今日のバイク旅はDay6(11月22日)です。しかし今思えば、我々のブキティンギの宿、ブキティンギ・ホリディ・ホームは魔訶不思議な宿でした。摩訶不思議の最たるものは、やはり入口の鉄格子の扉がいつも施錠されていて自由に出入りできないことでしたね。その他にも、宿の看板がどこにもなくて宿を探すのにひと苦労したとか、宿主がダブルブッキングにも全然悪びれる様子もなかったとか、普段は宿主や従業員の姿は見えずどこにいるのか分からないなど、いろいろありましたが、それは百歩譲って良しとしてもこの↓鉄格子の扉にはほとほと参りました。

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扉は↓このように頑丈なチェーンと南京錠でいつも施錠されているのです。もちろん、客には開錠のためのカギが1個手渡されているのですが、これが曲者なのです。普通じゃない、いやまったく変なのですが、このカギを差し入れて開錠しようとしてもうんともスンとも言わないのです。我々3人が交互にトライしても頑として開かない。10分、いや20分ほど経過してもまだ開かない。カギが違うのではないかと最初は思ったりもしました。宿の従業員を呼ぼうとしてもどこにも姿が見えないし、さてどうしたもんかと思案するうち、え、いつの間にか開いてる?・・

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いや、不思議ですよ。途方にくれて、もう出かけるの止めようかなどと諦めかけたころにようやく開くのです。それでもまだ、出かける前はいい。夜遅くに帰ってきた時などカギをガチャガチャやっても開かない。いつまでも南京錠をガチャガチャやってるもんだから、通りを歩く人たちが不審そうに眺めて行くのも気になるし、いい加減腹が立ってきたころに、え、いつの間にか開いてる?・一体何なんだこれ?・・

大体こんなカギ、客に渡す方がおかしい。いったいどうしたら開くんだ? 毎回毎回いらつきながら、ガチャガチャやって、腹立だしくて腹立たしくて、珍しく宿に従業員がいるときに、カギ開かないぞ、おまえやってみろって言ったら、ニタニタ笑いながらカギいじくってニタツキながら目の前で開けよった。え、な、なんでだ?どうもこの少年とは良くコミュニケーションがとれないのだが、どうやらコツがあるらしい。

その後、ピーターもシーシーもさんざん弄ってそのコツとやらを探したがどうしても分からずに、イケサンやってみてと結局ギブアップ。こうなったらオレも意地だ、日本男児のしつこさを見せてやる、とチャレンジしたがやっぱりダメだ。しかしその後も諦めずに毎日、毎回ガチャガチャやってたら、ひょんなことから突然開いた。え、ぇ、今、どうやったら開いたんだっけ?それから、鍵開け職人よろしく全神経を手指に集中させ、ほんのわずかな、極々ほんのわすがな鍵穴の引っ掛かりに気付いた。こ、これだ、、おぉぉぉついにコツが分かったぜ。即、そのことをピーターとシーシーに報告したら、イケサン、凄い、大したもんだ、でももっと早くコツつかんでくれてたら良かったのにな、、だと。

そ、そうだな、今晩はブキティンギ最後の夜だもんな。。でもこれで最後の晩は不審者扱いされないで済むだろ、どうだ良かっただろう、と威張って見せたひねくれ団塊なのでした。

さて、ブキティンギ最後の今日は、当初計画では初日に行く予定だったマニンジャウ湖へのバイク旅だ。マニンジャウ湖は、現在その写真を本ブログのトップに据えているが、西スマトラでは最も美しいとされ、ブキティンギの西40km程度のところにある湖だ。さぁ、団塊シニアバイク隊、今日も元気に出発だ。。出発前の宿屋の風景↓、右が我々の豪華3ベッドルーム、奥が初日に泊まった貧民用3ベッドルーム。(笑)

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ブキティンギの町を出て、今日はシンガラン山を左手に見ながらひた走る。今日も天気は良いだろう、、、、と思っていたのだが、どうやら雲行きが怪しくなってきた。途中の茶屋でコーヒー飲みながらふと見ると、西のマニンジャウ湖の方角にはなにやら怪しい黒い雲が低く垂れこめている。そんなことを話しているうちに雨が降り出した。

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お、こりゃ大変だ、濡れないうちに雨支度しようぜとなったのだが、突然ピーター隊長、おっと、いけない、合羽忘れたよ、って。。え、えぇー? 合羽忘れたってそんな。。どうも黄門さまは雨についてないな。おとといだって急に雨に降られてしかもサンダルの鼻緒が切れたしな。でもピーター隊長の偉いところは何事にもめげないことだ。大丈夫だ、雨で濡れても平気だよって。。しかし、濡れたら冷たくて寒い。ここは赤道間近と言えども標高900mの高地なのだ。よし分かった、オレの山用防寒ジャンパーを貸してあげよう。すこし窮屈かもしれないけど、これで寒さは凌げるからね。。

