本年1月28日付けの本ブログでも紹介したマレーシア初のMRT(Mass Rapid Transit=大量高速輸送鉄道)SBKラインが一昨日(2017年7月17日)全線開業しました。

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第1期工事は昨年12月に完成し、スンガイブロー(Sungai Bloh)駅とスマンタン(Semantan)駅間が一部開業していたのですが、今回残りの第2期工事が予定どおりに終了、晴れて全線開業となったわけです。

SBKラインはKL北西部のスンガイブロー(Sungai Bloh)駅からKL中心部の地下をとおり南西部のカジャン(Kajang)駅を結ぶ全長51kmの高架鉄道(一部地下鉄)ですが、全31駅(うち24駅が高架、7駅は地下)で構成され、主要駅ではKTMコミューター、KTMインターシティ、KLIAエクスプレス、KLIAトランジット、LRT各線及びKLモノレールとの乗り継ぎができるなど、利用者にとっては魅力満載の画期的なマレーシア初のMRTです。

もちろん、それはそれで素晴らしいことであり、乗り物大好き人間の私としては、一日も早く乗ってみたくて今もうずうずしています。

でも最近読んだ当地の新聞に、またしてもうんざりすると言うか、辟易するような記事を見い出し、私の浮き浮きした気分が消沈してしまいそうです。

それは、例の、与党(UMNO)随一のApple Polisher(ゴマすり男)で有名なSalleh通信・マルチメディア大臣の発言内容です。

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なんと、Salleh大臣によれば、今回のMRTは「ナジブ首相からマレーシア国民への贈り物」なのだそう。さらに「MRTは、現政権が国民福利第一主義であることの証左であり、優れた統治能力の結果なのだ」と宣うたそうな。

読んで直ぐに私は「これは異なことを」と思いました。今回のMRTは、当然ですが、国民の税金で建設した国の交通インフラであって、ナジブ首相のポケットマネーなどて造ったものではない。国が国民福利を第一に考えるのは当然の責務だし、今回のMRTの開業の唯一が現政権の統治能力の高さを示すことにはならない、と感じたのですが、やはり世の中にはこんなことに敏感に反応する人たちも少なくないわけで、当該記事のコメント欄には即座にネガティブコメントが山のように積みあがっていました。

しかし彼は、本当の意味でのApple Polisherだと思いますね。もともとは、リンゴが大好きな先生に気に入られようとリンゴをピカピカに磨く生徒のことを指して、媚びを売るとかゴマをするの意になったのだそうですが、Salleh大臣のこれまでをみると、窮地にあるナジブ首相の気持ちを忖度(そんたく)したかの言動が突出して多く、おいおい、なぜにそんなに媚びを売るのかよと言いたくもなります。

もっとも、彼にとっては忖度以前の問題で、一人こけたら皆こける、芋づる式のスンガイブロー(刑務所)送りは毛頭御免の心境なのかも知れないが、見ていて必死の様子が感じとれるだけに悲哀そのもののような気もします。



ところで「忖度」と言えば、祖国日本のニュースで気になる最近話題のワードです。

私は、ここKLの自宅でほとんど毎日のように関連のニュース番組や報道テレビ番組、それにワイドショー的番組なども見たり聞いたりしているのですが、最近はどうも腑に落ちないことばかりで、マレーシアのメインストリームメディアのニュース同様、苦々しいと言うか、辟易する気持ちで一杯です。

今日は、こんな私の最近の気付きと思いを少々吐露させてもらってもいいですか?

もっともこんなマイナーなブログで私が何を吐露しようとしまいと、大勢に影響することは微塵もない筈なので、別に断る必要もないのでしょうが・・

昨日読んだニュース記事に「安倍晋三首相は18日午前に開かれた自民党役員会で、学校法人加計学園の獣医学部新設計画に関する衆院予算委員会の集中審議に出席する意向を重ねて明らかにした。その上で、しっかりと説明を行う考えだ。国民の信頼回復に向けて努力を積み重ねていきたい、と強調した」とありました。

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これは、野党やマスコミなどがこぞって安倍首相本人の説明なしには国民が納得しないと連呼し、そしてその成果と言うか、特にマスコミの、安倍下ろし的な大合唱が茶の間の世論を誘導し、東京都議選での自民党の惨敗や今回の内閣支持率の急激な低下を招いた結果を捉えてのことでもあるのでしょう。

だがしかし、私は、この加計学園問題に関しては、当初から、何が問題なのだろうかと、冷めた眼で見てました。

ことは、地方創生にも繋がる規制緩和のことであり、国家戦略特区をもって岩盤規制にドリルで穴を開けるとの安倍首相及び内閣府の強い政治主導の成果なのだろうと思います。ところが安倍首相の意向で動く内閣府に力で押し切られた文科省側は、日本獣医師会や既設の大学側の既得権益を擁護する代償としての組織的な天下りシステムに風穴を開けられた意趣返しとして、前文科事務次官が怪しげな文書を反政府メディアにリーク、瞬く間に茶の間の話題になったのだと、私は見ています。

森友学園問題と言い、この加計学園問題と言い、国会では貴重な時間を費やして何を議論しているのだろうと思ってました。もっと他にやることがあるだろうと思ってました。

現下の日本を取り巻く国際情勢、とりわけアジア太平洋地域における安全保障環境はこれまでになく厳しさを増しかつ流動的です。特に北朝鮮の核、ICBMなどの脅威や中国による尖閣諸島などへの実力行使を伴う主権の常続的な主張は我が国にとっては重大かつ差し迫ったものであるはずです。

昨日は、ついに中国公船が青森沖の津軽海峡で領海に初侵入し、これまでの尖閣諸島海域での動きもさらに活発化しています。

もちろんこの他にも課題や不安定要因は山ほどもあり、経済問題しかりです。

以前、テレビの報道番組で、中国が攻めてくるなんて妄想だと明言し、その後の都知事選で落選し馬脚を現した元テレビキャスターがいましたが、今や中国の脅威も北朝鮮の脅威も肌で感じられるほど身近で現実のものとなっているし、さらには世界中を震撼させている残虐なテロリズムもある。

一刻も早く手を打たなければ、我が国の国民の安全と国土や財産を守れないと言う安倍晋三首相の思いは痛いほど良く分かります。それを捉えて、戦争法案だとか共謀罪だとか明らかなレッテル張りに終始し、「何が何でも戦争できる国にしたい安倍は悪だ」
「政治の私物化絶対反対」「安倍は辞めろ」などの汚い言葉でデモる人たちを擁護し、当然だと言わんばかりの報道に明け暮れる朝日や毎日新聞や多くのテレビ番組を見るたびに、その際立った偏向振りには違和感どころか怒りさえ覚えます。

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今回の加計学園問題でも、私は、前愛媛県知事の加戸守行氏の閉会中審査証言の全文を読み、なるほどこれが真実なのだろうと確信しましたが、驚いたことに、朝日や毎日はこの加戸守行氏の証言をほとんど記事にはしていない。これが報道しない自由だとすれば、どこの国の誰を慮った新聞社なのだろうと改めて強い憤りを感じてしまいます。

確かに、国会答弁が二転三転したりした政府・与党側の対応にも問題はあったのだろうと思います。だがしかし、政治主導を強固に進める安倍首相の思いを、部下が忖度して何が悪いのであろうか。

忖度とは部下が上司の思いを推し量り汲み取ることなのだろうと思うが、窮地に立つマレーシア首相の気持ちを推し量り、国民が欲する真実をひた隠しに隠す印象操作のSalleh大臣ならいざ知らず、普通一般の社会においては、褒められることはあっても責められることではない筈だ。ボスの気持ちを忖度しない部下なんてあり得ない、少なくとも私はそう思います。



関与と忖度について

問題は首相の関与があったかないかだ、と追及する野党やメディアだが、関与とはそのことに関わり合いを持ち携わることだろう。とすれば、規制緩和を自身の経済政策の目玉とする首相にしてみれば、ことに関与しない訳がないではないか。ただ、そこに違法性があったかないかであるが、加計学園の理事長と親しい友人関係にあるにしても、それを理由に筋を曲げたりごり押ししたなどの証拠がなにも出てこないのだから、ここはなんにも問題がないはずだ。

後の前愛媛県知事の閉会中審査証言で、別に加計ありきではなかったことが明らかになったのだが、それを報じない朝日や毎日などのメディアは極めて質が悪い。

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忖度だって同じようなもの。

忖度は、される側にはなんの瑕疵もないはずだ。衆院予算委員会の集中審議に出席し国民に丁寧に説明するとした安倍首相だが、野党は忖度された側に聞いて何になる、忖度したほうが説明すべきことだろうと私は思うのだが、こんなところにも安倍首相と言う国のトップリーダーの誠実さと責任感を国民は感じるべきとも思う。



今や、マレーシアでもどこでも日本の安倍晋三首相を知らぬものはいない。それほど知名度があり、存在感もあるのだ。おそらく歴代の我が国首相のなかではトップだろうと思う。マレーシアのナジブ首相の名も有名だが、それはコラプションと言うあってはならぬネガティブな世界での話だ。

そりゃ、政権を担当し4、5年も経つと、あちこちから早く辞めろとの声が出るのは仕方のないことだろう。野党だけでなく、身内の自民党内でさえ、虎視眈々の先生方が大勢おられるだろうし、これを抑えるにはよほどの覚悟と自信と成果がないと無理なのだろう。

私が普段から危惧していることだが、インターネットの世界の情報は白も黒も一緒くたに混在し、何が嘘なのか何が真実なのかを見極めることが極めて難しい。私は今まではこれを玉石混淆とポジティブに呼んでいたのだが、ここにきて、犯罪の温床にもなりうる危険な世界だとの認識を持つに至った。

SNSやウェブサイトの情報は、誰もが自由に発信できる。意図的にフェイクな情報を垂れ流す輩もいるだろうし、もちろんまともで正しい情報も山ほどある。問題は、それをコントロールできないことだ。と、書くと、表現の自由を脅かそうとするのかと言われそうだが、中国などは独裁政権故にそれを堂々やっているせいで、未だ彼の国の独裁政権は健在だ。

いや私は何もネットやSNS上の表現の自由を侵そうと言うのではない。そうではなくて、そんな虚偽混淆の情報を正しく見極める術を身に着けるべきと言いたいのだ。

今ネット検索すると、安倍憎し、の文言が山ほどヒットする。そのことが最新の世論調査の内閣支持率にも表れているのであろうが、私はこれは反政府と言うか反安倍政権と言うか、はたまた反日と言うべきなのかは知らず、そんな悪質メディアのなりふり構わぬ偏向報道に拠るものだと信じて止まない。

私の周囲には、安倍政権に批判的な方たちも少なからずおられるようだが、ならばその方たちに問いたい。しからば誰がこの国を率いれば良いのか、安倍政権がこのまま続くと日本は大変な国になる、とも仰る方たちがおられるが、その方たちに問いたい。しからばいかにすれば眼前に山積する諸問題を解決できるのか。具体策はなにか、と。

私は思う、現状における問題を正しく認識しさえすれば、余人をもって代えがたいのではないかと。。ただ、現状を正しく認識できなければ問題も見えて来ない。要は、正しい情報をいかにして得るかだと。。



安倍首相、肺がん末期、余命3か月!

