"ノスタルジア(Nostalgia)"、今回のジャングルトレインの旅はまさにこの一言に尽きます。

ところで余談ですが、この"Nostalgia"と言うワード、マレー語ではギリシャ語のように"ノスタルギア"と発音するのですが、このように英語読みしない単語が他にもあって時々面喰います。もっとも語中の"g"は"ジ/ジィ"ではなく"ギ/ギィ"とギリシャ語読みするのが普通なので当然といえば当然なんですがね。

しかしこのノスタルジアorノスタルギアって、私の結構好きなワードです。レトロ(レトロスペクティブ)もそうですが、日本語で言えば懐古とか郷愁という単語でしょうか。もっともこんなワードだけで遠い昔日を偲ぶなんて、私も年を取ったって証拠だなと思いますけど、ジャングルトレインの狭い上部寝台で、眠れぬ夜を過ごしながらいろんなことを考えてました。

現代社会の価値観は、ともすれば速度や効率に縛られがちだけど、やっぱりそれだけじゃダメだな、、こんなスローで非効率なことも人間にとっては必要なことなんだよ。。スロー、のんびり、ゆっくり、懐古、郷愁、レトロ、そしてノスタルジァだよ、なんてね。。

始め、マレー半島イーストコーストライン=マレー半島東海岸線って言うから、南シナ海が見える東海岸を走るのかと思っていたら、半島内陸部のジャングルを突っ切って走るだけ。でも、、だからジャングルトレインなんだよな。何かの本で読んだことがある。ディープなジャングルを突っ切って走るマレー鉄道ジャングルライン。。この文言にたまらなく魅せられたんだよな。

そう言えばそうだよ、みんなイーストコーストラインって言うネーミングにコンヒューズさせられるんだよ。いっそのこと、マレー鉄道ジャングルラインと公式にネーミングすれば良い。ついでに後ろに展望車でもくっつけで走らせたらきっと繁盛するんじゃないか、、、なんて、、誰か思わないのかなぁ。。

ガタンゴトン、ガタンゴトンと上下左右そして前後に激しく揺られながら考えてました。外は真っ暗何の灯りも見えず、今頃きっと、ディープなジャングルを突っ切って走っているんだろうな、ひょっとしたら線路の向こうからジャングルに棲む動物たちがこっちを見ているやも知れん。でも、列車が故障して、こんなところで立ち往生したら果たしてどうなるんだろう。さっき見た列車のドアなんて、ロックが壊れて半分開いてたよな。あそこから動物がいっぱい入って来るかもな。。。なんて、あり得ない、かつ、しょうもないことを思ってました。

ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、、、線路は続くよどこまでもだ、、あぁいい、実にいい。。寝台は狭くて窮屈だけど、洗濯済らしい汚れの見えないシーツはちゃんと敷いてあるし、、枕だって上掛けだって一見きれいで臭いもしない。寝酒が飲めないのがたまに疵かもしれないけどこれで文句言ったらバチが当たるよな。。。ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・・・・・

まさに昭和の時代のレトロな寝台列車、マレーの真っ暗なジャングル地帯を、ガタンゴトン、ガタンゴトンとゆっくり走る。興奮と揺れで眠れない夜に悶々としながら、それでもいつしかまどろんだらしく、ふと気が付いたら夜が白々と明けてきた。おっ、と時計を見ると既に6時半を過ぎてる。でも上寝台の小さな窓は、磨いていないせいかガラスが曇って外がよく見えない。。慌てて梯子を下りて、隣のブッフェカーに行ってみた。

おお、↓この景色、これぞ、、ジャングル・・・・・・・・・・・かな?