それから、一行は小雨の中を西に西にとひた走り、小一時間ほどで目的地のマニンジャウ湖に着いた。ここ↓は、マニンジャウ湖を眼下に望む道路脇の茶屋だ。

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雨は小康状態になったけど、眼下の湖はまだ低く雲が垂れ、対岸は霧に霞んで良く見渡せない。うーん、残念。

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マニンジャウ湖は、南北16キロメートル、東西7キロメートルの楕円形のカルデラ湖で、約5万2000年前の噴火によって形成された西スマトラ随一の秀麗湖だそうだ。

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もし空がすっきり晴れていれば、このように↓見えたはずなのだ。

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今我々がいるこの茶屋の標高が1150mで、湖の水面標高は約470mだそうだから、その差680mもあるのだが、これからその標高差を44のつづら折りで一気に下る。インドネシア語ではカーブのことをkelokと言う。だから44 kelokで44のつづら折り坂となる。

これがその44kelokだ。この写真では道路には中央線が引かれ幅も広いように見えるが、実際は狭く細く急カーブな上にカーブの高度差が結構きつい。つまり急カーブ&急坂の連続なのだ。

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茶屋での休憩後、小雨降る中を下り始めたが、雨は次第に強くなり、急坂&急カーブを雨水が滝のように流れ落ちる中のバイク乗りにはマジ肝を冷やした。それぞれのkelokには番号標識が立っていて、今何番目のkelokを通過しているのかが分かるようになっているのだが、雨がゴーグルに叩きつけてくるせいで良く標識が読めない。おまけに急カーブの先は視界がまったく効かないのだ。

この時だった。目の前に突如として現れた大型トラックに驚ろき、慌てて右に避けようと急ブレーキをかけた途端にタイヤが滑った。左カーブを外側にかなり膨らんでターンしていたせいで、右に避けるしか衝突を避ける方法がなかったのだ。タイヤが滑り立て直しをしようとしたところ、今度は反対側に転倒しそうになったので右手を道路右側の木立に衝いて支えようとした途端に右手指に激痛が走った。

一瞬の出来事だったので、右手指を何に衝いたのかを確かめる余裕もなかったが、その後しばらく右手が痺れてバイクのスロットルを絞るのに苦労した。後ほどあらためて右手指を見てみると、小指の付け根部分が3倍ほどに膨らんで紫色に腫れている。これはやばいな、骨折したか、ヒビが入ったな、と思った。

その手指、あれから1か月以上が経過したと言うのにまだ痛みはかなりあるし腫れも残っている。レントゲン検査をしてもらおうと自宅に戻ってから近くの病院に2度も出かけたが、小指の骨折やヒビなんてどうしようもない、X線検査したいならするけどしてもしょうがないよ、と医者に言われ痛み止めだけもらって帰ってきた。ま、医者の言うように、半年も経てば痛みもなくなるのだろうと思い放置してあるのだが、こちらの医者はどうなんだかなぁ・・・

湖の直ぐ傍まで下りてきたら、雨は小降りになったようだ。右手指が痺れて痛くてしようがないが、痩せても枯れてもオレは男、日本男児だ。こんなことで泣き言言ったら笑われる。そう思って二人には黙ってた。

以下の3枚↓は雨の止み間を狙って、ピーターが撮った写真だ。

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なかなかよく撮れている。構図もいい、、と思う。

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この↓写真を今、本ブログのトップ画像に据えている。

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雨がなかなか止まず、腹も減ったので湖のそばの食堂↓に立ち寄った。時計を見るともう1時を過ぎている。

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食堂には雨宿り風の何人かの客とインドネシアの肝っ玉母さんがいた。

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早速、気さくに声掛けするちょい悪Sil-Silとピーター黄門さまだ。

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言葉にはかなりのバリアがあるはずなのに、なぜか冗談だけは通じるようだ。しかしシーシーの見知らぬ人との打ち解け術には感心する。毎度毎度、相手が何人(なにじん)であれ関係なし、もちろん老若男女も関係なし、テキトー(いい加減とも言う)な言葉と身振り手振りであっという間に親しくなれるのだ。

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湖に面した食堂の板の間に座り、注文の品を待つ。雨は少し小降りになってきたような・・・・

