのだそうです。

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待合室も新しくて、広くて、クリーンで、もちろん売店などの施設も充実していてとても快適です。新宿南口駅に最近できた綺麗なバスターミナルを思い出しましたが、ここはあの何倍もの広さですね。

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バスはここを出てから一路南へと走り、約2時間半かけてネグリ・センビラン州の小さな町GEMASに到着です。TBS-BTS出発が19時半ごろ、GEMAS到着は22時頃でした。駅周辺のGEMASの町はすでに暗かったせいもあり、バスを降りて駅を探すのにやや手間取りましたがようやく着きました。↓ここが今回のジャングルトレインの旅の出発点、マレー鉄道GEMAS駅です。

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最近建て替えられたらしいGEMAS駅は、こう見えてもマレー鉄道のハブとなる主要駅です。シンガポール方向から北上してくるマレー鉄道はここGEMAS駅で、本線である西海岸線と支線のような東海岸線に分岐するからです。我々が、東海岸線を走るジャングル鉄道に乗るために、KLから一旦南に下って来たのはこのためなんです。

↓GEMAS駅改札口横のチケット売り場です。マレー鉄道主要駅にしては小さなチケット売り場と小さな改札口です。それに待合室も小さいし、おそらく利用客があまり多くはないのでしょうね。この時も10数人程度の待合客でした。

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ところがホームに下りてみてビックリです。見て下さいこの立派なこと。これはマレー鉄道ハブ駅に相応しい堂々のホームです。

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待つことしばし、GEMAS駅ホームの3番線にお目当てのジャングルトレインが滑り込んで来ました。



わーっはっはーーー、おっ待たせぇぇぇ。。
おら、マレーシアの野原しんのすけ5歳!だぞぉ。。わーっはっは、でもコレ嘘だぞぉ。。

ホントはおら、マレーシアのジャングルトレインこと、EKSPRES RAKYAT TIMURANだぞぉ、後ろに電源車1両と客車12両(寝台車8両、食堂車1両、座席車3両)従えて、力いっぱい引っ張る米国GM製のジーゼル機関車EMD,Class25(25107)って名前だぞぉ。

おら、JB(ジョホール・バル)セントラル駅とタイ国境近くのTUMPAT駅間の526kmを結ぶマレー半島東側地域の大動脈鉄道の顔っつうか、代表選手なんだぞぉ。

おぉぉすごいなーって? いやぁ、それほどでも〜

近年発展著しい西海岸線に比べ可哀そうなくらいに取り残されてしまっちゃって。未だに複線化はおろか電化も遅々として進まないどころか、度重なる洪水被害によりつい最近まで運休を余儀なくされてたんだぞぉ、(涙・涙)

でも、こうしてまた走れるようになって、おらとっても嬉しいぞぉ。。

ほんじゃまぁ、出発お進行きゅうりのぬかずけだぞぉ。バイバイキーンのさよーなりー。。。
(以上クレヨンしんちゃん風に読むべし)

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そんな憧れのジャングル鉄道の入線のその時の感動の様子をムービーに撮りましたのでぜひご覧ください。なお、この前の写真は今日からブログトップに飾っている写真なのですが、実はこの動画からのキャプチャーなのでかなりのピンボケです。ご容赦ください。



我々の寝台車は後ろから5両目のT6。なんでここなのとP氏に尋ねると、食堂車のすぐ隣だからねとの返事。おぉ、P氏はやっぱり偉い。オレに任せろと言うだけある。

しかしこの姿、なにかとても懐かしい。郷愁を誘うというか旅情をそそるんですよね。そう言えば、もう廃止になりましたけど、上野駅と青森駅を結んで羽越線を走る寝台特急あけぼのとか、上野から秋田まで走る夜行急行鳥海とか、大阪と青森間を走った寝台車付き急行日本海とか、、涙が出るほど懐かしい。

特にあけぼのには若かりし頃の思い出がいっぱいある。都会での学生生活にまだ十分に慣れぬころ、夜遅くに上野を発って朝まだ暗いうちに酒田に着くあのあけぼのの狭い寝台に寝転がって、いっぱしの大人ぶってビール飲んでたあの頃。。

しかしあれから何十年。今の日本の鉄道はどこもかしこも新幹線だらけ。カッコ良くてクリーンで速くてチョー便利なのは言うまでもないけれど、私のような団塊人間にはチトもの寂しい、そんな気がするこの頃なのですが、なんと、ここマレーシアではジーゼル機関車けん引の"あけぼの"のような寝台車がまだ現役で走ってる。

まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような、そんな寝台列車が今、目の前にある。

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おぉ、こんな↓ところも何か懐かしい。

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そしてこの寝台。以前の"あけぼの"なんかとは違って、通路の左右に、進行方向に添って縦に寝台が配置されてる。確かこれって非個室型A寝台って言うんじゃなかったっけ。。

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こんな感じ。上下2段の寝台車。P氏の説明によると、上よりは下のほうがベッド幅が若干広くて、窓も大きいのだそう。でもその代わりに運賃も少し高いんだとか。と言っても、GEMASからコタバル最寄りのWAKAF BAHRUまで13時間も乗って上寝台がたったの40リンギ(約1000円)、下の寝台だって6リンギ(約150円)高いだけですよ。

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寝台車1両につき、左右に上下20寝台、合わせて40寝台のマレーの寝台車。車内の見た目はちょっと古くて、やや汚くて、乱雑で日本の寝台車のように、浴衣とかスリッパの用意はもちろんないけれど、見た感じ、まぁまぁの許容範囲。それよりも何よりもこのレトロな感じが最高。

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ここでお目見え、噂のP氏。私を撮ると言うのでジジも逆撮りのお返しでっせ。今回の寝台チケットは、下がすべて売り切れだったとのことで止むなく上寝台のみ。梯子での昇り降りはややきつかったけど、多分、私よりも大柄なP氏にとっては昇り降りよりベッドの狭隘さがきつかったのではと心配したが、翌朝聞いてみたら、全然平気だったと言う。流石、元バックパッカーだっただけはある。

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早速車内探検に出かけてみたが、先ずはこの洗礼。お、なんだ、なんだ、連結器の蓋が壊れてやしないか?

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良く見たら、連結器カバーと言うか、鉄の蓋が赤く錆びついていてねじ曲がり、列車の下の地面が見えてるではないか。うっかり足を踏み外しはしないかとちょっとビビる。

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そしてこのトイレ。この向かいには同じようなレベルの和式風便所もある。先日乗ったETSのクリーンなトイレとは比ぶべくもないが、まぁこれも許せる範囲と思う。ちなみに私はここで都合3回も用を足したがなんのためらいも不安も感じはしなかった。

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壊れかけた連結器上部に始めはちょっとビビったが、慣れればチョチョイのチョイと跨いで通り、造作なく隣の食堂車に移動。

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お、ほほぉ、こんな感じか、食堂車。もっとも英語で言うとこりゃダイニングカーとかブッフェカーと言うよりは、なんだろう、売店付きの座席車と言う感じ?

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カウンターを覗いてみたら、マレーのおっさんが一人居眠りこいてた。(笑)

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なにか旨そうなものはあるかと目を凝らしたところ、ナシレマとかミゴレンとかのマレーのどこにもある定番メニューだけ。でもなんでも安っ。。

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ほら、時間も時間だけにほとんど誰もいない。わずかにマレーのキレイどころが2人駄弁ってただけ。ついでに聞いてみたら、ジョホールバルから実家のあるタナメラまでの里帰りだそうな。彼女たち、このジャングルトレインの復旧をとっても喜んでました。だって、復旧前はコスト4倍、時間2倍かかったそうな。

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さてもう夜も遅いし、ジジも寝るとするか。てな訳でまたねじ曲がった連結器の鉄蓋の上を跨いで通り、自分の寝台によっこらしょとよじ登って身を横たえたのだが、妙に興奮してかなかなか寝付けない。

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それもそうだ、ガタンゴトン、ガタンゴトンとうるさぃ音に加え、縦に横に激しく揺れるジャングルトレインは、旅情や郷愁を通り越して単なる苦行の旅と化したのか。最大時速90km、平均時速40kmほどの現代ではあり得ないチョースローな旅の真っただ中にあって、ハテ、これが長年の夢だったのかしらんと、自問自答してもそれを打ち消すビールは手元になし。

寝台の小さな窓から目を凝らしても、外は真っ暗何も見えず、多分ジャングルを走っているのだろうと想像するのみ。時々停車する田舎の駅の灯りの寂しいこと。。そんなひとっところの駅に長く休憩しながら走るこのジャングルトレインは、深夜急行どころか、深夜鈍行と言うのが正解かしらん、そんなくだらないことを考えながらまどろんでも眠るまでには至らない。かくして悶々とした夜はまだまだ続くのでした。

その2- 1はこれで終わり。
続きは次回、ジャングルトレイン夜明けからの再スタートに乞うご期待。。



思い付きと言うべきか、全くの偶然と言うべきか、はたまた私と言う人間の大雑把な性格の成せる業と言うべきか、特に熟慮したわけでもないのに、今回主題の列車旅、と言ってもホンの些細なミニ列車旅なのですが、先週とそして今週続けて出かけることになりました。

先週はひょんなことから最近評判のETSでイポーを往復する羽目に、そして今週は今日から3日間の予定で、予て憧れのジャングルトレインに乗ってきます。

ここにいたる経緯はごくごくシンプル。ETSは、実はクレジットカードの海外旅行傷害保険(利用付帯)をアクティベートするためのオンラインチケット購入が思い付きの始まり。購入したチケットを利用しない手はないといつもの、もったいない癖の所為で、カード保険をアクティベートするだけなら最短区間のチケット購入で良かったのに、ついでに実際にETSに乗ってやれみたいな一石二鳥を狙ったことによるもの。

そして今日からのジャングルトレインは、最近親しく付き合い始めたスイスの往年アドベンチャラーP氏(元バックパッカーだったらしい)に誘われてのこと。彼とは、実は以前から約束していることがあって、それはインドネシアのスマトラ島に小舟で渡り、島を原付バイクで巡ると言う旅の計画。

このアドベンチャラスな旅を、いよいよ来月(11月)実行しようかと言う段になって、その前の準備練習がてらにジャングルトレインにでも乗ってみないかとのお誘いがスイスから来た。(P氏夫妻の住まいはKLなのだがスイスとマレーシアを時々行き来している) 急なお誘いではあったのだが、チケット購入などすべての準備はP氏がやると言うし、来月のこともあるので即座に快諾した結果が今日からの列車旅。

と言うことで、今回から2回に分けてそんな列車旅を綴ります。本当は列車紀行とでも題して堂々と書いてみたいのですが、それにしては些細なミニ旅なのでささやかに行こうと思います。

さて、今回のその1は、KLからイポーまでのETSの列車旅です。

なぜイポーかと言うと、ひとつはこれも最近お付き合いを始めたイポー在住のN氏夫妻を訪ねたいこと、そして前回時間がなくてあまりゆっくりできなかったイポーの天然温泉にゆっくりと浸かりたいこと、この二つ。

ETSとはElectric Train Serviceの略ですが、最近車両もめっぽう綺麗になり、スピードも速くなって、マレーシアのビュレット・トレインと噂されているらしいのです。私はマレー鉄道と聞くと、あの澤木耕太郎氏の"深夜特急"を思い出しますが、そんな昔懐かしい旅情も今ではすでに時代遅れなのでしょうね・・・・・

そんな訳で、今マレーシアで評判のETSに乗ってみました。

↓KL Central Stationのプラットフォームにすでに入線中のETSです。おお流石にきれいな車体ですなぁ。

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ところで、ETSについて少し調べてみたのですが、同じETSでも、ETSプラチナム、ETSゴールドそしてETSシルバーの3種類があるのだそうです。それぞれ何が違うのかと言うと、先ず停車駅の数が異なります。プラチナムが一番停車駅が少なく、所要時間が短い、よって運賃も一番高い。次いでゴールド、そしてシルバーの順となる訳です。

ETSはマラッカの東、東西マレー鉄道の分岐点のGemas駅とタイ国境にあるPadang Besar駅とを結んでいて、区間や列車種の異なるETSが合計で1日なんと11本も走っています。

ちなみに今回乗車したのは、ETSゴールド、往きはその新型車両で帰りは従来型車両。運賃はKLセントラルからイポーまで、オンライン手数料込みで片道37リンギ(現在為替換算で960円ほど)、所要時間は約2時間半でした。

ETSに乗車したKLセントラル駅では時間がなくて先頭車両の写真撮影が出来なかったので、↓はネットからお借りしましたが、こうしてみると、なんか、古里の山形新幹線に良く似ているような。。

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場面は戻り、また出発前のKLセントラル駅です。

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↓おー、なんとこのコーチ(車両)にはビストロカウンター(居酒屋スタイルの軽食カウンター)が付いてる。

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↓反対側から見るとこんな感じ。ちなみにこの軽食カウンターはCコーチ(C号車)のみ。もちろん私はこのことをKTMのウェブサイトで知ったので、座席予約はもちろん往復ともCコーチでした。

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早速トイレを点検。でも実際に使ってみなかったので、その使用感は分からないのですが、ちょっと見た目にはとても綺麗で清潔そうです。

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乗車したETSゴールドは、KLセントラルを定刻に発車、と言いたいところですが、案の定15分遅れぐらいでようやく発車です。ここはやっぱりマレーシア。日本の鉄道との決定的な差がここにありますね。発車後の車内放送で、日本では当然あるべき、列車の遅れ出発などについての理由説明やお詫びも一切なし。まぁ、そんなの誰も初めから期待していないっつうか、ま、マレーシアらしくていいじゃないっすか・・・・

ちょっと車内をうろうろしてみましたが、車内は一見とっても綺麗。でも随所に安普請的な造作も少なからずあって、これはどこの国の製造かなぁと、これも後で調べてみた結果なのですが、やっぱり中国製造。。でも従来のETS車両は全部韓国製造だったらしく、最新型はそれよりずっと良い、と誰かが言ってましたね。

確かに車内は綺麗、それにレッグスペースも広いし、リクライニングも十分。もちろん日本の最新型の新幹線車両などとは比べようもないのですが、それでも十分許せる範囲です。列車の運行速度はと言えば、車内の電光表示板によると最大145km/hぐらいかな、でもそれは全部ではなく、平均すると110km/hぐらいかなと思います。揺れや騒音も想定の範囲内でまぁまぁ快適。これでビールでも飲めたら文句なしなのですが、多分、多分ですが、車内での飲酒はご法度なのだろうと思います。しょうがありまへんなぁ、ここは穏健ながられっきとしたイスラム教国なのですちゃ。

それで、Cコーチのビストロカウンターですが、ええ、もちろん利用しましたとも。。メニューはやっぱりマレーシア風軽食のみで、定番のナシレマやナシゴレン、それにミーゴレンなど。そのほかサンドイッチとコーヒーやティーなどの温かい飲み物があって料金もチョ安。車内は噂通りにエアアジアも真っ青、寒さには半端でなく強いこの私でさえも参ったというほどの強冷状態。なのでか知らん、こんな時には熱いコーヒーが良く売れるとばかりカウンターのお兄さん、ずいぶん張り切ってました。

2時間半の列車旅も退屈することなく過ごし、列車はいつの間にかイポー駅へ。でも時計をみたら定刻よりも30分以上遅れてる。駅で辛抱強く待っていただいたN氏夫妻には大変お気の毒なことでした。

さて、これ↓がイポー駅です。なんとも洒落た、と言うか歴史を感じさせる素敵な駅舎です。

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それもそのはず、Wikipediaによると、イポー旧市街の中心的存在であり、マレー鉄道一美しいと言われるムーア式とゴシック様式のコロニアル建築の白亜の駅舎、なのだそうです。

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前回イポーに来たときは、列車旅ではなく車旅だったせいもあり、この駅前付近にこんなに美しい歴史建造物が目白押しだったとは知らなんだ。

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↑↓見て下さい、この美しさ。この建物はDewan Bandaraya Ipohとありましたから、イポーシティホールだと思っていたら、旧郵便局と背中合わせのタウンホールなのだそうです。ちなみに現役のイポー市役所(Majilis Bandaraya Ipoh)は別のところにあるそうなのでこちらは市の公会堂なのでしょうか。。

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いや、今回のミニ列車旅ではN氏ご夫妻に大変お世話になりました。駅とホテルの間の送迎の他、おそらく今までで一番美味しいと感じた北京ダックレストランでのランチ、それに思いがけずに素敵なご自宅までご案内いただき、それはそれは大変有難く、嬉しいひと時でした。

今回のイポーの列車旅は、お二人の優しいお人柄と細やかなお気遣いのお陰で、とても心地の良い充実の旅となりました。ご夫妻にはあらためて感謝申し上げたいと思います。

そして今夜の宿は、ロストワールドホテル。そうです、ロストワールド・ホットスプリング&スパの真ん前のホテルと言うか、同一経営のホテルです。

この温泉は以前も少し書きましたが、夜6時から夜11時までの営業のみです。もっともいつもくそ暑い日中には、熱いお風呂など誰も入りたくはないだろうと思うのでこれも当然と言えば当然のこと。

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ホテルチェックイン後、早速ホットスプリング&スパに直行です。そしてまもなく日もとっぷり暮れて、ほら見て下さい、こんなに幻想的にライトアップした天然温泉です。

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いくつもある大小さまざまな温泉のうち、私は最奥のこの辺りの熱いジャグジーとその手前の洞窟型のスチーム温泉が好き。

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でもみなさん、火山の姿も見えないこのマレーシアで、何故温泉なんだろうって思っていませんか? 実は私も最初はそう思いました。でも良く考えてみれば日本にだって火山とは関係ないところに温泉がいくつもありますよね。

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そうです、それを非火山性温泉と言うのだそうです。日本の有馬温泉や南紀勝浦温泉、白浜温泉、それに道後温泉などがこの非火山性温泉に分類されるのだそうですね。そうそう故郷山形の湯殿山温泉も実は非火山温泉なのだそう。

マレーシアに散在する温泉は、非火山性のうちの深層地下水型温泉と言われているのだそうですが、ほとんどの源泉では100℃に近い熱い湯が噴出しており泉質は火山性温泉同様に良好でアルカリ性なのだそうです。

それにしてもこの湯の熱さと心地良さ、マレーシアに移り住んで以来ほとんど忘れかけてました。

↓ロストワールドホットスプリング&スパの常設ステージで行われているファイヤーショーです。こんなの全くのオマケで見ながら熱いお風呂に出たり入ったり。

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南の国ではあり得ないだろうと思っていた温泉三昧、熱いお風呂三昧、実はマレーシアでもできるんですよね。

と言うことで、さぁ、みなさんも熱いアルカリ性お風呂にゆっくりと浸かりお肌つるつるになってみませんか。。

今回はたった一泊だけのお試し列車旅みたいなものでしたが、ETSで乗って来れば、まさに安いし、楽ちんだし、簡単至極。。さらにイポーにはバンジャラン・ホットスプリング・リトリートと言う、ロストワールドよりもより良さげな天然温泉もあると言うし。。

早くも、この次の泊りはバンジャラン・ホットスプリング・リトリートにしようかななんて考えている温泉大好き人間のひねくれ団塊なのでした。。

次回は今日これから出発するジャングルトレインの列車旅を紹介する予定です。乞うご期待!それではまた。。




突然ですが、最近どうも疲れ気味です。年のせいかも知れませんが以前のように元気が出ません。これではいけないと思いつつも毎日だらけていて、このまま体力・気力が徐々に失せてしまうのかとやや不安を感じます。

文章を考えるのも億劫でブログの更新もなかなか思うように進んでいません。

なので今日のブログは最近撮り溜めた写真を貼るだけ、文言を極力省いた手抜き工事です。

以下、時系列に並べてみます。



これは先月(7月)22日、横浜からみえたお客様ご夫妻を、MaTic(Malaysia Tourism Information Centre)のミニシアターに案内したときの写真です。

アンパン通りを挟んで、ルネッサンスホテルの斜め向かいにあるMaTicですが、無料の駐車場もあるし大変グッドです。最近ここのミニシアターがグレードアップしたというので、そのチェックも兼ねて行ってみました。

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ミニ・オーディトリウム・ホール(ミニ・シアター)です。ここで無料のマレーシア民族舞踊ショーが毎日(日曜除く)行われています。なるほど、以前のコンクリート階段状のシアターと比べると格段に立派です。

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舞踊ショーは、MaTic内のサロマ・シアターレストランで行われている有料のショーとほぼ同じ内容です。

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サロマ・シアターレストランの方は、食事(ブッフェ)付ですけど100リンギ以上とちょっと高めですが、ここは無料。以前は建前上の入場料が5リンギ程度だったと思うのですが今は完全無料と大変お得です。

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このMaTicのミニ・シアター、今までも何度か行きましたが、いつ行っても客が少なくてプロのダンサーさんたちににお気の毒なほどです。意外と知られていないのではないかと思いますが、私は大のお気に入りです。



次は7月26日、タイのバンコクへの小旅行の記録です。バンコクは、過去にも何度か訪れたことがありますが、前回が確か10年ほど前のことで、あれからずいぶん変貌を遂げたと言う話を聞いて行ってみました。KLからバンコクへは空路2時間ぐらいでとても気軽に行けるんです。

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聞いた話は本当でした。以前はもっと雑多でアジアの街の象徴のようだったと思うのですが、今のバンコクの中心部はこれこの通り、とても明るく近代的な街並みです。眼の前のビルは、BTS(バンコクスカイトレイン)サイアム駅直結のサイアム・パラゴンと言う巨大ショッピングモールです。

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しかし、バンコク市内の鉄道網はKLとは比較にならないほどグッドですね。これはBTS(高架鉄道)ですが、この他にMRT(地下鉄)もあるしARL(エアポートリンク)もあって、それぞれの乗り換えもスムーズです。

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ただバンコク市内の道路はとても混雑していて、これはKLよりも酷い。往きのタクシーは空港からホテルまで大渋滞でなんと2時間もかかりましたよ。これじゃあ、市民の足は鉄道網に頼らざるを得ませんね。だから市内中心部のサイアム駅は、これこの通りの混み様です。

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このBTSの沿線沿いには巨大ショッピングモールがいくつもあるんですね。このサイアム・パラゴンもそのひとつですが、いやはや東南アジアの大都市ってどこも変わりませんね。

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サイアム・パラゴンの中です。巨大な吹き抜けはKLのモールも同じですが、一階部分から下を覗いて驚きました。地下一階のフードコートの広さと賑わいはKLのパビリオンやスリアKLCCにも負けていません。それにそのさらに地階には・・・なんと、水族館のようですけど・・一体どうなっているのやら、、、、

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バンコクのこの高架鉄道の下部構造をちゃっかり利用したスカイウォークには"あっぱれ"です。これは良い。直射日光も雨も凌げるし、ここから沿線の主要建物に直接出入りできるのも大変便利です。私たちはこの標識の左矢印のアマリン・プラザに入り、そこのJCBカードラウンジでコーヒー休憩しながら、ちゃっかりとレストランやマッサージの予約までしてもらいました。

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↓ここは確かBTSのプロンポン駅だったと思いますが、バンコクの空はKLの空よりも綺麗に澄んで見えました。

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さあ、そしてその日の夜です。JCBカードラウンジの愛想の良いお姉さんに予約してもらったリバーサイドレストランにやってきました。

タイリバーサイドレストラン

実は、今日はMy Better Halfの誕生日なのです。

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なので、ちょっと贅沢しました。ここはタイ・シャングリラホテルのリバーサイドレストランです。

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タイの民族舞踊ショー付のちょっと豪華なタイ料理です。

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衣装も踊りもマレーシアの民族舞踊とは異なり、独特の雰囲気があっていいですね。

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このチャオプラヤー川って、昼間見ると茶色に濁っていてとても綺麗とは言えませんが、夜ならばOKです。だけど、東南アジアの川ってみんな茶色ですけど、これはしょうがないですね。南米や中国などの大河もみな同じようですが上流域の表層土が流出したり、それにあまり浄化されていないせいもあるのでしょうね。

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前回タイを訪れた時には、対岸の有名寺院までこのチャオプラヤー川を渡し舟で渡った記憶がありますが、あの時は昼間だったのでちっとも綺麗でなかった。でも夜ならば、川面は真っ暗で川辺の綺麗な灯りしか見えないから許せます。

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↑こんなディナークルーズのボートにも乗ってみたかったのですが、なんとこのクルーズ、ドレスコードが厳しくて半ズボンにサンダルではダメなんですって。(私の今回のタイ旅行は半ズボンにサンダル履きでした)



さて、お次は先週8月9日から11日にかけて、友人夫婦2組と共に行ったイポーとキャメロンハイランドへの小旅行です。

先ず、8月9日のイポーですが・・・、あっそうそう、イポーのNさん、ごめんなさい、Nさんが日本に一時帰国中に勝手にイポーに行って来ました。本当はNさんにお会いして出来れば案内してもらおうと思っていたのですが、当方の友人たちとの都合もこれありで今回の日程となりました。

またいつか行くことがきっとあると思いますので、その節はどうぞよろしくお願いいたします。

KLからイポーまでは高速道路で約2時間半程度。快適なドライブでした。

イポー到着後、早速、以前から興味があったロストワールドのホットスプリング(温泉)に行ってみました。

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現地はイポーの町外れにあって、小高い山の山あいと言うか、直ぐ近く。一見、華やかさもなんにもなく、裏寂れた感じに見えましたが、ま、こんなもんでしょうね。でもこのホットスプリング、マレーシアでは数少ない天然温泉なのだそうです。

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ここは、夕方6時の開園、夜11時までの営業だそうで、私が独り、車で訪れた際はまだ陽が高いせいか人影もまばらでした。

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何を隠そう私は大の温泉好きで、マレーシア移住前は、何処にもある日帰り温泉に足繁く通っていたものです。ところが、KLには温泉がない。いや、探せば近郊の山あいにはあるらしいのですが、いずれの温泉も手が余り入ってない、と言うより自然のまま汚い。日本とは雲泥の差です。そんな汚い温泉にはたとえ水着をつけても入りたくないのです。

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このホットスプリング、中は結構広くて大きい。広い温水プールや大小様々な温泉施設があって、これは良さそう。綺麗さ加減も、まぁ許せる範囲かな。。(何事も日本と比べてはいけません)

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もちろん、ここは水着を着けないといけませんよ。日本のように裸でなんてとんでもないです。ここはマレーシア、戒律厳しいイスラムの国ですぞ。右の注意書きをご覧あれ。一番右はムスリム女性用のまぁドレスコードのようなもんです。

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お、崖の上から湯滝が落ちてる。これは打たせ湯、首や肩こり良さそうです。

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↑こっちは湯音43度のジャグジーだけどみんな足だけつけてる。なんで?私が平気で身体を首まで沈めたら、周りのチャイニーズに、えっ、熱くないの?って不思議そうに声掛けられました。これぐらいへっちゃらだよ、オラ日本人だからって言っちゃったりしてね。。

↓こっちは、えっ47度?ウソだろう、試しに足をつけてみたら、うーん、それほどでもないな、きっと45度ぐらいだろうな。でも、これって、誰のため?だって43度でもみんな恐る恐るなんだからね。。

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おっ、綺麗!うん、ここならば日本の温泉施設と遜色ないなと思いながら早速身体をつけてみたけど、、ん、なんで底が砂利砂利してるのかなぁ。。

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でも、施設内にはこんなレトロなお土産物屋さんやレストランも並んでいて十分楽しめそうです。

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イポーのロストワールド、今日は短時間のお試し訪問でしたが、まぁ許せる温泉施設かな、と言うより、期待以上に楽しめそうな温泉施設です。いつかまたじっくりと湯に浸かりに来たいものです。



8月10日、一行はイポーを後にしてキャメロンハイランドにやって来ました。ホテルチェックイン後に、トレッキングに行こうと言うことで、ここは一番人気のMossy Forestです。でも、ご覧のとおり濃霧に包まれて辺りの景色も何も見えませんが、とにかくレッツゴーです。

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よく整備された木道でとても歩きやすいトレイルです。でも登り下りが結構きつかったけどこれは日ごろの運動不足のせいですね。

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少し明るくなってきたようですね。おっ、ここは標高2000m地点、結構な高地なんですね。

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山の稜線をトレイルしますが、この稜線が州の境界のようです。キャメロンハイランドはパハン州に位置しているのですね。

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以下、トレイル沿いに見つけた高山植物ですが、名前もなにも分からないのでそのまま並べてみます。

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どこかで見たような花ですね。

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これも・・・

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これも・・・

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そしてこれも・・・

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またまたこれも、どこかで見たような・・・

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これもです。でも、名前もなんにも思い出せません。

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山野草を眺めていたら、以前山歩きをしていた頃を懐かしく思い出しました。まだそんなに昔のことではない筈なのに、なぜか遥か遠い昔のように思えます。山はいい、山は荒んだ人の心を癒してくれる。そんな昔にまた戻りたい・・けどムリですよね。



そして、今回の旅の最後は8月11日のキャメロンハイランドの茶畑です。標高1500m程度の高原地帯にあるキャメロンハイランド。年中涼しくて、エアコン不要の別天地です。

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この山を覆う茶畑のグリーンが目に優しくて、眺めているだけで心が癒されるようです。

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上の2枚の写真は、↓この写真の中の左上のカフェから撮ったものです。

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年中涼しい気候のせいか、ここで暮らす日本人の方も少なくないと聞きました。それも良いのかも知れません。でも私には多分ムリ、少々暑くてもやっぱりKLの方がいい、そんな気がした今回の小旅行でした。

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最後に、↑これはキャメロンから下る途中の道端にあった大きなランブータンの樹です。大の大人、それもシニアが少年のように心弾ませながら、高くてとても手が届かないランブータンの赤い実を落とそうと、近くにあった棒切れや小石を投げる様は、きっと側を通るドライバーから見れば奇っ怪なジジババ軍団に見えたことでしょうね。

でもこのランブータン、甘くて酸っぱくてとても美味しかったですよ。




以上今回の写真ブログはこれでおわりです。

ではまた。。









久々の気晴らし小旅行、今回はマレーシア東海岸の最北に位置するクランタン州の州都コタバル市です。

このコタバル市のことやクランタン州のことについて、実は私はマレーシア移住以来、いろいろな人たちからいろいろな場面で話を聞かされるものだから、機会があったら是非一度行ってみたいと思っていたのですが、昨年暮れにエクスペディアを何気に眺めていたところ、コタバルフリーチケットと言う文字が目に止まり、ホテルも良さげでとってもリーズナブル。良し、行こうと即決心し、このたびの新年コタバルツアーとなったと言う訳なんです。

