有難いことに、こんなブログでもご愛読下さる方が少なからずおられて、時々叱咤激励を受けます。今回のこのボルネオ高原歩き旅にも何人かの方から叱咤激励のコメントを頂戴しました。と言うか、ほとんどはもっと早く続きを読ませろと言う催促のコメントなのですが、すみません、これが私の限界なんです。

特に今回は、ブログを書くことよりももっと切迫した"かくこと"があり、思うように進みませんでした。実はここで暴露しちゃいますが、今回の旅で私は生まれて初めて、死ぬほど痒いダニ被害に遭ったのです。しかもこのことに気が付いたのは、旅の途中ではなくて手足に小さくて赤い、並びが特徴的な発疹が出て一斉に痒くなり始めた、旅終了後の四日目の朝のことです。

私にとって、こんなことは生まれて初めてです。アレルギー体質でもなく、山の強烈なウルシに触ってもちっともかぶれない鉄面皮のような皮膚なのに、いったいこれはどうしたことだろうと不思議でした。でも、ネットで調べていくうち、これはダニに噛まれた症状に違いないと確信したのです。

ダニ?いつ、どこで?と考えれば、思い当たる節が今回はいくつもあります。あまり清潔とは言えない宿のベッドで、しかも着替えもろくにせずに汚れたまま濡れたままで、湿った毛布にくるまって寝ていたのだから、さもありなんです。しかし、なんで今頃?と不思議でしたけど、これもネット情報で、ダニ被害には発症まで数日の潜伏期間があると知りました。

さらに悩んだことは、発疹が毎日増えること。昨晩なかった箇所に朝見ると新たな発疹が産まれているのです。これってどういうこと?これも潜伏期間ってことか、それとも、オレがダニを連れて帰ったってことなのか?しかし、ジャングルのヒルに噛まれず安宿のダニに噛まれたなんて洒落にもなりませんよね。

私は、家では現在二つの部屋のそれぞれのベッドを気ままに使用しています。一つは書斎のシングルベッド、これは仮眠用です。そしてもう一つは私の寝室のベッドです。慌てて、この二つのベッドを拡大鏡を使って仔細に点検しましたが、もちろん私にはなんの異常も見えません。

しかし目には見えなくても、シーツも、マットレスカバーも、なにもかも全部剥がして洗うしかない。そう判断した私は、嫌がるmy better halfに平にお願いをして、ダニが潜む可能性のあるペッディングのすべてを洗濯機で洗い、乾燥機の熱風で見えないダニをようやく駆除した、、、つもりでした。ところが、その翌朝にも新たな発疹が増えていて、えっ?これはどういうことだ、と真剣に悩みました。

一度セッティングしたペッディングをまたしても引っ剥がして、my better halfに文句言われつつも再洗い、さらに今度はマットレスまで疑ってかかり、掃除機を念入りにかけたり叩いたり、いや、それはそれは大変でした。

そんなことで、ブログを書くことよりも、ダニに噛まれた手足の発疹を、一日中必死に掻いていたので、とてもブログどころではなかったのです。お陰で私の手足は見る間にダイオキシンの毒素にやられた妖怪爺のような手足になってしまい、これにもずいぶん悩みました。

日本のキンカンや通常の痒み止めクリームではまったく治まらないこの異常な痒みのため、近傍のいくつもの薬局を廻り、即効性があって強力なステロイド系の痒み止めと、いくつものダニ駆除のスプレイなどを買い求めてはせっせと塗りたくったり、ペッディングにスプレイしたりしてました。

旅から帰って既に一か月が経ち、今ではさすがに痒みこそ治まりましたが、手足の発疹の痕は未だに残っていて、5月10日から予定している日本一時帰国の際に、この醜い手足では可愛い孫たちに嫌われてしまうのではないかと気に病んでいます。



さて本題です。DAY5の夜、土砂降りの雨の中、宿のご主人とおかみさんに連れられて行った先の、古くて大きな高床式の家の内部は↓こんな風でした。裸電球の灯る広間の板壁には、イタチなどの動物の毛皮が飾られていたりして、かなり野性的と言うか、なにかとても昔懐かしい雰囲気です。そう言えば、私が子供のころの昔の日本の田舎にもありましたよね、こんな家。

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そして、その広間では、なにやら大きなテーブルの周りで大勢の村人たちが、がやがやと賑やかに食べ物を準備したり取り分けたりしているようです。

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私たちも、宿のおかみさんや他の村人たちにどうぞどうぞと促されましたが、考えてみれば先ほど夕飯を食べたばかりでお腹はちっとも減っていません。

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しかし私は結局こんなに盛ってしまう羽目になりました。だって、パーティだって言うからほんのちょっとは、例の濁酒(どぶろく)期待してたのに、そんなのなんにもないんだもんな。。こりゃ食う以外ないですよ。。

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ピーターもシーシーも、ほらこんなん、しゃっちょこばってさ、、あれ、宿のご主人もさっき夕飯しっかり食べてたのに、またもやしっかり食べてますね。

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しかし、これって、一体何のパーティなんでしょうか。それに人口100人の山奥の村にしちゃぁ、やけに婦女子が多くないか? ほら、ほら、さっそくシーシーちゃんのお出ましでっせ。。(笑)

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かく言う私は宿屋のおかみさんとのツーショットですワ。それにしてもこのおかみさん、ジャングル奥地の部落にしては、大玉のネックレスなどして、ちとオサレ過ぎてませんかな。。

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そのおかみさんに聞きました、これなんのイベントなんですか?って。そしたら、小声で、この家の長老が他界したので、そのお葬式に続く弔い行事なんですよって。。

弔い行事は1週間も続き、前半はしんみりと、そして後半は賑やかにやるのだそう。特に今日は行事の最終日で、明日は都会(ミリ)に住む若い人たちが帰る日なので、そのお別れ会とそれと誰かの誕生日のお祝い会も兼ねているらしいですよ、って教えてくれた。

なるほどね、妙に田舎っぽくない婦女子が多いな、と思ってたんですけど、あの人たちはみなさん、町から来られた方たちですか。。えっ、でも赤ちゃんや小さな子供さんもいるけど、まさか、あのジャングルを何時間もかけて歩いて来られたんじゃないですよね。え?みなさん、往復ともジャングルリバーボートですか?な、なるほどねぇ、それなら納得ですワ。。

さて、広間の奥側は、ほら↓こんな風になってまして、よく見るとその両側には、ベニヤ板で間仕切りされた小部屋がいくつかあって、時々子供が出入りしてるし、中には家財道具があるような。。

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ふーん、、この家って大家族なんだ、、って呟いたら、隣にいた宿屋のおかみさんが、この村では全員が親戚だから、村全体が大家族のようなもんですよ、と、またまた教えてくれた。なあるほど、みんな親戚なんだ、、、なるほどねぇ。。

お、ガイドのジョンソンが私を手招きして、ついて来てと言ってる。ジョンソンについて中2階のような場所に下りると、そこはこれも昔にタイムスリップしたかのようなワイルドなキッチンだった。ほら、これ見て見て、とジョンソンが面白そうに指さすバケツを覗いて見ると、なんとそこには大小様々、色とりどりのカエルがうじゃうじゃと生きたまま入ってる。

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そのカエルを一人の若者↑が一匹一匹、見事な手さばきで、素早く皮を剥ぎ内臓を取り出して料理の下拵えしてる。それは私の魚裁きなどより余程見事な腕前なのだが、見てるとなにか生きたカエルが可哀そう過ぎるし、次第に気持ち悪くなってきた。ジョンソンがほらカメラカメラと急かすから、一応カメラに収めはしたが、後でチェックしたらあまりにも残酷すぎて消去した。

その話を後でピーターにしたら、なんだ、イケサンらしくないな。イケサンは生きた魚を裁いて活け造りにするって言ってたじゃないか、知ってるか?世界で一番残酷なのは日本人なんだぜ。。

お、おい、そりゃあないだろう。。魚とカエルは違うよ。だってカエルは四つ足だぞ。可哀そうじゃないかって反論したけど、でもこれ、あまり説得力ないかも。

そう言うわけで、写真や動画はないのだが、オイラの脳内メモリーにはくっきりと残ってる。ああ、可哀そう、残酷すぎるよ、あのカエル君たち。。でもあれ、ここの人たちどうやって食うんだろう。。まさか生じゃないよね。あ、そっか、ここの人たちって昔の首狩り族の末裔だもんな、だったらカエルの生ぐらいなんともないか。。オレも後学のため食ってみれば良かったかなぁ・・・なんて今頃強がり言ってるヤワな私です。

お?これ↓ワラビじゃないの?とジョンソンに尋ねたら、ミディン、ミディンと言う。Midin?お、そうかと咄嗟にスマホの辞書引いたら確かにワラビだわこれ。。へぇ、ワラビってどこにもあるんだ、とまたひとつ利口になりましたね。

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かくしてジャングル奥地の小さな村の、長老の弔い行事最後の夜は、弔いどころかワイワイガヤガヤ食べ飲み笑い、いつまでも終わりそうにもないのです。なので、そろそろお先に失礼しようと声掛け合って外に出たが、外は相変わらずの激しい雨。おいおい、これじゃあ明日の朝まで止まないかもとの我々の不安をよそに、DAY5の長い夜は次第に更けゆくのでありました。



DAY6

一夜明けてDAY6、今朝方まで激しく降り続いていた雨はどうやら止んだようなのだが・・

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まだ、周囲の山には雨雲がかかり、安心できる状況ではなさそうだ。

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予定では、今日は早めに朝食を済ませてもうとっくに出発していなければならないのだが、この状況で皆の腰は限りなく重い。

ガイドのジョンソン曰く、この分だと夕べからの雨で増水したジャングルリバーはきっと越えられないだろう。川の傍まで行っても良いが、恐らく引き返すことになる。さて、どうしたものか。。。

と、ここで我らのピーター隊長、オレ、水泳パンツ持ってきたけど、みんなは持ってるか?と意外な発言。

え、水泳パンツって?ジャングルリバーを泳いで渡るっつうの?んじゃ、ザックとか荷物はどうすんの?