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おぉ、これが肝っ玉母さんお手製の豪華ランチだ。こ、これは旨そう!・・・と思わないアナタはスマトラには行けませんな。

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我々三人、魚は骨までしゃぶり、麺も汁の最後の一滴まで飲み干して、完全完食。。あー旨かった。

さてこれからどうしようか。天気が良ければ湖を一周したかったのに、これじゃあ、無理かもな、などと言いながら、魚の骨を一心にしゃぶるピーターとシーシー、いやオイラもだけどね。

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食って飲んだら、用足しに行きたくなって、肝っ玉母さんにトイレはどこ?って聞いたら、下だ、下にあると言う仕草。なので、急な梯子を伝って下に下りてみたら、なんとそこには釣りをしている人がいた。。彼にトイレはどこ?と聞いたら、外だ、外にあると言う仕草。

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目隠し用のボロ布を捲り、外梯子を伝って外に下りてみたが、トイレらしきものは何もなし。一体どこにあるんだよと、釣り人に外から声掛けしたら、その辺でしろ!との返。え、えーっ、、トイレって、な、なにか?ネイチャートイレか??

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いやぁしかし、これも良し。これが大自然との直の触れ合いというもんだ。。(笑)

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しかし雨はなかなか止まないな。と言うよりちょっと雨脚が強くなってきたんじゃないの?

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すると、見る間に本降りになってきた。

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お、おい、これじゃぁ、身動きが取れないぜ、参ったなあ、と嘆くトリオ隊。

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その後、この本降りが小やみになるまでさらに1時間ほど要し、その間同じように雨宿りしていた地元の人たちといろいろ話をしたのだが、私にとっては、マレー語とインドネシア語の違いを知るいい機会だった。車はモビル、バイクはホンダ、病院はルマサキ、事務所はカントールなど、まったく意味の異なる単語が山ほどあって、何が兄弟言語だよ、、、と思ったほどだ。でもしかし、いったんその単語の意味が分かってしまえばある程度通じあえるのだが、これって日本の津軽弁と鹿児島弁のようなものも知れないな。。

結局この後、マニンジャウ湖周回のバイク旅は中止、雨が小やみになったところを見計らって、ブキティンギに戻ることとしこの食堂を後にした。しかしこの後すぐに、例のkelok44の上りの坂道の途中でまたまた雨が強く降ってきた。

狭い急こう配の坂道を流れ落ちる雨水が次第に増してきて、まるでバイクで川を遡っているかのようだ。でも今度は慎重に慎重にバイクを操り、おかげで、44のkelokも無事に上り切ってホットひと安心の団塊シニアバイク隊でござった。

その後ブキティンギへの帰り道、ピーターとシーシーがマップを見ながら思案の末に決めた、来た道とはまったく異なるショートカットを通ったら、なんとそこは↓こんな山越えの悪路だった。

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↑写真のここはまだましな方で、次第に山石や岩がゴロゴロしてる完全な山道となり、おまけに急カーブや上り下りの坂道が延々と続く悪路なのだ。雨は依然として降ったり止んだりしていて視界は悪いし、こんなショートカットなら通らないほうがましだったと、と内心ぶつぶつ、文句たらたらのひねくれ団塊だったが、加えて、人里離れたこんなところで、タイヤがパンクしたり、バイクが故障したりしたら、一体どうなるんだろうとマジ不安だった、これホント。。

しかし流石はジャパンメードのホンダ(バイクのことです)だね。オフロード専用バイクどころか、町乗り専用みたいな弱っちいスクーターのくせに、一度もパンクすることなく、故障することもなくあの悪路を走り抜いてくれたのだから、有難いと言うか、ホントに良かった。

ようやく深い山合いを抜けて、辺りに棚田が見え始め、人影や牛影が見えた時、ああ、良かった、無事に山越えられた、助かった、と安堵したのはこのオイラだけかなぁ。。。

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ピーターの合羽は、マニンジャウ湖傍の雑貨屋で買ったもの。こうして見ると、二人ともなんと言うか、案山子のようで"いとをかし"、、かな。。

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ブキティンギに近づくに連れ、雨もようやく上がってきたが、時計をみるともう6時。マニンジャウ湖の食堂を出発したのが3時半ごろだったから、約40kmほどしかないブキティンギまで約2時間半も要したことになる。あの山道ショートカットがいけなかったな、と思ったが、まあ、無事に帰れたことだし、アドベンチャラスなバイク旅の本懐だっかも知れないので、すべて良しとすることにした。