前回ブログにも少し書きましたが、英語のニューキャッスル(新城)を意味するコタバルのこと、マレー系民族がほとんどで純朴なクランタンの人たち(Kelantanese)のこと、そしてその昔、大東亜戦争開戦時の日本陸軍の上陸地だったことなどに、私は以前から興味がありました。

しかし今回は、私独りだけのリサーチツアーではありません。親しい友人夫妻とのホリデー&リラックス目的のツアーですので、私の興味本位で全員を振り回すことのないように気を遣わなければと思っていたのですが、果たしてどうだったか、いつものことですが反省すべき点もあったような気がします。(笑)

調べてみたところKLからKB(コタバル)までは陸路だと約450km程度、夜行列車も長距離バスの運行もあるらしいし、もちろん車でも十分行ける距離なのですが、今回は当初からエアアジアと決まってましたので、これらのオプションは考える必要もありませんでした。

でももし再びKBを訪れる機会があれば、その際はKLを夜に発って翌朝KBに到着するKTMの夜行列車か、またはスバン空港から離陸できるファイアーフライの利用を検討してみたいと思います。

エアアジアのA320型機はklia2を離陸上昇し、水平飛行に入ったと思うまもなくもう降下開始です。機はどんどん高度を下げ着陸態勢に入ったようです。眼下には熱帯地方特有の赤い(茶色い)河が流れています。

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klia2を離陸してから40分ほどでKB空港(Sultan Ismail Petra Airport)に無事着陸です。こじんまりとした管制塔が見えています。

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着後、預け荷物もなく身軽な一行は、空港内タクシーチケットカウンターで、市内ホテルまでのタクシーチケットを30リンギで購入し、タクシーでホテルへ向かいました。30分ほどで滞在ホテルに到着です。

おぉ、思ったとおりなかなか良さげなホテルですなぁ。。

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↓これはホテルの部屋から東側、つまり海岸線方向の眺めなのですが、高い建物もほとんどなく、視界が180度に開けていて見晴らしがいい。あぁ、これが東海岸クランタン州のコタバルだ、、、と感慨深いものがありました。

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翌日、相談の結果、レンタカーを借りることにした一行は、先ずタイ国境に近いセリトジョ海岸に向かいました。↓パンタイ(海岸)セリトジョです。

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↑こうして見るとゴミひとつ落ちていない大変綺麗な砂浜のようですが、実はこの画面の左側松林の方向には夥しい漂着ゴミの山があるのです。年中夏のマレーシアと言えど、ここ東海岸の今はモンスーンシーズン真っ只中で、いわゆるオフシーズンです。モンスーンシーズンが開ける2月頃からは観光客も多くなるそうですが、それまでにはここいらの漂着ゴミの山は消えて無くなるのでしょうか。

今日はオフシーズンのウィークデー、しかもまだ時間が大分早いせいか辺りは閑散としています。それでもそこだけゴミのない松林の一角には既にジュースや揚げ菓子などを売る屋台もありましたので、これから人が出てくると言うことなのでしょうね。

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一行、マレー語会話の練習を兼ねて屋台のファミリィに話しかけてみました。そうしたら、この屋台一家のご亭主は70歳、こちらが聞いてもいないのに結婚は2回目でこのオナゴは二人目の女房だという。噂どおり、クランタン衆(Kelantanese)は陽気で人懐っこいようです。

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その嫁さん、と言うより62歳の婆さん、おっと失礼、私より若い女主人、私たち一行を興味ありげにじろじろと眺めていたのですが、私たちが少々マレー語を話すと分かると途端に相好を崩し、私たちのためにテーブルを広げたり椅子を並べたり、さぁここに座りなされ、これケロポックだよ、美味しいよ、ココナツジュースはどうかい?サトウキビジュースもあるよ、などと多弁に盛んに薦めてきます。

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薦められた揚げたてのケロポックを頬張りながら、私が、実は私は若くないんだよ、日本に孫が二人もいるんだよって言うと、なんとこの女主人子供が6人で孫が12人だと言う。子供は4人大学出してそのうちの二人が医者で一人が技師、んで、ここにいるのが一番出来の悪い息子なんだよって、アッハッハーと大笑い。

いやはや、なるほどクランタン衆は明るい、かつフレンドリィなんだねぇと一行は心底感心したのでありました。

このフレンドリィな屋台ファミリィに別れを告げ、次なるポイントに向かう途中、なにやら道路っ端に海産物らしき売店を発見。良く見ると小振りの牡蠣などの貝類や魚の干物が無造作に山積みされて売られてました。でもあの貝類は生のようだけどこんな日向に出して大丈夫なのだろうかと、ちょっっと衛生状態など要らぬ心配をしてしまった、こんなことにはちとウルサイ私なのです。

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海産物の売店を過ぎると左手の湾の向こうになにやらの養殖イカダらしきものが見えています。なるほど、先ほどの売店の貝類はあそこから来たんだな、と一同納得です。

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次に私の今回の最大興味の場所、旧日本陸軍の上陸地だというサバ海岸に向かいます。途中、たくさんの立派な仏教寺院があって、涅槃像(Sleeping Buddha)、立像(Standing Buddha)そしてこの↓ような、鎌倉の大仏のような坐像(Sitting Buddha)がありました。

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しかし何故ムスリム教国のマレーシアにこんなに多くの仏教寺院があるのか初めは不思議に感じましたが、直ぐに気付きました。そうです、ここはタイの国境に極めて近い土地です。その昔、国境のない時代、いや今もかも知れませんが、人も文化もなにもかもが交じり合っていたのですね。涅槃仏なとがあって当然、なにも不思議なことではないのです。

さあ、次は一度KBの市街地を抜け、コタバル市街地南東に位置するサバ海岸(Pantai Sabak)です。こんな場合、タクシーと違ってレンタカーは便利ですね。でもね、今回のレンタカー、ちょっと???なんですよ。

どういうことかと言うと、ホテルのフロントにお願いした際、マイビィかサガのどちらが良いかなんて聞くものだから、てっきりレンタカー業者さんに発注しているのだと思っていたのですが、しばらくしてホテルのエントランスに現れたマイビィはどこからどう見ても個人所有の自家用車。だって車のダッシュボードにサングラスなどの個人所有の小物類がおいてあるし、借用のための書類手続きや免許確認、車の状態確認や自動車保険の説明などは一切ないのです。

車を持ってきてくれたらしい何処ぞの男の人にキーを渡されて、あの車だよって、その一言のみ。ホントにただそれだけなんです。え、これレンタカーなの?なんかちょっと変だけど、ホテルのフロントを通じている訳だし、フロントの彼女、24hで140リンギって言ってたし、オレたちも車が使えればそれで別に文句はないし・・・と、一行は首を傾げながらも納得したのでした。

さぁ、着きました。ここが旧日本軍が上陸したと言うサバ海岸です。でも、これナニ?この護岸提みたいな奴。良く見てみると北のほうから南のほうまでずっと続いています。この石積みの護岸提に登ってみましたがこれじゃあ当時の名残など期待する方が無理と言うものです。

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護岸提の内側には直ぐ傍まで家屋などが建ち並んでいるんですけど、提の上から比べてみると、内側の地面はどうも海面と同じぐらいかやや低いんじゃないかなんて感じたのですが、これ私の目の錯覚でしょうか。ひょっとしてこの辺り海抜ゼロメートル地帯なのかも知れませんね。護岸提はそのための防潮堤なのでしょうか。。地元の方に聞いたら洪水予防だよって言っていましたがね。

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護岸提の内側には日本で言うところの海の家みたいな、こんなカフェもあって、ちょうどお昼時でもあったし我々もここでランチすることにしましたが、そのランチはお世辞にも美味しいと言えたものではありませんでした。これはハズレ、残念!

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その場に居合わせたローカルの方たちや店の人にちょっと話かけてみましたが、この辺りが旧日本軍の上陸地だったことなど誰も詳しいことは知らなさそうでしたし、興味もまったくなさそうでした。そりゃそうですよね、今から遥か75年も前のことですから、ここの人たち、まだ誰も生まれてもいない昔のことですからね。これもハズレ、残念!

さて、サバ海岸を後にした一行は、KB市内の博物館めぐりと市場に行ってみることにしました。先ず最初はイスタナ・ジャハー(旧王宮)です。

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もちろん私は、事前にKBの名所旧跡、Must see placeやMust visit placeなどをチェックしてみたのですが、いずこも今いちパッとしません。ゲストコメントがいずれも低評価なのです。まあ、要するにこのKBにはほとんど見るべきものが無いということなのでしょうかね。

イスタナ・ジャハーのバルコニーから外の広場を眺めたところです。こうやっているとまるで民に手を振る王になった気分ですね。

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空港の近くにもありましたが、あれが王家の門なのでしょうか、ずいぶん立派なモンです。(これ掛け言葉=オヤジギャグです)(笑)

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↓イスタナ・ジャハーの内部です。でもこじんまりとした王宮ですね。見るべきところも大して無いのにこれで入場料4リンギとはちと高いような・・・

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次に、直ぐ近くにあるクランタン・ハンドクラフト・ビレッジなるところに寄ってみることにしましたが、残念ながら既に閉館時間を過ぎていてビレッジの外の売店を眺めてお茶を濁しただけでした。

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↓クラフト・ビレッジの売店です。一同、ふぅーん、こんなもんかぁと、まさにお茶を濁しただけでした。

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この後、KB最大のマーケット(Pasar Besar Siti Khadijah)に行ってみたのですが、写真で見るとは大違い。もっともこの時間はほとんどの店がクローズしていて見るべきものはなにもなかったのです。私としたことが、市場は午前中に行かねばと言う鉄則をなぜかすっかり忘れてました。

それでも一部の店はまだオープンしていて、そこで売られている野菜や鶏肉などを見て廻ったわけですが、それがいけなかった。周りには汚い生ゴミが散乱してるわ、大小のラットが走り回っているわ、挙句のはてに真っ黒なハエが、野菜にも鶏肉にもびっしり張り付いていて、近づくとわっと飛び回る。いやはやあれにはぎょっとしましたね。

もう店のほとんどがクローズしていて、あそこで売られていたのは残り物だったのかも知れませんが、食品を売る店がコレではいけません。

こんなんじゃしょうがないね、見ないほうが良かったねと、一同相談した結果、市街からちょっと離れたところにあると言うナイトバザーまで行ってみることにしてレンタカーのマイビィを駆ったのですが、現地到着して尋ねたところ、ここは夜8時にならないとオープンしないのだと言う、オイオイ、今回はどうも何かがずれているのか上手く行かないなぁと一同ショボン。これって私の情報確認不足のせいですね。

思案の結果、KB市街まで一度戻り、食事をしてから出直すことにしましたが、でもこんな時でも、やっぱり無料ナビアプリのWazeは凄い。何処にでも何度でも文句ひとつ言わずにきちっと案内してくれる。実に頼もしい味方です。

でも今回のツアーで、私はひとつだけKBに不満がありました。それは酒屋がなかなか見つからないこと。ショッピングモールに行っても、セブンイレブンに行っても、なんとホテルのレストランにも酒が無い。

いくらムスリムが9割の土地柄とは言え、飲酒が一般法で禁止されてる国じゃないんだから、観光客用に酒ぐらい売ってよ、と晩酌を欠かせない私は大いに不満でしたが、いやいや敬虔なムスリムの方たちに言わせれば、たった3・4日ぐらい酒を飲まなくたっていいじゃないか、そんなこと言ってたらサウジやブルネイなんか行けないぞ、だと。。

冗談じゃない、私は、サウジやブルネイなどには死んでも行きません。日本酒やウィスキーやビールやワインが飲めないなんて、夕食時の楽しみが半減どころかなんにも無くなります。いくら美味しい食事でもアルコールのほろ酔い気分が付いてなければただの腹の足しです。おぉ、神様、仏様、こんな呑平な私をどうぞ許してつかぁさい。

でもKBの夜は長い。意地でも探すぞと意気込んでいたところ、なんと初日の夜にタクシーの運ちゃんが連れて行ってくれました。ゴールデン・シティ・レストランと言う名のバーです。バーなんですけど、ここはウェスタナーやチャイニーズの客がいっぱいいて雰囲気も料理もベリィグッド。そして帰りがけに頼んでみたらビールボトルのテイクアウトもOKでした。

と言うわけで、寝酒用のビールは確保できたのですが、やっぱり近くのスーパーやコンビニで買い足しが出来ないとなると私のような人間にはいささか不安です。

ホテルは部屋も快適だったし朝食の種類も質もグッド、コストパフォーマンスの高さは多分これまでのベストスリーに入るぐらいでしょう。そんな中、唯一アルコールを売る店がなかなか探せないこと・・・・、あっそれと、流しのタクシーがなくて街中で気軽にタクシーをキャッチできないこと。街中でタクシーに乗るには、市内に何箇所かあるタクシースタンドまで歩かなければならないのですが、炎天下のウォーキングは激大変。。まぁそんなところが今回KBツアーの不満といえば不満だったかも知れませんね。

えっと、話が横道に逸れてしまいましたけど、どこまで話しましたかね。

あぁそうそう、街で食事して、またナイトバザーに戻ったのですが、あそこのナイトバザー、だだっ広いだけ広くても中身が極めて薄い。だって売ってるものがどこの店も似たような衣類や履物の類ばっかりだし、私の目当ての海産物がぜんぜんない。日中に行ったPasar Besar Siti Khadijahもそうだったけど、ベトナム・ホーチミンのベンタイン市場ようなところを想像してたのにがっかりでした。



さて、KB3日目です。この日は前日(2日目)に時間が無くて行けなかった残りの博物館などをタクシーと徒歩で巡ることにしました。先ず初めは戦争博物館です。

こんなところに興味があるのは私だけだったのでしょうが、残りのみなさんも嫌がらずに付き合ってくれました。

おほっ、これ↓は英印軍のコタバル海岸陣地防御要図ではないですか。前日に訪れたあのサバ海岸の辺りなのでしょうが、こうやって見ると、日本軍の東海岸への上陸を予期して防御線が二重、三重に周到に準備されていたのですね。

と言うのは、マレー半島東岸は断崖地形が続き、上陸作戦が可能な海浜はここコタバルとタイ王国領内のみだったので、英印軍も上陸適地のコタバルには1個旅団を配置しトーチカ陣地を構築していたのです。

しかし1941年12月8日、英印軍の意標を突いた日本軍の敵前強襲上陸に抵抗できず、あっという間に突破されてしまったのですね。

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結局のところ、コタバルの英印軍防衛隊はたった4日で撤退を余儀なくされ、上陸した日本陸軍はこの銀輪↓を巧みに使用してマレー半島進撃作戦が開始されたわけです。

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その後日本軍は、英印軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを快進撃して、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入、2月8日にはジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸、15日に英印軍が降伏してマレー半島進撃作戦は終了したのです。

これ↓は日本統治の一部を示す当時の資料の展示ですが、コタバルの各小学校とも朝礼時には君が代を歌っていたと記されていてちょっと考えさせられました。

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しかし既に75年の前のことで、当時を知る人にはやはり巡り会えませんでした。旧日本軍の非道な残虐行為などがクローズアップされている昨今、私はどうしても真実をこの目とこの耳で確かめたいと願っているのですが、今回もそれは叶いませんでした。しかしながら言えることは、今回訪れた戦争博物館の展示物や資料を見る限り、そんな非道な残虐行為を肯定するなにものもありませんでした。

かくして3泊4日のコタバルの旅も終わりました。期待したほどの成果は得られなかったかなと言うのが正直なところですが、単独のリサーチツアーではないわけですから、まぁこんなもんでしょうね。でもまたいつか、機会があったらじっくりと見て、聞いてみたい土地ではあるなと感じた次第です。

市内中心部の独立記念広場にある時計台(クロックタワー)です。

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最後に帰りのエアアジア機からコンデジ撮影した空撮画像を少々ご覧あれ。

↓コタバル空港離陸直後の東海岸線

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そしてこれは、どこか分かりますか?そうです。クアラルンプールの市街地です。エアアジア機はKL市街を左眼下に見ながらKLIA方向に徐々に降下しています。

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上↑の画像を良くみると、わが街モントキアラが見えているのですが分かりますでしょうか。写真の右端、翼の下に、新王宮とモントキアラのコンドミニアム群がくっきりと写っています。元の写真で拡大してみるとなんとわがコンドも識別できました。

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そして↑KLIAです。エアアジア機は飛行場を左に見ながら大きく左旋回をして最終進入経路に入ろうとしています。

以上、今回もついだらだらと書いてしまいましたが、ここまでお付き合いいただいた方、大変お疲れ様でした。これに懲りずに本ブログを今後もご愛顧いただきますようお願いいたします。

それではまた。。



早いもので今日はもう10月6日、キナバル山の山行からすでに約1ヵ月も経つのですね。

ところで最近のKLのヘイズはまったく酷いものです。思えば先月、サバ州のコタキナバルからKLIA2に戻った際には、辺り一面が濃いガスに覆われていたのには驚きましたが、あれからひと月も経つと言うのにこのヘイズ、まだまだ改善されそうにもありません。

こちらのSNSでは毎日、このヘイズがいかに人間の健康に害を及ぼすか、新聞等で毎日発表されているAPI(空気汚染度指数)が隣国シンガポールと違いすぎる、調べてみると観測基準やシステムが違うらしい、シンガポールや日本、欧米ではPM2.5を採用しているがわが国(マレーシア)ではいまだにPM10らしい、これは政府の怠慢ではないか、などなど様々な情報や憶測が飛び交っています。

しかし、今日のブログはこのヘイズに関することではないので、このことについては別の機会に書きたいとは思いますが、たまたま昨日の日本人会の英会話クラスの授業で、このヘイズの原因の一つとされているインドネシアのピートランドの火災のことを話題にしたら、先生に”ピートランドと言うワードはありませんよ、ピートと言うべきです"と訂正されてしまいました。

私が、"え、そんなことはないでしょう、新聞などにも普通に使われているし、ピート(泥炭)でできた土地という意味ですけど"と反論すると、”そんな言葉はUK(英国)にはありません”と一蹴されてしまいました。(実はピートランドは、ピート+ランドの合成語で今では英英辞書にも掲載されています)

この先生、英国出身のシニアですが実は私と同い年です。普段は落ち着いていてとても聡明な女性なのですが、ご自分の指導に対する反論には少々感情的に抵抗するのが常です。

UKにも団塊世代なるものが存在するかは知りませんが、彼女も言ってみれば、私と同じひねくれ団塊なんですね。だからこそ私には良く分かるのですが、例え自身が絶対だと思うことであっても聞く耳は持たなければいけませんね。

いや、このことはこれから書こうとするキナバル山とは何の関係も無いことなのですが、何を言いたいのかと言うと、人間、齢をとると当然ながら人生における様々な知識・経験が備わるもので、ともすればそれを絶対と信じてしまいがちです。そしてそのことが慢心(まんしん:驕り高ぶること、自惚れること)を産み、油断に繋がるのです。

いや、これはなにも私の英会話クラスの先生のことを指して言っているのではありません。今回の自分のキナバル登山を省みて述べています。慢心からくる油断がトレーニング不足を産み、想定外の地獄を味わいました。

いくつになっても慢心するなかれ、油断するなかれ、ですね。今回のキナバル登山で深く深く反省しました。



さて、昨夜は滝のような激しい雨でどうなることかと思いましたが、明けてみればこれこのとおり、雨がすっかりあがり爽やかな青空です。

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ラバンラタのレストハウスから外に出てみると眼前に巨大な岩山が迫っています。腕のプロトレック(アウトドア用腕時計)をみると気温は9度、久々の冷気が肌に心地良くそしてとても懐かしい。このままいつまでもここでこうやって山を眺めていたい気分です。

ところで思い出しましたが、昨夕、このプロトレック、一時行方不明になりました。その原因はもちろん私自身にあるのですが、洗面所で顔と手足を洗うためにプロトレックを腕から外し、洗面台に置いたまま、部屋に戻ってきてしまったのです。

そのことに気がついたのはやや暫く経ってからです。慌てて洗面所に行ってみるとそこにはなにもありません。階下のレセプションデスクに行ってそのことを告げると、なにも届いていない、今日の宿泊者は多くはないけど、拾得物として届く可能性は多くないと諭されました。

あぁ、またやっちゃったよ、オレってなんでこうもドジばっかり踏むんだろう、と悔しいやら情けないやら。しかし、止むを得ません。これも勉強です。でもこんな勉強、今まで何十回、何百回(これはないか?)繰り返してきたことか・・・

プロトレックはずっと愛用してきた登山グッズのひとつだけど、悪いのは誰でもないオレだ。諦めよう・・・、そう思ってました。

しかしその後、レストランで夕食を摂っていた際に思いがけないことが起こりました。昨日の登りで途中まで一緒だった青年たちの一人が、私に、プロトレック(プロトレックという言葉を使って)を洗面所に置き忘れませんでしたか?と問いかけてきたのです。

えっ?そっ、そうなんだけど・・・と口ごもると、彼は笑いながら、これでしょう、と言って私のプロトレックを差し出してくれたのです。なんと言うことでしょう。咄嗟に私はとても恥ずかしい気持ちになりました。実は、あの後、洗面所を利用したのは、多分この青年たちだろうと思っていたのです。

でも、彼らを部屋に訪ねて、そのことを問いかけることはとても勇気のいることです。と言うか、もし拾得者がいなかったら、彼らに対して抱く私の気持ちはどうなるだろう、彼らにしても私に疑われたのかとの嫌な気持ちになるだろう、などの思いが交叉して結果としてそのことを躊躇してしまいました。

例え旧いプロトレックであっても、温度・気圧・方位センサーを装備している登山用腕時計は彼らにしてみれば価値のあるものでしょう。仮に偶然に拾得した誰かが自身の懐に入れてしまったとしても責められないと私は判断していたのです。

しかしそんな私の思いはそれこそ傲慢そのものだったと知らされました。思い起こせば、マレーシア移住以来、これと似たようなことを幾度か経験しました。いつかショッピングモールでデジカメをどこかに置き忘れた際もちゃんと受付に届いていたし、すっかり忘れてしまいましたがその他のこともあったような気がします。

日本ならば届くだろうが、マレーシアでは到底無理だろう、などと言う私の傲慢で独り善がりの思いが幾度も砕かれたのです。瞬間的にそんなことも脳裏を過ぎり、またまた恥ずかしい思いをすると共に、マレーシア青年万歳と叫びたくなりました。

実に気持ちの良い朝です。目の前に迫る巨大な岩山を見ているとわが身のなんとちっぽけなこと、大自然の偉大さにひれ伏しその下僕となる、昔から感じていた山への畏怖を今また感じています。

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ラバンラタのバックを見上げると上方にはこんな↓奇岩も望めますが、頂上までのトレイルが可能ならもっと間近で見れるだろうにと残念でなりません。(しかし今日のこの脚ではちょっと無理かも知れない。そう言う意味では恥ずかしながら言い訳ができて良かったのかも知れませんが・・)(笑)

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これ↓はインターネット上から拝借した画像です。バックの岩山とラバンラタの正しい関係位置を知る上でとても参考になります。ラバンラタの直ぐ上は鋭く切り立つ巨大な岩盤となっていて実に壮大です。これを眺めていると、這ってでも登りたいと言う気持ちがまたしても湧いてくるようです。

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これ↓は、現在ブログのトップに据えている写真です。登山前日に宿泊したロッジ前から撮影したものですが、小さな赤丸がラバンラタです。

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アンクー、アンクーと彼ら↓は私をこう呼びます。アンクー(Uncle)はマレー語でおじさん、おばさんはアンティ(Auntie)です。親しみをこめてこう呼ぶのです。昨日以来、彼らはなにかと私に話しかけてきます。この写真撮影時もアンクー、アンクーの大合唱でした。

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なんて気持ちの良い若者たちなのでしょう。聞けば、コースレクチュアラー(助教授)を含め20数人もいるのだそうです。私には皆同じような若者に見えて誰がレクチュアラーだか生徒だか分かりませんが、男子も女子もみな爽やかです。彼らにしてみれば私の年齢は祖父よりも上、外見はそうでなくてもまだ少し脚を引きずって歩く私を見て、頑張れアンクー、と大合唱してくれたのです。

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さて、そんな彼らより一足先に下山することにしました。岩場のごつごつした登山道はまだ昨夜の雨で濡れています。すべって転ばぬよう慎重に下ります。途中なんどもこんなポーターさんたちとすれ違いましたが、なかには女性ポーターさん↑もいるのですね。たいしたものです。

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まだ上空には青空が見えていますが、変わりやすいのが山の天気です。ほら、そう思うまもなく下からガスが湧いてきました。

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昨日の登りでは、両大腿の痙攣に悩まされて登山道沿いの植生も見る余裕がありませんでした。でも、今日はそれぐらいの余裕はあります。まだ脚の痛みは完全には取れていませんが、下りなので痙攣の心配はありません。

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この↓マツの枝の先の赤い花、Rhododendron Ericoides(推定和名:エリカシャクナゲ)だろうと思います。(注:花の名前等はあらためて図鑑で調べた結果です。以下同じ)

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上のエリカシャクナゲと良く似た花ですが、こっち↓はピンクです。ウツボカヅラの側に咲くこの花は、Rhododendron Rugosum、和名はキナバルシャクナゲと言う花だと思います。

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そしてこれ↓が熱帯雨林特有のウツボカズラ、食虫植物です。これは、キナバル山固有種でNepenthos Villosaと言う名のピッチャープラント(ウツボカズラ)です。これは下山途中に合流した、サミットトレイル調査隊の日本人の方に教えてもらいました。

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これ↓はVaccinium Stapfianum、和名は多分キナバルスノキだと思います。

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そして、一見ナナカマドの実のように見えるこれ↓はなんの実なのでしょうか。調べても結局判りませんでした。

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これ、ワイルドラズベリーですよね。以前、よく鳥海山の野いちごを口にしていました。登山中の喉の渇きを癒してくれる山の果実です。思わず口に含み噛んでみましたがあの懐かしい甘酸っぱさが口いっぱいに広がりました。

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これ↓地面の苔の間から生え出た新芽ですが、余りの可愛さに思わずシャッターを切りました。この色とても癒されますよね。

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ここ↓は、ラバンラタから1.5KM、ビローサシェルターです。

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キナバル山のトレイル(登山道)は下半分が階段状にきちんと整備されていて、登り易く下り易い、でも昨日の私はこれに騙された感がありますが・・・。そして、上半分はこの↓ようなごつごつした茶色のガレ場のようなトレイルです。

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ここは、ラバンラタから2KM、ティムポハンから4KM地点のメシラウトレイルとの分岐(合流)点です。ただし、まだメシラウトレイルは復旧工事中とのことで閉鎖されていました。

下るに連れてガスに覆われてきました。雨の心配はなさそうですが、トレイルがかなり濡れていて滑りやすいのが気になります。

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おぉ、下からなにか大きなものを担いでポーターさんがやってきました。すれ違いざまに尋ねると冷凍庫だそうです。しかし、どのポーターもマウンテンガイドも軽装なのには驚きます。Tシャツに短パン、それに運動靴かサンダル履きがほとんどです。日本人登山者のように上から下まで高価な登山専用の服装や登山靴ではありません。

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これで本当に良いのだろうかと、日本で習い憶えた山の服装の常識からすると、心配になりますが、なあにこれで十分だよと言わんばかりにみな軽々と登り下りしています。

これじゃ、この国では山や(登山専門店)さんの出番がないだろうなと思っていたら、KLには最近、ノースフェイスなどの専門店がぞろぞろ出店していて、若い人たちで賑わっているそうです。この国でも山ガールが幅を利かす日が意外と近いのかも知れませんね。

・・なんてことを考えながらゆっくりと下っていたら、例の青年たちにあっさりと追い越されてしまいました。

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みな足取りも軽く鼻歌交じりでひょいひょいと下っていきます。いやはや、これが年の差なのか、、でも、若い人と張り合ってもしょうがないからね、なんてこの期に及んでまだ負け惜しみ言ってる情けないひねくれ団塊の私です。

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これ↓見て下さい。見事な苔の壁回廊です。

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そして、またこれでもか、これでもかと言う階段です。昨日はこの、一見楽な階段登りに騙されました。下りは痙攣の心配こそないもののやはり脚や膝にはかなり負担がかかります。しょぼいカニさん歩きで延々と続く階段を下りてきました。

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この後、ティムポハンゲートに続く坂を最後の力を振り絞って登りきり、今回のキナバル登山を無事に終了したわけですが、いや正直言ってほとほと疲れました。しかも今回登山は頂上ではなく、途中までだったのに予期せぬ苦労をしてしまい、これも今までの慢心と油断が招いた自業自得なのかと反省することしきりです。

しかしなにはともあれ、怪我もなく、他人に迷惑かけることもなく無事に帰って来れた、これでいい、これで良いのだと自分に何度も言い聞かせてました。

それにこのキナバル山の山懐(やまふところ)であの爽やかな青年たちとの出会いがあった。大自然の前で、すべての人間はその小ささやひ弱さを思い知らされ、まことに素直になる、誰もが平等で他人を気遣い、そして優しくなる。人種や宗教を問わず、言語や文化を問わず、そして年齢も地位も問わずです。だから私は山が好きなのだと、久しく忘れかけていた山への思いがまたぞろ蘇った今回の山行でした。キナバル山、ありがとう。。



以上で、3回に分けて綴ったキナバル山記を終わります。
最後までお付き合いいただいた方、大変ありがとうございました。

それではまた。。



ティムポハンゲートの奥にある鉄柵をくぐり抜けると、そこは下り坂から始まる森の小道でした。

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前後に登山者の人影はありませんがそれもその筈です。

9月1日に入山が一部解禁されてから今日でまだ9日目と日が浅くその情報がまだ行き渡っていないだろうこと、登山が再開されたと言ってもまだ途中のレストハウスまでであること、登山許可数が1日約200人から100人に半減されていること、などが影響しているのでしょうか、今日の出発前のキナバルパークHQ前の様子ではせいぜい2~30名程度の入山者数なのだろうと思います。

この大きな山懐に僅かそれだけの入山者です。しかも今日は、陽射しも柔らかく、風はほとんどないものの暑くもなく寒くもない。この分では思う存分静かな山行が楽しめそうです。

