久々の気晴らし小旅行、今回はマレーシア東海岸の最北に位置するクランタン州の州都コタバル市です。

このコタバル市のことやクランタン州のことについて、実は私はマレーシア移住以来、いろいろな人たちからいろいろな場面で話を聞かされるものだから、機会があったら是非一度行ってみたいと思っていたのですが、昨年暮れにエクスペディアを何気に眺めていたところ、コタバルフリーチケットと言う文字が目に止まり、ホテルも良さげでとってもリーズナブル。良し、行こうと即決心し、このたびの新年コタバルツアーとなったと言う訳なんです。

前回ブログにも少し書きましたが、英語のニューキャッスル(新城)を意味するコタバルのこと、マレー系民族がほとんどで純朴なクランタンの人たち(Kelantanese)のこと、そしてその昔、大東亜戦争開戦時の日本陸軍の上陸地だったことなどに、私は以前から興味がありました。

しかし今回は、私独りだけのリサーチツアーではありません。親しい友人夫妻とのホリデー&リラックス目的のツアーですので、私の興味本位で全員を振り回すことのないように気を遣わなければと思っていたのですが、果たしてどうだったか、いつものことですが反省すべき点もあったような気がします。(笑)

調べてみたところKLからKB(コタバル)までは陸路だと約450km程度、夜行列車も長距離バスの運行もあるらしいし、もちろん車でも十分行ける距離なのですが、今回は当初からエアアジアと決まってましたので、これらのオプションは考える必要もありませんでした。

でももし再びKBを訪れる機会があれば、その際はKLを夜に発って翌朝KBに到着するKTMの夜行列車か、またはスバン空港から離陸できるファイアーフライの利用を検討してみたいと思います。

エアアジアのA320型機はklia2を離陸上昇し、水平飛行に入ったと思うまもなくもう降下開始です。機はどんどん高度を下げ着陸態勢に入ったようです。眼下には熱帯地方特有の赤い(茶色い)河が流れています。

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klia2を離陸してから40分ほどでKB空港(Sultan Ismail Petra Airport)に無事着陸です。こじんまりとした管制塔が見えています。

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着後、預け荷物もなく身軽な一行は、空港内タクシーチケットカウンターで、市内ホテルまでのタクシーチケットを30リンギで購入し、タクシーでホテルへ向かいました。30分ほどで滞在ホテルに到着です。

おぉ、思ったとおりなかなか良さげなホテルですなぁ。。

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↓これはホテルの部屋から東側、つまり海岸線方向の眺めなのですが、高い建物もほとんどなく、視界が180度に開けていて見晴らしがいい。あぁ、これが東海岸クランタン州のコタバルだ、、、と感慨深いものがありました。

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翌日、相談の結果、レンタカーを借りることにした一行は、先ずタイ国境に近いセリトジョ海岸に向かいました。↓パンタイ(海岸)セリトジョです。

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↑こうして見るとゴミひとつ落ちていない大変綺麗な砂浜のようですが、実はこの画面の左側松林の方向には夥しい漂着ゴミの山があるのです。年中夏のマレーシアと言えど、ここ東海岸の今はモンスーンシーズン真っ只中で、いわゆるオフシーズンです。モンスーンシーズンが開ける2月頃からは観光客も多くなるそうですが、それまでにはここいらの漂着ゴミの山は消えて無くなるのでしょうか。

今日はオフシーズンのウィークデー、しかもまだ時間が大分早いせいか辺りは閑散としています。それでもそこだけゴミのない松林の一角には既にジュースや揚げ菓子などを売る屋台もありましたので、これから人が出てくると言うことなのでしょうね。

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一行、マレー語会話の練習を兼ねて屋台のファミリィに話しかけてみました。そうしたら、この屋台一家のご亭主は70歳、こちらが聞いてもいないのに結婚は2回目でこのオナゴは二人目の女房だという。噂どおり、クランタン衆(Kelantanese)は陽気で人懐っこいようです。

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その嫁さん、と言うより62歳の婆さん、おっと失礼、私より若い女主人、私たち一行を興味ありげにじろじろと眺めていたのですが、私たちが少々マレー語を話すと分かると途端に相好を崩し、私たちのためにテーブルを広げたり椅子を並べたり、さぁここに座りなされ、これケロポックだよ、美味しいよ、ココナツジュースはどうかい?サトウキビジュースもあるよ、などと多弁に盛んに薦めてきます。