しかし、可哀そうなのはこの右小指でごじゃる。痛みに耐えてバイクのスロットルを握っていたせいか、ますます腫れが酷くなっている。うっかり何かに小指が触ろうものなら、頭の芯まで激痛が走るけど、これも我慢我慢。

さて、ブキティンギ最後の晩のディナーは、今晩もララ隊員の案内で、MARTABAK  KAKAと言うブキティンギ式お好み焼きの店にやって来た。なにやら100年近くにもなる伝統料理だそうだ。

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で、出てきたお好み焼きがコレ。ご親切にも一口サイズに切ってある。これを独特の香ばしいソースに付けて食べるのだが、これは掛け値なしに美味い。

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なので案内人のララ隊員もほら、こんな得意顔だし、お二人さんもニコニコニッコリの満足顔だ。え、シーシーちゃんは苦虫つぶしてるって?いやいやそんなことない、これがシーシーちゃんのニコニコなのだ。

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で、お好み焼き屋の後はもちろんDe kock kafeだ。我々とすっかり意気投合した例のドイツのハイテンションおばちゃん (ごめんなさい、名前がどうしても思い出せません) も合流して、ビンタンビールがどんどん並ぶ。ブキティンギ最後の飲み会は、短いながらもブキティンギの旅の思い出は尽きず、できもしない再会の約束などしながら、大いに喋りまくり、飲みまくり、楽しくもあり、ちょっぴり別れが寂しくもありの夜だった。

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以上でスマトラ島横断バイク旅 (Day6)を終わります。

(最終回、Day7 & 8に続く)



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マレーシア色に染まるとか、この国に溶け込むとか、ローカルに馴染むとかは、私が好んで使うワードなのですが、マレー人と結婚してこの国に住み、好むと好まざるとに関わらず、異文化の中で懸命に暮らしておられる日本女性などから見れば、何をお気楽なこととお叱りを受けるのかも知れません。

それほどここマレーシアは私たち日本人にとって異文化満載の国です。特にムスリムの方たちの生活文化については、私たち異教徒の外国人は外側から遠く眺めることはできても、直に接することが難しい、まさに異文化中の異文化です。

私は以前からそんな本物の異文化を肌で感じたいと強く願っていて、政府や市や街の団体などが企画するオープンな交流イベント(先日のIFTARもそうですね)には機会あるごとに参加してきたのですが、普通のイスラム市民の家庭や生活文化にはなかなか入り込むチャンスがなく、もちろん強引に飛び込んでいく勇気もなく、少々忸怩たる思いを感じていました。

ところが先日、親しいマレーの友人の一人から、「狭い家ですが私の家のハリラヤに来ませんか?」と突然のお誘いを受けたのです。もちろん、そんな機会をじっと待っていた私は二つ返事でお受けし、ハリラヤプアサ初日の7月6日、不安がるmy better halfを半ば強引に連れ出して、はちきれんばかりの好奇心をもって出かけてきました。

念願かなって初めて本物の異文化(普通のイスラム市民の家庭や生活文化)を肌で感じてきたわけですが、それは期待に違わず暖かすぎるほど暖かいイスラムの生活文化とおもてなしでした。今日はそのことをリポートしたいと思います。



ハリラヤ・プアサはご存知の通り、イスラム社会や家庭においては年間最大の行事です。ラマダン月の日中断食を無事に終了できたことを称え合い、家族・親戚が一同に会して互いの健康と繁栄を喜び、年長者への尊崇を誓うのです。

日本には「帰省」と言う言葉がありますが、ほぼ同じ意味でこちらには「Balik ke kampung(田舎に帰る)」と言うワードがあります。

ハリラヤプアサはいわばイスラムのお正月みたいなもので、「Balik ke kampung」とは年に一度、都会に出ている人たちが一斉に出身地の田舎に帰ることを言うのですが、もちろん田舎のない人たちもおられます。

その方たちは都会のご実家に集まるわけですが、それでもBalik ke kampungなのです。この場合のkampungは祖父や祖母、あるいは両親の住む家を指し、一族あるいは兄弟家族がみなそこに集まると言う訳なんです。

私たちが今回訪れたご自宅は、モントキアラから北に12~3kmほどのところにあって、私が良く新鮮地魚を買いに行くKL卸売り市場の近くです。私たちを招待してくれた私の親しい友人のマレー青年は、ご祖母とご両親と共に暮らしているので、彼の家が一族のご実家、即ちkampungなわけです。

私たちが彼のご自宅に到着した時には、既に親戚の方たちも大勢集まっておられて、まさに万雷の拍手で出迎えられたかの歓迎振りでした。早速、みなさんと一緒に記念撮影です。