うーん、荷物は筏でも作って渡すかって?

えーっ、そんなことできるのか?

などと、ひねくれオヤジどもが次元を超えた驚きの相談をし始めたのだが、さすがにこれはジョンソンに制止された。

そんな泳いで渡るよう川じゃない。普段は膝までぐらいの浅瀬もあって、歩いて渡れるのだが、雨で増水したら恐ろしい濁流となり、川幅も深さも測れないし、それに流れが速くてとても危険だ。無茶したら命に係わるぞって。。

分かった。なら、もうちょっと様子をみることにしよう。。

え、そんな無理だよ。夕方までに山を越え川を何本もクロスして20kmも先のジャングル避難小屋に辿り着かなきゃいけないんだぜ。今、もう10時過ぎだぜ、絶対無理、絶対無理。。

良し分かった、ここはガイドの判断に任せようぜ。ねぇ、ジョンソン、はっきり言ってどうなの?とりあえず川傍まで行って様子見る価値ありか?

ガイドのジョンソン、ちょっと沈黙した後・・・・この分だと行っても無駄だな。止むを得ん。、ここからバリオに引き返そう。。

お、おぉぉぉぉ、なんたるちあ、さんたるちあ。。今日が本番のチャレンジだと言うに、ここから引き返す、だと???

そんなことを話しているうちにまた雨が降ってきた。やっぱり中止は正解なのだろう。皆そう感じたのだが表情は暗い。そりゃそうだ。今日からがホンモノのジャングル踏破だったんだぜ。昨日まではいわばその前哨戦だ。本番を諦めて引き返すなんて、悔しくて、腹立たしくて、残念で堪らない。でも大自然なんてこんなものだろう。悠久の大自然に比べれば人間の存在なんて無に等しいのだよ。

負け惜しみじゃない。これは負け惜しみじゃないぞ、と皆が自分に言い聞かせた。

結局、明日朝までここで天候の回復を待ち、同じ道を引き返すことにした。分かった。今日一日ここで過ごそう。そう結論付けたら急に身体がだるくなってきた。喉がひりひりするし咳も酷い。これは風邪の症状かな、と思った。なので皆に断って、自室のベッドでしばらく休むことにした。

どのくらい眠っただろうか。夢を見た。恐ろしいジャングルリバーを渡る夢だ。昔、月山の雪山で下山ルートを見失い、氷のように冷たい沢に腰までつかって死ぬ思いをしたが、その記憶とダブったようだ。気が付くとベッドの上で汗をかいていた。熱が出たのかも知れん。そして依然として咳が止まらず、苦しくて辛い。

これは、中止になって良かったかも、と思った。もし無理していればロング・レプンのジャングル避難小屋に辿り着くどころか、今頃どうなっていたかわからない。きっと皆に迷惑かけたかも知れないな、とも思った。

その後も結局一日中、湿った毛布にくるまって、着の身着のまままどろんでいた。何度かピーターたちが心配して様子を見に来てくれた。さらに宿のご主人が心配して、これ、、飲むといいと言って薬を持ってきてくれた。有難い、こんな人里離れた奥地の村では薬は特に貴重品だろうにと思ったが有難く頂戴した。

外の雨は次第に止んで、どうやら天候は快復に向かっているようだ。だが気が重い。悔しいとも思う。皆の気持ちもそうだろう。雨が止み、二人は気晴らしに散策に出かけたようだが、オレはもう少し休んでいようと自分に言い聞かせた。こんな風邪ぐらい、あと少し休めばきっと良くなる。良くなるはずだ。

このひねくれ団塊が、情けなくもベッドに臥している間、二人は村を散策していたらしい。その時に撮ったと言う↓写真をシェアした。

↓宿のエントランスで気取るシーシー、心なしか元気がないような。

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↓田圃の中の若者、いい写真だ、しかしピーターの写真はいつも思うが絵になる。才能があるのかもしれないな。

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↓田圃でカエル?釣る少年、これは、今、ブログのトップに据えている写真だがこれもピーターが撮ったものだ。

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↓宿の近くのフィッシィングポンドのようだがこれも実にいい。

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かくしてDAY6も日が暮れた。ピーターとシルフィウスが夕飯だからと言って起こしに来てくれた。宿のおかみさんの素朴な手料理を肴に、残り少ないハンキーバニスター(ウィスキー)を三人で分け合い乾杯した。いい仲間たちだ、つくづくそう思った。





DAY7-DAY8

翌朝、すっかり晴れ上がった青空を見ながら、身体の節々を点検した。まだちょっと喉が痛くて咳もでるが、どうやら熱も下がり、だるさもなくなった。これなら行動に支障はない。昨日までの雨でバカラランまでのジャングル踏破は中止にしたが、残念だがこれで良かったのだ、そう皆で確認しあって宿を出た。

思えば村人は皆親切だった。宿のご主人もおかみさんも、そして雨の夜に出会った多くの村人たちも皆親しくしてくれた。こんなジャングルの奥地の小さな村で、人の親切と温かさに出会ったことは一生忘れない。そう心に誓いながら来た道と同じ道を歩いて戻った・・・・


以下は帰路の絵(写真)物語です。重複を避けるため、極力文言は省きます。

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ガイドのジョンソンが、いいものを見せてやると言って切り出してきたWater Tree。なんと驚き、鉈でスパッと切った太い枝木の先からサラサラと水が流れ出てくるではないか。

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ほら、飲んでみろと言われて皆で回し飲みしたのだが、これはいい。冷たくて旨い。それに、まさかこの枝木の中が空洞になっているわけではあるまいに、始めサラサラ、後にチョロチョロと流れ出てくる水は無味無臭で相当量もある。これは不思議だ。

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ゴール間近のパ・ウカット村に到着した。我々のジャングル踏破はここで終わりだ。考えてみれば何事もなくて良かった。もちろんチャレンジを全う出来なかったことは心底悔しい。悔しいけれども、決して若くない我々トリオが、何事もなく無事に帰って来れたことを良しとしようじゃないかと皆で慰めあった。

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迎えのピックアップトラックの荷台に乗ってバリオの飛行場に着いた。ピーターが素早くバカラランからのMAS便をキャンセルし、新たにバリオからミリへのフライトを確保してくれた。こんな時のピーターは実に頼もしい。頼りになる素晴らしい友人だ。

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いよいよバリオともお別れだ。

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改めて機上からバリオの村を感慨深く眺めた。

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我々が三日間お世話になったNGIMAT AYU'S HOME STAYも、いい汗かいたプレーヤーマウンテンも確認できた。つい数日前のことなのだが、とても懐かしい気分だ。

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まもなくミリに着いた。ツインオッター機はここから右旋回してランディングの態勢に入る。

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↓とてもフレンドリィなパイロットたちだった。

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↓ミリ空港管制塔をバックに、バリオから乗って帰ったツインオッター機。

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そして最後はミリ空港の管制塔。

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その後、DAY7の宿は、DAY1に泊まったマイホームステイ(My Homestay)に直行して同じ部屋を確保。予定にはなかった最後のミリの夜を三人でまたワイワイと過ごし、翌DAY8最終日は、予約してあったエアアジア機でKLIA2に戻ってきて我々の今回の旅は終了となった。




以上で団塊シニアのクラビット高原歩き旅シリーズを終わります。最終章で我々トリオのハチャメチャやぐちゃぐちゃ振りを読みたいと仰った皆さんの期待に応えられなくてまことに申し訳ないです。しかし、その代わりと言っちゃなんですが、私が旅を終えてからもダニにやられた手足をハチャメチャ&ぐちゃぐちゃに掻いて悩んでいたことに免じて今回は平に許してつかぁさい。

では、また。。

追記(2017.5.7)
先日、友人のAnieの招きで妹さんの結婚式に参加した際、共に参加したピーターに、あの後、家に帰ってから痒くて痒くて大変な思いをしたと言う話をしたら、えっ、自分(ピーター)もシルフィウスもなんともなかったけど、なんでイケサンだけ?、、だって。

でも、その傍からピーターの奥様(日本の方)が、"そうなのよ、この人、ダニに噛まれない体質してるのよ"って言うものだから、その時初めて知りましたよ、ダニに噛まれない体質の人もいるのだと言うことを。

