早いもので今日はもう10月6日、キナバル山の山行からすでに約1ヵ月も経つのですね。

ところで最近のKLのヘイズはまったく酷いものです。思えば先月、サバ州のコタキナバルからKLIA2に戻った際には、辺り一面が濃いガスに覆われていたのには驚きましたが、あれからひと月も経つと言うのにこのヘイズ、まだまだ改善されそうにもありません。

こちらのSNSでは毎日、このヘイズがいかに人間の健康に害を及ぼすか、新聞等で毎日発表されているAPI(空気汚染度指数)が隣国シンガポールと違いすぎる、調べてみると観測基準やシステムが違うらしい、シンガポールや日本、欧米ではPM2.5を採用しているがわが国(マレーシア)ではいまだにPM10らしい、これは政府の怠慢ではないか、などなど様々な情報や憶測が飛び交っています。

しかし、今日のブログはこのヘイズに関することではないので、このことについては別の機会に書きたいとは思いますが、たまたま昨日の日本人会の英会話クラスの授業で、このヘイズの原因の一つとされているインドネシアのピートランドの火災のことを話題にしたら、先生に”ピートランドと言うワードはありませんよ、ピートと言うべきです"と訂正されてしまいました。

私が、"え、そんなことはないでしょう、新聞などにも普通に使われているし、ピート(泥炭)でできた土地という意味ですけど"と反論すると、”そんな言葉はUK(英国)にはありません”と一蹴されてしまいました。(実はピートランドは、ピート+ランドの合成語で今では英英辞書にも掲載されています)

この先生、英国出身のシニアですが実は私と同い年です。普段は落ち着いていてとても聡明な女性なのですが、ご自分の指導に対する反論には少々感情的に抵抗するのが常です。

UKにも団塊世代なるものが存在するかは知りませんが、彼女も言ってみれば、私と同じひねくれ団塊なんですね。だからこそ私には良く分かるのですが、例え自身が絶対だと思うことであっても聞く耳は持たなければいけませんね。

いや、このことはこれから書こうとするキナバル山とは何の関係も無いことなのですが、何を言いたいのかと言うと、人間、齢をとると当然ながら人生における様々な知識・経験が備わるもので、ともすればそれを絶対と信じてしまいがちです。そしてそのことが慢心(まんしん:驕り高ぶること、自惚れること)を産み、油断に繋がるのです。

いや、これはなにも私の英会話クラスの先生のことを指して言っているのではありません。今回の自分のキナバル登山を省みて述べています。慢心からくる油断がトレーニング不足を産み、想定外の地獄を味わいました。

いくつになっても慢心するなかれ、油断するなかれ、ですね。今回のキナバル登山で深く深く反省しました。



さて、昨夜は滝のような激しい雨でどうなることかと思いましたが、明けてみればこれこのとおり、雨がすっかりあがり爽やかな青空です。

2015091050.jpg

ラバンラタのレストハウスから外に出てみると眼前に巨大な岩山が迫っています。腕のプロトレック(アウトドア用腕時計)をみると気温は9度、久々の冷気が肌に心地良くそしてとても懐かしい。このままいつまでもここでこうやって山を眺めていたい気分です。

ところで思い出しましたが、昨夕、このプロトレック、一時行方不明になりました。その原因はもちろん私自身にあるのですが、洗面所で顔と手足を洗うためにプロトレックを腕から外し、洗面台に置いたまま、部屋に戻ってきてしまったのです。

そのことに気がついたのはやや暫く経ってからです。慌てて洗面所に行ってみるとそこにはなにもありません。階下のレセプションデスクに行ってそのことを告げると、なにも届いていない、今日の宿泊者は多くはないけど、拾得物として届く可能性は多くないと諭されました。

あぁ、またやっちゃったよ、オレってなんでこうもドジばっかり踏むんだろう、と悔しいやら情けないやら。しかし、止むを得ません。これも勉強です。でもこんな勉強、今まで何十回、何百回(これはないか?)繰り返してきたことか・・・

プロトレックはずっと愛用してきた登山グッズのひとつだけど、悪いのは誰でもないオレだ。諦めよう・・・、そう思ってました。

しかしその後、レストランで夕食を摂っていた際に思いがけないことが起こりました。昨日の登りで途中まで一緒だった青年たちの一人が、私に、プロトレック(プロトレックという言葉を使って)を洗面所に置き忘れませんでしたか?と問いかけてきたのです。

えっ?そっ、そうなんだけど・・・と口ごもると、彼は笑いながら、これでしょう、と言って私のプロトレックを差し出してくれたのです。なんと言うことでしょう。咄嗟に私はとても恥ずかしい気持ちになりました。実は、あの後、洗面所を利用したのは、多分この青年たちだろうと思っていたのです。

でも、彼らを部屋に訪ねて、そのことを問いかけることはとても勇気のいることです。と言うか、もし拾得者がいなかったら、彼らに対して抱く私の気持ちはどうなるだろう、彼らにしても私に疑われたのかとの嫌な気持ちになるだろう、などの思いが交叉して結果としてそのことを躊躇してしまいました。

例え旧いプロトレックであっても、温度・気圧・方位センサーを装備している登山用腕時計は彼らにしてみれば価値のあるものでしょう。仮に偶然に拾得した誰かが自身の懐に入れてしまったとしても責められないと私は判断していたのです。