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先月、こんな記事をネットで読んで、大変驚きました。しかもユーチューブなどにもゴマンとある。なんだって?と私は驚き、次から次と記事を読み漁りましたが、読み終えて、思ったことは、こりゃ典型的なフェイク情報じゃないか。どうやら情報の出所は、板垣英憲と言う名の元毎日新聞記者らしい。

しかし、げに恐ろしきはネットやSNS情報だと思います。一個人が発信した真偽不明の情報がまたたくまに世界を駆け巡る。嘘も百回言えば真実になるとばかりに意図的にフェイク情報を垂れ流す。まさに情報戦の様相です。

この怪情報は未だに削除もされずにネット上を席巻しているので、私なども、あるいはと少々不安になったのですが、昨日、政治評論家の森田実氏の記事を目にして安堵しました。やっぱり、板垣情報はフェイクだったのだ。

しかし思いますね。いくら表現の自由と言ってもこれは酷すぎる。もし首相が本当に余命3か月の重病としたら、それは大変なことだ。こんなフェイクは首相本人を貶めるだけでなく、国民の不安をいたずらに煽る、いや不安に陥れる詐欺的行為じゃないかと思うのは私だけでしょうか。

もしこれがマレーシアなら、とっくに逮捕拘留、即刻裁判で有罪間違いなしですね。



とにかく、今私が住むマレーシアも祖国日本も、何かがおかしい。マレーシアの現政権は国民の知る権利などどこ吹く風。これだけ長い間、国内外の轟々たる非難にさらされてもなおダンマリを決め込み、まるで何事もなかったかのように振る舞うナジブ首相とその取り巻き立ち。一方の日本では、政権担当力もない野党と反日メディアがタグを組み、連日安倍下ろしに躍起。あろうことか、そんなメディアは報道しない自由をテコに世論を完全ミスリード。結果としての内閣支持率低下にはしゃぐ低劣な彼らを見るにつけ、はて、どちらの国の国民がより幸せなのかと疑問に思う。

だがしかし、どちらの国にも良識ある政治家も良識ある国民もいる。このマレーシアで、歴史的な汚職犯罪塗れのナジブ政権を打倒しなければ、この国の未来はないとの一心からまもなく92歳になろうとする老齢をおして立ち上がり、ここにきてようやく野党連合をまとめ上げた感のある、マハティール元マレーシア首相。

そしてわが祖国日本においては、良識と信念の政治家安倍晋三がその人だ。もちろん、人間誰しも完全ではない。マハティール氏も安倍氏もいろいろな紆余曲折があっただろうし、これからもあることだろう。しかし、余人をもって代え難いと私は思う。両人には、あと少し頑張ってもらいたいと願わずにはいられない。



以上、今日は最近の私の気付きを書いてみましたが、内容のすべては私個人の気付きです。こんな私の気付きや思いに違和感を持たれた方がもしおられたとしても私はそれを是とします。万人には万人の思いがあり異なる意見もあって当然です。だがしかし、私は自分の信念を曲げるつもりもなければ、他の意見をお持ちの方と議論しようとも思いません。(ひねくれ団塊を自称する所以です)

なので、そのような類のコメントは不要ですし、もしポストされたとしても即削除させていただきますのでご了解ください。

ではまた。。



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最近の私は「マレーシアで日本のテレビ」を如何にきれいかつストレスなく見るかに根を詰めているせいで、普段よりは随分と長い時間、日本のテレビ(番組)を眺めています。したがって、家の外は完全に別世界と言う非日常の中で、海外に住んでいるとは思えないほど日本のニュースや出来事が多く目に止まり、あらためて遠く離れた祖国社会の良し悪しに思いを致しています。

そんな中、とても気になると言うか気に障ることがあります。それは、今月末(7月31日)に投・開票が行われる東京都知事選挙のことです。

もちろん舛添前知事が辞任に至った経緯についても逐一承知していますが、その時も感じたことが多くあって、それは舛添氏ご本人に関することもさる事ながら、日本マスメディアの異様さです。

今回もそうです。連日のテレビ番組の中で特に違和感を感じることは、いわゆるバラエティ番組と言われる番組の中で、多くのタレントたちやお笑い芸人たちが、各候補者に対する実に様々なお気楽トークで笑いを取ったり、バカにしたり、非難したり。。

もちろん政治や行政の専門家ではないのだから、単なる井戸端会議なのだからと言われればそうなのでしょうが、各局とも似たり寄ったりの番組のオンパレードで正直言ってうんざりしてしまいます。

今に始まったことではないとは思いますが、日本のこの種の番組は多分外国人から見ると、極めて異様に映るのではないかと思ってしまいます。さらに、司会者や井戸端会議参加のタレントや芸人たちの後列には、一言も発しないでただニコニコしているだけの若い女の子たちが、まるでお飾りのように座ってる。

これって異様じゃありませんか?

マスメディアの責任って、選挙の場合は、各候補者の政策や資質などの有権者が求める情報を偏向なく公平に知らしめることだと思うのです。もちろんそんなニュース・報道的番組もあることはあるのですが、それよりも圧倒的に目にすることが多いバラエティ番組、しかも各局とも偏向なしどころか、意図的な方向づけや偏向ありありで、大いなる違和感を感じます。

ところで、今回の東京都知事選挙には全部で21人の方が立候補されています。これってタダで立候補できるわけではないですよね。確か300万円の供託金が必要で、選挙の結果、有効投票数の10分の1以上の票を取れなければ没収ですよね。

まぁ、そうだとすると多くの方が供託金を没収されることになるのだろうし、それは都の収入になるのだろうからなるべく多くの方々に立候補してもらうのが良いのかも知れませんが、それにしても21人は多いですよね。

泡沫候補なんて言葉もあるようですが、ハナから当選は無理と分かっていて、300万円もの供託金を没収されることが見えているのに、彼らの立候補目的はなんなのでしょうね。選挙に名を借りた売名行為なのだろうか、この辺り、私にも、私の周囲の外国人にも絶対理解できない我がニッポンの不思議です。

さて今回都知事選挙への違和感と言えば、もっと大きな違和感と言うべきか、ある候補者の異様さ、異彩さが際立っていて、はてさて今時の東京は、いや今時の日本はどうなってしまったのだろうと不思議でなりません。

それは、野党統一候補の鳥越俊太郎氏のことです。

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彼が立候補すると聞いて耳を疑いました。だってこの人、、、、いつかのNHKの討論番組で、外交評論家の岡本行夫氏他を前にして、中国が攻めてくるなんて妄想だ、と言い放った人ですよ。日本の国の平和がだんだんと侵されてくる状況だなんて、そんなの虚構だって、まるで何も知らない子供を諭すかのような訳知り顔で言ってましたよね。

さらに、人が住んでいない尖閣諸島なんて中国にくれてやればいい、とも発言したりして、この人、テレビのニュースキャスターで居る時から物知り顔でいろいろいい加減なことを言ってたので、とんでもない男だ、こんなの百害あって一利なしだとずっと思ってました。

その彼が、東京都知事選に立候補ですって?それも野党の統一候補だと?

土台、理念や基本政策が異なる野党同士が、選挙の時だけ一緒になるのは単なる野合だと私も思うのですが、知名度や外見だけで中味が何もないどころか、普通じゃない、病み上がりの呆けかかった老人を統一候補として推す野党もどうかしてます。普通じゃない。

しかも驚きました。鳥越氏の立候補理由が、安保関連法制や参院選の結果に言及した上で、「残念ながら3分の2を与党勢力に取られたが、都知事選ではちゃんと旗を取り返したぞということを全国の皆様にお伝えしたい」からだと言う。

これって、おかしいでしょ?

地方自治と国政のなんたるかも分かっていない。さらに、いわゆる究極の後出し候補なのに、公約や政策を問われて、これから考える、とはまったくふざけた話。

しかも、やっと出てきた公約が、がん検診率100%、だと。。この人、本当におかしい。。そんなの市区町村の問題じゃないのって、思いませんか?

最近になってようやく、街頭演説などで政策らしきことを話し始めてはいるようですが、この人の言ってることは支離滅裂でさっぱり意味が分からない。曰く「はっきり言ってこの選挙は勝てる」と言い切ってみたり、「記者生活を通じ誰よりも聞く耳を持っている」と自慢してみたり、原発のことに言及して「日本は核兵器に囲まれている」と聴衆を脅かしてみたり、じっと目を瞑って聞いてみても、具体的な都の政策がなにひとつ見えて来ないし、やたらと冗長で決して話しに切れがあるとも話上手だとも思えない。

こんな男が茶の間の人気ジャーナリストだったなんて信じられない。さらにこの人の主要政策は「住んで良し」、「働いて良し」、「環境に良し」の三つの「良し」に、「学んで良し」を加えた3+1の「良し」だなんて、まるで小学生の思いつきフレーズじゃないか、もうちょっとましな文言は考えられなかったのか。さらには、ではそのための具体的な中味はなんなんだ、これまでの都の政策や他候補とどこが異なるんだと突っ込みたくなるし、この人の資質を疑いたくなる。

多分、これまでの彼の人生すべからく、上辺だけ、思いつきだけで生きてきたことの証だろうと思いますけど、「これまでの都知事は、都民に何が足りないかに耳を傾けてこなかった」などとこれまた思いつきで奢り高ぶったいい加減な言を発したり、今次文春砲のロックオンに関しても、「なにか政治的な圧力があったのだろう」などと根拠のない、いい加減な話をしては、その薄っぺらな人格と資質不足をさらけ出しています。

「アベ政治は許さない」だとか、「戦争は嫌だ」だから「集団的自衛権なんて絶対に許してはいけない」だとか、「安保法制なんか反対だ」、「憲法は宝物だ財産だ、だから憲法を守れ」などと、聞こえは良いが厳しい情勢変化を顧みず、進歩的言論人ぶって、まともなことや現実に即した具体的な政策のひとつも言わないこの呆け老人、え?あなたも呆けでしょって?い、いや、お、オレもちょっとは呆けかかってきたかもしれないけど、こんな男と比べられたら嫌だ、おぞましい、心外だ。

だって、昭和15年生まれで、なんで終戦時に20歳なの?これ聞いてて、みんな???????と思いましたよね。。だけど、あのとき、私にはピンと来ましたよ。あ、これは呆けが来てるなって。

えぇ、呆けには、他人の呆けのことが良く分かるんですよ。いつかもテレビ番組で、自衛隊なんて要らないって言っておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、日本に外国勢力が攻めてきたらどうするかの問いに、自衛隊に守ってもらう、なんてことを平気で言い、その自己論理矛盾にもまったく気付かぬ呆け老人。

こんなのが東京都知事になったら、東京の悲劇どころか、日本の悲劇ですぞ。

最近米国を席巻した任天堂の「ポケモンGO」なんてスマホアプリがまもなく日本上陸するそうですけど、それより前にこんな「呆けモン(ボケモン)」に都知事をGOさせたら大変、「呆けモンGO」で全世界の笑いものになっちゃう。。(笑)

残念ながら私は東京都民ではなく、ただ一票の権利もありません。どうか東京都民のみなさん、こんな「呆けモンGO」の悪夢が現実とならぬよう、正しい判断をお願いいたします。