欧米人と日本人の違いかって?いやいやそうではないでしょう、多分、体温の違いとか、皮膚の固さや柔らかさとか血液型とかいろいろあるんでしょうな。だって、二人が同じベッドに並んで寝ていて、奥様だけが噛まれ、隣にいたピーターがなんともなかったことがある、というのですから、摩訶不思議と言うか、きっとピーターもシーシーもダニには好まれない体質と言うことなのでしようね。

でも私はダニに好かれる体質なのだということを、今回の旅で初めて知りましたので、今後は予防対策をしっかりたてて、そういうところに進出しようと思います。



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いよいよ今日(DAY5)から真正ジャングル踏破行にチャレンジです。

そう言えば、今回の旅の初日に、KLセントラルから乗ったKLIAエクスプレスの車内で、ピーターとシーシーの古い知り合いだと言う老齢のドクターと偶然鉢合わせしたのですが、話を聞いたら、なんと以前、バリオからバカラランまでのジャングルを単独踏破したことがあるとのこと。偶然にしては出来過ぎのような気もしましたが、一同有難く拝聴しましたよ。

そしたら、その老ドクターの話の中に、bitten by a lot of horrible leeches、つまりぞっとするヒルがうじゃうじゃいて噛まれて大変だったというのがあった。皆、へぇそうなんですか、、と平気を装って聞いてはいたが、内心はそうではなかった筈。このオレだってあのヒルは好きじゃない、どころか大嫌いだ。血を吸われてもさほどの被害はないのだが、見た目がグロで気持ち悪い。

バリオに着いてから、その老ドクターの話をスコットにしたら、なんとスコットは彼を憶えていて、ガイドも雇わず単独で踏破したその話は本当だと言う。へぇー嘘ではなかったんだ、とあらためてジャングルトレイルの吸血ヒルのことを思い出した。

今日の天気は今のところ良さそうだが、このところ毎日雨が降ってるからトレイルはかなりぬかるんでいるだろう。湿地や沼地や雨に濡れた樹々の下や藪道もあるだろうし、ヒルに襲われないようにゲーター(シューズカバー)をしっかり装着し、さらにオーストラリアのジョン爺から譲り受けた↓アンチリーチスプレイなるものを要所要所にスプレイし準備万端整えた。

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↑へぇー、こんなものがあるんですね。これ凄いですね、刺されたら死ぬほど痒いあのサンドフライ(sandflies)やダニ(ticks)、そして山ヒル(leeches)やアブ(march flies)にもばっちり効くのだそう。でもコレDeet(昆虫忌避剤)の割合が40%もあるんだって。若干、人体への副作用が気にはなるが今はそんなこと言ってられないもんな。

そうこう言ってるうちに、スコットに手配をお願いしたガイドのジョンソンが現れた。スコットの幼馴染だと言う彼は、小柄だがいかにもジャングル慣れしてそう、いやジャングル人(びと)そのもののようで実に頼もしい。早速、皆の服装や持ち物をざっと見渡すと、開口一番、ピーターとシーシーの半ズボン姿にそれじゃヒルに噛まれるし藪を歩けない、とロングパンツへの履き替えを指示。まぁこれは当然と言えば当然のご指摘でしょうな、と大きく、うんうんと頷いた私です。

次に、スリーピングバッグは持ってるかとの質問に、皆、首を横に振ると、うーん、二晩目はジャングルの粗末な避難小屋で泊まるからね、地べたに寝るのと同じようなもんだから、スリーピングバックがないとちょっと厳しいかなぁと仰る。

なんだ、そんなことちっとも知らなかったし、いや、でもオレ、レインウェアやウインドブレーカ重ね着すれば多分大丈夫かな、と答えたら、お二人さんも、そうだよ、だ、大丈夫だよ、寒くなんてないよ、と相変わらずのお気楽ぶり。ガイドのジョンソン氏、一瞬顔を曇らせたが、それでも、まっいいか、と出発することとなった。

DAY5は、このバリオの村から4kmほど離れたパ・ウカット(Pa'Ukat)村を経て、さらにジャングルの向こう9kmほど先にあるパ・ルンガン(Pa'Lungan)村まで歩き、今晩はそこの宿にホームステイすると言う,、全三日間のジャングル踏破行の中では一番楽そうな予定なのだ。

その上、先ずは行けるところまで車で行こうと、呼び寄せたピックアップトラックの荷台に、おっ、こりゃラッキー、とニコニコ顔で乗り込むひねくれシニアトリオです。

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パ・ウカット村の手前で、車道は通行止めとなり、ここからが歩きとなる。ガイド氏によれば今日はここから4時間の行程だそうだ。

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↓シーシーとガイド氏の出発前の記念のツーショット。

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ガイドのジョンソン(以降、敬称略)が先頭、そしてシーシー、ピーター、そしてしんがりをこのひねくれ団塊が続く。

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まもなく、パ・ウカット村を通り過ぎ、道は徐々にそれらしくなってきた。

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天気は上々なるも、連日の雨のせいだろうと思うが、トレイルは期待どおりにあちこちぬかるんでいて、靴はあっと言う間にアッパーまで全部泥だらけ。

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それに、深閑としたジャングルの、静かなトレッキングと思いきや、辺りのセミ(Cicada)や鳥が実に喧しい。日本では、セミの鳴き声は夏の風物詩だが、ここでは年中だから騒々しいだけなのだ。

ところで私の両耳にはもう20年も前からセミが数匹常駐していて(注:耳鳴りのこと)時々思い出しては悩んでいる。日本の夏の初めには、時々耳の中のセミが鳴いているのか、それとも本物のセミが鳴き出したのかわからない時もあったのだが、ここのジャングルゼミは日本のそれの何十倍もの大音量でけたたましく鳴くので、お陰で私の耳鳴りなどちっとも聞こえない。(笑)

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このトレイルはかつて、ジャングルで切り出した丸太や荷物を引いてバッファローが通った道、つまりバッファロートレイルなのだそう。

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だが今では、バ・カラランとバリオを結ぶ車道を軍が建設工事中で、完成すればこの道はほとんど使われなくなるのだそうだ。お、どうやら湿地帯にさしかかった模様。

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前を歩くピーターのシューズは普通の運動靴なので、既に靴の中まで濡れているに違いない。

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その点、オレのは完全防水だから、これぐらいなら問題ないが、この先どんな沼地やジャングルリバーをクロスするやも知れず、ちと心配だ。

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湿地を抜けると今度は草丈の高い藪道だ。だが、もう昼近いし藪は完全に乾き切っていて、雨露のついた草葉で濡れることもなく、歩行に特に支障はない。

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前を歩くピーターと10mも離れると姿も見えず、トレイルも見失いそうになる。

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しばらく歩いたところで、小さなジャングルリバーに架かる屋根付きの橋に差し掛かり、しばしの休憩を取ることにした。ここまでのトレイルは小さなアップダウンはあるものの、体力カウンターはまだまだ十分で余裕しゃくしゃくのひねくれ団塊です。もちろん二人も元気です。

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休憩の後、一行はまたトレックを開始したが、どうやら小さな登りにさしかかったようだ。

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小さな登りもまもなく過ぎて今度は鬱蒼としたフォレストが続く。

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歩き始めて約3時間、お昼もとっくに過ぎた頃にガイドのジョンソンが足を止めた。昼飯にしようと言う。

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ジョンソンがザックから取り出したランチパックがコレ。ジャングルの木の葉で包んだナシゴレン風。もちろんこのまま手で食らうのだが、これが意外に美味。適度に塩気が効いてまことに美味い。

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バリオを発つ前に、例のY2K(バリオ村唯一のミニマーケット)に立ち寄り、ジョンソンがイワシ缶とマギーミー(即席麺)を買い求めたが、聞けばそれが二日目の夕メシと三日目の朝メシなのだと言う。どうやらジャングルの避難小屋でたき火を焚いて自炊するらしいが、期待した以上のワイルドな旅になりそうでワクワクする反面、正直言って少々不安な気持ちもある。

その後すぐに、我々は軍の工兵部隊が何年も前から建設工事中だと言う広い赤土の道路に出た。この道路はバカラランとバリオを結ぶ全長約75kmの道路と言うが、工事開始後すでに10年以上も経つというにいまだに開通しておらず車の通行が出来ないのだそうだ。

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早速ピーターは半ズボンに履き替えて歩き始めたが、この道路、もちろんこのように歩きでは通れるが、今日我々が通ってきたジャングルトレイルの方がショートカットでずっと近いのだそうだ。

しかしこの辺りに住む人々の現在の主な交通路は、このジャングルトレイルではなくジャングルリバーだと言う。なるほどあんな藪道や湿地を通る細いトレイルが主たる交通路ではあるまいと思っていたが、それで納得した。

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歩き始めて4時間半となる午後2時頃、今日の目的地のパ・ルンガン村に到着した。

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この吊り橋の向こう側がパ・ルンガン村だ。

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こんな人里遠く離れた部落?だと言うに、案外小綺麗な村だなと、正直思った。

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どうやら電気もきているらしく電柱や電線もある。ジャングルの真っ只中の部落と言うから、もっと粗末で原始的な村を想像してたのに、意外に近代的で驚いた。

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↓これはネットからお借りした村の全景写真だが、サッカーグランドのような広場を取り巻くように30戸ほどの家々が立ち並んでいる。参考までに居住民は100人ほどと言う。