しかしそんな私の思いはそれこそ傲慢そのものだったと知らされました。思い起こせば、マレーシア移住以来、これと似たようなことを幾度か経験しました。いつかショッピングモールでデジカメをどこかに置き忘れた際もちゃんと受付に届いていたし、すっかり忘れてしまいましたがその他のこともあったような気がします。

日本ならば届くだろうが、マレーシアでは到底無理だろう、などと言う私の傲慢で独り善がりの思いが幾度も砕かれたのです。瞬間的にそんなことも脳裏を過ぎり、またまた恥ずかしい思いをすると共に、マレーシア青年万歳と叫びたくなりました。

実に気持ちの良い朝です。目の前に迫る巨大な岩山を見ているとわが身のなんとちっぽけなこと、大自然の偉大さにひれ伏しその下僕となる、昔から感じていた山への畏怖を今また感じています。

2015091051-1.jpg

ラバンラタのバックを見上げると上方にはこんな↓奇岩も望めますが、頂上までのトレイルが可能ならもっと間近で見れるだろうにと残念でなりません。(しかし今日のこの脚ではちょっと無理かも知れない。そう言う意味では恥ずかしながら言い訳ができて良かったのかも知れませんが・・)(笑)

2015091051-2.jpg

これ↓はインターネット上から拝借した画像です。バックの岩山とラバンラタの正しい関係位置を知る上でとても参考になります。ラバンラタの直ぐ上は鋭く切り立つ巨大な岩盤となっていて実に壮大です。これを眺めていると、這ってでも登りたいと言う気持ちがまたしても湧いてくるようです。

2015091051-3.jpg

これ↓は、現在ブログのトップに据えている写真です。登山前日に宿泊したロッジ前から撮影したものですが、小さな赤丸がラバンラタです。

2015091051-4.jpg

アンクー、アンクーと彼ら↓は私をこう呼びます。アンクー(Uncle)はマレー語でおじさん、おばさんはアンティ(Auntie)です。親しみをこめてこう呼ぶのです。昨日以来、彼らはなにかと私に話しかけてきます。この写真撮影時もアンクー、アンクーの大合唱でした。

2015091053.jpg

なんて気持ちの良い若者たちなのでしょう。聞けば、コースレクチュアラー(助教授)を含め20数人もいるのだそうです。私には皆同じような若者に見えて誰がレクチュアラーだか生徒だか分かりませんが、男子も女子もみな爽やかです。彼らにしてみれば私の年齢は祖父よりも上、外見はそうでなくてもまだ少し脚を引きずって歩く私を見て、頑張れアンクー、と大合唱してくれたのです。

2015091057.jpg

さて、そんな彼らより一足先に下山することにしました。岩場のごつごつした登山道はまだ昨夜の雨で濡れています。すべって転ばぬよう慎重に下ります。途中なんどもこんなポーターさんたちとすれ違いましたが、なかには女性ポーターさん↑もいるのですね。たいしたものです。

2015091054.jpg

まだ上空には青空が見えていますが、変わりやすいのが山の天気です。ほら、そう思うまもなく下からガスが湧いてきました。

2015091055.jpg

昨日の登りでは、両大腿の痙攣に悩まされて登山道沿いの植生も見る余裕がありませんでした。でも、今日はそれぐらいの余裕はあります。まだ脚の痛みは完全には取れていませんが、下りなので痙攣の心配はありません。

2015091056.jpg

この↓マツの枝の先の赤い花、Rhododendron Ericoides(推定和名:エリカシャクナゲ)だろうと思います。(注:花の名前等はあらためて図鑑で調べた結果です。以下同じ)

2015091058.jpg

上のエリカシャクナゲと良く似た花ですが、こっち↓はピンクです。ウツボカヅラの側に咲くこの花は、Rhododendron Rugosum、和名はキナバルシャクナゲと言う花だと思います。

2015091059.jpg

そしてこれ↓が熱帯雨林特有のウツボカズラ、食虫植物です。これは、キナバル山固有種でNepenthos Villosaと言う名のピッチャープラント(ウツボカズラ)です。これは下山途中に合流した、サミットトレイル調査隊の日本人の方に教えてもらいました。

2015091060.jpg

これ↓はVaccinium Stapfianum、和名は多分キナバルスノキだと思います。

2015091061.jpg

そして、一見ナナカマドの実のように見えるこれ↓はなんの実なのでしょうか。調べても結局判りませんでした。

2015091065.jpg

これ、ワイルドラズベリーですよね。以前、よく鳥海山の野いちごを口にしていました。登山中の喉の渇きを癒してくれる山の果実です。思わず口に含み噛んでみましたがあの懐かしい甘酸っぱさが口いっぱいに広がりました。

2015091065-1.jpg

これ↓地面の苔の間から生え出た新芽ですが、余りの可愛さに思わずシャッターを切りました。この色とても癒されますよね。

2015091066.jpg

ここ↓は、ラバンラタから1.5KM、ビローサシェルターです。

2015091068.jpg

キナバル山のトレイル(登山道)は下半分が階段状にきちんと整備されていて、登り易く下り易い、でも昨日の私はこれに騙された感がありますが・・・。そして、上半分はこの↓ようなごつごつした茶色のガレ場のようなトレイルです。

2015091067_2015100603131627e.jpg

ここは、ラバンラタから2KM、ティムポハンから4KM地点のメシラウトレイルとの分岐(合流)点です。ただし、まだメシラウトレイルは復旧工事中とのことで閉鎖されていました。