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ん、いや、後ろの大きな岩山の前を走るのは、、、、あれはバスじゃないか?とするとなんだここはジャングルじゃないな。

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そうこうするうち、列車が停車した駅↓は、結構大きな駅。ちょっと外に出てみようか、えーっと、この駅はどこの駅?Gua Musangと書いてある。ははん、グアムサンってこのあたりで以前大きな洪水被害が出たところじゃないか?おぉ、結構乗り降りする人もいるねぇ。

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食堂車に居たオッサン(後に再登場するが私と同年のマレーのオッサン)に尋ねたところ、ここはグアムサンと言うクランタン州の南の端の町だという。そうか、もうクランタン州に入ったのか?あとコタバル(ワカバル)まで5、6時間ってところだから、旅の半分は来てるな。オッサン曰く、この辺はライムストーンヒル、つまり石灰岩の山が特徴なんだそう。そういえばあちこちに見えてましたね。

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かなり長いことグアムサン駅に停まっていたジャングルトレインがようやく動き出してから私は寝台車に戻りましたが、こんなに長く停まると分かっていたなら、もっとうろうろと駅構内を探検してみれば良かったと思いましたが後の祭りです。

寝台に戻ると、なにやら賑やかな声。私の周りの寝台の下段を独占していたマレーのファミリィです。もうすっかり夜も明け、朝ごはんも食べ終えたところのようです。JB(ジョホールバル)からの帰りで、自宅のあるDabong(ダボン)までの乗車だそうです。

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いかにもマレーのダトー(ジジ)とネネ(ババ)という感じの祖父母を含む7人家族です。二人のちっちゃな女の子たちが可愛くて、つい話し込んでしまいましたが、私を日本人だと知ったジジババ、大変驚いた様子です。特にネネと、そしてネネによく似た顔のヤングレディ、ちっちゃい女の子たちの美人ママの妹だと言ってましたが、この二人、私にいろいろ質問してきます。なんでマレー語を話せるのかだとか、どこに住んでいるのかだとか、今日はこれからどこに行くのかだとか、子供はいるのかだとか・・・・・・

でもそう言えばマレーシア移住以来、今まで日本人と宣言して、いやな顔など一度もされたことがありません。それどころか日本人と言うとどこでも喜ばれ、歓迎されるような気がします。昨日(11月6日)も、クアラスランゴールの魚の仲卸屋さんで一緒になったマレーの方に、日本人か韓国人かと問われたので日本人だと答えたら、とても喜んでくれて、最後には新鮮高級魚までちょこっとタダで貰ってきましたもんね。、

日本人と言うだけで信用される、大歓迎されるなんて、私たち日本人にはとてもありがたいことなのですが、それだけ責任もあると言うことですよね。先日もKLのモスクを訪れた際、とある偉そうな宗教指導者の方に、日本人は気づかぬうちにイスラム教の教えの9割を実践しているが、モスクに来るムスリムはどんなに頑張っても7割しかできない。だから日本人は、あなたを含め、ほぼ全員が直ぐムスリムになれるのだ、、、などと言う、なんて反応すれば良いのか返答に窮するようなことを言われました。また、あるところでは日本は確かに先進国だが、技術や経済だけの先進国だけではない、社会意識やマナーの先進国なのだとも言われました。

ここまで言われると、ちょっと面映ゆい気がしますね。日本人はただそれだけでイスラム教信者と同じだから、すぐムスリムになれるなんて話はもちろん論外ですが、東南アジア、特にここマレーシアでは日本人は誰でもこのように見られていると思って間違いなさそうです。

さて、↓この真ん中のニコニコ顔のお婆ちゃん、娘さんやお孫さんの年ごろからすると、恐らく私よりもお若いのかも知れません。年齢を尋ねることはさすがに遠慮しましたが、私の年齢や12歳と9歳の孫がいることは告げました。まるで信じられないというようにビックリ眼(マナコ)のくりくりお目目をされていたのがとても印象的でした。

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さて、すっかり明るくなり車内の隅々までよく見えてきたので再度列車探検に出かけてみました。↓これは、ジャングルトレインの最後尾3両のうちの1両ですが、スーペリアクラス(Superior Class)と言う座席車の内部です。ちなみに寝台車はスーペリアナイトクラス(Superior Night Class)と言います。この座席車は寝台車に比べ少し運賃も安いのだと聞きましたが、日本の在来特急の車内よりレッグスぺースも広々していてリクライニングも十分です。なんだ、こっちでも良さそうだと思いましたね。

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今頃はまだ朝食の時間帯だろうから食堂車はさぞ混んでるだろうなと思ったら、あれ?ガラガラじゃん。え、なんで?