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薦められた揚げたてのケロポックを頬張りながら、私が、実は私は若くないんだよ、日本に孫が二人もいるんだよって言うと、なんとこの女主人子供が6人で孫が12人だと言う。子供は4人大学出してそのうちの二人が医者で一人が技師、んで、ここにいるのが一番出来の悪い息子なんだよって、アッハッハーと大笑い。

いやはや、なるほどクランタン衆は明るい、かつフレンドリィなんだねぇと一行は心底感心したのでありました。

このフレンドリィな屋台ファミリィに別れを告げ、次なるポイントに向かう途中、なにやら道路っ端に海産物らしき売店を発見。良く見ると小振りの牡蠣などの貝類や魚の干物が無造作に山積みされて売られてました。でもあの貝類は生のようだけどこんな日向に出して大丈夫なのだろうかと、ちょっっと衛生状態など要らぬ心配をしてしまった、こんなことにはちとウルサイ私なのです。

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海産物の売店を過ぎると左手の湾の向こうになにやらの養殖イカダらしきものが見えています。なるほど、先ほどの売店の貝類はあそこから来たんだな、と一同納得です。

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次に私の今回の最大興味の場所、旧日本陸軍の上陸地だというサバ海岸に向かいます。途中、たくさんの立派な仏教寺院があって、涅槃像(Sleeping Buddha)、立像(Standing Buddha)そしてこの↓ような、鎌倉の大仏のような坐像(Sitting Buddha)がありました。

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しかし何故ムスリム教国のマレーシアにこんなに多くの仏教寺院があるのか初めは不思議に感じましたが、直ぐに気付きました。そうです、ここはタイの国境に極めて近い土地です。その昔、国境のない時代、いや今もかも知れませんが、人も文化もなにもかもが交じり合っていたのですね。涅槃仏なとがあって当然、なにも不思議なことではないのです。

さあ、次は一度KBの市街地を抜け、コタバル市街地南東に位置するサバ海岸(Pantai Sabak)です。こんな場合、タクシーと違ってレンタカーは便利ですね。でもね、今回のレンタカー、ちょっと???なんですよ。

どういうことかと言うと、ホテルのフロントにお願いした際、マイビィかサガのどちらが良いかなんて聞くものだから、てっきりレンタカー業者さんに発注しているのだと思っていたのですが、しばらくしてホテルのエントランスに現れたマイビィはどこからどう見ても個人所有の自家用車。だって車のダッシュボードにサングラスなどの個人所有の小物類がおいてあるし、借用のための書類手続きや免許確認、車の状態確認や自動車保険の説明などは一切ないのです。

車を持ってきてくれたらしい何処ぞの男の人にキーを渡されて、あの車だよって、その一言のみ。ホントにただそれだけなんです。え、これレンタカーなの?なんかちょっと変だけど、ホテルのフロントを通じている訳だし、フロントの彼女、24hで140リンギって言ってたし、オレたちも車が使えればそれで別に文句はないし・・・と、一行は首を傾げながらも納得したのでした。

さぁ、着きました。ここが旧日本軍が上陸したと言うサバ海岸です。でも、これナニ?この護岸提みたいな奴。良く見てみると北のほうから南のほうまでずっと続いています。この石積みの護岸提に登ってみましたがこれじゃあ当時の名残など期待する方が無理と言うものです。

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護岸提の内側には直ぐ傍まで家屋などが建ち並んでいるんですけど、提の上から比べてみると、内側の地面はどうも海面と同じぐらいかやや低いんじゃないかなんて感じたのですが、これ私の目の錯覚でしょうか。ひょっとしてこの辺り海抜ゼロメートル地帯なのかも知れませんね。護岸提はそのための防潮堤なのでしょうか。。地元の方に聞いたら洪水予防だよって言っていましたがね。

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護岸提の内側には日本で言うところの海の家みたいな、こんなカフェもあって、ちょうどお昼時でもあったし我々もここでランチすることにしましたが、そのランチはお世辞にも美味しいと言えたものではありませんでした。これはハズレ、残念!

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その場に居合わせたローカルの方たちや店の人にちょっと話かけてみましたが、この辺りが旧日本軍の上陸地だったことなど誰も詳しいことは知らなさそうでしたし、興味もまったくなさそうでした。そりゃそうですよね、今から遥か75年も前のことですから、ここの人たち、まだ誰も生まれてもいない昔のことですからね。これもハズレ、残念!