下るに連れてガスに覆われてきました。雨の心配はなさそうですが、トレイルがかなり濡れていて滑りやすいのが気になります。

2015091069.jpg

おぉ、下からなにか大きなものを担いでポーターさんがやってきました。すれ違いざまに尋ねると冷凍庫だそうです。しかし、どのポーターもマウンテンガイドも軽装なのには驚きます。Tシャツに短パン、それに運動靴かサンダル履きがほとんどです。日本人登山者のように上から下まで高価な登山専用の服装や登山靴ではありません。

2015091070.jpg

これで本当に良いのだろうかと、日本で習い憶えた山の服装の常識からすると、心配になりますが、なあにこれで十分だよと言わんばかりにみな軽々と登り下りしています。

これじゃ、この国では山や(登山専門店)さんの出番がないだろうなと思っていたら、KLには最近、ノースフェイスなどの専門店がぞろぞろ出店していて、若い人たちで賑わっているそうです。この国でも山ガールが幅を利かす日が意外と近いのかも知れませんね。

・・なんてことを考えながらゆっくりと下っていたら、例の青年たちにあっさりと追い越されてしまいました。

2015091071.jpg

みな足取りも軽く鼻歌交じりでひょいひょいと下っていきます。いやはや、これが年の差なのか、、でも、若い人と張り合ってもしょうがないからね、なんてこの期に及んでまだ負け惜しみ言ってる情けないひねくれ団塊の私です。

2015091072.jpg

これ↓見て下さい。見事な苔の壁回廊です。

2015091073.jpg

そして、またこれでもか、これでもかと言う階段です。昨日はこの、一見楽な階段登りに騙されました。下りは痙攣の心配こそないもののやはり脚や膝にはかなり負担がかかります。しょぼいカニさん歩きで延々と続く階段を下りてきました。

2015091069-1.jpg



この後、ティムポハンゲートに続く坂を最後の力を振り絞って登りきり、今回のキナバル登山を無事に終了したわけですが、いや正直言ってほとほと疲れました。しかも今回登山は頂上ではなく、途中までだったのに予期せぬ苦労をしてしまい、これも今までの慢心と油断が招いた自業自得なのかと反省することしきりです。

しかしなにはともあれ、怪我もなく、他人に迷惑かけることもなく無事に帰って来れた、これでいい、これで良いのだと自分に何度も言い聞かせてました。

それにこのキナバル山の山懐(やまふところ)であの爽やかな青年たちとの出会いがあった。大自然の前で、すべての人間はその小ささやひ弱さを思い知らされ、まことに素直になる、誰もが平等で他人を気遣い、そして優しくなる。人種や宗教を問わず、言語や文化を問わず、そして年齢も地位も問わずです。だから私は山が好きなのだと、久しく忘れかけていた山への思いがまたぞろ蘇った今回の山行でした。キナバル山、ありがとう。。



以上で、3回に分けて綴ったキナバル山記を終わります。
最後までお付き合いいただいた方、大変ありがとうございました。

それではまた。。



スポンサーサイト
ティムポハンゲートの奥にある鉄柵をくぐり抜けると、そこは下り坂から始まる森の小道でした。

2015091018-1.jpg

前後に登山者の人影はありませんがそれもその筈です。

9月1日に入山が一部解禁されてから今日でまだ9日目と日が浅くその情報がまだ行き渡っていないだろうこと、登山が再開されたと言ってもまだ途中のレストハウスまでであること、登山許可数が1日約200人から100人に半減されていること、などが影響しているのでしょうか、今日の出発前のキナバルパークHQ前の様子ではせいぜい2~30名程度の入山者数なのだろうと思います。

この大きな山懐に僅かそれだけの入山者です。しかも今日は、陽射しも柔らかく、風はほとんどないものの暑くもなく寒くもない。この分では思う存分静かな山行が楽しめそうです。

2015091019-1.jpg

私が先行し、赤い傘をザックに刺して軽快ないでたちのヤングガイド、シャー君が私のペースに合わせてゆっくりと後方からついて来ます。するとまもなく左手に小さな滝が現れました。

カーソンフォールと言う名の小さな滝です。シャー君によると、このティムポハントレイルでは後にも先にも滝を間近に見られるのはここだけだそうです。

2015091020.jpg

おっ、さっそく可憐なピンクの花を発見。シャー君に花の名を尋ねると、"ピンクの山花"だそうです。(笑)後で調べたところ、Kinabalu Balsamと言うボルネオ島の固有種で、2000m程度の高山帯、湿った水捌けの良い熱帯雨林の日陰で育つ山花とのことでした。

2015091021.jpg

さて、いよいよ本格的な登りが始まります。でも、この登山道、極めてよく整備されています。もっと木の根や岩の塊がごつごつしていて、さぞ歩きにくいトレイルだろうと思っていたのですが、とても歩き易くて気持ちの良い登山道です。

2015091022.jpg

スタートから1km地点にあるポンドク・カンディスです。ポンドクとはマレー語でシェルター、つまり避難小屋の意。いや、でもこの避難小屋と言うか休憩施設は実に素晴らしい。仔細に見てみると、トイレは完全な水洗トイレです。外に自然水の貯水式ウォータータンクがありましたが、こんな山道にこんなに綺麗な水洗の手洗い施設とは、流石に世界文化遺産のキナバル山ですね。感心しました。(シャー君に聞くと、登山道のすべてのシェルターに同様の水洗トイレがあるのだそうです)