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パ・ルンガン村拡大写真←クリック

↓そして今夜の宿のバツ・リトン・ロッジ(Batu Ritung Lodge)だ。

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バツ・リトン・ロッジの名は、近くに建つBatu Ritungと言う部族の戦士を祀る石碑に由来していると言うが、村で5つある宿泊施設のひとつだそうだ。それにしても居住人口がたったの100人の村に宿泊施設が5つもあると聞いて驚いた。

↓早速宿の主人に案内・説明していただいたBatu Ritungと言う名の石碑。

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↑さらに驚いたのは宿のご主人の滑らかで淀みのない英語の説明だ。今にも倒れそうに傾いた巨石のモニュメントとご主人を交互に見比べながらなんとも不思議な思いに抱かれた。

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宿は木造の古い2階建屋だが、どうやらユニークにも沼地の中に建っているらしく、入り口から渡り廊下のようなアプローチを伝って中に入る。

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↓ここがバツ・リトン・ロッジの玄関だ。

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中に入ると居間に通じる上りぐちだ。ここで一同泥だらけの靴を脱ぎ、ようやく一息ついた。

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居間は広い板の間になっていて、いかにも人気のロッジらしく、これまでに訪れた客のものだろうか壁に無数の写真が貼ってある。

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広間の奥にはダイニングテーブル、そして奥の隅には嬉しいことに温・冷水器が設置され、コーヒーや紅茶のセルフサービスコーナーのようになっている。あんなぬかるみのジャングルトレイルを何時間もかけて歩いて、ようやくついた辺鄙な小さな村に、意外にもこんな快適な宿があるなんて信じられない。

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ガイドのジョンソンに話を聞くと、この宿は彼の親戚筋なのだそうだが、村で一番の評判宿だそう。もちろん米は自家栽培のバリオ米、その他の食材も、すべてジャングルマーケットと自家栽培とフィッシィングポンドからの自給自足だそうだ。

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そんな話をしていたら、なんと目の前に透明の液体が入ったショットグラスがやってきた。こ、これはもしかして、あ、あの憧れのサラワクのライスワインではなかろうか???

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私の期待は見事に当たり、自家栽培のバリオライスを発酵させた自家製の濁酒(どぶろく)だと言う。そっと匂いを嗅いでから、舐めるように舌の上を転がしてみたら、お、おぉぉぉぉ、なんと美味、なんと香しい、これぞ夢にまで見たサラワクのライスワインだぜ。。

実は、何を隠そうこのひねくれ団塊は、山形の田舎で寒の濁酒造りを5年もかけて研究した末に、濁酒名人を自称しては悦に入っていたほどの男だ。濁酒は、ひと口飲めば、いや、ひとしずく舌を転がせばすぐに判るが、こいつはまことに美味い。    
などと、下心ありありで宿のかみさんにゴマ擂ってみたが、サンプル持ち帰りの提案も、お代わりもう一杯のお願いもあえなく却下され、意地汚くもピーターとシーシーの飲み残しを一滴残らず啜るひねくれ団塊なのでした。

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ふと気が付くと、外はいつの間にか雨、それも本降りのようだ。これじゃあ、夕飯まで寝て過ごすしかないな、とそれぞれ二階の自室に籠っていたのだが、この際迂闊にも汗で濡れたシャツを着たままつい眠り込んでしまったらしい。妙な寒気を感じて目が覚めたが、喉の辺りがひりひりと痛い。ひょっとしたら風邪をひいたかも知れないな、と一瞬思った。

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まもなく日も暮れて辺りは闇となったが、外は益々本格的な雨、果たしてこの雨はいつ止むのだろう。もし今夜中に雨が止まず、朝になっても降り続いていたらどうなるのだろう、と思うと不安になる。

ガイドのジョンソンの話では、明日は、朝食後にスタートして約7-8時間のジャングルトレックだそうだ。途中少々きつい登り下りの山越えの後、何本かのジャングルリバーをクロスして、午後遅くにロング・レプン(Long Repun)のジャングル避難小屋に入る予定だと言う。

おそらく明日は今回の旅で最も過酷な、これぞまさにチャレンジと言う旅になるのだろう。それはもちろん私の望むところであるのだが、それにしても雨に濡れるのは嫌だ。濡れたら間違いなく体温が奪われる。いつかの山行でそれで酷い目に遭ったことがある。

だから雨対策はしっかりしてきたつもりではあるが、いかんせん増水した川を渡るのに濡れずに済む方法はあるまい。果たしてその後の避難小屋で暖を採ることができるのだろうか、などと考えると、一刻も早く雨の止むことを願わずにはいられない。

宿の主人の、夕飯の支度ができましたよ、と言う声に促されて階下に下りたが、既にガイドのジョンソンがテーブルについていて、やはりこの雨を気にしているようだ。朝まで止まなかったらどうなる?と尋ねてみたが返事に窮したようで、とにかく明日朝の様子をみよう、とそれだけだった。

しかしこんな雨でもピーターとシーシーの二人は陽気で救われる。いつものようにビールで乾杯した後、リビングの衛星テレビに映し出されていたバドミントンの試合を観ながら(※)たわいもない四方山話に花が咲いたのだが、それも終わると、さてこの後、この雨降る長い夜をどうやって過ごそうかと皆思った。 (※当たり前と言えばそうなんですけど、こんなジャングルの奥地でも衛星テレビはちゃんと綺麗に映るんですね)

すると、突然、宿のおかみさんが、さぁ、これからパーティに出かけましょう、と言う。

え?パ、パーティって? 聞けば、今夜、今から村のとある家で村人全部が集まるパーティがあるのだと言う。さらに詳しく聞こうとしたが、行けば分かります、と言うので皆で行くことにした。もちろん外は相変わらずの雨、どころか、土砂降り状態の雨。

皆、しっかりと雨支度をして宿を出たが、外は真っ暗闇でしかも土砂降り。宿のご主人とおかみさんがトーチライトを付けて先導したが、村の真ん中の広場を突っ切って村外れの一軒家に向かううち、たったそれだけで皆全身びしょ濡れ、靴もぐしょぐしょ。あーぁ、これじゃあ明日が思いやられるよ、と、これは私の独り言でありました。

で、そのパーティの様子などについては、ちょっと長くなりましたので、次回のブログに綴ることとします。ごめんなさい。

それではまた。。




ボルネオ高原歩き旅シリーズ、本編第2回目の今日は、DAY3とDAY4を書きますが、この二日間はいずれもDAY5から始まる本格的ジャングル踏破行のための予備訓練と言うか、ウォームアップなんです。なにしろ、普段はあまり運動などして鍛えていないルーズなオヤジたちですからね。。。

なに、それ違うよ、イケさんって? え?シーシーは毎日プールで泳いでる? え?ピーターも歩いたりジョギングしてるの? なんだナマケモノはオレだけなのか。。

でも、かく言うオレだってたまに卓球やったりプールしたりして時々は汗かいてるんだけどね。それにこっちはとんでもなく暑いから寝てても汗かくし、それって寝ながらジョギングしてるようなもんでしょ。。え、全然違うって?そっか、それはまぁいいとして、何10キロもアップダウンのある本物のジャングルを歩くとなるとそれなりに体力要るわけですよ。

とても長年生きてきたひねくれの悪知恵だけでジャングル踏破できるとは思わない。なので、この二日間、真面目にウォームアップしようと考えたんです。



DAY3

で、今日は朝からバリオのプレーヤーマウンテン(Prayer Mountain)に登ろうってことになった。プレーヤーマウンテンとは文字どおり"祈りの山"で、世界のどこにもある、主としてキリスト教の祈り、瞑想、断食のための施設を備えた山のことだ。

バリオのプレーヤーマウンテンは村の北西部に位置する300-400mの高さの低山だが、十字架の立つ頂上からの眺望は一見の価値ありなのだそう。

↓宿(Ngimat Ayu's Homestay)のバルコニーからズームインして見たバリオのプレーヤーマウンテン。こうして見るとなんの造作もない山だ。こりゃ登山じゃないな、ハイク(hike)だぜ、と皆思った。(頂上の左半分が白い雲に隠れている写真中央の山がプレーヤーマウンテン)

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だから、、見てよ、二人のこの軽さ。え、何がって?だってこれ、ハイキングよりも軽くないか。二人とも半ズボンにスニーカー、それに手ぶらだぜ。雨対策の雨具もないし飲み水さえも持ってないんだよ。

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だから、オレが、え、なに?飲み水もなにも持ってないのって言うと、イケサンは、なんでそんなに用心深いのかって聞いて来る。おいおい、お二人さん、山を舐めちゃあいかんぜよ。山の天気はすぐ変わる、例え今晴れてても、いつ雨が来るか分らんから雨対策は絶対だし、飲み水も必要。それにオラはファーストエイドキットも持ってるんだぜ。

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そんなオイラを小馬鹿にしたようにアッ八ッハーと笑い飛ばし、先を急ぐオヤジたち。。まったく人の言うことなぞちっとも聞かないひねくれモンはこれだから困る。後で痛い目にあっても知らんからな。。(正面に見える山の頂上が今日のゴール)