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私が先行し、赤い傘をザックに刺して軽快ないでたちのヤングガイド、シャー君が私のペースに合わせてゆっくりと後方からついて来ます。するとまもなく左手に小さな滝が現れました。

カーソンフォールと言う名の小さな滝です。シャー君によると、このティムポハントレイルでは後にも先にも滝を間近に見られるのはここだけだそうです。

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おっ、さっそく可憐なピンクの花を発見。シャー君に花の名を尋ねると、"ピンクの山花"だそうです。(笑)後で調べたところ、Kinabalu Balsamと言うボルネオ島の固有種で、2000m程度の高山帯、湿った水捌けの良い熱帯雨林の日陰で育つ山花とのことでした。

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さて、いよいよ本格的な登りが始まります。でも、この登山道、極めてよく整備されています。もっと木の根や岩の塊がごつごつしていて、さぞ歩きにくいトレイルだろうと思っていたのですが、とても歩き易くて気持ちの良い登山道です。

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スタートから1km地点にあるポンドク・カンディスです。ポンドクとはマレー語でシェルター、つまり避難小屋の意。いや、でもこの避難小屋と言うか休憩施設は実に素晴らしい。仔細に見てみると、トイレは完全な水洗トイレです。外に自然水の貯水式ウォータータンクがありましたが、こんな山道にこんなに綺麗な水洗の手洗い施設とは、流石に世界文化遺産のキナバル山ですね。感心しました。(シャー君に聞くと、登山道のすべてのシェルターに同様の水洗トイレがあるのだそうです)

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さて休憩後に、また緩やかに続く階段状の登山道をいつものペースでゆっくりと登って行きましたが、お、先行のグループに追いついてしまったようです。きっとあれは出発前にキナバルパークHQで見かけた若者たちだ、待てよ、このペースで追いついたと言うことは、彼らがスローなのかこっちが速すぎるのか、などと考えながら、それからはつかず離れず一定の距離を保ちながら登りました。

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ここ↓はポンドク・ウバ、スタートから1.5km地点です。昨夜、キナバルパークのスタッフに聞いたところ、この1.5km地点に地震被害箇所があるとのこと。

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どうやら、この辺り↓が地震被害箇所のようです。

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新しい赤土が剥きだしになっていて、地震で崩れた登山道を復旧した痕がまだ生々しく残っています。

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地震被害箇所に立ち止まっていた先行の若者グループに合流しました。ちょっと話しかけてみると、みんなにこにこ笑顔で元気溌剌、いやぁ若いって素晴らしいですね。

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その後しばらく抜きつ抜かれつしながらゆっくりと登るうち・・・・・・・・う、突然、なんか脚がちょっと変、太腿に嫌な感じの予兆です。え、これ太腿の痙攣か、まだ半分も登っていないのに、そしてそれほどの急登でもないと言うのに、痙攣だなんてなんてことだ。

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そう言えば久々に思い出しました。毎年山シーズンの始め、特に山スキーのシーズン初めに必ずと言っていいほど毎回経験する太腿の痙攣のことです。脚力が弱いのだと言われればそれに尽きるのかも知れませんが、若い頃から大の運動好きで、走ることも歩くことも得意だし、瞬発力にも持久力にも自信がある筈だったのに、いつも太腿が痙攣するたびに思ってました、オレってなんでこんなに太腿が弱いんだろうって。

ある一定の登板を続けているとやがて必ず襲ってくる激痛のこと、すっかり忘れかけていた嫌な思いと不安が過ぎりました。そう言えば、スクワットとか今回は全然してなかったよ。キナバル山に登るから身体を鍛えなきゃと思って足繁く通っていたジムでも、スクワットだけはしてなかったよね。

あぁ、オレってなんてドジなんだろう。キナバル山を舐めていたわけでもなんでもないのに、いや、途中から頂上じゃなくてラバン・ラタまでって決まってから、ちょっと気が緩んでいたのかも知れません。

しかし、この分だと間違いなくまもなく痙攣に襲われる。体力カウンターはまだまだ十分余裕なのに、太腿が攣って歩けなくなるなんて、前後して登っているあの若者たちの前でも恥ずかしい。。

なんてこと考え始めた途端に気持ちにも余裕がなくなりました。静かな山行を楽しむどころか、可愛い山の花を愛でる余裕も、森の新鮮な空気を味わう余裕も失せてしまいました。

そして、ついにです。最初は片方ずつ交互に、そしてやがては両腿同時です。言葉では言い表せないほどの太腿の激痛です。以前も随分悩んだことがあったのですが、これは単なる筋肉疲労なのか、カリウムなどのミネラル・ビタミン不足なのか、はたまた水分摂取不足なのか・・・・・・・

分かっていることは、一度太腿の痙攣に襲われたら最後、ちょっとやそっとでは治らないこと。マッサージや休息で一時的には快復するが、登りを再開するとまた何度も何度も繰り返し襲ってくるのです。

いつかも冬山でスキーを履いて登るうち、突然この痙攣に襲われ、深い雪の中でしばらく動けなかったことがありました。太腿以外の脹脛などの筋肉はすこぶる快調なのになぜいつも太腿だけが痙攣するのだろうと不思議に思ってました。

でもそれは決まってシーズン初日だけなのです。一度痙攣が起きると翌日からはもう二度と襲われずシーズン最後まで安心です。と言うことは普段まったく使っていなかった筋肉を突然酷使することが原因ではないか。でも条件は誰でも同じはずなのにこれも不思議ですよね。

これは仕事(自重を引力に逆らって上方に引き上げること)に比してパワー(大腿の筋肉量)が少ないのだろう、でも翌日から二度と起きないことはこれだけでは説明がつかない、不思議だ・・・・・・・・・などと昔から屁理屈ばかりこねていました。(昔からひねくれていましたからね)(笑)

分かりきっていたことなのに、今回は予防策としての肝心なスクワットはほとんどやらず、思えばほとんど関係のない筋肉だけを鍛えていたような気がします。私の一番の弱点と良く分かっている太腿の準備をまったくお座なりにしていたし、最近は食欲だけが旺盛なため自重(体重)を減らすことにも成功しませんでした。

加えて、以前の山行には常に携帯していたスプレー式の消炎鎮痛剤も今回は持って来ていません。あぁ、なんて馬鹿なんだろう。これって、年取って脳が軟化したせいかも知れない。いや、昔から抜かりがないようで実は抜かりだらけの私なんです。他人には厳しいくせに自分には甘すぎるほど甘い。こんな私と言ういい加減な人間の当然の帰結なのかも知れません。

なんてこと、うだうだと心の中で御託を並べてみても、一度襲われたら最後、情けない悲惨なクライマーに成り下がるしかないのです。

でも、本当に堪えきれない痛みです。止まっては痛みが収まるのを待ってまた登り、また止まっては登りの繰り返しです。当然ながら登りのスピードはカメのような鈍さです。

それでもなんとか、次のシェルターに辿りつきました。先に到着してランチをぱくついていたこの若者たち、必死に堪えている他人(私)の太腿の痛みのことなど、説明しても分かる筈がなく、みんな相変わらず屈託なく陽気です。聞けばポートディクソンにあるポリテクニックと言う公立カレッジの学生さんたちだそうです。

でもそのうち、一時脚の痛みも収まって、彼らと共にいろいろな話に夢中になりました。このキナバル山のこと、地震のこと、彼らの学校のこと、日本のこと、そしてこの国マレーシアの現下の問題のこと、ついでにと思い、ここでもBersih4のデモの話題を振ってみましたが、彼らのうちの一人が、私の意見を聞きたいと言う。

ちょっと考えた上で、透明な政府や議会が欲しい、汚職は犯罪だ、疑惑を追及されながら未だになにも説明しようとしない首相は辞任しろ、との黄色シャツデモの要求は単純明快だ、私にも分かる。真偽は分からないが、現政府にはなんらかの問題があるように見える、と返答すると、彼らは一様に満足したようでした。

彼らはみんなマレー系の学生ながら、話を聞いてみると、先日のチャイニーズ系主体の黄色シャツのデモには特に反感は感じていない様子です。問題は現政府部内にあるのだ、改善しなければいけない、との若い人たちの思いは何処も同じだと感じました。

やはりこれが実態なのだろうと思います。政府与党の要人や、マレー系右翼団体のトップが公言しているような、黄色シャツのデモはマレー系を貶めるデモだとの見方はマレー系国民全体の意見ではない。キナバル登山の途中のランチタイムで意気投合したマレー系の若者たちと、脚の痛みもつい忘れて、登山とは無縁の政治談議などをしてしまいましたが、お陰で随分気が紛れました。

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昼休憩を終えてまた登り再開です。でも、これから益々きつくなるであろうこの先のことを思うと、やはり不安です。"ほら見て見て、あそこにマンキーいるよ"、とのシャー君の声でカメラを取り出してシャッターを切りましたが、本当はいつまた痙攣に襲われるかと不安でそれどころではなかったのです。

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そして案の定また両太腿に刺すような痛みです。なんどもなんども繰り返し襲ってくる酷く耐え難い痛みです。以前の山行だったら、そしていつもの単独行だったら、この時点で登りを断念したかも知れません。しかし、今日は念願のキナバル山です。単独行でもありません。死んでも断念するわけにはいかないのです。(なんてオーバーな、と思われるかも知れませんが、本人としては情けないことにそれほど必死だったのです)

なのに、私のガイドのシャー君は、これ↓このとおり。スマホで音楽聴きながら、鼻歌歌いながら、まるでお猿さんのように身軽にひょいひょいとあちこち移動してはしゃがんで、私が歩き出すのをじっと待ってくれてます。

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私はと言えば、脂汗がたらたらです。くっそー、エネルギーはまだまだ余裕なのに、ただ脚を上げられない。脚を持ち上げようとすると痙攣が襲い激痛が走るのです。

"ふんふん、痙攣ね、クレンプね、ククジャンガン(マレー語)ね、ボクの友達にもいるよ、ガイドの登山講習の時クレンプ起きてね、痛いんだってね"、と、まるで人ごとのよう、いや完全に人ごとなのですが、ほとんど興味がなさそうに、こっちが痛みに耐えかねて、うんうん唸っていても、"ゆっくり行こうよ"、"心配ないよ"って鼻歌交じりです。

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でも、痙攣に襲われてる本人でなければ、これがフツーですね。考えてみれば、痙攣って、別に怪我したわけでもないし、時間が経てばケロッと治るもの。下手に心配しすぎないほうがいいと言う彼の判断は正しいし、私は下手に心配してもらわない方がずっと楽。止まっては進み、また止まっては進む、私のへたれ牛のようなぶざまな登りを、ちょっと離れたところで鼻歌交じりで待ってくれてる彼は、実に素晴らしいプロのマウンテンガイドかも知れません。(これ皮肉ではなく本当の気持ちです)

しかし私は繰り返し襲ってくるこの刺すような痛みと辛さに、まるで地獄の業火に焼かれているようでした。当然ながら、ランチ休憩まで一緒だったあの若者たちの影はすっかり見えなくなりました。時々後方から追い抜いて行くポーターたちや地元消防レスキュー訓練隊の人たちにも励まされ、作り笑いをしては痛みを堪えてました。

まるで終わりのないような延々と続くごつごつした登り道をどれほどの時間をかけて登って来たのでしょうか、ともすれば意識も薄くなりがち(これは大袈裟ですが)だったのですが、いつのころからか、少しずつ、あの刺すような痛みが和らいでいったような気がします。いや、痛みに次第に慣れて来たのかも知れません。

これ何キロ地点?あの白い花、なんて言う花?ほんのちょっと、気持ちに余裕がでてきたのでしょうか、シャー君にこんな声掛けもできるようになりました。あの白い花、まるで鳥海山のナナカマドみたいだな、なんてことを突然思い出したりもしてました。

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そして、ここはスタートから5km地点のビローサ・シェルター、標高3001m。今回ゴールのラバンラタまであと距離1km、高低差280mを残すのみとなりました。

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がんばれ、もう少しだ。まだ脚の痙攣は収まってはいないが、痛みはずいぶん柔らかくなってきた。しかし、今日はずいぶん良く痛みに耐えたものだ。

・・・・・・そう言えば、あの時もよく耐えたことを思い出した。いつの頃だったか忘れたが、まだ山用の携帯GPSを持っていなかった時のこと。雪深い月山で、下り降りる沢を間違えた。行けども行けども深い沢から抜け出られなくて焦り慄き、終いには死の恐怖さえ感じたことがある。

降りしきる雪の中、手持ちの地図で自己位置を推定し、コンパスを頼りに思い切って何本かの深い沢を横断することを決めた。スキーを背中に担ぎ、急な斜面をラッセルしていたところ、突然太腿の痙攣に襲われた。痛みに耐えかねて思わず唸り、その場で動けなくなった。

そして、次第に迫りくる山の日暮れを感じて遭難の2文字が頭に浮かんだ。こうしてはいられない。恐怖に耐え、激痛に耐えながら歯を食いしばってラッセルした。・・・・・・・

今回もあの時のように歯を食いしばった。まだゴールには届いていないがあとは時間の問題だ、そう考えたらようやくホッとした。

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少し気持ちに余裕が出てきたら、周りの景色もよく見えるようになってきました。すでにここは3000mの高度帯、そろそろ森林限界点も近いのだと思います。それにしてもここからはキナバル山の崩落斜面が良く見えています。まるで地獄谷の白い噴煙のように見えるのは雲です。

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良く見ると崩落斜面の底部に大きな岩石が無数に転がっています。あんな大岩が音を立てて転がり落ちてきたかと思うと、あのヴィア・フィラータで落下してくる岩石に打たれたり、圧死したりした多くの犠牲者の恐怖は如何ほどだったのか、想像するに難くありません。

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おぉ、目の前に突然ゴールが現れました。ラバン・ラタのレストハウス、標高3272m地点です。ついにやりました。へたれ牛ののろい歩みでようやく目標に到達しました。

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標高差約1400m、距離6kmは正直言って、さほど苛酷な登山ではないはずです。登山道の勾配もそれほどの急登ではなかったし、確かに登りが延々と続いたものの、それもまたフツーのことです。

悔やまれることは、太腿の痙攣です。負け惜しみを言うようですが、これさえなければあの若者たちと仲良くゴールできただろうにと思うととても悔しい気がします。でも、これでいいのです。痛みを必死に堪え、登ることを諦めなかった。脂汗を滴らせながらついにここまで登って来た。動けなくてレスキュー担架の世話になるなど、他人に迷惑かけることもなくて幸いだったし、自力で無事にここまで登って来た。

そう思うと人知れず大いに安堵した私です。そしてこれは私自身の勲章だ、下山後にしっかりビールで乾杯してあげよう、と思いました。

ラバンラタの正面入り口です。

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ラバンラタのレセプションです。

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そして割り当てられたドミトリーは2階でした。しかしこの後、なんどか階段で上り下りすることになったのですが、その姿はまるで健常者のようではありません。手摺に掴まりながらゆっくりと上り下りする私の姿をみて、あの若者たちがげらげら笑うこと。

悔しいが嬉しい。ほら、見てごらん、私の言ったこと(ランチの時、私が彼らの祖父母よりも年上だと言ったら、みんなウソだろうと驚いていたこと)は本当だったろう。年寄りよりはみんなこうなんだよ。だから大切にしてあげなきゃね、と笑いながら言うとまたげらげら腹を抱えて笑います。

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部屋は4人部屋でした。狭いながらも二段ベッドが二つあり、綺麗な毛布も枕も準備されていて、快適そのものです。雑魚寝が普通の日本の山小屋とは雲泥の差です。

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そして今日の宿泊客は、例の若者たちと私と、山頂ルートの安全性確認をしていると言う専門家グループ(驚きましたが、この専門家グループの中にははるばる日本からやって来たと言う方もおられました)だけ。まるで貸しきり状態のラバンラタレストハウスでした。階下にあるレストランもこれこのとおりガラガラです。

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これ↓は地震発生前のラバンラタレストランの写真です。インターネット上から拝借したものですが、その混みようと比較するとその差は歴然です。

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レストランはブッフェ形式で、その日の夕食と翌日の朝食が準備されていましたが、料理の数も内容も上々で、まるで山上のホテルのようです。レセプションには売店も併設されていて、なんとそこには私の好きなタイガービールもありました。まさか、ムスリムカントリーの山小屋に缶ビールがあるとは驚きました。

でも、今日は身体が激しく軋んでいます。アルコールは控えよう、こんな殊勝なことは滅多にないのですが、今日のあの痛みとの戦いのことを思うと食事が済んだら早く横になりたいの一心です。

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食事を終えると何もせずにベッドに横たわりました。痙攣に痙攣を繰り返した両太腿は、無残にも赤く腫れていてまともに触れないほどです。

こんな状態では脚力の快復に一晩はかかる。もし、頂上まで登山許可されていたとして、翌早朝2時起きで、残る高度差600mの岩山の登板は、とても無理だったかも知れない。そう考えると結果としてこれで良かったのだ、そしてこれがオレと言う男の今の実力なのだ、悔しいことだがそれが現実なのだ・・・・・・・

そんなことを思いながらいつのまにか眠っていました。激しい雨音で目が覚めるとまだ真夜中の1時。ベッドから立ち上がり窓から外を覗いてみると、漆黒の闇に滝のように空から降ってくる雨です。

明日は雨か・・・・、下りの岩場で滑らないようにしないといけないな・・・・・・、そんなことを考えながらまたベッド潜り込むうち次第に意識が遠のいていく、キナバル山の懐深く抱かれて眠るラバンラタの夜でした。

(その3に続く)



それは旅支度を解き、ロッジで寛ごうかとしている時のことでしたが、地震には随分慣れているはずのこの私も、地の底から突き上げるような突然の大きな衝撃にはギクリとしました。

なんだ今の?まさか余震?本震から既に3ヶ月以上も経っているというのに、まだ余震が収まっていないのだろうか?

幸いなことに地震による衝撃はそれっきりでしたが、後ほど確認したところ、震源はラナウ北西14kmで深度浅。と言うことは宿泊したロッジからは至近の距離で直下型、なるほど3.8と言うマグニチュードにしては、体感した衝撃は相当なものでした。



凡そ3ヶ月前の6月5日朝、キナバル山付近で発生したマグニチュード5.9の地震は、シンガポールの小学生を含む18名の尊い人命を奪ったほか、キナバル山の登山道などの登山関係施設にも大きな被害をもたらしました。(2015.6.6付ブログにて詳述しています)

その後キナバル山は、その復旧工事と安全確認のため、サバ州政府によって入山禁止措置がとられていましたが、このたびようやくラバンラタ・レストハウスまでのルートの復旧と安全確認が終了し、9月1日に一部解禁となったのです。

実は先のブログにも書きましたが、私は地震発生の以前から今回のこのキナバル山登山を計画していて、ちょうど必要な手続きと一切の費用支払いを済ませたところでしたので、この地震でいきなり出鼻をくじかれた思いでした。

爾来、サバ州当局が実施する復旧工事や安全確認の進捗状況確認が私の毎日の日課となった訳ですが、登山ツアーの引き受け旅行会社との幾度ものメールや電話のやり取りの中で、一時は大幅な計画変更も止む無しかと真剣に悩んだものでした。

しかし良かった、9月1日一部解禁が正式に発表された。頂上までのルートはまだ禁止解除されていないものの、ラバン・ラタまでなら行ける。私の登山予定日は9月9日及び10日だったのでぎりぎりセーフでした。

まぁ、頂上でご来光を拝みたいと思ったことは、今回は実現できないが、久しく忘れかけている山懐に抱かれる想いは思う存分味わえるだろうし、それで十分だ、そんなことを考えながら、小雨に煙る1年3ヶ月ぶりのボルネオ島KK(コタキナバル)空港に降り立ちました。



翌9月8日、KK市内の宿泊先ホテルに、予定どおりにピックアップに来てくれた旅行会社のバンにてキナバルパークに向けて出発。昨夜来の雨も上がり快適なドライブでした。この路は去年、マレー語クラスの仲間たちと共に来た路。途中立ち寄ったナバル村のフルーツショップの甘いパイナップルも、ナバル村の展望台でキナバル山と初めて対峙し、感動の余り万歳を叫んだことも、まるで昨日のことのようです。

その後バスは濃い霧(雲)の中に入ったり出たりを繰り返しながら徐々に標高を上げて、ようやくキナバルパークHQに到着しました。

この↓写真は、先日からブログのトップ画像に掲げている写真ですが、その日宿泊したロッジの前から撮った中のお気に入りの一枚です。

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これ↓はキナバルパークHQのレセプションデスクのある建物です。レセプションの女性担当者からとりあえず今夜の宿泊ロッジのこと、食事のこと、そして明日のことについて丁寧なブリーフィングを受け、ロッジのキーを受領しました。

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これ↓はキナバルパークHQの全体図ですが、思ったより広大なエリアです。そして、なんと私の今夜の宿泊ロッジは、パーク最奥のヒルロッジ(図の中の青の太線で囲んだところ)。もともとの予定は、大部屋のロックホステルだったのですが、まだ宿泊客が少ないらしく、思いっきりアップグレードしましたとの、思いがけない受付女性の説明でした。

でも、パークはこの図の右から左に向かって高度が上がる(坂道になっている)ので、HQ棟や食事棟のあるパーク入り口付近(この図の一番右側です)とロッジを歩いて往復するのはちょっとしんどそう、などと考えていたら、なんだちゃんと車で送迎してくれるんですって。(翌日の登山の予行演習にちょうど良いかなとも考えていたのですがね)(笑)

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はい、これ↓がヒルロッジの宿泊棟の前の様子ですが、見て下さい、正面に憧れのキナバル山です。なんと言うことでしょう、あの地震の後、一時は無理かと諦めかけたキナバル山の山懐に、予定どおりに、ついにやってきたのです。

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おおそうだ、先ずはチェックインです。

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↓私を待ち構えてくれていた係りの女性です。ユニット内設備の使用説明やら、食事時間のこと、食事棟までの送迎の車のことなどをニコニコ笑顔で丁寧に説明してくれました。

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しかしこのヒルロッジ、人気(ひとけ)がありません。それもそのはず今夜の宿泊客は私のほかには2組だけと聞いて、ちょっと寂しいかなとも感じましたが、ロッジはシングルベッドが二つでヒーター付き、テレビもシャワーもついていてまるでホテルのようです。そんなロッジにも驚きましたが、ここはなにより目の前のキナバル山の眺望が抜群に素晴らしい。とても気に入りました。

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いつの間にか上空には青空が広がっていますが、じっと見ていると刻々と変化する山の様子が実に面白い。どこからともなく雲が沸き、まったくその姿が見えなくなったと思うと今度は徐々に雲が流れ、次第にその全容を現します。いつまで眺めていても決して飽きることはありません。

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係りの女性の説明によると、正面に見える白く剥げた部分↓、あれが今回の地震の山崩れの痕なのだそうです。今は岩肌が露出しているが地震の前は周囲と同じ濃い緑の植生だったのだとか。山のいたるところが崩落し、こちらの面だけでなく、四周にこのような痕が残っているのだそうです。

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しかし地震発生当日、そのマグニチュードは5.9と車のラジオで聞いた私は、一瞬、たいしたことはないなと判断したものでしたが、そうではなかったのですね。これほどまでの山の崩落を引き起こしたキナバル山地震、登山客やマウンテンガイドなどの関係者、それに大勢の地元民の方たち、さぞかし驚きそして恐れ慄いたことでしょう。

これ↓はカメラを右に振ってみたところですが、写真の右端から二番目の小さな三角突起が、地震の揺れで片方の耳が崩れ落ちてしまったドンキーイアーズ・ピーク(ロバの耳)だそうです。

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さて今回の登山は、この↓図の下の赤の太線で囲った登山口(ティムポハンゲート)から上の赤線で囲ったラバンラタレストハウスまでの標高差1400m程度の登りです。残念ながら、そこから先へ、つまり山頂への登山はまだ許可されていません。(しかしそのことが今回は幸いだったということを後ほど思い知らされましたがこれは後述します)

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翌朝の天気が気になった私は、その夜、目が覚める度に外に出て空を仰ぎました。満点の星空ならぬ薄ぼんやりとした星空が見えていましたが、夜が明ける頃には、雲ひとつない青空となり私の心は弾みました。しかしそれもひととき、またどこからともなく雲が沸き、あぁこれが山の天気なのだと、忘れかけていた数々の懐かしい思い出が過ぎりました。

登山の支度を整え、食事棟などがあるパーク一番下の地区に降りてきました。

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坂道をやや下ったところに食事棟のバルサムレストランです。

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斜面にテラスが突き出していてなかなか瀟洒です。

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バルサムレストランの内部です。

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ブッフェ形式のレストランです。マレー料理が主のようですが、朝食にしては品数も豊富でなかなかです。中にはマレー系の若い人たちが大勢いてとても賑やかでした。(この時はまだこの若者たちとこの後ずっと一緒になるとは露知らず、会話もしませんでした)

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食事を終えて外に出てみると、湧いてきた雲の合間にキナバル山が見えています。

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本部棟の前では、先ほどの若者たちでしょうか、パッキングなどの登山の準備に余念がありません。私はと言えば、旅行会社の女性スタッフの紹介で今回のマウンテンガイドとご対面です。見れば息子よりも遥かに若い、というよりは孫に近いようなマレー系の青年でした。

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でも始終ニコニコ顔で愛想が良さそうなマウンテンガイドの彼は身軽でとても軽快ないでたちです。こんな爺いと付き合うことになって申し訳ないね、などと冗談飛ばしながら登山口のティムポハンゲートにやってきました。

ここ↓が、標高1866m地点、ポンドック・ティムポハンです。キナバル山の登山道はここティムポハンゲートから登るルートと、もうひとつメシラウゲートから登り、途中で合流するメシラウルートがあるのですが、あちらは被害復旧工事未了でまだ閉鎖中。今回の一部再開は、比較的地震による被害が少なかったこのティムポハンルートだけなのです。

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思えば昨年もここまでやってきたのです。あの時も、ここでキナバル山登山ルートなどの説明を受け、サミットトレイルと描かれたトレイルマップを眺めるうち、よーし、いつかはこのオレもと、またしてもメラメラと私の中の無茶なチャレンジ精神が頭をもたげてきたのでした。

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あれから1年3ヶ月が過ぎ、私は今またこのティムポハンゲートに立っています。でも今日はこのゲートを通過してキナバル山に登るのだと思うと、それだけで、そう思うだけで感無量です。

しかし山は何年ぶりだろう、慣れ親しんだ鳥海山や月山など、以前は、山に絆され、山懐に抱かれ、深閑とした森の空気を肺一杯に吸い、時には冬山を彷徨い歩き、この大自然の下僕となりその偉大さにひれ伏しながら、母なる山の愛を感じていました。

人生に迷った時、悩んだ時は山を見る、そして山懐に抱かれてじっと想う。すると陳腐で荒んだ人生にも一条の光明が射してくる、そんな風に感じたこともありました。

今、私は、日本から5000km以上もの遥か彼方の南の島、ボルネオ島にいます。そしてまさに今、マレーシア最高峰のキナバル山の山懐に抱かれようとしているのです。

(その2に続く)


クルーズ3日目、クラビ沖到着の朝です。朝食はウェスタンと中華とアジアンのブッフェ。ここ↓はウェスタン料理のダイニングレストラン、フォーシーズンズですが、広くて気持ちが良いのと、料理の種類や質も十分、それにいつも空いていてゆったりとダイニングを楽しむことができました。

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船内のレストランは、このフォーシーズンズの他に中華レストランのオーシャンパレス、そしてプールデッキと同じ階にはマリナーズブッフェがあって、いずれもフリー(Inclusive=旅行代金に含まれる)のブッフェレストランで、乗船間は何度でも自由に利用できます。(これ以外にもフリーではありませんがブルーラグーンなどいくつかのレストランがあります。)

しかしクチコミにもありましたが、リブラには千人近い乗客がいるのだから、食事時はさぞかし混み合って大変なんだろうなと覚悟していたところ、意外や意外、ガラガラに空いていて拍子抜けしました。

でも実はこれには訳があったのです。乗客の中には実は600人ほどの大勢のムスリムコミュニティの団体さんがおられて、お揃いの黄色や青のウェアですごく目立ったのですが、もちろん皆さん熱心なムスリムの方たちですので、たとえ旅行中といえども朝晩のイスラムのお祈りは欠かしません。

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↑船内の一番広い場所のプールデッキを占有して朝のお祈りです。お祈り間、ムスリム以外の客のプールデッキへの立ち入りは禁止と言うことだったのですが、朝日を撮影するからとしつこくお願いして特別に入れていただきました。

毎朝のお祈りは朝食が始まる前の6時からですので、お祈りが終わった後の朝食レストランは、この方たちでチョー混雑するのだろうと想像してました。

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ところがどっこい何時になっても↑こんなにガラガラですねん、ん、あの600人はいずこへ?不思議に思い各レストランを廻ってみました。中華レストランのオーシャンパレス?いや、ここも空いてるなぁ。。んじゃ、8階のマリナーズブッフェはどう?

おおぉ、なんと、8階のマリナーズブッフェにムスリムの団体さん発見!なんとここは席待ちがでるほどの混雑ぶりでした。で、でもなんで?