そう言えばさっきのファミリィも座席と言うか、寝台周りで食事を済ませたようだったけど、すぐ隣に食堂車があるのになぜなんだろうと思いました。だってここの食堂車って、飲食物持ち込み禁止なんて張り紙、どこにもないのだから、窓の大きな食堂車で外を見ながらお弁当食べたら良いのにと思いましたね。

ところでこのジャングルトレインの上下寝台って、夜モードのバンクベッドから昼モードの座席に機械的に手動でコンバートできる筈と思い、あちこちのレバーを触ってみましたが、これは無理でしたね。どうも寝台の各部が錆びついているせいか知らん、シートコンバージョンは機能しませんでした。後で車掌さんにこのことを尋ねたところ、やっぱりずっと前はコンバートできていたけど古くなった今は動かないって言ってました。

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↓この方は、さっき私がファミリィと話し込んでいた時に傍を通りかかり、私に英語とマレー語で話しかけてきた方です。この方も私が日本人と知っていろいろ親切にしてくれます。どうも私が食堂車に戻って来るのを待ち構えておられたようです。

JB(ジョホールバル)の方だそうですが、夫婦でコタバルの兄弟宅を訪ねる途中だそうです。以前は世界を廻る船乗りをされていたそうで、片言の日本語をあやつるとても陽気な方でした。偶然に旅の行き先(コタバル)が一緒だったので、それならばとワカバルからコタバル市内までの行き方を聞いたところ、自分たちはバスで行くが良ければ一緒に行こうということになり、大変有難いお話でした。

この方とはこの後、ようやく起きて食堂車に現れたP氏を交え3人でずいぶん盛り上がりましたが、元船乗りと言うだけあって、いろいろ知識の豊富な方でした。このジャングル列車のことや沿線の洪水被害のこと、そして半島東海岸地域における政府の鉄道整備計画に始まり、なんと手厳しい現政権やナジブ首相批判まで彼の談義は止まるところを知らず、辺りを憚らない声の大きさにこちらがハラハラするほどでした。

しかし3人で話し込んでいて感心したことは、友人のP氏のマレーシアや東南アジア各地に関する地理や歴史の知識のなんと豊富なこと。私を除く二人の会話は限りなくディープな内容に発展し、いやとてもついて行けないほどでしたが、そんな事柄には大いに興味がある私にとって、何物にも代えがたいとても実りある時間でした。(後で知ったのですが、P氏の趣味は地図と時刻表なのだそうです。なるほどね)

でもオッサンに尋ねたところ、この方(見た目がおっさんなので心の中では"オッサン"と呼んでました)が、なんと生まれ年が私と同じ。学年はひとつ下だと言う。P氏はもうちょっと若いけど、見た目も中身ももちろんオッサン同一世代。考え方も感性も価値感すらも似たり寄ったりの我々インターナショナルなオッサングループ3人組は、ジャングルを走り続けるレトロな食堂車の中でひと際目立つ怪気炎を延々と上げ続けていたのでありました。

このオッサンとはもちろん住所や電話番号などのコンタクトディテイルを交換したのですが、なんとその後、当日のコタバルのホテルに1回、KLに帰った後の自宅に1回電話がありちょっと驚きました。いやぁ、なんと言うかずいぶん人懐っこい人だなぁと感心した次第です。

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さて、ここからはしばらく車窓をお楽しみ下さい。↓ほら、こんな写真、いいでしょう。これ、私が列車のドアから身を乗り出して撮った写真なんですが、速度がゆっくりだからできる代物ですよね。