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そう言えばこの前のスマトラの時は、バックパックの重さが倍ぐらい違ってて、二人にさんざん小馬鹿にされたっけ。確かにあの時はちょっと持ち過ぎだったかもな。だから今回は機内持ち込限度の7kgに無理やり抑えたんだよ。なので余分なものはなんもない。それどころか、着るものも穿くものも最小限度。ほとんど着の身着のまま状態で夜昼過ごそうと覚悟してきたからね。もっともこれが後ほど想定外の痛い目に合う羽目になろうとはまだこの時は思わなんだ。

でもピーターのバックパックなんて、今回も5kとちょっとだぜ。7泊8日の旅にしちゃあ、軽すぎないかって言ったらへっへっへと笑い飛ばされた。そこが旅のベテランと初心者の違いなんだとさ。

でも山だぜ、ここは。それもボルネオ島の奥地の秘境に近い山、と言っても結構人の手が入っているし、良く整備されてて意外なんだけどね。しかし、次第にそれらしくなって来て、しんがりを歩くオイラは内心意地悪くほくそ笑んでたよ。

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ここらで雨でも降って来ないかな、と意地悪くほくそ笑むオイラ。なに、突然土砂降りが来たってオレは怖くない、なんせゴアテックスのレインウェアにこれもゴアテックスのゲイター(防水シューズカバー)持ってるしね。それに比べて彼らときたら、普通のスニーカーに半ズボン。オレ、ホントに知らんからね。

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なかなか降りそうで降ってこないのがチト癪に障るが、それでも山道の勾配は徐々にきつくなり、先ずプールで毎日鍛えている筈のシーシーが遅れだした。

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そしてついに先頭に立つオイラ。少しずつ遅れる二人を上から見下ろして、ホレ、どうした、もっと早く登れないのかと急かすこっちは小気味が良いのだ。

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↓ほらね。結構急な勾配だよ。このプレーヤーマウンテン、300-400mの低山だからってはっきり言って舐めてたね。登山道の最初だけなだらかだけどだんだんきつくなってきて、この辺りはほとんど↓こんな感じ。まぁ、DAY5から始まる本格ジャングル踏破行のウォームアップにはちょうどいいかもな。

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ほら、どうした、どうした、と意地悪く二人を急かす、ひねくれ度合いでは決して人後に落ちないオイラ。

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それでも、オラが内心期待してた突然の土砂降りもなく、いつしか十字架の立つ頂上に着いたのでありますよ。

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頂上からの眺めは、、、、わおっ、こりゃ見事だ。でもこうして眺めていると、ここがとてもボルネオ奥地だとは思えん。なにか遠い昔のどこか無性に懐かしい情景が蘇る。

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拡大パノラマ画像←ここをクリック(是非PCなどの大画面で見て下さい)

それでも↓うへぇー、疲れた、、とは決して言わない可愛くないひねくれオヤジたちなんです。

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しばらく頂上にて休憩を取った後、ゆっくりと同じ道を下ってきたのだが、幸か不幸か結局最後まで雨は降りそうで降らなかった。

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だけどこれ、単に運が良いだけだからね、もし途中雨が降ったら二人はどうなっていたのかね、とはオイラの独り言だけど、彼らにはさっぱり通じてない。一度徹底的に痛い目に遭わないと多分永久に分らないんだろうな。。。

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そしてその夜、今夜はワイルド・ボー(猪)のBBQだと言うので、宿の離れのBBQ小屋に集まり、宿主のスコットを中心にビールを飲みながらいろんな話題で盛り上がった。

それにしてもスコットの英語はきれいだ。いやスコットに限らず、このバリオの人たちの英語は、こちらが恥ずかしくなるほど達者で恐れ入る。なぜと思ってスコットに話を聞いてみると、その訳はバリオの歴史が影響しているそうな。

なんせかつては首狩りでその名を馳せたクラビット族なのに、今では約6000人の人口のすべてが熱心なキリスト教徒で、それぞれの小集落には必ずある教会での祈りを欠かさない。それもこれも、19世紀半ば(1840年代)に遡るサラワク王国に由来するそうで実に興味深い。王国は、当時のブルネイ王が英国人探検家のジェームズ・ブルックに割譲した独立国で、以来なんとこのバリオの地では物事のすべてが英国式になったのだと言う。

しかし1941年の旧日本軍のサラワク占領で王国は消滅し、終戦後は英国の直轄植民地となったが、その後1963年にはマレーシア連邦の一員となり英国から独立して現在に至るのだと言う。

だから、現代のバリオの家々では寧ろ英語を話し、元来のクラビット語が次第に廃れて来ているそうな。もちろん小学校や中学校では完璧な英語教育に余念がないが、近年はクラビット語の教育にも力を注いでいるとのこと。

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いや、それにしても恐れ入った。このボルネオ奥地のバリオの地では、どこにもいるオバサンやオジサンが、いや子供たちも皆、ほぼ完璧な英語を話す。これには驚いた。

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でも、私もマレーシアに暮らし始めてまもなく4年半、日本で暮らしているよりは、圧倒的に英語で話す機会が多い。もちろん私自身が積極的にそんな機会を作為しているせいもあると思うが、嬉しいことに最近では、和文英訳の手順を経ないで、英語で考え英語で話すと言う術がようやく身についてきた気がしている。

それでも、こんなインターナショナルな人的関係の真っ只中にいると、自分の英語力のみすぼらしさが気になってしょうがない。得意げに話しまくるジョンはオーストラリア人で英語ネイティブだから当たり前だろうけど、ピーターもシーシーも英語ネイティブではないハズ。ましてスコットは、こんな人里離れた秘境とも思えるバリオで生まれ育った人間だ。

そんな彼らが、自由自在に英語を操り、話題は次から次に目まぐるしく変わる。

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ここで我々(日本人)の英語教育に関する問題提起をしようとは決して思わないが、日本人の英語力の乏しさは世界でも稀なのではないかと感じることがしばしばある。東南アジアでも中東でも世界のどんな国でも、みんながみんなそうだとは言わないが我々日本人よりはよほどマシな英語を喋る。

時々、日本の大学や専門学校などからマレーシアに英語留学にきていると言う若者たちと話すことがある。彼らは数か月から1年程度、KLの語学学校の宿舎で暮らし、英語漬けの毎日なのだと言う。しかし思う。それにしては、典型的なワンセンテンスイングリッシュだ。当地に暮らすほとんどの日本人がそうであるように、和文英訳の手順であらかじめ準備したワンセンテンスかツーセンテンスしか口に出て来ない。後が続かないのだ。これじゃぁ会話にならない。

良く持って30秒。1分も続かない。すぐ黙り込んでしまう。こんなんじゃあ会話にならないし丁々発止の議論などできるハズもない。これだから、英語圏、いや英語圏でなくてもマレーシアなどの東南アジアでもだが、彼らをして日本人はシャイだとか、黙ってばかりいるから何を考えてるか分らないとか、ニヤニヤばかりして気味が悪い、などと言われてしまうのだ。

本当はそうではない。もっともっと喋りたいのだ。いろいろ話して世界のみんなと同じ仲間に入りたいのだ。でも残念ながら英語が話せない。これって実は大方の日本人の致命傷だと思ってしまう。日本では、英語なぞ話せなくても構わない、日本人なんだから、日本語だけで十分と言い切る人たちも大勢おられる。でも私は、それだから日本人が世界から誤解されてしまうのではないか、と思っている。

昔も今も日本では、英語を話すというだけで、能力を過大評価されたり自覚したりする傾向がある。ところが日本以外の国(中国や韓国のことは知らないが)では、英語は話せて当たり前、話せない場合は、使えない奴、できない奴とネガティブ評価されてしまうことが多い。マザーランゲージが何であれ、英語で意思表示し、さらに丁々発止に議論できる英語力は、今やごく普通のことなのだ。

慰安婦の問題も、南京大虐殺の問題も、世界中の人たちが誤解している気がしてならないが、これなぞは日本人の英語力の貧しさ、つまり英語発信力の無さの証左ではないかと感じてしまう。政府や公的機関だけでなく、草の根的に我々日本人の誰もが、世界のいたるところで声を大にして英語で情報発信して来ていれば状況は変わっていたのではないかと思っている。

だから私は、どこでも堂々と、あらゆる問題をいろんな国の人たちと、共通語の英語で真剣に話すようにしているが、もちろん完璧にはほど遠い。語彙や表現力の不足が言いたいことのニュアンスを曲げてしまうこともあり、まだまだ努力が足らないことを切実に感じている。

↓ワイルド・ボーのスペアリブ

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↓BBQ小屋から場所をダイニングに移してのディナー。

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↑ダイニングテーブルをざっと見る限り、今夜は、Grubsの姿煮込みの大皿はない。ないと分るとひねくれオヤジたち、内心ホッとしただろうに、なんだ今夜はアレないのか、なんて強がり言って、まったく煮ても焼いても喰えないひねくれモンだこと。(これ私も含んでのことです)

で、この緑色のスープは何ですかとスコットの母君に尋ねたら、その辺りの沼地に自生してるWater Spinachだと言う。参考までに、コメは水耕、バリオ特産のスティッキーライス、フルーツはパイナップル、パパイヤ、バナナなどを農園栽培。チキンや卵は家々でカンポンチキンの放し飼い。猪肉や山菜はジャングルマーケット、魚は数あるフィッシュポンドで必要十分。電気は最近整備されたというソーラー発電。水道は近くのダムから引いてくる・・・とまぁ、言ってみればこの世の楽園ですな、ここは。。