2015091023.jpg

さて休憩後に、また緩やかに続く階段状の登山道をいつものペースでゆっくりと登って行きましたが、お、先行のグループに追いついてしまったようです。きっとあれは出発前にキナバルパークHQで見かけた若者たちだ、待てよ、このペースで追いついたと言うことは、彼らがスローなのかこっちが速すぎるのか、などと考えながら、それからはつかず離れず一定の距離を保ちながら登りました。

2015091024.jpg

ここ↓はポンドク・ウバ、スタートから1.5km地点です。昨夜、キナバルパークのスタッフに聞いたところ、この1.5km地点に地震被害箇所があるとのこと。

2015091025.jpg

どうやら、この辺り↓が地震被害箇所のようです。

2015091027.jpg

新しい赤土が剥きだしになっていて、地震で崩れた登山道を復旧した痕がまだ生々しく残っています。

2015091028.jpg

地震被害箇所に立ち止まっていた先行の若者グループに合流しました。ちょっと話しかけてみると、みんなにこにこ笑顔で元気溌剌、いやぁ若いって素晴らしいですね。

2015091029.jpg

その後しばらく抜きつ抜かれつしながらゆっくりと登るうち・・・・・・・・う、突然、なんか脚がちょっと変、太腿に嫌な感じの予兆です。え、これ太腿の痙攣か、まだ半分も登っていないのに、そしてそれほどの急登でもないと言うのに、痙攣だなんてなんてことだ。

2015091029-1.jpg

そう言えば久々に思い出しました。毎年山シーズンの始め、特に山スキーのシーズン初めに必ずと言っていいほど毎回経験する太腿の痙攣のことです。脚力が弱いのだと言われればそれに尽きるのかも知れませんが、若い頃から大の運動好きで、走ることも歩くことも得意だし、瞬発力にも持久力にも自信がある筈だったのに、いつも太腿が痙攣するたびに思ってました、オレってなんでこんなに太腿が弱いんだろうって。

ある一定の登板を続けているとやがて必ず襲ってくる激痛のこと、すっかり忘れかけていた嫌な思いと不安が過ぎりました。そう言えば、スクワットとか今回は全然してなかったよ。キナバル山に登るから身体を鍛えなきゃと思って足繁く通っていたジムでも、スクワットだけはしてなかったよね。

あぁ、オレってなんてドジなんだろう。キナバル山を舐めていたわけでもなんでもないのに、いや、途中から頂上じゃなくてラバン・ラタまでって決まってから、ちょっと気が緩んでいたのかも知れません。

しかし、この分だと間違いなくまもなく痙攣に襲われる。体力カウンターはまだまだ十分余裕なのに、太腿が攣って歩けなくなるなんて、前後して登っているあの若者たちの前でも恥ずかしい。。

なんてこと考え始めた途端に気持ちにも余裕がなくなりました。静かな山行を楽しむどころか、可愛い山の花を愛でる余裕も、森の新鮮な空気を味わう余裕も失せてしまいました。

そして、ついにです。最初は片方ずつ交互に、そしてやがては両腿同時です。言葉では言い表せないほどの太腿の激痛です。以前も随分悩んだことがあったのですが、これは単なる筋肉疲労なのか、カリウムなどのミネラル・ビタミン不足なのか、はたまた水分摂取不足なのか・・・・・・・

分かっていることは、一度太腿の痙攣に襲われたら最後、ちょっとやそっとでは治らないこと。マッサージや休息で一時的には快復するが、登りを再開するとまた何度も何度も繰り返し襲ってくるのです。

いつかも冬山でスキーを履いて登るうち、突然この痙攣に襲われ、深い雪の中でしばらく動けなかったことがありました。太腿以外の脹脛などの筋肉はすこぶる快調なのになぜいつも太腿だけが痙攣するのだろうと不思議に思ってました。

でもそれは決まってシーズン初日だけなのです。一度痙攣が起きると翌日からはもう二度と襲われずシーズン最後まで安心です。と言うことは普段まったく使っていなかった筋肉を突然酷使することが原因ではないか。でも条件は誰でも同じはずなのにこれも不思議ですよね。

これは仕事(自重を引力に逆らって上方に引き上げること)に比してパワー(大腿の筋肉量)が少ないのだろう、でも翌日から二度と起きないことはこれだけでは説明がつかない、不思議だ・・・・・・・・・などと昔から屁理屈ばかりこねていました。(昔からひねくれていましたからね)(笑)

分かりきっていたことなのに、今回は予防策としての肝心なスクワットはほとんどやらず、思えばほとんど関係のない筋肉だけを鍛えていたような気がします。私の一番の弱点と良く分かっている太腿の準備をまったくお座なりにしていたし、最近は食欲だけが旺盛なため自重(体重)を減らすことにも成功しませんでした。

加えて、以前の山行には常に携帯していたスプレー式の消炎鎮痛剤も今回は持って来ていません。あぁ、なんて馬鹿なんだろう。これって、年取って脳が軟化したせいかも知れない。いや、昔から抜かりがないようで実は抜かりだらけの私なんです。他人には厳しいくせに自分には甘すぎるほど甘い。こんな私と言ういい加減な人間の当然の帰結なのかも知れません。