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でも撮影に夢中になり、注意を怠ると、線路沿いの樹木や生い茂った草などが突然肌に触れるほど眼前に迫りヒヤリとします。おぉぉ、危ねぇぇぇ。。

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もちろん、危険を顧みず、閉まらない開きっぱなしのドアから身を乗り出してムービー↓も撮りました。3分程度に編集していますので是非ご覧ください。



どうでしたか、あれ、ちょっと意外、と思いませんでしたか。そうなんですよ、もっとディープなジャングルらしいジャングルを走るのかと思いきや、意外や意外、これじゃぁ単なる田舎だよ、とはP氏の弁ですが、マレーのオッサン氏の説明にもあったように、鉄道沿線は既に何処にも開発の手が入り、もはやディープなジャングルとは程遠い景観です。

うーん、これにはちょっと期待外れでしたけど、それでもかつてはジャングル開拓のための入植者部落だったかと思わせる素朴で小さな集落が沿線に点在し、彼らのためであろう田舎の小さな駅を通り過ぎるたびに、このジャングル鉄道の名は、そんな昔の未開のジャングルの思い出鉄道なのかも知れんな、さもありなんと、一人合点していたひねくれ団塊なのでした。

↓ここはグアムサンとダボンの間にあるブルタムバル(Bertam Baru)と言う小さな駅ですが、まるで映画のワンシーンのような、なんとも鄙びた郷愁をそそる駅ではありませんか。

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次は↓、いくつかあるトンネル(Terowong)に入る直前のシーンですか、これも私のお気に入りの一枚です。これを見ているとまだ高校生のころ、蒸気機関車に引かれた長距離夜行列車に乗って、山形から九州の宮崎までなんとあしかけ3日もかけてインターハイに出かけたころのことを懐かしく想い出します。

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まだまだ何もわからぬ餓鬼揃いの我がチームの面々は、汽車の窓から顔を出してはワァワァと騒いでいたのですが、突然汽車がトンネルに突入すると、一瞬のうちにみなの顔が煤で真っ黒けになり、お互いを見合ってはゲラゲラ笑い転げていたものでした。

日本の現代の鉄道では、こんな風に走行中の列車のドアから身体を半分乗り出すことなど決してできないし、それどころか安全のために窓さえ開かない列車が多いですよね。確かに安全のためにはその方が良いに決まっているのですが、こうして、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような列車に乗っていると、もちろん自己責任なのですが、やりたいことがなんでも出来て、ある意味感動ものですよ。

ほら↓、身を乗り出したまま鉄橋を渡るときのこの怖さ、、、、スリル満点じゃないですか。。おゃ、気が付いたら、よくやるもんだ、なんて顔しながらP氏が後ろで見てましたけどね。

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しかしこちらの川はどこもかしこも茶色に濁っていてちっとも美しくない。日本のどこにもある清らかな川などほとんどない。でも、リバーサイドホテルとか、リバーサイドレストランとか悪びれずにネーミングするものだから、さぞ美しいかと勘違いしてはるばる出かけてみていつもがっかりするのだよ。

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↑この色、茶色と言わずにココア色、濁ったと言わずにリッチな色と言うのです。そんなのありか?

おお、↓こうやって見るとレトロなジャングルトレインは実に長大。飛行機などと違い、これだけで旅に出ているという気分になる。実にいい。

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そうこうしているうちに、ダボン(Dabong)やクライ(Kerai)も過ぎて、いつのまにかタナメラ(Tanah Merah)駅に到着です。時計を見ると11時40分過ぎ、なんだ目的地のワカバル(Wakaf Bharu)まであと二駅じゃないですか。。

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やっぱりこの列車、観光列車と言うよりは、一義的には地元の人たちのための生活列車じゃないでしょうかね。見るからに観光客然とした人たちはほとんど見当たらず、すべての停まる駅で大勢の地元の人たちが乗り降りしてますもんね。