今日は、祖国を遠く離れたマレーシアから、都知事選の呆けモン候補に比べたら遥かにまともな呆け老人の最近の気付きを、思うがまま感じるがままに綴ってみました。

ではまた。。


追記:昨夜、7月22日の有楽町での街頭演説を見ましたが、この人、またなんか変なことを言いましたね。「団塊世代の800万人の人たちが、あと20年たたないうち、1932、3年ぐらいから85歳になるんです」??????? これって単に2032、3年のいい間違いでしょうか? この人、数字に弱いんですかねぇ。私にはやっぱり呆けとしか見えないんですけど。。(2016.7.23)




皆さんには無関係かも知れませんが、もうあと10日ほど経つと私の誕生日です。果たして幾度目の誕生日なのか考えたくもないのですが、時は容赦なく厳しくかつ儚いのです。(笑)

まだ仕事現役のころ、50歳の誕生日を迎えた日の朝、当時毎日の通勤に利用していた地下鉄有楽町線の日比谷駅でのことです。その日がちょうど通勤定期券の更新日だったため、駅の定期券購入カウンターで更新手続きをしたのですが、申請書の年齢欄に50歳と記入することに強い抵抗感を覚え、ちょっと後ろめたい気持ちを覚えながらも49歳と記載したことを思い出します。

当時はまだ定期券の更新は手書きの申請でしたので、そんな誤魔化しも可能だったわけですが、それをいいことにそれからずっとしばらく私の年齢は49歳で止まったままでした。

もちろん、六本木界隈の飲み屋さんで、いくつなの?と聞かれた際には、その定期券を常に最大限に有効活用したものです。(笑)

そんな昔日がとても懐かしいのですが、今では、あなたいくつ?50歳?え、まだガキじゃん、、え、60歳?まだ若いねぇ、、なんてことを、他人に向かって堂々と言えるこの老獪さ、我ながら天晴れと言うか、よくぞここまで生きてきたものです。

さて、そんなくだらないことはさて置き、明日からマレー半島東海岸のコタバル(Kota Bharu)に行って来ます。特にコレといった目的はないのですが、正月にもなったことだし、このままじっと家にいるのも癪だねぇと思っていたら、いつものエクスペティアで超格安のHotel & Flightを発見。もろんエアアジアですが往復のエアチケットはFree(無料)、Hotelも4.5スターで朝食付きでメチャ安です。こんなにお得なHotel & Flightはめったにないと判断し即Bookingしましたが、それが明日からのコタバル3泊4日と言う訳なんです。

コタバルってご存知ですか?コタ・キナバルではありませんぞ。

2015.7.9付けの本ブログ、感動のラマダンショートフィルム2のファーストフィルムに登場するあのコタバルのことです。コタバルって、フィルムのストーリィにも出てくるのですが、英語で言うとニューキャッスルの意味なんですね。

ストーリィは英国のニューキャッスルとマレーシアのニューキャッスル(コタバル)を取り違えたと言うお話なのですが、なぜか私は鮮明にその台詞を憶えています。

今回偶然にもそのコタバルに行くことになり、改めて何度かそのショートフィルムを見直してみましたが、なぜか次第に愛着が湧いてきそうな土地なんですね。

それと、コタバルと言えばもうひとつ、そうです、旧日本軍が大東亜戦争に突入した1941年12月8日、海軍のハワイ真珠湾攻撃と時をほぼ同じくして陸軍のマレー作戦が発動され、マレー半島北端にその第一陣が奇襲上陸したのですが、それがこのコタバルなのです。

↓コタバルの海岸

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その件は、2015.5.5付けの本ブログ、カンポンバルガイデッドツアーの意外な効用にも少々書きました。

果たしてその名残りが今のコタバルには残っているかどうか大変興味のあるところです。調べたところ、戦争博物館なるものがあるそうなので、もちろんそこはしっかり見て来たいとは思いますが、もし巡りあえるならば当時のことを知る人に是非お話を伺ってみたいものです。でもあれから既に75年も経っているのでこれは恐らく無理なことかも知れませんね。

さて、今日は、正月恒例の箱根大学駅伝競走2日目の中継放送をテレビで見ながら、PC上の今日の産経ニュースに何気に目を通していたところ、「侵略戦争」は連合国の宣伝、日本は植民地アジアを解放した…元NYタイムズ・ストークス氏に学ぶと言う記事が目に止まりました。

これは、昨年12月中旬から産経ニュースで配信している【回顧・現代を問う】シリーズの第7回目の記事なのですが、読んでみたところ、数ある「侵略戦争か自衛・解放戦争か」の論争の中でも極めて分かり易くかつ説得力のある記事なのではないかと感じ入りましたので、私と価値観を共有しておられる本ブログの読者のために、ここで全文を紹介したいと思います。



産経ニュース
2016.1.3 11:00

「侵略戦争」は連合国の宣伝、日本は植民地アジアを解放した…元NYタイムズ・ストークス氏に学ぶ(岡山学芸館高・清秀中学園長 森靖喜)

あの戦争は、ほとんどの日本の歴史教科書が記述しているように「アジアを侵略した悪の戦争」だったのか、いやそうではなく「祖国防衛・アジア解放戦争」だったのか。それは日本の明治・大正・昭和の歴史をいかに評価するかのキーポイントである。

植民地を日本のために失なった白人の怨念

ヘンリー・ストークス著『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(共著)と『英国人が見た、連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書・780円)。この2冊は全国民の必読書である。

ストークス氏は1938年(昭和13年)英国生まれ、オックスフォード大学出身で、フィナンシャル・タイムズ、タイムズ、ニューヨーク・タイムズの各社で東京支局長を歴任。50年間にわたり日本に滞在している外国特派員の最古参記者である。

欧米の日本特派員記者は総じて日本に批判的であり、日本文化・歴史の理解度は浅薄である。戦前の日本を「悪・侵略国家」と決め付けた「東京裁判」は正しいと言う。東京裁判を批判すると、「歴史修正主義」と非難する。したがって、南京大虐殺は当然あったとし、従軍慰安婦問題でも日本を貶める記事を書く。

何しろ日本は大東亜戦争でインド、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシア・フィリピン、ベトナムなど東南アジアなどから英国・オランダ・米・仏などを追い出した。

彼ら白人は数百年間「栄耀(えいよう)栄華」の源泉であった「宝石」のごとき植民地を日本のために失なったのである。その怨念(おんねん)は簡単には消えない。「猿」が人間を支配するという「猿の惑星」という映画の「猿」は日本人である(作者は日本軍が英国兵捕虜を虐待したとする映画「戦場にかける橋」と同じ)。それほどに有色人種で唯一、白人に刃向かった日本人への恨みは深いのである。

南京大虐殺も中国の宣伝

そんな中で、英国人のストークス元支局長は「欧米・中国・韓国はもとより日本の学者までが『日本は侵略した』と言うが、それは連合国の宣伝だ。

南京大虐殺も中華民国の宣伝で『作り事』であったことが確定している。確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア植民地に軍事侵攻したのは事実。

しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国だ。日本は欧米の植民地を占領し、アジア諸民族を独立へ導いた。西洋人は世界史を見直すべきだ。日本はアジアを独立に導いた『希望の光』。侵略したのではなく『解放』し、独立に導いたのです」と書く。

また、「私は市ケ谷の防衛省内の東京裁判の法廷を訪れた。そこで行われた裁判は邪悪なもので犯罪行為だった。戦勝国が一方的に敗戦国を裁くことは許されない。戦勝国が敗戦国を裁いて一方の将兵のみを戦争犯罪人として処刑するのは復讐(ふくしゅう)であり、犯罪である。…東京裁判は数年に及んだ。その全てが不法だった」とする。

「独立は身を殺して仁をなした日本のおかげ」

昭和30年、後のタイ王国の首相、ククリット・プラモード氏は「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが(日本の敗戦のこと)、生まれた子はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。この重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた昭和16年12月8日(開戦の日)、われわれはこの日を忘れてはならない」と述べている。

まもなく、予定されている安倍首相の戦後70年談話。戦勝国の宣伝に「洗脳」され日本を侵略国家とした「村山談話」、同じく慰安婦を強制連行したとする「河野談話」との決別を期待したいものである。(この記事は、平成27年7月16日付岡山県版に掲載されたものです)

森靖喜(もり・やすき) 昭和16年、岡山市生まれ。明治大学大学院卒業後、43年から金山学園(現・岡山学芸館高校)の教諭、岡山市教育委員長などを歴任。現在は岡山県私学協会長、学校法人・森教育学園理事長、岡山学芸館高校・清秀中学校学園長、教育再生をすすめる全国連絡協議会世話人。専門は政治学。



以上、産経ニュース本日の記事の全文を紹介しましたが、産経ニュースのこの【回顧・現代を問う】シリーズは、毎回森靖喜氏の著によるものです。この森氏の過去記事や今回のシリーズ記事に対する、左翼言論人・学者さんたちの評価はもちろん芳しくないようですが、私など、ごく普通の日本人(と本人は思っています)からみれば、仰っていることは論理明快、至極真っ当なことだと思うし、共感できることも多いと感じています。

また先の大戦については、侵略戦争だったのか自衛・解放戦争だったのかの論争が未だに後を絶たず、私は、このままで後顧に深刻な憂いを残すと案じている一人です。

もちろん私自身は、これまでの学習などにより、先の大戦が単に略奪のための侵略戦争だったとは決して思っていませんし、たびたび取り上げられる従軍慰安婦問題や南京大虐殺などは事実ではなく、かの国のプロパガンダであると確信しています。

しかしながら私は、自分の子や孫を含む若い世代に、一方的な史観を押し付けるのではなく、両論を示した上で自身で判断させるべきと考えています。そういう意味で、この森氏による産経ニュースの記事と記事内で紹介されているヘンリー・ストークス氏の書は有用ではないか、そんなことを感じた今朝のひとときでした。

以上、今日は2016年の冒頭記事としてはやや手抜き感ありかも知れませんが、明日からのコタバル行きを念頭に、ひねくれ団塊世代の平均的日本男爺(男児ではない)としての気付きをちょこっと書いてみました。

それではまた。。


今日は先ず最初にお断りなのですが、このブログに対するコメントのことです。

一昨日、このブログに対して2件のコメントを頂戴しました。いずれも同一人からのショートコメントながら私のブログの理念に触れることから即刻2件とも削除させていただきましたが、ここでお断りです。

このブログは私個人の信条や理念に基づく普段の気付きを記事にしていますが、それはいわば私の呟きや独り言のようなものです。異なる価値観や意見の読者の方とはどこのどなたであろうと議論するつもりは毛頭ありません。人は十人十色、それぞれ、ものごとに対する異なる見方や意見があって当然です。一部の悪意ある記事や社会的に容認できないものを除き、それを披露したり主張することは自由の筈ですし、読者がその記事を読む・読まないもまた自由なことだと思います。

このブログは、私と価値観を共有できる方のみに読んでいただければそれで十分です。記事の内容などに違和感を感じる方がもしおられたとしても、筆者に対するコメントは一切不要です。ただ静かにお帰りいただければよろしいのかと思います。