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↑ソンコ(Songkok)を被ると、まるでマレー人のようだとみんなに言われ、少々照れる私です。
↓my better halfも緊張しながら、女性陣の輪の中に収まっています。

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↓私の隣の彼が、今回私たちを招待してくれた友人のRei(Shaheir)君です。私の息子よりも若い青年なのですが、なぜか私とは気心が通じ、世代の違いを気にせず親しく交流させてもらっています。また、これはまったくの偶然なのですが、彼は、なんとマレーシア国際イスラム大学(IIUM)本部に勤めていて、偶然にも私の別の友人のAnie女史の知り合い、と言うかかつては同僚だったのだそうです。いや世間は狭いものだと、ここマレーシアでも実感しました。

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↓Rei君の叔父さんご夫婦です。叔父さんが被っているのはテンコーロ(tengkolok)と呼ばれる伝統的な男性用被り物(Traditional Malay Men's Headwear)です。ソンコがモスクでのお祈り用などの通常正装用に使われ、テンコーロは結婚式や王族の儀式などの礼装用に使われるのだそうです。それにしても、なかなか感じの良い素敵なご夫婦と思いませんか。

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そのテンコーロをお借りして被り、ご一家の長老であるRei君のおばあちゃんから、私たちも有り難くDuit Raya(マレーのお年玉)を頂きました。お身体が悪くてほとんど寝たきりのおばあちゃんなのだそうですが、お年を伺ったところ、え? 私とそんなに違わないんですけど、、、、

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なおこのDuit Rayaですけど、私たちも、もちろん日本のお年玉袋を20袋ほど持参しました。きっと小さなお子さんが大勢おられるのだろうと考え、小額の5リンギをそれぞれの袋に包んで行ったのですが、最年少は16歳(中学生)が数名で、あとはみなさん大人の方ばかり。

え、これじゃ、お年玉袋の中身が余りに小額過ぎて恥ずかしい。でも、Rei君のお父さんに、Duit Rayaは中身じゃなくハートですからまったく気にしなくて良いですよ、と諭され、そ、そうですよね、中味じゃなくハートですからと、お父さんの口上をそのまま口走りながらみなさん全員に喜んで受け取ってもらいました。
ちなみにその後、なんとRei君のお父さんにもDuit Rayaを頂戴しましたが、家に帰ってから中味を確認したら10リンギ入ってました。そっか、これが相場かぁ、、と、またひとつ勉強した気分です。。

↓ところは変わって、ここはRei君の二番目の叔父さん(三男:Alang)のお宅のリビングルームです。

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先述したように、最初にお伺いしたRei君のお宅は彼のお父さんが長男(Along)のため、そしておばあちゃんと共に暮らしておられるため、一族のご本家と言うか、ご実家なわけですね。一番目の叔父さん(お父さんの弟、次男:Angah)家族がセキンチャンの北方の町から、そして二番目の叔父さん(お父さんの弟、三男:Alang)家族は近傍の隣町から来られたのだそうです。(私はこのことを理解するのにややしばらくかかりました)

要するに、Rei君の二人の叔父さん家族を合わせ、計3家族のみなさんが集まっておられたのですが、すでに朝早くから一連のセレモニー、そしてハリラヤのご馳走振る舞いは済んでおられたようです。

かく言う私たちも、Rei君宅では美人のお母さん手作りの家庭料理などのマレー伝統料理を戴きました。食べるのに忙しくて写真はないのですが、今まで食べたマレー料理の中で一番美味しかった、とはこれまでマレー料理がどうしても口に合わないとこぼし続けていたmy better haifの弁です。

しばらくしてみなさん、次はAlang(三男の意)の家に行こうと移動の準備です。Rei君のお父さんが説明してくれましたが、ハリラヤの日に親戚を巡るのはイスラムの伝統行事なのだそうです。もちろん私たちも是非一緒に来て欲しいと言うことで、遠慮なく同行させていただきました。

↓叔父さん(Alang)のご自宅のダイニングルームです。

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↓ダイニングルームからキッチンを見ています。

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↓キッチンです。

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そして、↓これがマレーシア伝統料理、レマン(Lemang pulut putih)です。ハリラヤとか結婚式などの特別のお祝い食なのだそうですが、もちろん、私たちは見るのも聞くのも初めてです。しかし、食べ物に関しては人一倍好奇心旺盛な私です。早速一口ぱくりと戴きましたが、うーーん、これは美味。ウマッ!の一言です。