そうか、良く考えたら直ぐに分かりました。船内でポークフリーレストラン(ポーク料理のないレストラン)はここだけだったのですね。なるほど、この他のレストランがガラガラと言う謎が解けました。

でもお陰さまで、私たちノンムスリムの乗客は実に居心地の良いダイニングを楽しめたのですが、しかし、こんなことは今に始まったことではないだろうに、マレーシア人を主対象とするリブラにしては少々配慮が足りないんじゃないかなぁ、などとまたまた要らぬ心配をしてしまいました。



さて、今日はクラビに上陸です。昨日のプーケットもそうでしたが、行き(上陸時)はスピードボートです。

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波飛沫が速い速度で後に飛び去って行きます。

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さぁ、クラビのジェッティに着きました、と言っても今日は随分時間がかかりましたね。リブラはここからは見えません。遥か沖合いに停泊しているのでしょう。

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よく周りを観察してみるとどうやらここは河口のようです。多分浅くて大型船は中には入れないのでしょうね。しかし、スピードボートでも30分以上かかったのだから、普通のボートだったら1時間はかかるよなぁ。。

ジェッティを出るとツアーの大型バスが待っていました。ガイドさんはタイ人の女性です。昨日のプーケットもそうでしたが、ガイドの皆さん、明るくて元気がいいですね。それに皆さんの英語の達者なこと、でも皆さんスタンダードな英語で聴きやすいのがとても嬉しいですね。

↓ここはクラビタウンのほぼ中心部にあるワットカウ(Wat Kaew)仏教寺院です。

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寺院内はひんやりとした大理石の床が素足に心地良く、豪華絢爛な仏像や壁画などをしばし見とれてしまいました。

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また、↑見事に美しい建築物で、青空をバックに白壁と濃い青色の屋根瓦がとても印象的でした。

そして、次にやってきたのは、アオナン(Ao Nang)タウンから内陸部に少し入ったところのジャイアントキャットフィッシュファーム。キャットフィッシュってご存知ですか、鯰(ナマズ)のことです。日本ではナマズなんてあんまり食べないですよね。でもマレーシアでも、タイでも、東南アジアでは普通に食べられているようです。

スーパーマーケットなどでも活きたナマズが売られていますよね。私がいつも新鮮魚を買いに行く、スラヤンのパサーボロン(卸売市場)では、大小様々な黒いナマズが大きな箱の中で飛び跳ねていますが、あれって見た目がなんかグロテスクで私はあんまり好きではありません。

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私は、実は海の魚は好んで捌き、刺身で食らうことを余生の生き甲斐のひとつにしているのですが、川魚、と言うかフレッシュウォーターフィッシュにはほとんど興味がありません。なので、タラピアだとか、テラピアだとか、ましてナマズなどには普段見向きもしません。

なので、こんなファーム(養殖場)にはなんの期待もしていませんでした。ところがですね、ナマズの養殖池が点在するジャングルの小路を歩いて行くうち、なんとビックリ、こんな可愛い女の子たちに遭遇したのです。

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えっ、なに?良く見ると裸足です。で、これ山羊ですよね。随分この娘たちになついている風ですけど。

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同行のガイドさんに尋ねると、この姉妹はここのファームのオーナー(豪人女性とタイ人男性の夫婦)の子供たちで、このジャングル内で飼っている各種の動物(豚、山羊、猿、猫、アヒル、そしてナマズや鯉などの魚たち)と共に、学校には行かずに母親にホームエジュケーションを受けながらここで逞しく育っているのだそうです。

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いや驚きましたね。こんな可愛い姉妹がこんな動物とまるで家族のようにジャングル内を裸足で自在に走り回っているなんて。。

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さらに小路を進んで行くと、ツアーグループの先頭を歩いていた若者たちが、何事か悲鳴を上げながら逃げて戻ってくるではありませんか。眼を凝らしてみると、なんと小型の犀(サイ)のような動物がこっちに向かって突進してきます。

あはは、これ豚だよ、さっきガイドさんがバスの中で説明していた豚だよ。サイのような黒い動物が走ってくるけどビックリしないで下さいって言ってたじゃないか。これ、サイじゃなくて豚だよ。。。

でも、これ良く訓練されてるなぁ、ツアー客の順路とは逆周りに、つまりツアー客に向かって突進してくるように訓練されてる。うーん、ここのファームってなかなか凝った演出やるなぁ。

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おほ、こりゃアヒルじゃん。。いやはや、ここってナマズなんかみなくても結構面白いじゃん。

で、この他、妙に泳ぎの達者な猿とか、その猿を上手に使いこなして賢く生きてる猫だとか・・・・、ん?今、↓何者かが突然現れ、風のように去っていったような・・・・・

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な、なんだあいつ、何者?って、ガイドさんに聞いたら、なんとここのオーナーとのこと。。で、良く見ると彼も裸足。。ヒゲぼうぼうで小汚いシャツ着て裸足だよ。いや、驚いたね、で、なにか、て言うことは、あの娘たちの父親ってことか?うーん、なんと言うことだ。



意外に面白かったナマズファームを後にして、次にやって来たのはアオナンビーチ。

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アオナンビーチって、良く名前を聞くので、余程きれいなビーチなのだろうと思い、水着も準備してきていたのに、なんだ、たいしたことないジャン。

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それになぜかここでは誰も泳いでない。なので泳ぐビーチはきっと他にあるんだろうなと考え、即諦めました。

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自由行動の残り時間はあと1時間半ほどあるけど、さて何をしようかとグループで相談して、そうだマッサージに行こうぜと、みんなでマッサージ屋さんにレッツゴーです。

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まもなく、アオナンタウンのストリートの中ほどにマッサージショップ発見、看板には1時間250バーツと書いてある。入り口に座っていたおじさんとディスカウントの交渉しようとしたら200バーツ(650円ほど)であっさりOK。なんだホントはもっと安いのかも知れないな。

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かくしてわれわれ日本人ご一行様の、クラビ観光ツアー最後となったアオナンビーチでの自由行動は、名も知らぬタイマッサージショップでのボディマッサージと相成りました。

クラビマッサージ

この写真は拾い物ですが、↑こんな感じのマッサージ店です。

私はもともとマッサージ大好き人間ですし、タイ式のマッサージはいつも行ってるミャンマー式マッサージと違って優しくて気持ちいい。ただ、私についてくれた人が、女性ではなくてがっしりした体格の男性だったことが唯一の心残りでしたが、マッサージは総じて上手でついウトウトとしてしまいました。

ところが、途中仰向けになれと言われて身体を仰向けにした途端、お、おい、な、なんだよ?変なところに触れるなよ!お、おい、オマエ!と声を出してそう言おうかどうか迷っているうち、彼の手はとうとう私の下半身の中心部に到達、その後約30秒間に渡り大きな手でしっかりと凝りを揉みしだいてくれました。

いやはや、なんと言うことでょう、今まであちこちのマッサージショップに行っていろんなマッサージを経験してきましたが、こんなのは、しかも男に・・・なんて初めてです。おい、いい加減にもう止めろよ!と声を荒げそうになったところで彼の手はすっと引いたので、ホッとしたのですが・・・・、これってタイ名物のオカマちゃんか?でもマッサージを終えて知らん振りをしてる彼の顔を良く見ると汚いヒゲ面だしまさかなぁ・・

さらに、こんなハプニングが原因かどうかは知らず、私はこのマッサージショップに私のメガネ、それも一番高くて大事なメガネを置いてきてしまいました。気がついたのが船に戻って来てしばらくしてからなので、取りに行くのは絶対無理。店の名前もなんにも覚えてないし、これは諦めるしかないのだと観念しましたが、それにしても、またしても忘れ物ですよ。。

山に登っても、旅行に行っても、どこかで必ずなにか忘れて来る。若い頃から決して治ることのない私のアホ間抜けぶりに、もうイヤダ、こんな奴とは金輪際付き合いたくない、もう一人の別人の私自身が盛んに今もまだ悪態ついてます。



最後にもうひとつ、ジェッティに戻るバスの中で、陽気なバスガイドさんが、ツアー客のいろんな言語で歌を歌い始めたまでは良かったのですが、突然、私たちニホンジングループに対して、今度はこっちが日本語の歌を歌ってくれとリクエスト。

案の定、他のみんながダンマリを決め込む中で、ニホンジングループの最前列に座っていた私に、前に出て歌えと言う。え、えーっ?歌を歌えだと?なんてこったと一瞬思ったが、このガイドさん、大のニッポン贔屓らしく、ガイドの中でさんざん日本のことを誉めそやしてくれた(※)ので、そのことのお礼も込めて、んじゃ、ショウーガネーナと判断したわけですよ。

(※)例えば、プーケットやクラビを走る車はほとんとが日本車だ。なぜなら、日本車は壊れないし、もし壊れても部品はみんなタイで造ってるからすぐ直る。それに引き換え韓国車は良く壊れる上に修理部品が届かない。こんな車は誰も買わない。韓国車は要らない。日本はいいが韓国はダメなど、どうどうの韓国(車)批判。そうだそうだと喝采しながらも、えっ、今日のツアー客の中には韓国系はいないのだろうかと思いましたが、多分いなかったからのことなのでしょうね。

性懲りもなくおだてられ木に登らされて、下手くそな歌を歌う厚顔の私↓です。(同行のマレー語クラスメートのOさんが撮ってくれたビデオからキャプチャーしました。)

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何を歌うか一瞬考えて、最近私の日本語授業で生徒たちに教えたことのある「上を向いて歩こう」だったら、歌詞も簡単だからいいかもと歌い始めてみましたが、なにせ、シラフでしかもこんなインターナショナルな人たちの前で歌うなど、完全な想定外。なので、あんな簡単な歌詞でさえ途中忘れてしまって出てこない。いやいや、思わぬところで大恥をかいてしまいました。



ふーっ、いろいろありましたけど、3日目のクラビツアーはこれで終了です。今日は陽の高いうちに船に戻らないといけません。なぜなら、今夜は最後のガラディナーパーティがあるのです。

ジェッティでテンダーボートに乗り、リブラに戻りました。

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今朝の上陸時はスピードボートだったのですが、帰りは普通の遅い小型船。なので、思ったとおりジェッティから遠いリブラまで1時間以上もかかってしまいました。それに、船内はエアコンの効きが悪くて熱いし、今回クルーズのなかで唯一快適ではない部分でした。

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リブラに再度乗船し、みな着替えて(ドレスコードはスマートカジュアルです。)から、先ずはディナーパーティの前のカクテルパーティ会場のスターダストホールに集合です。

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スターダストホールではフリーのカクテルなどをいただきながら、ミュージックショーやマジックショーを楽しんだ後、軽妙な司会者に乗せられて↓こんなビンゴゲームに参加してみました。

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30リンギも出して↑こんなカードを貰ったまではいいのですが、ん?なんか変。カードが全然違う。これってどうやるの?我々グループの誰もこのビンゴの遊び方を知りません。

そうこうするうちゲームが始まりどんどん数が読み上げられるのですが、果たして一体どうなればビンゴなのか。。結局私たちグループの誰も縦も横も揃わなかったのでなにも貰えなかった(どこかのだれかはビンゴがそろって何百リンギかのクレジットを貰ったようです。)のですが、後で調べてみると、これはUKビンゴ。私たちの良く知るアメリカ式ビンゴとはまったく異なります。

まず、各ライン(横)にはそれぞれ5種のナンバーが記されています。要するにこのラインがいくつ揃うかなのだそうです。1行が揃えば「ライン」、2行で「ラインズ」、3行全部揃ったら「ハウス」と呼称してビンゴとなるのだそうです。

そんな、UKビンゴの遊び方も知らない我々ニッポンジンご一行様、結局30リンギずつ気前良く寄付したようなものでした。

そして7時半、クルーズ最後の夜のディナーパーティの始まりです。

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このディナーパーティはドレスコードがスマートカジュアルと定められてはいるものの、周囲を見渡すと中にはラフでカジュアルな方たちもいたりして、なるほどこの辺りに、欧米人にやっぱりマナーのできてないアジア人専用のクルーズなのだなどと酷評されている原因があるのかも知れませんね。

でも、このディナーパーティ、総じてGOODでした。料理はとても美味しかったし、雰囲気も良かったですしね。なかでも隣のテーブルに居合わせたこのおじいちゃん、実は今朝の朝食の時にも偶然に隣り合わせになったのですが、この方も大の二ホンびいきで、私たちがニホンジンと分かると、側にきていろいろ話し始めて止まらないのです。

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ペナンに住む台湾系のご夫妻なのだそうですが、特におじいちゃんの方が陽気で楽しい方。ダンスも積極的に若い女性と踊りまくるしで、まったくもっておみそれしやした。(笑)

この後、結構着飾った我々ニッポンジンご一行様は、カジノに行ったり、ディスコを貸しきって踊り狂ったり(いや、たまたま他には誰もいなかっただけですが)、最後にはプールサイドでのフェアウェル(ダンス)パーティにも参加したりで、遅くまで実に充実した楽しい一夜を過ごしました。

さてクルーズ最終日の4日目です。今日は下船地のペナンに到着する前までに、乗客はみな下船手続き、特に船内での費用清算を済ませなければいけないのですが、このため、レセプションデスク前には朝早くから長蛇の列です。

ところが、その1でも書きましたように、我々ニッポンジンご一行様はここでもなぜか特別待遇なのです。お世話係りの女性がついてくれ、特設カウンターにて待ち時間ゼロで、手続きや費用清算ができたのです。同じフロアのレセプションカウンターに長蛇の列を作って長い時間待たされているローカルの方たちを横目にしながらですから、これは大変有難かったですね。

そして、最後の最後に今度は嬉しいハプニングです。

費用清算カウンターで費用清算しようとしたところ、突然、私たちのグループには1キャビンにつき390リンギのOBCRが付いているから使わないと損ですよって言われたんです。

え、OBCRってなに?

実はOBCRとはOn Board Creditの略で、船内で使えるキャッシュバウチャーのようなものだとの説明を受けました。でも、これってなぜ?

これは後でマレーシアンハーモニーと言う旅行会社に確認して分かったことなのですが、オンボードクレジットは通常、バルコニー付きのキャビンに宿泊するお客様のみに与えられるバウチャーなのだと言う。しかし今回は船会社(スタークルーズ)の都合により、アクエリアス(リブラよりもワンランク上?)からリブラに変更になったため、そのinconvenience(迷惑)料として、特別に該当のお客様に対して船会社がプレゼントしたものだとのことです。

そんなことはなにも聞かされてなかった我々としては、慌ててタダの土産物などの買い物をしてクレジットを使い切ったというわけなのですが、最初に言っといてくれればもっと効果的な使い方、例えばビールやワイン飲み放題のハチャメチャクルーズができて楽しかったのにと、文句のひとつも言いたかったのですが、ここは、ははぁ、そうでしたかと物分りの良い好々爺ぶりを発揮してしまいました。

さて、リブラはゆっくりとペナン港に近づいています。

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こうやって見るとペナンも結構な都会に見えますね。

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海は鏡のようで、マラッカ海峡の海っていつもこんなに静かなのでしょうか。そんな静かな海とペナン島をクルーズ最後の動画に撮ってみましたので是非ご覧下さい。



いかがでしたでしょうか、その1を書いてからちょっとエネルギーが切れてしまって、その2に進むのに時間がかかってしまいました。昨夜慌てて書き始めたところ、写真をアップしたところでまたもや無意識に公開保存してしまい、今朝そのことに気が付きました。

そんな半端な状態でご覧いただいた方もおられたでしょうが、大変申し訳ありませんでした。

以上で、タイランドのプーケットとクラビを巡る格安シップクルーズのドタバタ劇リポートを終わります。

ではまた。。





今日は、格安ながらもお得感一杯で、意外に満足させられたスタークルーズ(その1)をリポートします。

先ずこれ↓を見て下さい。ペナン島を夕方5時に出航して約2時間半、マラッカ海峡の北、アンダマン海に沈む夕陽です。

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この↑水平線の彼方には遥かなるインド洋が、そしてその南には1年前に行方不明となったMH370が沈んでいるとされる茫洋たる南インド洋が広がっているのだと思うと、何かしら感慨深いものがあります。

船はスーパースター・リブラ、約42,000トン、マレーシアのスタークルーズ社(ゲンティン香港傘下)が運航している中型のクルーズ客船です。穏やかで波静かな海原をほとんど揺れもせず最初の寄港地(※正確には寄港地ではありません。プーケットタウンの沖合い停泊地です)に向け進んで行きます。

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実は今回(3/8~3/11)、私のマレー語のクラスメートを主軸に、計10名の参加者を募りタイのプーケットとクラビを巡る3泊4日の船の旅と小洒落てみたのです。もちろん、参加メンバーの貧富の差(私が最貧なのですが)を考慮して飛び切り格安のクルーズを狙ってみました。

昨年9月頃から眼を皿のようにして探しまくり、11月の始めにようやく見つけました。マレーシアンハーモニー社と言うKLの旅行会社が企画する格安のクルーズ旅行商品です。

ネット上のチラシによると、KLから出航地のペナン往復のバス代、プーケットとクラビでのショア・エクスカーション(オプショナルツアー)に、もちろんクルーズ間の全食事も全部込みでなんと驚きの50%オフです。

ところがチラシを良く読むと、この旅行を申込みできるのはマレーシア人または永住権保持者のみとなっています。おいおい、これもあれか?ブミプトラの関連か?まったくなんてことだ、、うーん、これは困った、、、だが、まてよ、MM2Hビザだって準永住ビザみたいなものだろう。よし、これはなんとかネゴってみようと、みんなで当の旅行社に押しかけました。

そして旅行社の担当者をみんなでしつこく口説きまくり、最終的には上司の方の大岡裁きによって、私たちの期待どおり、まぁいいでしょう、ということになったのです。

かくして、私たちの格安クルーズ旅行がスタートすることになるのですが、正直言って、この格安クルーズのこと、あまり期待はしていませんでした。たまたま今回参加メンバーの中には豪華な地中海クルーズなど経験豊かな方もいて、いろいろなお話も伺ったのですが、この格安クルーズは、主にリッチな欧米人を対象とするそんな豪華クルーズとは異なり、まったくのアジア人、マレーシア人向けのリーズナブルクルーズです。

日本人コミュニティで、過去に似たようなクルーズに参加したことがあると言う人のお話も事前にいろいろ聞きましたが、皆異口同音に散々なこき下ろしでした。

曰く、食事がほとんどローカル料理ばかりで不味かっただとか、大勢の子供が走り回ったりして騒いでうるさかっただとか、中華系・マレー系の客がほとんどでマナーが悪くてダメだったとか、特にスーパースター・リブラは良くないぞ、などと聞かされ、こりゃダメだ、やっぱり安かろう悪かろうでは期待できないなと諦めてました。

リブラはあんまり良くないと言うので、当初、そのワンランク上(と思われる)のアクエリアス(スーパースター・アクエリアス)を予約したのですが、これが直前になって、船会社の都合でリブラに変更になるという運の悪さ。。

いや、これじゃやっぱりダメだなと内心思ってました。

ところがところがですよ、乗船のチェックイン時、カウンターで日本語を話すお嬢さんから、嬉しいことにこんなセリフを聞いたのですよ。

「ニッポンの大切なお客様ですから、みなさまの乗船間、ワタシが特別にお世話させていただきます。」だとさ。。

我々一行、その時はその意味をあまり理解せずに乗船したのですが、実は我々ニッポン人グループはこの後いろいろな優先的取扱いを受けることとなり、正直言って、なんで?と不思議に思いつつもとてもいい気分なのでした。

えっ?日本人はみな英語ができないと思われているから、日本語を話す社員を通訳につけただけだろうって?いや、確かにそれもあると思うのですが、そればかりではないとも思うのですよ。

例えば、私たちニッポン人グループのキャビンには特別に日本茶が準備されていたり、浴衣のような室内着が特別に用意されていたり(他の同一グレードの部屋には、こんな特別サービスはなにもありませんでした)、なによりも下船時の費用清算や下船手続きなどがスィートルームなどのハイグレードのお客様と同じ特別待遇なのには少々戸惑いつつも、いやこれは有難いと思いましたね。

だって、その他一般のマレーシアの方たちの長蛇の列を横目にしながら、私たち日本人グループだけが待ち時間ゼロの専用カウンターですからね、いや、これは本当にありがたかったですよ。

そして、キャビンにしても、食事の内容にしても、船のいろんな施設にしても、噂で聞いたほど悪くない。っていうか、最近リノベーションしたのかどうかは知らないが、意外に新しくて綺麗、私だけかも知れませんがそう感じました。

さらに、今回は最後の最後に、結果としては嬉しい(?)サプライズがあったのですが、この件はその2でリポートすることにします。

これ↓は、クルーズ2日目の朝、東の方向、船の右舷から見る朝日です。

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↓リブラの朝のプールデッキです。

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↓船はまもなくプーケット沖到着のようです。みなさん上陸準備のためか、サンデッキにも誰もいません。

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↓3月9日(月)、クルーズ2日目12時30分、船はプ゜ーケット沖に到着し碇を下ろした模様です。。

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↓正面に見えるのがプーケットの町でしょうか。。

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↓スーパースター・リブラから見るプーケット島とリブラのサンデッキ、動画に撮ってみましたので是非ご覧下さい。



動画の最後のアナウンスにもありましたが、12時45分、ショア・エクスカーションのためのプーケット島上陸です。上陸は、各グループごとに下に見えてるようなテンダーボート(Tender Boat=上陸用連絡船)でジェッティ(船着場)に向かいます。

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さぁ、テンダーボートに乗り換えていよいよプーケット島に上陸です。

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大きなリブラもここまで離れると小さく見えますね。

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↓プーケットのジェッティ(船着場)に着きました。はるか彼方の水平線上にリブラが浮かんでいるのが見えています。

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↓これが噂のパトンビーチ(Patong Beach)ですか、おお、流石に砂浜も水も綺麗ですなぁ。。

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↓揺れるテンダーボート内から動画を撮って見ました。是非見て下さい。



しかし、プーケットの陽射しも強いです、日向にいるとじりじりと肌を焼かれる感じですが、木陰は意外に涼しく気持ちいい。さぁ、大型バスに乗り込んでツアー出発です。

ツアーは、格安旅行のためか、ショッピング立ち寄りが主。でもしょうがないです。なんせ旅行の値段が値段ですから。そんなショッピング立ち寄りのリポートは全部パスして、、これ↓は、プーケット上陸ツアーの最後の訪問先、プーケット島の最南端に位置するプロムティップ岬です。なぜかカップルや若い人たちで混み合ってました。そんな中、人混みを避けて日陰で寝そべる優しい眼をしたワンコが気になりました。

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夕陽がプロムティップ岬の丘を赤く染め初めています。その向こうには穏やかな入り江にたくさんの白いヨットが浮かんでいるのが見えます。なかなかロマンチックな場所とお見受けしました。なるほど若い人たちに人気があるのも頷けます。

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まもなく陽が水平線に沈もうとしています。沈む太陽に焦点を合わせると若い人たちのシルエットがロマンチックに浮かび上がります。

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夕陽を背にした大勢のシルエットが見事にきれいな絵になっています。

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陽も完全に沈みました。今日のツアーはこれで終了です。さあ、私たちもスーパースター・リブラに帰りましょう。

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テンダーボートから見上げるスーパースター・リブラです。こうやって見上げると流石にでかい船体ですね。

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そして遅い食事の後、私はまたしても誰もいない真夜中のサンデッキにやってきました。でもプールデッキではまだ生バンド演奏が続いています。

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おぉ、↓これはなんとも素敵な朧(おぼろ)月夜ではありませんか。早速三脚を固定して夜景の撮影に取り掛かりましたが、やはり船の振動と揺れのためかどうしても画像がブレてしまいます。

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↓これは、昨日からトップ画像に据えている写真です。月は満月ではないけれど、なんとも絵になる写真ではなかろうかと素人流に思っています。

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リブラのサンデッキをぐるりと一周してみました。

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時計を見るともうまもなく夜中の1時になります。だれもいない筈です。

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そんな夜のリブラとプーケットの海を動画に撮ってみました。



以上、今日は格安スタークルーズのその1をリポートしてみました。その2では3日目のクラビ上陸のこと、特にツアーで訪れたジャングルで出会った野性の少女たちのこと、食事やエンターテインメイントのこと、ディナーパーティのこと、そして最後のサプライズのことなどを綴ってみたいと思います。

ではまた。。



今日は2014年の大晦日、さて、去年の今頃は何をしていたのだろうとブログを振り返ってみると、2013年12月30日にはKL屋台街のバーチャルツアー記事を書いていました。

それで思い出しましたが、去年の今頃はほとんど雨が降らず連日熱い日が続いていて、確か屋台街にカメラ持参で出かけた日も汗が噴出すような熱さでした。

ところが今年は、このところなぜか毎日雨で、とても涼しい日が続いています。しかも、雨季でも1日中雨が降り続くことなどめったにないこの国のはずなのに朝から晩までずっと雨、そして夕方からは決まって激しい土砂降りです。

このことはここKLだけでなくマレーシア全土、いやマレー半島全域に及んでいる模様で、テレビや新聞では各地の洪水被害状況が連日大きく報道されています。特に半島東海岸地域では深刻な被害が出ていて、政府・軍による大規模な災害救助活動が行われている様子です。

自然災害がほとんどない国と言うイメージのマレーシアだったのに、やはり地球規模の気候変動の影響なのか少しずつ自然環境も変化してきているのかも知れませんね。



・・と、ここまで書いてふと窓の外に目を遣ると、なんと驚き、今日は青空、ホントにこんな青空久しぶりと思うほどのいい天気です。そして、外の空気のなんとクールで爽やかなこと。まるで日本の秋のようだと思ってしまいました。これって自然のいたずらなのか、はたまた強烈な皮肉なのか。。

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↑私の部屋の窓から見る今現在の景色です。コンドミニアムの裏山の濃い緑が眼に優しくていい感じです。(12/31 09:20)



そんな中、しばらく前に購入しておいた格安のグルーポンバウチャーを使用して、シンガポールへ弾丸バスツアーに行ってきました。

バウチャーの有効期限(12月31日)が切れる前に使用しないと損をしてしまう、と言う生来の貧乏人根性が前面に出て、最近とみに立て込んできた日本語講師のアルバイトスケジュールなどを無理やり調整してもらって、半ば強引に行って来ました。

次のブログはこの弾丸ツアーのことを書こうかと思いながら帰ってきたわけですが、その翌朝とんでもないニュースに驚かされました。そうです、あのエアアジア機が不明と言うのです。

驚きました。格安航空ながら創業以来の無事故(死亡事故)をキープしてきたエアアジアなのに、マレーシア航空の2件の航空事件事故に続き、マレーシアでは本年3度目の航空大事故です。

これは大変、私のあらゆる触覚を最大限に動作させて、すぐさま緊急ウォッチ態勢に入りました。(・・・なんて、大袈裟に書きましたが要するにテレビや新聞やネットに張り付いた、と言うことです)

こりゃ、弾丸ツアーのブログどころじゃないなと始めは思っていましたが、良く考えて見れば、状況はMH370とはまったく異なるようです。いつまでも不明ならMH370と同じミステリーですが、遭難(墜落)地点が特定できれば、そしてそれが浅いジャワ海なら遺体や機体の回収は容易だろうし、特にブラックボックスの回収だって困難ではないでしょう。

また飛行中、悪天回避のための高度変更許可を管制に求めてきたことからも事故の要因の一つは悪天であろうことが推定でき、ブラックボックスの回収さえ進めば意外に早く事故原因が解明されるのかも知れません。

などと思考を巡らしながらウォッチしていたら、昨日朝、残骸の一部と遺体が回収され始めたというニュースです。やっぱりこの事故はミステリアスなMH370とはまったく異なりますね。しかしそうは言っても、エアアジアは、創業以来始めて162名もの犠牲者を出す大事故を起こしたわけですから、満身創痍のマレーシア航空を横目にしながら我が世の春を謳歌していたかのトニー・フェルナンデス氏もこれに懲りて、安全・安心の上の格安を追求して欲しいと切に願っています。

さてエアアジア機の事故の件については、事故原因の解明を待ってまたいつか書いてみたいとは思いますが、とりあえずは緊急ウォッチ態勢を解き、ノーマルちゃらんぽらん態勢に戻ります。

と言うことで、ここからは、今日の本題のシンガポール弾丸バスツアーです。

タイトルを「弾丸バスツアーの愚行」としたのは、このツアーが私にとって近年稀に見る最悪ツアーだったからです。

以下に恥を忍んでその経緯と顛末を書き綴りますのでご笑読あれ。




先ずはグルーポンバウチャーですが、グルーポンってご存知ですよね。確かアメリカに本社と言うか元締め会社があるディスカウントチケットのオンライン販売を行う会社です。もちろん日本にもあるのですが、今ではマレーシアにもあります。グルーポンドットマイ(groupon.my)と言います。私は最近このグルーポンバウチャーに嵌ってしまい、いろいろなバウチャーを買っては試しているのです。

結果、当たり外れがあります。いいものはいい、ダメなものはどうしようもなくダメです。所詮、グルーポンに出すってことは、売れない・客が寄り付かない、からだろうし、少々安くても元々売れない・客がつかないものは結局ダメ、と仰る人も大勢いるようです。

余談ですが、KLパビリオン前のスターヒル・ギャラリーにある日本食レストランの海宝丸、最近グルーポンバウチャー出しているんですね。この前、ランチセットのバウチャー買って行ってみたところ、なんかあんまり良くないって言うか、あれ?これバウチャー専用ランチじゃないの?って言うぐらいにショボイものでした。ご一緒したF氏ご夫妻には言いませんでしたが、あんなんではダメです。で、お昼時間でもほとんど客がいない、あぁ、このままだと海宝丸も危ないな、なんて思いながら帰ってきました。

で、話しを元に戻しますと、ネットでグルーポンバウチャーの一覧を見ていたら、"シンガポールデイツアー驚きの85%引き"なんてのが目に留まりました。読んでみると、KLからシンガポールのセントーサ島往復バス代(入島料込み)、バス出発地点の1日駐車場代、ドリンキングウォーターボトル1本、ライトブレックファストがついて、N・P(ノーマルプライス)が2名で360リンギのところ、85%ディスカウントで55リンギというものです。

二人で55リンギということは、一人22.5リンギ、片道なんと11リンギでシンガポールに行ける?しかも、バスはVIPデラックスコーチときた。こりゃ何がなんでも買わないと損、と判断し、即買いしました。

聞くところによると、KLからシンガポールまで約400km、高速道路で4~5時間もかかり、それはそれは疲れるんだそうです。しかし私はいつも困難に立ち向かうチャレンジャーです。こんなことは朝飯前です。

今度シンガポールにバスで日帰りツアーしてくるよって言うと、みな一様に、ええーっ?バスで日帰りーっ?大変だぞーって、言ってくれます。でも、私は決してめげません。何言ってんだよ、VIPデラックスコーチだよ、しかも朝食もついてるんだぜ、って吹聴しては一笑に付していました。

そして、12月27日の出発当日です。早朝4時半集合と言うので、前夜の宴会も早々に切り上げ、予定どおりにワンウタマショッピングセンターの旅行会社近くの集合地点に行きました。でも、実を言うとこの集合地点の案内も、駐車場の案内も、旅行会社からは、予告に反して事前になんの説明もなかったので、少々不安な気持ちはありました。

若干早く(30分前)集合した時には、まだ誰もそれらしき人が集まってるでもなく、バスも見えず、もちろん案内係りの姿も見えず、しかも当の旅行会社は閉まってるので果たしてここで良かったのかと不安でした。