なんてこと、うだうだと心の中で御託を並べてみても、一度襲われたら最後、情けない悲惨なクライマーに成り下がるしかないのです。

でも、本当に堪えきれない痛みです。止まっては痛みが収まるのを待ってまた登り、また止まっては登りの繰り返しです。当然ながら登りのスピードはカメのような鈍さです。

それでもなんとか、次のシェルターに辿りつきました。先に到着してランチをぱくついていたこの若者たち、必死に堪えている他人(私)の太腿の痛みのことなど、説明しても分かる筈がなく、みんな相変わらず屈託なく陽気です。聞けばポートディクソンにあるポリテクニックと言う公立カレッジの学生さんたちだそうです。

でもそのうち、一時脚の痛みも収まって、彼らと共にいろいろな話に夢中になりました。このキナバル山のこと、地震のこと、彼らの学校のこと、日本のこと、そしてこの国マレーシアの現下の問題のこと、ついでにと思い、ここでもBersih4のデモの話題を振ってみましたが、彼らのうちの一人が、私の意見を聞きたいと言う。

ちょっと考えた上で、透明な政府や議会が欲しい、汚職は犯罪だ、疑惑を追及されながら未だになにも説明しようとしない首相は辞任しろ、との黄色シャツデモの要求は単純明快だ、私にも分かる。真偽は分からないが、現政府にはなんらかの問題があるように見える、と返答すると、彼らは一様に満足したようでした。

彼らはみんなマレー系の学生ながら、話を聞いてみると、先日のチャイニーズ系主体の黄色シャツのデモには特に反感は感じていない様子です。問題は現政府部内にあるのだ、改善しなければいけない、との若い人たちの思いは何処も同じだと感じました。

やはりこれが実態なのだろうと思います。政府与党の要人や、マレー系右翼団体のトップが公言しているような、黄色シャツのデモはマレー系を貶めるデモだとの見方はマレー系国民全体の意見ではない。キナバル登山の途中のランチタイムで意気投合したマレー系の若者たちと、脚の痛みもつい忘れて、登山とは無縁の政治談議などをしてしまいましたが、お陰で随分気が紛れました。

2015091030.jpg

昼休憩を終えてまた登り再開です。でも、これから益々きつくなるであろうこの先のことを思うと、やはり不安です。"ほら見て見て、あそこにマンキーいるよ"、とのシャー君の声でカメラを取り出してシャッターを切りましたが、本当はいつまた痙攣に襲われるかと不安でそれどころではなかったのです。

2015091031.jpg

そして案の定また両太腿に刺すような痛みです。なんどもなんども繰り返し襲ってくる酷く耐え難い痛みです。以前の山行だったら、そしていつもの単独行だったら、この時点で登りを断念したかも知れません。しかし、今日は念願のキナバル山です。単独行でもありません。死んでも断念するわけにはいかないのです。(なんてオーバーな、と思われるかも知れませんが、本人としては情けないことにそれほど必死だったのです)

なのに、私のガイドのシャー君は、これ↓このとおり。スマホで音楽聴きながら、鼻歌歌いながら、まるでお猿さんのように身軽にひょいひょいとあちこち移動してはしゃがんで、私が歩き出すのをじっと待ってくれてます。

2015091033.jpg

私はと言えば、脂汗がたらたらです。くっそー、エネルギーはまだまだ余裕なのに、ただ脚を上げられない。脚を持ち上げようとすると痙攣が襲い激痛が走るのです。

"ふんふん、痙攣ね、クレンプね、ククジャンガン(マレー語)ね、ボクの友達にもいるよ、ガイドの登山講習の時クレンプ起きてね、痛いんだってね"、と、まるで人ごとのよう、いや完全に人ごとなのですが、ほとんど興味がなさそうに、こっちが痛みに耐えかねて、うんうん唸っていても、"ゆっくり行こうよ"、"心配ないよ"って鼻歌交じりです。

2015091033-1.jpg

でも、痙攣に襲われてる本人でなければ、これがフツーですね。考えてみれば、痙攣って、別に怪我したわけでもないし、時間が経てばケロッと治るもの。下手に心配しすぎないほうがいいと言う彼の判断は正しいし、私は下手に心配してもらわない方がずっと楽。止まっては進み、また止まっては進む、私のへたれ牛のようなぶざまな登りを、ちょっと離れたところで鼻歌交じりで待ってくれてる彼は、実に素晴らしいプロのマウンテンガイドかも知れません。(これ皮肉ではなく本当の気持ちです)

しかし私は繰り返し襲ってくるこの刺すような痛みと辛さに、まるで地獄の業火に焼かれているようでした。当然ながら、ランチ休憩まで一緒だったあの若者たちの影はすっかり見えなくなりました。時々後方から追い抜いて行くポーターたちや地元消防レスキュー訓練隊の人たちにも励まされ、作り笑いをしては痛みを堪えてました。

まるで終わりのないような延々と続くごつごつした登り道をどれほどの時間をかけて登って来たのでしょうか、ともすれば意識も薄くなりがち(これは大袈裟ですが)だったのですが、いつのころからか、少しずつ、あの刺すような痛みが和らいでいったような気がします。いや、痛みに次第に慣れて来たのかも知れません。

これ何キロ地点?あの白い花、なんて言う花?ほんのちょっと、気持ちに余裕がでてきたのでしょうか、シャー君にこんな声掛けもできるようになりました。あの白い花、まるで鳥海山のナナカマドみたいだな、なんてことを突然思い出したりもしてました。