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次に薦められたのがこれ↓、レマン・プル・ヒタム(Lemang Pulut Hitam)と言うのだそうですが、和訳すると小豆入り餅米レマンですね。なんか、見た目は日本のお赤飯に似てる。

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うーーん、↑これも美味っ! でもこれ、食感と言いお味と言い、まるで日本のお赤飯じゃないですか。いや、お赤飯よりも味が濃いかも知れませんが、とにかく美味しい。お赤飯好きのmy better halfが珍しく美味しい美味しいと言って食べてましたね。

↓奥から、レンダンアヤム(Rendang Ayam:鶏肉のスパイス煮込み)、ロントン(Lontong:野菜と鶏肉のシチュー)、甘辛のサテーソースです。

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my better halfは、特に↓このロントンが美味しい、マレーシアで初めて出会った美味しい料理だと珍しく喜んでましたね。

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レンダンアヤムもロントンも、もちろん美味しかったのですが、私はこれ、このセルンディン・ダギン(Serunding Daging)が好きです。見た目はいまいちだけど、味はまるで私の好物のビーフジャーキーです。聞けば、細切りドライビーフのピリ辛味付け煮のようなものだとか、なるほどマレーシア版ビーフジャーキーですな。

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いやぁ、今日は幸せですなぁ。なんと言っても念願叶い、本物の異文化といやというほどのマレー語にどっぷり浸かり、そして一年に一度しか口に出来ないという幻の伝統料理までたらふくご馳走になったのですから。。

で、でも、私のマレー語はまだまだです。もちろん、出来る限りマレー語で会話を完結しようと、古ぼけた脳内コンピューターをフル回転させていたのですが、言葉に詰まることや、聞こえないこともしばしばで、まだまだ未熟で、とてもとても満足できる代物ではないことを痛感しました。

そんなことを考えていたら、Rei君のお父さんが、今日はまだ時間があるから、これからみんなで親戚(お父さんの叔父さん経営)のKLで一番人気のレマン直販工場に行こうと言われ、みなさんも私たちも大喜びで、Rei君のご両親や叔父さん家族のみなさんと3台の車に分乗して、いざレッツゴーです。

↓ここがバツーケイブの東側にあるレマン直販工場、LEMANG DAUN LEREKです。なお、DAUN LEREKとは、LEREKと言う植物の大きな葉のことです。

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↓真ん中の方が、Rei君のお父さんの叔父さんつまり大叔父さんにあたる方で、この直販工場の経営者なのだそうです。なお、ここは普段はmedan selera(フードコート)なのだが、このハリラヤの一ヶ月間だけフードコートを閉店してレマン直販工場になると仰ってました。

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↓レマン直販工場の全景です。工場と言っても、普段はフードコートにしている屋根つきの土間に、鉄製の焚き火かまどのような設備を整えただけの極めて簡素なものです。

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レマン(Lemang Pulut Putih)は、長さ40cmほどの青竹筒の中にLerekと言うバナナの葉に似た葉を巻いて入れ、それに餅米とココナツミルクと独自の秘密調味料を入れて、火で炙って炊くのだそうです。

↓先ず青竹を40cm程度の長さにカットします。

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↓カットした青竹筒を洗います。

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↓そしてLerekの葉を洗います。

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↓青竹筒の中にLerekの葉を巻いて入れ・・・

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↓その葉の中にココナツミルクと秘密の調味料に浸した餅米を流し込みます。

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↓火で炙る前のレマン青竹筒です。

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↓そして竹筒を一列に並べて火で炙ります。

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↓竹筒を火に炙ること約2時間、青竹筒の表面の色が次第に変化して行きますが、この火加減や餅米の炊き上がり具合の見極めこそが熟練の技なのだそうです。

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↓見れば、このレマンを買い求める人でこの賑わいです。流石にKL一番人気のレマン直販工場です。

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↓Rei君のお父さんも嬉々としてレマンの販売を手伝っています。レマンは竹筒1本、12リンギから16リンギとのことです。

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↓はい、どうぞ、竹筒レマンの出来上がりです。

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↓竹筒からレマンを取り出します。

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↓このようにLerekの葉に綺麗に包まれたレマンをまな板の上に載せ、、、

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↓食べやすい大きさにLerekの葉ごとカットします。

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↓最後にLerekの葉を剥がして食べるのですが、この味と言い香りと言い、また食感と言い絶妙な出来合いです。

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まことに先人の知恵は素晴らしい。日本にも笹巻きなどがあるように、竹や笹には殺菌作用や香りがあるのだろうし、Lerekの葉も同様に作用するのだとのことです。