しかし、4時半少し前になるとどこに隠れていたのやら、あっと言う間に全員集合、そしてバスも来てあっと言う間に全員乗車完了です。

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↑これがバスです。VIPデラックスコーチだそうです。座席は3列ではなくやっぱり4列シートでしたが、普通の観光バスよりも足元がゆったりしていて、なにより新しくて綺麗です。ここまでは十分及第点です。

まもなく中年の男性ガイド(ガイドではないのでしょうがバス会社のスタッフさんです)さん、無言でなにか配り始めました。私たちも、それぞれウォータボトル1本、クッキー1個、なにかの紙2枚(セントーサ島ミールバウチャー引換券とシンガポール出入国カード)をもらいました。

配り終えると、なんの説明も案内もなし、全員無言のままにバス発車です。

私は、膝の上のクッキー1個を見ながら、まさかこれが朝食ではあるまい、と思ってましたが、これ以外何も配る気配はないし、ようやくこれがライトブレックファストなんだと悟りました。

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↑これ、ライトブレックファストだそうです。薄くて小さなクッキーが3枚入ってました。これじゃぁ、ライトならぬウルトラライトのブレックファストですよね。(笑)

でも二人でたったの55リンギだよ、贅沢は言えないよ、これで十分十分、と自分に言い聞かせていました。

さて、そうこうしているうちにバスはNorth-South Express Wayを南下し一路シンガポールへと向かいます。

途中から明るくなると、今まで静かだった車内が急にざわめかしくなりました。聞こえてくるのは中国語オンリーです。それにしても、中国語ってどうしてこんなにも喧しいのでしょうか、お願いだからもっと静かに話してよって言いたくもなりますよね。

中年ガイドのおじさん、いやガイドではないです、案内もなんにもしないのですからね。しばらくしてそのおじさんが私の席にやって来て、英語でこう言いました。

おじさん:Are you follow me today?
私:Sorry? (あんた、今日、オレについてくるか、だと?????)
おじさん:Are・・you・・ follow me・・ today?
私:・・・・????? E, Excuse me? (わっかんねぇよ)
おじさん:If you wana follow me, six thirty, ok? (もし、あんた、おれについて来たかったら、6時半だよ、okか)

ここで私も気付きました。そうだ、マングリッシュのfollowは追いかけるとかついて行くではなくて、乗せて貰うとか乗って行くってことなんだ。

と言うことは、今日は帰りも乗るのかってことを聞いてるんだ、んなこと聞くなよ、当たりメーじゃないか。で、咄嗟に、Yes, Six Thirty(6:30), Ok と返事し会話を終えました。

えっ、でもなんで6:30なんだ。バウチャーの説明書きには夜8時出発って書いてあったのに・・・・、でも我慢我慢、二人で55リンギの格安ツアーだし・・・

でもね、ホント中華系の方の英語って難解ですよ。上のおじさんのようにDo you follow・・・ではなく平気でAre you follow・・・なんて文法無視するし、follow meのようにマングリッシュ特製の語彙も入るし、いやいや、私はまだまだ修行が足りませんな。

途中一度サービスエリアでトイレ休憩した後、8時30分にマレーシア側のイミグレーション通過、そして9時、出発からちょうど4時間でマレーシア・シンガポールセカンドリンクに架かる橋を渡り、シンガポールのイミグレーションとカスタムに到着しました。

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↑ブリッジを渡り終えたところです。向こう側がマレーシア、こちらがシンガポールです。

ところが、ここまで4時間か、なかなか順調じゃないか、と考えたのが実は大きな間違いでした。

ここからバスを降りてシンガポールのイミグレーションとカスタムを通過するのになんと、2時間もかかったのです。

ARRIVAL HALLと書かれた看板の先には、なんと人人人の波、向こうが見えないほどの人で埋まっていました。

いくつもあるイミグレーションのレーンはある程度幅のあるレーンなのですが、どのレーンも人でぎっしりです。さてどのレーンが一番早いかと思案していたところ、入り口に立っていた怒った顔のおばさんが、変な抑揚の日本語で「おい、こっち、こっち、こっち並べ」と言うのです。

この時はまだその先のことが読めずにいたので、怒った顔の言うとおりにそのレーンの最後尾に付きました。でも4列か5列ぐらいの幅のレーンに人がぎっしり詰まっていて、しばらく経っても一向に前に進みません。そのうちどんどんと後続の人波も増えてきていやぁ参ったなぁ、これじゃ1時間も並ばなきゃいけないぞと覚悟したのですが、実はそれでも大甘だったのです。

ちょ、ちょっと待ってよ、このレーンの先頭って、1列じゃないのか、イミグレのカウンターって一人ずつだろう、なんて思っていたら、さっきの怒った顔のおばさんがやってきて、なんと幅広の人波を怒った顔で狭めようとするのです。

みな渋々と怒った顔の言うとおりに徐々に幅を狭めて行くと、その反作用でだんだんと列が伸びていって、なんと私たちは数あるレーンの中で一番長い列の最後尾から僅かのところに立っていました。もう既に並び始めて30分ぐらい経過したと言うのに、まだほとんど最後尾、しかも動かない。

人混みで先が見えず、あとどのぐらいかかるかなんて全く読めないままにじっと並んでました。

1時間が経過、ようやく半分ぐらいのところまで進みました。そしてまだまだ後続がやってきます。後を振り返ると既に後ろも長い列です。

あの怒った顔のおばさん、何度も私の前を横切って、レーンを横切りながら何事か怒鳴っているのですが、中国語なので何言ってるのかさっぱり分かりません。でも、何度も横切るので顔を覚えてしまいました。よく見るとなんとふてぶてしい顔です。女ヤクザ出身なのかも知れません。睨みつけられたら震えてしまうかも知れません。・・・・なんてくだらないことを考えていて、ふと気が付いたら、後に並んでいた筈の長い列がいつのまにかどこかに消えてる???

あれ、どうしたのかな?と、思ったら、なんと新たなレーンがオープンしていてそっちに移動して行ったようなんです。な、な、何なんだよぉ。。。良く良く見てみると、私たちはこんなに必死にいっぱい並んだのに、いくつもあるレーンのまだ最後尾近くにたってます。

それに、なんと言うことでしょう。こんな時って、隣のレーンの進みの早いこと、こっちはいつまで経ってもカメのノロさなのに、こっちの隣もあっちの隣もウサギさんぐらいの速さです。どんどん抜かれて行きます。

いやはやいやはや、、、、でも、こんなこといつまでも書いていてもしょうがないので、先に進みますが、結局ここでは2時間も並ばされてしまいました。

イミグレ通過するのに2時間だなんて、こんなこと初めてです。まったく予想だにしていませんでした。

そしてそれから30分後の11時40分、ようやく目的地のセントーサ島に到着しました。早朝5時にKLを出発してから既に6時間半以上が経過しています。

バスが地下駐車場らしいところに停車すると、みな一斉に立ち上がりぞろぞろと降り始めました。でも例の中年ガイド氏、何も言いません、無言です。なんだよ、帰りの集合場所とか時間とかなんか説明しないのかよって思っていたら、降り際に中年ガイドし、Six, Six, OK?と私に向かって言うのです。えっ、6、6時かい、6時半じゃなかったのかいと私が言うと、ガイド氏、いや6時だよって。。

なんといい加減、グルーポンのバウチャーには8時、バス内では6時半、そして最後には6時集合だって。。ガイド氏曰く、6時にKLに向け出発するから間違えないようにだと。。分かったけど、ここでいいんだな、6時にここに戻ってくれば良いんだねと念押しして、ようやくフリーの行動開始です。

しかしなんですね、10時に到着して夜8時まで10時間の自由行動の筈が最終的には6時間に減らされてしまってる、これが格安弾丸ツアーの正体てすよ、でもこれじゃあ、ゆっくりしていられない。




急ぎその場でタクシーをつかまえ、予ねて予定したとおりマリーナベイサンズに直行です。

実は、シンガポール訪問はこれが2度目です。1度目は約10年前、でもその時はマリーナベイサンズはまだ建ってなかったから、今回はそのマリーナベイサンズの屋上に上がり、そこからこの10年間に益々発展したであろうシンガポールの街を眺めようかと思ったのです。

マリーナベイサンズってセントーサから近いんですね。タクシーでほんの15分ほどでタワー1のエントランスに到着です。タクシーでの道すがら思ったのですが、ここは埋立地なんですね。雰囲気がお台場と良く似ています。

↓そのマリーナベイサンズを下から見上げたところです。これはタワー3の真下から見上げています。

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↓タワー3とタワー2の間のほぼ真下から見上げています。

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↓タワー1脇の道路上からタワー2とタワー3を見上げています。

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↓道路を挟んだ側から2と3を見上げています。

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↓もう少し離れた位置から、タワー1、2、3を見上げています。

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しかし、このマリーナベイ・サンズ、奇抜なと言うか斬新なデザインですよね。3つの高層ビルを土台にしてその屋上に巨大な舟を乗っけているような形で、これは目立ちますね。このビルを上空から眺めると↓こうです。

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(ネット上からお借りした写真です)

そして、このマリーナベイサンズの売りは↓この屋上プールなのだそうです。

マリーナベイサンズ02
(ネット上からお借りした写真です)

では、これからこの屋上に上がってみたいと思いますが、プールエリアはホテルの宿泊客でないと入れません。宿泊客以外の人はタワー3の上のスカイパークと言う屋上の展望デッキのみ。それだけでも入場料は大人23S$(約2200円)もします。ちょっとでもケチりたい私としては、オンラインでもシニア割引を受けられることを知り、S$20(約1900円)で購入しましたけどね。。

スカイパーク専用エントランスをとおり、エレベータで56Fへ。あっと言う間に着きました。ここが地上高200mのスカイパークの展望デッキです。ここは巨大な舟の船首(先頭部分)にあたるところです。

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↓後を振り返ったところです。

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↓舟のデッキから2階部分を見ています。

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↓眼を斜め右に転じたところです。

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天気は余り良くありません。でも時々太陽が雲の間から顔を出します。

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↓舟の左舷2階のデッキから左前を見ています。

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↓左舷2階デッキから下に降りる階段途中で撮影したものです。

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↓これは舟の左舷後方部分を撮影したものです。プールエリアが見えていますが、通路のドアに遮られて向こう側には立ち入りできません。(宿泊者以外は立ち入り禁止です)

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↓左舷デッキから正面を撮影したものです。海面に浮かぶ大きな"50"の数字は、2015年に大々的に祝賀される予定のシンガポール建国(独立)50周年を表しています。(シンガポールがマレーシアから独立したのは1965年です)

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↓小さくマーライオンが見えています。

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↓これは舟の右舷から海方向を撮影したものです。海上に浮かぶ船の多さに注目です。

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以上、スカイパーク@マリーナベイサンズでした。



さて次は地上に下りてきて、マリーナベイサンズの前の道路の向こう側にあるショッピングモール「ザ・ショップス」を覗いてみました。

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↓このモールもマレーシアにも多い吹き抜けスタイルですが、ここにはなんと小舟を浮かべる水路がありました。

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↓外にでてみると、目の前にはラッフルズ・プレイスの高層ビル群です。

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そして↓これはエスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ方向です。

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↓カメラをズームインしてみると観光名所のマーライオンがきれいに見えました。

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さてと、時計をチェックするとすでに午後1時半です。少々お腹も空いてきたのですが、ゆっくりもしてられません。ここからセントーサまでは地下鉄とモノレールで帰る計画にしてましたので、そそくさとMRTのベイフロント駅に向かいました。

↓MRTベイフロント駅のプラットホームです。

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↓これはチャイナタウン駅で乗り換えた地下鉄の車内ですが、静かで綺麗。なんか東京の地下鉄よりも綺麗と感じた訳は、中吊り広告などがなにもないことでした。

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↓終着駅のハーバルフロント駅の改札出口です。やはりどうしてもKLの駅の改札口と比較してしまいますが、こちらの方が断然スマートできれいです。こちらは日本と似てますね。

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↓これはセントーサへ渡るモノレールです。KLモノレールと同じく2両編成の可愛いモノレールです。

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さて、またセントーサに戻ってきました。現在時刻2時15分です。と言うことは、帰りの集合時刻まで残り3時間45分。。

これってなんかのテレビ番組を思い出しました。時間に追われてとても楽しめたものじゃないですね、これじゃ。

しかし、実はこのデイツアーのバウチャーを購入する前に考えたのですが、せっかく行くのだから本当はいろいろ見て廻りたい。でも弾丸ツアーだから時間に余裕がない。地理不案内のところうろうろしても時間の無駄。なのでポイントを絞ろう。そう2箇所だけ。一箇所はマリーナベイサンズ、そしてもう一箇所は、ユニバーサルスタジオがいい。

と言うのは、バスの発着地点はユニバーサルスタジオの直ぐ近くの地下駐車場。最初にマリーナベイサンズに行って戻ってくれば、残りの時間はゆっくりユニバーサルスタジオで遊べる。そうだそれがい、実に良い考えだ、と独りで悦に入ってました。

で、入場チケット(ワンデーパス)は、この時期のプロモーション価格でも大人S$71(約6800円)と決して安くない。あちこち探し回ってシニアディスカウントを発見、早速オンライン購入、一人S$46(約4400円)、二人併せて92シングドル(約8800円)、しかもこのチケットはクリスマススペシャルセットミールがフリーでついてると言う。へへん、どんなもんだい、世の中賢く生きなきゃ損だよな、なんて我ながらしてやったりとほくそ笑んでいたのです。と言うことで、今日の弾丸バスツアー、私の中では正直言ってここユニバーサルスタジオが本命なんです。

いい年をしてこんな遊園地が好きだなんて、と思われるかも知れませんが、そうです、何を隠そう実はローラーコースターなどの、くるくる回転したりひっくり返ったりする乗り物が昔から大好きなんです。(今日はMyBetterHalfが一緒なので流石にそれは無理でしょうけど)

でもちょっと天気が心配ですね。なんか、雨がぱらぱら降ってるし。

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いや、それにしても凄い人です。これじゃ、東京ディスニーランドやディズニーシーとちっとも変わらん、いやこっちの方が混んでるぞ。(今日は土曜日、そして年末、スクールホリデー、いろいろな悪条件が重なったのかも知れませんね)

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人ごみの中を歩いて行く途中、↓こんなパレードにも出会いました。

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でも、なんだか空模様が怪しい。時計をチェックすると既に3時近く、お腹もペコペコなので例の無料のセットミールを食べようと、指定のレストランをうろうろ探しているうちにどんどん時間がなくなっていきます。

でようやく探し当てた指定のピザハウスの中に入ったらここも凄い人混み。ミールを注文するのも行列、受け取るのも行列、テーブルが空くのを待つのも行列、何をするにも行列、行列でいや今日は行列するためのツアーかよ、なんて思ってしまいました。

そして、それでもなんとかお腹を満たし外に出ました。えっ?クリスマススペシャルセットミールはどうだったかって?すみません。語りたくありません。

この時、空がますます暗くなり、雨です。雨が降ってきました。最初はぱらぱら、そして、あっと言う間にバケツをひっくり返したような土砂降りになってしまいました。

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傘も持ち合わせていない私たちは瞬時にずぶ濡れ、なんと靴の中もびしょびしょ、パンツまでも濡れ濡れびっちょりになりながら、慌てて近くのアトラクションエントランスに逃げ込みました。

ここがそのエントランスですが、ここは屋根つきなので大丈夫。でも困った。このまま雨が止まないとどこも行けない、見れない、乗れないで大枚4000円のチケットを無駄にしてしまう。

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ええい仕方がない、このアトラクションに入ろう、そう考えたのですが、トランスフォーマーズ???これ一体なんのライドなのかさっぱり分からない。なんかガンダムみたいなロボットだけど、これってなんだろう、こんなのに乗るの???

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孫たちにでも聞けば直ぐ分かるのだろうけど、孫もいないし、周りに一杯いるチャイナの人たちには聞きたくないし・・・・

ええい、とにかく入ろう、バスの集合時間まではまだ2時間半もある。これに乗ってもまだ時間があるようなら、なにかもう一個ぐらい乗ってそれで我慢しよう。そのうち雨も止むだろうし・・・

そう決心して長い行列の最後尾についたのですが、それが実は恐怖の行列だったのです。

周りの群集ですが、みな考えることは同じようで、どんどん行列が長蛇の列になってしまいました。入り口ゲートから中を覗くと、中にはつづらおりの行列が果てしなく続いています。その先はどうなっているのか分からないけど、まぁ、なんとか少しずつ進むだろう、そう思ってました。

長蛇の列の最奥は、階段になっていてその先のドアから中に入っていくようです。きっと、あそこが乗り物のゲートだろうから、ざっと見積もっても40分ぐらいか・・・なんて考えてました。それにしても濡れたくつやパンツが気持ち悪い。こんな格好、誰からも見られたくないです。

↓この写真はネット上からお借りした(以下同じ)ものですが、空いてる時の写真です。実際は前後左右とも身動きできないほどの人混みでした。

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のろのろと歩む行列の中で、みな、立ちながら、歩きながらの飲み食いはもちろん、そのうち子供は泣き叫ぶは、じじばば(私たちじゃありません、チャイナのじじばばです)は座りこむし、挙句は行列を無理やり横切って割り込むじじばばもいたりしてあちこちで、言い争いまで始まる始末。

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どうしよう、でもあそこの階段の先まで我慢しよう、きっとあそこで行列終わりだから。。そう信じてました。

我慢して我慢して約1時間以上も並び、ようやく階段の先のドアから中に入ることができました。と、ところが、ところがですよ、その先にもいっぱい並んでる。そこで行列が終わりではなかったのです。

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いくつもいくつも↓こんな部屋があって、行列が無限に続いているのです。

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あといくつの部屋を通過しなくちゃいけないのか、どれぐらい時間がかかるのか、聞きたくても周りにスタッフはいません。(日本じゃこんなこと考えられないですよね)時計を見るとまもなく5時。焦ってきました。そのうちトイレにも行きたくなってきたし、さてどうすれば良いのか。。戻るか、と言っても前後左右は人人人。今来た道を戻ることもできなさそう。。。

そのうちだんだん時間がなくなってきて終に5時半、あと30分しかありません。2時間以上並んでもう限界、これ以上並んだら間に合わない。こんなことでバスに置いていかれたらそれこそ大変。

決断しました。しょうがない、諦めよう、外に出よう。でもどこから出るか?

と、その時、行列の先に見えました。緊急用の非常口です。あぁ良かったこれで間に合う。

そして、さらに数分後、ようやくたどり着いた非常口と書かれたドアの取っ手を持って見て愕然としました。

そうです、それは贋物の非常口だったのです。宇宙船のようなアトラクションのなかのフェイクのドアだったのです。

いや焦りました。みるとあちこちに非常口があります。一体どれが本物なのか。。

もう15分前です。このドアが本物でありますよう、祈る気持ちでドアノブを回したところ、大当たり~。。。

何度かドアを試してみてようやく本物に当たりました。本物と贋物の区別がつかないほど精巧に作ってあるのには感心したり頭にきたり。。。

でも、ホッとしました。その後、倉庫の中の楽屋裏のようなところを彷徨いながらもなんとか外に出てこれました。

まだ小雨のぱらつく中、大急ぎで集合場所に向かい、そして、ちょうど6時、良かった、間に合った。。。。で、でも、バスはどこ?ツアーの他の人たちはどこ?例の中年ガイドのおっさんはどこ?

誰も居ない。またまた焦りました。集合地点を間違えたのかと大汗かきながら、小走りに探し回りました。でもどこにも誰もいないし、バスも見当たらない。

なんと言うことだ、と途方にくれていたところ、6時半ちょっと前にオッサンが現れ、他のチャイナの人たちもぞろぞろと現れました。なっなんだよぉ、驚かさないでくれよぉ。頼むからさ。

おっさんに6時集合だっただろうって、問いただしたら、しれっとした顔で、ノー6時半だよ、なんてことヌカス。お、おい、それは違うだろう、確かに6時って言ったじゃないかと怒る私です。

でも、早く着いたならそれでいいじゃないか、なんてオッサンに返され、この私もしょげてしまいました。



いやいや、今日はなんと言う日なのでしょう。楽しみにしていたユニバーサルスタジオでは4000円ものワンデーパスを買っていながら、なーんにも見てない、乗ってない、ただ雨に濡れて、2時間も行列に並んだだけ、食事だって粗末なものだったし、こんなツアー、二度と来るかと悪態つきながらバスに乗り込みました。

この後も帰りのシンガポールのイミグレでまたも1時間ほど並ばされ、最後には、くそっもうシンガポールなんて絶対来てやるかと怒りながら家路につきましたとさ。



以上、長々と書いてしまいましたが、シンガポール弾丸バスツアーの愚行、往復バス乗車時間10時間、行列に並んだ時間約5時間超、何しに行ったんだかまったく訳の分からないツアーのリポートでした。最後までお読みいただき大変お疲れ様でした。なにかの参考にでもしていただければ報われます。

では、2015年は(も)、私にとっても皆さまにとっても良い年でありますように。。

さて今日は、インドネシア・バリ島小旅行の顛末その2を綴ります。

先ず、コーヒープランテーションで衝動買いしたバリ島の地酒、Arak BaliとBlem Baliですが、試飲した時の飲み口がとても良かったことと、250mlと200mlの小瓶の割には結構高かったこともあり、これは家に持って帰って大事に(笑)飲もうと思いました。

ところがよく考えてみると、液体なので、こんな小瓶でも国際線機内持込のバッグには入れられない。しょうがないですね。少々のバゲージフィーを払ってでも持ち帰ろうと、持参のPCで機内預け荷物(Checked Baggage)への変更手続き(※)を始めたのですが、最後のオンライン支払いがどうしてもできないのです。(※エアアジア機ならではのことです。)

と言うのは、オンライン支払い手続きにはバンクから送られてくるセキュリティナンバーをキーインしないといけないのですが、マレーシア国外の通話圏外にいるためSMSを受信することができない。Emailなど他の受け取り方法があるか、いくら調べても分からない。

以前、日本などのマレーシア国外にいる時の、CIMB(別にCIMBに限らないのですが)のオンラインバンキングはどうすれば良いかのブログを読んだことがあるのですが、内容はすっかり忘れてしまっています。

結局、当日、エアアジアのカウンターで倍額のバゲージフィーを支払って手続きしたのですが、この件(※)どなたかご存知の方がおられましたらぜひご教示いただきたいと思います。(※海外でオンラインバンキングのためのセキュリティコードまたはワンタイムパスワードを受け取る方法)

ところが、そんなことまでして後生大事に家に持ち帰ったバリ島の地酒ですが、帰ってからいろいろ調べていたら、なんとこんな記事を眼にしました。

オーストラリアニュースコム(Australia’s number one news site)の記事抜粋

A TINY amount could blind you. A decent amount could kill you. And it may be lurking in your drink without you even realising.A travel insurer has issued a warning to Australian tourists about the risk of being poisoned by locally made alcohol named Arak Bali .
わずかな量でも失明するかも知れない。もっと飲むと死ぬかも知れない。それはあなたの気付かないうちにあなたの飲み物に潜んでいる。(オーストラリアの)旅行保険会社はArak Baliというバリ産の地酒によって毒殺される危険性について、オーストラリア人観光客に警告を発した。
(以下略)
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要するに、Arakと言うバリ産の地酒のなかにはメタノール入りの危険酒が混じっている。今までそれを飲んで何十人もの観光客が死亡している。無色・無味・無臭のエタノールが混入された危険酒かどうか見分けることは大変難しい。特に瓶のラベルに製造所、製造年月、原材料名がなにも記載されていないもの、瓶のキャップが緩く、密封されていないもの、などは絶対に飲んではいけない、と言うものだ。

え?なんだって?危険酒だ?毒入りの地酒だって、まさか?

念のために、持ち帰った小瓶2本をチェックしたところ・・・・・・・な、なんと、まっまさにその通り。なんの表示も記されていない。しかも瓶の蓋が密封されてない・・・・・え、え、えーーーっ!!こ、これ毒入りの酒かよ。オー、ノォーー!!

オレってなんてバカなんだろう。こんなもの買ってきて、しかも、こんなものを持ち帰るためにいろいろ頭を悩ませたり、バゲージフィーを追加払いしたりして、あーぁ、またしても頭を抱えてしまう愚かで哀れな私でした。

でも、まだ名残惜しくて飾ってあるんです。今も目の前にあるんですけど、残念だけどそのうち捨てます。しかし、これを見るたびに悔しく、腹立たしい気持ち(これは自分自身に対してですけど)になります。



さて、バリ島2日目の最後はかの有名なケチャダンス(Kecak Dance)です。

ケチャダンスと言うのはバリ島で行われている伝統的な舞踊劇だそうですが、このことは、実は後で知りました。宿泊先のツアーデスクにお願いした「ツアー」は、私はすべてオールインワンの「ツアー」、つまりガイドの案内・説明つきのツアーと勘違いしていたのです。デスクの担当者に確認しなかった私も悪いのですが、そんなことをなにも説明してくれない担当者も担当者だと思いましたね。

この日の半日ツアー、実はツアーではなくて、単なるトランスポーテーションだったようです。このケチャダンスを観る寺院のような会場の入り口で、入場券は自分で買うようにドライバーさんに言われて初めて気がつきました。

なるほど、それで合点がいきました。このドライバーさんは、プロのツアーガイドではなく単なるドライバーさんだったのですね。だから、ニホンゴも英語も完璧ではなくて、なに言ってるのか訳が分からなくても文句は言えません。

さてそんな訳で、ケチャダンスの説明もなにも受けることなくまっさらの状態で観客席に座ってしまった私たちですが、すでに夜の帳も下りていて、サハデワ(Sahadewa,batubulan-Gianyar bali)寺院(?)の会場のステージでは↓こんな舞踊劇が始まっていました。

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ステージでは、上半身裸でサロン(腰布)を巻いた数十人の男たちがあぐら座りで円陣を組み、ケチャ・ケチャ・ケチャと大きな声を掛け合っていて、その円陣の中で踊り子さんが踊っている、と言う、一種異様な雰囲気です。

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古代インドの叙事詩、ラーマーヤナ(Rāmāyana)物語を題材とした舞踊劇だそうです。円陣の男たちはリズムを刻むだけでなく、劇の進行に伴い合唱したり、また様々な手や体の動きで、劇の背景としての表現も行うのだ、と後ほどしっかり学習しました。。

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古代インドの国を追放された王子とその妻、そして弟が寂しく森の中で暮らしていたところ、妻が森の悪魔の王にさらわれてしまい、王子が森の猿と協力して妻を助け出し、最後に森の悪魔の王を滅ぼす、と言う物語だったようです。そんなあらすじを事前に知っていればもっと楽しめたとは思うのですが、なんせまったく白紙の状態ですから、せっかくの舞踊劇もさっぱり意味が分からずちょっと勿体ないことをしました。やっぱりこんな場合の事前学習は必須ですね。

まぁ、とりあえずどんな雰囲気だったのか、↓動画を撮ってきましたのでご覧下さい。



以上が初めて観たケチャダンス舞踊劇のリポートでした。



↓これはホテル屋上のプールです。この日、ツアーを終えてホテルに戻ったのはもう夜9時半を過ぎていましたが、火照った身体をクールダウンしようかと就寝前、いや寝酒の前にひと泳ぎです。

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最近、私は屋上プールが大のお気に入りです。今回もエクスペディアで屋上プールのあるホテルを探しました。規模は小さいながらも、昼景、夜景とも抜群です。

夜はもちろん見えませんが、昼はこんな感じで目の前は海です。

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こんな風に樹木の間からはサーフィンを楽しむ人たちも遠望できました。

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さて、3日目です。この日は夕方まで町歩きと雑貨屋ショッピング、そして夕方からサンセットディナークルーズです。

べノア港から乗船したクルーズシップはBali Hai Ⅱと言う名のしゃれた双胴船でした。

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平日だったからか、それともローシーズンだからなのか、客は少なく、数えたところ20名足らず。こんな少人数では油代も出ないのではと気の毒なほどでしたが、それでもBali Hai Ⅱはべノア港を出航です。

べノア港のほぼ全景です。後から別の会社の黄色いクルーズシップが追いかけてきます。

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↓この写真は、ブログのトップ画像に載せている写真です。べノア岬(Tanjung Benoa)に沈む夕陽を船の上から撮影したうちの一枚です。

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さて船の中では、生バンド演奏つきのディナーブッフェの後、なんとキャバレーショーが始まりました。それにしても客の数よりスタッフの数の方が多いなんて、本当にお気の毒です。

お分かりですか?中央で歌っている女性?この人絶対オカマですよね。だって、先ず体格がいいし、声も太い。それに顔が怖い

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そして、この人、この人もオカマ、いやレディボーイというのかな、さっきと併せてこの二人、絶対怪しい。以前、六本木のオカマバーでみた人たちとおんなじ。。実は、私はこの手は大の苦手なんです。見るのもあんまり好きじゃないのに、側に寄ってこられたら身の毛がよだちます。

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もちろん、こんなオカマさんたちだけではなく、真っ当なダンサーたちもいてそれなりのダンスショーも見せてくれました。これも動画を撮ってみましたのでご覧下さい。



↑上の動画の最後に映っていましたが、オーストラリアかどこかのオトーサン、引っ張り出された上に二人のオカマに腹まで触りまくられてお気の毒でした。その後、こっちには来るな、絶対来るなよって思ってたら、なんとやっぱり私のところに来て(観客が少なく、しかも男性の方が少ない)、目の前のテーブルの上にどっかと座り、両脚を開いてあの太い股で私の顔を挟みつけるのです。しかもすごい力。おいおい変なところに顔を押し付けるなよな、ったく。。。

でも私の顔がこいつの両脚の中心に触れた時、こいつは絶対女ではない、男だよ、そう確信しました。止めてくれよ、気持ち悪い、Help!と叫んだところで離してくれましたが、離れ際、こいつに顔を舐められそうになりました。もちろん一瞬でかわしましたが、こんな気持ち悪いのに舐められたら、男ひねくれ、一生の不覚でっせ。でも危なかったな。。。

いやはやこんなキャバレーショーを、ここバリ島のクルーズシップで見ようとは思ってもいませんでしたが、これも旅のひとコマ、良かれと思ってホテルに帰り、思い出したくもない光景を眼に浮かべながらしこたま寝酒を飲んで酔っ払って寝てしまいましたとさ。