以上、このブログに対するコメントへのお断りでしたが、どうぞよろしくお願いいたします。



さて本題です。先日の木曜日(12月17日)、用あって、モントキアラからほど近い、マレーシア国際イスラム大学図書館を初めて訪れました。

↓IIUM図書館ホール

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その場所はブキッ・トゥンク(BukitTunku)と言う緑豊かな小高い丘の、KLでは有数の高級住宅地の一角で、その南には国会議事堂のあるタマン・デュタ、南西側には新王宮の丘、北西側には連邦モスクやパプリカショッピングセンターという位置関係です。

グーグルの地図上には、International institute of Islamic Thought and Civilaization(ISTAC:国際イスラム思想・文明研究所)と表記されていますが、ここはゴンバック(GOMBAK)に本部があるマレーシア国際イスラム大学(IIUM)のタマンデュタキャンパスで、イスラム思想・文明に関する調査研究及びIIUM大学院にあたる教育機関なのだそうです。

実は、ここの大学図書館に私のかつての日本語の生徒さんが勤めておられるのですが、先日、急な用事で彼女の勤務先を訪問することになったのです。

訪問する前にグーグルマップで調べてみたら、私の家からずいぶん近いのですね。今まで知りませんでした。この場所って、いつもCity Centreに行く際に通るジャラン・トゥンク・アブドゥル・ハリムの直ぐ右側の小高い丘なんですが、右手に見える全天候型のスポーツ施設などをいつも眺めながら、これはなんだろう、いつかじっくり探検してみようと思いながら、今までこの地域、つまりブキッ・トゥンクには足を踏み入れたことはありませんでした。

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でもパプリカ方向からこのブキッ・トゥンクにアプローチするとなると、ジャラン・トゥンク・アブドゥル・ハリムを横切ることができない道路構造なので、一旦その先のジャラン・クチンと交差するランドアバウトまで行ってUターンして来ないといけません。

ブキッ・トゥンクの丘に登る緩い坂道を進んで行くと、右手にStadium Hoki Tun Razak(ツン・ラザク ホッケースタジアム)↓があります。

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このスタジアムを過ぎて少し登ると、スタジアム内を上から見渡せるポイントに達します。車を止めて眺めてみました。スタジアムの森の向こうにW・P連邦モスクが見えています。

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↓今来た道を振り返ってみました。向こう側に見えるビルは政府合同庁舎ビルです。

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さて、引き続き坂道を進んでみます。二差路の分岐点の看板を読むと、Malaysia Anti-Corruption Academy(マレーシア反汚職アカデミー)とありました。え?いつも良く見るあの"あきたこまち"のようなビルがそうなのかな?

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そらに車を進めると、森の小路の向こう側にこんな↓瀟洒な建物出現です。どうやらここがISTAC(国際イスラム思想・文明研究所)建物のようです。ライブラリアンのA女史に電話で到着を告げて正面エントランスで待ちました。

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↓イスラム様式のとても重厚な感じのする正面エントランスです。

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↓入り口ドアを撮ってみました。

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そしてまもなくこのドアが開き、満面の笑みで現れたA女史と久しぶりに再会しましたが、彼女開口一番、"私10キロも痩せたのよ。ほら見て!"と私の目の前でくるりと一回転して見せるではありませんか。いやはや、女性と言うのはどこの世界も変わりはありませんなぁ。。

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彼女、嬉しそうに、"センセイ、ここは初めてでしょ?だから案内してあげるね"だと。。そしてドアを開けるとそこには大きな階段。素晴らしいの一言です。まるでイスラム美術館のよう。

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↑ISTACのメインホールです。時間は夕方、そんなに多くの人影は見えませんでしたが、それでも時々職員の方や学生たちとすれ違います。彼女、行きかう人たち全員に私のことを紹介してくれて、お陰で、私はとっても効果的なマレー語実践練習ができましたけどね。。(苦笑)

室内や廊下の豪華な装飾は、まるで西洋の古城のようだと思いました。向こうの細長い廊下の先にはたくさんのレクチャールーム(講義室)があるのだそうです。

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↓学生さんが熱心に勉強しています。素晴らしい環境ですね。でもこれじゃ、居眠りもできないかも。

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ISTACの中庭にでてきました。中庭から見上げたISTAC本部棟↓です。

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↓これはインターネット上からお借りしたものですが、ISTACのコートヤード(中庭)です。右奥がライブラリーです。

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↓ライブラリーのサーキュレーションカウンター(図書貸し出しカウンター)前です。

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ここは図書ホールですが、機能的だけれども無機質な日本の大学や公共図書館と比べるとまるで違いますね。

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この時間、利用者が誰もいなかったせいか、図書ホールと言うよりはどこかの教会のようだと思いました。

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それにしても素晴らしい。ふと、Artistryに優れた友人のAlexを連れてきたら、彼、死ぬほど喜ぶだろうな、なんてことを考えてしまいました。

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以上、今日は、ひょんなことから訪問の機会を得、美術や芸術センスのほとんどないこんな私でさえ、その素晴らしさに感動したISTAC(国際イスラム思想・文明研究所)及び併設されたIIUM LIBRARY(マレーシア国際イスラム大学図書館)を紹介してみました。

ではまた。。





今日のタイトル、これどう言う意味?と思われたかも知れませんが、これは私個人の体調が悪いからとか、私がいつまでも梲(うだつ)が上がらないから、などという意味ではありません。

これは、最近のマレーシアの国内事情に加えて、わが日本を取り巻く一部情勢のことを憂いているのです。なんと大袈裟なと思われるかも知れませんが、私の素直な気持ちです。

先ず、最近のマレーシア事情ですが、相変わらず例の1MDBの疑惑がらみの応酬が紙面を賑わしているものの、一向に解決の兆しが見えていません。先週10月6日に業を煮やした王様たちが早期解決を促す異例の声明文を発表しましたが、目下この声明文の解釈について喧々囂々(ごうごう)の有様です。こんな状態では国民の鬱屈した思いは益々募ります。

そして、わが祖国日本を取り巻く一部の情勢です。昨日、南京大虐殺がユネスコの記憶遺産として登録されたと言う内外のニュース報道を目にしました。なんと言うことでしょう。南京大虐殺(Nanjing massacre)なぞ中国の明らかな捏造だと信じて疑わない私としてはまことに苦々しい気持ちです。

わが国政府が直ちに「極めて遺憾」と抗議したことや、拠出金の凍結なども検討するとしていることは当然のことだし、日本メディアの多くがユネスコの決定に否定的な報道をしていることもごく自然のことです。

しかし残念ながら、このことに関する世界メディアの報道は必ずしも日本メディアのそれとは一致していない気がします。いや、それどころか、国際機関であるユネスコの専門家集団による検討結果なのだからと、肯定的な見方の報道が多いのではないでしょうか。

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私なぞは、日本軍の南京入城当時の市の人口が20万人で、その1ヵ月後に25万人に増えたと言う確かな記録もあると言うのに、なぜ6週間で30万人もの人々が虐殺された、などという無茶苦茶な理屈が堂々罷りとおるのだろう、そしてそれを信じる人々がいるのだろうと不思議でなりません。

しかし中国と言う国は、その存在すら不確かなこの無茶苦茶な物語を、数々の捏造・偽造証拠で固めて強引にユネスコに記憶遺産として登録申請した。そしてその中国の意図や内容の論理矛盾は明らかであったのに、日本はそれを結果として阻止できなかった。

苦々しいどころか、どうにもならない脱力感、閉塞感で一杯です。どうも日本と言う国は、内向きには勇ましいが、こと世界に向けた、外向きの戦いには消極的で、必要な情報発信力も極めて不足しているのではないかと感じます。

それは日本国政府や関係機関だけではありません。国民全体が声を大にして言わなければいけないことだってあると思うのです。しかし世界の他の国の人々目線で見ると、大多数の日本人は静かで大人しい。国民全体が声を大にして世界に向けて反論することなんて全くないのです。

日本人はなぜ戦争するとあんなにも獰猛なのになぜ普段は静かで大人しいの?と問われる時があります。私は、これは日本人の性格が静かで大人しいのではなくて、実は英語で喋れないだけなのだ、と考えていますし、そのように答える時もあります。

日本以外の国では、大半の国民が英語をほぼ自在に話します。もちろんそうではない国もあるとは思いますが、学校での英語教育がこれほど役に立っていない国も珍しいのではないかと思っています。そんな国だから、英語での情報発信力が極めて貧弱で、そのことがいろんな場面に影響している、私はそう感じています。

だから、国を挙げて反発しなければいけない筈の慰安婦問題や南京大虐殺のような重要問題のことでもどうしても後手に廻ってしまう。もっともっと国民の多くが草の根的に、SNSなどを通じて、世界に向けた英語による情報発信が必要な時代なのではないでしょうか。

英語で発信すれば、インターネットを通じて世界の多くの人々の目に止まる。世界の世論に訴えるにはこれしかないと思うのに、世界共通言語での情報発信力が極めて貧弱なのだと言う事実、今回も思わぬ場面で痛感させられました。

今日は、このユネスコによる南京大虐殺の記憶遺産登録について、マレーシアの隣国、シンガポールの有力メディア、チャネルニュースアジアが本日(10月11日)付けで報じた記事の全文を紹介してみたいと思います。

Japan hits out as UNESCO archives Nanjing massacre documents

日本、南京大虐殺文書の記憶遺産登録に猛烈抗議

Japan lashed out at UNESCO's decision to inscribe documents related to the Nanjing massacre in its Memory of the World register, calling for the process to be reformed.
日本は、南京大虐殺関連文書を世界記憶遺産に登録するというユネスコの決定を激しく非難し、改革のためのプロセスを要求した。

Channel News Asia 11 Oct 2015

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TOKYO: Japan on Saturday (Oct 10) lashed out at UNESCO's decision to inscribe documents related to the Nanjing massacre in its Memory of the World register, describing it as "extremely regrettable" and calling for the process to be reformed.
On Friday the United Nations (UN) cultural and scientific body agreed to 47 new inscriptions, including a request by Beijing to mark documents recording the mass murder and rape committed by Japanese troops after the fall of the Chinese city of Nanjing in 1937.

東京発:日本は、土曜日(10月10日)、南京大虐殺関連文書を世界記憶遺産に登録するというユネスコの決定を、極めて遺憾であると激しく非難し、改革のためのプロセスを要求した。
金曜日、国連科学文化機関は、47の新記憶遺産(1937年に中国南京市の陥落の後、日本軍によって犯された大量殺人と強姦の記録文書を評価する北京による要請を含む)に同意した。

The massacre, often referred to as the "Rape of Nanjing", is an exceptionally sensitive issue in the often-tense relations between Japan and China, with Beijing charging that Tokyo has failed to atone for the atrocity.
大虐殺とは、別名"レイプオブ南京"とも呼ばれ、日本と中国の間にしばしば緊張した関係をもたらす非常に微妙な問題である。北京(中国)は、東京(日本)がいまだにその残虐行為に対する償いをしていないと非難している。

Japan had called for the Nanjing documents not to be included and accused UNESCO Saturday of being politicised.
"It is extremely regrettable that a global organisation that should be neutral and fair entered the documents in the Memory of the World register, despite the repeated pleas made by the Japanese government," Tokyo's foreign ministry said in a statement. "As a responsible member of UNESCO, the Japanese government will seek a reform of this important project, so that it will not be used politically," the statement added.