さて、サバ海岸を後にした一行は、KB市内の博物館めぐりと市場に行ってみることにしました。先ず最初はイスタナ・ジャハー(旧王宮)です。

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もちろん私は、事前にKBの名所旧跡、Must see placeやMust visit placeなどをチェックしてみたのですが、いずこも今いちパッとしません。ゲストコメントがいずれも低評価なのです。まあ、要するにこのKBにはほとんど見るべきものが無いということなのでしょうかね。

イスタナ・ジャハーのバルコニーから外の広場を眺めたところです。こうやっているとまるで民に手を振る王になった気分ですね。

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空港の近くにもありましたが、あれが王家の門なのでしょうか、ずいぶん立派なモンです。(これ掛け言葉=オヤジギャグです)(笑)

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↓イスタナ・ジャハーの内部です。でもこじんまりとした王宮ですね。見るべきところも大して無いのにこれで入場料4リンギとはちと高いような・・・

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次に、直ぐ近くにあるクランタン・ハンドクラフト・ビレッジなるところに寄ってみることにしましたが、残念ながら既に閉館時間を過ぎていてビレッジの外の売店を眺めてお茶を濁しただけでした。

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↓クラフト・ビレッジの売店です。一同、ふぅーん、こんなもんかぁと、まさにお茶を濁しただけでした。

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この後、KB最大のマーケット(Pasar Besar Siti Khadijah)に行ってみたのですが、写真で見るとは大違い。もっともこの時間はほとんどの店がクローズしていて見るべきものはなにもなかったのです。私としたことが、市場は午前中に行かねばと言う鉄則をなぜかすっかり忘れてました。

それでも一部の店はまだオープンしていて、そこで売られている野菜や鶏肉などを見て廻ったわけですが、それがいけなかった。周りには汚い生ゴミが散乱してるわ、大小のラットが走り回っているわ、挙句のはてに真っ黒なハエが、野菜にも鶏肉にもびっしり張り付いていて、近づくとわっと飛び回る。いやはやあれにはぎょっとしましたね。

もう店のほとんどがクローズしていて、あそこで売られていたのは残り物だったのかも知れませんが、食品を売る店がコレではいけません。

こんなんじゃしょうがないね、見ないほうが良かったねと、一同相談した結果、市街からちょっと離れたところにあると言うナイトバザーまで行ってみることにしてレンタカーのマイビィを駆ったのですが、現地到着して尋ねたところ、ここは夜8時にならないとオープンしないのだと言う、オイオイ、今回はどうも何かがずれているのか上手く行かないなぁと一同ショボン。これって私の情報確認不足のせいですね。

思案の結果、KB市街まで一度戻り、食事をしてから出直すことにしましたが、でもこんな時でも、やっぱり無料ナビアプリのWazeは凄い。何処にでも何度でも文句ひとつ言わずにきちっと案内してくれる。実に頼もしい味方です。

でも今回のツアーで、私はひとつだけKBに不満がありました。それは酒屋がなかなか見つからないこと。ショッピングモールに行っても、セブンイレブンに行っても、なんとホテルのレストランにも酒が無い。

いくらムスリムが9割の土地柄とは言え、飲酒が一般法で禁止されてる国じゃないんだから、観光客用に酒ぐらい売ってよ、と晩酌を欠かせない私は大いに不満でしたが、いやいや敬虔なムスリムの方たちに言わせれば、たった3・4日ぐらい酒を飲まなくたっていいじゃないか、そんなこと言ってたらサウジやブルネイなんか行けないぞ、だと。。

冗談じゃない、私は、サウジやブルネイなどには死んでも行きません。日本酒やウィスキーやビールやワインが飲めないなんて、夕食時の楽しみが半減どころかなんにも無くなります。いくら美味しい食事でもアルコールのほろ酔い気分が付いてなければただの腹の足しです。おぉ、神様、仏様、こんな呑平な私をどうぞ許してつかぁさい。

でもKBの夜は長い。意地でも探すぞと意気込んでいたところ、なんと初日の夜にタクシーの運ちゃんが連れて行ってくれました。ゴールデン・シティ・レストランと言う名のバーです。バーなんですけど、ここはウェスタナーやチャイニーズの客がいっぱいいて雰囲気も料理もベリィグッド。そして帰りがけに頼んでみたらビールボトルのテイクアウトもOKでした。