ただ、我々都会人(?)にとって唯一の不満は、ネットがまったく繋がらないことと、携帯電話もところどころしか通じないこと、、だがしかし、このことがメールやSNSなどのおせっかいからも逃れられて、ある種の都会人には却って魅力なのだとか。。

かくして今宵も、インターナショナルひねくれトリオはオーストラリアの孤高の旅人ジョン爺を加え、大いに喰らい、飲み、そして続きの話しに夢中になって、夜の宴はいつまでも続くのでありました。



DAY4

そして翌日(DAY4)ウォームアップの2日目、リーダーのピーターの計画に従い、バリオでは有数の観光名所(?)だと言うSalt Springまでトレッキングに行くこととなった。

Salt Springとは、即ち塩井(しおい)のことだが、バリオのそれは"クラビット高原の宝(Treasure of the Kelabit Highland)"とも呼ばれているそうな。その昔、海底が地殻変動のため隆起するなどして陸上に閉じ込められた海水(塩分やミネラルを多く含む地下水)
を、井戸を掘って汲み上げ、それを釜で煮つめて採取するのだが、近年特にこのバリオ塩の持つ医学的効果などが広く内外に認められ、バリオ土産としても喜ばれているらしい。

このソルトスプリング、バリオの北7-8kmのジャングルに位置し、我々の足慣らしのトレッキングコースとしては手頃なようだ。それにしてもお二人さん、今日も昨日と同じこんな恰好でっせ。

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天気はまずまずのようだが、なんせここはボルネオ奥地の標高1000mの高地、平地の天気とは異なると言うことを知るべきだ。昨日も夕方から突然雨が降り出したし、あの雨ではジャングルも相当ぬかるんでいるに違いない。私はいつもの防水山靴だが二人のシューズがちと気になる。でも、シーシーは昨日のプレーヤーマウンテンでスニーカーの靴底が剥がれて使えなくなり、結局、宿のスコットに譲ってもらった少しはましなトレッキングシューズだ。

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でも、運が良いことに往きは、歩き始めてまもなく、通りがかった村人のピックアップトラックに乗せてもらってジャングル道を走り、ほとんど歩くことなく目的地に着いてしまったのだが、皆、これじゃぁ足慣らしにならんでしょ、とは思わなんだ。

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なに?ここがソルトスプリング? 誰もいないし、これが観光名所かよ???

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ほほぅ、ここが井戸か?なるほど3-4mの深さに茶色に濁った水面が見える。あれ、意外に浅いんだな。

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↓これはネットからの借用画像だが、汲み上げた塩水をこのように窯で長時間煮つめて塩を採取するのだという。

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そして、↓これが最終的な出来上がり。竹筒にいれて固めた塩を竹筒から取り出し、なんか知らんジャングルの木の葉で包んだ特産のバリオ塩。試しに買って帰ろうと思ったが、帰りの機内持ち込み荷物の重量制限が気になり結局諦めた。

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その後、↓こんなぬかるみが延々と続くジャングル道を1時間ほど歩き、パ・ウムル(Pa'Umur)村に到着したころ、急に雲行きが怪しくなって来て、少し降り出してきた。

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おやおや、雨が降ってきたよ、こりゃ本格的な降りになりそうだな、、と、内心ほくそ笑みながら話したら、二人とも困った顔して早く歩こうなんて言ってる。おいおい、ここから宿までまだ4-5kmもあるんだぜ。お二人さんよ、まぁせいぜい濡れればいいよ、痛い目に遭わないと一生分からないだろうからね、いい機会だよ、これが年貢の納め時っつうんだよ、と声に出しては言わなんだがそう思ってた。

だって、明日からの本格ジャングル踏破行だって、雨具確かめたら、二人ともスマトラと同じ、ダイソーのペラペラポンチョだって言うんだよ。これ考えられる?えーっ、そんな無理だよぉ、って言ったら、アッハッハー、そんなんだからイケサンのバックパックが重くなるんだよって、逆に諭された。

し、し、しかしだよ、この後すぐに、あの人里離れたジャングル道で、滅多に遭わないであろう村人のピックアップトラックと遭遇し、恥ずかしげもなく親指を立ててヒッチハイクを試みた二人のオヤジ。

いやぁ、ラッキーと言うか、強運と言うか、まったくもって言葉が見つからないけど、気の良い村人に拾ってもらって、結局ほとんど濡れることもなく、宿にご帰還したひねくれトリオ。

これってついていたと言うべきか、はたまたついていなかったと言うべきかは分らんが、またしても痛い目にも会わず、年貢もちっとも収めず、計画では往復4-5時間のジャングルトレッキングのハズだったんだけど、終わってみれば、ナニ、半分も歩いてない、チョーヤワな足慣らしのDAY2でありました。

DAY5~DAY8に続く。


本当はこの旅ブログのタイトルを「サラワク奥地ジャングル踏破の旅」としたかったんだけど、残念ながら雨で全うできなかったし、ちょっと遠慮したんです。だから「クラビット高原歩き旅」でいいんです。

ま、でも無理してたら今頃どうにかなってたかも知れないし、これで良いのだ、、、と悔しいけれども納得している我々団塊ひねくれシニアです。



DAY1

さて、初日はKLIAからサラワクのミリへ。プロローグにも書きましたが、今回はマリンドエアのB737-800でした。これって意外といいですね。私はこれまでボルネオには三度渡っているのですが、すべてエアアジアだったんです。フライト時間がたいしたことないからって我慢してたけど、レッグスペースは狭いし、預け荷物は有料だし、あんまりいいことないですよね。マリンドのチケット取れればこっちの方がずっといいなぁなんて思ってしまいました。(でも残念、帰りはエアアジアでした)

だけど、ミリって意外に大きくてきれいな町ですね。以前マレー語のクラスメートの某女史が、油田開発の仕事に携わるご主人とずっとミリに住んでたって言ってたな。辺鄙なところだろうと想像してたけど、こんなに大きな町だったんだね。

ボルネオって、根拠ないですけどなにか面白そう。。サバにはキナバル山があるし、ここサラワクには手つかずのジャングルや少数民族の里がある。こういうのって、やけに興味そそるんですよね。

でも今回の我々の初日はミリに一泊するだけ。他になんのミッションもなし。宿は、いや、宿もエアチケットも今回の旅のガイドの手配もなにもかも、リーダーのピーターに負んぶに抱っこ、まったくお気楽な参加者その1ですよ。ピーター、ホントに世話かけたよね、ありがとう。

で、ミリの宿はここマイホームステイ(My Homestay)。市中心部にあって、特にチョイ悪オヤジの夜遊びには超便利。考えてくれてるよ、まったく。それでいて宿代はチョ安ときてるからね。言うことなしだよ。

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宿の入り口は↓ココ。ガラスのドアにトリップアドバイザーとかブッキングコムとかのシールがベタベタ貼ってあって、漢字で「民宿」と書いてある。でもコレって日本語の民宿じゃぁないよね、多分コレ、中国語で意味は安宿(Inn)って言う意味だと思う。

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部屋は狭いながらも四人部屋、スマトラのパダンと同じ、バンクベッド(二段ベッド)が二台の四人部屋。ちなみにこれで一部屋99リンギ、三人の朝食込みって安すぎだよね。

暗黙のルールで身体のサイズがあとの二人より小型のオレがベッドの上段なんだけど、でもこれって好きじゃない。なぜって、夜のトイレが近いから梯子を昇ったり降りたりが大変だし、寝返りを頻繁に打ってベッドギシギシ言わせると下段のピーターにとっても気の毒なのだ。だからかも知れないけど、ピーターは朝いちばん遅くまで寝てる。あんなに良く眠れるもんだと感心するけど、これってホントはオレのせいかも?

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ま、そんなことはどうでもいいけど、メシ喰いに行こうぜと外に出る面々。。

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通りに出てすぐには、カフェもバーもマッサージ屋さんも軒を連ねていて、なんと便利なところだこと。。

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ほら、すぐに見つかった。ミン・カフェ(Ming Cafe)と言う、いわゆるどこの観光地にもあるインターナショナルなカフェバー。

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↓とりあえず、明日からの三人の奮闘を期して、Cheers !