日本は、(以前から)南京文書は記憶遺産に登録されるべきではないと要求していた。(そして)土曜日、UNESCOは政治利用されたのだと非難した。「中立・公平でなければならない国際的な組織が、日本政府によってなされた度重なる嘆願にもかかわらず、世界記憶遺産に(南京関連)文書を登録したことは、極めて遺憾である」と、東京の外務省は声明で述べた。 「ユネスコの責任ある一員として、日本政府はこの重要なプロジェクトの改革を求める。それが政治的に使われないようにだ。」と声明は付け加えた。

The UNESCO decision came after a two-year process during a meeting of experts tasked with studying nominations from 40 countries. The new inscriptions were agreed at a meeting that ran from Sunday to Tuesday and was held in the United Arab Emirates.
ユネスコの決定は、40カ国から指名され研究を課された専門家会議を通じた2年間に及ぶプロセスを経て行われた。新記憶遺産は、日曜から火曜までのアラブ首長国連邦で開催された会議で同意された。

Beijing rejected Japan's protest about the UNESCO move, the official Xinhua news agency said.
"Nanjing massacre is a severe crime committed by Japanese militarism during World War II and is a historical fact recognized by the international community," said Chinese foreign ministry spokeswoman Hua Chunying. "Facts should not be denied and history not re-written," Hua added.

北京は、ユネスコへの登録申請についての日本の抗議を拒絶したと、国営新華社通信は述べた。「南京大虐殺は第二次世界大戦の間に日本軍国主義によって犯された厳しい犯罪で、国際社会によって認められている史実だ」と、中国の外務省報道官Hua Chunyingは述べた。 「事実は否定されるべきではなく、歴史は書き換えられるものではない」と、Huaは付け加えた。

Xinhua also cited researchers as saying that UNESCO's decision was an act of "global recognition" for the massacre. "Inscription of the documents will help us honour history, refute wrong claims and disseminate the truth," Xinhua earlier quoted Zhu Chengshan, curator of the state-run Nanjing Massacre Memorial Hall, as saying.
新華社はまた、研究者たちが、ユネスコの決定は大虐殺の「世界的な認定」であると言っていると評価した。 「文書の(記憶遺産)登録は、我々が歴史を守り誤った主張を論破して、真実を広めるのに役立つ」と、新華社はZhu Chengshan(国営南京大虐殺記念館館長)がそう述べる前に報じた。

KILLING, RAPE AND DESTRUCTION
殺害、強姦と破壊

The Japanese military invaded China in the 1930s and the two countries fought a full-scale war from 1937 until Japan's defeat in World War II in 1945. China says 300,000 people died in a six-week spree of killing, rape and destruction after the Japanese military entered Nanjing. Some respected foreign academics put the number lower but there is very little mainstream scholarship doubting that a massacre took place.
日本軍は、1930年代に中国を侵略した、そして、両国は1937年から1945年の第二次世界大戦の日本敗戦まで全面戦争を行った。中国は、日本軍が南京に入ったあと、6週間の殺害、強姦と破壊の擾乱で30万人が死亡したと言う。 一部の評価ある外国研究者は(犠牲者)数をより低く見ているが、しかし、大虐殺が起こったことを疑がう主流学者はごく僅かでしかない。

In Japan, however, some conservatives and nationalists deny that atrocities were committed, a source of regular regional friction.
しかしながら、日本では、一部の保守主義者と国家主義者が残虐行為があったことを否定しており、それが定期的な地域内の摩擦の原因となっている。

In February, a senior executive at Japan's publicly funded TV broadcaster NHK denied the massacre, reportedly dismissing accounts of it as "propaganda". Japan's official position is that "the killing of a large number of non-combatants, looting and other acts occurred" took place, but it adds "it is difficult to determine" the true number of victims.
2月に、日本の公的資金を受けた放送事業者であるNHKの重役が大虐殺はなかったと述べた。そして、伝えられるところではそれを(中国の)プロパガンダ(宣伝戦)だと退けたと言う。 日本(政府)の公式見解は、「多数の非戦闘員の殺害、略奪と他の行為は生起した」、つまり、ことは起こったということだ、しかし「真の犠牲者数は決定するのが難しい」と付け加えている。

In April this year, Japan rebuffed protests about newly approved textbooks after complaints that they failed to use the word "massacre" when referring to the mass slaughter of Chinese civilians in Nanjing, preferring the term "incident".
今年4月に、日本は新たに承認した教科書に、南京における中国の一般人の大規模な殺戮に言及するとき「大虐殺」と言う語の使用を認めなかったことへの抗議をやんわりと退け、代わりに「事件」と言う語を好んだ。

Tokyo frequently clashes with its Asian neighbours over its war record, with many accusing the country of failing to atone for its atrocities or recognise the suffering that took place under the yoke of Japanese militarism.
東京(日本)はしばしば、その戦争記録に関してアジアの隣国(中国)と衝突している。(中国の)多くの人たちは日本が、日本軍の犯した残虐行為を償なわず、日本軍国主義によってもたらされた(中国の人々の)苦しみを認めていないと非難している。

The Memory of the World register, set up in 1992, is aimed at preserving humanity's documentary heritage, and currently holds 348 documents and archives that come from countries all over the world.
世界記憶遺産(の制度)は、1992年に創設され、人類の文書遺産を保存することを目的として、現在、世界中の国から提出された348の文書が世界記憶遺産として登録されている。

“It is my deep and firm conviction that the Memory of the World Program‎ should be guided in its work to preserve documentary heritage and memory for the benefit of present and future generations in the spirit of international cooperation and mutual understanding, building peace in the minds of women and men,” UNESCO director Irina Bokova said.
ユネスコ事務局長の Irina Bokova女史は、"(ユネスコの)世界記憶遺産は、現代と未来の世代のために国際協力と相互理解の精神を持って、文書や記憶遺産を保持するために設立されたものだ。男性のみならず女性の気持ちも考慮して平和を築くことは私の深くて堅固な信念だ。"と述べた。



以上、チャネルニュースアジアの記事でしたが、これはAFPによって配信されたものでユネスコ発表の報道内容に加え、独自の簡単な解説を加えただけの、まだましな部類の報道です。

中国よりの世界メディアは、こぞって、これで「南京大虐殺」が権威ある国際機関に認められた。日本の抗議は非常識で国際世論に反するものだ、との過熱ぶりです。

しかしつくづく思いますが、この記事だけでなく世界のメディアに投稿された数多くの読者コメントを読む限り、世界の平均的世論が日本のそれとは随分乖離している、いや、私を含む多くの日本人の南京事件観は世界の平均的な世論から随分かけ離れていることを思い知らされます。

そしてこのことから、どちらが正しいのかは内容を仔細に検証して行けば自ずから分かること、などと鷹揚に構え、真剣に反論してこなかった私たちにこそ今日の結果の原因があると知るべきです。

今回のこの情報戦(まさに情報戦です)の敗北が今後どれだけ、私たち現代の日本国民や、子々孫々に至る未来の日本国民を弄り貶めていくのか、考えただけでもぞっとします。慰安婦の件でも、今でこそようやくその議論が世界にも少し浸透してきた感がありますが、まだまだ完全解決には程遠い現状です。

ことほど左様に、寡黙でいる、黙っている、ものを言わない、ことは恐ろしいことなのだと自戒すべきです。日本国憲法前文にあるような、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」し、黙っていたのでは後の祭りなのです。(安保法も然るに必要なのです)

せめてこれからは寡黙ではない、物言う、物が言える日本人になりませんか。世界に向けて英語で物が言える日本人になれるよう、私も老い先さほど長くはないのでしょうが精一杯努力するつもりです。

以上、今日の私の鬱屈した思いと苦々しい閉塞感について思うところを書いてみました。なお、現下のマレーシアの国内事情については、次稿にて綴る予定です。

それでは今日はこれで。



先日の日曜日(5月3日)は、日本では憲法記念日、当地マレーシアではWesak Day(釈迦誕生日)と言うナショナルホリデーでした。

今年のマレーシアのWesak Dayは5月3日の日曜日と重なったため翌日の月曜日が振替休日となり、その結果、全国的に5月1日のLabour Day(メイデー)から4日間の連休となったのです。

と言っても毎日が日曜日の私たちには特に関係はないのですが、街にはカップルやヤングファミリーが溢れ、お陰でちょっぴり、この時期の日本のゴールデンウィークに想いを馳せることができました。

そして連休中の5月3日、たまたま東京から来訪中の知人夫妻と共にKL中心地近くにあるカンポンバルをDBKL(KL市役所)主催のガイド付きツアーで巡った際、思いがけずに旧日本軍の足跡に触れることができ、私は、ガイドさんの説明を聴きながら往時に想いを巡らせているうち、今日(その日)が日本国の憲法記念日であったことまで、ついでに思い出したと言う訳です。

そうか、今日は憲法記念日だったか、なんて呟きながら、家に帰って日本の関連ニュースをネットでチェックしてみると、先ず目に飛び込んできたのは毎年恒例の護憲派集会の記事ですが、そこには「すべて安倍のせい」とか、「米演説は露骨なウソ」とか、「憲法使い切ってない…」などと言う過激な文字が踊っていました。

その後複数メディアの関連記事にも目を通しましたが、いつものメディアがいつもの難癖記事のオンパレードです。いやはや日本と言う国は、いつまでもなぜこうなのだろうとまたしてもうんざりさせられました。

よって、今日のブログはいつもとはちょっと趣を変えて、こんなことがらに対する私の普段の思いや気付きを少々書いてみたいと思います。



ところで、KLのカンポンバル(Kampong Bahru)は、KL市街中心地近くに今も残るKL最大最古のマレー集落です。

↓ツインタワーなどの高層ビル街区の手前に広がっているのがカンポンバル地区です。

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英国殖民地時代に始まったマレー人専用の広大な居住地は、ツインタワーなどの高層ビルが林立する市街区に隣接しているため、近年、再開発と歴史や伝統文化の保護政策の間でかなり大きく揺れ動いているのですが、今なお続く伝統文化、伝統家屋などを広く内外に広報しようと、昨年(2014年)10月から無料の英語ガイド付きツアーが開始されています。

このガイド付きツアーは、以前このブログでも紹介した別の2つのツアー(リトルインディアツアーとムルデカヘリテージツアー)と同じくDBKL(KL市役所)の企画・主催です。

しかしながら、再度お断りしておきますが、今回の記事はこのツアーの紹介記事ではありません。ツアー中に想いを馳せたことを起点にした日本国内の社会事象に対する私の普段の思いと気付きを述べてみたいと思います。



ガイドさんの案内で、ツアーウォーキング中、Kelab Sultan Slaimanと言う施設に立ち寄りました。このKelab Sultan Slaimanの建物はこのカンポンバル居住民の社交クラブ施設で、ツアーの集合場所となった現クラブの前代のクラブ建物のレプリカなのだそうです。

↓第2世代のKelab Sultan Slaiman(レプリカ)です。現在はギャラリーとして使用されています。

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建物の後方には、サッカーコート2~3面程度の広いフィールドがあって、今では学校のグランドとして使用されているのだそうですが、英国殖民地時代の戦前は英国にまねてクリケットなどが盛んに行われていたそうです。