2015091034.jpg

そして、ここはスタートから5km地点のビローサ・シェルター、標高3001m。今回ゴールのラバンラタまであと距離1km、高低差280mを残すのみとなりました。

2015091035.jpg

がんばれ、もう少しだ。まだ脚の痙攣は収まってはいないが、痛みはずいぶん柔らかくなってきた。しかし、今日はずいぶん良く痛みに耐えたものだ。

・・・・・・そう言えば、あの時もよく耐えたことを思い出した。いつの頃だったか忘れたが、まだ山用の携帯GPSを持っていなかった時のこと。雪深い月山で、下り降りる沢を間違えた。行けども行けども深い沢から抜け出られなくて焦り慄き、終いには死の恐怖さえ感じたことがある。

降りしきる雪の中、手持ちの地図で自己位置を推定し、コンパスを頼りに思い切って何本かの深い沢を横断することを決めた。スキーを背中に担ぎ、急な斜面をラッセルしていたところ、突然太腿の痙攣に襲われた。痛みに耐えかねて思わず唸り、その場で動けなくなった。

そして、次第に迫りくる山の日暮れを感じて遭難の2文字が頭に浮かんだ。こうしてはいられない。恐怖に耐え、激痛に耐えながら歯を食いしばってラッセルした。・・・・・・・

今回もあの時のように歯を食いしばった。まだゴールには届いていないがあとは時間の問題だ、そう考えたらようやくホッとした。

2015091036.jpg

少し気持ちに余裕が出てきたら、周りの景色もよく見えるようになってきました。すでにここは3000mの高度帯、そろそろ森林限界点も近いのだと思います。それにしてもここからはキナバル山の崩落斜面が良く見えています。まるで地獄谷の白い噴煙のように見えるのは雲です。

2015091037.jpg

良く見ると崩落斜面の底部に大きな岩石が無数に転がっています。あんな大岩が音を立てて転がり落ちてきたかと思うと、あのヴィア・フィラータで落下してくる岩石に打たれたり、圧死したりした多くの犠牲者の恐怖は如何ほどだったのか、想像するに難くありません。

2015091039.jpg

おぉ、目の前に突然ゴールが現れました。ラバン・ラタのレストハウス、標高3272m地点です。ついにやりました。へたれ牛ののろい歩みでようやく目標に到達しました。

2015091040.jpg

標高差約1400m、距離6kmは正直言って、さほど苛酷な登山ではないはずです。登山道の勾配もそれほどの急登ではなかったし、確かに登りが延々と続いたものの、それもまたフツーのことです。

悔やまれることは、太腿の痙攣です。負け惜しみを言うようですが、これさえなければあの若者たちと仲良くゴールできただろうにと思うととても悔しい気がします。でも、これでいいのです。痛みを必死に堪え、登ることを諦めなかった。脂汗を滴らせながらついにここまで登って来た。動けなくてレスキュー担架の世話になるなど、他人に迷惑かけることもなくて幸いだったし、自力で無事にここまで登って来た。

そう思うと人知れず大いに安堵した私です。そしてこれは私自身の勲章だ、下山後にしっかりビールで乾杯してあげよう、と思いました。

ラバンラタの正面入り口です。

2015091043.jpg

ラバンラタのレセプションです。

2015091044.jpg

そして割り当てられたドミトリーは2階でした。しかしこの後、なんどか階段で上り下りすることになったのですが、その姿はまるで健常者のようではありません。手摺に掴まりながらゆっくりと上り下りする私の姿をみて、あの若者たちがげらげら笑うこと。

悔しいが嬉しい。ほら、見てごらん、私の言ったこと(ランチの時、私が彼らの祖父母よりも年上だと言ったら、みんなウソだろうと驚いていたこと)は本当だったろう。年寄りよりはみんなこうなんだよ。だから大切にしてあげなきゃね、と笑いながら言うとまたげらげら腹を抱えて笑います。

2015091044-1.jpg

部屋は4人部屋でした。狭いながらも二段ベッドが二つあり、綺麗な毛布も枕も準備されていて、快適そのものです。雑魚寝が普通の日本の山小屋とは雲泥の差です。

2015091044-2.jpg

そして今日の宿泊客は、例の若者たちと私と、山頂ルートの安全性確認をしていると言う専門家グループ(驚きましたが、この専門家グループの中にははるばる日本からやって来たと言う方もおられました)だけ。まるで貸しきり状態のラバンラタレストハウスでした。階下にあるレストランもこれこのとおりガラガラです。

2015091045.jpg

これ↓は地震発生前のラバンラタレストランの写真です。インターネット上から拝借したものですが、その混みようと比較するとその差は歴然です。

2015091045-1.jpg

レストランはブッフェ形式で、その日の夕食と翌日の朝食が準備されていましたが、料理の数も内容も上々で、まるで山上のホテルのようです。レセプションには売店も併設されていて、なんとそこには私の好きなタイガービールもありました。まさか、ムスリムカントリーの山小屋に缶ビールがあるとは驚きました。

でも、今日は身体が激しく軋んでいます。アルコールは控えよう、こんな殊勝なことは滅多にないのですが、今日のあの痛みとの戦いのことを思うと食事が済んだら早く横になりたいの一心です。

2015091046.jpg

食事を終えると何もせずにベッドに横たわりました。痙攣に痙攣を繰り返した両太腿は、無残にも赤く腫れていてまともに触れないほどです。

こんな状態では脚力の快復に一晩はかかる。もし、頂上まで登山許可されていたとして、翌早朝2時起きで、残る高度差600mの岩山の登板は、とても無理だったかも知れない。そう考えると結果としてこれで良かったのだ、そしてこれがオレと言う男の今の実力なのだ、悔しいことだがそれが現実なのだ・・・・・・・