聞いたところ、この直販工場はマレーシア全土でも有名な伝統技法の工場で、既にテレビ等で何度も紹介されていて、Rei君の大叔父さんはこの道では超有名な方なのだそうです。

↓レマンの出来上がりを待つご一行です。最前列左がRei君のお父さん、右側がお母さんです。余談ですがなぜかRei君のお母さんも、叔母さんも、そしてその娘御たちも、いずれ劣らぬ美形ぞろいでしたなぁぁ。

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以上今日は、ハリラヤ初日にマレーの友人宅を訪れたお話をしましたが、私にとっては始めての、普通のイスラム家庭の生活文化に肌で触れた大変有意義な一日でした。そして、期待した以上に、Rei君のお父さんを始めご家族ご親戚の方たち全員の心温まるおもてなしをいただきました。

セキンチャンのさらに北側の町からみえたAngah(次男)の叔父さんからは、今日これから私の家に一緒に行かないかと誘われたほどなのですが、みなさん本当に人の良い方ばかりで、こんな方たちと永くお付き合いできれば、私が完全にマレーシア色に染まるのも時間の問題かも知れない、、などと感じた今年のハリラヤスペシャルでした。

ではまた。。



私のこのブログは特にジャンルへの拘りはないつもりなのですが、どうも私自身の興味の対象がさほど広くはないせいか、いつも同じような内容で、しかもかなりシツコイとたまに親しい友人から嫌味をたっぷり言われてしまいます。

特に最近、この国の政治スキャンダルのことなどをシリーズに取り上げているものだから、おまえのブログは長いうえに小難しくてかなわん、などと散々な言われようです。

でも私としては、別にこれで小遣い稼ぎをしようとしたり、ランキングを競ったりしているわけではないので、他人に疎まれようが嫌われようが気にせず、これからも気の向くままに私の思いの丈を綴っていきたいと思っています。これぞ、ひねくれ団塊世代のひねくれたる所以なわけですからね。

そんな中、ごく最近ですが、ひょんなことからある方と知り合いになり、いやぁ、世の中にはこんな方もおられるんだなぁと感心しまくりでした。

このブログでも、もう何度も書いていますが、私は大の生魚好きです。旨い刺身と酒があればもう何も要らないというほどなのですが、なんの因果か知らん、こんな遥か彼方の南国に渡って来てしまい、私と言う人間のいわば生命線である刺身と酒がないことにハタと気付いた時には既に遅かりし由良之助でした。

しかし、人間窮すれば通ずのことわざどおり、今では南国の魚市場に足繁く通い、新鮮な地魚を見繕ってはそれを捌き、自身の人体実験を繰り返すことによって、ほぼ旧来の食生活を維持しています。

あ、酒については、当初は自家醸造を試みようとしてたのですが、この高温の熱帯の地ではなかなか手を出せず、結局のところ、無料スペシャル宅配便 (注:あの手この手で日本の古い友人たちにマレーシア旅行を焚きつけては手土産に運んできてもらうという姑息な手段) に頼りきりです。(今まで運んで来て下さった皆さん、申し訳ありません。このご恩は決して忘れません、本当です)(笑)

話を元に戻しますが、その方、庄助さんと仰います。ええ、あの朝寝、朝酒、朝湯が大好きな、あの庄助さんです、なんちゃって、実は苗字が小原(おはら)さんで下のお名前は別なんですが、ご本人も庄助さんがお気に入りのようなんです。

そんな庄助さんからある日突然ブログメールを頂戴し、近くクアラルンプールに旅行で来られる由、その際、KLの卸売魚市場に行ってみたいので是非いろいろ教えて欲しいとのご依頼です。庄助さんが仰るには、大の魚好きで各地の市場を巡っておられるとのこと。参考までにと添えられた、ブログのURLをクリックして大変驚きました。

そこには、涎が出そうな美味しそうなお魚料理がずらり、思わず予定を放り投げて数時間ぶっ続けで読み耽ってしまいました。

ううーん、思わず唸ってしまいましたね。これぞホンマもんの男の料理だ、そう思いました。ひょっとして、プロの料理人さんかな?とも疑ってしまいましたが、この度お会いしてお伺いしたところ、そうではなくてまったくの趣味の範疇なのだそうです。

私なぞ、今は必要に迫られて仕方なく手にしている和包丁ですが、この方の場合はちょっと違う、と言うか、年季が違いますね。お住まいが近ければ是非是非弟子入りさせていただきたいものだと思いました。