今から74年前の1941年12月8日、ハワイ・真珠湾攻撃開始の1時間前、旧日本陸軍がマレー半島東海岸のコタバルに奇襲上陸、その後怒涛の勢いで英軍を駆逐しながらマレー半島を南進して、翌年(1942年)2月15日にはシンガポールを攻略し、英軍は降伏、その後ボルネオ及びスマトラ島を含むマラヤ全域が日本軍政下に置かれ1945年の日本敗戦に至るまで日本統治が行われました。

マレー作戦

当地クアラルンプールにおいては、英軍が早々に退却したため大規模戦闘には至らず、現在の市内には特に戦跡と呼べるものは遺されていません。しかし、クアラルンプールは昔からマレー半島統治の中心であり、市内中心部には英国植民地時代に建設され、日本軍進駐後は軍政に使われた建物が遺されてはいるものの、日本統治を彷彿させるものはほとんど目にしません。市内の各博物館に若干の日本軍火器やマレー作戦で銀輪部隊が使った自転車や装備品などが展示されているのみです。

しかしながら、今回、意外なところで旧日本軍の足跡を目にしました。いや、目にしたと言うより、ガイドさんのお話を聴きながら私が勝手に往時に想いを馳せただけなのですが、実はこのことが私の信ずるところを見事に裏打ちしてくれました。私にとって、このことはカンポンバルツアーの意外な効用だったのです。

話は変わりますが、中韓隣国による旧日本軍の蛮行説は昨今益々その勢いを増してきており、私はいつも苦々しく思っています。以前も書きましたが、戦後70年もの歳月を経た今、後世に生きる私たちは過去の史実を目の当たりにしていないので、過去に何があったのか、何が真実なのかは、人に教わり、そして自ら学ぶ以外に知る術はありません。

しかし、誰に何を教わり何を学ぶのか、そして如何なる史料や史実から如何に自らが積極的に学ぶかが重要なのです。

当地マレーシアにおいても、当時の日本軍の蛮行を今なお訴える人はいるようです。なかでも奇異に感ずることは、現代の当地の一部学生たちがそのことを信じ、動画作成による普及活動まで行なっているという事実です。(You Tubeなどで検索すると簡単にヒットします)

しかし、調べてみるとその殆どに史実の裏打ちがあるとは思えません。それどころか、当地の多くの歴史学者や識者と言われる方々の著書などには、それとはまったく逆のこと、つまり日本軍による蛮行など一切なかったとの文言がほとんどなのです。(どこの国にも正しくないことを教える教員がいて、教えられたことを盲目的に信ずる若者たちがいるものだと悲しくなります)

ツアーのガイドさんの説明によれば、ここKelab Sultan Slaimanの建物は、KL市内の他の著名な建造物と同じように当時の日本軍に接収され、特にここカンポンバル居住地区の軍政に使用されたのだそうです。

そして、建物の裏手に広がる広いフィールド。ここは当時、何に使用されたか分かりますか?とのガイドさんの突然の質問にちょっと面食らいましたが、軍事教練(Military Drill)ですか?なんて咄嗟に答えてしまいました。

↓建物の後方にフィールドの一部が見えています。

kelab sultan suleiman

ところがガイドさん笑って曰く、いいえ、そうではありません。当時の日本軍は食糧不足を補おうと、この広いサッカー場を野菜畑に変えて野菜を作っていたのです、とのこと。

ツアーの他の参加者たちからは特に目だった反応はありませんでしたが、私には強烈なパンチ、でも喜ばしい強烈パンチでした。

電撃的にマレー作戦を成功させた日本軍ですが、1942年に入ると徐々に制海権を失うようになり、そのため後方作戦に支障を来たし十分な補給も得られず、慢性的な食糧不足に陥っていたのです。しかしながら、軍律厳しい旧日本軍においては、現地人からの食料品その他の召し上げ、窃盗・搾取は一切まかりならん、もしも発覚したる場合は厳罰に処す、との軍司令官の命令一下、極めて統制的かつ自律的な行動であったと、複数の歴史書で読んだことがありました。

一方で、日本国内の関連書物や識者・言論人の一部にはまるで正反対のことを言ったり書いたりしている人もいて、まるで日本国や日本国民を意図的に貶める中韓隣国の方のようです。果たしてどちらが真実なのか、もちろん私の中では前者に違いないとの確信はとうにあったのですが、もし可能ならば、そんな史料をさらに裏打ちするなにものかがみつからないものかと密かに探していたのです。

旧日本軍が、軍政のために接収した施設のグランドを野菜畑に変えて食料を自給していたと言うエピソードは、まさに日本軍による蛮行など一切なかったと言うことの証左ではないでしょうか。なぜならば・・・・

ここカンポンバルは、英国殖民地政府がKL内外に散在していたマレー農家を集めて作った一大農業集落です。したがって広大なエリアには田畑が多くあり、米や野菜が豊富に作られていたはずです。それにも関わらず、旧日本軍は現地人が作った米や野菜には一切手を出さず(軍が交渉して購買するなどは当然あったのでしょうが)に野菜畑を耕して自給していたとはなんと驚きです。

そんなに軍律厳しい日本軍が、そして心根の正しい旧日本軍将兵が、マレー半島で現地人を1万人殺戮しただとか、現地人の女性を強制連行して性奴隷にしただとか、例え戦時下であったとしても、そんなことはあろうはずがありません。



以前、上坂冬子さんの「南の祖国に生きて-インドネシア残留日本兵とその子供たち」と言うノンフィクションの時代ルポを読み、当時の日本軍の厳しい軍律や、現代よりもはるかに健全だったかも知れない日本軍将兵の心意気に深く感動した覚えがあります。

南の祖国

今でもインドネシア建国の英雄として旧日本軍の将兵が公に称えられていることなどは、まさに、中韓などの隣国が、いや隣国だけでなく日本国内の一部の識者や言論人までもが声高に叫んでいる南京大虐殺や従軍慰安婦問題などの、いわゆる日本軍の蛮行とは真逆のストーリィです。

私は、南京大虐殺や従軍慰安婦問題などは、対極的な両論を知れば知るほど、それが意図的にでっち上げ、捏造されたストーリィと断じざるを得ないと確信していますが、世の中にはなぜにこうも史実に基づかない、しかも既に多くの歴史学者が指摘しているように、完全に論理破綻した無茶苦茶なストーリィを頑なに信じたり、それを振りかざす人たちが多いのかと情けなく思います。

上坂冬子さんは79歳でその生涯を閉じられましたが、このような昭和史や戦後史に対しても彼女の筆の鋭さは晩年に至るまで色あせることはありませんでした。

上坂さんと同年代の女流作家としては他に曽野綾子さんがおられます。そして少々年代は若くなりますが、最近益々溌剌としてご活躍中の櫻井よし子さんがおられます。お三方とも保守派の素晴らしい論客です。お三方の昭和史や戦後史に関わるそのご見識の高さにはまさに脱帽です。

そうそう、上坂さんと同年代の女流作家と言えば、もう一方、沢地久枝さんもおられますが、彼女はいつの頃からか9条の会などと言う、私自身の信条とは真逆の方向に走っておられるようで、つい彼女の作品からは足が遠のいてしまっています。

9条の会と言えば、私がカンポンバルのツアーで思いがけずに旧日本軍の足跡に触れて感動していた、まさにその頃、日本各地においては憲法記念日行事としての護憲派集会が開かれていたのですね。

私がオンラインメディアで目にした「すべて安倍のせい」とか、「米演説は露骨なウソ」とか、「憲法使い切ってない…」などと言う過激な文字は、すべからく、9条の会のメンバーの発言だったようです。

オンラインメディアによると、横浜での護憲派集会だったらしいのですが、女優の木内みどりさんが司会となり、演壇には、作家の大江健三郎氏、樋口陽一東大名誉教授、沢地久枝さんなどの他、民主党の長妻昭代表代行や共産党の志位和夫委員長、そして生活の党と山本太郎と仲間たちの山本太郎共同代表などが上がったとのことでした。

しかし、安倍首相を安倍と呼び捨てにした上で罵詈雑言を叫ぶとは、内容はともかくとしてこの人たちの人間性を疑ってしまいます。

いくらなんでも自国の総理大臣を呼び捨てにするなど、良識ある大人のすることではないでしょう。

しかし護憲の理由については、もういいです。聞きたくもありません。あの人たちが皆そうであるように、私自身も負けずに頑固です。私の信条は長年の学習の蓄積の上にすでに十分固まっています。反対意見などはもはや説いても無駄です、と言うより聞きたくもないのです。改憲派がいて護憲派がいる。日本は自由と民主主義の国ですからそれはそれでいいのです。

ただし、お互い日本人同士、せめて相手に対する尊敬心だけは失わないようにしたいものです。



また、大江健三郎氏の「米演説は露骨なうそ」と言うのは、安倍首相が4月29日に行った米国議会での演説を指していると思われるのですが、私には大江氏の言う意味がまったく理解できません。

そもそも、嘘をつくと言うのは(人を騙すために)事実ではないことを話すことだと私は理解しているのですが、安倍首相のあの米議会演説のどの部分を指して嘘だと断じているのでしょうか。

私も、あの首相演説には大変興味がありましたので、「希望の同盟」と題する演説の動画を何度も繰り返して見たり、外務省のサイトで演説全文の一言一句をチェックしたりしましたが、ほとんどの方の評価同様、実に素晴らしいものでした。

あの演説のどこをどう捉えて、嘘だと言うのでしょうか。またいつものことで、ほとほとうんざりするのですが、「侵略に対するお詫びなし」として非難した朝日新聞ほかの日本メディア、そしてなんと村山元首相までもが安倍首相演説をして、「おわび」に言及しなかったことについて痛烈に批判したそうです。

なぜ日本の首相が米国議会で中韓宛の謝罪演説をしなければいけないのか、そんなことをしたら却って米国に対して非礼だろうと私は思うのですけど、この方たちの思考回路は果たして正常なのでしょうか。

私は何度も英文全文を読みましたし、動画も繰り返し観ました。そして実に良く練られた素晴らしい演説であると心底感銘しました。特に最後のくだり、我々の同盟を、Alliance of Hope(希望の同盟)と呼ぼうと、安倍首相が声高らかに謳いあげた時、私は思わず感動で震えていました。

恐らく、チーム安倍が練りに練り上げたスピーチ原稿なのだろうと思います。史上初の日本国総理大臣としての米国議会での演説、しかも母国語ではない英語での演説です、でもよほど練習されたのでしょう、あの大舞台であれだけできれば上々です。

それなのに、民主党の小西洋之議員なる人物が、ひどい棒読みだとか、単語を読み上げているだけだとか、日本の高校生よりひどい、 せめてちゃんと練習ぐらいして行けなどと、ツィートしたそうですが、とんでもないことです。

小西議員はどれだけ英語が堪能なのでしょうか。私も英語にはもう随分苦労していますが、あの安倍首相の英語スピーチは実に堂々たるものでした。聴いている人に通じないどころか、実にポイントを押さえた素晴らしい英語演説であったと思います。

多分、小西議員なる人物は英語が堪能かどうかではなく、それ以前の問題なのでしょうね。

とにかく、あの演説は十分評価に値するものであったと私は思っていますが、今日、Yahooの意識調査で、この首相演説を評価するかどうかのアンケート調査結果を見てやや驚きました。