次は、↑上の、決して上品ではないキャバレーショーの写真と動画を見ていただいたお礼と言ってはなんですが、これぞバリ島と言う絶景をご覧いただきたいと思います。

↓バリ島最南端に位置するウルワツ寺院(Uluwatu Temple)です。目の前に茫洋と広がるのはインド洋です。

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高さ70mの断崖絶壁から下を覗いて見るとこんな感じ。海が見事な群青色に澄んでいて、これぞバリの海。ここはいい、海を見ているだけでリフレッシュできそうな気がします。

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ウルワツ寺院から北方向を見ています。高さ70mの断崖と綺麗な海、とても絵になる景色です。

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そして、最後は北側からウルワツ寺院方向(南方向)の断崖を見た写真です。断崖の岬のまさに突端に寺院が建てられているのがよく分かる写真です。(この写真は私が撮影したものではありません。ネット上から拝借したものです。)

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以上、バリ島4日目のウルワツの絶景でした。

さて、最後の最後は、おまけになりますが、とても澄んだ音色のガムランミュージックです。↓この動画は、googoo888と言う方がユーチューブにアップされているものですが、一度聴いたら病み付きになること間違いなしの素敵なガムランミュージックです。ぜひ聴いてみて下さい。



いかがでしたでしょうか、インドネシア・バリ島の顛末その2を綴りました。今回の小旅行はろくに下調べもしないままに出かけてしまい、お陰でいろいろ反省点もありました。

でもまぁ、これも勉強、あれも勉強、そして終わり良ければ全て良し、もちろん無事に帰ってこれたのだから良しとすることにします。

ではまた。。

追記:早速、このブログの冒頭で書いた「海外等で携帯電話の通話圏外にいる時のCIMBのオンラインバンキングの方法」について、本ブログをお読みいただいた方からご教示をいただきました。iOSやアンドロイドのデバイスにCIMB Clicks Appをインストールし、Tac on Mobileの登録をしておけば、携帯電話の通じない海外にいても、TAC(6桁のTransaction Authorization Code)を受け取ることができインターネットバンキングが可能となるというものです。

ナルホドいいことを聞いたワイと思い私のiOSデバイス(ipod touch)で試してみようとしたら、なんとアプリは既にインストールされていました、と言うか、私が以前にインストールしたことをすっかり忘れていました。しかし、Tac on Mobileの登録は未了でしたので、直ぐ登録しましたが簡単に完了しました。

これで、今後はどこからでも(日本からでも)CIMBのインターネットバンキングが可能になったわけですが、まったく老年性健忘症とでも言うのか、あの時にこれを思い出していれば、あるいは無駄なお金を遣わないで済んだのにと情けなく思っています。

いずれにせよ、ご教示いただいた方、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。(2014.12.13)


今日はインドネシア・バリ島への気晴らし小旅行の顛末記その1です。

インドネシアはマレーシアの隣の国ですが、正直言って、私はこれまで、同国とマレーシアは言葉や文化や人々のルーツなどもそっくりで、たいして違いはないのだろう位の乏しい知識しか持ち合わせていませんでした。

もちろん今回がはじめての訪問です。

誰でもそうだと思うのですが、外国に旅行する場合、私も、事前にその国の地理や歴史や文化や交通などを詰め込み学習して出かけるのがこれまでの常だったのですが、マレーシアでの日常が段々忙しくなってきて時間に余裕がなくなってきていることもあり、今回はほとんど学習することなくklia2を飛び立ってしまいました。

唯一事前に準備したことは、現地通貨のルピアとリンギット、それにリンギットとUSドルの為替レートのチェックとUSドルへの両替ぐらいなものです。(USドルは、インドネシア入国ビザ代の支払に必要な一人35USドル、二人分で70USドルです)

それにしても空港のマネーチェンジャーってレートが悪いですね。出発前に時間がなかったものだから、レートの良いミッドバリーに行く暇がなくて、バスに乗る前にKLセントラル駅のマネーチェンジャーをチェックしたらこれが余り良くない。

仕方なく最後にklia2にて両替したのですが、結局最悪のレートで交換するはめになってしまいました。やっぱりレートはブキビンタン>ミッドバリー>KLセントラル>空港だってこと、肝に銘じておかなければいけないですね。

その後、klia2からいつものエアアジア機(エアバスA320)でバリに飛んだわけですが、この出発が案の定大幅遅れ、搭乗待合室で、いつものことながらなんの案内放送もないまま延々と2時間も待たされました。

いつものこと、いつものことと思ってイラつかないようにはしてるのですが、いくら格安航空だからと言ってもこれは絶対良くないですね。いや、機材の運用に余裕がないのはわかるけど、せめて遅延の理由や見込みなどの案内放送ぐらいはなければいけないし、エアアジアもこの辺もっと真剣に考えないと将来も絶対安泰なんて言ってはいられないのではないか、そう思います。

さて、今回目的地のバリ・デンパサール空港ですが、KLからの飛行時間は3時間あまり。バリ島って、あらためて地図を見ると随分と東にあるんですね。

ところでマレーシアとインドネシアの時差ですが、恥ずかしながら私はいままでインドネシアが3つの時間帯に分かれていることを知りませんでした。首都ジャカルタの時間がインドネシア時間、つまりKLからは1時間遅れだろうと、とんでもない勘違いをしていたのです。(考えてみればインドネシアは東西に長い島嶼国、3つの時間帯があってもなんら不思議ではなく、まったくお恥ずかしい話です)

だから、経度的にはKLよりも随分東に所在するはずのバリ島の時間が、なぜ1時間も逆に遅れるのかと不思議に思ってました。

しかし、機内で機長の案内を聞いて、バリの時間はKLと同じ、つまり時差がないのだと初めて知りました。まぁ、KLとバリではかなり経度差があるのに時差がないなんてこともおかしな話ですが、これはマレーシア側の時間帯設定に問題があるので良しとしましょう。

予定の出発時刻から2時間も遅れてklia2を離陸したエアバス機は、約3時間のフライトで午後10時過ぎにデンパサール空港に着陸しました。

この後、入国ビザの支払いやイミグレーションなどをすんなり通過、空港内のマネーチェンジャーで当座必要な分のルピアにリンギットを交換し、タクシーチケット売り場でホテルまでのタクシーチケットを購入した・・・・いや購入するつもりでした。

はっきり言って私はこれまでの海外旅行でも、ボラレタと言う経験がまったくありません。タクシーでもレストランでもショップでもほぼ納得の行く支払いをしてきました。

ところが、ところが、今回初めて経験しましたよ、そのボッタクリってのを。

どういうことかと言うと、タクシーチケットカウンターはちょっと混んでいたため列の後に並ぼうとしたのですが、カウンターの中のオジさんがこっちにおいでと手招きをするのです。

私はてっきりカウンターが混み合っているから親切にももう一列チケッティングの列を作ってくれるのだろうと思いました。

そのオジさん、ニコニコ顔で、ハイ、20万ルピアです、って。

実はこの時、私は両替したばかりの10万ルピア札を3枚ひらひらさせながら右手に持っていたのです。それを目ざとく見つけたこの男はすかさず私に20万ルピアと吹っかけたのでしょう。

私は咄嗟にその20万ルピアの通貨価値判断ができず、そもそもこの彼がタクシーチケットカウンターの中にいたことから、当然チケッティングの係りだろうと思っていたので、ボラレテいるなんて露知らず鷹揚に頷きながら彼に20万ルピアを手渡しました。

そうです、お気づきでしょうが、彼はチケッティングの係員ではなくて、単なるボッタクリのタクシードライバーだったのです。

はい、それじゃ、こっちに廻って私について来てって、彼がカウンターを出てきた時に私も気付きました、あれっ、チケットはないの?なんで?

いやいや、私としたことが大失敗をしでかしました。あとで調べてみて本当に悔しい思いをしましたが、空港からホテル(クタ市内)までの標準タクシーチケット料金は5万5千ルピア(約550円)程度、とすると私は4倍近いボッタクリにあったことになる。

でも、なぜチケットカウンターの中に係りでもないあの男がいたのだろう?多分、カウンターは完全にクローズした状態ではなく、誰もが入り込める構造になっていたんですね、きっと。

いずれにしても私の凡ミスです。こんなことも事前にタクシー料金をチェックしていれば未然に防げたのにと反省しきりのインドネシア初入国初日でした。

その男のタクシーに乗ってホテルに行くまでの間、彼のなんと機嫌の良いこと、私もこの時はまだ4倍もボッタクラレタってことを知らずに、私の片言のマレー語を専ら褒めちぎる運ちゃんのインドネシア語に一生懸命耳を傾けていましたが、考えてみれば私ってつくづくBodoh(阿呆)ですね。

ホテルはエクスペディアで入念にチェックしたとおりにまぁまぁのホテル。

翌朝、早速目の前のビーチにでかけてみました。

↓ホテルの目の前に広がるクタビーチです。青い海と青い空、絵に描いたような南国のリゾートアイランドですね。

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そしてまたまた地図を広げてみると、インドネシアって、赤道を跨いで北半球と南半球に分かれていてこのバリ島は南半球なんですね。どうりで、太陽が僅かに北側にある。。それにしても暑い、とても直射日光の下には居られないって暑さなんですけど、どうしてみなさんこうも炎天下で肌を焼きたいのかな。。私なんか、とっくに真っ黒肌で現地人とほぼ同レベルなので最近では専ら日陰に隠れていますけど。。
 
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ここはクタの街です。やはり世界に誇る観光地だけあって、街並みは小綺麗でゴミなどもあまり落ちていません。KLよりもクリーンなような気がします。

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街を歩く人々は、観光客がほとんど。。中でも目立つのは恐らくオーストラリアからと思われる白人系。↓このような褐色肌の方たちはあまり見かけませんでしたね。

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しかし、街歩きで感じることは、どこでも片言の日本語で頻繁に声掛けされること。路側で客待ちのタクシードライバー、路端の物売り、ショップの店員、レストラン、その他あちらこちらで、ニホンジン?ワタシ、ニホンゴデキル、ドコイクノ?などとなんとも五月蝿くて敵いません。

↓木陰で客待ちの馬車からも、オイ、ニホンジン、コッチコッチ、ニホンゴOK、なんて声がかかります。この件、あとでツアーのドライバーさんから聞いたのですが、Baliは以前もっともっとたくさんの日本人観光客で賑わっていて、そのためカネになる(?)ニホンジン観光客を捕まえようと誰もが必死にニホンゴを憶えたのだそうです。ところが近年、円安の影響なのかどうか激減してしまい、その需要も減ってしまって・・・・・とのこと。なるほど観光産業ってつくづく難しいものだと思ってしまいます。

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↓ここは裏通りの雑貨屋さん。どこにも同じような民芸品やお土産が売られています。いかにもインドネシアの雑貨屋さんって感じですよね。

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↓これは確か裏通りにあるペンション風プチホテルだと思いますが、いい感じですね。

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その近くには、トリップアドバイザーで高評価のFAT CHOWと言うアジアンレストラン。

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ちょっと中を覗いたら白人系の観光客でいっぱいでした。私たちは結局ここには行かずじまいだったのですが、どうもトリップアドバイザーとか、いわゆるクチコミサイトの評判を頼りに行ってみてもやっぱり当たり外れがあるし、そもそも味覚なんてのは個人差があって当然なのだから、私は特に拘泥しないことにしています。

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さて、早速にホテルのツアーデスクで3日分のツアーを予約しました。ここにやって来るまでなんの準備も考えもなかったし、それにちょっと街歩きを始めた途端に汗だくになるし、いや疲れること疲れること。なのでツアーデスクにお願いした方がマッチベターと判断したのです。

第一番目のツアーは午後半日のツアー、クタの町の北に位置するウブドの寺院などを巡り伝統舞踊などを鑑賞するコースです。

↓これはDewa Putu Torisと言うアートギャラリー。クタ郊外のカンポン(田舎町)にあって、入り口はこんな風、言われなければアートギャラリーだなんて全然分かりません。

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ところが中に入ってみてビックリ。重厚な木製の美術品や夥しい数の水彩画や油絵が展示・販売してありました。

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見て下さい、入り口からはとても想像できないほど中は広いのです。安くするので買って行ってよと言われましたが、運べないから要らないなどと口から出まかせを言って逃れてきました。

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寺院めぐりの初っ端は、ウブド(Ubud)のバツアン寺院(Batuan Temple)です。ラッキーにも年に一度の祭礼に遭遇したようです。

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お揃いの黄色の衣装を纏った大勢のご婦人方が、頭上に段重ねの貢物を載せながら一列になって寺院の入り口に吸い込まれていきます。

こっ、これは、なに?なんのための祭礼?と、案内のドライバーさんに尋ねました。彼のニホンゴは一見とても流暢に聞こえるのですが、なかなか肝心なところや機微なところが理解困難です。英語はほとんどダメと言う彼(別に日本語スピーカーを要求したわけではない)なので、こちらとしては彼のニホンゴのキーワードを元に想像を逞しくするしか手はありませんでした。(私の英語もネイティブが聞いたらこんなものではないかと冷や汗が出てきますけど・・)

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ここで気がついたのですが、ここってイスラム教じゃなくて、ヒンズー教なんですね。ホテルに帰ってから調べて判ったことですが、インドネシアって、1万5千もの大小の島々から構成されている島嶼国で、人口は2億5千万、民族(部族)数だってマレーシアなんかよりも遥かに多い3千以上の超多民族国家。そりゃ宗教も様々ですよね。

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私は、インドネシアって、ずっとイスラム教国だとばっかり思っていましたが、国教を定めているわけではなく、信教の自由を完全に認めている国なんですね。イスラム教国ではなく、世界最大のイスラム教信者を抱える国と言うのが正しいのだと知りました。他にキリスト教やヒンズー教やその他の伝統信仰などが混在しているのですが、このバリ島はほとんどがヒンズー教徒だそうです。ドライバー氏もそうだと言っていました。

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↓なにやら賑やかな音楽が聞こえてきました、マレーシアでよく耳にするガムラン音楽のようですが・・・・動画を撮りましたのでとりあえずご覧下さい。



ガムラン音楽って、調べてみたらどうやらこのインドネシアが本家らしいですね。バリ島には数十種類のガムランがあり、ヒンズー教の寺院の祭礼や冠婚葬祭などで演奏されているのだそうです。

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観光客もサロンと言う腰巻きのような布を巻かされ、無料で寺院の中(敷地)に入ることができますが、実際に祭礼が行われる場所には立ち入りできません。大勢の女性達や頭に白布を鉢巻状に巻いた男たちがなにやら準備をしている模様なのですが、案内のドライバー氏の説明が難しくてなかなか理解が困難でした、と言うかほとんど解りませんでした。

すれ違ったおじいちゃんと孫、なんとなく親しみを感じて写真撮っても良いかと尋ねたら、人が良さそうなおじいちゃん、恥ずかしそうに孫と一緒にポーズを取ってくれました。

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バツアン寺院を出て、次にやってきたのはローカルのコーヒープランテーション兼販売所です。私は、ドライバー氏が、ちょっとバリのコーヒーでも飲んでみませんかと言うので、てっきりコーヒーショップ、いわゆるカフェにでもつれていってくれるのかと思っていましたが、違いましたね。以前も同じような経験(ガイドからコーヒーショップに案内すると言われてついて行ったところ、そこは喫茶店ではなくてコーヒー豆や粉を売っているお店でした。もちろん味見はできたので確かにコーヒーを飲めるところには間違いありませんでしたけど・・・)をしたので、これからはもう騙されないぞとは思いますけどね。

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↑上のおにいさんはこの販売所に勤めている若者で、他には客が誰もいなかったせいか、次から次にコーヒーの味見をさせてくれました。お陰で、買ってあげないと可愛そうかと思ってしまい、高いコーヒー豆(なんとワンパック3000円超)を買うハメになったことは、やっぱり反省しないといけないと思っています。

そして、ここでさらに反省しなきゃいけないことに遭遇しました。

↓それはこれです。↑上のテーブルの右端にこの小さなビンが置かれているのがお分かりでしょうか。

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おにいさんに、これは何?と尋ねてみたのが失敗の始まりでした。

え、これは、いわゆる地酒ですよ、とっても美味しって評判のお酒ですからどうぞ試してみて下さい、だと。。

へ?ジ、地酒って?こ、これ、アルコールなの?

考えたらなにも不思議なことではないはずなのに、まだ頭がコンフューズしていてイスラム教国なのになぜ?なんて思ってるバカ。イスラム教国じゃないんだよ、ここは。ましてこのバリはみんなヒンズーなんだよ。だから、いいのっ。。

ハハ、オレって地酒なんてワードを聞くとなぜか興奮してしまって正常な思考回路が機能しないらしい。

じゃあ、とばかりにチョピット試飲したこのArak BaliとBlem Bali・・・・・・・・ん?ん、ん、んんん、チ、チョー、うめぇ。。。

これ、こ、こ、ここで売ってるの?と、おにいちゃんにド、ドモリながら尋ねるバカなワタシ。

もちろん、あっちに売店がありますからどうぞ、どうぞって・・・・・ハイ、カモいっちょー上がりぃってか?

こんなちっちゃな小瓶だからいくらもしないだろうなんて思ってたけど、カード決済して領収書を見たら小瓶2本で35万ルピアほど・・・・  とすると日本円で約3500円、ってことは、え、え、えーっ、250mlとか200mlの内容量からしたらとんでもないボッタクリ価格でないかこれは。。

でも支払いもしてしまったし全ては後の祭り。結局このプランテーション内の売店では高すぎるコーヒー豆とボッタクリ値段の地酒を買わされて、少々意気消沈して次なる観光地に向かったのでありました。

(その2に続く:その2ではArak Baliが実はとんでもない危険酒と分かったこと、そんなことも知らずに後生大事に持ち帰ろうと機内預け荷物にチェンジしようとしたが、オンライン支払いができなくて結局当日カウンターで倍額のバゲージ料を取られてしまったこと、さらにはクルーズシップ上でオカマに危うく顔を舐められそうになったこと、そしてウルワツ岬の絶景などを綴ってみたいと思います。)

ではまた。。




ホーチミン気晴らし小旅行その2です。

ここベトナム・ホーチミンは初めての土地で、西も東も皆目分からない状態なので、1日はガイド付きのツアーに参加して街の主要な観光スポットを案内してもらおうかと、ホテルのツアーデスクでワンデイシティツアーなるものに申し込みました。

翌朝8時半にホテルピックアップに現れたガイドさんは、小柄なベトナム人男性の方で、一見、南ベトナム解放民族戦線の兵士のようにとても芯が強そう(融通が効かなさそう)な方です。対する今日のツアー参加者は、全部で9人、英国人4人、ドイツ人1人、タイ系ドイツ人1人、中華系マレーシア人1人、そして日本人は私とMy better halfの2人、つまり日英独馬の寄せ集め連合軍です。

ガイドのロンさん、小柄なワリには大股で肩を揺すりながら偉そうに歩きます。また、狭い車内に響き渡る大声で、You knowとOKを尻上がりに連発するので、なんか説教されているような感じです。酷く訛りの強い英語で聞き取れないところもありますが、ここは我慢、聞こえないところは想像で補うことにして、さあ、シティツアーに出発です。

今日の参加者、私たちを除きみな大型・重量タイプ、お陰で酷く窮屈な思いをしました。それに加えて、ロンさんのYou knowとOKが耳につき、一行はまるで解放戦線の兵士に連行される連合軍の敗残兵のようなものでした。

最初にやってきたのは、戦争証跡記念館(War Remnant Museum)です。もちろん、戦争と言うのはベトナム戦争のことです。

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これ↓、解放戦線の兵士を取り囲んで連合軍が偉そうに尋問してる風に見えますけど、実際はたった1人の解放戦線兵士に叱られて小さく頷くことしかできない、図体だけでかいひ弱な連合軍なのです。

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記念館をひととおり見て廻った後、ロンさんに案内されてローカルマーケット(Bin Tay Market)にやってきました。

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市場探索は私の好きなジャンルなので、大変楽しみにしていたのですが、このマーケット、どうも卸売りが主の市場のようで、同じものが大量に陳列、というより無造作に積み上げられていたり、なにより商品の壁に囲まれてただでさえ狭い通路に店員さんたちが座り込んで飲み食いしたりしているので自由に歩けない。もっともっと見て廻りたかったのに残念。

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ロンさんにそのことを話すと、別の場所にベンタインマーケットと言うもっと綺麗なマーケットがあって、普通の観光客はそっちに行くのだとのこと、なんだそれなら最初からそっちに案内しろよなと、大体オレらは普通の観光客じゃないんかい、と思ったけど解放戦線の兵士にまた叱られるとイヤなのでダンマリしてましたけどね。

さて、次なるところはReunification Palace、かつての南ベトナム(ベトナム共和国)の大統領官邸です。日本語では統一会堂と言うそうですけど、ひねくり回して考えた訳語ですよね。

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これ↓、サイゴン陥落のときの有名な写真です。緑の芝生がとてもきれいな大統領官邸に北の戦車部隊が南ベトナム解放戦線の旗を掲げて突入してきた1975年4月のことです。これ、恐らく官邸警護の南の政府軍部隊を武装解除した直後の写真ではないでしょうか。

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しかしこれ今から40年も前のことなんですけど、私はこのサイゴン陥落のニュース映像を職場のテレビで見ながら、あの米軍が本当に負けたんだと、とても驚いたことを今でも憶えています。

昼食の後、やって来たのはThe Notre Dam Cathedral(サイゴン大教会)です。またの名を聖マリア大聖堂と言うそうです。
ところで、このツアーに付いているランチですが、思ったよりGoodでした。安いツアーなのでほとんど期待はしていなかったのですが、ところが、ベトナム料理から西洋料理までの幅広メニューで味もVery Good、私は隣のドイツ人とサイゴンビールで仲良く乾杯しました。

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大聖堂前の広場、実はこの前の広場からサイゴン川に向かう通りが、かの有名なドンコイ通りです。広場はその人気のドンコイ通りの出発点でもあり、大勢の観光客で賑わっていました。

大聖堂前の広場の一角にはこんなフランスコロニアルスタイルの素敵な建物もありました。これはThe General Post Office、日本語名はサイゴン中央郵便局だそうです。

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この郵便局、観光名所ながら、現在も通常の郵便・通信業務を行っている現役の郵便局だそうです。でもフロア中央にはこんな土産物の売店もありました。

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今日のツアーはこの郵便局で終わりです。確かに時計を見ると4時なので、朝からもう7時間も経っているのですね。でも、このツアーって、え、なにか見所があったかな?と思うほどに、たいしたことがないと言うか、あまり価値がよく分からないと言うか、そんなツアーのような気がしました。

でも、値段も値段(1人2400円ほど)だし、ましな昼食も付いていたし、良しとしないといけませんね。

そんなことを思いながら、郵便局内のベンチに座っていたら、ツアー参加者連合軍の一人が私を見つけてやってきました。彼、ロンドンから来たといってましたから英国人だと思いますが、外見はどうみてもアラブ人です。しかし、言葉は綺麗なブリティッシュイングリッシュで聴き易い。

これは良いのですが、この彼、War Museumの時からそうだったのですが、ずっとアメリカの悪口言っているのです。ベトナム戦争も、イラクもアフガンもそしてリビアもそうだ。現に今もシリアを空爆して市民を皆殺しにしている、なんてことを延々と熱っぽく話すのです。

話半分に聞いていると、あんたはこのことをどう思うかなんて質問もしてくるし、これにはちょっと閉口しましたね。

しかし、今日のツアーで感じたことですが、ツアーは英語ガイドツアーなので当然英語圏の参加者が多い。この英語圏という概念、今では本当に全地球的なんだと改めて思います。英国でもドイツでもフランスでもオランダでも中東でもアラブでも東南アジアでもみーんな英語をほとんど自由に話します。(もちろんそうではない人たちもいますけど)

英語は世界の共通語なんだとつくづく思います。肌の色や顔かたちが異なろうが、言葉が通じれば一体感は直ぐ生まれます。こんなツアーでは、英語を話すと言うだけで直ぐ仲良くなれる。

こういうツアーに参加して、英語が聞けない話せないで他の人たちの輪に入れなかったら面白くもなんともありません。だから日本人は日本語ガイドツアーに参加する、これも確かに良いとは思います。

ですが、ある程度英語が理解できるようになったら、どんどん英語ガイドツアーに参加して、英語圏の人たちの輪に積極的に入るようにしたらどうでしょう。

外国人から見る日本人の印象は、目を合わせない、堂々としていない、はっきりものを言わない、英語を話さない、と良く言われます。現代日本人はそうではないと言うことを積極的に発信していきませんか。このひねくれジィジも団塊世代の代表として、もちろん英語特訓を続けながらですけど、積極的に英語圏の人たちの輪に入って行こうと思います。

おっと、ちょっと脇道に逸れてしまいましたが、閑話休題です。

さて、翌日つまり、ホーチミン3日目のことです。

今日は朝から街歩きです。昨日のツアーで大体の方角とかも掴めたし、マップさえあればどこへでも歩いて行ける、そんな気がします。先ずは、昨日、最後に行った大聖堂前の広場を目指します。

おっ、あれはナニ?頭になにやら渦高く積んだものを載せて歩いている人がいます。良く見ると、大きなトレーの上にパンが積み上げられているようです。形が大分へこんできているところを見るとどこかに下ろしたのか、売ったのか、でも、重心位置が微妙に変化するだろうにたいしたもんだなー、なんて感心してしまいました。

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街を歩いていて、感心するものと言えばやはりバイクがらみです。以下の写真は私自身の撮影によるものではありません。インターネットにアップされているものを拝借したものですが、街歩きをしていると良くこんな「感心」に出会いました。

先ずは、バイクの5人乗りです。4人乗りは普通に見かけるのですが、この5人乗りはなかなか発見が難しいです。私は滞在間1度だけ見ました。それにしても、見るからに怖いですね。滑って転倒したらと考えるとぞっとします。

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それから、路上で良く見かけるこんな行商さんですが、あの重い天秤担いで長い距離を歩くのは大変だろうなと思ってました。

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そしたら、ある時、バイクがすっと寄って来て、その後に天秤担いだままの売り子さんを乗せて颯爽と走り去りました。なるほど、これが日常の光景なのかと感心しましたね。

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これ↓なにか分かりますか?バイクの後に大きな鏡の板を抱えて乗っているんです。私は、鏡は見ませんでしたけど、ベニヤ板のようなものを抱えて乗っているのには何度も出くわしました。

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向かい風の抵抗が当然あるだろうし、ずっと抱えているのはとても大変なことと思い、変に感心しましたね。

そして極めつけはコレ↓です。すごい、バイクの上に寝てる。これ、落ちないかなぁなんて心配してしまいましたけど、器用なものですねぇ。人間って慣れればバイクの上でもどこでも寝れるんだと、コレにはいたく感心してしまいました。

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そうこうしているうちに、ドンコイ通りのスタート地点である大聖堂前の広場に到着しました。

とりあえず、広場の角にある洒落たカフェで休憩です。

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さあ、冷たい飲み物も飲んで汗も引っ込んだので、ドンコイ通りの街歩き開始です。

VINCOM CENTERの前を通り、

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で、先ず目に付いたのがコレ、サイゴンオペラハウスの建物です。

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しかしこの界隈は、ベトナムらしくなく(失礼)とても綺麗なところですね。
フランス統治時代の建築物が今でも素敵に保存され、しかも現役で使われているというのが凄いですよね。右↓は、ホテルコンチネンタルサイゴンの建物です。その左側、ドンコイ通りの対面にある白亜の建物の名前は分かりませんがこれも素晴らしいですね。

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サイゴンオペラハウス前の広場から、ホーチミンシティ一番の高層ビル、ビテクスコ・フィナンシャルビルを望みます。これも、"らしくない"都会的な風景ですね。

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さあ、いよい雑貨屋さん通りにやってきました。ここは東京で言えば原宿通りのようなところと聞きましたが、そのとおり、他の街の通りとは随分雰囲気の違う洒落たストリートです。雑貨やさんにブティックにカフェやレストラン、いずれも小綺麗です。

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おっ、早速、KITO shop(有名雑貨屋さん)を発見しました。

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これ、観光雑誌に載ってたZakka-FasionのTanPoPoですね。

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そして、これも有名なCoCoです。えっ、オーダーメイド?そっか、このあたりの雑貨屋さんって、洋服の仕立てもやるんですね。

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でも、これ見て下さいよ、日本語ですよ。さらに、店内の売り子さん、ほとんど日本語ができるんですよ。これには驚きました。聞けば近くのemem1号店も2号店も、このCoCoもみんなおんなじ日本人オーナーの経営なんだそうです。どおりで、店内は日本からの若い女性で溢れかえっています。

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ベトナムはまだ労働力が安い、最近、チャイナプラスワンと言う言葉を良く聞きます。経済が急速に発展し労働力もそれほど安くはない中国、しかも無茶苦茶な政治リスなども多い、もう日本企業も身に染みて分かってきたようですね。中国に軸足はまだ残したまま、周辺諸国にも足を伸ばすチャイナ・プラスワン、中国以外の生産拠点としてここベトナムが脚光を浴びているそうです。

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My Better Halfが買った洋服の仕立て直しを注文したemem2号店の若い売り子さん、私たちが日本人と知り一生懸命たどたどしい日本語で話しかけてきます。

ワタシ、ニッポンダイスキ、ニッポンイキタイケド、オカネナイ。ニッポンタベモノ、ゼンブオイシイ。オスシダイスキ、キュウリョウモラッタラ、ヒトツキニイッカイダケ、オスシタベル。チュゴク、キライ。ヤサイモタベナイ。エッ?ナゼ?ダッテタベルト、イチネン、ニネン、サンネンゴ、ビョウキニナルヨ。コレホントダカラ。

特に最後のくだりは、思わず吹き出してしまいました。

ベトナムでは労働賃金がまだまだ低い、したがって、洋服の仕立て代も日本よりもずっと安い、なおかつ、ベトナム人の手の器用さは日本人に決して負けていない。これはもう日本の若い女性がベトナムに押し寄せるのは必然ですね。

さて、ここはドンコイ通りの突き当たりのサイゴン川です。この川を実際に見る前には、サイゴン川のディナークルーズもオプションに入っていたのですが、実際に見てみて即却下してしまいました。

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KLでもボルネオでも中国でも、以前訪れたタイのバンコクでも、どこも同じようなものですが、とても美しい川とは言えません。大小のゴミやいろんなものが浮遊しているしニオイもあります。でも、しょうがないですね。経済発展中の国の河川の管理はまだ万全ではなく、とても環境保護にまでは至らないのが実態です。