そんな方からのご依頼です。もちろん二つ返事で案内役を引き受けましたが、この度、ご案内しながらいろいろお話を伺ううち、この方の魚に対する拘りようはホンモノだと恐れ入った次第です。

さらに恐縮なことに、そんな庄助さんから思いがけず大量の冷蔵「酒&肴セット」を手土産にと頂戴しました。なんと発泡スチロールの箱に冷却材を入れ生鮮品をきっちり冷蔵パックにして運んでこられたとのこと。

私など、今までそんなことをしたこともないし、考えたことすらなかったので、なるほどと感心したり恐れ入ったりでした。

これは、今回初めてお会いしたその庄助さんから手土産にといただいた大好物の酒&肴セットのホンの一部です。

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嬉しいことに、右の白濁ボトルは活性原酒ですよ。つまり発酵が止まっていない濁酒状態なんですね。たまらず味見をしてみましたが、かつて雪深い山形・庄内の里で味わったスパークリング濁酒そのものです。

村一番の濁酒名人と言われた友人の祖母が、薄暗い土蔵のカメから汲んで注いでくれたあの芳醇な香りと仄かに甘い白濁酒、口に含んだときのあのシュワッとした味わいが忘れられなくて、それからの5年間と言うもの、必死に自家醸造酒造りに励んだ時のことを昨日のように思い出します。

そして、もう一本の酒ボトルを見てさらに驚きました。なんと楯野川ではありませんか。楯野川は私が幼い頃に育った家に程近い酒蔵で、酒好きの母親がコップ酒を呑んでいた酒です。そのネーミングを聞いただけで昔日が蘇る、私にとってはそんな酒なんです。

先月、私の高校時代の古い友人たちが遥々訪ねて来た時も、数え切れないぐらいの故郷土産を頂戴しましたが、中には、酒田の銘酒・初孫があってとても感慨深い思いをしました。そして今回は、楯野川です。東京都下在住の庄助さん、そんな私のバックグランドを知る由もないのに偶然の成せる業とは思えないほどに見事です。

庄助さんの手土産セットは上の他にもまだまだいっぱいあって、どれもこれも呑み助が泣いて喜ぶものばかり。庄助さんは、どうやら本物の会津磐梯山の庄助さんのように、酒も魚も大好きでいらっしゃる。だから、私のようなこんな酒呑みの気持ちが良く分かる方なのですね。

今回、私のブログでは始めてのことなのですが、庄助さんのブログ「毎日一魚。庄助の昼飯、晩飯備忘録。」にリンクを貼らせてもらいました。もちろん庄助さんの承諾を得てのことなのですが、代わりに庄助さんのブログにも私のこのブログのリンクを貼っていただいたようです。

本ブログの左側バナーの一番下、リンクのところに貼ってありますので、興味のある方は是非一度訪れてみて下さい。

庄助さんのブログで、私の特にお勧めは、カテゴリーの「魚料理」、もちろん私などとは違って刺身以外にも煮る・焼くなどなどのオールラウンドです。

庄助さんは、魚のほかにも肉や野菜など全ての料理に精通していらっしゃる。聞くところによると全国各地の漁師さんや市場の方たちとお知り合いで、その食材は全国各地から旬のものが空輸されて届くのだと言う。

私の終いの人生を絵に描いたような方でいらっしゃるので、今後とも親しいお付き合いをお約束してお別れしましたが、まさに縁は異なもの味なものですよね。

最近ですが、特にブログ繋がりで、親しい友人たちが少しずつ増えてきています。上下関係のない定年後の人生って、良好な人間関係の維持が、簡単そうで実は難しいのだと、かつて良く聞かされましたが、当地在住の周りの日本人の方たちを眺めていて、なるほどと感じることも少なくありません。

そんな中、ブログを書くことの意外な副次的効用に気付かされました。私のようなブログを書いているとどうしても自分の思想・信条や感性・性格、はたまたものごとに対する価値観などが、知らずのうちに表に出てしまいます。

でもそんな私のブログを読んでいただいている方のうち、私と言う人間のそんな中味を知っていただき、奢った言い方かも知れませんが、それを良しと思って下さる方が私にコンタクトしてきて下さる。そんな方たちに直にお会いして話していると、多分価値観や感性が似通った方たちだからでしょうか、私としてはまことに心地良いのです。

当初のうちは良く分かりませんでしたが、きっとこれはブログの副次的効用と言うべきなのでしょうね。

それにしても定年後の人生で、信頼のおける親しい友人たちが新たにできるなんてとても有難いことです。

そんなことを独り考えながら、今宵も頂いた旨い肴と旨い酒で、乾杯!

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ではまた。。