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ほどなく店はほぼ満席になりましたね。でもいつも思いますけど、なぜこういうインターナショナルなカフェバーの客って、ウエスタナーだけなんです? どこの店に行っても日本人とかにはほとんど出会ったことがないんですけど。。

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7時までだと言うハッピィアワーのうちにそれぞれビールを飲めるだけ飲んで、クリスビィポークとかピザとかいろいろたらふく食って、またビールを飲んでそして最後はコレ、イエガーマイスター、そうドイツのハーブリキュール(養命酒)なんだそう。オレは今まで飲んだことがなかったんだけど、シーシーが飲め飲めって盛んに勧めるものだから、ワンショット、そしてツーショットと行ってみましたよ。(いや3杯か4杯飲んだかも)

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え、これ日本の養命酒とほぼ同じ味だね。でもコレ、ストレートで飲むより何かで割って飲んだ方が好きかも、って言ったら、なんとイエガーのそんな飲み方、世界中で流行っているんだってさ。それからシーシーにひとしきりドイツのこと自慢され、聞かされて、ハイハイ、ちゃんと聞いてましたよ。。だけど既にほろほろだったからほとんど憶えてないけどね。(*´ω`)┛

まだ明るいうちに入った筈なのにいつのまにか9時も過ぎてしまって、さぁ、次はどうしようか?って、、なに決まってんじゃん。マッサージだっべよ。。

おっ、そうだね、行こ行こって即決。宿までの帰り道にあるタイマッサージ屋さんに立ち寄って、オイラはトラディショナルなドライマッサージ、彼らはいつものぬるぬるオイルマッサージ、その後、またカフェでコーヒー飲んで、明日からの旅のこととか、いろいろ話して、そんでもって宿に帰って大人しく寝ましたです、ハイ。。



DAY2

翌DAY2はミリからバリオまでの移動日。ミリの空港で体重計に乗れと言われ、突き出たお腹をもっと膨らませてフザケ顔するシーシー。(笑) これ、小型飛行機だから荷物だけでなく乗客の体重も計るんですよ。

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バリオまでの飛行機はコレ↓、MASwing(マレーシア航空の子会社)のツインオッター機。カナダのボンバルディア社の高翼の双発ターボプロップ小型機で乗客は19人乗り。特に高翼機なので下方視界は抜群だ。

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STOL(短距離離着陸)性に優れ、エンジン全開で離陸滑走を始めたと思う間もなく離陸。このツインオッター便、ミリとバリオの間は毎日2便運航されているが、バリオ空港はVFR(有視界飛行)専用なので悪天の場合は欠航となるそうな。

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それにしても高高度を飛ぶジェット便と異なり、2000~2500m程度の低高度を飛ぶので下界の見晴らしは素晴らしい。

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↓これは今ブログのトップに据えてる写真だが、うねうねと幾重にも曲がったジャングルリバーがなんとも芸術的だ。

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機内はフリーシーティング(自由席)。19人乗りなので、満席かなと思ったら意外にもこんなにガラガラ。我々以外は皆さんローカルの方のようで乗り慣れていらっしゃる。

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操縦席との境のドアもなくオープンなので、パイロットの操縦操作も丸見えで実に興味深い。

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いよいよ本格的なボルネオ奥地のジャングルかな。。

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下界は雨のようだが、こうやって上空から眺めると山肌を覆う雨も幻想的で美しい。

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おっ、山の稜線がこんなに近くに見えるなんて、ぎりぎりの山越え飛行がスリル満点でチョー面白い。

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飛行方向左側に見えるのは、垂直に切り立った岩山登りで有名なバツ・ラウイ(Batu Lawi)のツインピークスだ。

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ミリを離陸後、約1時間、もうバリオに着いたようだが、こんなジャングルの奥地に結構開けた村があるもんだ。

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STOL(短距離離着陸)機のツインオッターならではのあっという間のランディング。

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預け荷物もほらこんな簡単に受け取れるんだね。

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ツインオッター機の前でシーシーと少年のようにはしゃぎながら記念撮影。

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こっちはもっと幼いぞ。ピーターって、いつかもそうだったけど、なんにでも乗りたがる。パイロットが降りた操縦席にちゃっかりと座ってこのご機嫌ポーズ。

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これがバリオ空港ターミナルの表玄関っつうか、ど田舎飛行場の待合所って感じだけど、これでも立派なもんだよね。。あれこんなところにも一応コントロールタワー? いやこれはそうではなくて、パイロットとの無線交信のための単なるレディオなんだろうけどね。

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↓ほどなく、今夜からお世話になる宿(アユ・ホームステイ)のオーナーのスコットが迎えにきてくれた。

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↑あれ、いやに愛想のよいおっさんがひとりくっついてるな。この人、誰だ?と思っていたら、車の中で彼が自分で自己紹介してくれた。オーストラリアから来ているジョンさんだそうだ。同年代かな、この人? いや、でも良く喋る人だこと。。人恋しかったのかなこの人。何日か前にバリオに一人できて同じ宿に泊まってるんだってさ。

でもこのバリオって、道路は細いながらも一応簡易舗装されてるし、立派なもんだよ。行き道、スコットが小学校が二つと中学校が一つあるって説明してくれたけど、それだけ子供も大勢いるってことなんだね。

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さぁ、着いた。ここが今夜(DAY2)から3日間(DAY5の朝まで)お世話になる、NGIMAT AYU'S HOME STAYだ。スコットの母君だと言う老婦人がニコニコ顔で出迎えてくれた。

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宿は、もう何年も前にバリオに観光客を呼び込もうと村全体が動き始めた時、以前からあったロングハウスを改築したものだそうだ。↓これは改築直後の建物全景。

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そして↓これが年月を経た現在の姿。

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かつては伝統的なロングハウス(Rumah Panjang)だったそうだが、全面改築後の今は、中に入ってみると、なかなかきれい。以前から伝統のロングハウスにホームステイするのが夢だった私としてはちと不満なのだが、こりゃ仕方がない。眼を瞑って往時を偲ぶことにしようと思ったわけです。

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ほら、見て下さい。往時のロングハウスが十分偲べるじゃありませんか。

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部屋の割り振りは、一人一部屋ずつと贅沢三昧。部屋にはシングルベッドが二つ、バスは共用。え、シーシーの部屋だけバスルーム付きってなんで?(多分一番のシニアだと思われた?)

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長い中廊下の外側には外廊下と広いバルコニー。いやぁ、いいですなぁ。

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辺りはなんにもないけれど、三食付きだし、心配ない。今日は曇りでどんよりしてる、いやまもなく雨が降りそうな気配だけど、目の前は田圃、遠くには山。気温はちょっと肌寒い感じなんで多分20数度だろう。こりゃ久々に夜もぐっすり眠れるかもな。。

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ランチをどうぞって。スコットが呼びに来た。おーおーこりゃ凄い。立派なダイニングテーブルだワイ。テーブルではオーストラリアの人懐っこいお喋りジョンが待っててくれていた。

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ランチのメニューは、バリオライスに山菜の煮物が二種、それにワイルドボー(Wild Boar=猪)の甘辛煮、そして野菜たっぷりのスープのランチ。。コレ全部凄く旨い。これホント。

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ジョンのお喋りに負けじとシーシーもピーターも喋りまくり。そんな中、オイラは時々応戦しながらひたすら喰いまくり、スープ飲みまくり、そしてデザートの自家製パイナップルとパパイヤ喰いまくりなのじゃ。

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そのうち、どこから現れたのか、ニュージーランドから来たという爺さんが一人参戦して、え、この人は誰?なんだかよく知らないけど、本人の弁によればここが気に入ってどこかに棲みついているらしい。しかし、なんでこんなウエスタナーばっかなの?

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ランチの後で、なんにもすることないから村を散策でもしようやと、雨上がりを待って外に出てきた団塊オヤジ三人組。"しかしホントになんにもないところだなやぁー"。(これシーシーのドイツ語田舎弁)

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"おほ、ここが村の中心部だっぺ。左側、ホレ、あそこが村のマーケットプレース、それに、ホレ、あそこがeBARIO(なんか村のテレコムセンターみたいなところ)だべ?"(これピーターのスイス田舎弁←独語、仏語、伊語&ロマンシュ語のMixture←これまったくの嘘)

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"お、なんだY2Kって?2000年に開店したのがの?ここが村で唯一のミニマーケットだべ。"(これはオイラの真正山形弁だす)

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"あれ、この人、宿のオーナーのスコットさんじゃん。今頃なんでこんなところでビール飲んでんの?"とシーシー。"いやぁ、見られてしまったっすね?いや実はここが村で唯一のカフェバーなんすよ。毎日今頃ここに集まってビール飲んで、いや、楽しいっすよ。ささっ、皆さんもご一緒にどうぞ、どうぞ"とはスコットさんの弁。

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よく見ると、あれ、なんだジョンもいる。その他、なんだが地元の人だか観光客だかわからない方もいるけど、誘われたら絶対断らないのが我々の主義なんで、まだ日も高いのに喜んで参戦したひねくれトリオです。

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またまた、しょもない四方山話に花咲かせ、喋りまくり、缶ビール飲みまくるうちいつしかとっぷりと日も暮れ、気が付いたら夕飯の時刻。スコットに促され、宿に帰ることにしたのだが、フト隣を覗くとそこはプールバー。そしてなんと奥にはカラオケ設備もありましたよ。。驚きましたね。こんなところにカフェバーや、プールバーやカラオケがある。なるほどここが気に入って棲みつくウエスタナーの爺さんもいるわけだよ。

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Y2Kを後にして、暗い夜道を歩いて帰るのはしんどいなぁと話していたら、スコットが、"さぁ乗って乗って、って。。""え、大丈夫なの?"などと余計なことを言うものがいるハズもなく、彼のピックアップトラックの座席と荷台にはこれでもかとぎっしりと人が乗り込み、それぞれの家路に着くのでありました。

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宿に帰るとまもなく、夕飯の時間です。あんまり腹も空いてないなぁなんて思いながらも喜び勇んでダイニングルームに参集した我々です。