そんなことを思いながらいつのまにか眠っていました。激しい雨音で目が覚めるとまだ真夜中の1時。ベッドから立ち上がり窓から外を覗いてみると、漆黒の闇に滝のように空から降ってくる雨です。

明日は雨か・・・・、下りの岩場で滑らないようにしないといけないな・・・・・・、そんなことを考えながらまたベッド潜り込むうち次第に意識が遠のいていく、キナバル山の懐深く抱かれて眠るラバンラタの夜でした。

(その3に続く)



それは旅支度を解き、ロッジで寛ごうかとしている時のことでしたが、地震には随分慣れているはずのこの私も、地の底から突き上げるような突然の大きな衝撃にはギクリとしました。

なんだ今の?まさか余震?本震から既に3ヶ月以上も経っているというのに、まだ余震が収まっていないのだろうか?

幸いなことに地震による衝撃はそれっきりでしたが、後ほど確認したところ、震源はラナウ北西14kmで深度浅。と言うことは宿泊したロッジからは至近の距離で直下型、なるほど3.8と言うマグニチュードにしては、体感した衝撃は相当なものでした。



凡そ3ヶ月前の6月5日朝、キナバル山付近で発生したマグニチュード5.9の地震は、シンガポールの小学生を含む18名の尊い人命を奪ったほか、キナバル山の登山道などの登山関係施設にも大きな被害をもたらしました。(2015.6.6付ブログにて詳述しています)

その後キナバル山は、その復旧工事と安全確認のため、サバ州政府によって入山禁止措置がとられていましたが、このたびようやくラバンラタ・レストハウスまでのルートの復旧と安全確認が終了し、9月1日に一部解禁となったのです。

実は先のブログにも書きましたが、私は地震発生の以前から今回のこのキナバル山登山を計画していて、ちょうど必要な手続きと一切の費用支払いを済ませたところでしたので、この地震でいきなり出鼻をくじかれた思いでした。

爾来、サバ州当局が実施する復旧工事や安全確認の進捗状況確認が私の毎日の日課となった訳ですが、登山ツアーの引き受け旅行会社との幾度ものメールや電話のやり取りの中で、一時は大幅な計画変更も止む無しかと真剣に悩んだものでした。

しかし良かった、9月1日一部解禁が正式に発表された。頂上までのルートはまだ禁止解除されていないものの、ラバン・ラタまでなら行ける。私の登山予定日は9月9日及び10日だったのでぎりぎりセーフでした。

まぁ、頂上でご来光を拝みたいと思ったことは、今回は実現できないが、久しく忘れかけている山懐に抱かれる想いは思う存分味わえるだろうし、それで十分だ、そんなことを考えながら、小雨に煙る1年3ヶ月ぶりのボルネオ島KK(コタキナバル)空港に降り立ちました。



翌9月8日、KK市内の宿泊先ホテルに、予定どおりにピックアップに来てくれた旅行会社のバンにてキナバルパークに向けて出発。昨夜来の雨も上がり快適なドライブでした。この路は去年、マレー語クラスの仲間たちと共に来た路。途中立ち寄ったナバル村のフルーツショップの甘いパイナップルも、ナバル村の展望台でキナバル山と初めて対峙し、感動の余り万歳を叫んだことも、まるで昨日のことのようです。

その後バスは濃い霧(雲)の中に入ったり出たりを繰り返しながら徐々に標高を上げて、ようやくキナバルパークHQに到着しました。

この↓写真は、先日からブログのトップ画像に掲げている写真ですが、その日宿泊したロッジの前から撮った中のお気に入りの一枚です。

2015091001.jpg

これ↓はキナバルパークHQのレセプションデスクのある建物です。レセプションの女性担当者からとりあえず今夜の宿泊ロッジのこと、食事のこと、そして明日のことについて丁寧なブリーフィングを受け、ロッジのキーを受領しました。

2015091001-1.jpg

これ↓はキナバルパークHQの全体図ですが、思ったより広大なエリアです。そして、なんと私の今夜の宿泊ロッジは、パーク最奥のヒルロッジ(図の中の青の太線で囲んだところ)。もともとの予定は、大部屋のロックホステルだったのですが、まだ宿泊客が少ないらしく、思いっきりアップグレードしましたとの、思いがけない受付女性の説明でした。

でも、パークはこの図の右から左に向かって高度が上がる(坂道になっている)ので、HQ棟や食事棟のあるパーク入り口付近(この図の一番右側です)とロッジを歩いて往復するのはちょっとしんどそう、などと考えていたら、なんだちゃんと車で送迎してくれるんですって。(翌日の登山の予行演習にちょうど良いかなとも考えていたのですがね)(笑)

2015091001-3.jpg

はい、これ↓がヒルロッジの宿泊棟の前の様子ですが、見て下さい、正面に憧れのキナバル山です。なんと言うことでしょう、あの地震の後、一時は無理かと諦めかけたキナバル山の山懐に、予定どおりに、ついにやってきたのです。

2015091002.jpg

おおそうだ、先ずはチェックインです。

2015091003.jpg

↓私を待ち構えてくれていた係りの女性です。ユニット内設備の使用説明やら、食事時間のこと、食事棟までの送迎の車のことなどをニコニコ笑顔で丁寧に説明してくれました。

2015091005.jpg

しかしこのヒルロッジ、人気(ひとけ)がありません。それもそのはず今夜の宿泊客は私のほかには2組だけと聞いて、ちょっと寂しいかなとも感じましたが、ロッジはシングルベッドが二つでヒーター付き、テレビもシャワーもついていてまるでホテルのようです。そんなロッジにも驚きましたが、ここはなにより目の前のキナバル山の眺望が抜群に素晴らしい。とても気に入りました。