こうなるとわが故郷のやまがたが懐かしい。鳥海山の麓に湧く清らかに澄んだ水、緑の庄内平野を流れる美しい川、こちらの人たちにも是非見せてあげたいわが故郷の永久不滅の財産ですね。

ドンコイどおりは、男性の私にとっても大変に楽しいところでした。ベトナムって、社会主義国なのに、中国の改革解放政策と同じ、ドイ・モイ政策が当たりましたね。

でも、かの中国とは異なりベトナムにはいろんな自由があるようです。そこが大変気に入りましたね、このベトナム。また訪れたい国のひとつになりました。

ここは、今日(3日目)の街歩きの最後となるベンタイン市場です。

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昨日のツアーで訪れたビンテイ市場に比べて確かに綺麗で見ごたえのある市場です。
通路は広くて歩き易いし、売り子の人たちの愛想もいいし、品揃えも豊富だし、それになぜか、マレーシアの市場よりも品物の品質も良く、清潔そうに見えます。

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私は、いつものように鮮魚系をじっくりみたかったのですが、残念なことに魚屋さんのほとんどは既に閉店してました。止むを得ず、酒の肴となるスルメやホタテの貝柱などの乾物系を探して歩き、ついにスルメを見つけて買いました。

そのスルメを今かじりながらブログを書いているのですが、見た目もよし、味もよし、酒のつまみに最高。えっ、スルメのニオイのするオヤジって女性に嫌われるってことぐらい、分かってますよ、でも止められナイのです。(私は自分の部屋でスルメをかじり、出るときはキシリトールガムを噛んで口臭を消します。それぐらいの気遣いって家族でも必要だってこと、最近分かってきたんです。でも、ちょっとは身体に染み付いているかも知れない、ヤナ、団塊オヤジでいいんです。)

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乾物屋のオバサン、こともあろうに私を見て、この前も来たね、顔覚えているよと言いました。(でもコレ何語で言われたのか全然覚えていません、ベトナム語は私には分からないし、とすると英語だったのかどうか・・・)

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とにかく、このベンタイン市場、大勢の観光客が出入りしていて確かに観光市場てきな雰囲気なのですが、綺麗だから私は好きです。時間があればもっともっと見ていたかったのですが、この後ホテルの屋上プールでひと泳ぎしたいいと思い、後ろ髪を引かれながらホテルに帰りました。

明けて4日目の最終日ですが、午後の出発便、しかもホテルのチェックアウトタイムが12時だったので、朝からまたドンコイ通りにでかけました。私は通りのカフェなどでゆったりとした時間を過ごしていましたが、My Better Halfはお店の売り子さんたちが片言の日本語を話すこともあって、せっせと買い物にいそしみ大満足だったようです。

ベトナムって、いいな、そう結論づけてKLに戻ってきました。

これで、ベトナム・ホーチミンの気晴らし小旅行編を終ります。思うがまま、感ずるがままの書きなぐりでちょっと長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただいた方、大変お疲れ様でした。

ではまた。。


定年後のマレーシア移住のメリットの一つは、ここを拠点にして気軽に海外旅行を楽しめることだろうと仰る方がいますが、確かに私もそう思います。

特に、東南アジア各国へは国内旅行のような感覚で簡単に楽しめるところが、私としては大変気に入っているのです。

もちろん私の周囲には、東南アジアに限らず、南アジア、豪州・ニュージーランド、中近東や欧州方面への旅行を楽しんでおられる方たちもたくさんいます。

それを可能にさせる大きな理由としては、各旅行先が日本から出かけるよりも遥かに近いと言うことに加え、アジア最大の格安航空会社のエアアジアが、ここKL(klia2)を拠点にマレーシア国内外88都市に直行便を就航させているということがあると思います。

もちろんMM2H在住者にもいろいろ幅があるので決め付けることはできませんが、一部のリッチな方々を除き、私たちのように、時間はたっぷりあるので旅行はしたいがあまりお金を無駄遣いしたくない・・・と言う方も大勢おられるだろうと思います。

しかし、ここにいると本当にあり難いことに、エアアジアから格安チケットの販売情報(プロモーション)がメールで届き、ホテルと込み込みでブッキングすると航空券代は無料なんてこともしばしばあるのです。

でも、こんな格安プロモーションのほとんどは販売期間と旅行期間が限定されているので、仕事現役の方たちには難しいのでしょうが、毎日が日曜日という私たちにはこんな格安チケットをいくらでもブッキングできる強みがあるのです。現役の方たちには申し訳ないけれども、これを利用しない手はありませんよね。

と言うことで、先週8月14日から、エアアジアの格安プロモーションを利用し、フリーチケット+ホテル込み込みブッキングで、ベトナムに国内旅行感覚で小旅行をしてきましたのでそれをリポートしてみたいと思います。



もちろん、エアアジアですから発着空港はklia2です。今年の5月オープン以来、私としてはこれが3度目のklia2の利用なのですが、訪れる度、利用する度に、ショップやレストランなどが益々充実されていることに気付き大変嬉しい気がします。

しかし、一方でエプロンのあちこちに大きな水溜りがあったり、ターミナル施設の至るところの壁や床などに大きな染みや汚れ、さらには亀裂や剥離なども垣間見えたりしているのは、完成検査後まだ数ヶ月しか経っていないというのにこれはとんでもないことですね。

こんなことは日本では決してありえないと憤慨したくなりますが、こんな時、ここは日本ではなくマレーシアなのだと改めて思い直すことにしています。

さて、クアラルンプールからベトナム・ホーチミンシティまでは南シナ海をひとっ飛び、今年3月に行方不明となったMAS370便と同じルートです。

距離にすると1000kmちょっと、この前のボルネオ島コタキナバルよりもずっと近いのです。でも、それでも立派な海外旅行、通貨も違えば言語も交通ルールも違います。

私、いや私たち団塊世代の若かりし頃は、海外旅行なんて夢のまた夢でした。しかし、高度経済成長期を経て少しずつ豊かになり、おそるおそる海外旅行などに出てはDreams com trueを実感したものでした。

やがて時が移り、今では誰もが気軽に海外旅行を楽しめる、そんな嬉しい時代にはなりましたが、我々団塊世代組みにとって海外旅行はまだまだ夢の延長線なのです。そんな海外旅行に、行こうとしたら毎月でも行ける、これってとっても幸せなことだと思いませんか。

エアアジアのエアバスA320は、1時間40分程度でベトナム・タンソンニャット国際空港に到着しました。

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タンソンニャット国際空港の管制塔です。昨年完成したばかりのほやほやだそうです。

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ここの空港の国際線ターミナルは我が国のODA(政府開発援助)で建設されたものだそうで、到着出口にその石碑がありました。

タンソンニャット空港石碑

日本ODAと言えば、ここホーチミンでは、ベトナム初の地下鉄建設工事も日本の清水建設と前田建設のJV(ジョイントベンチャー)が受注したそうで、つい最近工事が始まったということです。こんなことを聞かされると日本人としてやっぱり嬉しくなりますよね。

このベトナム、今では数少ない社会主義国なのですが、中国などと同じく市場経済システムを取り入れている国で、特に近年経済成長が著しいのだと聞きました。

私は今回始めてこのベトナムの地を訪れてみたのですが、以前、テレビやネットでオートバイで埋め尽くされた街の映像を見て驚いたことがあって、一度この目で見てみたい、そう思っていました。

そして、期待に違わず早速その洗礼を受けました。

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夥しい数のモーターバイクです。一日中、バイクの流れが途切れることはありません。約740万人のホーチミン市の人口に比較し、バイクの登録台数が約500万台(2013年)とはオドロキです。

私はマレーシアに来てまもなく、道路を傍若無人に走り回るバイク軍団に驚いたものでしたが、ここベトナムのバイクの数はその比ではありません。動画↓に撮ってみましたのでご覧下さい。



まさに凄まじいの一言です。このバイクの大軍団、いや大洪水を見ていると、マレーシアのあのバイク小軍団が可愛く思えてくるほどです。

それにしてもこのバイク、良く見てみるとホンダやヤマハやスズキなどの日本製がほとんどです。そのことを現地の人に尋ねたら、日本製バイクの信頼度は中国・韓国製などとは比べものにならないぐらいに抜群だそうで、価格は高いがみんな一生懸命働いて日本製を買いたがるということでした。

さらに、バイクに限らず日本製・産品はなんでも安心・安全の代名詞。どこぞの国が、名前や形を日本製・産品に似せて作って売るが直ぐバレル、こんなこと、この国の多くの若者たちは既にみんな知っている、なんてことを聞かされると、ああ、なんと健全、この国の未来はきっと安心、ベトナムがんばれと応援したくなりました。

ベトナム最大の経済都市、ホーチミンシティ(旧サイゴン)は想像通りの街でした。確かに東南アジアの他の主要都市に比べると高層ビルはまだまだ多くはないけれど、街に溢れる活気や熱気は負けてない、それどころかこれぞ真のアジアかというぐらいのエネルギーを感じます。

この国の急激な経済成長は、やがてあのバイクの大洪水を車の大洪水に変える。当然そのためのハードもソフトも整備や改革が必要となる。この国にはやるべきことが山ほどある。あぁ、若かったら絶対こんな国で生きてみたかった・・などと悔しがるひねくれ団塊なのでした。



それにしても、どこに行っても途切れのないバイクの大洪水には圧倒されます。でも、ただただ圧倒されていては、道路も横断できません。信号なんてあってもないに等しい、こんなことにはマレーシアでも十分慣れてきた、そう言いながら道路を渡る、うっそ、止まらない、歩行者をよけてくれない、まさにバイクの大洪水に溺れそうになりながら這う這うの体でようやく渡り切る。ふうー、こりゃ疲れます。

さて、今回のホテルは、最近ではトップクラス、と言っても4スターホテルなのですが、エアチケットがフリーだからその分奮発しようと口コミを読み漁って評判のホテルを選び、さらにはシニアスィートをブッキングしたのですが、これもバッチリ大正解でした。

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しかし笑っちゃいますよね。このホテル、正面看板のホテル名の横に星(スター)が4つ並んでいるんですよ。もちろん4スターホテルってことでしょうが、じゃ、1スターホテルなんてどうするんだろ、星1コを堂々表示するのかい、と疑っていました。

でも、翌朝、通りを歩いてみてちょっっと驚きました。滞在先ホテルと同じ通りには、3つ星も、2つ星も、そして1つ星ホテルもあるんですが、それぞれちゃんと正直に(?)星の数を堂々と表示していました。こりゃ疑って相済みませんでした。

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シニアスィートルームは広々綺麗でジャグジー付、朝食ブッフェは5スター並みで文句なし、BBQレストラン併設の屋上プールもあって夜の眺めも最高なんて、それにしてもこのホテル、久々の大ヒットです。

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これ↑はホテルの屋上プールから眺めたホーチミンシティの夜景です。ギラギラしてなくて、どこか素朴な田舎都市のようですが、そこがまたいいのです。

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かくしてベトナム初上陸の日も暮れて、独り静かに泳いでみたり、プールサイドのデッキチェアに寝そべって、ベトナムの夜空を見上げてみたり、BBQレストランのドイツソーセージを頬張りながら、タイガードラフトピアをぐび飲みしたりと、いやぁこれはたまらん贅沢なベトナム・ホーチミンの夜ですなー。。

今回旅行では、ホーチミン観光定番のトンネルとかメコンデルタ巡りはパス。ゆっくりのんびりのホテルステイとMy Better Halfのための雑貨やさん巡りなどの街歩きが主です。でも、右も左もなんにも分からないのも辛いので、明日はとりあえず1日シティツアーに参加してみようと、ホテルのツアーデスクに申し込みました。(参加費2人で950,000ドン=4300円、昼食付きでこの価格は、やっぱり込み込みのパッケージツアーよりもかなり安いのではと思いました。詳細はその2で。)

次回はそのシティツアーと雑貨屋さん巡りなどを綴ります。

その2につづく。



今日は、今回旅行記(サバ州@ボルネオ島見聞記)の最終回です。

見聞記(その1)で書いたキナバル山麓を巡る旅ですが、あらためて感想や私見を含みやや詳しく綴ってみたいと思います。

コタキナバル市街からドライバーつきのバンを走らせ、最初に到着したのはタンパルリという田舎町です。

私たちがレンタルしたバンのドライバー氏は、グリーンラベル(上級)のガイド資格を持っていると言う、私と同年代の方でした。道中いろいろな質問をしたり世間話をしたりするうち私たちともすっかり意気投合し、ガイド料はまったく払っていないのに終始ガイデッドツアーのようなフルのガイドサービスをしてもらいました。(あとで少々チップをお渡ししました。)

その彼が最初に案内してくれたのが、ここタンパルリです。

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聞けば、この地は戦時中(太平洋戦争中)、ボルネオを占領した旧日本軍の輸送部隊の拠点だったそうで、タンパルリ(Tamparuli)という地名は、実はその日本軍のTempat Lori(マレー語:テンパッ・ロリ→トラックの場所)に由来するのだとか。

これが実話かどうかは定かではありませんが、図らずも祖国日本の往時を偲び、祖国・国民のため、こんな遥か南方まで海を越えてやってきた幾万もの先人が本当にいたのだと言うことを実感させられました。



1941年(昭和16年)12月8日、祖国日本は自存自衛のための太平洋戦争に突入したのですが、良く知られているハワイ真珠湾の奇襲作戦と同時に、マレー・蘭印(オランダ領東インド)作戦も開始されたのです。

マレー半島東海岸のコタバル(ボルネオのコタキナバルではない。)上陸が真珠湾攻撃に同じ12月8日、そして、ここ北ボルネオに関しては12月16日にジェッセルトン、明けて1942年(昭和17年)1月17日にはサンダカンに陸軍部隊が上陸しています。

その後日本陸海軍は想定以上の快進撃を続け、同年3月までにはシンガポールを含む英領マレー半島全域とボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島、セレベス島及びニューギニア島西半分などからなる蘭印全域を占領、作戦の主目的であった石油資源の確保を果たし、以降、1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争敗戦に至るまで約3年9ヶ月の日本統治が続いたのです。



こんなことを思い出させてくれたここタンパルリ、今ではトゥアラン川に架かる川面すれすれの橋と、その脇に架かる大きなサスペンションブリッジ(歩行者専用吊り橋)で有名な観光地なんだそうです。

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このタンパルリの町を流れるトゥアラン川、昔から氾濫を繰り返していて、英領時代から日本統治時代を経て現在に至るまで幾度も幾度も架け替えられてきたのだそうです。この鉄筋コンクリートに支えられた新しい吊り橋は川下にあった元の吊り橋が流された1999年以降に架け替えられたものだそうです。

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新しい吊り橋のすぐ側にある低いコンクリート橋は、一番古くて頑丈な橋だそうで、川が氾濫しても流されないのだそうです。ただし、橋が水を被ることはしょっちゅうあるそうで、そんな場合、車を置いて人は吊り橋を渡るのだと聞きました。

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吊り橋の袂には、タンパルリの市場があり、たまたまその日は日曜朝市が開かれてました。

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市にはもともと興味がある私です。素早く廻ってみましたが、とても素朴な味わいのある市のようです。赤い服の可愛い女の子、カメラを向けるとはにかみながらも笑顔で愛想してくれました。

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ところでコレなんか分かりますか?ドリアン?いいえ。小型のジャックフルーツ?いいえ。

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コレはですね、タラップ(Tarap)と言うボルネオ特産のローカルフルーツだそうです。みんなで1個(4リンギ≒125円)買って試食してみましたが、うん、コレは美味しい。甘味も酸味も適度にあって爽やか。私はドリアンよりもジャックフルーツよりもずっと好きですね。

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朝市をもっとゆっくり見ていたかったのですがそうも行きません。バンに乗り込もうとしたところ道端のおばあちゃんと眼が合いました。どうも、朝からちっとも売れてなさそうな、もの悲しそうな眼をしたおばあちゃんです。

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私は、こんなおばあちゃんに弱いんですね。ずっと昔の子供の頃、父親の里のおばあちゃんに可愛がられたことを今でもかすかに思い出すことがあるんです。うっ、まずい、思い出がかさなっちゃったよ。私の意志に反して、口(mouth)が勝手にしゃべり始めます。



私: Hello Nenek, buah pisang ini berapa? (ねぇ、おばあちゃん、このバナナいくら?)

バ: (ちょっと考え、小さな声で) du、dua belas ringit ( ・・・デュ、デュバラスリンギ:12リンギ→380円)

私: (一瞬高いなと思ったけど)黙って10リンギ札1枚と5リンギ札1枚を手渡しました。(おつりをもらおうと思ったのです。)

バ: (しばし無言) ちょっともじもじした後、いったんは受け取った10リンギ札を私に黙って返してきました。

私: Oh, No. Berapa ini? (えっ、コレいくらなの?)

バ: (ますますか細い声で) Lima ringit (リマリンギ:5リンギ→155円)

これをじっと見ていた周りのローカル男たち: (おばあちゃんに何事か耳打ちします。)

バ: (泣きそうになりながら)首をヨコに振ってる。

私: (ハハーン、旅行者とみて吹っかけたんだね、だけど、やっぱりウソつけなかったんだ。それを見た、周りが、客が納得して金払うんだからもらっとけよって、多分こんな耳打ちしたんだろうと、咄嗟に理解しました。)

私: ちょっと考えて、右手の10リンギ札を再びおばあちゃんの手に戻しました。

バ: 半泣き状態のおばあちゃん、一瞬キョトンとし、今度はホントに顔くしゃにして泣いちゃいました。

周りのローカル男たち: 突然私を囲み、私の手をとって笑顔の握手、握手、握手攻めです。

私: 何故か分からないけど咄嗟に、Kami orang Jepun, datang dari Jepun terima kasih, terima kasih (オレたち日本人なんだ、日本から来たんだよ、ありがとう、ありがとう。)と口走ってしまいました。(お陰でおつりをもらいそこねましたけど)



なんちゅうか、元々人情話には弱いひねくれ団塊です。でも、こんな果てまでやってきて、心温まるちょっといい体験をさせてもらいました。さて、こんなほのぼ人情村のタンパルリを後にして、いよいよキナバルパークにやってきました。

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ここはキナバル山の登山口、ティンポホンゲート(Timpohon Gate)標高1866m地点です。

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やっぱりこうして見ていると、今にも登りたくなってきますね。登山口の1866mから頂上の4095mまで標高差2229m、これを1泊2日で登るのがスタンダードだそうです。

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でも、確かに標高差2229mは我が身にはきついかも知れないが、途中、小屋泊もするのだし、以前、スキーを履いたり担いだりして冬山を登っていたことを思えばできないことはないだろう、そう自分に言い聞かせ、よしいつかまたここに来ようと意を決しながら帰ってきました。

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それにしても、↑ここラナウ(Ranau)界隈はとても気持ちの良い高原地帯ですね。当日は曇ったり時々陽が射したりの天候でしたが、青空の時などはもっともっと素晴らしいのではないかと思います。

今度はラナウからサンダカンに通じる主要道から逸れ、ポーリン温泉(Poring Hot Spring)に向かいます。

ここはポーリン温泉近くのラフレシア(Rafflesia)が咲く場所(森の中)だそうです。幸運にもちょうど今咲いていると言うことで、その場所に案内してもらうことになりました。車道から森の中へは、ぬかるみがあって普通の車では無理だから、4WDに乗り換えてと言うので、乗り換えようとしたらなんとこんなちっちゃな軽トラです。これにみんな乗るのかよ。。

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↑この荷台のヨコ板、なんだと思いますか?これ椅子のつもりですよ。まっ、これも愛嬌と10人も軽トラの荷台に乗ったら↓こんな状態、しっかり摑まってないと凸凹の急坂で振り落とされそうになり、スリル満点、みんないい年してキャーキャー言いながらも結構楽しそうでした。

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ラフレシアはこっちです、の立て札。

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そしてこれがラフレシアです。でも巨大すぎるしその形も色も私としては余り好きじゃないです。どちらかと言うと不気味な花に見えるのですが、一生のうちたった3日しか咲かず、咲き終わったら瞬く間に土に還るのだと言うことを聞かされたらちょっとだけ興味が湧きました。

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ラフレシアを見学した後、この界隈の観光定番らしいキャノピーウォークウェイにトライすることになりました。

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コレ、いつかKLのFRIM(森林公園みたいなところ)とほぼ同じですね。

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でも、これは特に怖いなんてこともなし、凄いということもなし、まっ、タダなら来てもいいけど、金取るなら来なくても良かったかな程度でした。そしてその後、今日のツアーの最後、ポーリン温泉↓にやってきました。

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ここがどうやら湯元のようです。ゆでたまご禁止の立て札がありました。

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このポーリン温泉、実はボルネオ占領中の旧日本軍が発見したのだそうです。以来、地元の人たちにも愛され、今では立派な温泉観光地になったというわけです。

旧日本軍と聞いて、またまた、当時に遠く想いを馳せてしまいましたが、祖国のため、愛する家族のためと信じながら、否応なく南方戦地に渡ってきた先人たち、こんな異国の地で温泉に出会った時の感激はひとしおであったろうと思います。



1942-45年(昭和17-20年)の日本統治の間、ここボルネオ島にも軍人のみならず、あまたの民間人が海を越えて渡ってきました。

ラナウから先にサンダカンと言う、現在ではサバ州第2の商業都市(港町)があります。スールー海に面し、古くから隣国フィリピンやインドネシア諸島との海上交易が盛んな土地で今でも近くの島々からの密航者があとを絶たないと聞きました。

しかし島々の人たちにとってみれば国の境界線が引かれる以前から頻繁に往来していたこともあり、密航だとか不法移民だとかの意識はハナからないのです。それがボルネオ島マレーシアに多くのフィリピーノやフィリピーナが住み着き、コタキナバルでもフィリピーノマーケットが繁盛していると言う単純な理由なのだそうです。

ところで、サンダカンと言えば、山崎朋子さんのサンダカン八番娼館を思い出します。後に映画化もされた社会小説で若い頃に興味を持って読んだことを朧気に記憶しています。

九州天草の貧しさから逃れて海を渡ったからゆきさんを描き、日本女性の底辺史を暴いたとされるこの小説って、はていつの時代のことだったんだろうとちょっと調べてみたら、明治、大正、昭和初期の頃のことだったんですね。

と言うことは、当時のボルネオからみれば、もっと前の時代の戦前(太平洋戦争前)の話であったわけですが、日本統治下の当時においてはなおさらのこと日本人(軍人及び民間人)を相手とする娼館がたくさん存在し、からゆきさんのような女性たちで賑わっていたのだろうと思います。

当時の日本には公娼制度もありました。いや日本のみならず諸外国においてもありましたし、今もってそのような制度が存続している国もあると聞いています。そのため、当時は確かに公認ビジネスとしての芸娼業が存在していたのです。

そのため、出稼ぎ感覚で海を渡った女性たちが多くいたとしてもなんら不思議はありません。
しかし、日本各地から海を渡ったからゆきさん、そして日韓併合時代に朝鮮半島から渡った女性たち、これらの女性たちには、自ら望んで海を渡った人たちも少なくなかったと思いますし、貧困以外にも様々な事情があったに違いありません。

話が本題から逸れてしまい恐縮ですが、昨今お隣の韓国や中国の人たちから、当時の日本軍の「従軍慰安婦」のことで謂れなき非難の集中砲火を浴びていますが、極めて不愉快で激しい憤りさえ感じています。

先ずは「従軍慰安婦」などという制度が旧軍に存在した事実はまったくないのに、こんな造語が長年一人歩きして世界中に誤解をばら撒いていることはとんでもないし、強制連行とか強制性とか、事実とは異なる(と私が信じている)議論が堂々まかりとおっていることに、私は、いや私の周りの人たちも、普通の日本人たちはみな不快感や憤りを感じているのです。

中国もお隣の韓国も自国の内政その他の事情や背景があるのかも知れませんが、最も許されないと思うのは、それを主張して止まない日本人が多くいることです。政治家にも言論人にも教育家といわれる人たちの中にも多くいると言うことを私も知っています。

確かに後世に生きる人々は過去の史実を目の当たりにしていないので、過去に何があったのか、何が事実なのかは、人に教わり、そして自ら学ぶ以外に術はないのです。しかし、誰に何を教わり誰から何を学ぶかが大事です。正しくない歴史教育を受け、正しくない史料を学べば自ずと誤った歴史観を持つ人間になってしまいます。

今の世の中、情報資料が溢れ玉石混交していますので、どの情報資料や史料が正しくて、どの情報資料などが誤っているかを見極める必要があります。しかし、これを見極めることがとても困難な世の中になってきていることも確かです。見極めるには、それなりの見識が必要とも言えるでしょう。

とても困ったこと、と私が感じていることは、そのような見極めをあまりできない人たちが世代を超えて数多くおられる、と言うか、この方たちの割合の方が大多数なのだろうと言うことです。この方たちは、普段の新聞やテレビやラジオから一方的に流される偏った情報や誤った情報でさえも単純に信じてしまうかも知れないのです。最近ではインターネット上にも情報資料等が溢れていますが、玉石混交の情報資料等を正しく振り分けることができないならば状況は同じです。

いずれにしても、今、騒がれている慰安婦問題は、我が日本にとっては謂れなき非難であると、私は固く信じています。もちろん根拠は、誰に何を言われようが、私自身の歴史観です。

最近、国連の自由権規約委員会なるところから、慰安婦問題に関する日本政府の見解について、河野談話と現政府の主張の矛盾を指摘されているとの報道を目にしましたが、さもありなんと思いますね。

報道によれば、強制連行を示す資料が発見されてないにもかかわらず、河野談話で慰安婦募集の強制性を認めたことの矛盾を突かれたかたちだ、とありましたが、こんなこと、国連から突かれる以前に、我々普通の国民視点でもとっくに分かっているし、大体子供の教育にも良くない。普通一般の人はこのことで限りないフラストレーションを感じていますよ。

矛盾があるなら、堂々と訂正すれば良い、ただそれだけのこと、と私は思います。

ここボルネオ島の地に立って、サンダカンの娼館に思いを致す時、懸命に生きた往時の女性たちや、祖国のため、愛する家族のために命を掛けて闘った幾万もの将兵や新天地を切り開かんと海を渡ったあまたの民間人たち、これら先人たちの姿が見える思いです。

こんな先人たちの懸命の努力と犠牲があってこそ、現代日本の繁栄があり、わたしたちが今ここにいられる所以なのです。



今日は、ボルネオ島の最終旅行記でしたが、いつの間にかちょっと硬い話になってしまいました。書いたことは私の普段の何気のない思いですが、本ブログにおいてはこの件(歴史認識に関する件)についてどこの誰とも議論するつもりは毛頭ありません。したがって、この件への異論・反論のコメントなどは固くお断りさせていただきます。

それではまた、お会いしましょう。


今日は、ボルネオ島サバ州見聞記その2です。

今回のボルネオ旅行は、3泊4日のサバ州滞在でしたが、うち1日がキナバル山麓ツアー、そしてもう1日がサピ島に渡ってのシュノーケリングでした。

去年、ランカウイ島でのアイランドホッピングツアーの際は、白い砂浜とクリスタルクリアーな海を目の前にしながら、潜ることはおろか、水に浸ることもなく帰ってきた残念な思いがあったので、今回は、しっかり海水浴の準備を整えた上で、かなりテンション高くして島に渡ったわけです。

当日朝早く、ボート乗り場のジェッセルトンポイントに向かいます。(今回ツアーではドライバーつきのバンをレンタルして行動しました。旅行会社が販売するパッケージツアーに参加するよりも安上がりかなと賢く?算段したのです。)

ジェッセルトンポイント(フェリーターミナル)入り口です。聞けばこのジェッセルトンと言う名前は、現在のサバ州がまだイギリス領北ボルネオだった頃の首都名なのだそうですが、独立してマレーシアのサバ州となった時に今のコタキナバルに改名されたと言うことです。

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ジェッセルトンポイントの全体写真です。

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ジェッセルトンポイントチケットカウンターです。ここからは、連邦直轄領で免税品購入が魅力的なラブアン島やブルネイへのフェリーが発着する他、マヌカン島、サピ島、ガヤ島などのアイランドを巡る大小のボートが多く発着しています。

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早速サピ島往復のチケットを購入し、ボート乗り場に向かいます。

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ランカウイのボート乗り場を思い出しました。

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今日のボートはこれです。これも去年のランカウイとほぼ同じです。

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先ほど同じボート会社のチケットを購入した乗客全員(と言っても全部で14、5人程度ですが)が乗り終わると、なんの合図もなくボートは走り始めました。

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見る間に速度が上がり、舳先を宙に浮かせたまま、時々海面を激しく叩きながらひたすら走ります。

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20分ほどでサピ島に到着です。あれがサピ島か?なんだもっと大きな島かと思っていたら意外に可愛い小島でしたね。。

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これが小さな島の小さな桟橋です。

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小さな桟橋を渡りサピ島に上陸しました。↓これは島側から桟橋を撮った写真です。(向こう側に見えているのはガヤ島です。)

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桟橋の端にある田舎の駅の改札口みたいなところで、外国人用入島料を渋々支払い、無事に島内に入ったところです。すぐ目の前には、大きな島内案内板がありました。

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島内案内板を拡大してみました。フムフム、面積は25エーカーか、と言うことは、東京ドームが確か11エーカーのはずだから、なんだ東京ドーム2つちょっとか、全然広くない、て言うか想像したよりメッチャちっちゃな島ジャネ?