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↓昨夜は暗くて気づかなかったのですが、よく見ると、随分と薄汚れたペインティングですよね。"cuti-cuti MALAYSIA"とは、マレーシアの休日と言う意味のマレー語ですが、とても観光省が力を入れている観光列車には見えません。

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さてさて、昨夜23時半ごろにゲマス駅を出発した深夜急行ジャングルトレインは、約13時間をかけてマレー半島中央部を走り抜け、一夜明けて本日12時40分、コタバル最寄りのワカバルに無事に到着しました。列車はこの後残り3駅を走り終着駅のトゥンパン駅まで行きますが、我々の列車旅はここで終了です。

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13時間などと言う近年まれに見る長時間のスローな列車旅、果たして何をして過ごそうか、などと言う心配はまったくの杞憂でした。期待とは幾分異なる景色ではあったものの、車窓を過るたくさんの素朴な集落や、停車はしなかったけれど小さな小さな多くの田舎駅は、遠い昭和の想い出や郷愁をそそるに十分足るものでした。

↓ワカバル駅構内にある売店です。

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↓駅の外に出て、ワカバル駅の全体を眺めています。

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そしてこれ↓は、ここから6kmほど離れたコタバル市の中心部に向かう路線バスに乗るため、列車で一緒だったマレーのO氏(オッサン氏のこと)夫妻の案内でバス停に向かって共に歩く途中に撮影したものです。途中の踏切から遠くにワカバル駅を見ています。

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P氏と並んで歩きながら話していましたが、意外に遠いバス停までの道のりに、正直言って、O氏夫妻の道案内がなければ、どこにバス停があるのか分からず苦労しただろうと思うほどの茫洋としたワカバルの田舎町でした。

O氏、別れ際に何度も何度もKeep in touchを繰り返していたのが印象的でしたが、早速その日のホテルでとKLの自宅に戻ってからと2度もの電話を頂戴し、彼の言うKeep in touchとはこんなに性急なことだったのかと少々驚いたことは既にリポートした通りです。
  
人が好くて陽気なO氏、他人目も気にせず自身の意見を浪々と述べる様を見て、彼はきっとマレーのひねくれ団塊に違いないと確信しましたね。

さて、以上で今回2回に分けてお送りした深夜急行ジャングルトレインの旅のリポートは終わりです。

この後、我々はコタバル市内のホテルに1泊して翌日(10月26日)、慌ただしくKLに戻りましたが、↓帰る前、空いた時間を利用して何かやろうと言うことになり、急遽Strong English Teaのカラーに染まるクランタン川のボートクルーズと洒落てみました。(なぁにStrong English Teaのカラーとはつまり汚く茶色に濁った川のことですよ)

↓得意げにボートの舵を切りながら、簡単簡単とはしゃぐP氏。

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↓P氏からボートの舵を任されても余裕しゃくしゃくのひねくれ団塊。

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帰りはマリンドエアのATR機、フランス製のターボプロップ機です。フライト時間50分ほどでスパン空港着陸でした。往きの13時間は何だったんだろうとは決して思いませんでしたが、古き良き時代の昭和の旅と速くて快適な現代の旅を同時に味わい比較する良い機会でした。

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ではまた。。。



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さて今回のブログは前回に続く「癒しの列車旅 in Malaysia」の第2弾、深夜特急ならぬ深夜急行ジャングルトレインの旅ですが、少し長くなりそうなので2回に分けてお送りすることとします。

今度の列車旅は、実は私自身ではなく友人のP氏の企画によるものですが、往年のバックパッカーを自認するスイス人の彼は今なおアドベンチャラスな旅が趣味なようで、奥さんや家族の心配をものともせずにここKLを根城にしてせっせと独り旅に出ているそうな。。。

そしてこの旅は我々(往年のバックパッカー氏にニッポン代表のひねくれ団塊が加わりました)がこの後に予定しているスマトラ島冒険の旅の前哨戦のようなものなんです。

前回のイポー行きの列車旅に出る直前に、P氏からこの話を聞かされた時に、慌ただしい旅になるなと思いつつも、私が二つ返事でOKした訳は唯一つ、深夜急行ジャングルトレインに乗る旅だからです。