なんと、まったく評価できないと言う人と、あまり評価できないと言う人の割合が併せて38%もいるのですね。(5/5現在)

約4割と言うことは、10人のうちの4人、5人のうちの2人と言うことですからもちろん無視はできない数字です。

しかし、私はこれをナゼだろうと思ってしまいます。朝日新聞その他の国賊メディアのプロパガンダの為せる業なのかも知れませんね。もっとも、具体的なコメント欄に否定的な人の書き込みがほとんどないことから、他の誰かが指摘しているようにこのアンケート調査自体、果たして精度のあるものなのかどうか、ひょっとしたら同一人物がなんらかの手法を用いて繰り返し投票できるのかも知れないなどと、疑りたくもなります。



いずれにしても、今の世の中、国や国民を貶めるかの如くの新聞やテレビなどのマスメディア、そして識者や言論人もまだまだ健在です。そんな中、歴史問題にしろなんにしろ、何が正しくて何が正しくないのかを見極めることは決して容易ではありませんが、自分が正しいと信ずることを再評価しつつ、混沌とした世の中を正しくみつめて行かなければと思っています。

以上、今日は、これまでとは少々趣を変えて、私の普段の思いや気付きの一端を綴ってみました。

では、また。。

お断り:今日書いたことは私の普段の思いや気付きです。すべて私自身の信条に基づくものですが、異なるご意見をお持ちのどなたとも議論する気は毛頭ありません。悪しからずご了承下さい。


突然ですが、遠く祖国を離れていても毎日気になるのが日本のニュースです。

未曾有の大雪で首都圏が大混乱したとか、ソチオリンピックで真央ちゃんが転んじゃったとかも確かに気にはなるのですが、このところどうも、外国からの日本や日本人に対する言われなき非難のニュースや記事が目に付き、日本人の一人として面白くないのです。

一昨日も、米紙ニューヨーク・タイムズは、日本の安倍首相が正式な改正手続きによらず、自身の解釈で憲法の根幹を変えることに「危険なほど近づいている」とする社説を掲載しましたが、記事を読むとまるで現下の日本が戦前のように危険な道を歩みつつあるような書き振りです。

なにをもってそう判断し得るのか、いい加減な取材や推量で恣意的な社説を書くなど、まるでどこか○日新聞のようですね。しかし、そんなことが事実でないことは日本人の誰もが知っています。

安倍首相の言動は至極真っ当であり、なんら外国から非難されるべきものではない、と、私を含めて普通の日本人はそう思っているはずです。これはまさに言われなき非難です。

さらに尖閣問題にしろ慰安婦問題にしろ、このところ近隣国からの言われなき非難が絶えませんが、良識ある普通の日本人は決して相手国の国旗を焼いたりはせず、じっと耐えているのだろうと思います。でも、私はそんな言われなき非難を甘受し続けるような祖国日本であって欲しくはありません。



国旗を焼くと言えば、先月、在マレーシア日本大使館の前で、日の丸を焼くグループを目撃しました。たまたま在留証明を手続きに行った際のことです。

聞けば、グループは、この国のアンワル元副首相のサポーターで、元副首相が日本入国を拒否されたことに対する抗議デモなのだそうです。10数名のそのグループは、しかし、それ以上に過激なことをするふうではなかったのですが、ただ日本製品ボイコットなどのプラカードを掲げていたことに苦い思いを感じつつ、私はその場を離れました。

自宅に戻ってから、国旗を燃やされるほどのことがあったのかと思い、アンワル元副首相の日本入国拒否のニュース検索をし、ようやくその全容を知りました。そうしたら、なんのことはない、昨年からビザなし入国が可能となったマレーシア人なのですが、服役歴のある元副首相の場合は事前のビザ取得が必要なのにそれを怠ったための日本入管当局の国内法に基づく措置だそうです。

なんだ、日の丸を燃やされるほどの理由はなにもないじゃないかと正直安堵しました。

これだって言われなき非難です。そして、それはほとんど事実を正しく理解していない、いわゆる誤解によるものです。

ご承知のように、ここマレーシアは渦中の近隣国とは比較にならぬほどの親日国です。しかし、それでも物事を正しく理解せず、誤解に基づく非難を繰り返す輩は確かにいるのです。

私はこの国に移住して以来、ほとんど毎日こちらの新聞などに目を通しています。

そして車を運転中は、大体ローカルのFM放送を聞いています。

そんな中、やっぱり気になるのは祖国日本のことです。なので日本に関するニュースや記事にはことさら目を光らせ、耳をそばだてているのですが、新聞でもラジオでも日本に関するニュースや記事は決して少なくありません。

もちろん、経済大国の日本ですから、東南アジアの国々にとってはもっとも影響力のある国のひとつであるわけで、常に感心を持って見られていると言うことなのだろうと思います。

ちなみに、私が毎日目を通しているThe Sunに掲載された日本関連のニュースや記事の数をカウントしてみたところ、今年に入って昨日までに38もありました。これは中国とほぼ同数で韓国よりも遥かに多い数字です。

と言うことは、1週間に4、5件と言うことです。The Sunの海外ニュースなどはフランスの通信社AFPの配信記事が多いのですが、いずれにしても、良きにつけ悪しきにつけ、日本は感心をもたれていることの証左であると思うのです。

これは2月18日のThe Sunの一面です。おっ、雪の写真だ、一体どこだろうと思ったら、日本の軽井沢でした。

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こんな日本関連のニュースやその他の記事を目にした場合、私は特に一言一句を読み漁ります。間違いがないか、誤解されていないかなど、やっぱり気になるのです。これは純粋のNews Reportなので、そのまま素直に読み終えましたが、同じ18日の後の方の紙面にはこれはとても気になるFeatures Article(特集記事)が載っていましたので、それを詳しく紹介したいと思います。

それはなんとラブホテルに関する記事なのです。私もみなさんに誤解されないよう最初に説明しておきますが、実は私はこの記事の一言一句を読む前にちょっと嫌な予感がしたのです。

そうです、某近隣国の長年の努力の結果なのかこのところ世界のあちらこちらで頻出している例の「慰安婦」問題です。私はこれは「言われなき非難」の最たるところだと思っていて、いつも苦い思いに耐えているのですが、それを連想させる意図的な記事ではないかと懸念したのです。

果たしてどうか、早速チェックしてみたいと思います。



Discreet couple time
(目立たないカップルの時間)

Japan’s Love Hotels offer a few hours of privacy in a crowded country
日本のラブホテルは、混雑した国で数時間のプライバシーを提供します。

From rooms kitted out like medical clinics where couples can play “doctors and nurses” to grottos where it is permanently Christmas, Japan’s Love Hotels cater to almost every taste, offering a few hours of reasonably-priced privacy in a crowded country.
カップルが「ドクターとナース」のプレイをすることができるメディカルクリニックのような部屋から、常にクリスマスのような洞穴部屋にいたるまで、日本のラブホテルはほとんどあらゆる好みの要求に応え、混雑した国に数時間の手頃な価格のプライバシーを提供します。

And with the kind of occupancy rates that hotels can only dream of, even during economic hard times, they are an almost recession-proof business.
そして(他の一般的な)ホテルが夢に見るような利用率で、経済が困難な時でさえほとんど不景気の影響を受けないビジネスなのです。

One weekday lunchtime at Two-Way, one of the many Love Hotels in the lively Tokyo district of Shibuya, only two of the 34 rooms are vacant.
賑やかな東京・渋谷にある多くのラブホテルのひとつ、Two-Way(註:ホテルの名前)のとある平日のランチタイムでは、34室あるうちのたった2部屋だけが空室です。
(Hotel Two-Way)
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"At this time of day, it will be mostly couples having affairs,” said Masakatsu Tsunoda, who has been in the business for 15 years and has owned the place for five.
「一日の今ごろ(註:平日の昼休み)は、大部分がそのような関係のカップルです。」と、この業界に15年、5軒(のラブホテル)を所有するマサカツ・ツノダ氏は言いました。

“In the evening, it will be mostly younger people.” The concept of a Love Hotel is simple – rooms can be taken for the night, or for two hours – euphemistically termed “a rest”, although few couples taking this option intend to sleep.
「夕方にはもっと若い人たちになるでしょう。」ラブホテルのコンセプトは単純です。部屋は夜用または遠まわしには休憩と称する2時間のためにあるのであって、眠るためにこの部屋に入るカップルはほとんどいないのです。

“Ideally, you would have a room occupied four times in 24 hours,” says Tsunoda. “Once in the morning, once in the afternoon, again in the evening and then for the night.”
「理想的には、24時間で4度回転する部屋を持つこと」と、ツノダ氏は言います。「1度目は午前中、2度目は午後、3度目は夕方、そして4度目は夜です。」

Even the most basic room comes with an ensuite for the night. It represents good value for money in a country where hotels can be expensive.
もっとも基本的な部屋(註:最安価格の部屋)でさえエンスィート(註:バス・トイレ完備の部屋)です。このことは、ホテル価格が高いこの国においては割安です。

A little bit of couple time during the day can be bought for as low as ¥2,000 (RM65). At the higher end, a room will have luxury sheets, the latest flat-screen television – complete with a limitless supply of adult entertainment – a game console, perhaps a mirrored ceiling and a bubble bath with room enough for two.
日中のほんの僅かなカップルタイムが2000円(65リンギ)と言う安さで買えるのです。より(値段が)高い部屋では贅沢なシーツ、アダルト番組見放題の最新の薄型テレビ、ゲーム機、それに多分、天井ミラーや二人には十分な大きさのバブルジェットバスもあるでしょう。

“They’re not only places for people who are unmarried or live separately, but they are places where you can spice up your relationship,” one occasional user told AFP.
Anonymity is assured and discretion – never in short supply in Japan – is absolute.
「それら(ラブホテル)は未婚者や別居中の夫婦だけのものではなく、あなた方の関係をより豊かにするところ」と偶然居合わせた一人の客がAFP(の取材に答えて)に言いました。匿名は守られ、決して(物)不足にはならない日本においては、自主裁量(行動の自由)は絶対なのです。

A couple can check in and out without seeing an employee. Their room choice can be made from a display in the lobby, paid for at a machine with keys dispensed through a window. Staff, when they do appear, are polite, but neutral, doing their best to blend into anonymity and instantly forget the faces they see.
カップルは(ホテルの)従業員と顔を合わせることなくチェックインやチェックアウトをすることができます。部屋の選択はロビーのディスプレイで行い、ウインドウ越しに受け取るキーを使用して機械で支払います。スタッフと顔を合わせた場合、彼らは礼儀正しく中立です。匿名に溶け込み(註:匿名を守るの意)、彼らが見た顔(註:客の顔)を直ぐに忘れるために最善を尽くすのです。

Academic Ikkyon Kim, who has written on the subject, said Love Hotels came about in Japan’s feudal era, which lasted until the mid-19th century. “Of course, they weren’t called that at the time, but there have long been rooms that a couple could rent for a few hours,” he said.
このこと(ラブホテル)について著書のある研究者キム・イッキョン(註:日本の民俗学者)は、ラブホテルは日本の封建時代に始まり19世紀の中頃まで続いたと言いました。「もちろん、その時代にはそう(ラブホテルと)は呼ばれていないけれども、カップルが数時間借りられる部屋は長く存在した。」と、彼は言いました。