2015091006.jpg

いつの間にか上空には青空が広がっていますが、じっと見ていると刻々と変化する山の様子が実に面白い。どこからともなく雲が沸き、まったくその姿が見えなくなったと思うと今度は徐々に雲が流れ、次第にその全容を現します。いつまで眺めていても決して飽きることはありません。

2015091007.jpg

係りの女性の説明によると、正面に見える白く剥げた部分↓、あれが今回の地震の山崩れの痕なのだそうです。今は岩肌が露出しているが地震の前は周囲と同じ濃い緑の植生だったのだとか。山のいたるところが崩落し、こちらの面だけでなく、四周にこのような痕が残っているのだそうです。

2015091008.jpg

しかし地震発生当日、そのマグニチュードは5.9と車のラジオで聞いた私は、一瞬、たいしたことはないなと判断したものでしたが、そうではなかったのですね。これほどまでの山の崩落を引き起こしたキナバル山地震、登山客やマウンテンガイドなどの関係者、それに大勢の地元民の方たち、さぞかし驚きそして恐れ慄いたことでしょう。

これ↓はカメラを右に振ってみたところですが、写真の右端から二番目の小さな三角突起が、地震の揺れで片方の耳が崩れ落ちてしまったドンキーイアーズ・ピーク(ロバの耳)だそうです。

2015091009.jpg

さて今回の登山は、この↓図の下の赤の太線で囲った登山口(ティムポハンゲート)から上の赤線で囲ったラバンラタレストハウスまでの標高差1400m程度の登りです。残念ながら、そこから先へ、つまり山頂への登山はまだ許可されていません。(しかしそのことが今回は幸いだったということを後ほど思い知らされましたがこれは後述します)

2015091009-2.jpg

翌朝の天気が気になった私は、その夜、目が覚める度に外に出て空を仰ぎました。満点の星空ならぬ薄ぼんやりとした星空が見えていましたが、夜が明ける頃には、雲ひとつない青空となり私の心は弾みました。しかしそれもひととき、またどこからともなく雲が沸き、あぁこれが山の天気なのだと、忘れかけていた数々の懐かしい思い出が過ぎりました。

登山の支度を整え、食事棟などがあるパーク一番下の地区に降りてきました。

2015091010.jpg

坂道をやや下ったところに食事棟のバルサムレストランです。

2015091011.jpg

斜面にテラスが突き出していてなかなか瀟洒です。

2015091012.jpg

バルサムレストランの内部です。

2015091013.jpg

ブッフェ形式のレストランです。マレー料理が主のようですが、朝食にしては品数も豊富でなかなかです。中にはマレー系の若い人たちが大勢いてとても賑やかでした。(この時はまだこの若者たちとこの後ずっと一緒になるとは露知らず、会話もしませんでした)

2015091014.jpg

食事を終えて外に出てみると、湧いてきた雲の合間にキナバル山が見えています。

2015091015.jpg

本部棟の前では、先ほどの若者たちでしょうか、パッキングなどの登山の準備に余念がありません。私はと言えば、旅行会社の女性スタッフの紹介で今回のマウンテンガイドとご対面です。見れば息子よりも遥かに若い、というよりは孫に近いようなマレー系の青年でした。

2015091016.jpg

でも始終ニコニコ顔で愛想が良さそうなマウンテンガイドの彼は身軽でとても軽快ないでたちです。こんな爺いと付き合うことになって申し訳ないね、などと冗談飛ばしながら登山口のティムポハンゲートにやってきました。

ここ↓が、標高1866m地点、ポンドック・ティムポハンです。キナバル山の登山道はここティムポハンゲートから登るルートと、もうひとつメシラウゲートから登り、途中で合流するメシラウルートがあるのですが、あちらは被害復旧工事未了でまだ閉鎖中。今回の一部再開は、比較的地震による被害が少なかったこのティムポハンルートだけなのです。

2015091017.jpg

思えば昨年もここまでやってきたのです。あの時も、ここでキナバル山登山ルートなどの説明を受け、サミットトレイルと描かれたトレイルマップを眺めるうち、よーし、いつかはこのオレもと、またしてもメラメラと私の中の無茶なチャレンジ精神が頭をもたげてきたのでした。

2015091018.jpg

あれから1年3ヶ月が過ぎ、私は今またこのティムポハンゲートに立っています。でも今日はこのゲートを通過してキナバル山に登るのだと思うと、それだけで、そう思うだけで感無量です。

しかし山は何年ぶりだろう、慣れ親しんだ鳥海山や月山など、以前は、山に絆され、山懐に抱かれ、深閑とした森の空気を肺一杯に吸い、時には冬山を彷徨い歩き、この大自然の下僕となりその偉大さにひれ伏しながら、母なる山の愛を感じていました。

人生に迷った時、悩んだ時は山を見る、そして山懐に抱かれてじっと想う。すると陳腐で荒んだ人生にも一条の光明が射してくる、そんな風に感じたこともありました。

今、私は、日本から5000km以上もの遥か彼方の南の島、ボルネオ島にいます。そしてまさに今、マレーシア最高峰のキナバル山の山懐に抱かれようとしているのです。

(その2に続く)