と言うわけで、寝酒用のビールは確保できたのですが、やっぱり近くのスーパーやコンビニで買い足しが出来ないとなると私のような人間にはいささか不安です。

ホテルは部屋も快適だったし朝食の種類も質もグッド、コストパフォーマンスの高さは多分これまでのベストスリーに入るぐらいでしょう。そんな中、唯一アルコールを売る店がなかなか探せないこと・・・・、あっそれと、流しのタクシーがなくて街中で気軽にタクシーをキャッチできないこと。街中でタクシーに乗るには、市内に何箇所かあるタクシースタンドまで歩かなければならないのですが、炎天下のウォーキングは激大変。。まぁそんなところが今回KBツアーの不満といえば不満だったかも知れませんね。

えっと、話が横道に逸れてしまいましたけど、どこまで話しましたかね。

あぁそうそう、街で食事して、またナイトバザーに戻ったのですが、あそこのナイトバザー、だだっ広いだけ広くても中身が極めて薄い。だって売ってるものがどこの店も似たような衣類や履物の類ばっかりだし、私の目当ての海産物がぜんぜんない。日中に行ったPasar Besar Siti Khadijahもそうだったけど、ベトナム・ホーチミンのベンタイン市場ようなところを想像してたのにがっかりでした。



さて、KB3日目です。この日は前日(2日目)に時間が無くて行けなかった残りの博物館などをタクシーと徒歩で巡ることにしました。先ず初めは戦争博物館です。

こんなところに興味があるのは私だけだったのでしょうが、残りのみなさんも嫌がらずに付き合ってくれました。

おほっ、これ↓は英印軍のコタバル海岸陣地防御要図ではないですか。前日に訪れたあのサバ海岸の辺りなのでしょうが、こうやって見ると、日本軍の東海岸への上陸を予期して防御線が二重、三重に周到に準備されていたのですね。

と言うのは、マレー半島東岸は断崖地形が続き、上陸作戦が可能な海浜はここコタバルとタイ王国領内のみだったので、英印軍も上陸適地のコタバルには1個旅団を配置しトーチカ陣地を構築していたのです。

しかし1941年12月8日、英印軍の意標を突いた日本軍の敵前強襲上陸に抵抗できず、あっという間に突破されてしまったのですね。

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結局のところ、コタバルの英印軍防衛隊はたった4日で撤退を余儀なくされ、上陸した日本陸軍はこの銀輪↓を巧みに使用してマレー半島進撃作戦が開始されたわけです。

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その後日本軍は、英印軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを快進撃して、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入、2月8日にはジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸、15日に英印軍が降伏してマレー半島進撃作戦は終了したのです。

これ↓は日本統治の一部を示す当時の資料の展示ですが、コタバルの各小学校とも朝礼時には君が代を歌っていたと記されていてちょっと考えさせられました。

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しかし既に75年の前のことで、当時を知る人にはやはり巡り会えませんでした。旧日本軍の非道な残虐行為などがクローズアップされている昨今、私はどうしても真実をこの目とこの耳で確かめたいと願っているのですが、今回もそれは叶いませんでした。しかしながら言えることは、今回訪れた戦争博物館の展示物や資料を見る限り、そんな非道な残虐行為を肯定するなにものもありませんでした。

かくして3泊4日のコタバルの旅も終わりました。期待したほどの成果は得られなかったかなと言うのが正直なところですが、単独のリサーチツアーではないわけですから、まぁこんなもんでしょうね。でもまたいつか、機会があったらじっくりと見て、聞いてみたい土地ではあるなと感じた次第です。

市内中心部の独立記念広場にある時計台(クロックタワー)です。

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最後に帰りのエアアジア機からコンデジ撮影した空撮画像を少々ご覧あれ。

↓コタバル空港離陸直後の東海岸線

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そしてこれは、どこか分かりますか?そうです。クアラルンプールの市街地です。エアアジア機はKL市街を左眼下に見ながらKLIA方向に徐々に降下しています。

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上↑の画像を良くみると、わが街モントキアラが見えているのですが分かりますでしょうか。写真の右端、翼の下に、新王宮とモントキアラのコンドミニアム群がくっきりと写っています。元の写真で拡大してみるとなんとわがコンドも識別できました。

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そして↑KLIAです。エアアジア機は飛行場を左に見ながら大きく左旋回をして最終進入経路に入ろうとしています。

以上、今回もついだらだらと書いてしまいましたが、ここまでお付き合いいただいた方、大変お疲れ様でした。これに懲りずに本ブログを今後もご愛顧いただきますようお願いいたします。

それではまた。。



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