“Before World War II, there were a number of ryokan (traditional Japanese style inns with tatami mat flooring) which operated along these lines.” But it was in the boom years of the 1950s and 60s where the modern form was firmly established. “They came about to fill a need,” said Kim.
「第二次世界大戦の前は、このような営業形態のいくつかの旅館(畳敷きの伝統的な和風旅館)がありました」、しかし、今の形がしっかりと確立されたのは1950年代と60年代の好景気の年でした。 「それ(ラブホテル)は、必要を満たすために生まれたのです」と、キムは言いました。

“People were living in tiny apartments where the whole family would sleep in the same room. There was no chance for any privacy.” As Japan got richer, “hotels became these large concrete buildings with many rooms, each with its own bath, a big bed, a colour television and all the kind of things people wanted to have at home.”
「(当時)人々は家族全員が同じ部屋で寝(起きす)る小さなアパートに住んでいました。そこにはまったくプライバシーがなかったのです」、(その後)日本がより豊かになり「ホテルは、大きなベッドやカラーテレビなど、人々が自宅に持ちたかったすべての物を備えた多くの部屋を持つ大きなコンクリートのビルになったのです。」

In the 1970s, owners started experimenting with more exotic forms and others followed. Bound by strict rules on tasteful advertising, but not unhampered by planning regulations, extravagant designs with pink turrets or gaudily painted Cadillacs announce to the public they’re open, without ever mentioning sex.
1970年代になり、(ホテルの)オーナー達はさらなるエキゾチックな形の実験を始め、他(のオーナー達)もこれに続きました。凝った宣伝広告は厳格な規則により束縛されるものの、建築計画の規制に邪魔されることもなく、ピンクの小塔を持つ贅沢なデザインやけばけばしい塗装のキャデラックは、一切セックスには言及することなく、それら(註:ラブホテル)が営業中であることを公衆に知らしめています。

The frothiness of Japan’s 1980s bubble economy lead to an explosion in Love Hotels. Estimates suggest there are up to 30,000 in Japan now, in an industry worth a staggering ¥4 trillion (RM130 billion) a year.
日本の1980年代のバブル経済の泡立ちはラブホテル(業界)にも爆発を引き起こしました。今や(ラブホテルは)日本国内に30000軒にも上り、驚異的な4兆円(RM1300億)の価値ある産業であるとの評価が示されています。

More than two decades since the bubble burst, the sector is still in a robust state, “even if it’s not quite as good as it was back then”, laments Tsunoda, who says the rise of the internet has pushed owners to up their game.
バブル崩壊から20年以上、この業界はいまだ頑健な状態にあり、「たとえそれ(註:ラブホテルの経営)が当時ほど良くないとしても」とツノダ氏は嘆きつつも、インターネットの普及がホテルオーナー達のゲーム(経営)の後押しをして来たと言います。

“Previously, couples would just go into the first place they came to on the street, but nowadays, they can use their smartphone to compare what’s in the area and take their pick,” he said.
「以前は、カップル達は彼らがその通りの最初に来たことのある場所(ラブホテル)に入るものでした。しかしこの頃は、彼らはそのエリアのラブホテルを比較し、入念な選択をするために彼らのスマートフォンを使うことができるのです。」と彼は言いました。



いかがでしたでしょうか。何を言いたいのか、ちょっと尻切れトンボのような記事でしたが、うーん、私の懸念は杞憂に過ぎないのかも知れません。しかし、「Sex Slave」などと言うとんでもないワードを連想させる気配はやはりあるような気がします。

しかもこれはAFPの配信記事です。いつの配信なのかは良く分かりませんが、この新聞だけでなく世界中のメディアが飛びつきはしなかったかと大いに気になります。

でも私のように穿った見方をしなければ、不況に強いビジネスだから日本に見習え、みたいな読み方もできる訳で、イスラム教国のこのマレーシアでこんなビジネス展開をしようとしたらどうなるだろうなんて、自分には関係のないことまで思いを馳せてしまいました。(笑)

今日は、突然でしたが、マレーシアの新聞記事に見るニッポンと題し、いつもとは少々異なる趣のブログを書いてみました。

それではまた。。

今日からいよいよ12月です。

思えばちょうど1年前の今日は、引っ越し荷物の発送も終え、いよいよがらんどうとなった我が家で、すべてのスケジュールを予定どおりにこなし終えた安堵感と、これから始まる人生最大・最後の冒険の旅への期待と不安、それにふるさとを遠く離れることの一抹の寂しさなどが激しく交錯して心が千々に乱れていました。

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あれからちょうど1年が過ぎ、我が人生最大・最後の冒険の旅もようやく軌道に乗りつつあると感じていますが、その後の様々な状況変化や想定外の事象もこれありで、とても順風満帆とは言えず、決して安閑としてはいられません。

もとより少々の波風は覚悟の上、いや、波乱万丈も厭わずの覚悟で海を渡って来たのだからと自らを励ましてはいますが、それよりも気になるのは、予想以上に異なる食などの日常生活や周辺環境になかなか馴染めず必死に堪えているmy better halfのことです。

私が決めた我が人生最大・最後の冒険の旅に、言われるがままについて来てくれたmy better halfですが、異国の地での健康管理に対する不安、英語のプライベートレッスンを続けているとは言えまだまだ自由には会話をこなせないことに対する不安、そして極めつけは、もし私と言う存在が突然消滅してしまった場合などに対する言い知れない不安、そんな不安を抱えながらも毎日必死に頑張っているのです。

そんなmy better halfの不安を拭い、辛く悲しい残りの人生ではなく、楽しく悔いのない残りの人生にすべきは私の絶対的責任。移住後1年を省みて改めてそう思います。

ともすれば、周りを顧みずひたすら突き進む性向のある私ですが、時には後ろを振り返り、better halfが遅れているならば少し後戻りしてもいい、しっかりと支えながら共に生きる、そうでなければいけないと決意しています。

移住の前に約束していた緊急事態対処マニュアルも、私の余裕のなさから未だ作成に至らず、そのことも不安を与えている一因だろうと思います。時間の余裕を見ながら早急に整備しなければと考えています。

さて1年の節目に、これまでの成果はいかに、と思いを巡らせてみました。

このブログはまさに私の成果と反省の記録なのですが、もちろん、ブログには書かない、書けないことも数多くありました。

そして、もう何度も書いていますが、この私の残りの人生は、どなたかの書かれているご褒美人生とは違うと思っています。

人生最大・最後の冒険の旅なのです。したがって、進むべき道筋を考え、段階的に成すべき目標を掲げ、その過程における達成感を生き甲斐にしようというものです。

私の当初1年目のマイルストーンは、生活拠点を定め、生起するであろうあらゆる問題を克服して冒険の旅に支障のないインフラや環境を先ず整備することと、それに並行して、言葉の障害を取り払う、特に英語とマレー語の習得を開始・継続することでした。

結果、総じて見れば、予定どおりにできているのかなと思います。(まったくの自己評価です。)

インフラの構築に当たっては、予想通りに、いやそれ以上にいろいろな問題が生起しました。電気、水道、バス、エアコンの問題、防虫・防蚊の問題、騒音の問題、テレビ・インターネット・電話の問題、そのほかにもいろいろあったと思いますが、まぁ、1年経ってみてそろそろ出尽くしたかなと言うところでしょうか。

当地のコンドミニアムは、聞かされていたとおり、入居後様々な問題に直面します。そのたびに知恵を絞り、相談を請い、なんとか切り抜けてきたと言うものの、そんな時に痛切に思うのは、異文化の中でのコミュニケーションの難しさです。

この国では英語は第二の国語、英語だけでも日常の意思疎通に困ることはない、そう理解してきたものの意外にそうではないことに気付かされました。

銀行やモールやレストランなど、街中での会話は確かにほぼ100%、英語だけで十分です。

しかし、KAMPUNG(村、田舎)などでは英語が通じないことも多いのです。

KLは大都市ですが、実はまだ至るところにKAMPUNGがあります。私の住むモントキアラも直ぐ隣はKAMPUNGです。

コンドミニアムの電気、水道、バス、エアコンなどの修理の人達は例外なくKAMPUNGからやってきます。

KAMPUNGからやってくる人たちの中には、英語が出来る人もたまにはいますので、その場合は良いのですが、そうでない場合は片言のマレー語での会話を余儀なくされます。

こんな時にはマレー語習得の必要性を改めて感じるのですが、それにしても、英語が通じるのは、都市部などの標準教育履修者層以上に限られると言うことを最近知りました。

以前聞いたところでは、マレーシアの英語浸透率は80%ぐらいだろうと言う事だったのですが、先日インターネットで2010年のグーグル統計データを見て驚きました。マレーシアは27%だと言うのです。もっとも日本が12%、中国が1%と言うものですから、ちょっと俄かには信じ難い数字だとは思いますが。(日本の英語浸透率12%はどう考えても高すぎますよね。もっとも統計の取り方にも拠りますけど。)

マレーシアの27%は低すぎる数字と思いますが、実際に暮らしてみて、いろんな階層の人たちと会話してみた印象から言うと80%は高すぎ、27%は低すぎで、まぁ、5~60%程度ではないでしょうか。

いずれにしても、そんな時、少しでもマレー語に慣れてきた自分を感じることができ、これも1年間の成果なのかなと思っています。

この他には、思いがけずに日本語を教えることになったこと。これはまったく想定していなかったことなのですが、ローカルの若い人たちに日本語や日本文化の一端を教えることの難しさと面白さ、そして時々英語とマレー語と日本語をチャンポンにして熱く会話している自分に気付くこともあり、私の人生最大・最後の冒険の旅に彩を添えるひとコマなのかなと思っています。もちろん今も続いていて、大変ですがとても充実感を感じています。

また、ブログにもこまごまと綴っていますが、新鮮な地魚を売る日曜市を発見(私が発見したのではなく人づてに聞いたのですが)し、恐れを知らず刺身で食らう人体実験を敢行して、当地在住の日本人の多くの方の賞賛(嘲笑かも知れません。)を得たこと、高い韓国米よりもおいしい地元産の安い日本種米の買い方を憶えたことの他、安いビールや美味しくて安いサーモンの買い方までしっかり身につけたことは、もちろん成果に違いありません。

これで、衣食住のインフラはほぼ整いましたし、ツールとしての車、その道路税や自動車保険の手続きもこのたび無事に終えました。車検整備に代わる車両整備やタイヤ交換もこの月内に終えるつもりでいますので、2年目以降の行動に不可欠な脚も磐石です。

と言うことで、移住後1年を振り返ってみましたが、当初予定のマイルストーンはほぼクリアしたのかと思っています。

2年目は、ただひたすらコミュニケーション能力を高めつつ、ローカルの人たちを含む人的コネクションを広げ、更には夢の実現に必要な分野の勉強も始めたいとも考えています。

もちろん、がむしゃらではなく時々後を振り返り、必要に応じて小旅行などの休憩も織り交ぜながら、徐々に現地に溶けるつもりでいます。

もっとも、最近では私のもともと黒い肌が益々黒く陽に焼けて、もう肌の色ではローカルに負けていない、などと他人に言われることもあり、そういう意味では私の計画どおりにことが進んでいるのかなと思っています。(笑)

ではまた。。