"深夜特急"は、私がマレーシア移住を決意するきっかけとなった澤木耕太郎氏の紀行小説ですが、小説の中の列車旅は私の若いころからの憧れであり夢だったのです。

小説のようにマレー半島の西海岸を南下する列車旅とはちょっと異なるのですが、寧ろそれよりも今ではずっと魅力がありそうな、マレー半島の中央部を北上するジャングルトレインの旅、考えただけでもワクワクするではありませんか。

私はこのジャングルトレインのことはもちろん何かの本で読んで知っていました。今年の正月に初めてコタバルに旅行した際も次に来るときは絶対列車旅にしようと考え、このマレー鉄道東海岸線(KTMイーストコーストライン)のことをちょっと調べてみたところ、2014年12月、沿線地域の大洪水被害により橋が流されたとかで完全にクローズダウンとなり、以来復旧工事が続いているが、1年以上経過した今でもまだその運行再会の目途は立っていない、と言うものでした。

ところがこのたびのP氏の情報によると、今年の7月ごろからようやくその運行が再開したのだそうです。

え、それは知らなんだ。憧れのジャングル鉄道に乗れるだなんて、まさに私の長年の夢の一つの実現じゃないですか。しかも寝台急行だと言う。とすれば、今ではほぼ全線が電化して、ETSなどの新型の快適列車が走るようになったマレー鉄道西海岸線(KTMウエストコーストライン)では最早味わうことが出来なさそうなレトロな長旅ができるってことですよね。

ああ想像しただけでも胸が膨らみますが、しかもそんな旅のすべての準備をP氏がやってくれると言う。まったく、こんなことには労を厭わない往年のバックパッカー氏に大感謝です。

さて、旅は↓ここTBSから始まります。TBSとはTerminal Bersepadu Selatanの略でマレー語で南行き統合ターミナルの意味ですが、少々ややこしいのは、このTBSがKL中心部の南側に位置するKTMのBTS(Bandar Tasik Selatan)駅に隣接していると言うこと。したがって通称TBS-BTSと言われているのですが、ちょっとややこしいですよね。TBS-BTS? BTS-TBS? え、どっちだったっけ? なんてね。

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私はこのTBS-BTS、今回が初めての利用だったのですが、真新しいターミナルに入ってみて驚きでした。バスターミナルと言うよりはまるで空港の国際線ターミナルのよう。

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バスの発着情報を表示する電光掲示板だって、これ↓このとおり。KLからマラッカ、ジョホール・バル、シンガポールなど南方向に向かうすべてのバスがここから出発するのだそうです。

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待合室も新しくて、広くて、クリーンで、もちろん売店などの施設も充実していてとても快適です。新宿南口駅に最近できた綺麗なバスターミナルを思い出しましたが、ここはあの何倍もの広さですね。

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バスはここを出てから一路南へと走り、約2時間半かけてネグリ・センビラン州の小さな町GEMASに到着です。TBS-BTS出発が19時半ごろ、GEMAS到着は22時頃でした。駅周辺のGEMASの町はすでに暗かったせいもあり、バスを降りて駅を探すのにやや手間取りましたがようやく着きました。↓ここが今回のジャングルトレインの旅の出発点、マレー鉄道GEMAS駅です。

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最近建て替えられたらしいGEMAS駅は、こう見えてもマレー鉄道のハブとなる主要駅です。シンガポール方向から北上してくるマレー鉄道はここGEMAS駅で、本線である西海岸線と支線のような東海岸線に分岐するからです。我々が、東海岸線を走るジャングル鉄道に乗るために、KLから一旦南に下って来たのはこのためなんです。

