2012.09.10 閑話休題
閑話休題と書いて、はて?と思い直した。
確か、この4文字熟語の意味は、余談であるが・・・ではなく、
話を本題に戻そう・・・ではなかったか?

つい、余談であるが・・の使い方をして、かつてどなたかにその誤用を
指摘されたことを思いだした。

そうそう、そうだった、自分が気がつかないうちに、本来の意味とは
異なる使い方をして悦に入っていたのだからまことに恥ずかしい。

しかし、思えばこれと似たような事柄が他にもあるような気がする。
人間、60年以上も生きていると実に多種多様で難解複雑な知識が
脈絡なく詰まってきて、その知識の正しい引用も覚束ないなんて、
なんとも情けない話だが、今後はそうも言っていられないぞと、
これから始まる未知へのチャレンジを想い、気持ちを新たにした。

「閑話休題」、いやこれはこのままにしておこう。
今日は、余談ではなく、自分の気持ちの整理のためにも、
なぜこの年で未知へのチャレンジなのかを自問自答してみたい。

ところで昨日、自宅の不要品を第2回目のフリマ出品で処分した。
6月の初めてのフリマ出品の際と同じく、今回もいろいろな方に
フリマ出品の理由などを問われ、海外移住のためと答えると、
人は決まって、その年でなぜそんなことを?と私に問うた。

既にほとんど空でも言えるほどに答え慣れした話題ではあるが、
話しているうち、本当にそうか?最後の人生計画のミスリードでは
ないのか?と不安も過ぎった。

振り返れば、もう65年も生きてきた。
少年時代、この辺りの山川で遊び、高校生ともなると無我夢中で
部活に勉強に汗した。そして始めての大都会で過ごした学生生活、
背伸びしてそして挫折もした。社会人となって、全国を巡るうち、
愛する家族ができ、その家族のためにと精一杯生きてきた。

あっと言う間に過ぎ去ったこの年月、気がつけばまもなく65にもなる。
65歳といえば立派な年寄りだ、昔ならば余生を静かに過ごすだけの
目立たない存在だった、いやそうあるべきだった。

だが、自分がこの年になってみて、「余生を静かに過ごす」ことへの
抵抗感が日増しに大きくなり、ついには海外移住を決心するに至った。

周りには、そんな面倒なことをなぜ?とあからさまに批判する向きも
少なくない。それはそうだ、ここまで頑張ったのだから、残りの人生は
静かにのんびり行こうよ、と考える方が真っ当なのであろう。

だが、私は違う。価値観の相違と断じてしまえばそれまでだが、
当ブログを「ひねくれ団塊世代の・・・」と題した理由はここにある。
昔から、世間相場というか平均的というか、世の常のことに背を向ける
きらいがあって、よく言えば信念がある、悪く言えばひねくれ者なのだ。

この年になると先が見えてくる。人生における先のことだ。
あと何年生きていられるかと言うことだ。まあ、20年か、あるいは
もっと短いのかも知れない。昔の同僚に、桜の季節になると、決まって、
あと何回この桜が見れるのだろうなどと年寄りじみたことを口にする
ものがいた。そのときは、そんなこと考えるヒマがあったら仕事しろと、
一喝したものだったが、今、私自身がそのことを考えるようになった。

残り少なくなった私の人生、じっと座して時の過ぎるのを待ちたくない。
それよりは、未知へのチャレンジだ。若い頃から漠然と想っていたこと。
異文化に溶け込んでみたいという得体の知れない茫漠とした気持ち。

それで、良い、満足な結果が得られるかは分からない。
だけど、敢えて未知の世界に挑戦すること、そのものに魅力がある。

雪山でもそうだ。敢えて厳しい世界に飛び込んで、自分ひとりの世界で
心身の限界に挑戦してみる、その過程にたまらなく魅力がある。
もちろんリスクはある、一歩間違えばという危険は山ほどある。
だが、周到綿密な計画と行動力でそれが達成できたとき、震えるほどの
満足感で満たされる。あの感激、あの充実感、それを残りの人生でも
味わいたい。

いろいろ沈思黙考した挙句、MM2Hに辿りついた。
それも個人申請でなければならない。私の場合、異文化に溶け込む、
そのこと以外にそれに至る過程のすべてが必要なチャレンジなのだ。

中には、個人申請より代理店申請の方がいい。費用はかかるが
無駄に時間を使わないし安心確実だと、ブログに書いてる方もいる。
だが、私の場合は、ちょっと違う。難儀なことにチャレンジして
生き甲斐を感じると言うのだから相当のひねくれ者なのかも知れない。

聞くところによると、マレーシアは日本と年令構成が異なり、
街には年寄りはあまり居ないのだそうだ。
60歳以上は医療保険に加入できないということが、日本のような
老齢社会ではないことの証左であろう。
となると、我々シニアにとって住みよい国なのかどうかも判らない。
しかし、既に彼の地で余生を過ごしておられる大勢の日本人シニア
がいらっしゃるのだから、さほど心配することはないのかも知れない。