一同テーブルに着くと、宿の主人のスコットがお祈り始め、一同、一応真剣な面持ちでそれに従うフリしてました。。お祈りも終わり、さぁ、いただきましょうとなったのだが、その前に・・・とスコットの説明アリ。。

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↑これ、スコットが、我々を歓迎するために、今日午後、特別にジャングルから採ってきたと言う新鮮食材だそうな。え、どれどれ、と一同、覗いてみたら、な、な、なんとギョギョギョのギョだよ。

一番右の皿がそれだけど、正直言ってこの種の料理は万人に好まれるものではないだろうと思うので、少々ボカシを入れました。でも興味のある方には通常画像を用意していますので、どうぞクリックしてご覧になって下さい。でもこの類に弱い方は絶対スルーして下さいね。
(GRUBS←ここクリックすると通常画像が開きます)

ま、テレビの世界秘境番組でも良くみるシーンだけど、まさかこんなところで試されるとは思ってもいなかった我々一同、少々ギョっとはしたものの、そこはそれ、皆いっぱしのひねくれオヤジたちなんで、いやーん、食べられないですぅー、なんて口が裂けても言えないのだ。

ピーターが、一番年上のイケサンからお先にどうぞって言うから、いやいやピーターがリーダーだし、メインゲストなんだから、ピーターから先に食べなきゃだめだよと言い返したら、顔引きつらせて頬ぴくびくさせながらもぐもぐしてたっけ。(笑)

旨いかって聞いたら、"う、う、う・ま・い"だと。なぁに言ってるだか、こんなもん旨いわけねえっべよ。(ここは会津弁でどうぞ) ピーター曰く、ささっ、イケサンもシーシーも食べて食べてって、要らぬことにせかすことせかすこと。。

わぁったよ、喰えばいいんだろ、喰えば・・・・と半ばやけっぱちでスプーンでほんの少々取り分けるオレ。すると、ピーター、大匙で、もっともっと喰わなきゃって、余計なことに、オレのライスの上にたっぷりと乗せてくれちゃってさ、、、お陰でなんつーか、中華丼ならぬ幼虫丼みたいになっちゃってね。。

それを見ていた隣のシーシー、やっぱりオレも食わなきゃいかんのかって顔で、ちょこっとだけ取り分けてる。おいおいそりゃないだろ、もっと喰え喰えって大匙で山盛りてんこ盛りに幼虫丼作ってあげたオレ、とっても優しいひねくれ団塊なのでした。

宿のスコットには悪いけど、これはっきり言って美味しくない。もしから揚げ粉まぶして、カリカリに油ででも揚げていたらクリスピーでそれなりに旨かったかもしれないが、なんせ、ほろ苦いジャングルシュート(何かの若木)と一緒にさっと煮込んだだけのものだから、素材そのままの食感と食味で、こりゃなんつーか、なにが苦いのかなんなのか、もう結構でぇーすって感じ。そんでもって、虫たちの皮が意外に硬くていつまでも口の中に残るもんだからはっきり言って気持ち悪いのなんのって。。

オレ、こんなところに住めないって思ったけど、そんなこと口にしたら後の二人に舐められるから、フン、こんなもんへっちゃらだぜぇって顔してた。まっ、あの二人も似たようなもんだと思うけどね。

その証拠に、その後、さっきY2Kで買った↓ハンキィバニスター(ウィスキー)で口を漱ぐようにして飲んでたからね、二人とも。(笑)

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いやまったく、ここでこんな経験するとは思わなかったけど、ま、考えてみれば貴重な経験だったかも。。こんなの独りじゃ絶対ありえないもんな。。かくしてDAY2の夜もゆっくりと更けゆくのでありました。

ではまた。。(DAY3&DAY4に続く)






みなさん、こんばんは。

予て予告のとおり、今回から小分けしてボルネオ島の高原歩き旅を綴ります。我々国境なき団塊シニア三人組の顔触れは、リーダーのピーター(スイス出身)、いかにもちょい悪オヤジ風のシルフィウス(ドイツ出身、ニックネームはシーシー)、それにひねくれ団塊の私の三人組で前回と同じです。

今回は、前回スマトラバイク旅から約4か月、リーダー兼旅企画担当のピーターが満を持した旅なので、そんじょそこらの平凡な観光旅行とはまるで違う旅の筈。なので私も、相当覚悟や準備をして参加した訳です。

それにしても、事前にピーターがメールで送ってくれた旅程表を一読した私は、正直言って一抹の不安を感じました。体力・気力が十分な若者時代ならいざ知らず、我々とっくの昔に若者を卒業したジジイに近いオヤジたちにこんなチャレンジが果たしてできるのだろうかって。。。

しかし、売られたケンカは買わなきゃいかん。ビビッて尻込みしたら日本男子(男爺)の恥だ。あの二人もかなりのひねくれ者だが、ことひねくれ度合いにかけちゃ、オレの方が一枚上手のハズ。前回に増して波乱万丈の旅の気配はするものの、こんなことが三度の飯より好きな私としては、辞退するなら死んだがましと二つ返事で受けた訳です。

で、その結果ですが、正直言うと、今、風邪でダウンしています。咳も鼻水も止まらないし、喉がぜぇぜぇ言ってるし、頭も痛いし、身体も熱っぽくて怠いし。。実はこの風邪、旅の途中で引いたようなんですよ。

昨日出席したマレー語クラスのとある女性から、え、熱帯のジャングルで変な病気もらって来たんじゃないの?なんていやな顔されましたけど、ま、それはないと思うんですけどね。ちょっと油断してたら風邪ひいたんですね。最初は大したことはないと思ってたんだけど、私も弱くなりましたね。だんだん酷くなってきて、もちろん医者もいないし薬屋もない奥地の村で、村人が何より大事にしている貴重な薬を分けてもらって飲んだりしてね、そしたら少し良くなって、なんとか無事に歩いて帰って来れたんだけど、KLの我が家に辿り着いた途端にぶり返してしまったなんて、情けなくってまったく涙が出るよ。

なんて、、実はこれ、今日は本編ブログ書かない(書けない)ことの言い訳なんです。すみません、そんなわけで、今回は、以下旅の概要だけ紹介してお茶濁しのプロローグとさせて下さい。



DAY1
 先ず、旅の初日はKLIAからマリンドエア(Malindo Air)でサラワク州のミリに飛びます。約2時間の旅です。

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サラワク州のミリへはエアアジアもMASも飛んでいるのですが、チケットが取れればマリンドのB-737-800が快適です。レッグスペースは比較的ゆったりしているし、↓のように機内エンターテインメントも充実しています。

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初日はミリ泊まりです。ミリは大きな町ですから、居酒屋もバーも不自由なしでしょう。おそらくビールをしこたま飲み、最後はマッサージとお定まりのコースでしょう。

DAY2 - DAY4
 二日目はミリからバリオにMASwingの小型飛行機で飛びます。陸路もあるらしいのですが、450km以上もの悪路を14- 5時間もかけて走るオプションは端から除外です。

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サラワクの奥地にクラビット高原と言う、標高1000mほどの高原地帯があり、多くの少数民族の村落が散在しています。その中心地であるバリオは飛行場を含むインフラが比較的よく整備されていて近年欧米からの観光客も増えているそうです。

DAY2-DAY4はこのバリオにホームステイして、DAY5から始まる本格的ジャングル踏破の旅の足慣らしです。

DAY5 - DAY7
 五日目からはいよいよ今回旅のクライマックス、真正ジャングル踏破の旅です。村のガイドを雇い、バリオからパ・ルンガン村を経由し、ジャングルの避難小屋などに寝泊まりしながらいくつもの低山やジャングルリバーを超え、インドネシアとの国境線を2度もクロスして、バ・カラランという国境近くの村まで約60-70kmを歩く旅です。

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DAY8
 バカラランの飛行場からMASwingの小型機でミリに飛び、ミリでエアアジア機に乗り換えてKLIA2に戻ります。

以上が今回旅のプロローグ、というか計画の概要です。こう書いている最中にも鼻水がズルズル垂れてきて、咳も止まらない。なんかまた熱が出てきたような気もするし、誰かが言うようになんか変な菌でも貰って来たんじゃなかろうか、、などとちょっこし心配になってきたひねくれ団塊です。

で、今回の旅の結果ですが、、、、、、、、、、え、結果を先に書くなって、ですか?それもそうですよね。でも、今回は先に結果を書いておかないとなんか後ろめたい気がするんです。実は、真正ジャングル踏破の旅を開始したDAY5の夜から雨が本格的に降り出して、翌DAY6も一日中、雨が止まず、熱帯雨林を幾重にも流れるジャングルリバーが増水して越えられないと判断したガイドの決心で、バ・カラランまでのジャングル踏破の旅を中止し、実は泣く泣くパ・ルンガンの村から引き返して来たのです。

もちろんこれは私の風邪っぴきとは関係ないですよ。だってまだその時(中止の決心をした時)は、私の風邪は大したことはなく、誰にも何も言っていなかったのだから。。でも、あのまま雨の中を強行していたらと思うと、今考えたらぞっとしますけどね。

でも、途中で引き返してきたとは言え、我々国境なき団塊シニアのハチャメチャ旅の話は尽きないものがありますしね、まぁ、次回以降の本編ブログを是非お楽しみに。。

ではまた。。