↓GEMAS駅改札口横のチケット売り場です。マレー鉄道主要駅にしては小さなチケット売り場と小さな改札口です。それに待合室も小さいし、おそらく利用客があまり多くはないのでしょうね。この時も10数人程度の待合客でした。

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ところがホームに下りてみてビックリです。見て下さいこの立派なこと。これはマレー鉄道ハブ駅に相応しい堂々のホームです。

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待つことしばし、GEMAS駅ホームの3番線にお目当てのジャングルトレインが滑り込んで来ました。



わーっはっはーーー、おっ待たせぇぇぇ。。
おら、マレーシアの野原しんのすけ5歳!だぞぉ。。わーっはっは、でもコレ嘘だぞぉ。。

ホントはおら、マレーシアのジャングルトレインこと、EKSPRES RAKYAT TIMURANだぞぉ、後ろに電源車1両と客車12両(寝台車8両、食堂車1両、座席車3両)従えて、力いっぱい引っ張る米国GM製のジーゼル機関車EMD,Class25(25107)って名前だぞぉ。

おら、JB(ジョホール・バル)セントラル駅とタイ国境近くのTUMPAT駅間の526kmを結ぶマレー半島東側地域の大動脈鉄道の顔っつうか、代表選手なんだぞぉ。

おぉぉすごいなーって? いやぁ、それほどでも〜

近年発展著しい西海岸線に比べ可哀そうなくらいに取り残されてしまっちゃって。未だに複線化はおろか電化も遅々として進まないどころか、度重なる洪水被害によりつい最近まで運休を余儀なくされてたんだぞぉ、(涙・涙)

でも、こうしてまた走れるようになって、おらとっても嬉しいぞぉ。。

ほんじゃまぁ、出発お進行きゅうりのぬかずけだぞぉ。バイバイキーンのさよーなりー。。。
(以上クレヨンしんちゃん風に読むべし)

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そんな憧れのジャングル鉄道の入線のその時の感動の様子をムービーに撮りましたのでぜひご覧ください。なお、この前の写真は今日からブログトップに飾っている写真なのですが、実はこの動画からのキャプチャーなのでかなりのピンボケです。ご容赦ください。



我々の寝台車は後ろから5両目のT6。なんでここなのとP氏に尋ねると、食堂車のすぐ隣だからねとの返事。おぉ、P氏はやっぱり偉い。オレに任せろと言うだけある。

しかしこの姿、なにかとても懐かしい。郷愁を誘うというか旅情をそそるんですよね。そう言えば、もう廃止になりましたけど、上野駅と青森駅を結んで羽越線を走る寝台特急あけぼのとか、上野から秋田まで走る夜行急行鳥海とか、大阪と青森間を走った寝台車付き急行日本海とか、、涙が出るほど懐かしい。

特にあけぼのには若かりし頃の思い出がいっぱいある。都会での学生生活にまだ十分に慣れぬころ、夜遅くに上野を発って朝まだ暗いうちに酒田に着くあのあけぼのの狭い寝台に寝転がって、いっぱしの大人ぶってビール飲んでたあの頃。。

しかしあれから何十年。今の日本の鉄道はどこもかしこも新幹線だらけ。カッコ良くてクリーンで速くてチョー便利なのは言うまでもないけれど、私のような団塊人間にはチトもの寂しい、そんな気がするこの頃なのですが、なんと、ここマレーシアではジーゼル機関車けん引の"あけぼの"のような寝台車がまだ現役で走ってる。

まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような、そんな寝台列車が今、目の前にある。

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おぉ、こんな↓ところも何か懐かしい。

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そしてこの寝台。以前の"あけぼの"なんかとは違って、通路の左右に、進行方向に添って縦に寝台が配置されてる。確かこれって非個室型A寝台って言うんじゃなかったっけ。。

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こんな感じ。上下2段の寝台車。P氏の説明によると、上よりは下のほうがベッド幅が若干広くて、窓も大きいのだそう。でもその代わりに運賃も少し高いんだとか。と言っても、GEMASからコタバル最寄りのWAKAF BAHRUまで13時間も乗って上寝台がたったの40リンギ(約1000円)、下の寝台だって6リンギ(約150円)高いだけですよ。