ただ、心配というか気がかりなのは、my better halfのことだ。
長年このひねくれ者に付き合って生きてきた。私自身は、今回のこの
マレーシア移住が、例え失敗に終わろうとも一切の悔いはない。
しかし彼女にとってみれば、今回の私のこの決心は、大いにはた迷惑
であるのかも知れない。過去もそうだったように、今回も最初は抵抗
していたが結局説得に応じて大人しくなった。

反対しても無駄と言うことが身にしみているのだろう。
しかしそれだけ私には責任があるということだ。

無理やり連れて行ったはいいが、私が突然ポックリ逝ったなんて
ことになったらお手上げだ。もちろん、そんなことにならないように
健康管理などには留意するが、万が一そうなった場合に備えて、
エマージェンシー対応マニュアルを早晩準備しておこうと考えている。
これも必要なリスクマネージメントだと思う。

いずれにしても、この4月に始めたMM2H個人申請もほぼ先が見えてきた。
いろいろ準備して来週にはマレーシアに飛ぶ。

銀行口座開設と海外送金、健康診断やセキュリティボンドの準備など、
ビザ取得のために現地でやるべきことはしっかりと頭に置いた。
現地からその詳細を本ブログにて発信する予定でいるが、おそらく
計画通りにことを運べると思う。

しかし問題はその後だ。
現在、KLでのコンド探しのために現地不動産エージェントと
メールでやり取りしているが、物件は実際に見るまで全く分からない。
果たして、納得できる物件にめぐり会えるか不安がある。

さらに、納得のいく物件が見つかったとして、その契約はどうなる、
持ち込み家財などの調整はどうする、帰国して、さあ、海外引越し
の準備だ。自宅はどうする、車はどうする、お墓はどうする、などなど、
まだまだ異文化生活を軌道に載せるまでには気が遠くなるほどの難儀が
数多く待ち受けている。

しかし、これもチャレンジ、私にとってはすべてがチャレンジなのだ。
傍から見て、難儀と思われることこれらのこと全てが
私にとっての生き甲斐に繋がるチャレンジなのだから・・・・・
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アフターリタイアメントをマレーシアで過すと
決意した理由のひとつに言葉のことがある。

マレーシアでは英語が通じる。そう、世界共通語の英語が通じるのだ。
かつてアジア各国に旅行した際、英語の通じる国が意外に少ないのに驚いた。
もちろん、わが日本国はその最たるところだが、韓国でも中国(香港除く)でも
タイでも、庶民レベルでは英語はほとんど通じなかった。

しかしシンガポールやマレーシアは違う。
もともとが英国の植民地であり今現在も英連邦の一員なのだから
当然と言えば当然なのだろうが、言葉が通じることはやはり安心だ。

しかし公用語はマレー語だから、街中の看板も道路標識もほとんどが
マレー語表記なのだ。もちろん多民族国家なので中国語表記なども多い。
まあ、このあたりの詳細は、実際に馬国に暮らしてみてから、
いろいろ綴ることにするが、となると英語だけではなくマレー語も使いたい、
いや使えるようになりたい。

そうすれば、現地の人たちとのコミュニケーションも容易であろうし、
異文化に溶け込み異文化を食らう、という私の夢も現実のものになる。
やはりマレー語は必須なのだ。

そう考えて、英語のブラッシュアップと平行して、
マレー語の基礎でも勉強しようと、ネットで探したが、これがなかなか
適当なところが見つからない。
ひとつふたつ、Apa Khabarの動画サイトやマレーナンバーの勉強サイトを
みつけ、ようやくよちよち歩きのマレー語レッスンを開始したが、
今後約半年でどれだけの片言が身につくか?

でもこれ予習だから、本番は向こうで教室に通えばいい。
英語とマレー語の教室通い。英語は限りなくネイティブに近づきたいし、
マレー語はまあ日常生活に不自由しない程度でいい。

と、思い描くのは簡単だが、言うは易し行うは難し、だろう。
だからチャレンジなのだ、この年でなにを今さらと、周りの人は皆が言う。
しかしもう一歩は踏み出した。後戻りはしない。
少しずつ少しずつ高度を上げ、いつかは山上に立つ、そしてその全過程を
ブログに綴る。可愛い孫たちにじぃじの生き様を遺すためにも。

だけど、いじらしいのは My Betterhalf のことだ。
英語も話せず健康にも自信がない。不安で不安でたまらないはずだ。
しかし今までも一途で強引なこの私に、特に反対するでなくついてきた。
だが今回は今まで以上に不安が顔に出ている。
おのれの夢の実現のためとは言え、果たしてこれで良いのだろうかと、
自問自答せざるを得ない。

否。不幸にはしない。BetterhalfをBetterhalfとしていつまでも守る。
これも私の生涯のチャレンジなのだ。

一昨日の胎蔵の路すがら、瞑想の中で新たな思いを胸に刻んだ。