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白い砂浜の奥には大きな樹々の木陰にたくさんのテーブルや椅子が並べられ、その更に奥側には売店などもありました。

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そしてまだ朝が早いせいか、ビーチは人影もまばらで、水も一見綺麗そうだし、早速ゴーグルを装着し、とにかく海に入りました。もちろん、今日はビーチに着いて直ぐに入れるよう、ホテルを出るときから既に水着です。その辺は抜かりないしテンションも高いです、ハイ。

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えっ、↓コレはなんだって?えーっと、コレはですね、私の財布の中身です。全部並べて陰干しをしてるところなんです。

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え、意味わかんないですか?実はですね、テンション高くして慌てて水に入ったもんだから、ポケットに財布入れたまま、潜ってしまったんですよ。抜かりなく水着を着て来たまでは良かったんですけど、財布が水着のポケットに入っていることをすっかり忘れてました。

お陰で、札もカードもなにもかも濡れ濡れびっちょり。以前、父の日のプレゼントだからと娘に買ってもらったブランド物の皮の財布、とても気に入って大事にしてたのにかなり哀れな姿になってしまいました。

あーぁ、オレってなんでいつもこうなんだろう。いつもなにか忘れてくるし、忘れ物しないように気を張ってたらこの有り様だもんね。今回だって、自慢じゃないけどコレだけじゃないよ。メガネを失くしたと思って必死に探しても見つからないから半ば諦めかけてたら、なんとどこから出てきたと思う?酒のつまみにしようと思って買った「サキイカ」の袋から出てきたんだよ。

そうそう、そう言えば思い出したよ、大事なメガネを失くすといけないから、どこにしまうか考えて、大事な酒のつまみの袋に入れておけば絶対失くさない、その時はいい考えだとほくそ笑んでいたのに、そのことをすっかり忘れてしまって独り大騒ぎするていたらく。まったく年は取りたくないですよね。

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↑ちょっと人が多くなってきましたね。

↓ほら、見てみろよ、魚がいっぱい寄ってくるぞ。ウッハッハー。(どうでもいいけどこのオヤジもっとダイエットが必要だね。)

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実は、コレ密かにポテトチップを細かく砕いて、それを撒き餌にしてみたのです。
小さな魚たちが面白いほど寄ってきて、仲間数人で騒いでいたら、それを遠くで見ていたらしい監視員がやってきて、ポテトチップを没収されてしまいました。(餌やり禁止だそうです。もしそれを知らずにやったのなら素直に謝りましょう。)

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桟橋の近くの浅瀬ではスキューバダイビングの講習(練習)をやってました。

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でも、このサピ島のこのビーチ、誰かのクチコミほどきれいな海ではありませんね。シュノーケルで潜ってみても透明度が悪く水中視界は1m程度。がっかりでした。(人手のある観光ビーチはどこもこんなものかも知れませんね、本物のクリスタルクリアーな海はもっと離れ小島に行かないとダメかも。)

でもこのきれいな砂と一見透明なエメラルドブルーの海、南国の太陽が容赦なくジリジリと肌を焼くのですが、砂浜の大きな樹の下はとても快適。風も幾分出てきたしもっと涼んでいたかったのですが、お昼ごろにはかなり混んできましたので、早々とまたスピードボートに乗り込んで元来た道ならぬ海をジェッセルトンポイントに戻りました。

そしてその夜です。カルチュラルダンスショーつきのシーフードディナーにしようと皆で相談し、ここ「フローティングシーフードマーケットレストラン」にやって来ました。

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陽もとっぷり暮れて(KLより東にあるせいか日没も随分早い気がします。)、なかなかいいムードです。

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↓この看板にある「漁村」、Kampung Nelayan」、「Fisherman Village」はいずれも同じ意味でいわゆる漁村です。

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↓店内には大きな水槽(生簀)があり、魚やカニやエビ、そして貝類もたくさん入ってました。
そして、私の目に止まった水槽はコレ、見ると、私がいつもKepongの日曜魚市で買って捌いて刺身で食べてるスズキが泳いでいるではありませんか。おー、オマエたちこんなところに居たのかよーなんて、懐かしい気分になったりして、しばし眺めてしまいました。

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ここは大きな池の上に建てられた水上レストランです。見て下さい、こんなに広いんです。

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奥にはダンスステージがあります。

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ステージではボルネオ島の様々な民族舞踊が始まりました。

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いや、とても楽しいシーフードディナーでした。え?味はどうだったのかって?うーん、それなりでしたね。水槽から選んでも良かったのですが、面倒だからセットのお任せにしました。結果は可もなく不可もなくと言うところでしょうか。

ビルを見ると一人およそ40リンギ、ダンスショーつきだし、十分許せる範囲ですね。

実は、ボルネオ島のシーフード、私はとても期待していたのです。南シナ海やスールー海に囲まれたボルネオ島、さぞかし水産資源が豊富だろうし、ナマ魚(刺身)好きの私は特に、生マグロなども売ってるなんてクチコミを真に受けてそれはそれは楽しみにしていたのです。

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でも今回時間がなくて、↑上のようなマーケット(フリピーノマーケットなど)に行くことが出来ませんでした。

クチコミやweb上の写真を見ると、旨そうな焼き魚や焼きイカなどもたくさん売ってるし、干物もいっぱいある。もし新鮮なマグロを見つけたら、ホテルに持ち帰りナイフで切って刺身で食ってみようと、日本酒や、これは内緒ですがアウトドア用のツールも準備して行ったのに、肝心のマーケットに行けなかったとは、悔しいの一言です。

でも、このフィリピーノマーケット、なぜフィリピーノなのかは次回に書きたいと思いますが、返すがえすもマグロを食い損なったことが唯一の心残りです。よし、いつかまたここに来よう、I shall return hereなどとマッカーサーのようにつぶやきながら帰ってきましたとさ。

では、また。。

追伸:
こんなことは世の中のルールに逆らった自分の恥なので書くまいと思っていたのですが、気が変わりました。実は、アウトドア用のツールですけど、帰りの空港セキュリティチェックにひっかかり、かなり抵抗したのですが結局没収されてしまいました。

KLを出るときはOKだったのに手薄のハズのKKで引っかかるとは意外でした。
でも、確かに危険物の機内持ち込みルールに反することですもんね。昔、アメリカで40USドルも払って買った、私のお気に入りの道具の一つだったのに、今だにとても悔しい思いです。

なんでそんなもの持ち込んだんだよと、仲間にも問われましたが、本文でもちょっと書いたように、ボルネオで新鮮マグロに出会ったときのことを想像し、それを切り分ける道具が必要と考えたのです。(大体そんな発想そのものが普通じゃないと言われれば返す言葉もありません。)

しかも、今回はケチって荷物預けをしない、つまり機内持込み荷物だけにしたので、愛用の刺身包丁なんかはもちろんダメ。考えた挙句、そうだコレにしよう思ったのが山用のアウトドアツール、折りたたみの小型ツールです。もちろんペンチやドライバーや缶きり、栓抜きなどの他、切れ味抜群のナイフがついてます。コレ、折りたたむと長さ10cmほどの長方体と言うか四角柱になるんです。コレなら分からんだろう、と甘く考えてました。

行きのklia2は無事通過、帰りのkkも無事に通過するもんだと考えていたのが甘かったですね。
でも、そのためにだけ預け荷物の手続きするのが面倒だったことと、係りのお巡りさんの態度がとてもフレンドリーだったこともあって、「要らない」「捨ててもらっていい」と最後に言ってしまったのです。

だって、こんなの良く見つけたねと言うと、嬉しそうにいろいろ聞いてくる。挙句、こんなツールは便利でいいね、オレも欲しいな、みたいなことを何度も言うものだから、結局は、じゃいいよ、捨てても、なんてことを口走ってしまったと言う訳です。

お巡りさん:So sorry yah, but it's rule, so sorry yah・・・・(ニヤリとしながら)

ハハ、コレもひとつのボケかも知らん。以前のオレだったら、先ずはこんなに甘い見通し立てなかっただろうし、そして発覚しても何とか言い訳つけて逃れることもできただろうにと思うと、年は取りたくないと、またしても落ち込んでしまうひねくれ団塊なのでした。

それにしてもあのツール、ボルネオマグロの顔も見ずに、なんの役にも立たずにサバ州のお巡りさんのポッケに入ってしまったことを今頃どう思ってんだろう、なんてバカなことを考えているどこまでもバカなヤツの物語でした。

今朝未明、またとんでもない航空機墜落のニュースが飛び込んできました。

しかも、墜落したのはオランダのアムステルダムからKLに向かって飛行中のマレーシア航空機で、ウクライナ東部の紛争地域上空で地対空ミサイルにより撃墜された模様とのこと。

なんと言うことでしょう、マレーシア航空としては今年3月のMH370機に続き、2度目の悲劇です。
航空史上稀に見る大惨事がこんなに短期間に、しかも同じ航空会社で発生するとは、まさに前代未聞の驚天動地です。

今後、マレーシア航空はどうなるのか。当地の経済アナリストの中には「その理由や原因の如何を問わず、このような短期間に続けて2度もの悲劇的航空事件・事故に遭遇したマレーシア航空の各種の損失は計り知れず、今後1年も存続することは難しい」とかなり厳しい見方をしている人もいるようですが、その危機的状況は確かだろうと思います。

政治・経済がともに安定し、シンガポールと共に東南アジアの優等生と言われるマレーシア、2020年には世界の先進国入りを果たすとしているマレーシア、そのナショナルフラッグキャリアとして長年に渡り世界のトップブランドを誇ってきたマレーシア航空の今後は果たしてどうなるのでしょうか。。(私の今後の視点は「悲劇のマレーシア航空」でほぼ決まりそうです)

MH370の時もそうでしたが、今回のMH17も早速その悲劇の乗員乗客とその家族に祈りをささげるPRAYER BOARDが街中に現れた模様です。

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いずれにしても、関係各国による迅速かつ透明性のある原因調査がスムーズに行われ、二度とこのような悲劇が起こることのないような世界になって欲しいと祈るばかりです。



さて、今日の本題に移ります。

実は先日、ボルネオ島に小旅行に行ってきました。ご承知のとおりここマレーシアは、西に「半島マレーシア」が、東に「ボルネオ島マレーシア」があるのです。それを地図で見ると↓こうです。

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今回は、そのボルネオ島マレーシアのうちのサバ州に行きました。(上の地図の赤点線で囲ったところです)
ボルネオ島って、世界で3番目に大きな島で日本の倍ぐらいの面積なのだそうです。こんなこと、ずっと昔に中学の社会で習ったきりでそれっきりになってました。島はマレーシアとブルネイとインドネシアの領地に分割されています。

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今回初めて訪れたボルネオ島サバ州、実は同じマレーシア国内と言えども、今話題の南シナ海を挟んで1600km以上も離れています。

飛行機で約2時間半、サバ州の州都のコタキナバル、マレーシアではKLに次いで2番目に大きな街だよって誰かに聞きましたが、これウソですね。調べてみたら人口は50万程度で人口順位で言うと15番目でした。(Wikipedia)

さあ、着きました。ここがボルネオ島マレーシアの表玄関コタキナバル国際空港です。

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おーおー、ここがコタキナ国際空港かい。。当然、空港には目がないと言うか、空港大好き人間の私ですからこのKK(コタキナバルの略)空港にも興味津々です。

ん?でも、↓これが国際空港のターミナルかい?ちょっとショボクない?

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ターミナル内のレストランとかスーベニアショップとかもあんまり充実してないし、ひょっとして、これってLCCTか?

ピンポーン。。。そうなのです。これ、つまりターミナル2は、以前のメインターミナルを改築したLCCTだったのです。

このターミナル2は、ほぼエアアジア機専用(一部チャーター機なども使用)で、当然ボーディングブリッジなどもなく、乗客は歩いてターミナルビルに入ります。

とすると、KK国際空港のメインターミナルはどこ?
ハハ、やっぱりそうでした。3500mほどの長さの滑走路の反対側にありました。

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↓これです。これが何年か前に新築されたKK国際空港のメインターミナルです。

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エアアジアではなく、マレーシア航空とか普通の航空会社の飛行機で来ればこちらにつくということなのですね。

ハハ、とすると私はこれからもずっとLCCTですね。だってエアアジアってメチャ安いし、ホテルと込み込みでブッキングすると信じられないぐらいの低価格で来れるんですから。

ところで、このサバ州ですが、恥ずかしながら始めて知りました。マレーシア国内の移動でも空港のイミグレーションカウンターでパスポートコントロールを受けるんですね。

なぜ?って思い、ちょっと調べたら直ぐに分かりました。

このボルネオ島のサバ州とサラワク州は、かつて英領から独立した際、諸々の理由から両州には高度の自治権を永続的に認める旨の協定(Malaysia Agreement)が関係国間で締結され今に至っているのです。

なのでサバ州では20-point Agreementが、サラワク州では18-point Agreementが現在も有効であり、入出境管理もそのうちのひとつなのだそうです。

したがって、サバ州以外から州内に入る場合も出る場合も、パスポートにしっかりインとアウトのスタンプが押されます。

もっともこのパスポートスタンピングは我々外国人だけです。マレーシア人の場合は、MyKadと言う国民登録局発行のICカードを提示するだけで良いのですが、全ての移動情報が電子媒体に瞬時に記録されてしまうというのも、考えたらちょっと怖い感じがしますけどね。

これが、私のサバ州入出境パスポートスタンピングですが、実は今回、帰りのイミグレでちょっと可笑しなことがありました。

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帰りのイミグレ、つまりコタキナバルからクアラルンプールに帰る際のイミグレーション通過後の搭乗待合ホールでのことです。

何気に見た自分のパスポートにサバ州のアウトスタンプが見当たりません。え?と思い、念入りに見たのですが、どこを探してもやはり押されていないのです。(↑上のスタンピングは後で押してもらったものです)

ハテ?係官の押し忘れかな?でも、これってアウトスタンプがないと、今後になにか影響するかなーとか考えてみましたが、よく判りません。インのスタンプが押してあるのに、アウトがないと言うことはサバ州に入ってから出てないと言うことになるよなーとか、インのスタンプをよく見たら90日間の滞在許可になってるので、このままずっと出てないことになると許可外滞在、つまり不法滞在で逮捕なんてありえるかなー、なんて冗談っぽく考えてみましたが、いずれにしろすっきりしません。

なので、イミグレカウンターに戻り、係官に聞いてみることにしました。

以下は係官との1問1答です。(記憶のままです)

私:Excuse me sir, but how come no out stamp on my passport here? (すみません、パスポートにアウトのスタンプがないんですけど?)
係官:Let me have a look. (ちょっと見せてください)
私:Yes please. (はいどうぞ)
係官:Hmmm, ok, no problem. (うーん、ok、問題なし)
私:Why it's no problem? (なんで問題ないんですか?)
係官:Because you're going to KL, not outside Malaysia, you still inside of this country?
(なぜって、あなたはクアラルンプールに行くんでしょ、外国ではないでしょ、まだ国内にいるんでしょ?)
私:・・・・but your state of Saba doing passport control right? You stamped here when i came in.
(でも、このサバ州ってパスポートコントロールしてるんでししょ? 入る時はスタンプ押してくれたじゃないですか)
係官:So you want out stamp too? (それでどうしてもアウトのスタンプが欲しいってこと?)
私:Yes, please. (ええ、お願いします)
係官:OK, but It doesn't make much sense. (いいですよ、でもあんまり意味ないけどね)
私:???????

これってどういうことですかね。ただ単に係官がルーズだったってことかな? そして、自分のミスを照れ隠す意味であんないい加減なこと言ったのかな?でも最後の「押してもあんまり意味ない」ってどういうことなのか、今もって訳が分かりません。



さて、このサバ州ですが、実は私が未だに(登山の)望みを捨てていない東南アジア最高峰のキナバル山があるのです。

今日はちょっとだけ、そのキナバル山をご覧いただきたいと思います。

あいにくその日は快晴とまでは行かず、寧ろ分厚い雲がようやく取れてその山頂の一部が顔を出した程度だったのですが、キナバル山は私がマレーシア移住を決意した時からの憧れの山。それだけでも嬉しくて、あぁここまで来た甲斐があったととても満足しました。

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これ(↑&↓)は、コタキナ(コタキナバルの略)からキナバルパークに向かう途中のナバル村(標高800mほど)から見るキナバル山、標高4095mです。

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ここナバル村はコタキナから車で1時間半ぐらいで来れる小さな村です。眺めはいいし、空気もきれい。そしてローカルフルーツもとても美味しい。この日も、観光客や若い人たちで大賑わいでした。

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そんな中、ひときわ目立つオッサンがひとり。なにを隠そう、こいつがひねくれなんとかの正体なのです。

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恥ずかしくもなく日本一の富士山を背中にしょって、なんとキナバル山と勝負しようとでも言うのかいと、突っ込みを入れられると、返す言葉もなくシュンとしてしまう、口ほどにもないヤツなのです。

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キナバル山、晴れていればこんな風に見えるはずだったのです。

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ほら、分かるでしょう富士山や鳥海山のような円錐形じゃなく、台形状の山です。しかもこのようなロッキーマウンテン(北米のロッキーマウンテンではなくて岩山の意)です。

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いや、こうして見ていると年々足腰が弱りつつある身で果たして登れるかと不安になります。もっともっとジムで足腰を鍛えなくてはいけないなと思うだけのひねくれ団塊オヤジなのでした.。

今日は、サバ州聞きかじりと題し、コタキナ到着からキナバル山麓までを綴ってみました。ではまた。。


先日、たまの気晴らしも必要かと思いランカウイ島に小旅行に行って来ました。

今朝から、ブログのトップに掲げているこの写真は、滞在中にアイランドホッピングツアーで訪れたランカウイ群島の中の小島、べラスバサー島(Pulau Beras Basah)のビーチです。

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宣伝文句どおりのクリアーウォーターと白い砂浜でしたが、あいにくその日は朝から真っ黒な雲と時折強く降る雨。でも、ツアーの小舟でビーチに降り立った頃には雨もすっかり上がり、なんとか陽も射してきて、周りの客もみな大はしゃぎでした。

ところで、ランカウイ島って、事前にいろいろとその評判を聞いていたのですが、どちらかと言うとネガティブの評判の方が多かったような気がします。

でも、今回初めて行ってみた私の素直な感想はそうではありませんでした。もっともたった3日の滞在では何も分かるわけが無いだろうと言われればそのとおりなのですが、少なくとも私の眼に映る景色や街並みはほぼ期待どおり、いや期待以上のものでした。

滞在したホテルはランカウイ最大の町、クアタウンの中心に位置し、確かに食事やショッピングなどにも大変便利なところだったせいもあるのかも知れませんが、実は、最近の私のこの国の街並みなどを見る視点がちょっと変わってきていて、主眼がゴミなのです。

もう何度も書いていますが、この国やこの国の人たちに私が今最も望みたいことは、ゴミのポイ捨てはせずに決められた場所に捨てること、散乱しているゴミはみんなで協力して綺麗に片付けること、の二つです。

ゴミが道路脇の空き地や側溝に散乱し放題、誰も片付けようともしない、これじゃあいつまで経っても先進国入りなど無理というものです。

なんて言う意識がいつも私の心の中にあるものだから、何処に行っても先ずゴミはどこかと眼がゴミを追ってしまいます。今までKL周辺のあちらこちらに行きましたが、中心地や周辺地を問わず商店街にも住宅街にも、そして河川など行政の管理地にも夥しいゴミが散乱していて、臭いもひどくなる一方だし、よくこんな中で平気に暮らせるものだと呆れると同時に妙に感心したりしています。

ところがどっこい。ここランカウイ島にはゴミが落ちていない。Alamak!!(アラマッ!!:日本語と読みも意味も同じ)

ここ、KLより綺麗ジャン、いや、ゴミが全く落ちていないと言うことではなく、飽くまで数や量の問題ですけど、見た限りは、KLよりは遥かにゴミの散乱が少ない。

なぜだろうと考えてみました。確かにランカウイ島は国が全面的にバックアップしている特別観光地です。島内免税優遇措置などいわば経済特区のような扱いを受けている特別な観光地なので、島民の意識も高いのだろうか。しかし、KLだって押しも押されもせぬ国際的な観光地なのになぜなのだろうと疑問を感じます。

大変興味のある事柄なので、いずれローカルの方たちとも議論してみたいのですが、旅行の最終日に空港まで送ってもらったタクシーの運転手さん(ランカウイで生まれ育ったと言う方)に、実験的にこの問題を振ってみました。

そうしたところ、まったく興味がなさそうな受け答えでしたので、私はさもありなんとも思いましたが、この国のゴミ問題の行く末は果てしなく厳しいものがあると感じました。つまり島民の方の環境意識が高いわけではなく、国にバックアップされた行政側の潤沢な予算措置がなせる業なのだろうと思いました。(これは推測です。)

・・・・・いや、今日はこんなことを書くためにペンを取ったわけではないので話を元に戻します。

今日のテーマはアイランドホッピングツアーです。
私は今回のランカウイ小旅行を、いつものようにエアチケットもホテルもツアーもエクスペディアでブッキングしました。もちろん格安でのブッキングです。

いつかは贅沢三昧の大名旅行をしてみたいのですが、どうも生まれながらの貧乏性が災いするのか、Special DiscountとかSpecial Promotionなどの文字を見ると直ぐに飛びついてしまいます。

かくて今回も信じられないほどの安さで、エアアジアのチケットと朝食込みで必要かつ十分なホテルと、そしてこれは今回ツアーの目玉となるアイランドホッピングツアーをブッキングしました。

滞在したホテルは、料金を考えれば信じられないぐらいに、不可はありませんでした。大きな窓からのシービューにもコンプリメンタリー(無料)の朝食ブッフェにも満足しましたし、インターネットは速度にやや問題はあったものの、持参したノートPCでなんとかスリングボックス経由の日本のテレビ番組も見れました。


えーっと、ここでまたまた本題から外れるようですが、海外で日本のテレビを見るということについてちょっと一言言わせて下さい。

私は、以前も書きましたが、自宅では、日本の息子宅に設置したスリングボックスを経由して、日本のテレビ番組を見ています。

最近、この件について他の何人かの方から、スリングボックスよりもI-HomeTVって言うのが絶対便利だよ、MM2HのメンバーにもスリングボックスからI-HomeTVに変えたって人がいっぱいいるよって聞きました。

なので、このI-HomeTVなるものが、スリングボックスと比較した場合の優劣はどうかなど、詳しく調べてみましたので、その概要を説明させて下さい。

確かに、自宅に設置するセットテレビボックス(STB)と言う機器を経由して、I-HomeTVは自宅の大画面テレビに直接日本のテレビ番組を映し出すことができ、専用のリモコンにてチャネルの操作なども簡単にできて超便利なことは間違いなさそうです。しかも、なんと映画などの有料番組も見れると言うのだから当地在住日本人に人気があるのも頷けます。

実は、私も以前から同様の仕組みの番組提供サイトやその運営会社が、中国などに多数実在することを知っていました。が、しかし、今年に入って例のまねきテレビ訟争事案が最高裁で結審し、原告側の逆転勝訴となりました。つまり、まねきテレビ方式(i-homeなども基本的な仕組みはこのP2P方式と思われます)は違法であると司法判断された訳です。

しかし、もちろんこれは国内法の話ですので中国などの日本国外には適用されないのでしょう。
(I-HomeTVのホームページによると、その運営主体は中国上海市にある会社のようです。)
そういう面では特に違法性云々を、マレーシアで見ている限りは心配する必要もなさそうです。もっとも、日本国内法に抵触するやり方でそのサービスを得るのは妾腹できないと仰る方もおられるでしょうが、でもそれは個人個人の判断ですから自由で良いと思います。

番組の録画再生については、72時間前までのものならサーバー側で自動的に全番組を録画しておいたものを、自由に再生できると言うことです。ただここは、自分の意のままに録画・保存・再生ができるスリングボックスに優位性があると私は思います。

次に肝心の画質のことですが、私はI-HomeTVの実際画面をまだ見ていませんので、評価はできません。ただ使用している方のお話ではほとんど問題がないとのことです。

スリングボックスの方は、私はほぼ毎日見ているわけですので、しっかり評価できますが、15~21インチ程度のPC画面ではまるでHD画質のようです。そして我が家の47インチ大画面テレビの画面上も、ノートPCからのHDMI出力の場合は日本で見ていたデジタル画質とほとんど遜色ありません。

となると画質は優劣なしということでしょうか。

しかし、スリングボックスの場合、遠く日本に設置したスリングボックス本体やレコーダーがフリーズしたりする場合に、その復元操作が出来る態勢でなければならないと言うところが絶対必要条件です。

私の場合、スリングボックスを使い始めてそろそろ1年ですが、ほとんど毎日使っていて今まで5回程度(1年でたった5回程度と言うのは意外でした。とても安定していると思います。)フリーズがありました。その場合は日本の息子か嫁に電話して復元操作を頼むのですが、一度だけどちらにも連絡が取れずに半日位待たされました。でも残りはほとんど即時復旧でした。

その点、I-HomeTVは運営会社側で24時間体制をとっているとのことですから、これは確かに強みでしょう。

とまぁ、いろいろ調べてみるとどちらにも一長一短があるようですが、それでも、私はやっぱり最後には費用対効果を考えてしまいます。

聞いたところによると、当地マレーシアでI-HomeTVのサービスを受ける場合、初期費用(初年経費)にRM2000、翌年以降はRM800/年とのことです。一方、スリングボックスの場合は、初期費用としてスリングボックス本体が17000円程度、それにこれ用のDVDレコーダーが3~50000円程度、計5~70000円程度必要ですが、その後の費用は一切不要です。

これを元に仮に5年間の総費用を比べてみると、これは計算するまでもなく明らかにスリングボックスの勝ちです。

私は、今のままのスリングボックスで何も不自由を感じていませんし、寧ろ、今となっては維持経費が一切かからないことや今回のランカウイ旅行のように地球上の何処に移動しようとも、インターネットに接続するだけでリアルタイムの日本のテレビ番組はもちろん、自分が録りためたお気に入りの映画なども自由に見れるということで、何ものにも替え難い便利なものだと感じています。

スリングボックスとI-HomeTVの件は以上です。長々と横道にそれましたがここでマジに閑話休題とします。


さて、格安のアイランドホッピングツアーですが、担当の旅行会社の担当者からの事前連絡は懇切丁寧なものでした。

ホテルにチェックインした際、ホテルの受付カウンターで旅行会社からのメッセージ入り封筒を手渡されましたが、当日のピックアップ場所・時間、それに持ち物や注意事項などが丁寧に書いてありました。

いやいや、なんて丁寧な会社だろうと思っていたら、今度は夜10時頃にホテルの部屋に担当者からの電話があり、メッセージを読んだかどうかの確認でした。まるで日本の旅行会社のようだとつくづく感心してしまいました。

そして翌日です。しかし残念なことに窓から海側を眺めると真っ黒な雲が垂れ込め、雨がかなり強く降っています。Alamak!!こんな強い降りで今日のホッピングツアーは大丈夫なのだろうかと一抹の不安も感じました。

でも次第に雨も上がり、ツアーのお迎え車に乗って船着場に着いた頃には雨はほとんど上がっていました。

今日のホッピングツアーの出発点となる観光船等の船着場です。海はまだ随分靄っています。

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そして、案内に従いいよいよ乗船です。どれが船かなぁ、こっちの大きい船かなぁなどと皆興味津々、でも私はこのツアーの格安料金を知っているだけに、左の船ではあり得ない、もっとちっちゃな船だろうと思ってました。

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そして、案内されたのがこれです。。おぉぉぉ、なんとちっちゃな舟でしょう。船ではなく舟です。
本日のツアー参加者は、大人が8人に1歳半の幼児が一人。皆、不安を顔に出しながらこの舟に乗り込みました。

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さあ、いよいよ出発です。と思った途端、エンジン全開、なんと猛スピードで舟は走り出します。見ると、1歳半のベイビーは早や泣きベソかいてます。そりゃそうでしょう、この舟、よくみたら木製だしとても高速ボートのようではないし、いくらヤマハの高性能船外機をつけているからってこのスピードはあり得ないでしょう。

その様子を動画に撮っていますのでまぁ話の種にご欄になって下さい。



ところで、気がつけば、ここまで既に随分長く書いてしまっていました。それも本題とはほど遠い横道にそれたお陰ですけど、読み手の方のうんざり顔が見えるようですので、これから先は文字はあまり書かずに行こうと思います。

舟は猛スピードのまま4、50分も走り続け、やがて今日の主目的地であるべラスバサー島に到着です。

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青く澄んだ海と白い砂浜が目の前に出現しました。陽も射してきました。これぞランカウイです。

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既に前に到着したらしいファミリーが水遊びをしています。

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曰く、クリスタルクリアーなシーウォーターです。

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振り返れば、絵葉書でよく見る島の船着場と桟橋です。

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そして目の前にはこんなに素敵なビーチです。

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どれも絵葉書にしたいほどの美しい景観です。ただし、空がもっと青ければの話ですが。。。

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椰子の樹と桟橋ののコラボです。

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これは同じツアーの参加者のヤングパパと例の1歳半のベィビーです。なんともキュートなベィビーです。写真撮影をお願いしたところ、マレー系のヤングパパ、嬉しそうにポーズをとってくれました。

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こっちは、頼みもしないのに勝手にポーズを決めるモンキーです。この島は無人島なのですが、お猿さんは数え切れないほど住んでいるそうです。

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そんなビーチの様子を動画に撮りました。ぜひご覧下さい。



さて時間です。次のアイランドにホッピングする時間です。
せめて右側のボートなら良かったのに。。えっ、よく見たら左の舟も違います。私たちの乗る舟はもっとぼろっちい木舟でした。

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島の船着場や桟橋周辺の様子と、そんなぼろっちい木舟で次のアイランドに高速移動する様を是非ご体感下さい。



着きました。ここがダヤンブンティン島(Pulau Dayang Bunting)です。
最初に訪れたべラスバサー島とは比較にならないほどに大きく(ランカウイ群島では2番目に大きな島だそうです)、かつ伝説の島なのだそうです。

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船着場から10分ほど歩いたところに、なんとフレッシュウォーターレーク(淡水湖)がありました。

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名前をTasik Dayang Bunting、英語で言うとLake of Pregnant Maiden、つまり妊娠した未婚女性と言う名の湖です。なんと曰くあり気な名前でしょうか。あとでこの名前にまつわる伝説を紐解いてみようと思います。

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ここでは湖に入って泳いでも良いと言うので、私も水に入って潜ってみました。でも、透明度がいまいちで湖底もなにも見えませんでした。

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このTasik Dayang Bunting、動画に撮ってみましたのでご覧下さい。



帰りがけに立ち寄った洞窟らしきところ。おぉ、これはマレー版の青の洞窟かと思いきや、たいしたことはありませんでした。

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鍾乳洞ならぬ鍾乳窟のようでしたが浅くてつまらなかったです。

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そして、これはすべてのアイランドホッピングを終えて無事にクアタウンの船着場に戻る途中なのですが、空を見上げると、朝のあの空がウソのように、強い日差しが照っています。

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以上、今回のアイランドツアーを振り返ってみると、特記すべきこともありませんでしたが、Special Discount Tourにしては珍しくこれと言った不具合や不可もありませんでした。寧ろ、アレだけの格安費用にてこれだけ楽しめたのだから十分ヨシとしましょう、と言うことです。えっ?費用はいくらだったのかって?それだけは勘弁して下さい。これはトップシークレットです。。

それではまた、、、