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寝台車1両につき、左右に上下20寝台、合わせて40寝台のマレーの寝台車。車内の見た目はちょっと古くて、やや汚くて、乱雑で日本の寝台車のように、浴衣とかスリッパの用意はもちろんないけれど、見た感じ、まぁまぁの許容範囲。それよりも何よりもこのレトロな感じが最高。

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ここでお目見え、噂のP氏。私を撮ると言うのでジジも逆撮りのお返しでっせ。今回の寝台チケットは、下がすべて売り切れだったとのことで止むなく上寝台のみ。梯子での昇り降りはややきつかったけど、多分、私よりも大柄なP氏にとっては昇り降りよりベッドの狭隘さがきつかったのではと心配したが、翌朝聞いてみたら、全然平気だったと言う。流石、元バックパッカーだっただけはある。

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早速車内探検に出かけてみたが、先ずはこの洗礼。お、なんだ、なんだ、連結器の蓋が壊れてやしないか?

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良く見たら、連結器カバーと言うか、鉄の蓋が赤く錆びついていてねじ曲がり、列車の下の地面が見えてるではないか。うっかり足を踏み外しはしないかとちょっとビビる。

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そしてこのトイレ。この向かいには同じようなレベルの和式風便所もある。先日乗ったETSのクリーンなトイレとは比ぶべくもないが、まぁこれも許せる範囲と思う。ちなみに私はここで都合3回も用を足したがなんのためらいも不安も感じはしなかった。

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壊れかけた連結器上部に始めはちょっとビビったが、慣れればチョチョイのチョイと跨いで通り、造作なく隣の食堂車に移動。

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お、ほほぉ、こんな感じか、食堂車。もっとも英語で言うとこりゃダイニングカーとかブッフェカーと言うよりは、なんだろう、売店付きの座席車と言う感じ?

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カウンターを覗いてみたら、マレーのおっさんが一人居眠りこいてた。(笑)

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なにか旨そうなものはあるかと目を凝らしたところ、ナシレマとかミゴレンとかのマレーのどこにもある定番メニューだけ。でもなんでも安っ。。

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ほら、時間も時間だけにほとんど誰もいない。わずかにマレーのキレイどころが2人駄弁ってただけ。ついでに聞いてみたら、ジョホールバルから実家のあるタナメラまでの里帰りだそうな。彼女たち、このジャングルトレインの復旧をとっても喜んでました。だって、復旧前はコスト4倍、時間2倍かかったそうな。

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さてもう夜も遅いし、ジジも寝るとするか。てな訳でまたねじ曲がった連結器の鉄蓋の上を跨いで通り、自分の寝台によっこらしょとよじ登って身を横たえたのだが、妙に興奮してかなかなか寝付けない。

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それもそうだ、ガタンゴトン、ガタンゴトンとうるさぃ音に加え、縦に横に激しく揺れるジャングルトレインは、旅情や郷愁を通り越して単なる苦行の旅と化したのか。最大時速90km、平均時速40kmほどの現代ではあり得ないチョースローな旅の真っただ中にあって、ハテ、これが長年の夢だったのかしらんと、自問自答してもそれを打ち消すビールは手元になし。

寝台の小さな窓から目を凝らしても、外は真っ暗何も見えず、多分ジャングルを走っているのだろうと想像するのみ。時々停車する田舎の駅の灯りの寂しいこと。。そんなひとっところの駅に長く休憩しながら走るこのジャングルトレインは、深夜急行どころか、深夜鈍行と言うのが正解かしらん、そんなくだらないことを考えながらまどろんでも眠るまでには至らない。かくして悶々とした夜はまだまだ続くのでした。

その2- 1はこれで終わり。
続きは次回、ジャングルトレイン夜明けからの再スタートに乞うご期待。。